河北省・張家口市
1990年。中国を3ヶ月間徘徊していたときに『張家口南』という駅を列車で二回ほど通過しました。北京から列車にもよりますが5〜6時間くらいの所です。
二回とも夜中に通ったのに、ものすごい数の人が乗り降りする駅でした。
『ここはどんな街なんだろう』
当時は漠然とそんなことしか考えていませんでしたが、旅行を終えて日常に戻ってから中国で購入してきた地図帳なんかを見ていると
「張家口南という駅は張家口という駅に乗り継ぐための中継駅の様である」
「張家口は大境門という万里の長城の一部が街の中にある街」
だということが分かりました。
何となくおもしろそうだな、とは思っていたんですが、当時一般的に販売しているどのガイドブックを見ても張家口市について紹介しているものはありませんでした。それもそのはず。当時は正式な対外開放都市ではなかったのですから。
『まあ、機会があったら行きたいな』
そんな風に思っていたんですが、いつの間にか中国どころかひとりで旅行に行く機会すら簡単には作れない。そんな生活になってしまっていました。
そして、2002年。思い切って旦那や子供たちを家に、日本に置き去りにして9日間の北京付近旅行を決行。
行って参りました。張家口へ。

2002年11月北京入りした翌早朝の鈍行列車。ミネラルウォーターのボトルと、カップラーメンを持って乗り込みました。北京南駅から張家口までは約6時間。硬座(文字通り本当に固い椅子)に腰掛けて、到着の時をひたすら待っていました。
初めて行く街に向かっている時って、いつもそうなんだけど、楽しみで楽しみで、早くついて欲しいような、不安で怖いような複雑な気持ちになります。
どんな人に会えるだろうか、怖い目に遭ったりはしないだろうか、うまい食べ物にありつけるだろうか、ホテル安くて良いところあるかななどなどなど・・・。
そうこうしているうちに『張家口南駅』着。何だかホームがきれいになっているような気がした。まあ、前に通ったときは夜中だったから比べようがないんだけど。
そして十数分後、『張家口駅』到着。
ついた瞬間、ワクワクして『ついた・ついた・ついた〜〜っっっ』と心で叫んじゃいました。(本当に叫んだら怪しまれるから)
カバンしょって駅を出て、まずは明日北京に戻る列車のチケットを購入。夕方発の快速列車がすんなり取れて、次はホテルを目指します。予定していた『張家口市迎賓館』(名前は立派だが普通のホテルじゃ)へ。
フロントで料金を尋ねるとシングルは140元のと180元の部屋があるとのこと。
『何が違うの?』と尋ねるとどーゆー訳か180元の部屋が160元になって『泊まってよ』と言うので160元で手を打ちました。
値切る前に値段下げてこられたら弱いわ〜(^^;)
中はわりと良い部屋で、とりあえず一服。中はわりとよいんだけど、この部屋のドアはくせがあった。
鍵を開けて手で押しただけでは開かなくて、必ず手で押しつつ足で蹴って開けていました。まあ、簡単に開いてしまうよりは遙かに安心できるかと思って黙って泊まっていました。ふふふ。
一服して昼飯と観光じゃと言うことで外に。
『デジカメ、ポケットに入れたよな・・・あれ。。。ない!!』ポケットというポケット、カバンの中、全部探してもない。
ホテルに戻る。が、ない。ない。ない。どこにもない。
『どーしよー、みんなの愛に包まれたデジカメなのに・・・』
実はこのデジカメ、旅行直前に懸賞で当たったという奇跡の一品。
会社の友達はもちろん、上司にまでコカコーラのシールをもらいまくり、応募しまくって当たったもの。
こんな所でなくしてしまっては協力者の皆様に申し訳なさすぎる。おろおろおろ・・・。
ショックと焦りで熱くなって、ジャンパー脱いでベットに座り込んだ。その時見えた。デジカメちゃんの赤いボディが。
あろう事か、ジャンパーのフード中に入っていた。
つまり、ホテル出てから戻ってくるまでの間、デジカメはあたしの背中のあたりで揺れていたの。なんて大まぬけ。
やっとの事でほっとして、気を取り直して、改めて街にくり出しました。
大境門
少し離れた所からあ、あれが大境門だってすぐに分かったんだけど、何だか写真で見ていたのと違うって思っていたんです。そう、『大境門』と書かれた文字が見えなかったから。
何と、文字は市内の方ではなく外側の方に向かって掛かっていたって言うそれだけなんだけど、ちょっとびっくりしました。てっきり市内向きに看板があるって思っていたものですから。
せっかくだからあんまり見ることの出来ない『大境門の裏側』もお見せしちゃいます。
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大境門(内モンゴル側)
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大境門の裏側(市内側)
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大境門より市内方面
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入場料払って大境門から長城に登れます。ゆっくり、のんびりだらだらと登って思う存分景色を堪能させていただきました。
『いや〜子供の手をつながないで自由に歩けるって良いなぁぁぁ』
なんて思いながら。自分のペースで、自分の考えだけで自由に動けるなんて本当に久しぶりだったから。
雲泉寺
山の斜面に立つお寺です。
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熱心に拝んでいるおじさん
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雲泉寺を出たところに
あった謎のドーム
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ここは20分くらい山を登った所にあります。
舗装された道を登っていくと、徐々に市内が見渡せるようになって来て気持ちいい。
たくさんの神様が祀られていて、一応すべてにお線香をあげていたのですが、適当な本数ずつ置いていたら、ある廟で真ん中の写真のおじさんに「線香は三本だ」と厳しく言われたので、五本置いたお線香の内二本回収させていただきました。
所がそのおじさん、「財の神様」の所ではしっかりとでっかいお線香の束(長さ40pくらい、本数20本くらい)を一束置いていました。
やっぱりお金が欲しいのはみんな同じなのね。
実はあたしもそこだけは一束あげていました(^^ゞ。
雲泉寺を出て、腹減ったなーと思い始めた頃、目の前に湯気が見えた。
包子だ。3個買って店の前に出ていたテーブルで食べる。ちょっと中身がしょっぱかったんだけど美味しかった。
食べ終わって『もうちょっと食べたいなー』なんて思っていたら隣に座ったおじさんが食べていたものが気になった。
せいろで蒸し上がった餃子の皮みたいなものをドンブリに入った汁の多い肉じゃがみたいなものに入れて食べるもの。美味そう。よく見れば他の人もこれを食べている人が多い。
・・・『これと同じのちょうだい!!』と注文してしまいました。
美味いわ〜。と食べていると、ひとりのおじいさんが近付いてきました。どうやら日本人がいるっていうのが判ったらしく、やって来た様です。まわりの人の話によると、そのおじいさんは日本語が少しだけ出来るという。
おじいさんが『あなた、日本人?』『わたし、5年、日本・・・・』それしか判りませんでした。
おじいさんもなんとか言おう、喋ろうとしていたのはものすごくよく判ったんだけど、思い出せないみたいでもどかしそうでした。
おそらくおじいさんの年からして、戦争中に日本語を覚えたものではないかと思われます。
中学でも高校でも歴史の時間はよく寝ていた私は、戦争に関しては漠然とした知識しか持っていなく、また中国語もほんのカタコトしか出来ないものですから、おじいさんの言おうとしていたことを理解できなかったことが、ちょっと申し訳なく思えました。
中国には何度か来ていますが、いつもいつも『もっともっと中国語やるぞー』って思いつつも、なかなか思うように学べない。
気持ちばかりで、実際にはなかなか出来ずに悔しい思いを何度もしているのに。
また、同じ思いをしてしまいました。

雲泉寺から水母宮に向かう為に、バイクタクシーに乗りました。
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運ちゃんの後頭部
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客席の窓から
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オートバイの後ろに小さい箱が付いていて、その箱が客席。2人くらいは乗れます。
なかなか楽しかったです。荷物の気分が味わえて。もちろん、普通のタクシーに比べたら安いし。
曲がるたびに両手で壁を押さえてバランスとったり、道が悪い所では全身に振動を受けてとスリルまで味わえました。
水母宮
『水のきれいな公園』とガイドブックには載っていた。
そのきれいなはずの水は一滴もありませんでした。冬の河北省は乾燥していますっていうことで、ねっ。
思いのほか広くて、若者がひたすら山登りしていたり、親子連れが散歩していたり。
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水母宮の奥は山を散策する遊歩道
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多分ここの下の方に水があるのではないかと
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列車までまだ時間があったので、街の中心部でふらふら。
ベンチに座っておやつ食べたり、行き交う人を見ていたり、張家口での残りわずかな時間をのんびり過ごしました。
街角では来年、2003年のカレンダーがたくさん売られ始めていました。
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やっぱり自転車は庶民の足
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想像よりも大都会で、人もものすごくたくさんいてびっくりしたんだけど、でもでも、北京とはちょっと違う、何だか懐かしい空気も持っている街でした。予定より半日滞在が短くなってしまったんだけど、とにかく張家口に行きたいっていう長年の願いは叶いました。
もし、またこの町に行くことがあったのならその時は『きれいな水のある水母宮』を見てみたいと思いました。