東光寺の由来

 東光寺の開創は明治36年(1903) 

 東光寺を開いた中村誠感上人は、西尾市の農家の長男でしたが、道心已み難く、碧南市大浜の海徳寺の弟子となりました。そのときから一寺建立を念願しておりましたが、明治33年 現在地に説教所を開き、次いで和歌山市永山にあった東光寺から寺号を移し寺が設立されました。

東光寺の歴史の詳細は こちら

東光寺という寺号は、薬師如来が東方瑠璃光世界におられるということからつけられたもので、永山の東光寺も本尊は薬師如来であったといいます。現在の東光寺の本尊は阿弥陀如来です。 東光寺は各地にあるのですが、薬師如来を本尊とした寺が多いと聞いております。

上人が東光寺を開いた所以は、この地方の弘法信者のため大師をまつりたいということでした。

上人は三体弘法大師、年弘法六十二体、四国八十八ヶ所各寺の本尊の写しなどを次々と迎えられました。 弘法大師の一生を一歳毎に一体の像を作って祀るのが年弘法(歳弘法)ですが、この年弘法は各地にあるのです。

覚王山の参道には歳弘法堂があり、毎月二十一日に公開されています。 この覚王山の歳弘法は像が小さく、各像の前に蝋燭が供えられるようになっています。明治30年に作られたということですので、東光寺の歳弘法はひょっとしてこれをお手本として造られたものかもしれません。東光寺の年弘法も昔は参詣者の希望で、各像に、ろうそく、霊供膳を供えていました。

岡崎市鉢地町の菩提院さん、岡崎市桜井寺町の桜井寺さんにも歳弘法が御祀りされています。

東光寺は知多四国霊場の番外札所になっています。

西山浄土宗の寺が、何故弘法大師の霊場になっているのかと云われる方がありますので、このことについて、説明します。 

 宗祖法然上人は四国配流の砌、讃岐霊場を巡拝されました。  以下勅修御伝(法然上人行状絵図)の中の一節です

「上人在国のあいだ、国中霊験の地巡礼したまふ。 中に善通寺という寺は、弘法大師、父のために建てられたる寺なりけり、この寺の記文に「一度も詣でなん人は、かならず一佛浄土の朋たるべし」とあり、この度の思い出、この事なりとぞよろこび仰せられける」
他力念仏往生を勧められた宗祖法然上人も、霊場巡拝をなさったのです。

霊場巡拝は宗派を超えたわが国の美風です。