|
実 践 生 物 教 育 研 究
|
|
THE JOURNAL OF PRACTICAL
|
|
EDUCATION IN BIOLOGY
|
| Foreword: Sense of Wonder by Keiko NAKAMURA PhD |
| Importance of Functional Cytology for Understanding Terrestrial Life by Yuichi Watanabe |
| Indigenous Protected Areas in Australia ? Opportunities for Environmental Education by Robert Wallis |
| The Dissection of Kinmedai (Splendid alfonsino) Eyeball by Tsutomu Uehara |
| Coleoptera as an Indicator of the Environment by Mituro ARAI |
| First step to use microscope by TSUKAHARA Kazuhide |
| Practical guidance for the fresh science teachers by Naofumi Shinohara |
| Consideration for Grasp of Conception of Living thing on Biological education in 1946〜1985(No.1) by Hisayuki ANDOU |
| The era and environment cherished the present author in northern part of Hiroshima. I. Infant days by Masanobu TARA |
| Reservation and Rebirth of the Street lined with Cherry trees(No.3) by Katsuji IWASA |
| Afterword by Saitoh Mitsuo |
|
実践生物教育研究会
|
|
The Society of Practical Education in Biology
|
|
齋藤生物教育研究所
|
|
SAITOH INSTITUTE FOR BIOLOGY EDUCATUON
|
|
巻頭言
|
|
Foreword
|
|
驚きを基本に
|
|
Sense of Wonder
|
|
中村 桂子
|
|
Keiko NAKAMURA PhD
|
|
JT生命誌研究館々長
|
ある哲学者から「科学は好奇心などで動いているからダメなのです」と言われたことがある。こう書くと多くの
方が、哲学などという役にも立たない学問をやっている人が勝手なことを言っていると受け止めるだろう。しかし、
他の分野の人の言葉に耳を貸すことは大事だ。
では、何で動けばよいのか。答えは「驚き」だという。ギリシャ語で「タウマゼイン」と言うのだそうだが、こ
の言葉が哲学の始まりである。自然を眺め、そこで生きる自分を見つめた時、生じてきたのが、「私自身がここに
いること自体への驚き」の気持だった。科学は、そこに自然があり、私が存在することなどあたりまえと受け止め、
さてそれはどんな物質でできているのか、どんなメカニズムで動いているのかを知ろうとする。まさに好奇心であ
る。もちろん、科学者だって花が美しく咲き、その間をチョウが舞い、アリがせっせと餌を運んでいる様子を見た
時、なぜこんなものがここにあるのだろうとふしぎな気持になる。日常を暮らす一人の人間としてはである。しか
しここで、科学は客観的、論理的なものであると考え直し、科学者としては、その驚きは脇に置き事実を見つめよ
うとするのだ。でも本当にこれでよいのだろうか。私が生命科学から生命誌へと移行したのは、これを真剣に考え
たかったからだ。
今ここにいる生きものたちは、誰がつくったのでもない。生れてきたのである。私自身、両親あっての存在であ
る。両親はまたその両親あっての存在・・・こう辿っていくと長い長い生きものの歴史が見えてくる。幸い、現代
生物学はすべての生物がDNAをゲノムとして持つ細胞から成ることを明かにしているので、それを通してこの長い
歴史を追うことができる。38億年前、海中で生れた細胞を祖先とする生きものの歴史と関係を解明できるのであ
る。具体的には、一つ一つの個体がいかにして生れたかという「発生」、個体が多様化し、新しい種が生れていく
「進化」、多様な生きものが相互に関係し合う「生態系」を調べていけばよいのである。
発生、進化、生態系の研究を通じて見えてくるのは、生きものたちのもつ多様性と普遍性であり、まさに科学が
求める成果がそこから得られる。ただし、生命誌研究を進める時に頭の中にあるのは常に「自然」である。生命科
学の研究では、実験室の中にある一つ一つの生きものの構造や機能だけに眼が向き勝ちだが、本来、生きものと向
き合っているのだから常に自然を意識することが必要である。
自然の中には自分自身もいる。生きものを客観的に見て操作する好奇心でなく、自身もその中にいる自然のみご
とさへの驚きは、生物研究に不可欠だと改めて思う。それは、私を含めて生きものたちがここにあることそのこと
への畏敬につながる。
好奇心だけでは操作性につながり畏敬とはならない。哲学者の指摘はここにあったのだろう。「センス オブ ワ
ンダー」こそ、自然に、そして生きものに向き合う時の基本である。実践生物研究はそういう形で進めて欲しい。
|
|
Abstract
|
Foreword
Sense of Wonder
by
Keiko NAKAMURA PhD
Director of JT Biohistory Resaerch Hall
E-mail:keinaka@brh.co.jp
A philosopher told me that “I cannot believe the scientists because they carry out their researches based on curiosity.
It is not curiosity but awe that leads us to the knowledge of nature.”I always wonder why I’m here and it makes me
think deeply about nature, he said.
The scientists can notice the beauty of the flowers and feel great affection for them. However they also notice that the
science is the discipline to ask what kind of materials the flowers are made of and how they grow. It is difficult to keep
the sense of wonder during the research activity, in particular, in the laboratory.
I have changed my specialty to “Biohistory” from “Bioscience”, because I strongly feel that the science is too materialistic.
I’m studying now, how so various kinds of living things on the earth could have evolved from one ancestor, how each living
thing develops its body according to the information from genome, and how all the living things have relations each other
to make up ecosystem.
In belief, the observation of the living process itself makes us have the sense of wonder and awe. Not only the researchers
but also the teachers in biology have to give attention to the suggestion from the philosopher, I think.
|
|
陸の生活を理解するための細胞学のすすめ
|
|
Importance of Functional Cytology for Understanding Terrestrial Life
|
|
渡 辺 勇 一
|
|
Yuichi WATANABE
|
|
新潟大学名誉教授
|
|
Professor emeritus of Niigata University
|
|
E-mail:watayu@sky.plala.or.jp
|
1)はじめに
DNAの構造が解明され、細胞内のタンパク質合成の仕組みが動植物の種類を問わず共通したメカニズムで行われて
いる事実は、生物学史上の最大の発見で、現代生物学の教育に不可欠の内容となっている。しかし、あまりにも圧倒
的なセントラルドグマの影響の下で、いかなる生き物においても、あるいはいかなる場にある細胞にも共通する普遍
的原理から離れずに、生命現象を理解したいという意識が優先されがちな傾向が強く見られる。このため、多細胞生
物の持つ細胞の形態や機能の多様性という面白さが、現代生物学では軽視されてしまっているように思われる。多く
の教科書の細胞という単元で初めて細胞が示される場合には、いかなる機能も持たない細胞像が描かれても仕方ない
が、多細胞生物の体内には、それぞれの場で特別な機能を果たしている細胞が多数ある。組織学や細胞学をある程度
学んだ人達からは、「生物学の教科書の冒頭に示される事の多い細胞図に相当する細胞は現実には存在しない、普遍
的モデルに過ぎない」という言葉がよく聞かれる。たしかに一歩組織学の分野に脚を踏み入れると、次々にその場に
ふさわしい精妙な形態と機能を持つ細胞達に出会い、生体の構造の不思議さを強く感ずることが多い。
生物学においては、「進化」という分野が特別な項目を設けて教えられる事が多いけれど、細胞そのものも生物の
住む環境、特に水から陸への生活に対応するために特殊な形態と機能を獲得していった事実がある。このような進化
学的な観点で細胞学を語ることによって、細胞の見方が一層深まるであろうと考えられる。
本稿では、我々自身の体に目を向けながら、細胞の特殊化・分化を考慮することが、陸の乾燥環境で生きる事実を
理解するのに重要であることを示したい。
2)平均的な細胞で体表面を守れるか?
最初に「平均的な」細胞について生物学教科書の記述からいくつかの点を確認しておこう。
・普通の細胞は60?70%程度の水分を含み、水は細胞の生存にとって不可欠である。
・我々の体は多数の細胞から成り立っている。
・植物と異なり、動物の細胞の最外表には細胞壁がない。
上の様な事を学んだだけでは、我々の体の表面にある皮膚も、水分が多く構造的には決して強いとは言えない細胞
で埋め尽くされていると思うのが自然である。ここで自然であると表現したけれども、実際の生物教育の現場で生徒
が、自分の身体の表面にどのような細胞が存在するかまで思いをめぐらすには至らないと、私自身の経験を振り返っ
ても言える。
さて、私の授業では、大勢の人間が力いっぱい綱引きをしている映像を示して、この時に柔らかい細胞で手のひら
の表面が覆われていたらどうなるかを問いかける事から始めている。綱引きどころか、日常様々な物体を触ったり、
握ったりすることも、平均的な細胞が表面にあるだけなら難しい事も述べる。
上のような状況から出発して、以下の実験を順におこなってゆく。
A) 適当料の水を入れた容器に手指を入れて手を洗ってもらい、その水を濾紙で減量した後、浮遊(沈殿)している
ものを顕微鏡で観察する。
B) 肌に直接接している衣服(ズボンなど)の裏側にセロテープを押しつけ、そこに付着してきた構造物を顕微鏡で
観察する。
C) 露出した肌に軽くセロテープを当てて、付着した構造物を同様に観察する。
D) 歯肉に歯ブラシで軽く擦り、少量の水と共にスライドグラスに取り観察する。
Aの実験結果を見てまず学生は不思議に思う。一体手を洗った程度で、体から何かが落ちる事があるのだろうかと。
この疑問は衣服の裏についている同様な構造物を観察した時もなくならない。それはそうであろう。仮に細胞だとし
たら、そんなに簡単にはげ落ちるはずはないと思っているからである。しかし、その疑問は、肌から直接回収された
構造物(Cの結果)とA、Bの結果で観察されたものが一致する事で氷解する。
著者が授業を行う時には、これらの構造物が果たして「細胞」と言えるかどうかを問いかける。もし細胞だとした
ら核がみえるはずだが、それは見当たらない。学生の中には「染色していないから観察されない」と、少しひねった
答えをする者もある。しかしこの答えは、観察Dにおいて無染色にもかかわらず明瞭な核が剥離細胞内に認められる
事から否定される。
既に何回か前の授業で、細胞から核を除くと(例のアメーバを用いた実験)死んでしまうという事を習った学生達
は、それほどの苦労なしに、皮膚表面から回収された細胞らしきものは、細胞の「死骸」であろうと推察するに至る。
ここまで到達したら、ヒトの重層扁平上皮(この単語は授業では使わない)をCGで描いたDVDの画像を写し、皮膚
上皮は多層の細胞が重なり、表層に近づくにつれて次第に硬蛋白のケラチンで満たされて水分を失い、死骸となって
表面から常に離脱している事を説明する。細胞の死骸が剥げる事実は、決してマイナスばかりではなく、我々の皮膚
に表面で接触してくる物体との摩擦力を剥げる事で逃がしている事を示す。実はこの皮膚実験に入る前に、綱引きや
ヴァイオリンのビブラートの様子を見せて、皮膚が乾燥環境に耐えるたけでなく、種々の擦過力に耐えなくては、手
でペンをしっかり握って文字を書く事もできない事を指摘してあるのである。
スウェーデンで制作されたテレビ番組によると、一人の人間から、一時間に剥離する細胞は50万と言われる。こ
れだけの数の細胞が失われるのであるから、その補充も重要になってくる。最も安全な部分である基底層で、失われ
る細胞を補うための細胞分裂が行われていることに注意をむけさせる。タンパク質の合成も細胞分裂もこのような現
場の必要性から考えると、実感しやすい。
もちろん陸上に暮らす動物が全てこのような戦略で体表を守るのではなく、昆虫に見られる「外骨格」という、硬
い成分を体表面に塗り付けたタイプの守りも比較して示す。外骨格が人間の発明した防具の何に似ているか(答え:
よろい)を設問し、そのデメリット(ヒント、一度作ると硬くて形が変わらない)についても考えれば、鉄壁を表面
に作るという戦略が、必ずしもベストでない事も考えさせる。このような作業過程から、生物が陸上において体表を
どのように守るかについて、進化的な観点が自然に形成されるように思われる。もうひとつ学生が興味をもって取り
組む課題は、一生の間に水環境から陸環境に移動する、無尾両生類の皮膚の変化である。オタマジャクシとカエル成
体の皮膚の断面を並べて示し、どちらが幼生/成体であるかについて、判断根拠を併記して答えてもらうのである。
人の皮膚の組織構造を十分理解した学生にとっては容易に解ける問題であることは言うまでもない。この問題を解く
事によって、身近な動物であるカエルが陸にあがるために体をどう変えているかについての知識が深まる。
以上の話を終わった時点で、下着の汚れ、手を洗う行為の組織学的意味、皮膚のあか、耳あかや、へそのごまが貯
まる意味、タオルが臭くなる意味のうち、いくつかを設問にして問いかける。このような問いを考えることによって、
生物学で学ぶ内容によって自分の生活の中での現象の因果関係を分析できるようになる事を体得できよう。
余談であるが、超微量のタンパク質分析に当たっている人達は、いくら体を厳重に密閉した衣服で包んでも、ケラ
チンという角化上皮の含むタンパク質は除外できないと嘆いている事実がある。これも皮膚の構造を理解すれば、よ
く理解される話である。
3)細胞外空間の重要性=陸の生活を支える骨の構造
水中、特に海では骨のない動物でも巨大な体を持ち、活発に動き回る事ができる。ベルヌの有名な空想小説「海底
二万マイル」では、潜水艇が巨大イカと戦う話がある。実際海の無脊椎動物の中で、イカが最大の生物であることが
知られている。つい先頃NHKの科学番組で、ダイオウイカに魅せられた人達が深海に潜って、その生態を撮影しよう
とする試みが放映された。
さてイカはご承知の通り、軟体動物に属するが、タコ同様巨体を素早く動かすのに、水を噴射してロケットと似た
様な力を利用している。水のない陸上では軟体動物は、文字通り日の当たらない場所に控えめに暮らし、動きは鈍く、
そのサイズも小さい。既に水中で骨を獲得した動物は魚類であるが、原始的な魚類はサメやエイのように、硬い骨を
持っていない軟骨魚類である。堂々と陸に上がり、体を大形化していくためには、骨は欠く事のできない組織であっ
た事がわかる。また、水にいた時にはすぐに取り入れられたカルシウム溶液の環境と決別した陸の生活には、いつで
もカルシウムを動員できる貯蔵庫としての骨が不可欠であった。
このように陸の生活に極めて重要な骨という組織が、どのようにして成り立っているかを知るのは必要な事と思わ
れるが、ほとんどの教科書は細胞内の活動には多数の頁を割いても、細胞外の空間利用について目を向けさせる事は
少ない。細胞が自分の作り出した硬い産物を細胞外にためる方法は、既に海綿動物の骨片において認められる。しか
し海面の骨片が細胞とどのような空間関係にあるのか意識させられる機会の乏しかった学生達には、硬組織の分布領
域についての導入部が不可欠である。その導入は以下の順でなされる。
1)骨は力に耐える極めて硬い緻密な物質である。
2)細胞が硬い物質を細胞内に蓄積してゆく事は可能か?
3)細胞が硬い物質を細胞外に蓄積してゆく事はどうか?
4)上の2、3が不可能なら、現実の骨細胞の生き様は?
骨の緻密度については、食物などから日頃認識している。2の設問にある、浸透性に乏しい硬い物質を細胞内に
充満させる事が、細胞の生命活動にいかなる影響を及ぼすかを十分理解して、次に細胞外部にそれを蓄積した場合
について考える。細胞外でも完全に細胞を密閉するほど硬い物質を蓄積すると、外部との交流が維持できないので、
工夫が必要である。この工夫を考えさせるには、有孔虫という単細胞ながらも硬い殻を有する原生動物が好適であ
る。有孔虫は身を守るために硬い殻を分泌しその中にこもっているが、小さな孔(名前の示す通り)から細胞の細
い突起を出して餌を取り、また外界との物質の出入りも行っている。
有孔虫の場合は細胞が単一だから、その形態は余り複雑とはならない。骨の場合多数の細胞が緻密質の中に並び、
できるだけ効率よく血液から必要な物質を受け取らなくてはいけない。このため、細胞集団は骨内で年輪のように
同心円状に並び(骨層板)、年輪の中心部にある血管から、まず第一層の細胞が骨内に穿った無数の細管を通して
血流を受け取り、その細管は次々に年輪の外側に並ぶ細胞とも連結され、このようにして物質の通わぬ緻密な骨の
中で生きているわけである。
何年か前のNHKの科学番組「人体」では、骨髄に向かう血流のみが話題とされ、折角画像として示された骨細胞
への血流が示されなかった。これでは「骨の中にも細胞が生きているのです」というナレーションが入っても、一
体細胞がどうやって生きているのか視聴者へ説明されたとは言えない。
さて、学生達には最後にもう一つの問いを出す。骨の細胞が活発に生きるためには、血流を確保する道は太い方
が良いに決まっているが、なぜ「骨細管」は極めて細いのか。
この問いに関しては、自分で作図した太めの血流路を持つ「骨」を示すのが助け舟になるが、このヒントがなく
ても答えられる者は多い。
以上、モデル化された標準的な細胞からはるかに離れた細胞の重要な役割と、細胞外の空間利用という二つの面
から、現代生物学の余り語られない部分について述べた。ここに記された事は、中学や高校の生物学教育に大きな
意義があるのに、欠落しているのではないかと思われる。実際に私が高校に「出前授業」を行った時に、この話を
して高校生達から大きな反響を得た経験からも、進化的な見方を含んだ細胞学は中高の教育現場でも生徒の興味を
ひく内容をもっていると言えよう。
ここで語られた内容は、私が教養課程で理学部以外の文系の学生に対しても生物学教育を実施する時に着想した
ものである。筆者が教養教育を初めてまもなく、何かの新聞の片隅に「教養とは何か」という問いの答えについて
の記事があった。そこには、「自分自身」が何者であるかが解るという普遍的な答えが示されていた。その記事を
読んだ当時は、自分自身が何者であるかに答える事など、教養教育で一体可能なのだろうかと疑問を持っていた。
今になって、基礎的な生物学の知識を学ぶ事と、自分の身について新たな目を開いて考える事がつながる様な地点
にたどりつけた事は、教養教育の一つの到達点ではなかろうかと思っている。
|
|
Abstract
|
Importance of Functional Cytology for Understanding Terrestrial Life
by
Yuichi WATANABE
Professor emeritus of Niigata University
E-mail:watayu@sky.plala.or.jp
Since the establishment of the “central dogma”, general and universal rules have been taken as the most important in the
filed of biology. Under such circumstances, less attention is paid to those cells having specific structure and function. This
report describes the cytological features of skin and bone cells that are essential for understanding the terrestrial life of animals.
The skin surface is covered with dead cornified cells that easily peel off continuously. Microscopic observations of such
discarded cells help us to think how our skin is protected from drying and various forces caused from contact of foreign objects.
In addition to the protective mechanism of skin, cytological study of bone is also essential for learning of effective movements as
well as a calcium stock of land animals. Hardness of bone is not understood unless we concentrate our attention to the extracellular
spaces that are neglected in modern biology. Learning of cytological features of cells that play important roles in undergoing
terrestrial life would help to deepen the knowledge of cell function especially from the evolutional point of view.
|
|
Indigenous Protected Areas in Australia ?
|
|
Opportunities for Environmental Education
|
|
Robert Wallis
|
|
A member of Directorate
in AABE
|
|
Warrnambool, Victoria. 3280.Australia
|
Indigenous Protected Areas (IPAs) are lands provided to and managed by Indigenous groups to promote biodiversity and cultural
resource conservation in Australia. In November 1999 Victoria’s first IPA was declared. Deen Maar occupies 453 ha in the State’s
south-west and was previously seriously degraded pastoral land that had been over-grazed and had many weeds and pests. However,
0Deen Maar also has extensive wetlands and saltmarshes that are of international conservation significance. The land also has deep
cultural significance for local Indigenous peoples.
Deen Maar is undergoing extensive revegetation. A biodiversity audit of the property has been conducted; this showed the property’s
importance for conservation of many threatened species. Bird hides have been built and accommodation for visitors established. IPAs
must generate income; accordingly 12 wind turbines have been erected by Pacific Hydro. As well, cattle are grazed on improved
pasture that has been fenced.
The Indigenous owners of the land are keen for Deen Maar to be an educational resource and will be encouraging student visits
and research projects. It thus represents an resource for environmental education within a culturally significant context. The United
Nations Decade of Education for Sustainable Development aims to “encourage changes in behaviour that will create a more
sustainable future in terms of environmental integrity, economic viability, and a just society for present and future generations”.
Deen Maar’ goals are certainly in line with these sentiments.
Keywords: Indigenous Protected Area, Australia, biodiversity conservation, culturally significant lands, environmental
education
|
|
Abstract
|
|
Indigenous Protected Areas in Australia ?
Warrnambool, Victoria. 3280.Australia
|
|
by
|
|
Robert Wallis
|
A Member of Directorate in AABE
Warrnambool, Victoria. 3280.Australia
|
| Please, read above sentences. |
|
キンメダイの眼球解剖
|
|
The Dissection of Kinmedai (Splendid alfonsino) Eye Ball
|
|
上原 勉
|
|
Tsutomu UEHARA
|
|
板橋区子どもの科学を推進する会
|
|
The Super Science Society for Children in Itabashi Ward, Tokoyo
|
はじめに
身近な材料で実験したい。こどもの科学教室を機にキンメダイを素材にして実験をしたので、その方法と結果を
報告する。これまでウシやブタの体験はあるがキンメダイははじめてである。こどもたちはレンズで文字が拡大さ
れるだけでも歓声をあげる。キンメダイは、周年、ス−パーの魚売り場で買い求めることができる。頭半分1個
100円程度、教師実験なら3〜4個で足りる。おすすめの素材。1週間程度なら冷蔵庫での保存が可能である。
(ただし、冷凍庫ではレンズが凍るため不適。)この実験は小・中・高のいずれでも適材である。(魚売り場に前
もって予約しておくと良い。)
実験の手順と方法
1.新聞紙をひろげ、キンメダイの頭部と“はさみ”1丁を準備する。
2.目のまわりに“はさみ”を入れ眼球を取り出す。半割りの頭部のときは後ろに押し出す。出てきた眼球のま
わりの肉片を取り除く。(大きさはウシの眼球程度である。)
3.眼球を左手にのせ眼球の側面に“はさみ”の片方をさしこみ、前半分と後半分に分かれるように眼球を回し
ながら輪切りにする。
4.前半球と後半球を新聞紙上に左右に並べる。
5.前半球のレンズを指でつかみ新聞の文字の上に置き、拡大文字の観察。全員で観 察する(Fig.1)。レンズ
を取り除いた前半球の黒い帯状の円形は「こう彩」である。
Fig 1. レンズによる拡大
6.後半球の透明でどろどろした硝子体を、指でつかみ新聞の文字の上に置くと、やはり文字は拡大して見える。
後半球の再内層の白色の部分が視細胞のある網膜である。その下層にある黒色の部分が網膜に栄養を与える脈絡
膜である。つぎに、指先で網膜と脈絡膜をいじると最外層の強膜との間で絡まるところに気 付く。そこが盲
点のあるところで視神経の束が眼球から外に繋がっている。
7.最外層の強膜は、厚く視神経の束が通る穴が開いている。
結果
1.眼球の直径は5cm、レンズの直径は2cm。(魚の大小により差があり。)
2.レンズの新聞の文字が拡大されよく見える。(小学生はここがポイント。)
参考写真:キンメダイの目のレンズで拡大した文字(上原撮影)。
レンズは完全な球形で、ものを見るときレンズは変形しない。魚のレンズは筋肉により前後に動かし、遠近の調
節と前方の像を見るようにしている。物を見るときレンズ は変形しない。視力は0.5以下といわれる。レン
ズは“たまねぎ構造”の層状構造である。
3.こう彩は変形しない。そのため、瞳孔(ひとみ)の大きさの変化はない。そこはヒトやネコとは違う。
4.硝子体、網膜・脈絡膜・強膜、盲点、視神経等もよく分かる。
5.“はさみ”1丁あれば、解剖皿がなくとも新聞紙上で十分である。
6.乾燥したレンズはパチンコ玉大で何年でも保存できる。
7.レンズの“たまねぎ構造”の層状構造を観察するには、乾燥レンズの表面の薄い皮の切片をスライドガラス
の上に取りエオシンで染色し400倍に拡大して観察する。(教師実験 Fig 2.)
まとめ
小学生に目の実験をするにはどうすればよいか。キンメダイはよく食べていたが解剖にまでに進まなかった。
せいぜい小学生にできる目の実験は、1盲点調べ 2錯視研究 程度と考えていた。これらはいずれもドライラボ
である。何とかウエットラボはできないか?たまたま食べるキンメダイを解剖してみた。イケルイケル、こんな
いい材料をどうしてやらなかったのか。すばらしいウエットラボではないか。ぜひ多くの方の試行を期待したい。
「百聞は一見に如かず」のこの言葉を噛みしめている。
Fig 2. 層状構造(×400)
|
|
Abstract
|
|
The Dissection of Kinmedai (Splendid alfonsino) eye ball
|
|
by
|
|
Tsutomu UEHARA
|
|
The Super Science Society for Children in Itabashi Ward, Tokyo
|
At higher exploratory, we dissect Kinmedais' eyes to show Japanese children how an eye works. This report shows how to
dissect Kimnedais' eyes. If you try this at home, wash your hands after the dissection. Here's a Kinmedai's eye from the fish shop.
Kinmedai (Golden Eye Snapper, Alfonsino) has a very distinctive look because of its large eyes and its bright red skin.
Kinmedai is a deep sea fish, usually living in the range of 200 to 800 meters (650 to 2700 feet) deep in the ocean. This is the
reason why this fish's eyes are enlarged; they are necessary to capture the slightest light at such depths. It grows to about 12 inches
in 3 years and can grow to as much as 24 inches. Kinmedai has a long life span which is believed to be as musch as 14 years.
The season for Kinmedai is in winter, from the end of December to the end of March when the tasty white meat contains a lot of
fat. The fish is suitable for almost any types of cooking method such as sashimi, salt grilling, poaching, frying and steaming.
|
はじめに
筆者がオサムシに魅せられて、採集を始めたのは14歳の春であった。横浜市にある浅野学園生物部に入部し、
誰もが興味を魅かれるカブトムシ・クワガタ・チョウには目もくれずオサムシをはじめとする歩行虫を集める
昆虫少年だった。当時の顧問は安東久幸氏で、毎年のように山梨県大菩薩の長兵衛山荘に引率していただいた。
先生のご指導のおかげで、中学・高校時代の仲間には未だにあの頃と変わらず自然に親しみ、独自のフィール
ドで調査を続けている者も多い。
受験・結婚という試練にもめげす?… 以来、私は出版社の編集者を生業にしながら40年近く仕事の余暇に…
採集と飼育、調査や論文執筆…と、北は利尻・礼文島から壱岐・対馬・五島列島、南は屋久・種子島まで全国
各地をオサムシの視線で歩き回っている。
一般にオサムシは夜行性で、それほど目につく昆虫ではない。だが、日本アニメ・漫画の父:手塚治虫は、
オサムシをペンネームにし、かのアンリ・ファーブルは『昆虫記』の中で自宅の庭を住処とするキンイロオサ
ムシが蛾の行列を襲う様を克明に観察している。若き日の養老孟司氏もオサムシを採集し、その分布を調査し
ていた。
オサムシとは
オサムシとは、昆虫綱甲虫目オサムシ科オサムシ亜科に属する地表性の昆虫である。オサムシ亜科の昆虫は、
東南アジアと中央アフリカを除く世界中に分布しており、日本には46種(180以上の亜種を含む)が知られている。
このグループの昆虫は、カタビロオサムシの仲間を除き飛ぶことができない。そのため、大きな山や河川によっ
て移動が制限され、地域によって形や色彩が変化…いわゆる地理的変異が著しい昆虫として知られる。
オサムシは漢字で「歩行虫」と表記する。英名ではグラウンド・ビートル…歩く甲虫の意味である。既述の
ように、オサムシの仲間の多くは、後翅が退化して飛ぶことが出来ない上、ほとんどの種は上翅が癒着して開
かない。こうした体の構造のために飛翔能力を失ったオサムシは、代わりに脚力が強く、地表を活発に歩行して
餌を探しまわる。彼らの主食は大きく分けて、3タイプに分類できる。
@ミミズが主食の春繁殖タイプ
アオオサムシ・オオオサムシ・ヒメオサムシを中心とするグループ。
成虫・幼虫ともにミミズ(フトミミズ科)を主食とし、日本産オサムシの約半数の種がこのグループに入る。
幼虫の大顎はミミズを食べるのに適応して長く彎曲する。
Aチョウやガ ハエ、アブなどの幼虫が主食の秋繁殖タイプクロナガオサムシを中心とするグループで、チョ
ウやガ、ハエ、アブなどの幼虫が主食の種である。秋産卵の幼虫越冬の多い種。
Bカタツムリが主食のタイプ
セダカオサムシ・マイマイカブリやカブリモドキ・クビナガオサムシを中心とするグループ。このうち、マイ
マイカブリは、日本固有の種で、成虫がマイマイカタツムリの殻をかぶるようにして食べる姿から名付けられ
た。成虫は、カタツムリの殻に差し込んで食べやすいように、頭部・胸部が伸びて独特の体形になったと考え
られている。これらのほかに、ガの幼虫を求めて樹上に生活の場を求めたカタビロオサムシがおり、このグル
ープのみ後翅が発達し飛ぶことができる。
日本産オサムシの分布と成立過程
日本列島の成り立ちから考えられることは、オサムシのように後翅の退化した昆虫は陸続きでなければ進入
できない。日本列島は、もともとはアジア大陸の一部で、地殻プレートの変動により、約1500万年前に大陸か
ら離れて島となったと考えられている。その後も、約500万年前に陸化し、さらに約200万年前にはじまる氷期
の海水面の低下によって何度かアジア大陸とつながる。約2万年前の最終氷期に完全に大陸と離れることになる
のである。現存の化石から、日本の生物相がこの時期に大きく変化していることが分かっている。我が国のオ
サムシは、最初に大陸から離れた際に運ばれ、列島内で分化した種類。その後の何度かの陸化時代に、北のカ
ラフト陸橋経由・西の対馬陸橋経由で進入した種類があったことが分かってきた。アマチュアによって解明さ
れた日本産オサムシ 日本産の昆虫相の解明は、その分布・生活史を含めてアマチュアの力によるところが大
きい。オサムシも、また同様に…通称【オサ屋】と呼ばれる筆者のようなアマチュア愛好家の調査の集積の結
果である。
いま、研究史を要約すれば、以下の如くである。
1950年代に検索図説やカラーの図鑑が出版され、中根猛彦氏や石川良輔氏の業績により、♂の交尾器によっ
て分類が可能になり、アマチュアの愛好家達の夢をかきたてていく。この成果の集大成が、『インセクト・マ
ガジン76 オサムシ特集号』(京浜昆虫同好会:1970)と『近畿地方におけるオサムシの地理的分布(予報)』
(日浦勇他:1971)にまとめられた。後者の連絡誌は「オサムシ層群」(近畿オサムシ研究グループ: 〜78)で、
やがて『近畿地方のオサムシ』(近畿オサムシ研究グループ:1979)としてまとめられた。その後、西日本を中
心に県別の分布が調査されていく。1980年代に入って、東日本の調査が本格的に進められる。1982年、東日本オ
サムシ研究会が発足し、連絡誌「オサムシ・マップ」(1〜40:1982〜89)が1989年に『東日本のオサムシ』
(東日本オサムシ研究会)にまとめられ、日本のオサムシの分布は、ほぼ解明された。このうち、筆者は東日本
オサムシ研究会の設立に関わり、事務局を務めさせていただいた。
2000年以降も新種・新亜種の発見は続き、遺伝子によるオサムシの系統進化を探る試みがはじまる(大澤省三他)。
ここでも、全国各地からのアマチュアの愛好家達によるサンプルの集積・提供があり、分子系統樹の作成に寄与
したのである。
オサムシの生息環境と生活史
活動期:春から秋にかけて、オサムシが最も好む環境は、雑木林である。下草が豊富で、林床が腐葉土の場所
には、彼らの好むミミズが多く見られる。
越冬期:冬の間オサムシは、越冬するために崖の肩や斜面の土中に部屋を作って入っている。また、朽ち木の樹
皮下や腐食の進んだ部分にも越冬している。
オサムシは、上記の雑木林以外にも住宅地の草地、低地のスギやヒノキの植林地、湿地、高山帯のガレ場、高
地のブナ林、草原、農地、河川敷など様々な環境に適応・生息している。種によって生息環境に好みがあり、そ
れぞれにすみわけと多様性が見られる。どの生物でも同様に、生息環境と生活史を知ることが、採集と観察のキ
ーポイントである。オサムシは、春から秋にかけて野外で観察できるが、盛夏にはあまり見ることができない。
これは、春繁殖と秋繁殖のオサムシが真夏に端境期に当たるからである。春繁殖の種は、産卵ののち成虫の多く
が死亡。秋繁殖の種では、夏眠に入るためである。
オサムシの調査方法
オサムシの調査は誰にでもできる。1970年代には、中学・高校生達各校の生物部員による優れた研究が多くみ
られた。オサムシの採集法には、大きく分けて二つの方法がある。オサムシのほとんどが飛べないことや、彼ら
の生態を考えると、春から秋の活動期にはトラップ(わな)を仕掛け、冬の越冬期には崖や朽ち木などから掘り出
す方法である。
ベイトトラップ …オサムシのいそうな地表に穴を掘り、餌を入れたプラスチックのコップの口が地面と同じ高さ
になるように【落とし穴】を設置する。餌(ベイト)は、市販の粉末すしの粉やカルピスをうすめたものでも充分
で、釣り具店で販売されているカイコのサナギの粉末を使用することもある。
オサ掘り(冬期採集) …崖や斜面、朽ち木の中で越冬しているオサムシをピッケルや手グワなどを使って掘り出す
方法である。崖や斜面の土中には、オオオサムシ・アオオサムシ・ヒメオサムシの仲間が多い。崖は北向き斜面
を選び、朽ち木は出来るだけ朽ちたオサムシが越冬しやすいものを見つけ、壊さないように慎重に削っていく。
特に松の立ち枯れには、マイマイカブリやクロナガオサムシの仲間が多く見られる。
拾い採り…この他に、オサムシの活動期に林道の側溝に落ちている個体や歩行中の個体を見つけて回ることがで
きる。こうして採集したオサムシは、乾燥標本として出来るだけ詳しいデータラベルを付けて保管する。
大河川の場合は、上流から見て採集地点は川の左岸か右岸かを記入し、山の場は、採集地点の標高とどの斜面
かを明記する。可能なら、採集方法や採集地の環境も記録しておきたい。ここで注意したいのは、トラップの回
収と冬期採集の方法である。
・トラップの回収の際には、回収のし忘れの無いようにしたい。設置数を事前に確認し、抜き忘れの無いように
充分注意する→かけっぱなしのコップには、調査後も次々と昆虫が落ちて、必要以上に小さな命が失われること
を考えよう。
・冬期採集は、少なくとも自然環境を多少なりとも破壊行為を行う。必要以上に崖を掘ったりすることのないよ
う節度のある採集を心掛けたい。
環境調査の指標昆虫
環境影響評価(アセスメント)の調査の基本の一つとして、前述のベイトトラップがある。
地表性の昆虫の採集・調査・サンプルの集積・解析法の手段に、当該地域のそれぞれ環境の異なる地点を選び、
シーズンごとに同じ餌を使用して同数のトラップを同じ日数設置する(通年で行うことが望ましい)。回収した昆
虫をまず標本にし、同定(種名を特定)して、種類数と種ごとの個体数を調べる。
地表性の昆虫は、採集地点の環境の特徴を如実に表す。この解析により、環境が開発その他の要因によってど
の程度影響を受けたか、あるいは将来の開発によりどの程度影響を受ける可能性があるかを考えることができる。
種類数の多さは、調査地域の生物多様性を示し、個体数は、調査地域の最優先種を推定できる。
勿論、オサムシ・ゴミムシなどの歩行虫の調査・解析だけでなく生息環境、生活史の異なる他の生物との比較
が重要なことは言うまでもない。
●例えば、関東のある湿地で春から秋に毎月2週間、2回の回収でトラップ調査を2年間続けたとしよう。ここは、
湿地脇に斜面を埋め立て、排水溝を入れて1年目の環境である。湿地環境を好むアカガネオサムシやアオゴミムシ
類が減少し、代わりにアオオサムシや乾燥に強いゴミムシ類の増加が見られたとすると、この湿地環境は悪化して
乾燥化が進行していることが理解できる。また、植物部門の調査でも湿地性の植物の減少が見られれば→開発によ
る悪影響に起因する、と考察できるのである。
おわりに
数年前、筆者は神奈川県の丹沢大山総合調査団の一員として「シカ食圧に伴う丹沢の2地点における地表性昆虫
調査」と題し『丹沢大山総合調査学術報告書』(2007)に成果をまとめた。20世紀末より、丹沢地域ではニホンジ
カの個体数の増加・生息域の拡大に伴い、森林の生態系に大きな変化が起こっていることを痛感した。
高地のブナ帯の林床の下草はシカに食いつくされ、スギ・ヒノキの植林地でもほとんど下草がなく、シカの口
が届く範囲の葉や樹皮が食害されていた。結果、林内の地表は著しく乾燥化が進み、そこに見られる地表性の甲
虫は種類・個体数が著しく減少していく。乾燥化に強い種が優先種として増えていく一方で、林内の生物多様性
は失われていくのである。
僅かに残された植物には毒性がありシカも食べない種であった。神奈川県がフェンスを張ってシカの食害から
免れた下草のある場所と、ない場所では、生息する歩行虫の種類数と個体数には大きな差が認められた。
ニホオオオカミの絶滅とシカの増加
地球温暖化による暖冬の影響(冬期のシカの死亡率の低下→個体数の増加)…は、植物への食害以外にも、いろ
いろなところに問題を起こしている。シカを寄主としてヤマビルとマダニが増え、シカの移動とともに市街地へ
の進出と住民に対する被害が大きな問題となっているのである。食物連鎖と生物の多様性の関係は、貴重な自然
の保全と密接な関係をもっている。
筆者は、単なる自然保護運動には常に警鐘を鳴らしている。近年、放流や増殖によるメダカや、ゲンジボタル
などの復活がマスコミに取り上げられている。…各地で自然保護運動の一環として絶滅したか、あるいは減少が
著しい種を、他の地域から移すという動きである。同一種でも、まったく別の地域から持ってくれば遺伝子が違
うということを理解していただきたいのだ。もし、そこの地域に別の遺伝子を持つ個体群を人的に移入すれば、
在来の個体群と交雑し、遺伝子汚染が起こって取り返しのつかない事態を起こすことになるということを考えて
いただきたい。教育現場で教師の皆様が自然の大切さ子供たちに伝え、実践していただくことを願い、本稿を終
えたい。
|
|
Abstract
|
|
Ground beetles(Carabidae) as an index of biodiversity
|
|
by
|
|
Mituro ARAI
|
|
Japanese Society of Coleopterology
|
Ground beetles or carabids are collective terms for the beetle family Carabidae. This is a large family, with more than
40,000 species worldwide, approximately 2,000 of which are found in North America and 2,700 in Europe. Although
there is some variation in their body shape and coloring, most are shiny black or metallic and have ridged wing covers (elytra).
The elytra are fused in some species, particularly large Carabinae, rendering the beetles unable to fly.
Japanese famous catoonist, Osamu TEZUKA whose best work is ASTRO BOY is a collector of ground beetles in his boyhood.
Takeshi YOUROU , a famous human anatomist and professor emeritus of Tokyo Univeristy has a hobby on the collection of
ground beetle.
Common habitats are under the bark of trees, under logs, or among rocks or sand by the edge of ponds and rivers. Most
species are carnivorous and actively hunt for any invertebrate prey they can overpower. Some will run swiftly to catch their
prey; tiger beetles (Cicindelinae) can sustain speeds of 8 km/h (5 mph) ? in relation to their body length they are among the
very fastest land animals on Earth. I think that the biodiversty of groud beetles relates the envronment of the earth.
|
A.はじめに
私は、生物の授業で顕微鏡実習をするとき、初めの1時間は顕微鏡の使い方にさいている。生徒たちは小学生の
時から機会あるたびに顕微鏡を覗いてきたはずである。だが、本校に入ってくる生徒で、プレパラート作りから始
まって自分で顕微鏡を操作できる子は、そう多くない。ほとんどの子が、セットされた顕微鏡を覗く程度のことし
かしてこなかったのであろう。だから、顕微鏡は初めて扱うという前提で実習を始めている。今までは顕微鏡の使
い方を教えるために、教材プリントの残部を細かく切ってスライドガラスに載せ、その紙片を検鏡させていた。
(水で濡らすと張り付くので、カバーガラスはかけない。)そして、次のことを確認させていた。
・紙片の字を顕微鏡で見て、どういう向きに見えるか。
・プレパラートをどちらに動かすと、視野内のものはどちらに動くか。
・対物レンズと試料の間隔はどうか。目分量で測る。
これなら、プレパラート作りをしないので、顕微鏡の基本操作の説明をしても1時間で終えることができる。
同僚の辻雅英教諭がOHPシートに印字したものをスライドガラスに貼って同様のことをしているので、今年は
そのスライドガラスを使わせてもらった。特製スライドガラスを配るだけなので紙片を載せる手間が省け、いっそう、
時間を有効に使えるようになった。
以下に、簡単に紹介する。
B.方法
2人1組の班で実習をおこなった。顕微鏡と照明装置を机上に用意させたあと、ひととおり顕微鏡操作の基本を
説明した。その後、特製プレパラートを配布し、検鏡・記録させた。やるべき事に漏れがないように、今回は書き
込み式のレポート用紙を用意し、それに記入させた。
適宜、各班を見て回り、アドバイスをした。
[辻氏作成の特製プレパラート]
インクジェットプリンターでOHPシートに図のようなものを印字し、スライドガラスに貼り付けてある。
(レポート用紙)顕微鏡の使い方を学ぶ
C.おわりに
今までも紙片を使っていたので、プレパラート作成にそれほど手間取りはしなかった。
それでも、プレパラートの作成や片付け(紙片をはがすだけだが)という手間が全くい
らなくなったので、能率よく顕微鏡実習をおこなえるようになった。実習を1回おこな
っただけでは、まだまだ顕微鏡の操作はいい加減である。それでも、基本的なことは一
応学んだようである。ただ、県立高校の宿命(?)で顕微鏡は2人で1台である。1人
ずつ顕微鏡を使えるなら、どんなにいいだろう。
末筆ながら、特製プレパラートを作ってくださった辻教諭、および発表の機会を与え
てくださった安東久幸先生に厚くお礼申し上げる。
|
|
Abstract
|
|
First step to use microscope
|
|
by
|
|
TSUKAHARA Kazuhide
|
|
|
|
Kanagawa Prefectual Sin-ei High School
|
|
E-mail:copris@hotmail.co.jp
|
The colleague pasted the transparent sheet that printed the small characters to the microscope slide.
(He made the same one how many.)When the students used the microscope for the first time,they
used these slides.The students could learn how to use microscope efficiently by this method.
|
1指導案・研究授業について
(1)指導案の様式とその意味
ア、教育実習の場合は勿論のこと、教職に就いてからも初任研をはじめいろいろな機会に研究授業を実施することが
多く、その場合には必ず指導案の作成が必要になります。従って教師は担当教科のどの分野の指導案でも作成できる
ように日頃から勉強しておかなければなりません。ただその場合に何時も気になることは、研究授業には研究テーマ
が必要な事があまり意識されずに展開されるケースが多いことです。研究授業と銘打って実施する以上、この授業で
は何を研究するのか、何を研究したいのか見る人に分かるような授業を実施しなければならないし、指導案にもそれを
明記しておかなければならないわけですが、この当然のことが一般化されていないところに指導力低迷の一つの要因
があるように思われます。しかしその具体的な内容に就いては研究授業の項で取り上げ、ここではまず最も標準的な
指導案の様式について考えてみます。
イ、指導案のはじめには、日時、指導者、学年・組、単元名、使用教科書、使用教室まで記し、そこに小単元全体の指
導項目・指導内容を整理し、各項目ごとの所要時間・配当時間を付記してその中での本時の位置付けを明記します。
そしてその下に本時の題目、本時の目標を記す欄を設け、この授業をどのような目標で実施するかを箇条書きで記す
のが一般的です。その具体的内容を記す項目は下記の6項目が一般的様式になっています。
指導内容、 時間、 学習活動、 教材、 指導上の留意点、 評価
ウ、まず「指導内容」には本時の学習内容の主な項目とサブ項目を記し、「学習活動」の欄には「指導内容」に記
した各項目で扱う内容を具体的に要約して示し、各項目でどのような教材を扱うか準備した関連教材を「教材」
の欄に記載します。この「学習活動」は「・・について説明する」とか「・・が出来るようにする」という行動目
標で表現し、「指導上の留意点」ではそれを受けて「・・が説明出来るようになったか」「指摘できるように
なったか」とつながりそれが最後の「評価」の欄と結びつくことになります。これが指導案の様式に基づく内容
とそれぞれの意味の概要です。
エ、研究授業では指導案の提出が求められますが、学校によっては学校や教科で独自の様式の指導案が決まっていて、
その方式で作成するように指示されるケースもあります。一例を挙げると、上述の標準型指導案(表)の前に、1、
単元名、2、単元の目標、3、単元展開計画、4、単元について(1)教材観、(2)生徒観、(3)指導観、5、人権教育
との関連、6、本時の指導(1)題目、(2)本時の目標、(3)本時の展開(別表参照)までの6項目をそれぞれ独立
させて立ち上げ、その下にイの項目に記した様式の指導案を続けるという形式です。1校時の指導内容を指導案で示
す点は全く同じですが、その前置きに6項目を独立させて詳しい文章で記述する点が大きく違っています。この方式
は中学校では一般的のようであり高等学校でも採用するようになってきているので一度経験しておくことが必要でし
ょう。
オ、また1時間の授業で実施する授業内容と流れの全貌を計画通りに総て詳細に記載する方式の指導案を作らせる学
校もありますが、この場合にはB4・2枚(4ページ分)かそれ以上に亘る膨大な内容の指導案を作成すること
になります。確かにこれを作るには教材研究を含めて授業全体の指導計画は勿論、具体的な指導内容の構想も完全に
出来上がっていなければならないし、指導者側の立場でも授業内容の全貌が一目で分かるので、研究授業を指導する
場合には具体的な指導・助言が出来る点で大変優れた方式と言えます。
カ、東洋史の権威者・植村清二先生の「教科書コンニャク説」によれば「教科書はコンニャクの様なものでそのままで
は味がない、味噌を塗り田楽にするなど工夫が必要である。どうしてうまく食べさせるか、上手に味噌を塗るのが教
師の力量である」と述べられていますが、授業は教科書で教えるものであっていた
のではだめなことを比喩した適切な表現だと思います。つまりただ単なる「で」と「を」の違いですが、この言葉の
意味がよく呑みこめない人がかなり居るのではないでしょうか。教科書を読むと研究成果などが綺麗に説明してあり
「本当に分かったのか」つまり「理解したのか」「分かったような感じがしただけなのか」の区別が容易につけ
られない場合があるので、授業で実践する前に分かったことを理解するまで追究して授業計画をまとめ、その
ために必要な教材研究をしっかりやって目標達成に不可欠な内容の指導案を作り研究授業に臨むことが教授
者に必要な精神だと思います。
キ、以上研究授業や指導案をめぐる問題は極めて流動的で、各県の教育委員会の方針は基より、高等学校と義務教育、
私立学校等で扱い方に微妙な違いがありますが、どんな場合でも生徒の立場にたった授業計画をしっかりと立て、そ
れに基づく教材研究に全力を注いで研究授業に立ち向えばどんな様式の指導案でも作ることが出来る筈ですから、迷
うことなくやるべきことをしっかりやれる人間になる事が大切です。
(2)指導案の作成と指導案の意味するもの
ア、授業ではまず、自分が担当する授業1校時分の指導計画を立てて指導原案をつくり、その内容に沿った教材を研究し
て授業の全体構想を練り、1時間分の授業内容と流れを整理してまとめます。この第一段階では授業の焦点を明確に決
め、それを軸にした指導計画・指導案を作るわけでこれが授業準備のスタートになります。しかしこれで研究授業を含
めた授業の準備が完了したような錯覚を持つ者が多いが、この段階で本番に臨むとまず無残な結果に終ってしまうでし
ょう。実はここから本当の授業研究が始まるわけで、この段階で今までに準備してきた基本計画に基ずく教材研究を徹
底的に練り直し、それを基に指導計画・指導案を修正して自分独自のオリジナルな計画を完成させて研究授業に
臨むという基本姿勢を貫き、授業研究の真のスタートにすることが大切です。
イ、アで準備し再編成した自分流の指導計画と教材及びそれに伴ってまとめた指導案は、まず授業の関連事項について
文献や参考書等を調べて教授内容を自分なりに完全にマスターし、山場は何か、それをどういう順序・内容
・方法で教えれば生徒に理解させられるか、それにはどんな教材・教具を用意すればよいか、教師が指導す
る内容と生徒が活動する場面をどうするか等予想される様々な展開場面を想定して自分流のストーリにまとめて
本番授業の研究テーマを決定するまでが教材研究で、その計画を具体的にまとめた指導案を作成し、実践して
参観者の評価を受けるのが研究授業です。そこではその時点での自分の指導力がストレートで問われる
わけで人生の大きな分岐点に値する重要な行事になると思います。
ウ、上述の様に、指導案とはこれから授業で実践する順序と内容をそのまま言葉で表現したもので、参観者がよくわ
かるように詳しく具体的に記述した授業の計画表です。従って特に学習活動の欄には授業で実施する内容を細かく記
しておかなければなりません。そして「本時の目標」は授業の目標を指し、授業を進めることによってポイン
トとなる目標が達成出来るような内容・形式の教材資料を作り出していくのが教材研究です。そこに指導案の意義があ
り教材研究の重要性があります。指導案、教材、授業は常に三位一体の関係にあり、授業の記録は指導案と
実際に使用した教材プリント等の資料だけに残されるわけで、指導案こそ授業の要であり教授者自身の分身
なのです。だから例え(1)のエで述べたB4・2枚,4ページに及ぶような指導案の提出を求められなくても、指導計画の
段階でそれに匹敵するかそれ以上の内容の教材研究はやっておかなければまともな授業は実施出来ない訳で、結果的
には授業内容そのものを指導案として提出するか、それを要約したものを出すかというだけの違いで授業準備の内容
や労力は全く同じ筈です。
エ、「授業で生徒は変わる。また変えられないような授業は本当の授業ではない」と言われています。では
「授業で生徒をどのように変えようとするのか」「「授業を行なう前と行なった後での生徒の変化をどうやって判断する
のか」ここに評価の意義が有り、指導案の評価の欄こそ授業の成否を決める最重要項目なのです。それだけの
認識で指導案を作成して研究授業に臨み、1時間の授業で自分は生徒をどれだけ変えることが出来たか、その変化が誰
の目にも分かるような評価の内容と方法を明記出来るような心のこもった指導計画・指導案が作れるような教師を目指
して努力して下さい。
オ、評価は大きく実質的評価と観察評価に分けられます。実質評価は授業の目標や重要項
目について、定着できた生徒の割合を小テストや問題演習叉は、発問・発表など適切・且つ具体的な方式でほぼ正確に実
態を捉える評価法で、授業の山場1〜2点で実施される研究授業そのものの評価につながる重要なものです。観察
評価とは教師が各ポイント毎に生徒との質疑・応答で「分かったかな」「分からない者は手を挙げてみろ」等と定着
度を確認しながら授業を進めるケースで普通に広く実施されている方法です。いずれにしても前者は重要な山場に不
可欠の評価法であり、後者は日常の授業で常に心掛けなければならない大切な指導の一環としての評価法です。
(3)研究授業と教師の姿勢
ア、初めて教壇に立つ時は誰でも不安、心配等が先に立ち実力が発揮できないのが普通です。しかし何年間も多くの
先生から様々な授業を受けてきた生徒の教師に対する評価は非常に厳しく、最初の1時間目の授業でほぼ決まってし
まうと思ってよいでしょう。従って初めての授業こそ全力を傾注しなければなりませんが、それをクリアするには十
分な指導計画に裏打ちされた教材研究に基づく自信しかありません。納得のいく準備がなされていれば自分で
も驚くほど堂々と自然体で対処できる筈です。ただ生徒の本当の関心事は、授業の上手下手よりも「この
教師は本気で生徒を教えてくれる先生かどうか」にあります。例えぎこちない授業でも真心が通じれば必ず生
徒はついてきますから、迷うことなく常にベストを尽くせる教師になるように努力する姿勢が大切です。
イ、教師は常に生徒の動向を見つめながら臨機応変に対応した授業展開が出来なければなりません。メモ
を片手に板書しながら講義するような授業では相手にされなくなるでしょう。新任の時代は教壇に立つからには授業
内容と流れを暗誦出来るように反覆練習を重ね、イメージトレーニング等で何回も実践してみる努力が必要です。そ
して毎回の授業で十分な教材研究を積み重ねることを続けていけば、1年目より2年目,更には3年目と着実に進歩して
いけると思います。但し1年目はしっかりした下地を作ることに撤し、その修正を繰返して納得のいく授業が出
来るようになるには生物1科目について最低3年はかかると思います。自信を持って教壇に立てる一人前の教
師に成長していくためには如何に「毎日の努力」と「精進の積み重ね」が必要かよく考えなければなりません。
ウ、「教師は授業で勝負する」昔から言われてきた言葉ですが、同時に3年以内に頭角を現せない教師はだ
め教師の烙印が押されてきました。信頼される教師を目指すには生徒に興味・関心を持たせられる納得のいく授業が
実施出来るかどうかに懸かっています。それにはまず常日頃の勉強、研究及び、情報収集等によって専門領域の
実力をつけることが第一、あとは如何に熱心に毎日の教材研究を積み重ねていくかです。つまりどん
な職業でも同じですが人間は死ぬまで毎日が勉強なのです。
エ、教師には自信、度胸、愛情の三原則が不可欠で、厳格な中にも穏やかで親しみやすい雰囲気を保つ姿勢が
必要であり、同時に常に相手の立場を考え何事にも真剣に向き合える若さと情熱を自然に醸し出せる人間に
成長していくことが何よりも大切なことです。人間は日常生活の些細な1挙手1投足に心の総てが現れるもので、特に
40人の目で50分間見つめられ続ける毎日の授業を考えれば、若い時は感情がストレートで出やすい人間にとっては服
装,態度からその日の精神状態まで見抜かれ評価されてしまう教職は真剣勝負さながらの毎日ではないかと思います。
しかし逆に考えればだからこそ生徒のハートを掴み信頼される教師になれるチャンスはいくらでもある
わけです。
オ、常に大勢の目で見つめられれば人間はそれを糧として自然に成長していきます。声の大きさ、速さ、間の取
り方、板書の字の大きさや速さ,量等些細なことにも細心の注意を払い,図や表の配置、生徒がノート出来るかど
うか等、時には机間巡視をするなど常に生徒の実態を把握して相手の立場に立った配慮を忘れないと同時に、発問に
対して間違って答えた生徒を傷付けるようなことは勿論のこと、演習問題を課しながら評価を兼ねて授業を進めるケ
ースでも、生徒が答えた解答をそのまま正答としてまとめるのではなく、違う答えの生徒がいるかどうか必ず一度は
確認してから正解を発表して進める「三段階プロセス」を実施するなど、若い人間相手の仕事には特に差別を
感じさせるような言動は絶対に慎む細心の気配りが必要です。生徒と教師は少し生活経験が違うだけの対等の
人間なのですから。
カ、授業では生徒の立場に立って動機付け(導入)を行い、興味・関心を持たせて軌道に乗せていける授業展開を考え
ることが意外に重要なポイントになります。その為には専門領域に限らず自然科学全般を含めた世界の動きの情報を
如何に豊富に持っているか、そしてそれを臨機応変に出すことができるかが教師の力量や指導力に大きな影響を及ぼ
すことになります。そのために教師は各種学会や研究会等に積極的に参加・出席して常に研鑚に励み、貪欲に学
力・知識・技能の向上に努めることを忘れてはなりません。そしてそれと同時に同僚との和を大切にし、更に
教職以外の方々とも積極的に交流の輪を広げて幅広い人脈の形成に努め、教職の枠に囚われない広い視
野を持った人間に成長することが重要な課題になります。中学校や高等学校では毎日6〜7時間の多彩な授業が
行なわれているので、午後になると心身ともに疲れてストレスの溜まった生徒が多くなりますが、そのような時こそ
導入の段階で興味・関心を持たせて授業を軌道に乗せ、生徒と共に楽しい1時間に転換出来る力量を持った教師を教育
界は今一番求めているのです。
2教材及び、授業内容について
(1)教材とは授業に関係する総ての資料を意味し、授業に直結した教材プリントは勿論基礎的・基本的内
容の実験観察から始まり、図版、チャート、掛図、写真、スライド、パワーポイント、標本、生物材料、演示
実験用具、実習用プリント等が考えられます。タマネギ細胞やユキノシタの葉裏の表皮細胞の観察、河川や
水溜りでの微小生物の採集と観察からはじめて、実物や標本を用意して出来るだけ多くの基礎的実技・内容を体験さ
せることは生きた生物学を修得させるのに最も重要な事です。また演習プリントの体細胞分裂や発生実験,ヒト
の核型分析等のドライラボを実施するのも面白いと思います。それが無理でも演示実験ならば実施可能な項目
・内容が色々有ると思います。これも重要な教材研究の内容ですので今後機会があれば是非積極的に挑戦してみてく
ださい。
(2)教材プリントは生徒とのコミュニケ−ションの役割を果たす重要な資料です。授業内容と密接に関
連した、絶対に定着させたいというミニマムエッセンシャルズをまとめ、実験・観察の有無に関係なく導入、展開、
まとめのどの段階の内容でも積極的に自作して活用すれば確実に学習効果を高めることが出来ますが、生徒と一体
となって授業の流れに沿っ て共に勉強していけるような様式のものでなければ効果はあがりません。自分の授業計
画に基づいた納得のいくオリジナルな教材プリントを自作し、それを授業のメインとして使用するか,まと
めに使うか,導入に使うかをはっきり区別し、必要に応じて評価の対象にする等レベル・内容を自由に操作出来
る教材を創作できる指導力を身につけることが教師の重要な研究課題でしょう。なお教材プリントは、まず
基礎・基本をしっかり説明する内容のものを考え、次いで必要ならば復習かまとめに使うのが妥当で、年間の総時
間数との関係を考慮して1校時一枚以内が限度だと思います。それでも90時間ならば90枚弱になるので、必要事
項をコンパクトにまとめたもので、授業のまとめに役立つものを繰返し修正しながら完成させていく努力が必要で
す。問題集からコピーしたり、図説等の図をコピーして穴埋めの枠だけ作るようなその場しのぎの資料は、年間を
通した授業では絶対に通用しませんので、常に自力で作成する姿勢と熱意を持ち続けてください。
(3)教科書は授業の基準をなす教材の一つですが、授業は教科書を教えるのではなく教科書で教えるのであって
教科書を読ませて説明するだけの授業は授業ではありません。自分が 教科書の内容をしっかりと理解し、行
間にある事象まで読み取ることが出来るようになれば、指導する内容をどんな形ででも、どんな角度からで
も切り込んでいける授業展開が可能になり、教材研究も軌道に乗り自分の狙い通りの教材資料を自由に準備
できるようになります。そうなった時にはじめて一人前の教師になれたと言う自信を持つわけですが、そうなるべ
くたゆまぬ努力を続けることが一番大切なことです。最初は何もかも分からない事ばかりで許されたことも時間の
経過と共に次第に通用しなくなっていきます。研究授業に限らず毎日実施する授業のもつ意義を十分に認識して、
その場しのぎの指導だけは絶対に慎み常にベストを尽くせる教師を目指す努力が何よりも大切な事です。
|
|
Abstract
|
|
Practical Guidance for the Fresh Science Teachers
|
|
by
|
|
Naofumi Shinohara
|
|
School of Science and Engineering.Teikyo University
|
Being charge of Method of Science Education at the Teikyo University, I can get many ideas on the guidance
of practical researches for inexperienced fresh science teachers. For example, "How to write the teaching program"
"Reserch for the teaching materials" "How to instruct the class~work in biology" "Practical research of class work
and teacher's attitude on it" and so on. So in this paper, I iintroduce some definite cases for fresh science teachers
in senior and junior high school. I shall be happy if it is any service to you.
|
はじめに
筆者は本誌No.48,49号において「第二次大戦終戦までの生物教育史にみる生物の把握の考察」(No.1,No.2)を発表
したが、今回はこれにつづく終戦後の新教育から現在までの児童生徒の生物の把握について考察する。これは民主主義
の教育であったが、約10年おきに学習指導要領が改訂され、理科の内容も変化していった。とくに子どもをとりまく環境
の変化は激しく、彼らの生物に対する態度や理解、そしてその把握には大きな変化があった。それをみていこう。
1.生活理科の生物の把握
昭和20年の終戦後、6・3制になり、理科は生活理科で小学校1年生から生物も学んだ。ここでも生きている生物から
生物の生活を中心に成長、形態、繁殖などから生物を把握しようとしている。ある部分は前期の踏襲があった。
昭和22年の学習指導要領には、「身近にいる動物(植物)に親しみと愛好の気持ちを起こし動物(植物)の生活の様
子を正確に観察する態度を養う」というのが小学校低・中学年の目標である。児童の身近にいる生物の生活を学び、そこ
から生物というものをつかむのである。したがって観察、実験、飼育、栽培を重視した。
昭和26年の学習指導要領には、理解の目標として次の事項がある。
生物にはいろいろな種類がある、住んでいる生物はどこでも同じではない、子と親は似ているが全く同じではない、生
物はふえる、子はきまった発育をして親になる、いろいろな構造をもっている、それにはいろいろな働きがある、いろいろ
な環境の変化の影響を受ける、いろいろなものを取り入れ、体内で変化して生きている、互いに侵したり助けあったりし
て自然のつりあいがとれている、これは生物の種類、構造、機能、生殖、成長、環境の変化、生物相互など生物全般にわたっ
ている。こうしたいろいろな面から生物を把握していくというねらいがあった。しかし国土は荒廃し、戦後の生活はひ
どく、新教育もなかなか軌道に乗らなかった。したがって実際の授業や学習効果も少ししか上がらなかったとみてよい。
子どもの自主性を重んじ、子どもが自身で生物の問題解決学習をしていく考えであった。
日常生活に関連した動植物に起こるいろいろな現象に疑問をもち、これを解決することを考え、実験や観察をしていくこ
とで生物がわかる。
これまでの博物も理科(生物)も、そして生活理科も個々の生物について注目していることに注意しなければならな
い。生物の把握とは生命のある生物の個体維持と種族維持、生物界の共通性と多様性までいくことではなかろうか。個々
の生物を学習し、〈生物とはこういうものだ〉〈生きているとはこういうものだ〉ということが認識してはじめて生物
を学んだといえよう。それが生物のほんとうの把握というものである。生物の全体像でなくとも一部分でよい。これまで
のところ小学校ではそれが希薄であった。
2.系統理科の生物の把握
生活理科は自然科学の基礎がつかない、学習の中心がなく、拡大しすぎる、知識の系統がなくばらばらになりやすい
などの批判があって系統理科へと移行していった。
昭和33年の学習指導要領には、科学の基本的なことを学ばせる、実験観察をなるべくさせること、科学的な見方、考え
方、扱い方などを身につけることとした。小学校の生物の目標は、「生物に親しみ、生物体や生物現象について興味をも
ち、それを探究し、生物から直接学び、生物を愛護する態度を養う。生物学的な原理や法則性を理解し、これをもとに生
活を合理化する態度を養う」ということになり、教材がしぼられ減少した。
ここで重要なことは、生物を把握するのに身近な生物の学習は、従来と同様であるが、それを通して生物学の基本的
なことを学ぶことである。
そこにこの改正の生物の把握が存在した。
1年 花だんの植物、野山の自然、昆虫の飼育、動物の飼育、
2年 植物の栽培、野山の四季、田畑の昆虫、池や小川、海の生物、
3年 学校園での栽培、季節と生物、昆虫のくらし、
4年 いもや豆の育ち方、動物の飼育、川や海の生物、昆虫の飼育、海辺の生物、生物の冬ごし、自分の体と働き、
5年 いねの栽培、種子のつくり、花と虫の関係、魚の体のつくり、病原体と寄生虫、
6年 植物の根・茎・葉、森林の生物とその利用、きのこやかび、人体のつくりと働き、
ここでは生物と環境との関連を重視している。
つまり児童に生物を環境の中で生きていることで把握させようとしている。したがってこの期でも飼育栽培に
力を入れている。
高度成長で経済的な発展をした反面、自然を破壊していった。そこで昭和30年代末期ごろから環境・自然破壊
や保護の問題がクローズアップしてくる。「小学校学習指導要領の展開」には、「自然と人間の生活との関係に
ついて理解 を深め、自然を愛護しようとする態度を養う」という目標がある。環境と生物から自然保護まで伸
ばしていく。そのひとつに「森林の生物」(6年)がある。
ちなみに「森林の生物」の系統性は、「野山の自然の観察」(1年)、「四季おりおりの野山の自然の観察」
(2年)で森林の生物に触れている。「季節による生物の種類や様子の変化」(3年)で森林の動植物を学ぶ
機会をもつ。「種子のつくり、発芽、伸び方」(5年)で植物と日光の関係がある。そして6年の「森林の生物」
に発展する。こうした1〜6年までの生物の系統性によって生物を把握していくのである。
この方法は生物の把握には適当であり、各学年の学習が基礎になっていることを意識して学習する。そして中学
校では「森林の保護」へと行く。5年には、「観察・実験によって生物の生活のしかたや育ち方などが生育の場所
・食べ物や養分・温度などに関係のあることにきずき、さらに生物と人間の生活との関係を考察するように導く」
という目標で、6年には、「…生物のつくりや働きを知り、…生命を保つに都合よく 生きている事実や生物は互い
に関連して生活している事実に気づく」という目標から生物教育の意義がわかる。
中学校でも環境と生物に力を入れている。
その目標は、「生物は環境の影響を受け、環境に適応し、また相互につながりをもって生きていることを理解する」
とあった。その内容は、「生物と気候、生物と季節、生物の環境要素、生物の環境と適応」「生物相互の関係」などで
ある。しかし人間が生物を利用することも重視していることに注意しなければならない。明治時代から生物の目標
のひとつは、〈生物の効用〉であった。生物をいかに人間が利用していくかを学んできた。「天然資源がどのように
開発され、また加工されて利用されるかを知らせる」とあり、「生物の利用」では、畜産、森林の利用、発酵物のはた
らきの利用がある。一方で児童の昆虫採集はさかんで、夏休みは宿題や自由研究で昆虫標本を作った。名前もあまり
調べようとせず、採集が目的のことも多く、昆虫をただ殺した。形態や生態を観察することはあまりなかったのでは
ないか。教師の指導がいきとどかなかった部分が多分にある。昆虫のいる木や形、飛ぶ様子、大きさ、色などは昆虫採
集の経験から児童に身についた。
3.探究理科の生物の把握
昭和43年の学習指導要領は、探究学習であり、〈生物や生物現象を観察、実験により論理的、客観的にとらえ、生物
の認識を深め生物学的な能力と態度を育てる〉ことに目的があった。生物学的な論理や客観を重んじたのであり、実
質陶治の面が強くなった。
学習指導要領には、「生物と生命現象の理解を深め、生物を尊重する態度を養う」という目標である。内容は次のよ
うなものである。
1年 植物とその成長、身近な動物、
2年 植物の育ち方、ふえ方、動物のくらし、
3年 植物の成長と温度、水分、養分、動物の成長と季節、
4年 植物の成長と根、茎、葉、日光や温度、昆虫の成長と温度、
5年 種子の発達と形態、植物の成長と養分、魚のつくりと産卵、人体の骨と筋肉、
6年 植物の体とその働き、トリの卵、人体の成長と食物、水中の小さな生き物、
かなり内容の精選がしてある。環境と生物の関連を主体としていることは前期と変わらない。それと生物のふえ方
と成長を重視している。これは生物の個体維持と同時に種族維持を教えることをねらっている。魚の産卵では飼育した
魚(キンギョ、メダカ、熱帯魚など)の産卵の観察、そしてそれの成長 を見る、トリの卵を暖めるなどしてヒナをかえ
し、その後の成長を見る。学習指導要領には、「児童の観察、実験は論理的思考の発展、技能の習熟をするように計画し、
既知のものや類推できるものと対照したり、対比して因果関係を確かめたり、結果を定量化する」という探究学習が
ある。探究学習によって生物概念を会得することであった。
探究学習とは、児童が生物学者になったつもりで生物の探究過程にとりくむことで、生物の学習過程を生物学の探
究過程とする。もうひとつは、生物学の概念や原理・法則をつくる過程(探究の過程)を児童に追体験することで生
物学の成果と探究の過程と探究の技法を統一的に把握することである。生物学史が関係する場面がある。
昭和40年代は高度経済成長で日本は大発展したが、科学技術の驚異的進歩があった。それと同時に環境破壊(自然
の喪失、公害、生物の絶滅や現象、汚染、ゴミなど)が大きな問題になった。学校教育でもそれを取り上げるようになった。
中学校理科の目標には、「生物現象の理解を深め自然界の事物・現象の調和を認識させることで、生命を尊重する
態度を養い、自然の保護に対する関心を高める」とある。ここに「自然の保護」が出てきた。その内容は、「自然の利用
と保護」であって、自然の開発、自然の変化の予測ために自然を研究すること、自然の開発や利用が自然界のつりあい
を変えたり、破壊したりすることがあるので、自然の保存や調整により、自然を保護する。自然界における生物と環境を
保護するという生物の把握をしている。自然界のつりあいを重視していることは注目すべきである。
D社の教科書には、次のような内容がある。
「自然界のつりあい」 食物によるつながり自然のつりあい、
「自然の利用と保護」 自然と人間、食料の生産、エネルギー、資源の開発、人類のこれからの問題、人口の増加と
食料の問題、人口の都市集中と都市問題、国土開発と自然保護、災害の予知と自然科学の役割、自然の災害と予知、公
害と技術開発、
生物を自然保護の観点からみている。
環境の中の生物→生物相互の関係→自然界における生物→自然界のつりあい→生物の保護という過程の学習である。
社会も自然破壊や公害に目をむけるようになった。自然の開発(家屋、道路など)は広く、急速であり、日本の自然は
みる影もなくなった。
自然環境保全法、公害対策基本法など多くの法律、条令、規則ができていった。後手後手とまわっていったが、国民も
関心をもつようになっていった。青少年向きの本も出るようになった。
飼育栽培もさかんで、学校園には植物が植えられ、児童がその世話をした。校庭のすみや校舎の裏には、動物が飼われ
ていた。児童はそれらによって動植物を直接観察することができ、理科の授業で使った。生活史、生活の状態、動作、態度
などを学んだ。生物のこうした観察から生物現象を学習し、生物を把握した。
真船和夫は、「飼育や栽培のねらいは動物や植物の生活について一般的な事実や法則をつかませる…ところがこれ
までは特定の対象を上手に飼育、栽培することに意味があるようなことが多かった。小学校では飼育、栽培を重視する
が、中学校になるとそれを取り扱わなくなる。原因は、昔の小学校と選抜制の中等学校との教育内容についての考え方
の違いが尾をひいている…昔の小学校は学問をするところではなく、日常生活に直接役立つような知識や技能を身に
つける所であった。農本主義が強かったからイネ、ムギ、イモの栽培やカイコ、ニワトリなどの飼育が重視された。学問は
中等学校以上で行なわれたので小学校とは違い、飼育や栽培は行なわれなかった」1)といっていることは、生物教育史
上重要な問題を含んでいる。中学校でも小学校と同様に飼育、栽培は重要であるのにそれがないのは、生物教育が不十分
になる恐れがある。それが生物教育の思想に関係しているとすれば、 訂正しなくてはならない。それと中学生に飼育栽
培をさせるのには無理がある。少数の興味がある生徒はするが、ない生徒は無関心だろう。
昔からの生物教育の流れがまだ残っていることはやむえない。継続したものが歴史であるからわれわれはすべてに
おいてよい、わるいは別として多少は昔のものをもっている。博物は形態観察があり、その種類の特徴を把握したこと、
教科書中心であったことなどは尾をひいているだろう。
当時の生物と児童の現状について柴田敏隆は次のように述べている。2)
「身のまわりから自然が遠のくのにあわせて再び子供たちを教室の中に閉じこめ〇×式テストと軌をいつにする
ようにして、例えば池や小川にはメダカやフナがいなければならないような、タンポポは春に咲かなければいけない
ような恐るべき自然把握(筆者註 生物把握)がはじまっています。池や小川でメダカやフナがいる所がどの位ある
でしょう。子供たちは実際は知らないが、日本のどこか、あちこちに清流があってたくさんのメダカが泳いでいるよう
に錯覚したまま自然を認識していく。‘ぼくの住んでいるあたりには、そういう小川がないのだ’と理解している」。
このころから環境から生物が減少するにつれて児童の生物離れが始まる。それが理科離れとなっていく。生物教育も
転機を迎えた。
中学校の生物の内容は次のようなものである。
(1)自然とその中の生物
生物の生活環境としての地球、地表における変化と生物の生活、
(2)物の種類と生活
生物の種類とその生活、生物と細胞、生物の分類と系統、
(3)生活活動のエネルギーと光合成
生活活動のエネルギー、光合成と物質交代、植物体内の物質の移動、
(4)動物の物質交代
血液とその循環、消化器のつくりと働き、呼吸器と排出器のつくりと働き、
(5)生物の反応
刺激に対する反応、動物の行動と運動、
(6)生物と環境
生物と環境との関連、生物相互の関連、
(7)自然界のつりあいとその保護
自然界のつりあい、自然の利用と保護、
4.ゆとりの理科の生物の把握
昭和52年に学習指導要領が改訂された。これは道徳教育、各教科の基礎的、基本的事項の重視、ゆとりある学校生活
をすることが趣旨であった。
小学校理科の目標は、次のようであった。
「観察、実験などを通して、自然(生物)を調べる能力と態度をそだてるとともに自然の事物(生物)・現象につ
いての理解を図り、自然(生物)を愛する豊かな心情を培う」[註:上文の( )は筆者]
これが生物教育の目標であった。学習内容は次の通りである。
1年 植物の花と実、植物の栽培と成長、動物の飼育とその特徴、
2年 植物の発芽と成長、水の中の生き物、
3年 植物の成長と季節、花のつくり、動物の活動と季節、
4年 いもの育ち方と日光、昆虫の育つ順序とつくり、
5年 植物の発芽と成長、植物体の水の行方、魚の卵とその成長、
6年 森林、受粉と結実、呼吸、消化、血液の循環、
これらのテーマは前期とはいくらか異なっている。しかし探究的な理科であることに変わりはない。生物や生物現
象に児童が働きかける活動を重視する。例えば低学年では植物と石、金属などから遊ぶ道具を作る、その過程で植物の
特徴(形、大きさ、固さ、いろ、つくりなど)がわかる。これは植物の意図的な学習ではないが、児童の活動から得られ
る植物の把握である。
生物を観察し、問題・疑問がわく、あるいは理科の授業でその内容のあることに問題や疑問がわく。その解決を実
験や観察で行なう。それによって解決することで、そのことについて生物を理解することができる。<BR>
そこから生物の原理や法則のようなものが児童なりにできてくる。つまり生物の把握である。
植物から生物の基本を学ぶことをみる。3)
1年では、葉・実・根などを観察したり、種子を蒔き、また球根を育てる活動から植物の特徴に気づき、植物に触れ
る楽しさを味わう。
2年では種子から芽が出てきて育て、生育するたのしさを知る。
3年では、植物の成長は季節で違いがあることを学ぶ。
4年では、成長は養分や日光、温度と関係があることを学ぶ。
5年も同様である。
6年では生殖、受粉と結実にいき、種子ができることを知る。
これらは植物教材が系統化されているとみる。
〈植物の生活史を軸にしている。これで植物のとはこういうものだ〉ということが児童に身につけば成功である。
それが生物の基本である。しかし現実にはそこまではいかなかった。学年学年で終わって児童が系統的な筋道をつけ
られなかった。
中学校理科の第2分野の目標は、
「生物とそれを取り巻く自然の事物・現象の中に問題を見いだし、自然を調べていく過程を通して規則性を発見し
たり、自然現象を説明したりする方法を習得させる。…多様性と共通性を認識させ…自然界に対する総合的な見方や
考え方を養う。…自然界の事物・現象の間の関連性や調和を考察させ、…環境保全に対する関心を高める。また生命
現象の理解を深めて生命を尊重する態度を育てる」
であった。ここで大事なことは、生物・生物現象の規則性の発見、多様性と共通性の認識、環境保全、生命の尊重な
どの目標で、これらから生物を把握していくと〈生物とはなにか〉ということがわかると考える。
内容は生物の種類と生活(自然と生物、植物・動物の種類とつくり)、生物の体のしくみ(生物と細胞、多細胞生
物の体のしくみ)、生物どうしのつながり(生物界における生産と消費、生物界における分解者、生物界のつながり)、
人間と自然(人間の生存を支える物質とエネルギー、自然界のつりあいと環境保全)である。
平成元年に学習指導要領が改訂された。理科(生物)の目標は、
「自然(生物)に親しみ、観察・実験などを行い、問題解決の能力と自然(生物)を愛する心情を育てるとともに
自然の事物(生物)・現象(生物現象)についての理解を図り、科学的(生物学的)な見方や考え方を養う」
[註:上文の( )は筆者]であった。
前の昭和53年の目標と大差ない。この学習指導要領の視点や基本的な姿勢は、昭和54年のそれとほとんど変化して
いない。つまりここ10〜15年間の理科教育が果たすべき役割についての認識に変化がみられない。4)
しかし低学年の理科はなくなり、1,2年は「生活科」となった。
3年以上の内容は次の通りである。
3年 植物のつくりと育ち方、動物のつくりと育ち方、人のからだのつくり、
4年 植物のくらしと天気、時刻、季節、動物のくらしと天気、時刻、季節、人のくらしと時刻、季節、
5年 植物の受粉と結実、動物の雌雄と発生、男女と母体内の胎児、
6年 植物体のつくりと働き、動物体のつくりと働き、人体、人間の生活と環境、
ここで新しいものは、5年人の性と6年の環境である。
人の性について、前掲「小学校指導書理科編」には、
「生命は連続しているという見方や考え方を養うとともに、男女の体のつくりや人の発生と 成長を意欲をもつて
追求し、生命を尊重する態度を育てることがねらいである」と性の目標を述べている。
[註]本稿はテーマの、「その一」なので、もうひとつ次号の「その二」があり、その後に「Abstrac‐t」を書くことを
ご了解下さい。
1)真船和夫 新訂・理科教授論 174頁 1973 啓文堂
2)福島要一編 自然の保護 175頁 1975 時事通信社
3)文部省 小学校理科指導資料 12頁 1980
4)飯利雄一郎 理科教育 理論と実践 14頁 1991 東京書籍
|
|
Consideration for Grasp of Conception of Living thing
|
|
on Biological education in 1946〜1985
|
|
(No.1)
|
|
by
|
|
Hisayuki Andou
|
|
Ex-Lecturer at the Faculty of Education,Utunomiya University
|
I will write my abstract after the comletion of "Consideration for Grasp of Conception of Living thing
on Biological education in 1946〜1985".
|
キーワード:
昭和初期、広島市、農家の生活、自給自足、自然環境、動植物、無公害、節約、もったいない、労働、手作業、
多忙、昔の農家・屋敷・納屋・炊事場・風呂場、庭。
はじめに
最近、学生の質が変わったことを肌で感じる事件にあった。この事件に関しては、ここでは省略する。これに
関連して思うことは、筆者のように、戦中・戦後の混乱期に教育を受けた、昭和一桁世代後半の日本人が育った
環境は、今の若い世代の日本人が育った環境とは似ても似つかないことに思い当たったのである。その差はあま
りにも大きく、話して必ずしも分かってもらえるとは思わない。しかし、語らないよりはましだと思って、具体
的に身の回りに起こった出来事・経験・教育・環境を、生命尊重の立場から、ここに述べることにした次第であ
る。
1.生家の立地条件
筆者は、昭和9年(1934)、広島市北部、広島市東区牛田町早稲田で生まれた。庭先から、真南に「広島城」を
見下ろすことことが出来る。生家は、「早稲田神社」の森の東斜面に近い、小川沿いの土手筋にある。この生家
の北側を流れる川幅3mの清流は、「天井川」である。原爆で半倒壊した母屋・納屋は、平成21年6月現在、建て
替えることなく、当時、簡易修復した姿をそのまま止めている。特に、今となっては、当時を物語る貴重な「文
化遺産」かも知れない。
ドイツ・ハンブルグ大学名誉教授が来日された際、ぜひ、それを見たいと要望された。それで筆者は、その
「あばら家」に彼を案内したことがある。それは、原爆投下地点から、北方2.3km離れた地点である。「牛田町」
は三方を山に囲まれ南に開けた扇状地で、上流の戸坂村と下流の焼津神社の間は、潮の干満のある「大田川」の
土手で囲まれている。南に開けたデルタ地帯である。終戦当時、牛田町は、「田園地帯」といっても過言ではな
かった。
2.生家に人的環境・資産
生家は、当時、筆者が3〜5歳頃・物心付く頃、山林・田畑・借家6軒を所有する中流家庭であった。家族は、
祖父・祖母・父・母・兄・筆者・妹、7人であった。養子の父は、当時、「広島市役所」に勤務していた。
3.生家の立地条件と周囲の環境
生家は、土手下3mの水田を、土手の高さに地上げして建設された。大正時代末期、山津波が水田を土砂で埋め
たからである。このため、宅地の南側は高さ3mの石垣になっている。東西の隣接地との境界は、傾斜角度15度・
道幅約2.5mの坂道・私有である。その宅地の周囲は、すべて高さ約1.5mの生垣で囲われている。
生垣:カナメモチ、スギ、マサキ、アラカシ、サカキ、クチナシ、ネズミモチ、イヌマキ、ヤマブキ、
ムクゲ。
宅地:土手沿い長方形の「地上げ地」約1反(10畝=300坪=1,000m平方):裏の畑(西側)5畝(150坪=約
500m平方)・母屋・納屋・庭(東側)5畝(150坪=約500m平方)に2分割されている。
田んぼ:自宅の下・3m低地は、生家所有の1反(約1,000m平方)である。
4.母屋の間取り
母屋:典型的「農家の造り・田の字」である。建築資材は、すべて「持ち山・裏山」から切り出された
赤松材である。大正時代末期、150m離れた旧宅地から移転された。
主な間取りは、次の通りである。
「座敷」(8畳:13m平方):東西に配置、東:廊下、南:廊下、西:仏間・床の間・中段。
「居間」(6畳:10m平方):東西に配置、南:座敷、西:台所、北:玄関、東:廊下。
「納戸」(6畳):西南に配置、西:外壁・2畳の押入れ、東:中壁が座敷の境界、南:腰板ガラス障子、
北:腰板障子、タンス2台。夏季・3時:田んぼの冷風・昼寝。
幼い筆者が、「水疱瘡」になった。父は、「マムシの焼酎」杯一ぱいを飲ませた。目を回した。「落ちるよ、
落ちるよー」と畳にしがみついたことは、今も忘れない。納戸での出来事であった。
「便所」(1畳:3.3m平方):南西に配置、北:渡り廊下で母屋と連絡、外便所。大・小汲み取り式。岩見
重太郎の話を絵本で読み、夜は暗くて行くのが怖かった。周辺に「家バエ」が発生した。
「台所」(6畳):西北に配置、北:土間、東:居間、南:納戸、西:「濡縁」・壁、北:台所・女中部屋。
西壁:天井附近に神棚。「濡縁」:「風呂場」への通路。
「土間」(6畳):西:入り口・腰板ガラス戸、北:外壁・上部小窓、板敷・米俵を保管、東:引き戸・板戸
袋、酒・醤油・酢・油・煮干・昆布など、「茶箪笥」:食器類・台所用品、南:台所・境界障子、西:「宣徳火鉢」、
「米びつ」、祖母専用タバコセット。
「裁縫部屋」(3畳:5m平方):南:「台所」・「居間」、東:「玄関」、北:ガラス戸・内庭。
「内庭」(約20坪:66m平方):母屋・納屋・炊事棟の間の広い鍵の手空間、農作業、木材カットなどの
作業広場である。よく遊んだ。
「庭遊び」:ケンダマ、パッチン、ケンケンパ、後ろの正面だあれ、じゃんけんポン、縄跳び、馬乗り。
「玄関」(3畳) :南:居間、西:女中部屋・押入れ、北:外壁、東:障子・土間・靴脱ぎ板段差、入り口・
2重戸であった。昼間でも暗い。「節穴」からもれる外の景色が逆さまに見えるのが不思議でならなかった。
「廊下」:東廊下と西廊下が鍵の手に繋がっている。両端に戸袋がある。毎朝:板戸を開ける。夕方:それを
閉めた。開けたては子供の仕事であった。
5.炊事棟とその機能 0
炊事棟:簡易建造物である。薪を燃やすので、真っ黒く煤けていた。さまざまな匂いが入り乱れていた。
東は台所、北は土壁で納屋に接している。建坪は約15坪。内部構造は、南から順次述べると、次の通りである。
それぞれの間は、竹・縄の骨子の上に、赤土を塗り固めた、「土壁」で仕切られている。
「風呂場」(3畳):五右衛門風呂・板の間(脱衣場)、南・西:小窓、東:入り口・引き戸。北:壁・炊き
口。取り外し「渡り廊下」で、母屋から出入りした。
「炊事場」(6畳):母屋から「下駄」履きで出入りした。南から順次、「風呂の焚口」・「第一釜戸」・
「第二釜戸」・「流し台・水道蛇口」・「調理台」・「包丁棚」・「北壁」が連なっている。
「お茶作り」:山の畑の周囲はチャの木の生垣で囲われていた。毎年4・5月になると、一番茶、二番茶を
摘んで、ホウロクで煎って、筵上でもんで、干して、番茶を作った。
「井戸」:中央にある。水位は高い。「つるべ式」である。
この前に、鉄釜を据えて、蒸籠を載せ、もち米を蒸し、ケヤキの木臼でついた。それを母屋の土間に運び、コモチ
にした。
「井戸水」冬は温かく、夏は冷たいので、重宝した。スイカを井戸に吊るして冷やした。夏季:残飯・生魚
を「ざる」に入れて井戸に吊るして保存した。「天然の冷蔵庫」である。冬季:温かいので、バケツで風呂に運んで
沸かした。
「保管物」:流しの下:「砥石一式」を保管。流しの石畳:「朝漬け・糠ずけ用甕・桶」・「ウメ桶」。強
い臭いを発散。
「動物」:ヤモリ、ハエ、カ、ナメクジ、マミズイトミミズ、ゴキブリ、ムカデなど。
「木灰」:雑木焼却後に残る。「灰汁抜き」の貴重な資源。ホウレンソウなど多くの作物が嫌う酸性土壌を
アルカリ性に変える「貴重な資源」であった。
「台所汚水」:貴重な「灌漑資源」であった。裏の畑に散布した。
「台所汚水槽」:柿の木下に設置。しかし、蚊の発生は止むを得なかった。
「米搗き臼」:「風呂場」の南壁・窓の外の軒下にトタン屋根、その下に設置。石粉を使用。
「米糠」:漬物には欠かせない「貴重な資源」であった。
「鶏舎」:「臼場」の筋向かい、大小2棟の「鶏舎」。白色レグホン(雄1羽を含む10羽)、チャボが2羽、
春・秋2回、飼育箱で孵化。中庭でヒヨコに餌をやった。
「鶏糞」:「貴重な有機肥料」であった。
「風呂水槽」:夏季、「裏畑」に散布。「貴重な灌漑資源」であった。
「割り木」:軒下に保管。冬季、持ち山から採取・処理。釜戸で燃やす燃料。「貴重なエネルギー資源」
であった。残った炭火を壺に入れ、水をかけて「消し炭」を作った。「コタツ」や「火鉢」で使った。冬季、裏
の炭焼き小屋で、アラカシの木から、「木炭」を作った。
6.庭の構築と構成材料
築庭(50坪:約165m平方):この造営については、祖父・祖母・母から、次のように聞かされている。
昭和初期、牛田・早稲田地区は梅雨時、「大雨・土石流・山津波」に見舞われた。その際、自宅の下の「田んぼ」
が水路となり、多量の岩石・土砂・根こそぎの松材が」流れこんで、土砂で埋め尽くされた。
「巨石」:その流石、および、これとは別に、我が家所有の山から運んだ巨石で、築庭の骨格が庭師によっ
て設計された。中央に、縦・横・長さ=10×5mの長楕円形の「大池」を構築した。周囲に「巨大な自然石」を配置
した。最大の庭石は、縦・横・高さ=1×1.2×0.9m立方である。これを「下の田んぼ」から吊り上げたとき、ワイ
ヤーが切れた。
夏季、筆者はこの巨石の上でよく夕涼みをした。寝転がって、団扇をばたつかせながら星の観察をした。
「石灯籠」:巨石と同時に、庭の周辺2箇所に、大小2体が、配置されている。
「手押しポンプ」:「納屋」・「屋垂れ」の「井戸」から、庭先までパイプを敷設して、末端に「手押し
ポンプ」設置していた。夏季、バケツで散水した。
「くぐり戸」:玄関の通路から、庭に通じる路地に木製・瓦葺の門を設置していた。
「植物」:池の周囲に、枝振りのよい植物を配置している。
木本:クロマツ(5株、最も高い木:6m)、サツキ7株、ヒラドツツジ(5株)、ヒサカキ、モッコク、ヒイラ
ギモクセイ、ハイビャクシン、アラカシ、ヒノキ、ソメイヨシノ、ウメ、モモ、サカキ、ムクゲ、イヌツゲ、チョ
ウセンマキ、オカメザサ、ネザサ、キョウチクトウ、カナメモチ、マサキ、キンモクセイ、サルスベリ、クチナシ
(2株)、コクチナシ(2株)、ヤマブキ、ラカンマキ、ウツギ、ヤブツバキ、アオキ、ジンチョウゲ、ネジキ、アセビ、
ナツハゼ、ツゲ、マンリョウ、バラ。
手入れ:クロマツの手入れは大変であった。毎年、庭師が来て垣根と庭木の剪定をした。
草本:コウライシバ、セキコク、シュンラン、アヤメ、キショウブ、イチハツ、テッポウユリ、オニユリ、
ヒヤシンス、スイセン、タマスダレ、サフランモドキ、ユキノシタ、ドクダミ、ホタルブクロ、コリュウノヒゲ、
リュウノヒゲ、イタビカズラ、ヒメイタビ、コモチマンネングサ、ミセバヤ、ハラン、オモト、アマドコロ、ナギ
イカダ、ナツズタ、フユズタ、キンシバイ、リュウゼツラン、スミレ、ニワゼキショウ、カタバミ、ムラサキカタ
バミ、トクサ、カタヒバ、ベニシダ、ワラビ、ノキシノブ、マメズタ、ヒカゲノカズラ、イワヒバ、ウメノキゴケ、
スイレン、イグサ、ホテイアオイ、ツワブキ、シチョウゲ、ムシトリナデシコ、サンショウ、カニサボテンなど。
「飛び石」:庭の道は、すべてこれで作られている。その間はコウライシバで埋め尽くされている。
「池のコイ」:池には、大きなコイが飼われていた。「フ」・「ミミズ」を与えると、寄ってきた。余談
になるが、原爆直後、女は隠せ、コイを進駐軍が食べると言って、すべて食べた。
魚類:コイ、フナ、メダカ。
水生昆虫:アメンボ、ミズスマシ。
クモ類:ヘイタイグモ、オニグモ、ジョロウグモ。
爬虫類:トカゲ、ヤモリ、アオダイショウ、シマヘビ、イシガメ。
昆虫類: ケムシ、アリ、アシナガバチ、アリマキ。
哺乳類:ネコ、タヌキ、イタチ。
鳥類:ウグイス、メジロ、スズメ、モズ、シジュウカラ、ゴイサギ。
環形動物:ミミズ。
前菜園(約100m平方):道路に面した、ほぼ正方形の菜園である。
木本:ボタン(約10本)、ウメ(白梅、紅梅)、フユウガキ、アンズ、ダイダイ、カイズカイブキ、イヌ
マキ、ボケ、サンシュ、オウバイ、エニシダ、ハナズオウ、ナンテン、グミ、ユスラウメ、アンズなど。
草本:スイセン、アヤメ、カキツバタ、ギボウシ、ホウズキ、タマスダレ、サフランモドキ、リュウ
ゼツラン、カニサボテン、フキなど。
庭先の音:夕方、庭先に立つと、決まって高射砲陣地のある「双葉山」の麓・「東練兵場」から、物悲
しさを誘う、「消灯ラッパ」が聞こえた。湿度の高い日には、南の宇品港から、ボーボーと低い汽笛の音が聞こ
えた。筆者の子守歌であった。
農家の門先(約30m平方):筆者・近所の子どもによってよき遊び場であった。コマ回し、凧揚げ、ラム
ネ遊び、パッチン、ケンダマ、竹馬、縄跳びなど。ハゼノキの鋸屑を、頭から振りかけっこして遊んだ。「かぶ
れ」で苦しんだ。祖母がクリの葉を煎じて介抱した。いやな思い出である。
7.納屋の構造と機能
納屋(2階建て:30坪・約100m平方) :明治時代からの古い建造物である。大正時代末の大洪水、150m
離れた旧宅地から、ジャッキ、キゾリなどを使って、移転された。
1階:西端から東端まで順次、その機能を述べると、次の通りである。
「牛小屋」(約5m平方):西の軒下に張り出された天井の低い1階。屋根はイチジクの木に覆われていた。
「外便所」:牛小屋の前に、土足で使用できる「簡易便所」があった。
「野壺」:イチジクの下にあった。ビワの古木、ショウデンカキの古木が茂り、日蔭を形成していた。
「牛の飼育」:毎年、「博労」が若牛1頭を引いてきた。それを飼育して1年後、「博労」に引き渡した。
その繰り返しであった。手を差し出すと、ザラザラの舌でなめた。朝早くからモーモーと鳴いた。連れて行かれる
ときは、可哀想でその場におれなかった。
「牛糞」:毎月、裏の畑の片隅にある「堆肥小屋」に運んだ。夏季は暑くて、重労働であった。十分に発酵
させて、「貴重な肥料」に変換した。
「木小屋」(約10m平方):「牛小屋」の東隣にあった。天井は高く、2階まで梯子を使用した。そこに、
風呂焚き用雑木の束、牛の敷き藁を、所狭しと積み上げた。毎年、重労働であるが、農作業のない冬季、山林を
順次伐採して雑木を束にして貯蔵していた。
「物置小屋」(約20m平方):「木小屋」の東隣、農機具ほか、雑多な物の置き場である。
「古道具入れ」:茶碗、膳、陶器類、漆器、鯉幟など、保管する袋戸棚になっていた。
「農機具一式」:山鍬、平鍬、四つ鍬、スコップ、厚鎌、薄鎌、鋸鎌、鋤、地ならし、田植用巻き尺、金
具、斧、篩、鋤簾、ハンマー、バール、木槌、蓑。麦藁帽子、背負い籠、オイコ、長靴、天秤はかり、天秤、一斗
マス、一升マス、一合マス、木ズチ、ジョロ、ビク、ザル、トウシ、トウミ、移植ゴテ、コエタゴ、天秤、押し切、
岩塩、石灰、乾燥ニシン肥料。荒起こし、地ならし、代掻き、畦付けは男の仕事であった。苗植えは女の仕事であ
った。ヒルが取り付くので、腰に「塩いり缶」を付けて田んぼに入った。
「ヒヨコ孵化・飼育箱」:春先、親鳥・チャボがレグホンの卵を抱く、ヒヨコが孵化する。幼い筆者は、
ハコベなどを与えた。
「左官用具」:タライ、巻尺、コテ、ゲンノウ。
「大工道具」:鋸、カンナ、ノミ、砥石、金ツチ。
「餅つき道具一式」:鉄製野釜、蒸籠、木臼、杵、延べ板、延べ棒。
「餅つき」:新正月(12月30日)・旧正月(大寒)、年2回餅を突いていた。朝3時、釜の火入れ、夕方5時、
終了していた。その晩、24時、座敷で「ネズミ捕り」が始まるのが常だった。ホウキで鴨居から追い落とし、ひ
ねり潰し、野壺に棄てたのである。
「餅」:平モチ、あんこ餅、蓬餅、マメ餅。キビ餅、ベニ餅(色粉使用)、甕モチ、水餅、あられモチ、
かき餅、仏壇・神棚用「供え餅」。
「穀類貯蔵庫」(約5m平方):通称「ネズミ入らず」と呼ばれた。米・アワ・キビ・アズキ、ダイズ、
トウモロコシなどの穀類を、イエネズミの害から守るために、「トタン張り」で内装されている。
「工房」(約20m平方):土壁を隔てた東隣にある。祖父が表具師であった。その為「表具道具一式」が
揃えてあった。「大工道具一式」も保管されていた。中央に襖が乗る、盤板が設置されていた。農業の傍ら、表
具を扱った。床の間の季節ごとに変える掛け軸・納戸の安藤広重の「東海道五十三次」の八双屏風は、いつも幼
い筆者の枕元にあった。次の間には、「竜虎相対する屏風」があった。
「軒下」(約50m平方):南側と東側の軒下は、鍵の手に繋がっている。
「物置部屋前」:脱塵、脱穀機(手動)、千歯、粉挽臼、籾入桶、筵、乳母車、犬小屋など。
「地下貯蔵庫」(約3m平方):すくも(籾殻)の中に、サツマイモ・ジャガイモ・サトイモ・ナガイモ
など保存。
「工房前」:「乾燥・農作業広場」であった。イネ・ムギ・アワ・キビの脱塵・脱穀作業場。
大八車、稲を干す櫓用柱10数本が、横たえてあった。
「収穫物乾燥場」・「薪切り・薪割り場」であった。
「鶏舎」(約10m平方):裏の鶏舎(前出)と表のそれの二箇所に分かれていた。「第3鶏舎」:鶏10羽を
飼育。卵取りは、幼い筆者の役割であった。
「稲藁保存」:「第3鶏舎」付近、稲藁・麦藁・「大八車」保管。タマネギを竹竿に吊り保存。
2階(約50平方):垂木・梁が、むき出しの「屋根裏部屋」。8畳二部屋。「牛のマグサ保存庫」。稲藁・
麦藁は牛舎の敷物として大量に消費。
8.裏の畑・下の田んぼの作物
(1)裏の畑(約50m平方):次の穀物・野菜・果樹栽培。
「果樹」:柿:ショウデンカキ(2本)、フユウガキ(2本)、キネリ。タンバグリ(2本)、ビワ(2本)、イチ
ジク(2本)、グミ、ユスラウメ。その他:アラカシ古木、ヤツデ。
「穀物」:アワ、キビ、トウモロコシ。
「野菜」:ネギ、タマネギ、ラッキョウ、ゴマ、ハクサイ、キョウナ(ヒロシマナ)、ミズナ、ニンジン、
ダイコン、カブ、ワケギ、サヤマメ、ブンドウマメ、エダマメ、ソラマメ、ゴボウ、ナガイモ、フキ、ミョウガ、
ミツバ、カボチャ、トマト、ウリ、マクワウリ、スイカ、トウガ、トウガラシ、ホウレンソウ、シュンギク。
(2)下の田んぼ
「下の田んぼ」(約1,000m平方):ただ米、もち米、裏作:ハダカムギ、コムギ・ナタネ・ハスを栽培。
畦にダイズ、サトウキビ・コウリャンを植えた。空き地はどこにもなかった。
「野壺」:田の東角に、藁葺の三角屋根・コンクリート製の壺。4軒の借家の汲み取り汚水を貯蔵。借家
2軒には陸軍将校が住んでいた。
「野菜畑」(約30m平方):田んぼの南・用水路脇。野菜:ナス、キュウリ、ズイキ、ネギ、ツユマメなど。
9.「年間作業表(順序不同)」
家畜の世話:ウシ、ニワトリ、イヌ、ネコ。「早寝・早起き3文の得」「一銭を粗末にする者は、一銭に
泣く」。これは祖父が常に口にしていた言葉である。ウシ・ニワトリは早起き、早寝ですから、それに合わせた
生活を余儀なくされた。
「下肥汲み取り」:借家6軒・自宅便所:肥たごに柄杓で汲み取り、大八車で運搬・野壺に貯蔵。
耕作:裏作:田んぼの麦畑、ナタネ畑・鍬で耕作。表作:同じ田んぼ、水田:牛の鋤で耕作。
苗床作り・種まき:イネ、サツマイモ、カボチャ、キュウリ、ナス、トマト。
収穫作業:
野菜:タケノコ、チャ、ジャガイモ、サツマイモ、タマネギ、ウメ、ビワ、サヤマメ、ブンドウマメ、
ツユマメ、キャベツ、ダイコン、ニンジン、ハクサイ、キョウナ、ゴボウ、レンコン。
穀物:イネ、ムギ、トウモロコシ、ダイズ、キビ、アワ。
果樹:ビワ、ウメ、アンズ、グミ、ユスラウメ、イチジク、クリ、カキ、ミカン、ダイダイ。
品評会出品:お寺の広場、スイカなど。
薪取り・落ち葉拾い・マキ割り:アラカシ、アベマキ、アカマツ、雑木。
堆肥作り:人糞、牛糞、鶏糞、腐葉土。
害虫駆除:畑:アオムシ、ヨトウムシ。田んぼ:ウンカ、イナゴ。益鳥:ツバメ。
イネ作り作業:苗床作り・田植え・草取り(一番草、二番草、ヒエ、ナギ)・水引、刈り取り・野外乾燥
(はでを作る・吊るす・おろす・運ぶ)・脱塵・脱穀(千歯こぎ)・精米(足踏み石臼)、糠・こごめ選別。
芋ほり:畑:サツマイモ・雑草・メヒシバ・サトイモ、ナガイモ。
谷間の溜池掃除:貯水池の水抜き・コイ、フナ、ウナギ捕獲。
参拝:仏壇、神棚・宮参り・先祖の墓参り・灯篭作り。
田んぼ水誘導合戦:真夜中、不眠で母娘対決。
大掃除・衣類の虫干し:畳干し、衣類部屋中に縄張り、吊るす、ノミ・シラミ退治。
穀物・野菜乾燥:廊下で干し柿、干しダイコン、かち栗作成、座敷でかき餅を作成・保存。イネ籾:裏の畑でむ
しろ干し、カマスに入れて、軒下に運搬。
野外採集:マツタケ狩り、ツクシ、セリ、ヨモギ摘み、ワラビ・ゼンマイ取り。
漬物作成:糠漬:ダイコン、ハクサイ、キョウナ、ナス、キュウリ。酢漬け:ラッキョウ。塩漬け:ウメ。
酒かす漬け:ウリ、フキ。味噌漬け:ゴボウ、ニンジン。草餅・ダンゴ作り:ヨモギダンゴ,キビダンゴ、アズキ
あんこ作り。小米を使用・サルトリイバラの葉を2枚で包む。
ナタネ・ゴマの種を収集:食用油・灯油として使用、炒りゴマ(白ゴマ、黒ゴマ)。
フキの採取・あく抜き:葉を切り捨て、葉柄を5cmに切って、湯で、佃煮作り。
タケノコの木の芽和え:タケノコ、サンショウの葉を採取。
タケノコ掘り・クリ拾い・柿もぎ・ウメもぎ・レンコン掘り:省略。
黄な粉・はったい粉・米粉:石臼・二人で挽く。梅雨時、少し匂う、痛んだ冷や飯にかけて食べた。
餅つき:省略(前出)。長期保存:水餅、甕餅、かき餅、あられ餅を作成。
炭焼き:裏の畑の片隅の炭焼き小屋で、籾・アラカシ・アベマキを焼いて、硬炭を作った。
稲のモミ焼き:寒さも増す頃、下の田んぼで、灰作りがなされた。サツマイモを焼いた。わらじ作り・縄
ない:雪の降る、納屋の軒下で、筵を敷いて、座り込み、縄をない、わらじを作った。
障子・襖貼り:古い紙をはがし、小川で骨組みを洗った。正月を控えて、この作業は為された。
10.小川の環境と有効利用
「小川」:自宅・未舗装土手沿い、川幅3m。川底:土手下約1m。水深:約10cm。両岸:土岸、雑草被覆。
「洗濯場」:自宅前・東角、「石橋」を渡る。
「洗濯石」:縦・横・高さ=約80×90×20cm。水遊び。
「農業用水路」;よく遊んだ。「取水口」付近の大きな石(縦・横・高さ=約1×0.5×0.3)に降り立ち、
「水遊び」をするのが常であった。
「小動物採取」:エビ、ドジョウ、カエル、オタマジャクシ、タニシ、トンボ、ヤゴ、ミズスマシ、ゲン
ゴロウ、カワニナなど。今でもその情景が夢に出てくる。「素晴らしい自然」に満ち溢れていた。
「蛍狩り」:7月10日ごろ、「納屋」の前、小川の対岸・竹藪にホタルが飛び交った。
自宅周辺の動植物・環境:自宅周辺は動植物の宝庫であった。小川の両岸・田んぼの辺・山の端は、動植物に
満ち溢れていた。
野草:チガヤ、ススキ、ナズナ、ハコベ、タンポポ、ヤブマオ、メヤブマオ、カモジグサ、ツユクサ、ノ
アザミ、ヤブカラシ、スイバ、ギシギシ、イタドリ、セリ、クズ、ヘクソカズラ、ミゾソバ、ノカンゾウなど。
動物:ツバメ、シオカラトンボ、ムギワラトンボ、ギンヤンマ、イトトンボ、トノサマガエル、ガマガエル、
ムカデ、ホタルなど。
11.自宅の構内の生物と季節変化
自宅内の動植物・環境:我が家の庭・裏の畑・前菜園もまた動植物に溢れていた。その種類は次の通りで
ある。
観賞植物:サンシュ、ウメ、ジンチョウゲ、ソメイヨシノ、サザンカ、スイセン、テッポウユリ、ヒヤシン
ス、ボタン、ツバキ、ヒサカキ、ヒラドツツジ、シラン、ナンテン、ノイバラ、アオキ、ヤマブキ、ムラサキカタバ
ミ、サツキ、ツワブキ、キョウチクトウ、サルスベリ、カンナ、オニユリ、キンモクセイ、ギンモクセイ、オモト、
ミセバヤ。
動物・鳥類:スズメ、ツバメ、ウグイス、メジロ、アオサギ、ホオジロ、モズ、ヒヨドリ、バン、コウモ
リなど。
昆虫:イナゴ、バッタ、シジミチョウ、モンシロチョウ、モンキチョウ、スズメガ、ハルゼミ、ニイニイ
ゼミ、アブラゼミ、ツクツクホウシ、クマゼミ、アリ、ヘイタイグモ、オニグモ、ガ、ハエ、ブヨ、カ、ムカデ、
ダンゴムシ、ミツバチ、スズメバチ、アシナガバチ、バッタ、ハタオリバッタ、アリマキ、コガネムシ、カミキリ
ムシなど。
爬虫類:トカゲ、アオダイショウ、シマヘビ、マムシ、ヤマカガシ、ヤモリなど。
両生類:トノサマガエル、アマガエル、ガマガエルなど。
哺乳類:ネコ、イヌ、ネズミ、ハツカネズミ、イタチ、タヌキなど。
貝類:タニシ、シジミ、カワニナ、カラスガイ。
季節変化:四季を肌で感じることが出来た。春:ウグイスが鳴いた。夏:キリギリスが鳴き、セミが
鳴いた。秋:コオロギが鳴いた。冬:「火の用心」の拍子木がカチカチとなった。
「遊びの一例」:自宅のすぐ前の小川に掛かる石橋、川底の折り重なる「さざれ石」を起こすと、サワガニ、
エビ、ドジョウ、イトウナギ、クサヨシの茂る岸辺を足でかき回すと、フナやメダカ、時にはハエが飛び出
した。
参考文献
1)牧野富太郎著、「日本植物図鑑」、北隆館、1955年
おわりに
以上、「自給自足の生活環境」について述べた。しかし、「自然と共に生きた、古きよき時代」は終わった。「原爆」一発で無に帰した。戦後、ゼロからの出直しであった。便利さを求めて60年、我々を取り巻く「故郷・広島市」の環境は大きく変わった。戦後の混乱の中、「価値観」は激変した。終戦当時、夢・目標は「アメリカン・ドリーム」であった。「リーダーズ・ダイジェスト」を求めて人々は行列した。残念ながら、食べることに汲々として、「日本の自然の素晴らしさ」を味わう余裕はなかった、と言っても過言ではない。
このたび、筆者が幼かりし頃を思い起こして故郷を思い、郷愁に追いやられた。「原爆投下前の生家」は、心の故郷である。その幼かりし頃の「自然」・「生活」が、現在の「環境」授業の中核を形成している。植物・動物の名前・形が脳裏に焼きついている。忘れろと言っても忘れられない「古い記憶」なのである。多少、私的なことを述べたことをお許し願いたい。
太平洋戦中・戦後の「少年時代」の「想像を絶する悪い環境」については、またの機会に述べたい。
|
|
Abstract
|
|
The era and environment cherished the present author
in northern part of Hiroshima
I. Infant days
|
|
by
|
|
Masanobu TARA
|
|
Emeritus of Okayama University
|
The present author was born in 1934 in Hiroshima, where the place was northern part of 2.3 Km far form the A-bomb
center. The house he lived at taht time was a typical Japanese farmer's one, which has many instruments for farmers.
The barn reserved various old farmer's tools and materials.
Everything need for live could supply themselves at that time, especially foods. Everything used materials were refused,
nd they never through away used goods and used dirty water. We could live with many animals and plants peacefully.
we reserved very nice natural environments in his infant days.
|
|
桜並木の保全再生について(その三)
|
|
Reservation and Rebirth of the Street lined with Cherry trees (No.3)
|
|
岩佐勝司
|
|
Katsuji Iwasa
|
|
鎌倉市大船自治町内連合会会長
|
|
President of the council of town planning Project aroud Kamakura Art Theater
|
|
桜検討会座長
|
|
Chair-man of the investigation group on the Cherry trees
|
|
神奈川県鎌倉市大船3-13-24
|
|
3-12-24, Ofuna, Kamakura, Kanagawa, 247-0056, JAPAN
|
はじめに
「実践生物教育研究(第48・49号)」に「砂押川沿の桜並地」の経緯、取組状況を掲載させていただきありがとうござい
ました。今回は、その後の取組の経緯と『第一回さくら祭り』開催の様子を写真を中心に掲載させていただきます。
【平成20年度砂押川プロムナード桜愛護会活動実績】
活動記録写真
【平成21年度】砂押川沿い桜並木の保全再生活動スケジュール案
|
|
Abstract
|
|
Reservation and Rebirth of the Street lined with Cherry trees (No.3)
|
|
by
|
|
Katsuji Iwasa
|
|
President of the council of town planning Project aroud Kamakura Art Theater
|
|
Chair-man of the investigation group on the Cherry trees
|
|
3-12-24, Ofuna, Kamakura, Kanagawa, 247-0056, JAPAN
|
This report shows the activities and their photogrephes of the town planning Project aroud Kamakura Art Theater in 2000
in order to the reservation and rebirth of the street lined with Cherry trees. We held the first festival of the Cherry
blossom at the promenade of River SUNAOSHI-GAWA on April 5, 2009.
Peoples in the community of Ofuna, Kamakura, Kanagawa prefecture Japan have been loving the street lined with
Cherry trees so we think that their support to recover the aged and declined 106 cherry trees in it are very important.
The investigation group on the Cherry trees in the council of town planning Project aroud Kamakura Art Hall has made
the plan of the reservation and rebirth of the treet lined with Cherry trees along the river Sunaoshi-gawa and peoples in
the community ares going to practice thier plan in cooperation with citizens, administrators, men of enterprise and researchers in
universities for 10 years in the near future.
|
実践生物教育研究会の会誌「実践生物教育研究」の記念すべき“第50号”を皆さんにお届け出来ることは、事務局
としてこの上ない無上の喜びを感じている次第である。顧みれば、1985(昭和60)年8月、現在都立高校の中の進学校と
して名を馳せている都立八王子東高校に在職中、「実践生物教育研究」(創刊号である第1号の発行)を作らざるを得な
くなり、それ以来、毎年2回のペースで発行を続け、今年で25年目にもなろうとしている。
この記念すべき第50号の巻頭言は、まことに光栄なことに、分子生物学の泰斗、故・渡辺格慶応大学名誉教授の高
弟で、生物学の世界では広く知られておいでのJT生命誌研究館々長の中村桂子先生のご執筆である。大変にお忙しい
最中を願いしてのご執筆で、こんなに嬉しいことは無い。よく熟読玩味して頂き、お読み頂きたい。
創刊の頃は、ご寄稿くださる先生方も稀で、毎号発行に到るまで大変な苦労があった。昨今は、繰り返しご寄稿
頂ける先生方が増え、徐々にではあるが、社会的な評価を得て来ているように感じる。更に一層の発展の為には
、更なる皆様方のご理解とご援助を頂く他は無い。皆様のご協力を心からお願い申し上げる次第である。
|
|
To Readers
|
|
by
|
|
Saitoh Mitsuo
|
|
Secretary General of the Society of Practical Education in Biology
|
|
in
|
|
Saitoh Institute for Biology Education
|
To redears,
I have continued my struggles to publish the Journal of practical Education in Biology from the first issue of No.1 to
latest No.50 for 25 years since 1985. Now, it is a great pleasure for me that I have published memorable issue of
"The Journal of Practical Education in Biology" (No.50).
Dr. Keiko NAKAMURA who wrote "Sense of Wonder" in the foreword of the journal of practical education in biology
is a genetist and a pupil of Dr. Itaru Watanabe, famous researcher of the molecular biology in Japan and director of JT Biohistory
Hall today.
Recently, I have become a member of the Association of friends of the nature in Hachioji for making progress in my studies on
the plant sciences more.
|
|