サイト版「猫のおきて」

Vol.142 しあわせにしてくれる 
                 (2006年3月2日配信号)

 猫は、しあわせにしてくれる。

 それは私が、ずっと長い間、数々の猫たちを撫でながら、考えてきたことだ。
 猫を見ると、心楽しい。毛糸玉が弾むようにじゃれまわる子猫でも、香箱を組んでじっと目を閉じる老猫でも、姿を目にするとつい口元が弛む。
 猫を撫でていると、心が和む。なめらかな毛並みの背中でも、ふわふわのおなかでも、しゅるんと長い尻尾だっていい。柔らかな体をクロワッサンのような形に曲げて眠っている、そのおなかの毛並みに顔をうずめるときなどは最高だ。
 或いは、そのふにふにとした肉球で踏みつけられたり、ざりざりした舌で舐められたりするときも、言い知れぬ幸福感に満たされ、「でへへ」などと妙な笑いをもらしてしまう。

 猫がしあわせにしてくれることは、そんなふうに身を以って実感しているわけだが、ではそれはなぜなのか。猫は姿が美しいから? 触り心地がいいから? 鳴き声がかわいいから? それは全てその通りでもあろうし、人によってはそのどれかを重要視しているかもしれないが、自分にとってはどれも決定的な理由ではないような気がする。
 そうして私は、猫が私をしあわせにする理由を、ああでもないこうでもないと考えてきたのだが、最近は、こういうわけではないか、と思っていることがある。
 実に単純なことで、ご存知の方には今更と言われそうだが、それは「信頼」だ。

 これまで、メールマガジン「猫のおきて」に、当家の黒猫「ち」の油断した状況――例えば、人間の足をまったく恐がらないとか、おなかを触っても気にしないとか、熟睡して寝言を言う(鳴く?)とか――をつらつら書いてきたが、これ全て、私をはじめとする同居する人間を信用していないと、とれない態度である。
 だって考えてもみてほしい。体重比で言えば、たかだか3.5キロの「ち」にとっての私は、私にとってのヒグマ(大型のオスで300キロ以上)くらいである。身長差でいえば私とキリンくらいである。キリンの背丈のある、ヒグマほどのボリューム感の動物が接近して来たら、危害を加えられないとわかっていても、私なら身を竦ませずにはいられない。
 それを彼女は、緊張感などどこにも感じられないくにゃりと弛緩した体で、その巨大な動物の手や足や、時には顔面を受けとめているわけである。もしその動物の動作が勢い余ったとしたら、衝撃で体がつぶれるなどという危惧は、まったく持たないのだろう。
 こいつが自分に害を加えることは絶対にない。そんな、「ち」の自分への信頼を、無意識に感じ、それが自分の幸福感の源になっていたのではないかと思うのだ。

 この関係は飼い猫と飼い主だと顕著だろうが、自分の飼い猫でなくとも、人間に心を許している猫は、程度の差こそあれ、そんな感情を抱かせるのではないかと思う。
 例えば、道端で出会った猫が、近寄っても逃げずにくつろいだ様子なら、その猫から「この人間はいきなり凶暴になったりしない」と評価されているように感じるし、目を細めて耳の後ろを掻かせたら、「こいつは殴ったりしない」と信頼していることを感じさせる。
 逆に、こちらがちょっと近づいただけで猫がさっと逃げたら、それはちょっと悲しい。

 すべからく人間は、他者から信頼されたいのだ。「お前はOKな存在だ」と、肯定されたいのだ。他者から肯定されているという認識、それが人間を幸せにするのである。
 猫や犬など、コンパニオン・アニマルと言われる人間と関係の深い動物たちが、人間のそういう心情に働きかけることは、アニマル・セラピーの実践を見ても明らかだし、カナダでは、刑務所の受刑者に猫や犬の世話をさせる「プリズン・ペット・プログラム」も進んでいるというのも、2002年にNHK衛星放送の番組で見た。
 受刑者は動物を飼い、その動物と一緒に出所する。刑務所には獣医さんがいて、飼い方をアドバイスしたり、動物達の健康管理で力になったりする。受刑者たちは猫を撫でながら、「愛しいと思う気持ちを持てた」「自己中心的な考え方をしなくなった」と心の変化を述べ、識者が「信頼されるから責任感が生まれる。こういう感情を持つことで、人は救われるのです」とコメントしていた。

 そうなのだ。猫は、言葉は発さなくとも、「お前はOKだ」と全存在でメッセージを送っている。そのことが私をしあわせにする。だから私も、猫に対して日々「あんたたちがいてくれて本当に良かった」と、肯定のメッセージを送り続けているのだ。
 まあ、猫は他者の評価如何に関わらずしあわせでいられる自己充足タイプだから、そういうのって別にどうでもいいのだろうと思うけれども。

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●とはいえ、これって「猫の」おきてでもなくて、人間同士の関係性でも同じですよね。…と、蛇足ながら。

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■2002年5月30日開設■
当家の黒猫「ち」は、このように腹に触ってもまったく気にしないで毛繕いを続けるような猫である。これを「油断」ととるか、「信頼」ととるか。まあ、「油断」も「信頼」ゆえと解釈しておこう。