ご飯と甘い物は紅薔薇
【ご飯と甘い物は紅薔薇】
”カシラカシラ、御存知カシラ?”
創立百年以上を誇るリリアン女学園、しかしそこに集まるのは年頃の女の子達。
休み時間ともなれば、噂話に花が咲くのも当然の話だ。
”李組の智子さん、昨日挑戦されたんですって。”
”まぁ、それでどうなされたのかしら?”
”残念ながら、途中で手をお上げになられたそうです”
”まぁ、残念。どなたか他に勇者はおられないものでしょうか・・・。”
”黄薔薇さまは?”
”山百合会の方が挑戦されるはずもありませんわ。そもそも、シスターに
このような事をしていると気付かれましては・・・。”
「祐巳さん、どう思う?」
「・・・やっぱり、これはお姉さまに知らせるべき話だと思う。」
教室で、噂話をしている者達に聞かれないようにしながら話をする祐巳と由乃。
噂話が問題になる点は二つ。一つは、風紀違反の疑いがあるという事。そして
もう一つは、その風紀違反の疑いがある者が複数名いるという事である。生徒会
に関わる者として、これは見過ごせる問題ではなかった。
「問題は、何に挑戦しているのか、よね。」
「う〜ん、李組の智子さんと黄薔薇さまが同系列に扱われる話となると・・・。」
祐巳も由乃も、李組の神岡智子がどういう人物かは知っている。陸上部で長距
離走の選手として、インターハイへの出場の期待もされている人物だ。
その智子が、風紀違反をあえて冒してまで挑戦しなければならない事。それも、
それ以前に何人かが挑戦し、恐らく敗れた結果智子の登場となった事が想像され
る。本人はなんら不審な素振りを見せる事無く学内に居るのだから、暴力沙汰と
いう事はまずあり得ない。では、いったい何に挑戦しているのか・・・。
「じゃ、まず噂の特定から始めましょ。気付かれないように、時間を置いてから
廊下に出てきて。」
由乃がまず席を立った。同時に二人が動いては、さすがに噂話を聞いていた事
がバレてしまうので、時間差攻撃を使おうというのだ。由乃が廊下へ出たのを確
認してから、更に一呼吸置いて祐巳も席を立つ。
「どうやって確認・・・あぁ、なるほど。」
既に廊下には由乃の姿は無かった。しかし、祐巳も気付いていたようである。
どこに行けば、その手の情報が得られるのかという事を。
コンコン・・・。
「只今現像中〜。」
室内から声が聞こえる。扉を開けるな、という意味だ。
勿論ここは、部室長屋。由乃が扉をノックしたのは、写真部の部室である。
あえて何も言わず、じっと待つ。
コンコン・・・。
「どうぞ〜。」
扉を開けても良くなったようだ。
「蔦子さん、ごきげんよう。」
「あら、由乃さん。珍しい事もあったものね。」
部室の中に居たのは、写真部のエース、武嶋蔦子である。
「扉、開けるわよ。」
「開けても良いわよ。氷酢酸の匂いに耐えられるのなら、だけどね。五分待って
くれたら、こっちから出るけど。」
「それじゃ、待つわ。」
待っている間に、祐巳も扉の前に到着した。二人で蔦子が出てくるのを待って
いる。
ガチャ・・・。
「あら、祐巳さんまで。ごきげんよう。」
「ごきげんよう。蔦子さん、ちょっとお話宜しいかしら?」
「おおかた想像は付くけど、ここで良いの?」
蔦子が隣の部室の扉を指差す。勿論、新聞部の方だ。中に居る連中に聞かれて
良いのか?という意味で、蔦子は指を差している。
「・・・じゃ、ちょっと薔薇の館の方まで。」
「了解。話の内容次第では、情報提供料を頂く事になるけどね。」
「内容次第、です。」
そう言いながらも由乃は、何をもって蔦子と交渉するかを考えていた。話の展
開次第では、蔦子に情報提供料プラス口止め料を払う必要があるからである。
下手に騒ぎ立てられて困るのは、当事者だけではない。シスターから任されて
生徒達を束ねている山百合会もまた、困る事になるのだ。
「・・・あの者達の味方をしようというの?」
「いいえ、そういうわけではありません。一般論を述べただけです。」
珍しく、薔薇の館から激しい声が聞こえてきた。声からすると祥子と乃梨子の
ようだ。
「こっちもこっちで一大事みたいだね。」
「乃梨子さんも、一度こうと決めたら引かない人だし。」
想像される状況に、一瞬館の中に入る事を躊躇する二人。しかし中に入っていか
ねば根本的な解決は無い。由乃も祐巳も、意を決して階段を登っていった。
「・・・由乃。意外に早かったね。」
「令ちゃん、居たんだ。」
やはり予想通り、祥子と乃梨子の二人が口論をしている。しかし令はそれを全く
気にする様子も無く、黙々と目の前に用意された生徒会としての仕事を片付けて
いる。
令の反対側には、やはり黙々と仕事をする志摩子が座っていた。祐巳が声を掛
けようとするが、それを察してか口元に手を当て、『シーッ、静かに。』という
ポーズをする。
「そもそも、下校時に寄り道をして、しかも飲食店に入るなど生活の躾がなって
いない明白な証拠です。学外におられる諸先輩方がその姿を観られたら、どれほ
ど嘆かれる事か!」
「私もそうですが、初等部や中等部からリリアンに入学する者も増えています。
それが決して良いとは言いませんが、それもまたクラスメイトとの親交を深める
手段の一つです。校則を楯に全てを否定するのは、生徒の自主性を損ねる事にも
繋がります。紅薔薇さまは、行動の全てをお姉さまに決められたとして、それで
満足できるのですか?」
だんだんと言葉が刺々しくなっていく。相手の人格を否定せずに批判している
という点では素晴らしい討論だが、やはりそれは迷惑以外の何物でもない。だが、
乃梨子は一点だけミスを犯した。
妹の行動を姉が決めて満足できるか、という質問は、祥子にしてはいけなかっ
たのだ。姉である蓉子との『嫌々従いながらも全てが自由になっていった日々』
を思い出し、ボルテージが一気に上がっていく。
「妹の行く末を思いやれない姉が居るものですか!だからこそ、私は今回の一件
に憤りを感じているのですよ!」
机を叩いて熱弁を振るう祥子。こうなるのが判っていたからこそ、令と志摩子
は二人を放っておいて生徒会の仕事に集中したのだ。作業をしながらネチネチと
口論を繰り返して作業性を落とすより、少ない人数でも集中して作業を進めた方
が効率的なのではないか、という所で令と志摩子の意見が一致したのである。
「あ、あの、お姉さま・・・。」
「どうしたの祐巳、遅かったわね。」
祥子の怒りのベクトルが祐巳にも向けられる。八つ当たりというやつだ。
「お姉さまが憤りを感じておられる一件というのは、もしかして李組の智子さん
達の話ではないでしょうか?」
「勿論、一人だけの話では無いわ。智子さんを含め最低でも五人程度、下校時に
飲食店に出入りした者が居るらしいの。生徒会役員として、この風紀の乱れは見
逃すわけにはいきません。」
「・・・風紀の乱れと言っても、程度が知れています。」
祐巳の登場で論理を纏め直す時間のできた乃梨子が、反撃に転じようとしてい
た。
「なぜそれほどまでに、あの者達を庇おうとするのですか!」
「リリアン女学園を、社会から隔絶させない為です。」
「・・・なんですって?」
「規律正しく、しかも清楚な振る舞いをする事でリリアン女学園の卒業生は学外
で高く評価されています。しかし、世間一般からすれば下校時に買い食いの一つ
もした事の無い者など、特異な存在です。リリアンの常識が世間では非常識な事
になりつつあります。人里離れた山奥の学園ならばともかく、世間に疎い者ほど
社会に出た時にいいように扱われてしまいます。何でもかんでも規則で縛るので
はなく、社会と歩調をあわせ柔軟に対応するべきだ、と言っているのです。」
乃梨子の論理は、一瞬祥子をも圧倒した。乃梨子の視点が、学園内からではな
く学園の周囲までを含んだ巨視的なものだったからである。
今でも良家の子女が多く通うリリアン女学園だが、その周囲を取り巻く環境は
50年で確実に変化している。もはや家柄云々というものは形骸化し、既得権を死
守しようと躍起になっている者だけがそれを声高く言っているに過ぎない。電車
やバスでの通学が当たり前になり、卒業生の多くは家事見習い〜結婚というステ
ップを踏む前にOLという形で社会に出て行く。リリアン女学園卒業という肩書
きは一部の者にとって羨望の的であるが、多くの者にとっては無意味か妬みの元
になる。OLに求められるのは育ちや家柄ではなく、与えられた仕事をこなす能
力と精神的・肉体的な体力なのだ。
そういう世間とのズレが大きくなればなるほど、リリアン女学園の存在意義は
薄れていく。極一部の『過去の栄光にすがる』連中の為だけに必要とされるよう
になってしまう。それを乃梨子は恐れたのである。
あえて言えば、『それ位の事も知らんで社会に出ても”イタイ奴”になるだけ
だぞ』という事になる。世間に迷惑かけないなら放っておいてもいいじゃん、と。
「世間に自分を合わせる必要は、ありません。」
「・・・私が小笠原の家に生まれていれば、そう言って終わりにします。」
”世間知らずで済ませられる家に生まれてるのならそうするぞコンチクショー”
とでも言いたげな表情をする乃梨子。祥子は手を振り上げたくなる衝動を抑える
のに必死だった。
「・・・ふぅ、終わった。それもそうだね。ヘッセの『車輪の下』じゃないけど、
人と上手く付き合うためには余計だと思える事も知っておかないとね。」
ようやく自分が引き受けた分の仕事を終え、令が口を挟んだ。読書好きの祥子
にも判るように、あえてヘッセの作品を持ち出した所が令らしい。神学校をこの
リリアンに、主人公を生徒に置き換えているのだ。
「そうね・・・。戒律の厳しいお寺にあっても『般若湯』という言葉があります
し、決して知る事自体は悪い事ではないです。それを自分達でどう律するかが問
題だと思います。」
志摩子は寺で使われる隠語を引き合いに出してきた。般若湯は酒を意味し、僧
が口にする事は禁じられる物だが、己をわきまえた上で嗜む分には咎められない。
むしろそれを知ってどう己に活かすかが問題だ、というわけだ。
由乃は沈黙をもってその場に応えた。令と同意見、というわけではなく、単に
やりたいんならやらせておけば?自分ができないのもイヤだし、という消極的な
意見である。
一気に形成が逆転した。乃梨子と志摩子の白薔薇姉妹、令と由乃の黄薔薇姉妹
が「放っておけ」あるいは「何かあるまで手出しはするな」という意見を出して
いる。祥子としては追い込まれた形となった。
「祐巳、あなたはどうなの?」
「わ、私は・・・。まず、お姉さまのいう『風紀の乱れ』がどの程度なのかを調
べてから、判断した方が良いかと思います。」
この場にとって、祐巳の意見はかなり模範解答に近いものだった。まず現場を
観てから判断しろ、ろくに見聞きもせず語るな、というわけである。
しかし、それでは祥子は納得しない。この場で祥子が求めていたのは、模範解
答ではなく、自分の意見を肯定する意見だ。それが祐巳には判っていなかった。
「いいわ。私が現場を見て、それが風紀取締りを行なうべきものかどうか検分し
てきます。いかがかしら?」
「祥子の気が、それで済むんならね。」
珍しく、祥子にそっけない態度を見せる令だった。他の者は黙っている。
「祐巳、あなたにも手伝って貰うわよ。」
「あ、はい。でも・・・。」
「でも? なにかあるのかしら?」
「どこに行けば、その現場が見られるのかが判りません・・・。」
祥子を含めた全員が、一瞬凍りついた。
確かに、この部屋に居る全員が、噂話だけで議論を展開していたのだ。
風紀違反をしていると思われる者が主にどこでそれをしているのか、誰も知ら
ない。
コンコン・・・。
その瞬間、ビスケット扉をノックする音が室内に響く。
「あぁ、居た居た。写真部ですが、いいネタ持ってますから買いませんか?」
まさに、これ以上無いベストなタイミングで、蔦子が現れた。
まるで今まで扉の向こうで全てを聞いていたかのように。
「・・・へへっ。」
祐巳は顔がほころびそうになるのを必死で堪えている。
「祐巳。何か嬉しい事でもあって?」
「今、この場に居られる事、それだけで嬉しいです。」
「そう・・・。」
祥子は再び手元の雑誌に目をやった。祐巳も同様だが、やはり目は祥子の表情
と誌面をせわしなく動いている。
テーブルの上には、カップに半分ほど残された紅茶とクッキー。
そう。祐巳は今、祥子と『噂の現場』に居るのだ。
結局、祥子はシスターの元を訪れた。
”生徒会として動くと事が公になるから、できる事なら穏便に済ませたい”と
して相談を持ちかけたのだ。当然、シスターの中には当惑の表情を浮かべる者も
居た。だが学園の名誉と伝統を重んじ、穏便に事態収拾を図るという祥子の意図
に反対意見を唱える者も無く、計画は承認された。
祥子とその妹の祐巳でまず現場を確認し、監視対象となる者達の真意がどこに
あるのかを探り、しかるのちにシスターが個別に懺悔室で説教をしよう、という
ものだ。己の行いを自覚し、罪あらば悔い改めさせるというのが目的であり、処
罰を目的としない、という事でシスターと祥子とで意見が一致している。
事を実行に移す為には、生徒達が下校する前に、リリアンの生徒だと判らない
姿で現場に出向き、しかも学園側からの承認を得た行動である事を証明する必要
がある。祥子はシスターに、三人の私服の学内持ち込みと事前の早退許可を申請
した。制服姿では一発で祥子が居る事がバレるし、店に後から入ったのでは意味
が無いからである。
祥子はジーンズとブラウスに借り物のジャケットを羽織っていた。変装用に伊
達メガネをかけ、物憂げに雑誌を読みふける女性を装っている。
祐巳もほぼ祥子に近い格好だが、リボンを外しただけで印象はかなり異なる。
”うん。二人だって言われなきゃ、判らないかもね。”
撮影班の蔦子がそう言うのだから間違いは無いだろう。
蔦子は店の入り口近くの窓側に陣取り、リリアンの生徒が店内に入ってくるの
を待ち受けている。そして入店した所を撮影後外に出て、店の外から現場を撮影
するという事になっている。
”報償は、二人のその姿を撮影するという事で。”
シスターに申請した三人のうちの一人である蔦子、写真部として公に発表する
事もできず、ましてやそれをした事を口外できない『割に合わない』仕事に対す
る報償として、学園内ではまず観る事のできない私服姿の二人の撮影を要求した
のだ。
当然祥子は拒否を示したが、役割を考えたら蔦子以外の適任は思い浮かばない。
結局、祐巳に説得される形でその撮影に応じる事になったのだ。
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今はまだこの辺で勘弁してくだちぃ。<(_ _)>
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