雑記帖    例えDailyで書いてあったとしても、雑記帖はDiaryでは無い。

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  はとぽ 9/8up ! ←はとぽさん達はウンコの山を残して飛び立って行かれました。


  ああ、もう更新の仕方忘れかけてたよ。 FTPの調子がイマイチで躓いてしまったまま
 起き上がる気力も忘れてしまった。いかんいかん。

 映画の感想も控えてるけど、結構膨大なのねん。
 ま、本は殆ど読まなかったけど。。。

 とりあえず「生きてるよ」とご挨拶と、トップにハンニバル・ライジングの前売特典マスク着用による
 コスプレ状態の画像をアップ。

 久しぶりに自画撮りしたけど、いつの間にかトシ喰ったなぁ。。。

                           (4/11記)


 <今更ですが謹賀新年>

 年明けは予告通りカモ汁とカブの雑煮を作っただよ。

まぁメデタイお味(?)でした。
 レシピは書くほどの事もないか。
 そして最近の流行は煮込みウドン

 、、、、殆ど同じ絵やがな。

モチ喰って太ったんで、ちょっと運動すっか。

といいつつ、今日は鶏肉とシメジのサワークリーム煮を作ってパスタにかけて食べた。
喰ってばっかりなのねん。(作り方は下のストロガノフの材料違い)

とろみを出すために、小麦粉をバターで炒めて自家製のルー(?)を入れたのが成功した。
粗挽きのブラックペッパーが味付けの要ですわ。

映画(昨年分だけど)7本UPしましたです。 今年も映画は控えめにしよう。

では皆さんも良い年にしませう!

                                 (1/8記)


 <ありゃぁ、2006年終わっちまうよ、の巻>

 困ったもんだ。 反省ばかり残るが、来年の今頃同じ様な心持ちにならない様にしたいモノだ。

 さて、クリスマスに作った料理のレシピ紹介でもするか。

(注:皿のフチはちゃんと拭いましょう)

 【ビーフストロガノフ】 (2人分くらい)

 a) 牛肉肩ロース(切り落としでも全然OK)200gを食べやすい大きさに切って、赤ワインに漬けておく。
   適当に肉を取り出して軽く塩コショウ・オールスパイスを加えた後、薄く小麦粉をまぶしておく。

 b) 生クリームプレーンヨーグルトを等量加えて、サワークリームを作る。レモン汁は割愛。

 玉ネギ:大1個を細切りにして弱火で焦がさないように10〜20分ほどジックリ炒める。
 こんがりキツネ色になったら、パプリカ:1/2個の細切りと、
 a)の牛肉、マッシュルームもフライパンに入れて炒める。
 この時点で塩コショウでおおまかな味を作っておく。

 水300cc(適当)にブイヨンを入れて、先程炒めた具材を投入。グツグツ煮込む。
 肉をマリネした時のワイン(適量)も投入。

 b) のサワークリームを投入(量は、、、適当だ。)
 サワークリームは余り煮込むと分離するので、馴染んできたら火を止めて出来上がり。

 【バターライス】(?)

 100%リンゴジュースで炊く。水加減(ジュース加減?)は普通のご飯の時と同じでOK
 今回はブイヨンも1個入れてみた。

 炊き上がったらバターを入れてよくかき混ぜて蒸らす。パセリを混ぜ込んで出来上がり。

 

 デミグラスソースを使ったものよりさっぱりと食べれる。基本的に味付けは塩コショウ
 元々、ロシアの固い牛肉を柔らかく美味しく食べるために考えられた料理なのだが、
 この「薄切り牛肉のサワークリーム煮」をナントカ・ストロガノフ伯爵とかいう奴が、いたく気に入って、
 てめえの名前を付けさせた。という俗説があるらしい。

 そして2日目はパスタを茹でてソースとして戴いた。

 今は明日食べる雑煮を作っている最中でR。
 ちなみに鴨肉とカブの雑煮だ。

 

 今年の謎犬アワードは難しいな。

 【小説】は遅まきながらようやく読み始めた京極夏彦が相当に面白かったが、
 何しろ古い本だからな。 今年出た本を読む事自体が少なかったのだけど、そんな中、
 「風の影」 カルロス・ルイス・サフォン は圧倒的に素晴らしい本だった。 強力にお奨め。

 【音楽】も今年のモノって殆ど、、、つか新譜なんて多分2枚しか買ってないぞ。
 大好きなドイツのプログレッシヴ・ヘヴィ・メタルのVanden Plasの待望の新作「Christ 0」は、
 良かったが、彼らの最高作って訳ではないし、お奨めするのは気が引ける。
 つい先月出た新生Spock's Beard「SB」は、ニール・モーズが抜けた後の3枚の中では一番良いと思う。
 ま、どちらも輸入盤でしか手に入らないんだけどね、、、

 【映画】、これが一番困るんだよな。
 今年はブッチギリの★5つ作品が一つも無い。寂しい事だ。
 自分の「楽しむ感覚」が鈍ってしまったのか、それとも本当に今年は不作だったのか、、、?
 いや、でもさっきDVDで2004年作品の「ビッグフィッシュ」を見たが、あれ程の出来の作品は今年は無かったな。

 取りあえず、「タブロイド」「硫黄島からの手紙」(C・イーストウッド作品としては「ミリオン・ダラー・ベイビー」の方が
 遥かに良いと思うが、)を挙げておくか。

 

 さてと、日本人らしく音楽も第九にすっか。今年は内省的に振り返るって事でチェリビダッケを聴くことにしよう。

 

 皆様、良い年を!

                      (12/31記)


 <ダリの香水は何故あれほど優しく香るのだ、の巻>

 やっとこ行って来たよ、上野の森美術館のダリ回顧展

 実は絵画って全然詳しくなく、好きな画家ってのも当然凄く少ない。
 エルテ、クリムト、ピカソ、エッシャー、HR・ギーガー、、、くらいかな?
 その限られた中で一番好きなのは、今回行って来たサルバドール・ダリ。

 いいよね、判りやすく難解で。

 先にも言った様に絵画なんてサッパリ判らんし、絵の前でしたり顔で
 「この技法は○○の影響を色濃く反映して・・・」なんて無理なんで、

 「オレにはさっぱり判らん、けどな〜んか好きだな」 と、素直に言えるから楽なんだよね。

 わし、アホじゃけん。と開き直って絵を見て解説を読むと、
 「この階段はフロイトの性的なイメージを示す」だの、「この螺旋はDNAの二重螺旋を模して」
 とか、途方も無い事もなんとなく納得出来たりする。

 ま、長い間、モノを作る仕事をしてきた人間の目から見ると、
 「あ、この作品には本当に打ち込んで魂を傾けたんだな。」とか、「これはそれ程でもないのかな。」
 等と、芸術的な視点では無い部分での力具合が伝わってきたりするんだけどね。
 絵(芸術)は判らん、が、仕事は判る。

 と最後に無理にカッコつけてみた。 ともあれ、楽しかった。

 ただ、非常に人が多く、絵も順路通りに見て行く方式を取ってないので、物凄く疲れる。
 可能ならば平日に、土日であれば早い時間に行く方が良いかもしれない。

 

 小ネタを一つ。
 チュッパチャップスのロゴは、ダリ監修で製作されたんだそうな。

         帰りに映画「トゥモロー・ワールド」を観た。非常に良い!       (11/18記)


  <それでも親子丼を食べたいのだ、の巻>

  ううむ、コレはどうなんだろう?と頭を抱え込んでしまう。

 作家の坂東眞砂子が日経新聞に寄せたエッセイが世を騒然とさせている。
 「私は生まれてきた仔猫を殺している。」という内容で、
 まぁ結構気分が悪い文章である事を覚悟できた方はこちらをどうぞ→本文キャプチャ (newswikiより転用)

 「いや、そんなん読みたくないし」って方(それも正しい)は今日の雑記は無かったコトに。

 

 避妊手術を選ばなかった理由として、飼っている雌猫の「生」の充実を考慮し、「子を産む行為」を奪いたくなかった。
 と彼女は言う。 

 彼女の論法でいけば、
 1 避妊手術をして、出産の経験が出来ない。 が最大級の「生の不備」で、
 2 自由に仔を産ませて、出産の経験を奪わない。  が比較的、本人(猫)の「生の充実」になるのだろう。

 言いたい事は、まぁ判らないでもない。

 愛玩動物の生きる権利を奪う人間が罪深いのである、と。

 

  だが、「3 子を育て、死んでいく権利」は何故奪われてしまったのか。

 人間も含め全ての動物は、生まれ、産み、死んでいく。

 しかし自らの肉体が滅びても、自分の子や孫が生きていれば、
 それは自分の遺伝子が永遠に生き続けていく、という事になる。(少なくとも、そう思える。)
 それこそが本能に即した「生の充実」であろう。

 で、実は私が引っかかっているのは、ここからの事な訳で、
 彼女は何故、3を選び得なかったのだろう?

 3匹の雌猫が産む仔猫達の面倒がみきれない? それは欺瞞ではないか?

 まず基本的に、もし動物本来の「生」に人間が干渉せずに最大限の権利を認める、というのであれば、
 そもそもペットを飼ってはいけない。

 次に、「自分の都合上、可能な限りの『生』の権利を認める」と言うのであれば、
 3匹の雌猫を1匹に絞って(彼女なら出来るよな)、仔猫を育てさせてやればイイ。

 人間は勝手だよ、でもせめて自分の論旨にそってベストを尽くそうよ。
 それをしないのなら、「仔猫殺しを愉しんでいる」と糾弾されても仕方ないやね。

 

  人間は色んな動物を殺して生きている。
 極端な菜食主義者でもない限り、全ての人の手は血で汚れている。

 牧場へ行って、仔牛を撫でて「可愛いなぁ」とニコニコしてても、同じ敷地内に
 バーベキューを食わせる店があり、やはり「旨いウマイ」と牛肉をニコニコ食べる。

 ヒヨコは可愛いが毎朝の目玉焼きも欠かせない。

 私も動物は大好きだが、先日ハラコの靴を買ってしまった。ハラコとは馬の胎児の皮だ。残酷だね。

 皮製品を一つも持ってないかい? ステーキは牛の屍体だし、刺身だって魚の屍体だよな。
 蚕蛾が一生懸命作った繭を引っ剥がして糸を紡いで身に纏い。親子丼なんて一家惨殺状態のモノを喰らう。

 

   ごめんなさい。 人間が悪いんです。

 

 その邪悪な人間が、他人を指して「より悪い」等と批難するのもどうかとは思う。

 せめて、自分で出来る範囲で動物に良くしてやろう。
 私が思うに坂東女史は、この範囲の設定を誤っている、と思うのだが。

 さてと、、、 いつもゴメンよ。 今日はネコ缶開けてあげるよ。

 

                                 (8/25記)


 今日は珍しくクラシックを貼ろう。 ホルスト作曲の組曲「惑星」より、「木星」、快楽の神

 この「惑星」が作曲された当時、まだ冥王星は発見されていなかった。
 その為、この組曲は地球を除く7つの惑星、
 すなわち「火星」「金星」「水星」「木星」「土星」「天王星」「海王星」の7曲で出来ている。

 今日、プラハの会議で冥王星が「太陽系の惑星」から外された。
 ホルストは先見の明があった、、、訳ない。

 70年以上も惑星として冥王星が知られていたのにいきなり降格扱いと言うのも面白い。
 ただ、冥王星を「惑星」として、またはしなくて、何が変わると言うのかいまいちピンと来ないけどね。

 完全に宇宙開発は頭打ちとなっているが、このまま地球の資源を食い尽くすと、文明が転覆する事は
 自明なのにね。
 戦争とかしてる場合じゃないんだけどなぁ。

                               (8/24記)


  はい、QUEENの「ボヘミアン・ラプソディ」に合わせてエア・ヴォーカルで踊り狂っている所を、
 窓越しに管理人さんに見られ、「もうお嫁に行けないわぁっ!!」な関根です、
 全世界のフレディのファンの方々こんばんは。

 思えば中学生の頃、図書館の裏手の林を歩きながら、馬鹿デカイ声で「We are the Champion〜♪」と
 怒鳴っていて、ふと気付くと開けっ放しの窓の中で閲覧中の人々がポカ〜ン。。。

  「。。。ナンチャッテ♪(テヘ)」      →   大爆笑の渦 

 と言う、人生史上5本の指に入る大恥をさらした事もあったなぁ。

 

  さておき、

 長かった梅雨も明けたと思いきや、今度は台風やら何やらでやたらと雨の多い夏ですな。
 皆様いかがお過ごしでしょうか。

 とは言え、エアコンの効いた季節感の希薄なオフィスにいても、窓の向こうに広がる空は碧く輝き、
 こんもりと積み重なる高い雲も真夏のソレである。

 クサレ東京人にして超インドア派の私としては、もう夏の実感なんてモノは余り無く、
 殆ど過去の記憶の情景であったりする。

  子供の頃、永遠に続くかと感じた毎日の茹だる様な暑さは、
 正に少年期のどうにもならない焦燥感を伴った熱さとリンクするものだった。

 脂汗にまみれ、肌にまとわり付いた熱気はクーラーで冷まそうが、シャワーで洗い流そうが、
 決して凌げるものではなかった。

 身体の内側に孕んだ得体の知れないドス黒い塊は、夏の太陽よりもなお熱くこの身を焼き、苛んだ。

 あれは多分、「狂気」だったのだろう。

  あれから20年。
 幾多の夢は折れ、傷つき、そして人を踏みつけて生きてきた。

 身体の内で荒れ狂った熱気ともいつしか折り合いが付き、そのマグマが噴出する事も少なくなった。

  今ではもう夏は長くはない。

  それは、少しだけ寂しい。

                            (8/18記)


  はぁ、なんでこの美しい映画を劇場で観なかったんだろう、、、

 DVDで、イッセー・尾形、宮沢りえの「トニー滝谷」を観た。
 静謐にして、猛烈なフェチ映画だ。

  素晴らしい。    これ以上は余り語りたくない。    (8/8記)


  < Liveに行ってLifeを考える、の巻>

  久しぶりにライヴハウスに出かけた。 以前は毎月の様に何かしらのライヴを見に行ってたモノだが、
 生活パターンが全く変わり、今では映画館に入り浸っている。
 前は確かにこんなに映画は観てなかったなぁ。
 ま、両方ってのは時間的にも金銭的にも無理だわ。

  さて、およそ2年ぶりくらいのfragile、昔は六本木Pit-innで何10回も見たが、この六P自体が無くなってしまい、
 今回は吉祥寺のSilver Elephantで行われた。
 このハコも遥か昔にケンソーを酸欠になりそうな超満員状態で観て以来だ。
 ひたすら小さく、客席は20〜30席くらいだろうか。
 当然チャージも安く、通常\1500〜2000くらいでライヴが楽しめる。
 (今回のフラジャイルはさすがに当日券¥3500だった。)

 5万人(?)入るドームで10000円のチケットを売る巨大ロックバンドも「お祭り」として楽しいのは確かだけど、
 50人も入らないハコで3000円程度で世界最高峰のドラム(菅沼孝三)を目の前2mで体験できる楽しみは格別。

  内容について書くと、良くも悪くもリラックスしたライヴだった。
 10年前のfragileはバンド名が意味する通り、まさに「こわれもの注意」であり、いつ演奏がブッ壊れてもおかしく無い
 程の緊張感が会場を支配した。
 それは精神的な意味での「パンク」の在り様にも通じるものだったと思う。

 元々完成されたテクニックを誇るミュージシャンが集まったフラジャイルというユニットは、
 お互い、音楽的エゴを最大限に剥き出しにして崩壊寸前の所まで表現を全開にした。
 今でもその基本姿勢はなんら変わってはいないと思う。

 そして10年が経ち、バンドは成長した。
 お互いの手の内も以前より「読める」ようになっただろうし、そこには「慣れ」もあるだろう。
 バッキングが「読める」故の安心感が、よりソロプレイに深みも与える事もある。 それは「円熟」だ。

 彼らの音楽はよりスムーズになり、より巨きくなった。 そしてその代わりに少しだけトゲが摩滅した。

 

  年をとった。 もちろん私もまた、

 それは決して悪い事でも寂しい事でも無い。

 この日、殆どが初めて聴く新曲を楽しんだが、後半に演奏された1stアルバムの1曲目「Bluff」に
 ちょっと胸が詰まった。

 この10年色々あった。 でもその様々な出来事が現在の私を形作っている。
 何かを失って、何かを得た。
 失ったモノを惜しむ気持ちも勿論無い訳じゃないが、今の私の方が昔よりはちょびっとだけマシだ。

  何年か先この世を身罷る時に、今と同じ様な気持ちになれるのであれば、
 まずまずしあわせな人生だった、という事なんだろう。

                                     (7/28)


  映画コーナーに手直しを入れつつ、リンクをチマチマ張っていった。
 まだ途中だけど今日はもう力尽きたんでカンベン。
 まだ書いてない作品も何本かあるし、忘れてしまった映画もあるので困っている。
 取り敢えず、ガキでもないのなら「パイレーツ・オブ・カリビアン2」には期待しすぎない様に注意!

 でも改めて振り返るのはイイね。
 正直に言って今年はまだブッチギリの★5つ作品に出会ってないが、後半戦に期待しよう。

                                  (7/26)


  「Private Papers」 UP

 今回は、ちょっと変な作品になってしまったが、、、楽しんで貰えるかなぁ???

 ま、出来はともかく、一応下書きでは物語として完結しているので一安心なのだけどね。
 ああ、そういえば今回も「バカパロディ」では無いなぁ。
                                     (3/9)


  <献血再び、、、>

  久しぶりに渋谷に出かけた。 馴染みのお店の店員さんが覚えていてくれたのは嬉しかったが、
 ちょっとの間にあちこち街の様子が変わっているのに驚く。

 まぁ、10年位通った街なので道を歩いているだけでも「顔に見覚えのある」人にポロポロ出くわすのが
 少し楽しい。 名前も知らないが、あ、ヤツもなんとか元気にやってるんだな、なんて。
 ま、中には余り逢いたく無い人も偶然見かけたりもしたのだが、速攻ダッシュだぜ。 

 それはともかく、時間に少し余裕があったので献血ルームに行ってみた。

 受付をすませて、自動販売機(無料)でスープを飲んだり、テーブルのクッキーをつまんだりして待っていた。
 朝、軽くパスタを食べただけでオナカが空いていたので、ついついパクパク食べてしまったのだが、、、

 診察を受けたら、「えーと、最近、服薬しましたか?」「あ、はい、昨夜寝る前にバファリンを一錠だけ」

  「ダメです」

 うそーん、、、1錠だよ? 1年に1回飲むか飲まないかの頭痛薬で今回の献血は中止に。

 

 あのう、、、散々飲み食いしてしまったんですけど。

 今月中に必ずまた献血に行きますからっ。  ごめんなさい ゴメンナサイ。 (3/5)


  【オペラ座の怪人再び、の巻】

 なかなか新しいCDをチェックする事も少なくなってしまっているのだが、
 最近のヒットはこれ、映画「オペラ座の怪人」のサントラだ。
 映画もたいそうなシロモノだったが、サウンドトラックを改めて聴くと映像が無い分、
 より一層この作品の特質が浮き彫りにされる。

 こんな果てしなくバカバカしい映画も珍しい。
 2時間近いサントラを聴きながら爆笑につぐ爆笑である。間違いなく大好きだ

 稀代の天才アンドリュー・ロイド・ウェバーが私達を感動と興奮の坩堝に巻き込むために、
 圧倒的ハイテンションで頑張れば頑張る程、聞き手の頬には失笑が浮かぶ。これは仕方無い事だと思う。
 だって(ある意味で)芸術の最高峰、ワーグナーの楽劇を聴いたって、その壮大な世界に完全に打ちのめされつつも
 随所で笑いがこみ上げては来ないか? え、来ない? うーーん、それは幸せだ。
 じゃあ「サウンド・オブ・ミュージック」でも? 完全にあの世界に入りこんで忘我の夢幻境を彷徨うのだろうか。

  それは危険っす。

 まだこの世の邪悪を知らぬ幼児ならまだしも、全てが過去の思い出となった老境の身ならまだしも、
 現実社会から遊離して生きる芸術家ならまだしも、
 健康な精神生活を送る社会人たる(べき)我々がこんな虚構に完全に飲み込まれてはイケナイ。
 これは宗教に対するスタンスと同じだと思うのだ。

 私はMP3プレイヤーにこのサントラを入れて(だって好きなんだもん)毎日ニタニタ笑いながら聴いている。

 はっきり言って相当に邪悪な姿勢であると自覚しているが、冷徹な意識は審美眼に繋がり、
 その視点が芸術を磨くのだ。またそれこそが「聴衆」の存在意義でもある。

 素朴に感動してばかりが能ではないのだ。

 感動とは「思考の停止」であり、気持ち良くも危険なシロモノなんでR。

 あ、芸術に限らず、エンターテインメントでも話は同じっす。

   さすがに出たばかりのCD音源をwebに貼るのは訴えられそうで怖いので辞めとく。
   どうしても、という方はメールでも下さい。     
                                (2/7記)


  <2005年度謎犬アワード>

  本も音楽もまるで新しい物を開拓出来なかった。第一新品のCDなんて2枚くらいしか買ってないよ。
 以前、月10枚くらい買っていた時期を思うとちょっと悲しい。
 が、聴く音楽に困っている訳では無いので良しとするか、特に聴くべき音楽も無いしな。
 満を辞して買ったジャーニーの新譜「ジェネレーションズ」は結構良かったが、前作程の感動はなかったかも。

 意外な所では100円で中古で買ったボストンの「walk on」が良かったな。5年くらい前のアルバムだけど。
 あと、歌謡曲で倖田來未がちょっと良かったなぁ。

 映画は元旦の「カンフー・ハッスル」に始まって大晦日の「ノエル」に終わった。
 ま、2005年も映画に狂奔した1年だった訳ですわ。

 ではベスト1は。  ううーん。悩む。。。

 これまでに見たことも無い映画、しかも抜群に面白い、という観点から
 「銀河ヒッチハイクガイド」にしよう。お涙ものでないコメディタッチの作品を選ぶというのは自分でも意外。

 感動系で「エリザベス・タウン」「きみに読む物語」を次点として挙げておこう。

 とにかくウチのサイトで★4つ以上の物はかなりの自信をもってお薦めでがんす。
 レンタル屋で、どーにも見る物がないなぁ、と思った時は参考にしてみてちょ。


  <最近の話題から>

 はぁ、ライブドアがえらい事になってるね。「見せしめ」と言う感じもするのだけど。
 で、ニュースとかを見ていて思い出した。

  かつてバブルがはじけて日本経済が傾いた時に、ニュース・ステーション(当時)の久米さんが
 「でも、こんな(株価がドンドン上がったり等)調子良い状態がおかしいとか、ずっと続く筈が無いと、
 誰も思わなかったんですかねぇ。」と言うような発言をした。
 それを受けて隣に座っていた女性キャスターがこんな事を言った。
 「、、、その渦中にある時は、、、思わなかったですねぇ。」

 この女性キャスター、凄く正直でイイなと思った。
 だって久米さん、後からそう言うけどバブルの渦中にある時に
 「今のこの状況はオカシイ、いまに市場がひっくり返るよ!」と予言したかな?

 ホリエモンも同じ事。今となるとみんながみんな、「あれはオカシイと思ってたよ」等と言うが、
 だからと言って、ライブドアの株を買っていて、それが紙くずに成りかねない状況で大損をしつつある人たちが
 特別バカだった訳では無いだろう。

 例えば去年の暮れくらいにライブドア株を売り抜けた人なら、大笑いしながら自分の先見の明を誇れば良いと思うけどね。

  他では、例えば偽装耐震強度マンション。
 一部には、「あれ程の敷地面積のマンションをあんな格安で買えると思った住人は、何かオカシイと思わなかったのか
 仮に『ハンバーグ定食が50円』だったら何かヤバイんじゃないか、と思うだろ?」なんて厳しい意見もあった。

 意見としてはごもっともな部分もある。説得力もそれなりにある。
 雑誌の記事として面白みのある意見を提示する役目はきちんと果たしていると思う。

 でも実際には誰も思わなかっただろうな。
 凄い倍率の抽選に当たって、物凄いラッキーな買い物をした、と喜んでたと思うよ。

 そんなこと言うのなら何故、売り出された時に
 「あの物件、余りに安すぎるぞ、なんかおかしいんじゃねーのか」と言わなかったんだ。

 後から思うのは簡単。 
 私自身も「何かズルでもしないとあんな風に抜きん出る事はできないよね〜」なんて軽々しく言ってしまったクチだ。

 少なくとも堀江氏は先を見る事が他の人より出来たから、あれほどの成功を手にしたんだろう。
 デブだし不細工だし時々ガキみたいな言動も目に付き、ハッキリ言って好きではないが
 そんじょそこらの人よりよっぽど才能に溢れた人なんだろうと思う。
 (あ、ズルをする、しないなんて言う倫理観は今回の焦点では無いんで、)

 しかし永久に先を見続ける事なんて誰にも出来はしない。

 人間なんだから。

 ましてや私なんぞは電車の吊り広告の「ホリエモンは2月に破産してムイチモンになる」
 なんてコピーを見て「上手いなぁ」なんてヘラヘラ笑ってる愚衆の一人ですから。

 ま、とりあえずドザエモンにはならない様に頑張って下さい。


  <不定期 男の料理教室、の巻>

  普段、あまり肉を食べたいとは思わないのだが、勿論嫌いな訳ではない。
 珍しく牛肉のステーキが食べたくなったので、思い立ったが吉日、
 スーパーで1枚440円のオージービーフを買ってきた。
 普段肉と言えば、80g104円のブタコマを野菜炒め等に使って食べているので、これでも贅沢品ではある。
 しかし同じ食べるのであれば、一工夫をしてより美味しく食べようではないか。 そこで、

  【第178回チキチキ 安い肉を柔らかく食べる方法〜シャリアピンステーキの作り方】

  まず肉に塩コショウを振って軽く叩く。

 →玉ねぎをタップリとみじん切り(摩り下ろしても可)にして、その中に肉を漬け込んで(マリネして)おく。

 →酵素の働きで2〜30分もすれば驚く程クニャンクニャンに柔らかくなる。
  これは玉ねぎでなくても梨やマンゴー等でも良いそうだ。
  ただ、今回はこの後にソースを作ってシャリアピン・ステーキにする為にも玉ねぎを使用。
  一番実用的だわな。
  ちなみに丸1日とか漬け込んでしまうと、肉がバラバラに分解されてしまうらしいが、あえて試そうとも
  思わない。

 →さて、このグニャグニャになった肉を更にフォークで親の仇とばかりにプスプス突き刺す。
  最近は「親の仇」と言う言葉があまり実体を持たなくなりつつあり、「親」がプスプス刺されちまうのだが、
  これはまぁ余談だった。
  先程は酵素の力で科学的(?)に柔らかくしたが、今度は物理的に肉の繊維を断ち切って柔らかくする。
  勿論ミートハンマーや包丁の背で殴りつけても良い。
  特に脂肪分と赤身の境目部分は固いスジが多いのでブッチャーよろしく(古いな)フォークによる
  凶器攻撃を念入りに行うが吉。
  タイガー・ジェット・シン(これまた古いな)はサーベルの『柄』で対戦相手やレフリーを殴ったが、
  子供心に「いや、『刃』の方を使えよ!」等と思っていたのは私だけだろうか。

 →さて、生き埋めにされるは、フォークで刺されるはで、もうタイガイにくたびれた牛肉だが、
  今度は優しくパプリカ、等好みのスパイスをふりかけ(私は「オールスパイス」という便利モノを使用)
  さらに片栗粉を薄く纏わせる。あくまで薄くだ。余った粉は手ではたき落とす。
  この薄い膜が焦げ目となって肉の表面に壁を作り、中のジューシーな肉汁が余計に流れ出すのを防いでくれる。

 →フライパンに油、または脂、またはバターをひき、スライスしたニンニクを炒める。
  香りが立ってきた所でいよいよ肉を投下!ジャーーーン!(勿論強火)
  片面にザクッと焼き目をつけたらひっくり返して裏側も素早く焼く。
  出来れば何度もチマチマひっくり返さずに1回で決めたい。

 →肉を皿に上げて、フライパンはそのまま洗わずに先ほどの玉ねぎを投入。
  バターで炒め、塩コショウ、醤油と肉汁を玉ねぎに吸わせてソースが出来上がり。

 →先ほどの肉の上にタップリかけて召し上がれ。んまいよ!
  ここは一つ、切れば血が出るくらいのレアでいかがだろう。?

 文章にすると長いが実際には冷蔵庫から肉を取り出して、焼くまでに30分くらいの時間をかけるだけで
 相当にグレードアップしたステーキに変身するので、是非お試しあれ。

 ウェルダンを柔らかく焼き上げるテクニックはまたこれから習得していこうと思う。

 今週末のクリスマスはこうやって焼いた牛肉を煮込んでビーフシチューの予定でR。
 いいスネ肉が出ると良いのだが。


  「補足」  先日、検証してきた。

 しかし、六本木ヒルズといえども、やはり一番大きい「7番スクリーン」はさすがに「詰め込み型」であり、
 一番端の席ではチト観づらい。

 私の結論としては、スクリーンが大きくて湾曲している様な劇場では中央の席で観たほうが良い、
 という事になる。  これはひたすら予約ですな。
 ちなみに「キング・コング」は初日(土曜)の2日前にチケットを取ってど真中の良席ゲットだぜ、 満足。


  <映画館よもやま>

 この週末は久しぶりに六本木ヒルズのヴァージンTOHOシネマに行って来た。
 クリスマスシーズンと言う事もあり、このお洒落スポットはイルミネーションも点灯されカップルでごった返してる。
 そんな中、私は映画を見て、コンビニでオニギリを買い、まるで六本木である事を意識しない「フツー」な
 消費感覚で過ごして来た。 普通すぎる。。。

 このヒルズの映画館、一館まるごと特等席、というスクリーンがあり、なんと全席リクライニングシートである。
 飛行機の1stクラスみたいな感覚なのかなぁ。
 一回入ってみたい気もするが、値段が3000円となるとちょっと2の足を踏んでしまうっすー。
 完全に普段の映画の3本分だものな。
 第一リクライニングシートともなれば、絶対に試したくなるだろうし、試したら試したでかなりの確立で
 映画そっちのけで爆睡してしまうだろう。2時間で3000円の仮眠室(映画付き)、、、、うーーーーん?

 例えば今回掛かっていた「Mr,&Mrs,スミス」。面白かったよ。でも3000円払うだけの価値が無い事も確かだなぁ。

 私にとって3000円払っても惜しくない映画って年に1〜2本あるかないかだ。
 それをこのプレミアスクリーンで上映する確立は非常に低い。
 招待でもされない限りまず利用する機会がなさそうである。

 さて、このシネコンは通常のスクリーンでもかなり画面が見やすく、快適である。
 例えば池袋のHUMAXシネマも新しい劇場なので客席の勾配があり、
 前の人の頭を気にする事もなく見やすいのだが横にも広い劇場なので端の席だと画面は相当に見づらい。

 それに較べて、六本木は一番端の席でもほとんどストレスを感じること無く見れるのが嬉しい。
 ただ、劇場自体が人気なので、どうしても真中の席を取りたいのであれば
 前日・前々日のカウンターチケット発券を利用するのが得策だろう。
 インターネットでのチケット購入は大きなブロック指定しか出来ないので、真中が取れるとは限らない。

 更に通常の劇場のほかに「アートスクリーン」というのもあるのだが、
 通常料金なのに他の劇場よりも更に余裕を持った作りになっており、非常に快適だ。
 なにしろ足を伸ばしても前の座席の背もたれに当たらない程に個人スペースが広いのだ。素晴らしい、、、
 もし見たい映画がここで掛かっていたら六本木まで足を伸ばすだけの価値はあるかもしれない。

 この様に最新の設備を備えたお洒落な映画館であるが、ちょっと気になるのが黒い絨毯にちらばるポップコーン。
 映画にポップコーンは付き物だよね、、、、ん?でも何故だ?
 恐らくアメリカから持ち込まれた習慣だろうけど、未だに続いているってのが不思議だ。

 みなさんは普段ポップコーンって食べるだろうか?例えばコンビニのスナック菓子の棚を見ても、
 ポテトチップスやコーン菓子が8割〜9割でポップコーンは1〜2割程度な事からすると、
 それ程、普段家では食べないのではないかと想像してしまう。
 ちなみに私はこの20年程家でポップコーンを食べた事はない。(別に嫌いな訳では無い)

 それがディズニーランドや映画館へ行くと何故か食べる人が急増するようだ。
 「売ってるから食べる」のか。それともポップコーンは非日常的なハレの「祝祭的菓子」であるのか。
 とまれ、取り立てて好物ではなくても一旦食べだすと止まらないヘンな魔力をもった食べ物である。
 それにしても映画館のバケツに山盛りになったポップコーンはやたらとこぼれて床を汚し、閉口させられる。
 あんな牛に喰わせる程盛らなくても良かろうに。

 ここでポップコーンにまつわる粋なセリフをご照会。多分ダイアン・レインの弟が主演の映画「マジック・ボーイ」
 だったと思うが、その主人公が女の子に向かって、

 「あのさ、すっごく美味しいポップコーンを出す店があるんだけど、良かったら一緒に食べに行かない?
 そこでは大きなスクリーンに映画なんかも映し出されるんだよ!」

 小学生くらいのガキのクセになんともコジャレた口説き文句を垂れやがるなぁ。

 私の様に

 「あのさ、前売りチケットが『余って』しまったんだよな。1人で2回見る程の『傑作でない事は確か』だし、
 捨てるのも『勿体無い』し、金券ショップに売るのも『メンドー』だから、『ヒマ』を持て余してるなら、映画でも見ない?
 あ、ポイントやマイルは俺のカードで貯めるけど、」

 等と、オンナ心をウットリさせる様なセリフを言ってはイケナイのだ。

                                         (12/14記)


  さて、めでたくDIONの契約が切れて、初代スパイス・オブ・ライフが消滅した。
  開設当時はカウンターも掲示板も敢えて置かず、
  「どれだけ人が来たかを自慢する為のサイトじゃねぇんだぜ!掲示板なんて『コンテンツ』じゃねぇぜ!」と
  えらくキバっていたものだ。

  この頃は1年以上にも亘り、毎日雑記を更新していた。いわゆる「今日ナニソレをした」という日記ではなく、
  何かしらのネタなり主張をしていた。まぁ内容はともあれ良くやってたなぁ。
  今読み返したいと思ってもバックアップしていなかったので全て消滅してしまったが、ちょっと勿体無かったかもしれない。

  その頃のネットで知り合った人たちの個人サイトで未だに残っている物は殆ど無く、
  ましてやアクティブに更新されている所は皆無と言って良い。

  そう考えると、細々とでも更新を続けて(ごく一部の方にとっての)暇つぶしを提供しつづけているこの
  「スパライU」も僅かながら誇れるのかもしれない。

  子供の頃は飽きっぽかったのをよく母親に注意されたものだが、今では全く逆にいつまでも同じ事をチマチマと
  やり続けているような気がする。不思議なものだ。

  なんてボ〜〜っと思っていたら、15年くらい使ってきたビデオデッキが突然壊れた。
  最後に見た「ボーン・コレクター」が取り出せないまま、捨ててしまった。
  レンタルビデオでなかったことが救いだ。
  あ、あと「隣の若奥さん」とかでなくて良かったな。

  ま、いずれはDVDレコーダーでも買って、家のビデオテープも捨てますかね。

 

   では最近のレンタル・ビデオ/DVD

  「復讐者に憐れみを」

  復讐3部作の1作目。それほど込み入った展開では無いのだが、例によって不親切な語り口なので、
  しっかりと意識を集中して観ないと理解しづらい部分もある。
  (本来、そういう姿勢で映画を観るのが当たり前なのだが)
  ま、「バカに噛んで含めるように」語る映画ではない、という事だ。

  まぁ不自然な部分も多々あるが、人間が復讐に傾いていく心理描写も説得力があるのが魅力だ。
  何故山崎まさよしみたいな主人公が緑の髪である必要があるのかサッパリ判らないが、まぁいいだろう。

  実際にはあっという間に警察に捕まってしまいそうな彼らではある。2001年撮影と言う事で、
  ソン・ガンホがまだそれ程巨大化していない事など、今の彼を知る者にとっては微笑ましい作品であった。

  「ボーン・コレクター」

  ブラピとの共演作がえらい大ヒットらしいが、この頃のアンジェリーナ・ジョリーはまだ可憐ささえあった。
  そんなにメチャメチャに演技が巧い訳でもないが、だんだん華が出てきて、いまや売れっ子と言っても良い
  女優に成長したなぁ。
  デンゼル・ワシントンの顔だけの演技が見ものだ。

  「マスク・オブ・ゾロ」

  来年にはこれの続編をやるので予習。とりあえずアンソニー・ホプキンスが長髪なのがイヤだ。
  キャサリン・ゼタ・ジョーンズはまだ姐御にはなっておらず、初々しい。
  アントニオ・バンデラスは顔がデンゼル・ワシントンに似てるな(特にまぶたが)

  内容は「レジェンド・オブ・メキシコ」同様のバカ映画。 ただ眠かった。


 映画も観るがビデオも観る。映画もビデオも観るがTVも観るぜ。

 凄く久しぶりにTVで放映されている映画を観た。
 ブルース・ウィリス「アンブレイカブル」だ。
 「シックス・センス」のM・ナイト・シャマラン監督であり、彼の作品は「サイン」以外は全部好きで、
 酷評された「ヴィレッジ」も私にとってはとても良い作品だ。

 当然この映画も公開当時、いそいそと劇場へ出かけて、暗〜い映像に惚れたものだ。
 いいっすな、この陰鬱な映画。 

 で、テレビでの日本語吹き替えにかなり萎えた。それとCMカットで大いに萎えた。
 気持ちが入らんわ。 サミュエル・L・ジャクソンの変な声を聞く為にもDVDの字幕版で楽しみたい所だ。

 そのサミュエル演じるイライジャ・プライス(全身骨ポキポキ男)が、この映画の本当の意味での主人公
 である事はお判りだと思う。
 ブルース・ウィリス演じるデイヴィッド・ダン(傷つかない男)を求める「ブレイカブル」な人を描いた哀しい哀しい作品。
 うむ、やはり好きだぞ。

 あんまり良く知らないのだが、スタジアムで持ち物検査を受ける眼鏡の男がシャマラン監督だよな?
 「サイン」での運転手も監督だよな?違っていたら申し訳ない。


 

  映画も観るが、ビデオも観るぜ。

  「アンダー・プレッシャー」

    ロブ・ロウ主演の海洋アドヴェンチャー。
    果たして劇場公開されたのかな?と思う程にどーでもイイ作品。

    ロブ・ロウってなんとなく「○ドの大木」っぽいんだけど、やはり未だに大成しないねぇ。
    海底に閉じ込められた閉塞感も、追い詰められたドキドキ感にも乏しく、アクションもおざなり、
    船が沈んだり爆発するスペクタル感もショボショボ。
    強いて言うならダム現場の救出シーンが良かったかな。
    でも、あのガキ、何にも絡まないじゃねぇか!

    安い脚本だなぁ。全くお奨めできない。
    でも仮に、小学生の頃に劇場で観たとしたら大興奮したんだろな。オトナになるって悲しい事ネ。(←大嘘)


  <健康生活>

  ちょっと高血圧なのかな?と心配になったので、会社のリラックスルームに設置されている血圧計で
  何日か計ってみたら、上が115くらい、下が65くらいだった。
  まぁそんなに酷くはない様だ。(多分)

  やっぱり初めての献血って事でドキドキしてたんでしょな。

  酒・タバコは一切やらず、肉も余り摂らず、毎日パンダの如く野菜を食べているのだから、
  そうそう高血圧では困ってしまうわな。
  あとはストレスと塩分の摂りすぎ、運動不足による肥満に気をつけてれば、まず大丈夫でがんすな。


 <本日の偽善事業>

  なにしろ初めての経験ってのは貴重だ。

 有楽町数寄屋橋交差点の交番裏に献血バスが停まっており、
 その前でプラカードを持って「O型、AB型、B型の血液が足りません!」と呼びかけている兄ちゃんに、
 「ワスぁA型だが、要らんのか?」と訊いたら、「いやいや是非に!」と言うので、
 さりとて深い意味も無く、なんとなく街中で献血をしてみた。 (←長い文章だの。。。)

 余りにもビンボーなので「血でも売ってやるかコノヤロー!」ってなもんである。

 名前だの住所だの電話番号だのを記入し、(個人情報に関する説明はされなかった。)
 アクエリアスのパックを飲め、と渡されてバスに入った。

 中では医者が血圧を計り、血液型の検査の為に右腕からちょこっと採血。
 上が130くらいで、やや高めだとの事。意外だ。
 ただ、初めての献血で緊張してるのと、医者と話ながらの
 検査だったので高めに測定されたのだろうと、(何故か)フォローされた。

 さて、血の出方も良い(なんじゃそりゃ)との事で、400mlの採血だ。
 ところがバスの中で先に採血していた女性が気分が悪くなってしまった様で、中断してしまった。
 なんだか軽く心配になっちまうじゃねぇか。

 そんな事には委細構わず左腕に、さっきの検査採血の時より遥かに太い注射針をぶっ刺された。
 あれよあれよと言う間に400mlをブッコ抜かれてメデタク血液ドナーとあいなりもうした。

 バスから出て、コーヒーのパックとビスケットを貰って、終了。

 意外に沢山の人が献血をするんだな。バスは満員で、軽く順番待ち状態だったのに驚いた。

 

 あ、オチは無いっす。 「アタシの初体験♪」って事で。  (11/5)


  さて、あいかわらず映画とビデオの日々  

  「2010年」 1984年の映画だが、何故か68年の作品「2001年」よりも古い映画の様に
         見えてしまう瞬間がある。
         もっとも、この時代のほかの作品と較べて、と言う訳では無いので、
         やはりそれだけ「2001年」と言う映画、そしてキューブリックが異常と言う事
         なのだろう。

         原作者であるアーサー・C・クラークはこの作品の映画化を持ちかけられた時、
         「キューブリック抜きでなら」と答えたそうだ。
         あれほどの作品の完成度の裏で、やはり独善的な芸術家の暴君ぶりが遺憾なく
         発揮されたであろう事が容易に推測される。
         現場は大変なストレスが渦巻いたのであろう。 それでイイと思う。

         良い作品を作り上げるためにはその位のエゴとエゴのぶつかり合いがあって当たり前
         なのだと思う。

         例えば同じくキューブリックの映画「シャイニング」に対しても原作者スティーブン・キングは
         かなりの不満があったらしく、自身でメガホンを取り3時間にも亘る映像化をしている。
         作品を一番理解している作者本人による映画、と言う訳だ。

         では現在その2つの「シャイニング」を並べて見て、先入観のない観客がどちらを選ぶだろう?
         (ジャック・ニコルソンと言う強力な武器があるので完全なフェアではないかもしれないが)

         「2010年」は結構良い作品だと思う。
         しかし「2001年」という完璧な芸術の前では「普通」と言わざるを得ない
         例えばサウンドトラックの使われ方一つをとっても、あれ以上のモノってなかなか思いつかない。

         「2010年」の面白さはクラークの原作によるモノが多い。
         つまり映画という媒体ならではの魅力に溢れる作品とは言い難い。
         原作の面白さを損なってしまう映画も多いことを考えるとあながち凡作とも言えないのだが。

         さて、宇宙船ディスカバリー号の格好良さは相当なものだ。
         ちょっとオタクっぽい話でアレだが、個人的に「SW〜帝国の逆襲」のラストで映る革命軍の戦艦
         と共に最も好きなデザインのひとつである。

         アーサー・C・クラークの「宇宙の旅」シリーズはこの後、2冊出ているが、映画化はされてない。

  「夢のチョコレート工場」 現在公開中のティム・バートン版(チャーリーとチョコレート工場)
         の約30年前のオリジナル。
         意外な事に、日本では公開されなかったようだ。(←ホント?)

         まぁ、作品の出来以前の問題で、冒頭のお菓子屋で、主人がクソガキ共に「ほうら!」とキャンディやら
         マシュマロ等を雨あられと投げ与えるシーンは戦後の「ギブミー・チョコレート」を彷彿とさせ、(させなくても)
         かなり不愉快だ。 拾った金、と言うのも、他に何か穏当な手段が無かったんかい。

         少なくとも、大のオトナがこの映画を観て、「子供にとってのパラダイスだよねぇ、」なんて思うのなら
         そいつはアホウ以外の何者でもない。

         ちょっとブラックで、かなり変態な映画である。  好きだが、子供に見せたくはないな。
         反面教師的な教材としてかなりの注釈が必要では。


  はい、毎週雨の週末おめでとう。
  引き続き、ビデオと料理に明け暮れる毎日です。

  「2001年宇宙の旅」 言わずと知れたキューブリック監督の超々名作中の名作。
               くだらねぇ、と言う人もいるが、物凄い作品だと思う。68年の作品だというのに、
               全く古さを感じさせない。何も知らない人に今年の新作映画だと偽って見せても
               バレないのではないだろうか。  非常に冷徹に人類の希望を描いた作品。

  「隣のリッチマン」 ベン・ステイラー、ジャック・ブラックによるコメディ。軽く笑った。

  「スタスキー&ハッチ」 ベン・ステイラーとオーウェン・ウィルソンによる、往年の人気刑事ドラマの映画化。
                当然の事ながら、オリジナル・シリーズを知っていた方が楽しめるハズだ。
                声を上げて笑える程のシーンは少ないが、まぁ楽しい作品だ。
                しかし、どうしてビデオで観るコメディってこうも笑えないのだろう?
                映画館では高いお金払って「笑うぞ」って準備が出来てるのかなぁ。

                ビデオで本当に笑ったコメディって、「裸の銃を持つ男」「オースティン・パワーズ」
                くらいだろうか。
                かつてはホラーと同じくらいコメディって苦手だったのだけど、
                その原因ともなった「ウェインズ・ワールド」でも観なおしてみようかな。

                ちなみに劇場で笑い転げる事は多い。
                「ズーランダー」「ギャラクシー・クエスト」「スケアリー・ムービー(1と3)」
                「少林サッカー」「ドッジボール」等など、、、
                あれ?スラップスティックが好きなんだな、、、お恥ずかしい。

  映画は「トゥルーへの手紙」 

  料理 、 といっても電気コンロが一口あるだけなので、そのヴァリエーションは極めて狭い。
        ようやく涼しくなって来たこともあり、「煮物」ですわ。 

  【round1】

    熱したフライパンですりおろしたニンニクを胡麻油で軽く炒める。

   →塩コショウした豚肩ロースのザク切りを投入、表面に軽く焼きを入れる。

   →肉を一旦取り出して、フライパンは洗わず、玉ねぎの千切り(大量)を投下。
     肉汁の旨みを吸い取って貰う。ニンジン他の野菜も合わせてじっくり弱火で炒める。

   →鍋に水を入れて先の肉・野菜を煮込み開始。→強火で煮込み、灰汁を丁寧に取り除く。
    ここでカクテル等をステアする小さくて柄の長いスプーンがあると便利。
    具材やスープを無駄にする事なく灰汁のみが取り除ける。

   →弱火に落として和風ダシの素を半分と味醂、塩。醤油などで薄めに味付け。

   →ひたすら煮込む。

   →ひたひた
   →ひたひた
   →ひたひた(もういい)

   →「このくらいでカンベンしたるわ」と満足したら、残りのダシの素を投入、
    醤油等で最終的な味付けをする。

   →醤油やダシの風味が飛ぶ前に火を落として出来上がり。

   →食べる。  →「ウマー」or「マズー」

  【round2】

   ウドンを茹でる。

   →昨日の残りの煮込みに投入
   →卵を投下して蓋をする。
   →納得出来るだけ待ったら器によそって食べる。
   →「死ぬほどウマー」or「やっぱりマズー」
   味に責任は取らん。ワシは大満足じゃった。

   次回は是非鴨肉でトライしたいモノだ。

   時間をかけて煮込む場合はニンジンは大きめに切り、角を面取りして煮崩れを防ごう。
   肉に関しては、生の状態で赤身がちで柔らかい肉は時間を掛けて煮込むと
   硬くなるような気がする。
   脂の多い角煮用であるとか、最初は硬いテールやスジ等をゴリゴリ煮込むと
   凄く柔らかくなって美味しく食べられると思う。
   スジ肉はケラチンも豊富に含んでいるのでお肌もツルツルよん、ウフ(はあと)


  はい体育の日おめでとう。

  まるで体を動かさなくなり、順調に体重と体脂肪のみ取り戻しつつある今日この頃、
  皆様はいかがお過ごしですか?

  さて、この3連休は天気が悪かった事もあり、ひたすら怠惰に過ごした。
  まずはビデオ。
  「ハートブルー」 キアヌ・リーブス、パトリック・スウェイジ、ジェイムズ・キャメロン監督。
            時代を感じさせるストレイトなストーリー展開とファッション(髪型も)
            素直に楽しめる。 エンディングでRATTの曲(恐らくアルバム未収録)が聴ける。

  「リバース・エッジ」 キアヌ・リーブス、デニス・ホッパー、クリスピン・グローバー。
              何だか凄く出来の悪い「ミスティック・リバー」って感じのヘンな映画。
              出だしは「ツインピークス」かと思った。
              恐らく真面目な映画なのだろうけど、ひたすらクリスピンの怪優ぶりのみが
              印象に残った。

  「ビルとテッドの大冒険」 キアヌ・リーブス   今週は何故かキアヌ作品だ。 理由は無いが、
                 いいなぁ、「マトリクス」や「コンスタンティン」みたいな不機嫌で超クールな彼に
                 シビレてしまった人は、是非この作品を観て、違った意味でシビレて欲しい。
                 続編の「〜地獄旅行」も観たいのだけど、ビデオ屋に置いてない、、、

  「デビルマン」 凄い。噂には聞いていたが、まさかこれほどのモノとは!
           誰か止める人、いなかったのか。

  次に新作映画 「ベルベット・レイン」「エイリアンvsヴァネッサ・パラディ」

  そして料理 久しぶりにカレー、まぁまぁの出来かな。
  そして気を良くして今日はこれから豚のスペアリブの煮込み。
  和風の味付けなんでどうなる事やら。
  自分の料理が美味しく食べれるのって、幸せなメデタイ野郎なんだろな。

  読書は全く進まず、この分ではスレイドの新作を読むのはまだまだ先だなぁ。

  、てなわけで、雑記を書くのが面倒なので怠惰に日記調の現状報告でした。


  ええ、またチマチマと家でご飯を作っとります。 最近のブームは「うどん」

 「家でウドン打ってるんよ」と言うと、大抵の人は冗談と思うみたいなんだけど、本当なんだな。

 【1人前】100gの小麦粉に50mlの水を加えて、ゴリゴリ練るだけ。塩は入れても入れなくても大差無い。
 20〜30分寝かした生地を、打ち粉したまな板で細く切ったら、そのまま鍋で7〜8分も茹でれば出来上がり。
 すっげー簡単なんよ。1kg→100円の小麦粉なんで1食10円、 激安。

 しかし、ここがキモなんだけど、スーパー等で売っている袋売りのウドンなんか食べれなくなる程美味い!
 ゴリゴリ手でこねるからコシが全然違うんよ。ビニール袋に入れて足で踏むと更に良い。

 仕事を終えて、家に帰ってからウドンを打って夕食にする男も珍しいかもしれんが。
 気合入れれば、「粉」から「いただきます」まで1時間くらいでカタがつきまっせ。

 更に今日はウドンの具として、炊飯器に濡れ手ぬぐいを敷いて、生卵を入れて40分間程「保温」した。
 さて、殻を割ってみると、、、温泉タマゴの出来上がりじゃ。 ぐひひひひひひ♪
 (保温時間は、30分〜1時間の間で、割と適当で良いみたいな気がする。)

 料理って楽しい。 試してみては如何だろう?


  <援助交際の時代>

  3万円出して女子高生の体を買うのも、10万出して、ヨン様の出席プレミアム試写会の券を買うのも、
 意識の点では全く変わらない。

 一方的に好きであるってだけの人間の時間をお金で買う。 寂しいのう

 

 ところで、「四月の雪」の予告編でペ・ヨンジュンを観て、
 「なんか大きくなった『ハリー・ポッター』みてぇだな」なんて
 思ってしまう私です。

  今週から短編「我輩はペンギンである」をUPしますでね〜


 人様に施しをする程、余裕は無いのだが、さりとて世界で一番貧しい訳でもなんでもない。

 一週間ヘトヘトに働いて休日に出かけているのに、駅前で得体の知れぬ者に募金箱を突き出されると
 正直に言って、せっかくの楽しい気分が削がれる。
 「本当にその箱の中のお金が○○被災地の義援金になってるのか」と疑ってしまいさえする。

 ホワイトバンド。 「チャラチャラしてる」と言ってしまう事も出来るだろう。
 しかし、普段チャリティ等にまるで無縁であろう若者達が喜んでこのブレスを買っている。
 タワーレコードでは一時は予約して買う程だった。

 凄いセレブ達が、その「有名である」という事を有効に使った美しいバカ騒ぎだと思う。
 非常に賢い。

 偽善?  いいじゃないか、私の偽善が誰かの為のパンになるのなら。

                                 (7/24記)


  覚え書き

 さて、貴方は【カフェオレ】と【カフェラテ】、そして【コーヒー】と【エスプレッソ】の違いを
 ハッキリと説明できるだろうか。
 私は、人に訊かれて答えられなかった。 くやしぃ〜

 

 はい、回答だす。

 【カフェオレ】はフランス語。 コーヒーとミルクという事で、

 「濃い目に淹れたコーヒーとほぼ等量の温めたミルクを、同時にボウルに注いだもの」

 

 【カフェラッテ】は、イタリア語。 「エスプレッソに泡立てたミルク(スチームド・ミルク)を加えたもの。」

 

 コーヒーとエスプレッソは似て非なる飲み物であるから、カフェラテとカフェオレも親戚筋にあたる
 別物と考えるべきだろう。

 さて、エスプレッソとは普通のコーヒーよりも深く煎って、細かく挽いた豆を使い、
 専用の器具で圧力をかけ(9気圧だと!)て短時間で抽出した飲み物だそうな。

 味は当然エスプレッソの方がストロングだが、豆を深煎りする工程で揮発するのと、
 短時間での抽出ではお湯に溶け出しにくい理由により、カフェイン量は通常のコーヒーより少ないそうだ。

 結局のところ、エスプレッソ=濃いコーヒーでは無く、成分自体も異なるようだ。
 エスプレッソは雑味やカフェイン・酸味が少なく、苦味・旨味が強い。
 コーヒーは酸味・カフェインが強く、苦味はそれほど強くない。

 だからエスプレッソをお湯で薄めてもコーヒーにはならない!

 

   ああ、薀蓄ウンチク(付け刃の、)

 しか〜し、エスプレッソとコーヒーの違いは一口で判るが、
 (例えば街の喫茶店で出された)カフェオレとカフェラッテを飲み較べて判る自信はイマイチないかも、、、

 

  役にたたぬ。


 <笛吹けど、【回答編】>

 はい、ご協力有難うございました。
 これ、ごく簡単な心理テストなんだそうで、 最初に思い浮かんだ四字熟語はその人の人生観を表し、
 2番目のものは恋愛観にあたるそうな。

 =======================================================================

 さて投稿者【き】さん、

 ・「3歩進んで2歩下がる」  アナタは人生について、いつの間にか気が付けば、必ず巡り来る春の陽の様に
 捉えています。 ゆるやかな楽観主義者ですね。
 木の葉の落ちる冬なんて、気付かなければ訪れもしないってもんです。

 ・恋愛については、「前後左右」どっからでもかかって来なさい!といった自信に満ちています。
 前後左右に異性をはべらせて(後略)

 =======================================================================

  続いて【J】さん、

  ・イザとなると周りの事などに捉われず、自身の幸せに向かって邁進するタイプ。不遜と呼ばれても大丈夫、
  最後に笑ったモノの勝ちなのです。人の顔色など窺っている場合じゃありません。

  ・、、、なんて態度でみごと勝ち組のアナタ、素敵な旦那さんや子供達や柴犬に囲まれての幸せな日々、
  妬む人達に囲まれて「四面楚歌」にならぬように、お気をつけあそばせ。

 =======================================================================

  【倉林】さん、

  ・バレないだろうと画策してズルをしてもいつかしっぺ返しを喰らうだろう、と自分を戒め、
  コツコツとまっすぐな道を行く正直者。 また、人智を超えた大きな力を信じている姿勢が窺われます。

  ・冬には一寸の虫であった恋心が夏には五分のキノコとなって大きく(小さくなっとるがな)花開きます。
  たまたまヤガの幼虫に宿った子嚢菌であれば、煎じて薬にもなります。
  この薬を、恋に恋するニーソックスの女の子に口移しで与えると、あら大変、アナタは警察送りか
  一生その女の子に付きまとわれるかのどちらかです。

 =======================================================================

  【きみ】さん、

  ・五里霧中、前も後ろも判らぬ宇宙を彷徨い歩いてます。でもそれは何をやっても自由という事。
   暗闇の中を突き進み、何かにブチ当たった時、良い意味でも悪い意味でもそれが突破口となるハズ。
   沢山のモノに行き当たるチャンスどすえ。

  ・その様にめくら滅法バタバタして、恋の「ワザ」も磨かれていきます。
   いやいや、自分の感情をコントロールするのも、解放するのもそれぞれに「テクニック」だわよん。

  ======================================================================

   【名も無き】さん、

  ・同じところに止まるを潔しとせず、絶えず新天地をめざすフロンティアです。
   未だ見ぬ大陸を求めて彷徨う永遠の旅人なのでしょうか。

  ・その様に一点に縛られるのを良しとしない気性が、即時解約となって、あなたの後に残された轍には
   打ち捨てられた恋人達の死屍累々が連なります。 罪なお方じゃ。

  ======================================================================

  って、「新宿の母」状態になってしもた。

  では、私はと言うと、、、@「白河夜船」 A「隔靴掻痒」

  人生は眠っているうちにその盛りをやり過ごし、恋愛は靴の上から痒いところを掻く様に思うように行かない。

 

  友人の中には「@四字熟語 A麻婆豆腐」という者も、、、
  たった四文字で集約される人生で麻婆豆腐が一生の伴侶、、、

 

  さて、みなさんは当たっていただろうか?


 <笛吹けど踊らず>

 読者参加型企画って、ウチのサイトの場合毎回見事にコケるんだけど(読者が少ないんだから仕方ない)
 性懲りもなくやってみよう。

 【Q1】 今、パッと心に浮かんだ四字熟語を教えて下さい。

 

 【Q2】、、、なるほど「○○○○」ね。 では次にもう一度、今度は別の四字熟語を教えてください。

 

 出来れば掲示板にでも書き込んでくれると嬉しいです。(匿名も可)

 

     回答編は2〜3日後にでも   (6/14記)


 <”音漏れ”以前に、の巻>

  ふと気付いたのだが電車の中などで、ヘッドフォンを掛けた人がまた増えた様だ。
 言わずもがな、例のデジタル・オーディオ・プレイヤーってヤツで、休みの日にでも大型電気屋など
 に行くと、そのコーナーは大変な賑わいである。

 さて、今を遡ること20年、子供だった私には「外に音楽を持って行ける」ヘッドフォン・プレイヤーは
 まさに奇蹟の箱であった。

 当時流行っていたLAメタル(死語)をガンガンにフルヴォリュームで鳴らしまくって、挙句の果てにはちょっと
 難聴気味にさえなってしまった。
 私がテープを止めずにヘッドフォンを外すと、人は「それ、ヘッドフォンじゃなくて『スピーカー』じゃん?」等と
 言ったものだ。

 しかし、就職していつでもスピーカーの大きな音で音楽が聴けるようになると(変な会社だ)、
 途端にヘッドフォンの音が嫌いになった。
 「オレは音楽が好きだから、外では聴かねェ」等とうそぶいていたものだ。

 だが電車の中でi-podなんかをいじってるヤツ等を見てるとちょっと羨ましくなってきたのも事実だ。

 

  さて、そんなジワリとした熾火を抱えて、いつもの様に映画館へ出かけた。
 シブヤ・シネマ・ソサエティ、と言う劇場で「ブルー・レクイエム」を見ようと思ったのだが、
 なんと初日プレゼントという事で、各上映回ごとに1名、MP3プレイヤーが当たると言う。

 あう、、、欲しい、、、  正直に言おう。欲しかった。

 入場の時に貰った番号「59」を握り締め、これから観る映画よりも
 「MP3当たんねぇかなァ〜」なんて事を思ってたりした。

 まぁ映画自体はかなり面白く、そんな邪念を忘れさせてくれたが、さあ映画が終わって抽選会だ。
 私はこっそり客席を見渡した。    

  ・・・・15人。  見た映画が「キングダム・オブ・ヘブン」や「真下正義」でなくて良かったゼ。

 ワシは天に祈った。 1/15の確立だ。(その時耳元で聞こえた『でも14人はハズレるんだぜ〜』と言う囁きは
 握りつぶした。)

 そう、たかが1/15だ。CRエヴァンゲリオンなんて1/500の確立でも当ててるじゃないか!
 (その時耳元で『でもそのアタリを引くのに幾ら費やして・・・』と言う囁きも封殺した。)

 神よ、仏よ、ヒョウタンツギよ、ベルゼバブよ、水野晴郎よ! オレに当ててくれ〜!!!

  「59番です」

  「ウソ!」 当たった。

 映画館の支配人らしき人の手にキスでもしかねない程にペコペコと頭を下げ、
 大して今日必要って訳でもない「トラブルinベガス」の前売り券を買い、愛想を振りまいて
 逃げるように帰った。
 「間違いでした。」なんて言われても返さんもんね〜。

 

 嬉しい。 マジで嬉しい。

 しかし、やはり電車に乗る時に困ってしまう。
 他人様にシャカシャカ音で迷惑を掛けたくはないので、ヴォリュームはかなり抑えている(つもりだ)。

 問題はそんな次元では無い。

 歌ってしまうのだ。

                       (5/17記) 


 <ひとでなし日記3>

  久しぶりに試写会で映画を見た。 確かに映画料金(2人分3600円)が無料なのは凄い事だ。
 でも、特に他人よりも先に見る事に意義を感じない私としては、お金を払って映画館で観る方が
 「本当に」楽しめる事は間違いない。

 今回はお客さんたちは非常に良かった。映画が好きな人が集まった、という感じだった。
 しかし残念な事に主催者側が阿呆だった。(詳しくは省略)
 ま、実際にはこの試写会で観た「キングダム・オブ・ヘブン」の前売り券は既に入手済みなので、
 もう一回落ち着いて劇場で観るからイイのだけど。

 タダで見せて戴いた上に、お土産に「マイノリティ・リポート」のDVDまで貰っといて文句を言うのは
 人の道に外れる行為かもしれんが。


  <ひとでなし日記2>

  「海を飛ぶ夢」と言う、尊厳死についての非常に深刻な映画を観た。
 まぁ当然色々と考えさせられたわけだが、先日の小さな事件の事を思い出した。

  朝の通勤ラッシュ時の電車内の事だ。
 押すな押さないの寿司詰め状態の中で、通路にペッタリと座りこんでるバカ女がいた。
 ムカついて、カバンでも顔にぶつけてやろうかと思ったんだが、余りに様子がおかしい。
 なんか高そうなピンクの服も(当然)ドロドロで、、、

 少し車内が空いた所で、「大丈夫なの?調子でも悪い?」と聞いたら、
 「これからアタシは死にに行くからイイの」等とホザきやがった。

 改めてムカつき、「そうか、俺はこれから仕事に行くぞ」と答えた。
 フラフラと次の駅でその女は降りていったが、こんな事を平気でアカの他人に言えるくらいの
 ヤツは本当には死にゃあしねえ。 甘えやがってバカヤローが。


  <ひとでなし日記>

  昨日、夜の11時まで猛烈な残業をこなし、いい塩梅にズタボロ状態での帰宅途中の事だ。
 目の前で、自転車に乗った酔っ払いのオバサンが歩道に積んであった段ボールに激突。
 転倒したところを(お互いにとって運悪く)走ってきた車と接触。

 弾き飛ばされたオバサンは道路にノビてしまった。

 私より近くで見てた他のオジサンが(嬉しそうに)「目撃者」となってくれたので、
 私はどうしたかというと、、、「観察者」になっていた。(野次馬とも言う。)

 まぁ、後からやってくる車にオバサンが轢かれない様に車道で手を振って誘導したり、
 なかなか来ない救急車の為に電話で詳しい現場案内もしてたんだけどね。

 でも結局、本当は何をしてたかと言うと、「車に轢かれた人間の観察」だったわけで、、、
 気絶してイビキをかきながらも頭から出血したり、失禁してる人間の様子をつぶさに見ていた。

 以前、2人の酔っ払いに向かって意識的にハネて行った事故(殺人未遂?)の時も思ったが、
 人間って、「物体」なのだな。 エンピツやボーリングのピンと何も変わらないのだと痛感。

 
  一夜明けて、今朝またその現場を通りかかった。
 現場検証の白墨の跡もドス黒い血溜まりもそのままだった。

 ハネられたオバサン、運悪くハネてしまった若者3人組、彼らの不幸を思う気持ちとは
 全く別の何物かが自分の中にある事を改めて自覚するのはちょっと厳しい。

                                   (4/9記)


 <酔っ払ってんじゃねぇ、の巻>

  TVや映画の「虚構」と私達の生きる「現実」の喰いあいが、どうも危うい。

 最近TVで「超能力FBI捜査官なんたら〜」って感じの番組あって思ったのだが、
 あれ、現象としてはちょっと危険な感じがあるんだな。

 例えば行方不明になった子供の親は本当に藁をもすがる思いでTVに出てるのだろうけど、
 番組の作り手がどんなに真剣を装ったとしても、完全に1つの「エンターテインメント」になっているよね。

 99.9%の視聴者も番組を見終って、「あー、凄いね、面白かったね」と思うわけだ。

 

  古い考え方である事は百も承知だが、TVや映画はあくまで「虚構の世界」である事をちゃんと
 意志表明しなくてはならない。
 その境が、「面白ければなんでもいい」と言う堕落によって崩され、
 子供(やバカ)がTVや映画で見た安直な解決法=暴力・自己破壊という手段に走ってしまう。

 何故「虚構の世界」が必要か、と言えば、現実社会での鬱屈の発散を代理・昇華する為である
 事は自明だ。
 だから映画のヴァイオレンスもホラーも必要なのだ。
 カタルシスという言葉を理解すべし。

 しかし、虚構を生み出す力を(あらゆる分野の)作家が失い、現実が「伝統に培われた常識」
 (それはとりもなおさず「教育」によるモノである)を失い、
 両者の境界線が見えにくくなって来ている。

 これから一番必要とされるのは、夢(虚構)を夢として一歩距離をおいて憧れる態度ではないだろうか。

 夢は自身の心の中の”よすが”として保つべき物ではあるが、
 夢に心を侵食されてはいけないと思うのだ。
                               (2/15記)


 【Q,】さて、どっちでしょう?

  1. ああ、やっと去年貰って、部屋の壁として積み上げてたのを食べきったのに、また今年も
    山の様に戴いてしまったよ、、、仕事帰りはリヤカー引いたさ!ポストも重みで落ちたさ!

  2. んー、、、もうオトナだからさ、コンビニででも好きなだけ食べたいチョコくらい買えるんだモンねっ!

 

 【Ans,】どっちでもいい。(どーでもいい)

  ええ、実際にチョコを戴いたり、メールでメッセージを戴いたり、
 こんな私の事を気にかけて戴いて感謝してます。

 と言うか、いつもみんな本当にありがとう。
                               (2/14記)

 全く関係ないが、映画「アレキサンダー」に感動して、音楽ファイルIRON MAIDENの「Alexander the great」をUP
 凄いぜ!
「♪古代ギリシャ、マケドニアと呼ばれた地にフィリップの息子としてアレキサンダーが生まれた〜
 彼は17歳でマケドニアの王になった〜彼はバビロンの狂騒の最中で死んだ〜♪」

 どんな歌詞だよ! 古代史年表じゃねえかよ!


  今日、大変に素晴らしい映画に出逢えた。
 その美しさと幸福に包まれてエンドクレジットの余韻を楽しんでいた

 と、突然なにやら歌手が画面に映し出され、ボソボソと喋りだした。
 あまりの情けなさに途方に暮れて席を立ってしまった。

 あのCMキャンペーンで「ケ●ストリー」を嫌いにならずに済む人がいるんだろうか。

 気の毒に、 彼らも好きでやった仕事では無いと思うのだが。

 

  映画館を出る時に係員に「これは殆ど『犯罪』に近いです。」と意見してしまった。
 もちろん劇場の人だって好きで流しているハズは(絶対に)無いのだけど、
 言うべき事は言わなきゃな。

 沖縄サミットのテーマソング(なんだよソレ)を安室ちゃんが歌ったり、フランスのサーカス「サルティンバンコ」
 のイメージキャラクターがモーニング娘。だったり、   関係無いじゃん。
 変だと思わない?  ん?思わない、  あ、そう。


  <2004年ベスト>

 去年はロクに本も読まなかったし、ライヴも殆ど行かなかった。
 CDも余り買わなかったなぁ。
 ま、そんな中で良かったのは、

 【音楽】

 ●ニール・モーズ / 「ONE」  
                   相変わらずの美しいメロディ+凝ったアレンジの大作

 ●アンティ・ディプレッシヴ・デリバリー / 「Feel.Melt.Release.Escape」
                   長いバンド名だの! 内容は非常にクセは強くて一般向けでは無いが
                   高いクオリティを持ったプログレの新星。

 ●スティーヴ・ヴァイ / 「live at the ASTORIA LONDON」 (DVD)
                   輸入盤DVDだが、まあ凄いわ!彼はヘヴィ・メタルの手法でパット・メセニーの
                   音世界へアプローチしようとしてるのかもしれない。

 ●平井堅 / 「SENTIMENTALovers」
                   いいですよ。とても素朴なメロディが新鮮。

 【映画】

 メチャメチャに観まくった一年だったけど、一本を挙げるのに躊躇は無い。

 ●ティム・バートン / 「ビッグ・フィッシュ」

 そして「裏」ベストは

 ●メル・ギブソン / 「パッション」

 この2本に関してはコメントすらしたくない。

 では単純に今年一番面白かった映画は?と聞かれればこれもまた躊躇なく

 ●「オールド・ボーイ」 だ。 観てくれ、いや、観ろ!(命令形)

 元旦にコメディ、「ミッション・クレオパトラ」で幕を上げ、
 大晦日の「スーパーサイズ・ミー」で幕を引いた2004年。
 2005年はやはり元旦にコメディ「カンフー・ハッスル」で始まった。
 今年も私に人生を教えて下さい。


  <2004〜2005>

 大晦日から元旦に掛けてはかなり多忙だった。

 まず大雪の中、渋谷で映画「スーパーサイズ・ミー」を観て、
 夕方から横浜へ行き、カウントダウン・イベントでバーテンダーをやった。
 私はお酒が一滴も飲めないというのに!
 いわゆるクラブ・イベントってやつで、私は晴れてクラブデビューとなった。

 ええ、休憩時間は踊ってたっての! 私がダンスなんて殆ど噴飯物であるが、
 それでもヤミクモに手脚をバタバタしていた。
 恐らく格好悪かっただろうが大丈夫、誰も観ちゃいやしねェから。

 朝の8時まで完徹して、いつの間にか2005年を迎え、
 帰りの池袋で映画「カンフーハッスル」を観た。

 そしてマクドナルドでビッグマックを食す。残念ながらスーパーサイズは無かった様だ。

 自宅に帰り、今こうやってHPを更新し、この後DVDを観る。

 ・・・つか、活動しすぎだっての。
 「一年の計は元旦にあり」

 忙しくて楽しい一年になると良いなぁ。

 ともあれ、新年明けましておめでとうございます。    (1/1記)


  さて、もう何時間かで新年を迎える。

 2004年という年は私にとって激動の年であった。
 決して今までの人生を疎かにしてきたわけではないが、
 「まぁ、こんなモンかな?」という部分は確実にあった。

 新しく未知の領域に踏み出してみて、改めて自分の強さも弱さも知った。
 この事はかなりの収穫といえる。

 人生を交響曲に例えるなら、夜明けを告げる第一楽章は遥か遠く、
 安定の第二楽章アダージョを終えた辺りだろうか。
 これから更に激動の第三楽章スケルツォが来るのかもしれないが、
 取り敢えず今は幕間である。

 フィナーレがベートーヴェンの「第九」や、「運命」みたいなのは願い下げだ。
 できればチャイコフスキィの「悲愴」やマーラーのno.9みたいに静かに退場したいものだ。

 マーラーのno.5やショスタコーヴィチのno.5みたいに狂騒の最中の断章、というのもオツかもしれん。

 

 って、実際はブルックナーのno.9みたいに、第三楽章の嘆きに満ちたアダージョのまま
 消えて行ったりして、、、 
 ま、それはそれで孤高かもしれないけどね。  (12/31記)

  (余り人に読んで戴く事を考慮せず書いてしまった。 あいすいませぬ)


  <神が我々を創りたもうた、神こそは創造主である。>

  イオンの渦巻く原始の海、コアセルベートのスープの中から
 何千年もの時間を掛けて、生命の樹が立ち上がった事は
 偶然に継ぐ偶然の賜物であり、「誰かの意思が働いた」とは思いにくい。

 神が言葉の通り万能であるのなら、7日間でこの世は完成したのだろうが。

 我々は勝手に生まれ、殖え、世に蔓延った。
 そして、ある程度成熟した人間は「自らの為に」、【神】と言う概念を発明した。

 この【神】を受け入れる事で、人は新しい次元の自分へと生まれ変わる。
 (re-birth、と言う言葉はあるのかな?)

 その瞬間、この世界が神の手によって生み出された事を実感する。

 山の轟きを、降り注ぐ陽の慈しみを、風の囁きを、星々の慰めを、
 大気に満ちる精霊たちのダンスを、私は感じる。 あなたもおそらく、

 

  誕生日は、生命を与えてくれた両親に感謝する為の日だ。
 今まで育ててくれた親を、そして自分自身を誇りに思えば良い。

  クリスマスは、この世を創りたもうた神に感謝し、
 この世界を私たちの手で抱きしめる日だ。

 エルサレムのカリスマ乞食の存在は確かに大きく、見逃せないが、
 別段、そんなものに縛られる必要もないと思う。

 「誕生日なのに、、、」「クリスマスなのに、、、」なんて本当にくだらない事を
 言ってる人は、恐らく目の先10センチの世界観でグルグル回り続けているのだろう。

 誕生日もクリスマスも、自らの笑顔をプレゼントする日だと思うのである。

   Merry Christmas、そして良い新年を!

                             (12/25記)


  < not for SALE の巻 >

  街を歩くと、実にたくさんの物を手渡される。
 ティッシュ・情報誌・チラシ・飴・風船・など等......

 しかしどれ1つとして、本当に無料のモノなど無い。

 かつて田舎から出てきたばかりの友人は、街角で配っていたマク●ナルドの
 「割引クーポン」をお店で使えなかった。

 「普通でもこんなに安いのに、ここから更に料金をマケてもらうのが、何だか悪い気がする。」

 彼のこの気持ちは大変に美しい。
 しかし、その時すでに都市生活者として普通に汚れてしまっていた私は、
 彼のその姿を笑ってしまった。 恐らくは侮蔑の感情も少なからずこめて。

 例えば携帯ショップなどで、「1円の、無いの?」等と平気で訊く人がいるらしい。
 あんな精巧な電子機器を作って売るのに、原価がどのくらい掛かるか
 (本当の意味で)判ってない馬鹿者のセリフである。

 無料のモノは人を愚かにする。

 

  ある日、よく行く古本屋の前で、自らを「詩人」だと名乗る男が声をかけて来た。

 彼は自分の作品だ、と一冊の本を見せ、思わず立ち止まってしまった私に、
 その中の一編を読ませた。
 そして、その本にサインをして贈呈する、と言う。

 この詩集を「本」と言う形にするのに、幾ら掛かったのだろう。
 素直に貰ってあげた方が彼は満足したのかもしれない。  しかし、

 「こんな一生懸命作った物をタダであげちゃ駄目ですよ」

 そう言って逃げるようにその場を去った。

 彼が詩人を名乗るのであれば、私のこの仄かな哀しみも判って欲しい、
 そう願った。

 

  しかし翌日も彼はそこにいて私にこう言った。

 「今日はCDも持ってきてますからっ」

                         (12/10記)


  かなり久しぶりにライヴに行ってきた。

 「トロイ・ドノックリー&デイヴ・ベインブリッジ」と言う2人組だが、
 恐らくご存知ないだろう。

 3年程前にIONA(アイオナ)と言うバンドが来日公演を行った。大変に素晴らしいライヴで、
 私の音楽観が根底から揺さぶられる程に感動したものだ。

 小難しいコトを四の五の言っても、最終的に音楽は「楽しいモノ」、
 改めてそう判らせてくれた貴重な音楽体験だった。
 そのアイオナの主要メンバー2人が今回のトロイ&デイヴだ。 期待もひとしお。

 まぁ、たった2人でのライヴなので、ドラムとベースが機械による打ち込みだった事、
 アイオナの大きな魅力の1つであるジョアンヌ・ホッグの美麗な歌声が聴けなかった事は
 仕方が無いけれども、やはり残念だった。

 とは言え、アイリッシュ・フォーク/ケルト音楽と、現代ロック/最新の音楽テクニックを
 高次元で融合させた唯一無比なスタイルである彼らの音楽に心の底から感動した。

 先に「打ち込み」と書いたが、その(いわば)カラオケを使用せず、2人の生ギターだけによる
 デュオ演奏も大変に素晴らしかった。
 そして、ホイッスルやパイプとギターの高速ユニゾン等、超絶技巧も随所に炸裂したのだが、
 聴く方の私達は、

  「ただただ、楽しかった。」

 ここがキモである。

 物凄い苦心の末に本当の意味でのオリジナルな音楽を作り上げ、
 膨大な最新テクノロジーの機材を使いこなし、
 長い年月をかけて磨き上げた最高の演奏技術を存分に駆使して、

 「でも、そんな事が大事じゃないんだ。 楽しもうよ!」

 と笑いかけてくれる。

 

  音楽に対して、膨大なお金と時間を費やしてきた。
 でも、そのおかげで今では本当に美味しいモノが判る。

 願わくば、この先もこの様な幸せな体験がありますように。

                                     (12/7記)


 <「せき」減量、の巻>

 ええ、お久しぶり。 たまには雑記も更新しなきゃね。

 最近はどうしてたかと言うと、ギター侍「波多陽区」を池袋で目撃したり、
 訳あって(←ビンボーなだけだが、)自炊したり、
 映画を観たり、、、、変わらんか。

 で、今日の晩御飯に麻婆豆腐を作ったのだが、市販の「マーボーの素」ってのは
 小分けパックでも【3人前】なんだよね。  多いんだわ、一人で食べるには。

 この大量のマーボーをどうしようか、と考えた挙句、ある事を思いついた。

 家にあった讃岐うどん(乾麺)を茹でて、麻婆豆腐を【ダシ汁】の代わりにブッかけて
 食べたのだ。
 こ〜れ〜は〜ハッキリ言って、メチャメチャに美味しい! 是非お試しあれ。
 ウドンは硬めの方が良いかも。

  この様に相変わらずカロリー過多の生活を送っているが
 カロリーといえば、切手は何カロリーかご存知だろうか。

 切手の「ノリ」には実は舐めた時に不快感が無い様、ごく僅かに甘味が付けられている。
 この甘味成分が約2カロリーなんだそうだ。

 だからと言って、郵便局や会社の事務のおネエちゃん(ふくよか系)に、
 「ああ、仕事熱心なんだね」等と、、、(略)

 さて、同じ2カロリーと言えば、風邪をひいた時の咳が一回2カロリーだそうだ。
 1分間に1回の咳が10時間続けば約1200カロリーを消費してしまう。
 「咳」という字のつくりの「亥」は豚の骨格を表し、「せき」をして痩せて骨格が見えてしまう
 事を意味した漢字なんだそうだ。

 ・・・そう、 つまりは風邪をひいた訳で、こじらせてしまってツライ目に遭った。
 気管支炎をひきおこし→気道狭窄で呼吸困難→心理的ストレスもあって過換気の発作→
 自立神経も失調して、毎朝電車で貧血→息も絶え絶えにタクシー出社、、、
 下痢をするわ、気管が切れて血を吐くわで、もうボロボロである。

 いやキツかった。 これじゃ多少食べたって太れないよな。

 2003年12月には67kgあった体重が2ヶ月で10kg落ち、現在は55〜6kgで停滞中。
 外見的には余計な肉が落ちた感じだが、確実に体力も削がれた。

 某女性週刊誌に「杉田かおる、3ヶ月で8kg減!」などと載っていたが、
 私は3週間で6kg痩せたっての。  何故に私に取材に来ない?

 別に望んで痩せた訳でも無いが、確実に言える事がある。
 痩せるのは簡単だ。 食べなきゃ体重は減るんである。
 しかし、健康を保ったまま痩せるのは難しい。

 世の女性たちにはダイエットよりもシェイプアップをおすすめしたい。
 美味しいモノは美味しく食べた方が良い。

                                (11/22記)

  追記:こんな事を公表するくらいだから、もう現在は風邪も治まり元気を取り戻しつつある。
      映画館通いも再開してるしね。


  <芸術は狂気の沙汰?の巻>

  あらゆる物は加速し、過激さを増してゆく。

 かつて音楽は貴族の暇つぶしだった。
 ハイドンなんか聴いていると、正に「典雅な」音楽がユルユルと気持ちをほぐしてくれる。

 例えば4楽章からなる交響曲なんかでも、第2楽章に配置されたアダージョなどは、
 第1楽章を聴いて「ちょっと疲れたから、第3・第4楽章の為に休んでおくか」なんて言う
 ドリンク・タイムだったりしたのだ。

 ハナから自己主張すらしない程度の芸術だったとも言える。

 この貴族のお遊びに庶民の血が混じると、イキナリ「狂気」を孕んでくる。
 モーツァルトが典型的だろう。
 彼の場合は技術としてでは無く、彼自身の狂気が音楽に反映されたと言えるだろうが、
 モーツァルト以降、ベートーヴェンが己の鬱憤をたぎらせて意識的に音楽に封じ込め、
 ブルックナーは何も判らないまま狂人の戯言をつぶやき続け、
 遂にマーラーが「悪意」をも音楽の「1手法」として活用する。

 R&Rに於いても、かつてビートルズを聴いて「不良の音楽だ」と騒がれていた時代に、
 今のアーク・エネミーなんぞを聴かせたら、みんなショック死しただろう。

  文学に於いてもドストエフスキィとジム・トンプソンや馳星周を読み比べると良い。

  さて先日、映画「ソウ」を観た。
 もう最近観た映画の中ではダントツに面白かったのだが、観終わって、
 「これでイイのだろうか?」 と思ってしまった。

 凄く優秀な映画と言えるのだが、こんなシロモノを人様に見せて良いのだろうか?

  私の大好きな映画に「オーケストラの少女」と言う1937年の作品がある。
 この映画、哀しみも喜びも実に美しく描かれ、その真っ直ぐなハッピーエンドでは
 自分の身が洗われる様な涙が流れる、夢の様な映画だ。

 過激な表現などある訳もなく、非常にたおやかな映画だ。
 しかしそれから僅か70年程で、我々は「ソウ」の様な凄まじい刺激でないと
 「オッ?」とは思わなくなってしまった。

  考えてみれば仕方のない事で、スクリーンではなく現実世界で、
 小学生が同級生を刺し殺したり、ビルに旅客機が突っ込んだりしてるのだ。

    私達は麻痺しつつある。

  せめて「毒物」である映画「ソウ」に、それを判らせるだけの意志があると
 信じたい。

  「毒」を「毒」であると判って摂取する分には、その毒は「薬」にもなり得る。
 しかし、無判断で単に外界から入ってくる刺激に酔っていては、
 その毒はきっと私達を侵食し、いつの日か破綻を見る事になりかねない。

  今や、「素である」「意識しない」「素朴である」事は大変に危険なのかもしれない。

                                     (11/2記)


  <炭水化物過多、の巻>

  下で書いた新宿ロフト・プラス・ワンの並びに、立ち食いソバ屋があり、
 店の表に貼り紙で「3色定食」というモノがフューチャーされている。

 そりゃ食べるさ。 安いしね(490円だったかな?)

 うう、しかし、、、、、食べきれぬ、、、

 更にトイレの中にも何故かこんな貼り紙が。 誰がコレを見て「おお、頼むか!」
 って思うというのだ。

 新宿、ちょっとイイかも?


  さる9/11、新宿のロフト・プラス・ワンに「らもはだ最終回」を観に行った。

 先日亡くなった中島らもと、鮫肌文殊によるトークショーだが、
 当然、らも氏はもう出席出来ないので、生前彼と親交の深かった有名人、無名人たちを
 ゲストに招いての座談会みたいなモノとなった。

  何年かにわたって行われてきたこのイベントの様子は「イッツ・オンリー・トークショーvol.1.2」
 の2冊を読む事で窺える。
 私は今まで参加した事が無く、正直に言って彼が亡くなったからこそ今回行ってみようと思った訳だ。

 何か、にわかファン心理っぽくて恥ずかしいのだけど、らも氏の作品は9割がたは読んでるし、
 彼への思いはこのページでも何度となく書いてきたので、まあ許されたい。

  かなり狭い空間に相当の人数が詰めかけたが、普通のライブなどの様にガッと興奮が漲るでもなく、
 かと言ってミョーに神妙な空気が立ち込めるでもなく、不思議な柔らかいテンションの中、トークショーは
 始まった。

 まず、中島らもの元マネージャー大村アトムが司会として挨拶、らも氏の小説「水に似た感情」や
 いろいろなエッセイの中で、彼をモデルとした登場人物が出てくる。

 続いて”チャーハンをオカズにして白飯を食う男”ガンジー石原がへこへこと登場。
 ガットギターを手に、高校生の時に作ったと言うフォークソング(?)を高校生レベルのまま披露。
 人様からお金を取ってはいけない歌だったが、今日は許される。
 少なくとも、私なんかよりもっともっと痛切に中島らもの死を悼んでる彼の歌やヘタなトークをどうして
 笑えよう?

 そして「らもはだ」の「はだ」である鮫島文殊が登場。エレキギターを持った男を1人従えて、
 パンクソングを激唱。
 やんごとなきお方を「な〜にが日本の象徴だ!たまたまそんな家に生まれただけで、働きもせずに
 のうのうと!」と罵倒したり、
 「チンコまんこ音頭」という歌では観客の女の子に、「アンタの股間についてんのは何や!?」
 と言葉責めにして、全員で「チンコまんこチンコまんこ!」と合いの手を強要したりのご乱心。
 その次に登場した松尾貴史(元キッチュ)に、「あの男は死ぬまで、一生肛門期なんやろね」と
 言われていた。

 その松尾貴史は非常に落ち着いた、(テレビで観るいつもの感じ)で、淡々とらも氏とのエピソードを
 語った。 この人は本当に頭が良いし、トークが上手い。素晴らしい。 (左が大村アトム)

 続いて鮫肌文殊、ガンジー石原の2人も呼び戻し4人でフリートーク (右端がガンジー)

     休憩

 この秋公開の中島らも原作の映画「お父さんのバックドロップ」主演の宇梶剛士が挨拶。
 この人、大きいのね。プロレスラー役もうなずける。

 その次に出た女優さん、とても綺麗な方だったが名前は失念。
 中島らもの最初期の純文学作品を朗読。正直に言うと、言葉が彼女の口に馴染んでない部分も
 あり、当然そこは伝わりにくかったりもしたのだが、貴重な体験ではあった。

 さて、プログラムとしては最後にオーケンこと大槻ケンジのライブ。
 筋肉少女帯のデビューの時からのファンだったが、生で見るのは初めてだ。
 彼が歌い始めたその第1声で、ちょっと驚いた。上手いのだ。
 (ひょっとしたら、それまで聞いてきた歌がヒドすぎだったからかもしれないけど)
 職業として、歌ってる人はまず発声から根本的に違うんだね。
 CDとか聞いていて、彼は別に上手いと思った事はないけど、やはり常人とはレベルが
 違うみたいだ。

 そしてシメとして、主催のダ・ヴィンチの編集者の方の挨拶に続いて、ビデオで中島らもの
 弾き語りが映された。「いいんだぜ」という、この歌が流れて、非常にシンプルで乱暴な優しさが
 会場に染み渡った瞬間、それまでのフワフワした空気が哀しみに閉ざされた。

 私たちはかけがえのないものを喪ってしまったのだ。

 本当に大事なもの、それを教えてくれた。 彼にはそんな気は無かっただろうけどね、

 

  行って良かった。

                    (9/23記) 


  つい昨日の事だが、新宿を歩いている所を誰かに肩を叩かれた。

 ん?ナンパか?スカウトか?親父狩りか? (最後が一番ありそう)
 振り返るとそこにはお巡りさんが2人。 薄いブルーのシャツが眩しいゼ。

 「あの〜、チョット職務質問をさせて貰えますか?」

 「え、、、なんスか? 俺、そんなに怪しいっすか」

 「いや、ソレ、何か知りたいんですよ。」   

      ソレとは何か!!?  

 

 あの、、、手袋タイプの財布なんだけど。
 写真の様にスイカも入れて、駅の改札もとても便利なんだけど。
 jean-paul GAULTIERで、2万円もするんだけど。 (安く買ったけど)
 肝心の中身は千円札が一枚しか入ってなくて恥ずかしかったんだけど。

 その後、封筒が一枚しか入ってなかった鞄もすみからすみまで調べられた。

 ま、確かにこのクソ暑い中、長袖のシャツをびっちり着てシルバーミラーの
 サングラスで歩いてたのが怪しかったのかも。

 何かとキナ臭い世情を反映して、警察・公安も努力してるんだなぁ。
 ・・・それにしても、と言うキモチもたしかにあるが。

 

  周りの人と少しでも違うと、目をつけられる。実につまらない。

 とは言っても、平均化されて行くこ世の中にあって、「独り立つ」事は
 非常に不利であり、迎合しないという姿勢は「(大事な)何かを切り捨てる」
 ことを覚悟しないといけない。

 今年の秋口の女の子は、ヒールがぺったんこの茶色のエスキモーブーツ
 みたいな靴を履く。 どうせまた飽きる程街に氾濫するだろう。

 オシャレだとはビタイチ思わねえ。

 これはキツネ  


 <マヨラー再び、の巻>

 連続真夏日40日間、と言う観測史上最高に暑い夏。
 そんな中、努力の甲斐あって体重が少し増えた。

 3食3度ガッチリ食べた上に、糖尿病をも辞さないイキオイで
 アイスを食べ、炭酸飲料を鯨飲している。

 まあ、さすがに、この半年で買った服が着れなくなるのはイヤなので、
 「太り癖」にならないようには気をつけよう。

 痩せすぎるのもイヤだし、太りすぎるのもイヤだ。
 ふふ、愚かよのう・・・。

 

  さて、今日のJ-WAVE(FMラジオ)の特集は「太る食べ物」。
 これがまあ可笑しくて思わず爆笑。  曰く、

 ・ファミレスのドリンクバーで、甘いメロンソーダやオレンジジュース等に
  更に【ガムシロップ】を投下。

 ・皿に盛ったポテトチップスの上にマヨネーズやピザソース・とろけるチーズを
  かけて、オーブンで焼いて食べる。

 ・草加せんべいにバターを塗って食べる。

 ・牛脂とニンニクをワンタンの皮で包んで油で揚げる。

 ・いやいや、そんなの甘い、 牛脂をオブラートでくるんで天麩羅にする。

 ・とにかくゴマ油をぶっ掛ける。 1月1本、ゴマ油の瓶を空ける。

 ・マヨネーズを鉄板でジリジリ焼いて食べる。 etc,etc,,,,,,

 

 いや〜、ツワモノだわみんな。

 豚の生姜焼きの上にマヨネーズをかける所を他人に見られて、
 ビクビクしてるようじゃ、まだダメだなぁ。


  <パソコン頑張るぞ、の巻>

 えーと、かつて「ワシ、何にも出来んがな、、、」と思って
 まるで必要も無いパソコンを買った。
 しかし5〜6年は使ったが、未だに何も出来ない。

 私にとっては、パソコンは「コンピューター」などでは無く、
 只の「インターネットマシーン」だったからだ。

 word?excel? 何それ、美味しぃのぉ? ぐらいのモノである。

 でもいい加減にそんな事も言ってられなくなって来た。
 今日からPC再出発なんである。

 その第一歩は、、、「ローマ字入力」  トホホホホホ、、、、

 「こんにちは」を、「konnitiha」と入力するのはイヤだなァ。
 でも仕方ない、頑張りますよ。 

  今日みたいな、ドつまらん日記を敢えて書くのは、単に
 キー入力の練習の為なんである、
 読まされる方の身にもなってみろって物ではあるけれども。

 あいすいませぬ、、、


  <キンタマ、の巻>

 またエライお題目だな。

 キンタマって、まあ結構愛嬌があって可愛いモンだよね?
 (誰に同意を求めてるかはまあさておき)
 でもそれは「見るシチュエーション」に大きく左右される。

 私は男なので、てめえのキンタマは毎日見るが、他人のモノは
 銭湯以外ではそうそう見ない。
 もちろん銭湯で見るキンタマは「風景」の一部であり、別段なんの感慨も
 起こらない。

 しかし先日、いつもの店でコーヒーを飲んでいたときの事だ。
 サイクリング車に乗った兄ちゃんがガラス越しの目の前で止まった。

 ママチャリとは違って、本格的なサイクリング車ともなると、サドルの位置が非常に高く、
 かつかなりの前傾姿勢となる。 競輪選手を想像して欲しい。
 その兄ちゃんのケツがすぐ目の前に、、、、と!! うげげげげっ!

 かなり短いショートパンツの隙間からキンタマもサオも「全部」御開陳してたのだ。
 これはかなーりキツかった。

 ドーナツなんぞをつまみながら、朝のコーヒーをすすっている目に対して、
 そのキンタマはまさに暴力である。

 私より更に窓に近い所に座っていた女の子も完全にKOされていた。

 最初は絶対にヘンタイだと思ったのだが、そうでもない様で、単に
 「大サービス」をしてしまっている事に気付いてないだけの様だった。

 

  男性のパンツは「トランクス派」「ブリーフ派」と言う2大勢力が主流で
 (少数派には「女物のスキャンティー」「ノーパン」等が、)あるが、
 恐らく大人では圧倒的にトランクスが多いハズだ。
 私もずっと愛用してきた。

 しかし最近、このトランクス、「何故穿くのか」判らなくなった。
 ある時、仕事場でジーパンを履き替えようと脱いだ時、見事にトランクスの端から
 キンタマちゃんがコンニチハしてたのだ。
 この瞬間を向かいのビルのOLさんが見たらやはりショックだったろうと思う。
 (ちなみに絶対見られてはいない)

 そこでトランクスに対して疑問が沸き起こり、家に帰ってからパンツ一丁で跳んだり
 撥ねたりしてみた。 えらいオッサンやな。

 結論は出た。

 実用的な効用としては、残尿が直にズボンに付かない様にする事や
 色んなモノ(?)がジッパーに挟まれないようにする、などが挙げられる。

 がしかし、キンタマは思った以上に勝手気ままである。

 トランクスはキンタマのサポートをする為に穿くのではなく、
 「下着を着けている」と言う気持ちをサポートする為に穿くのである。

 そしてもちろん、実用的なモノに惹かれる私はすぐにパンツを買いに行った。
 ユニクロで3枚1000円

 左上、青 ボクサー・トランクス
 中下、グレー ストレッチ・ボクサーブリーフ
 右上、グレー ショート・ボクサーブリーフ

 お気に入りは、右の短いヤツだが、キンタマも気持ちよさげに収まっている。
 さすがに写真はアップできぬが。
                             (7/30)


  <死ぬことの実感、の巻>

  色んなモノが毀れて行く。

 中島らもが階段から落ちて死んだ。
 さすがにこのニュースには凹んだ。
 あほな死に方や。。。しかし、彼らしいと言えるかもしれん。

 正直に言って、しょーもない本もいっぱいあったが、
 エッセイの何篇かにはボロボロに泣かされたものだ。

 一度だけ、サイン会に参加して握手をして貰った。
 意外に力強いオッサンがサングラス越しにギロリと睨み付けた。

 本当の彼がどんな人だったのか、 そんな事はどうでも良い。

 私にとっては、中島らもと言う存在は「1つの生き方」だった。
 あんな風に生きてみたいな、そう思うこともよくあった。

 あんな風に死にたいとは全く思わないが。

 

  少し前には鷺沢萠も亡くなった。自殺だそうだ。
 実は彼女の小説は読んだこともないが、同い年の有名人が自殺ともなると
 やはり色々と考えてしまう。

 

  先日、旧い友人が訪ねて来てくれた。
 お互いにちょっと痩せてしまっていて、自然に話は身体・健康について
 流れていった。

 実は私は先日、ちょこっと吐血したのだが、彼はピロリ菌による潰瘍で
 大量に血を吐き、失神して病院行きになったと言う。

 思わぬ共通の体験(私のはごく軽症だが)だったが、
 そこから思い至った結論もまた2人とも同じだった。 それはつまり、

 「ああ、オレって死ぬんだ。」

 と言うこと。

 誰もが、いつかは自分も死ぬと頭では判っていても、それはやはり
 どうしても本や映画の出来事の延長線上で想像しているに過ぎないのでは
 ないだろうか。 (少なくとも私はそうだった)

 これが口から血を吐くと、「今」と地続きの、(そう遠くない)未来に自分の肉体が
 毀れていく事が『判る』のだ。

 多分、これもまたテレビや映画の「ゴパァッッッ!」と血を吐いて人が死ぬシーン等が
 刷り込まれただけだとは思うのだけど。

 私はかつて下血した経験もあり、それもまた「死」を身近に感じさせられた。

 下血し、吐血し、もしくは階段から落ちて血だるまになって、いつかは死ぬ。
 それを自らの意思で招いた鷺沢女史は死の間際に何を見出そうとしたのだろうか。

 もし、彼女がそこに「無」しか感じれなかったのなら、「生きる」と言う事は余りに虚しい。

                                       (7/27)


 <冷たくて熱いチョコ、の巻>

 いや毎日暑いっスな。
 ところでジュースの自動販売機で、普通のコーヒーや炭酸飲料などと並んで
 キットカット(チョコレート)が売られているのを知っているだろうか。
 夏の暑い日に冷たいチョコレートは大変に旨いモノだが、値段が180円。

 すぐ目の前のコンビニでは100円で売ってるのに・・・

 私は夏に限らずチョコレートは必ず冷蔵庫に入れて冷やしてから食べる。
 昨日観た映画「ワイルドレンジ」ではケヴィン・コスナーが、ポケットで溶けてしまった
 スイス製の高級チョコを「good is good」なぞとぬかして指を舐めていたが、
 あんなのは野蛮人のする事じゃ。

 でも例外もある。糖衣状のチョコ、つまりはマーブルチョコやm&mは冷やしてはいけない。
 手の温度では溶けないチョコだが、冷蔵庫で冷やした後で高い外気に触れると結露する。
 その水分が表面のキャンディー・コーティングを溶かしてヌルヌルになってしまうのだ。
 手がベタベタして不愉快だぞ。

 それと「チョコ頼んでい〜いィ?」等と言われてブランデーグラスの氷水で冷やされた
 ポッキーにも要注意だ。 後で勘定書きを見たら2000円とか、、、
 「こんなモン払えるか!」とゴネたら、怖いオニーサンの登場だ。

 『3000円ポッキリ!』って言葉に騙されて、ポッキーで腕がポッキリなんである。

                                  (7/22)


  今回はようやくパット・メセニーの「The Awakening」 をアップ。

 もう本当に素晴らしい曲。 メセニーは世界的なトップクラスの技術を持ったギタリストなんだけど、
 この曲ではもう「ギタリスト」なんて言葉ではくくれない。
 明らかに現代をリードする「音楽家」だ。

 全体的にはケルト音楽からの影響が感じられるのだけど、主幹となるメロディの美しさ、優しさに
 心が打たれる。

 2:12辺りからライル・メイズのピアノが顕著になってくる。そして4:14辺りから本格的なソロが
 始まるのだけど、「どうだオレはこんなに上手く弾けるんだぜ〜」的な自己顕示とは全く無縁。
 殆ど音楽にその身を捧げた「祈り」のようなソロだと思う。
 つぶやくように始まる彼の祈りは少しずつ熱を帯び、やがて大きくうねりながら世界を包み込んでいく。
 7:20辺りでクライマックスを迎え、続き7:56くらいからは冒頭のメロディに男声ヴォーカルまで加わり
 高らかに生きる喜びが歌われる。

 この曲は何故フェイドアウトで終わるのか?
 曲が終わるのが私達同様に、演奏者にとっても惜しいのだろう。
 そしてそれは永遠を求める心なのだと思う。

 バッハやベートーヴェンが人類の宝であるのと同じ次元で、パット・メセニーの音楽は
 人間の叡智の一滴として後世に伝えられるべきだと思う。


  <キリストの受難>

  それはあの十字架と、そこに磔にされたあの裸の男に関係あるに違いない。
 男は動くこともできず、その様を彼女は心に描いた。
 手荒く打ち据えられた救世主の手足が木に打ち付けられる場面を見るために、
 群衆が集まった。

  ワイン、悔い改めること、久遠の炎、永遠の断罪などにも関係がある。
 肉を食べ、血を飲むことにも。
 そのため彼女は、そうすべきではないと思う様になったのだ。
 そして、彼女がその白くか細い小さな手でしがみついた、大きな十字架。
 それは硬直し汗ばんだ彼女の指に強く握られて震えた。

  彼女はそれをどこにでもかついで行くようになった。寝る時にさえ離さなかった。
 彼女は何も説明しようとはせず、「私は神と共にいなければならない」とだけ言った。

  私は知っていた。 彼女が跪き、祈る時、最も安んじていたことを。
 時に彼女が涙に濡れた顔を床に近づけると、その優しき胸が凍りつくほど冷たいタイルに
 重くのしかかった。

  彼女の頭の中で鉄槌の音が何度も何度も強く鳴り響いた。 肉と骨を貫き、
 金釘を木に打ち付ける鉄槌の音が、やがて痛みのない恍惚のうずきへと変わった。

  私は時に彼女の泣き声を聞く。 あの泣き声を私は知っているのだ。
 そして彼女の祈りの聖域へと通ずる扉は固く閉ざされている。

  四月のある涼しい日、私は彼女の記憶をのぞいて見た。
 刺で傷ついた彼の壮麗な額から流れる血が見えた。
 「それは両目に流れた」と彼女は書いた。

  棘の冠から幾筋にも流れ落ちる、燃えるような深紅が目をふさぎそうになっても、
 瞬きもせずに神を探し求める、何とも愛に満ちたその目。

  「屈辱的な囚われの身となって喜ぶこと」が服従だと彼女は書いた。

  我々は戦った。 そして私は叫んだ。

  私は知っている。 お前がいつも何を求めているのか。
 それはイエス・キリストとの素晴らしい夢の逢瀬。
 死に物狂いになって、お前は一体何を告げようとしているのだろう?

  私は知っている。 お前が私に寄せる好意を。 いつもお前のことが分かる訳
 ではないが、きっと私はお前の力になってやれる。

  私は知っている。 お前の混乱を。 私たちは皆、時に混乱する。
 お前は処女のように振る舞い、祈るように話しながら、まるで野良犬のように
 愛を交わす。 お前のために、私に何をして欲しい? 私はお前と共に祈ろう。
 お前と共に愛を交わそう。 どちらも私たちは命懸けですることができるのだ。
 私たちは皆、愛を交わすときに祈る。 しかし神は囁きではなく、叫びなのだ。

  ならばその二つを今、共に行おう。 我らの神聖な行いによって、我々は限りなく
 神に近づくことができる。 それこそお前が本当に望むことではないのか?

  マリアに栄光あれ、その美徳を讃え、
  神は汝と共にあらん
  祝福を受くるべく選ばれし女
  その子宮に宿りしイエスにも
  祝福あれ
  聖母マリア、神を授かり給う
  我らの罪に祈りを捧げ
  我らの死す時
  万物も運命を同じくせん

  VAI 「Sex & Religion」より、「the Road to Mt'Calvery」


  < 吾思う、故に吾在り > I think, therefore I am

  逆から読むと「りあれわにえゆ〜」、、、では無く、「思わなければ、吾は無い」。
 これは「目を開けて(認識して)いる時だけ世界は在る」と言う考え方とも繋がる。
 目を閉じている時、何故貴方には世界が在る事を信じられるのか?


  私達の身体は小さな細胞の集まりによって構成されている。
 この細胞には当然寿命があり、絶えず新しい細胞を複製しながら、古い細胞は死んで行く。
 実は3ヶ月くらいで我々の体の細胞は全て入れ替わっているのだそうだ。
 3ヶ月前の自分と今の自分は全く別の物体な訳である。
 頭で理解は出来るが、やはり不思議な気持ちだ。

  さて、その3ヶ月前の「私α」と現在の「私β」を結ぶモノは、言うまでも無く
 「記憶」であり、「想い」であり、「心」だ。
 ではその「心」とは何なのか?

 これはまだ良く判っていないらしい。
 一応仮説としては、「脳のニューロン間で断続的に起こる電気信号」なのだそうだ。
 刹那的に表れては消える信号である。

    なんだそりゃ?

  まあ「信号」→データである以上は、いずれは今のパソコンでCD-R等にファイルを
 焼く様に、人の心(記憶の集積)も吸い出して、他の筐体で再生する事も可能になるのだろう。
 クローン技術の最後のツメであろうが、これ以上は話がSFの分野に行ってしまうので止めておく。

 ちなみに個人的には、「言葉」とは他の人間の記憶や心にアクセスする為の非常に原始的にして
 ほぼ唯一のインターフェイスだと思っている。
 能率は悪いが、それなりに愛着はある。   が、話が横道にそれた。

  ともあれ、医学的には単なる信号として脳内に宿る「心」だが、
 誰かを想って、締め付けられるのは胸ではないか?
 間違いを承知で敢えて断言する。 ハート(心)はハート(心臓)にある。

  もっと小さい所へ行こう。
 素粒子論でいくと、この宇宙の全てを構成する最小単位は「クォーク」である。
 そしてこの「クォーク」は、常に在るわけでは無く、「点滅」しているのだと言う。
 在ったり無かったりする訳だ。
 つまりこの世界もまた、絶えず刹那的に現れては消えているのだ。

  中島らもは言う、
 「僕たちは居るよ。僕は君を愛している。愛する相手が居て、愛する僕の心が有る。
  素粒子がどうだか知らないけれど、僕たちは居る。これは間違いない。」
 (書き換えアリ)

  心の居場所にしても、この世界の存在にしても、ここまで行くともう、「思い込み」だ。

 しかし、人類の大いなる思い込みが産み出した「神」の存在を、
 今吸い込んだ空気と同じレベルで感じる私にとっては、この思い込みは真実である。

  私はこのクソったれな世界を、醜く愚かな自分自身を、それでも愛している。
 だから点滅するこの宇宙も確かに存在する。
 目をつぶっても、私が死んでも、この世界は続いて行く。

 愛した人たちと共に、

 

  あなたが自分自身を愛し、この世界を愛するのであれば、ひょっとすると
 この世界があなたと私の約束の地となり、私達は同じ世界の住民となれるのかもしれない。

 いや、板橋区民として、とか言う話じゃなくて

                              (4/16記)


  「解夏」と言う映画を観た。 「げげ」と読む。

 物凄く簡単に説明すると、禅宗の僧が修行に入る日を「結夏」(けつげ)と言い、
 その行が明ける日を「解夏」と言うのだそうだ。

 映画では主人公が、いつ失明するか判らないと言う奇病に冒される。
 今日、目が見えなくなるかもしれない。 一年後かもしれない。
 ただ判っているのは、いつかは必ず失明すると言う事だけ。

 非常に苦しく、怖いだろう。 毎日が苦行である。
 しかしいつの日か失明した瞬間、光は喪うが、恐怖や悩みは消える。

 その日が「行の明け」なのだ。


  私達は死に怯えながら生きている。 毎日が修行だ。
 しかし悩もうとも、苦しもうとも、いつか必ず終の刻は来る。

 「解夏」の瞬間を安んじて受け入れたいものだ。

            (4/10記)  


  「ONE TAKE ONLY」と言う映画を観た。
 タイの映画なのだが、内容は、、、ゴメンナサイって感じ。

 しかし、公開記念か何かのキャンペーンで、タイフードの詰め合わせを貰った。
 左上から
 トムカーガイ(鶏肉をココナツミルクで煮込んだスープ)のレトルト。
 トムヤムクン(世界3大スープの一つだと言うが、あと2つは何だろう?)のレトルト。
 海老は自分で用意して煮込めと書いてある。メンドーだがたまにはやってみるか。
 スイートチリソース。鶏の唐揚げ用の甘酸っぱいタレだそうだ。
 タイスキのたれ。 タイ式しゃぶしゃぶのタレだと。 ウチでしゃぶしゃぶはキツイなぁ。
 タイカレーのレトルト。 バイマックルート(こぶみかんの葉)とプリッキーヌ(緑唐辛子)が
 入っているのだが、刺激が強いので取り除いてから喰えと書いてある。 なんだか凄いな。

 以前、渋谷のタイ料理の店に行って、余りの辛さに閉口した思い出もあるが、
 ちょっと楽しみ。

 んー、、、映画よりもオマケの方が良いぞ?


  ずっと使っていたパナソニック製のPHSがブッ壊れてしまったので、
 機種変更をした。
 しかし、何だか世の趨勢はすっかり携帯の様で、PHSなんて殆ど見当たらない。

 私は初めて持ったセルラーフォンがアステルのPHSで、次に携帯(J-フォン)に持ち替えた時に、
 その音質の悪さに呆れたモノだ。

 正直に言って、高い通話料で悪い音質の携帯をみんなが持つのが不思議でならない。
 ま、好き好きだから別にどうでも良いのだけど。

 で、ほぼ2機種のうち、どちらかしかないと言う狭い選択で、日本無線の端末を買った。
 唯一、直接インターネットに繋がるPHS端末なのだ。

 しかし、、、使いにくい。 慣れれば何とかなるとは思うのだけど、
 今まで使ってきたパナソニックは良くユーザーの事を判っていたなぁ、と感心。
 そしてデカイ。 格好悪い。 いいトコなしである。

 せっかく買ったのにまるで愛着が湧かないので、ちょっと手を掛けてみた。

 新品→シルバー 術後→木目調  

 でも、、、なんて不器用なんだ、、、、自己嫌悪に陥ってしまった。
 この写真では良く判らないと思うけど、実物の出来はちょっと凹んでしまう程。


  ま、しばらくは使ってみるか、いっそ電話自体を廃業しようかとも思ったんだけど。
 あ、ちなみに前の端末の死亡により電話帳が全滅。 どうせ誰にも掛けないからいいか。

 【追加】 あんまりな出来だったので、再度挑戦。 少しマシになった。 → 現在


  いかりや長介さんが亡くなった。
 それ程TVを観なかったとは言え、やはり子供の時分「8時だよ!全員集合」なんかで
 慣れ親しんだ方の死去は胸に響く。

 事故や病気で若くして亡くなる方も多いが、まあ大体「年の順」に寿命が尽きる事を考えると、
 今回のいかりや氏の事は単に1人の死に止まらない。

 子供の頃は、亡くなる方にさほどの思い入れがなかったので、
 「死ぬ」と言う事は別の世界の事だった。
 多分、これから好きな人が次々に逝くのだろう。
 北杜夫が、野坂昭如が、筒井康隆が、タモリが、久米宏が、そして父が、母が、 大切な人たちが。

 その道筋の先に自分自身の死を想像出来る象徴的なニュースだった。

 そして訃報を聞くたびに少しずつ、死を畏れる心が摩滅して行く。
 多分、そうでもなければ狂ってしまうのだろう。


 おつかれさまでした。 またいずれお逢いしましょう。

                            (3/21記)


  < オラにはファッションなんて判らねだ、〜オバサンのようなオトコ〜 >

  3月も中旬に差し掛かり、ぐっと暖かくなってきましたね。
 コート1枚分軽くなった身体と心で、春の柔らかい日差しの中を散歩に出かけたいものです。

 

   、、、なんてサワヤカなサイトじゃねーんだよ。 

  ところで、今年はスプリングコートが流行りのようだ。 
 冬物の厚ぼったいコートと気分も変える為に、色も白やパステルカラー等が定番だ。

 しかし今季は余りにもピンクが流行りすぎ。
 休日の渋谷ともなれば、道を歩いていると前に3人、後ろに2人くらいのイキオイで
 同じ様なトレンチ型のピンクのコートの色彩が目に突き刺さってくる。

 多分、白や黒といった無難な色ではなく、アウターとしてはちょっと突出したピンクを
 ちょっと気合を入れて買ったのだろうけど、
 ここまでみんなが流行にのってしまうと、個性的だったハズの物も埋没してしまう。
 しかも色が色だけに非常に飽きる。 見る方は勿論、恐らくは着る方も。

 そんな中、同じスプリングコートでも光沢のあるサテン地のグレイやブラウンの物を着ている
 人を見ると、「ああ、素敵だな、センス良いな」と新鮮に見える。
 まぁ、値段も軽く2〜3倍以上はするんだろうけど。

 ところで、いくらみんなと同じ格好をしていても決して没個性的に見えない人達がいる。
 彼/彼女達の武器は、  スタイルだ。
 同じ七分丈のジーパンを履いてても、片や梅宮アンナ、方やちびまる子ちゃん、、、無情じゃ。

 女の子達が「ダイエット、ダイエット!」と言うのも判る気がする。 (もっとも、たいがい「言ってるダケ」だが)

 お洒落ってキビシーねぇ。


  さて、没個性的と言う点に於いては私は多分当てはまらない。
 いや、もちろんスタイルが良い訳では無い。

 以前にも書いたように、友人が呆れてしまう程にデタラメな服をデタラメな組み合わせで
 着てしまうからだ。
 私は「個性的なんだよ」と思っているが、ある人は一言、「チンドン屋みたいだ。」 、、、、正解かも。

 どんな人かと言うと、きっとアナタの街にも1人や2人は「ミョーに派手なオバサン」がいるだろう。
 私はあんなオジサンなのだ。
 多少(色彩感覚を主として)、服装倒錯の感は否めない。

 会社の同僚にとってはいい迷惑なのかな、申し訳ないなぁ。

 「コーディネートはこうでねぇと!」なんてオヤジギャグを言ってる場合ではないのだ。
 誰かか私にファッションを教えてプリーズ!

 

   そうそう、ジーパンにシャツの裾を入れてもいいんですか?

                                     (3/16記)


  <オラにはファッションなんて判らねだ、その78>

  女の人がコートの襟を立て、その外側にマフラーを巻ひてゐるのは何故だらう。
 あれで温かひのか、
 それともコートを温めてあげやうと言ふ菩薩の心だらうか。

  さて、凄く嫌だけどベルトを買った。
 ジーパンの裾が膝下でシワになって溜まるのはもっとイヤだからだ。 ん? その拘りがファッションなのか?
 で、適当に地味過ぎず、且つオシャレ過ぎないモノを選んだのだが値札を見て笑った。
 幾らでもいーんじゃねえか。

 しかし、これをレジに持って行くとオネーサンは何事も無かった様に「609円です」と言った。

 やっぱりファッションの世界は私には理解できない。 しかし安いなぁ。


  < 孤独に歩め 悪をなさず 求めることは少なくあれ 林の中の象のように > 釈迦の言葉だそうだ。

  昨日観た映画「イノセンス」は私の中に深く突き刺さったままだ。
 週刊ぴあに押井守監督のインタビューが載っていた。

 「今の自分の身体が自分自身の存在とイコールになるのか。
   / どんな動物も自分の置かれた状況に満足し、人間のように『これで幸せなのか』とは自問しない。
 だから彼らは身体=自分。 でも人間はそうはいかない。」

 「たとえ離れていても相手の存在を感じることが出来る。ならば相手にとっても同じ存在になり得る。
  / だから孤独に生きることを恐れる必要は無い。
 むしろ、そういう方が人間の在り方として正しいのではないか。」

  共感する部分がかなりある。

 例えば日本という国家レベルで言うと、私達は子供を儲け将来の社会を支えるべきだ。
 しかし地球規模で考えるなら、人類なぞこれ以上1人として必要ない。

 押井氏の発言は、滅び行く(べき?)人類に対する愛しさ、と受け取れる。

                                     (3/8記)


  超粗食    あ、あれ? この頬を伝う熱いモノは何?


  <正体>

  「隊長殿! テキは【カットソー】なんぞと判らん名前をホザいて、
   ブランドショップの棚でドえらい値札を下げてエラソーにしとりまスが、
   先日、某オークション戦線にて激戦の末、2000円と言う実弾を投下し、
   これを撃退・捕獲いたしまスたっ!

   ・・・奴らの正体、実はただの【T-シャツ】でしたっ!」  でも結構嬉しい→ 1. 2


  <選民意識、の巻>

  澁澤龍彦関連の文献を読んでいて愕然とした。
 何と言う貴族主義だろうか。
 世の大多数を占める無知蒙昧の輩を「俗衆ども」と呼び捨てるその姿勢に、
 強く反発も覚えつつ、一方で共感している自分にも気付く。

 私は、いい年をしてモーニング娘。なんぞを喜んで聴いている人を、
 (音楽的センスに限ってだが)馬鹿にしてしまう。

 しかし、モーニング娘。やつんく♂よりもキング・クリムゾンの方が偉いのは当たり前だが、
 別にモー娘。のファンよりクリムゾンのファンの方が偉い訳ではない。


  テーマを拡げてみよう。
 電車の中で少年ジャンプを熱読している中年サラリーマンを、
 スティーブン・キングの文庫本を手にした私が笑い、
 その私を「複雑系とは何だ」なんて新書を読んでいるOLさんが笑う。

 デパートに行けば、安物の服を着た私をバーバリーの店員さんは冷たい目で見る。

 本を読む→より高い次元の本を求める
 音楽を聴く→より高度な音楽を、、、
 服を買う→より洗練された、、、

 人は貪欲に「より良い物」を目指す。
 それに比例してどんどん排他的になり、視野が狭くなり、
 いわゆる「選民思想」に陥ってしまう。
 自分より低い意識で楽しんでいる他人を馬鹿にしてしまうのだ。

 まぁ、その先鋭化が世の中のいろんな物を育てて、面白くしているのは事実だけど。

  大槻ケンヂの「グミ・チョコレート・パイン」と言う本がある。
 主人公の高校生は、周りの「くだらない人たち」と自分は違うと考えるが、
 実際には何も出来ない自分に焦る。

 そして周りの人々との差別化として本を読み、映画を観る。
 ちょっと身につまされる部分もあるな。

 だが、こう気付くのだ。

 「虚構の世界の中で現実を学び取ろうとする試みは徒労だったんじゃないのか。
  何百冊本を読むより、何百本映画を観るより、好きな人と一度キスを交わすことの方が、
  重要なんじゃないのだろうか。」 

 理論武装をして孤高をかこっても、結局行き着くところは「周りの人達」と同じ、
 「くだらない日常」の中の真実である。

 これを理解するかしないか、と言うのは「人の体温」を感じ取れるかどうか、だろう。

 寺山修司の 「書を捨てよ、街へ出よう」 である。


  もっとも、私としては、「書を捨てよ」と言う事は、まず最初の状態で、
 この言葉を言われた人が「書を手にしている」と言う事に注目したいが。

                              (2/26記)


  たまにはお気楽なしょーもない事でも書くか。

 ジーパンを買った。
 オッサンだから街の若者達が穿いている様なズルズル・ダボダボのルーズ・フィットは
 生理的に受け付けない。
 女の子の9割はタイト・フィットなのに、野郎の8割くらいはルーズだねぇ。 何故なんだろう?

 オッサンのこだわりとしては、ジーパンは体にピッタリと張り付いているべきで、
 当然ベルトなんか必要としない。

 で、以前も書いたが私は断然、リーバイスの「505」だ。 やや細身のストレートで、
 ジャストサイズのモノを穿けば、ひざ下のラインがとても美しい。506も良い。

  昔はスリムジーンズが好きで、エドウィンの「406ロンドンスリム」を穿いていた。
 どれ程スリムかと言うと、かかとを裾に通す時に両手で相当な力で引っ張らなければ
 いけないくらいだ。
 バイク乗り、ロックンローラー、パンクスの人々御用達の過激なシェイプだったが、
 今ではほとんど店で売っているのを見かけない。 流行って奴は、、、

 さて、今日買ったジーパンは505ではなく、リーバイスの517。 ブーツカットだ。
 私はブーツカットが苦手だ。 何故なら太ももが相当に太いからだ。
 ご存知の様にブーツカットは腰から太ももに掛けてがタイト・フィットで、膝からスソにかけて
 フレアしたシェイプだ。
 私が自分の太ももに合わせたブーツカットを穿くと、太い腿を基点として更に大きくパンツが広がる。

 これはもう、殆どドムゲルググ状態である。 カッコワルー

 それでも517を買ったのは、「レザーライク」という特殊加工がしてあるプリントジーンズで、
 その色合いがどうしても欲しかったからだ。

 実はこのレザーライク、505もラインナップされているが、ウエストサイズが30インチからなのだ。
 何が哀しゅうて、30インチのジーンズなんぞ穿かにゃならんのだ! 

 唯一、517だけが29インチが用意されていたので仕方なくそれを買った。
 まぁ実際に靴はブーツな訳だから良いんだけど。

 本当は505の28インチで欲しかったなぁ。 作っておくれよリーバイス!

 そんな訳で今日も私のジーパンの太ももはパッツンパッツンである。
 さながら魚肉ソーセージの様に。

 最後にリーバイスのジーンズのラインナップ表も張っておこう。606や616などのスリムが
 いかに人気が無いかも判る。

  ※ しかし、ちょっと前に手に入れたJ,P,G,のナイロンパンツ(真っ赤!)は30インチにして
     全体が物凄くタイト。(もちろんウエストは余るけどね)
     さすがデブに厳しいブランド、恐るべしゴルチエ。

                              (2/25記)


  ついでに言うと、
  「アタシ、浮気・不倫とか絶対ダメだから」
 と言うのもウソだ。 (それはそれで別に全然構わないけど、)

 今までに聞いた中で一番正直なのは、
  「相手の浮気はダメだけど、私のはOKなの」 ってモノだ。

 もちろん、そんなセリフを聞かされる私を、その女友達の中で「男性」として
 認識していない事の告白でもあったけど。

 その正直さに思わず惚れてしまいそうになったものだ。


  <男の優しさ、の巻>

  女の子に優しくするのは間違っている。 理由は簡単、疲れるからだ。

  彼女達は言う、「好きなタイプはァ、やっぱり優しい人かな」
  これ、ウソである。

  男も女も【自分に無いモノを欲しがる】原理を持ち出すまでもなく、
  彼女達が一番に求めているものは「猛々しい強さ」である。
  その上で、優しければ優しいに越した事はない。

   自分に自信の無い男はつい、女性を甘やかしてしまう。
  しかし、女性はそういう風に「男が無理をして優しくしている状態」にすぐ慣れっこになり、
  ソレが当たり前だと思ってしまう。 疲れる上に、お互いのために良くない。

  果てしなく優しさのみを求める女性がいるとしよう。
  それは「優しくする事しか出来ない男」と同じくらい魅力に乏しいと言わざるをえない。


   かつて、親友A子が私に言ったことがある。

    「アンタ、繊細やねぇ」    (それが合っているかどうかは別として話を進める)

  一見、褒め言葉にとれる。
  誰だって、「アンタ、無神経で鈍感やねぇ」と言われるよりは、繊細だと評された方が
  気持ちが良い。

  しかしA子を含め、恐らく全ての女性にとっては、そんな細かい神経の持ち主とは
  距離を保って遠くから眺めていたい存在であろう。

  彼女達が求めているのはもっと、逞しく護ってくれる大きな男性だ。

  「彼? んーそうねェ、バカで粗野だけど、時々優しくしてくれる事もあってね、それが嬉しいの♪」

  男の優しさなんて、それくらいがちょうど良いのだと思う。

                             (2/22記)


  <逆説的帰納、あるいは只の我田引水、の巻>

  いきなり身もフタも無い発言で申し訳ないが、
 「ブスの深情け」という言葉がある。
 説明するまでもなく、もう読んだままの意味なのだが、これ、かなり正しいと思う。
 もちろん、 優しい人=ブス なんて八つ裂きにされても言うつもりは無いが。

 何を以って「ブス」とするかは余りにメンドーなので止めておくが、
 まあ単純に「美人」と「ブス」がいると思いねえ。  ちなみに私はブスって、見た事ないけど〜

 美人は得だ。
 特に何もしなくてもチヤホヤされる。 可愛がって貰える。 イイ男に不自由しない。
 八百屋でも魚屋でも肉屋でも、サービスしてもらえる。
 でもブスはそんなチャンスは少ない。 同じ事をしているのに苦労するんである。
 しかし当然ながらどんな女性だって幸せになりたい。優しくして貰いたい。愛されたーーい!

  他人から優しくして貰う事が「当たり前」ではない人は優しさの価値を知っている。
 だから彼女達は自分の精一杯の優しさで、相手の優しさを買うのだ。
 なんと愛らしい生き物だろうか。


  ところで、私はどうだろう。
 同性に対しては過不足なく親切にしているつもりだし、特にモンクも言われない。
 (諦められている、と言う意見もあるが)

 しかし、女子はどうだ。
 これがまた驚くホド、みんな不満らしいのだ。
 彼女だろうが友達であろうが、ある程度以上の付き合いになった女性達は口を揃えて言う。

 「なんてイヂワルなのっ!」

 ある友達の、私に対する評価は 「物凄く優しくて、物凄く意地悪」。
 なんじゃそりゃ、 矛盾しとるだろが。

 でもまあイイよ。 意地悪で性格が悪いんだろ、きっと。
 ん・・・? と言う事は、そうか私は美男だって事か。

  じゃーまー、仕方ないわねえ〜


  そんな訳で、(関係ないけど) 久しぶりに某所に貼ったプロフィール写真を更新。
  2004年はこんな顔で生きてます。 (そう簡単には見つからないと思うが)

                           (2/19記)


 前回の雑記を書き終えて、本を読んでいた。
 するとこんな事が書いてあった。

 「みなさん!一つ一つの言葉なんて信じてはいけませんよ!
  特に女の人、言葉だけを信じるあなた、言葉なんて口が勝手に喋っているだけなのです。」

      (「らもチチ わたしの半生」より、チチ松村氏のあとがき)

  凄いな、5分前に私が書いた事と同じじゃん。 ちょっと嬉しい。

 この、クラゲの様に生きる男、チチ松村氏が結構心に響く事を言う。
 長くなるけど、ダーーッと引用しよう。

  「僕はな、NYのテロをテレビで観た時に、地球の終わりやと感じたわけよ。
  何であんな事が起こったか言うたら、宗教とか色んな事言うてるけど、
  やっぱり人間の心の中の問題やと思う。心の中の愚かさや。
  それで自分はどうやねんと思うたら、愚かさという意味で、僕のやってることと
  変わらんなと思うたら、すごいつらいわけですよ。

  もうこのままやったら、この地球から僕も一緒に人類がそのまま滅んだほうが
  ええんちゃうかなと思うたわけ。
  ほんで知り合いに獣医さんおるんよ、で
  『僕は動物好きやろ。だから、人間おらへんようになったほうが動物のためにいいと思う。
  地球を動物に返したほうがええと思わんか』と言うたら、
  『ところが人間がおらなあかん動物も多いんよ』って言うんよ。
  それがまたつらいところやな。」

 対談集って事を割り引いても、結構メチャメチャな脈絡だ。
 でも、何故かこの人が好きになってしまう。 とても温かい。

                             (2/17記) 


 < Don't treat me like a fool >

  子供の頃、親や先生に「嘘を吐いてはイケマセン」と教わらなかったか。

 勿論これは正しい。
 が、額面通りに全ての嘘を否定する人がいたら、
 「へぇ、エライね」とは思うものの、そんな人に魅力は感じない。
 何て浅い人生を送ってきたのだろう、と言うのが正直な感想。

 99%の嘘は自分の為の汚いテクニックだが、相手を思いやる嘘、
 人間関係を円滑に運ぶ為の必要悪としての嘘も確かに存在する。

  結構困ってしまうのは、『洞察力の乏しい者の吐く嘘』だ。
 彼の嘘は非常に幼稚だ。
 私にそのウソを見破ってしまうだけの洞察力が無いと思い込んでいるらしい。
 騙されたフリをするのはかなり疲れる。

 嘘を吐いた事をすぐ忘れてしまう人にもウンザリさせられる。
 恐らく羞恥心が無いのだろう、隠そうという努力を怠ってしまうのだ。
 せめてウソをつくなら、相手にそれを絶対に気付かせない (不可能だが)
 ようにする努力ぐらいは見せて欲しい。

 「見抜かれてるのを知っていて」と言うケースもあるだろう。
 しかし、それはお互いに、更に深い痛みと深い情があってこその事だと思う。

 私も知らない所でいっぱい騙されているのかもしれない。
 でも嘘に気付いてしまった部分より、気付かない部分の方がまだ幸せである。

 

  ところで、私にウソを吐くのは実際には凄く簡単である。

 そもそもにして私は「相手の口から出てきた言葉」なんかハナから信用しない。
 それは単なる「セリフ」にしかすぎない。
 彼の心の真実は、それまでの彼の行動ですでに支払われているのだ。

 もっとも私の様に、普段の行動からしてウソという最低の人間もいるが。 

 誰かが私に嘘を吐いたとしよう。
 私は「アンタがそう言いたいのなら、そういう事にしておこう」 と思う。
 その瞬間に彼のセリフは嘘として成立してしまう。

 「ウソ言ってんじゃねえ!」に続く言い争いは全くもって不毛だし、
 仮に相手にそのウソを認めさせて勝ち取った真実は
 もはや私にとっては何の価値も無いのだ。

 「言う」という行為が事実を作るのでは無い。

 真実が心の器を満たし、あふれ出る。
 それが「伝えたい」と言う欲求だ。
 その溢れ出た雫を言葉に変えて口にしてみよう。
 そうすればきっとウソをつかずにすむ。

                             (2/16記)


  はい、バレンタインおめでとう。

 バレンタインだ、クリスマスだ、サン・ジョルディだ、誕生日だ、終戦記念日だ、春分の日だ、と
 いわゆる「イベントごと」って結構苦手。 すごくメンドーなのだ。
 でもだからと言って、ソレを楽しんでいる人をバカにする気は全然無い。

 今日も出勤の電車の中で私の前にカップルが立っている。
 ゴディバだか、モロゾフだか、ビックカメラだかの紙袋を手にしながら
 楽しそうに笑いあう2人の姿を見ていると私も少し嬉しくなる。

  「なーにがバレンタインだ、俺ぁ映画に行くんでぇ」  それもいいだろう。

 でも、ごく平凡な人間である私が、平凡な世間並みの幸せを享受出来ないのは、
 やはり世間並みの恋愛をしていないからだ。

 

 ごく当たり前のモノをあげたい。  ごく当たり前のモノを欲しい。

 「当たり前」が当たり前である為には努力が必要なのだけど。

 

 それが適わぬ私であるなら、ひとりでいい。

                           (2/14記)


 <見ザル、言わザル、着飾る>

  かつて上岡龍太郎が中島らもに言ったそうだ。

 「アンタがTVでもそんなボロを着てるってのは自分に自信があるからや。」

 

  私はいわゆる「ファッション」なる物がよく判らない。
 顔やスタイルが(ある程度)生まれつきのモノでどうしようも無いのだから、
 外見の見かけよりも「俺ァ、俺の生き方がカッコいいんでぃ」等と思っていた。

 大体、服が良かろうと悪かろうと、そんなモノを人は見るのか。
 ベッカムがパンツ一丁で街を歩けば、女の子は「キャー!」と叫ぶだろう。
 私だって、パンツ一丁で街を歩けば、女の子は「キャー!」と叫ぶぞ。

  「キャー!」の内容は違ってもな。

 

  待ち合わせ場所にやって来た女の子がどうも妙な表情をする事があった。
 てっきりオレ様の美しさにウットリしているのだろうと思っていたが、
 実際は余りのダサい格好にウンザリしていたらしい。

  イカン。 これではイカン。

 デパートの4階、5階に行ってみたのだ。
 そこでファッション音痴の私にも判るホド露骨に格好良いシャツを見つけた。

 「ああ、これ欲しいな。コレなら奴ら (誰だよ) もバカにすまい。」

 値段を見た。

 すいません、、、今着ているシャツが39枚買えるんですけど、、、


  でも、ちょっと頑張るよ。
 もはや自分の生き方なんかに自信のカケラも無いしね。
 たまにはちょっとカッコ良い服でも買って背筋を伸ばそうと思うのだ。
 (上に書いた様な高いモノは買えないけど)
                            (2/11記)


 <フェティッシュ、の巻>

  かねてより念願の聖ベネディクト十字架を手に入れた。 写真→1. 2. 3.

 イエスの十字架に聖ベネディクトのメダイ(メダル)が嵌め込まれた
 非常に美しいデザインだ。

 メダイには字が刻まれている。

  "C.S.P.B."・・・父なる聖ベネディクトゥスの十字架
  "C.S.S.M.L."・・・聖なる十字架は我が光
  "N.D.S.M.D."・・・悪魔は我が主にあらず
  "V.R.S."・・・悪魔よ、立ち去れ
  "N.S.M.V."・・・悪を認めず
  "S.M.Q.L."・・・悪魔よ、お前が与えるものは罪悪だ
  "I.V.B."・・・己の望まぬことを人にするなかれ

  聖ベネディクトとは西暦480年にイタリアに生まれた修道生活の始祖みたいな人で、
 「聖ベネディクトの戒律」をまとめて、現代に続く修道院の基礎を作った。 →参考

 まあ、アクセサリーとしてのペンダント・トップでも全然構わないのだけど、
 元々は「ロザリオ」である。

 ロザリオと言うのはキリスト教信者が日々、手軽に祈れる為の道具で、
 また祈りの回数を数える為の実用的な側面も持っている。
 首に掛けるチェーン部に珠が54(55)個連なっている。
 小さな珠が10個ずつ5セット。 そのセットの間に大きな珠が4つ(5つ)だ。
 11回ずつのお祈りを5セット繰り返すのを珠を使って数える訳だ。
 まあ、細かい事はいいだろう。

  何度か言ってきた事だが、私はいかなる宗教団体にも属していないが、
 「神」は信じている。
 もう少し正確に言うと、神が私と共に「在る」ことを知っている。

 私にとっての神は、ただ「神」であり、特に名前は無い。
 別にキリストでも仏陀でもアラーでもケツアルコァトルでもベルゼバブでも何でも良いのだ。
 まぁ、考え方としてはキリスト教義的なモノが一番受け入れやすいとは思っているが。

  他人に関して言えば、もちろん宗教団体に入ろうが、街で「お手かざし」をしようが
 全くその人の自由だと思う。
 でも正直に言うとやはり少し苦手かな。 もう少し他にそのエネルギーを使えば良いのに、
 と思ってしまう。

 かと言って、全く神を信じていない人にも魅力を感じない。

 そういう人って、恐らく幸せの奇蹟も、本当の絶望も味わったことが無いんじゃないだろうか。
 深い深い感情を持った事のある人は、優しさを知っているし、
 それが神にせよ、何者であるにせよ、「自分が生かされている」事を理解していると思うのだ。

 人間は単なるアミノ酸と蛋白質からなる合成物では無い。


  で、わざわざ十字架を買い求めたのは、「何か形のある物」にすがりたかったからだと思う。
 心の中に神の存在は知っているけれども、今はその心がクタクタなのだ。

 冷たいニッケルの十字架ではあるけれど、握り締めるとほんの少し温かくなる。

  「汝、偶像を祀るなかれ」

 ああ、そうだとも。 だけど、それが何だってんだ。

                                (2/8記)


 <漆黒>

 自分なりに一生懸命生きてきたつもりではあるけれど
 (自分自身を含めて) 誰一人として幸せに出来ないのなら、
 この人生にどれ程の価値があるというのだろう。

 それとも 幸せにしてあげる と言う発想がすでに傲慢なのだろうか。

 自らの無力を思うと、背骨が折れてしまいそう。

 しかし苦しいのは ソレと闘っているからであって、
 水のように流れ、全てを受け入れてしまえば、
 きっと苦痛も感じなくて済む。

 食事を摂り、排泄をする。
 ただ生きているだけの人生。 それも良いのかもしれん。
 いや、そもそもそれ以上の事は無理なのかもしれない。 

 感情というミラクルを失った木偶人形が今日も電車の窓に映る。

 自らの灯りを見失ってしまった者にとって 夜はあまりに永く
 その闇はあまりに深い。
                            (2/6記)


 < 遠い日のコイバナ、その386 〜肩〜 >

  初めて抱きしめた時

 「、、、肩が薄いのね」  彼女はつぶやいた

 来たるべき結末を暗示するかのように 言葉は不穏に響き

 その不安を押しやろうと 唇をかさねた

 そのキスは微かに不幸の味がした

 

  「肩が薄いのね」 彼女は言った。
 髪では無い。 髪も薄いけどほっといてくれ。「肩」だ。

 単に肉体的な事だったのだろうか。 (実際はデブなのに!)
 私は別に晩年のジャイアント馬場の様な体型をしてる訳ではない。 、、、と思う。

 彼女は無意識ながらにも、私の自信の無さ、情感の薄さを感じ取ったのだろうか。


  誰もが知るところだが、私は愛情や優しさにあふれた人では無い。
 でも少なくともその事を「知っている」。

 そこから始めよう。 もう手遅れなのかもしれないけれど。

 「心」をビルドアップしなくては。

                        (1/22記)


 < 支払うべきモノ、支払われるべきモノ >

  セックスは言うに及ばず愛情でさえも、
 お金・ルックス等の「条件」や、嘘・手練手管などの「テクニック」で買う事が可能だ。

   リアリストに過ぎるだろうか。


  しかし所詮は、ある程度までの事であり、
 愛情によって支払われない愛情はいずれは枯渇してしまう。

   ロマンチシストに過ぎるだろうか。


  「ただ、傍にいてくれればいい。」 失礼なハナシだ。
 確かにそんな瞬間はある。
 しかし、そんな状態を恒久的に続けるのは間違っている。

 それは、ただ寂しいだけであって、その人をきちんと愛してはいない。
 人はクマのヌイグルミとは違うのだ。

 愛しあう、というのは 自らの心臓の半分をナイフで切り取って与え、
 相手が差し出してくれた半分でその穴を埋める行為だと思う。

 生きる事をシェアする事だと思う。

   ファンタジストに過ぎるだろうか。


  代替品でもいい ニセモノでもいい、と
 暗闇の中で僅かな温もりにもすがり付いてしまう僕たちではあるけれど。

                              (1/20記)


 <事情通、の巻>

  母親(59才、保険外交員)が言う。

 「アンタ、今年はね、『なかねかすみ』が【来る】わヨ!」

 そ、、、そうですか。 で、「なかねかすみ」って誰ですか?
 紹介してくれるんですか、お母さん?


 < I ask myself >

  私はこのサイトでしばしば「〜すべきだ」「〜であるべきだ」
 等とホザいている為か、友人には「アンタ、『理想』とか『正義』とか好きだよねー」
 なんて言われる事もある。

 しかし、本当は『正義』も『理念』もどうでも良い。
 どんなに正しい事であっても、その根底を愛情が支えていないのであれば、
 もはや何の価値も無い。
 ただのエエカッコしいの弁論大会である。
 私の興味は「愛情」にしか無い。 (それが『偏愛』とかであっても)

 

 年明け早々、仕事でもプライベートでも大ゲンカをしてしまった。

 (他人がどう言おうと) 元来、私はトラブルを避けて通るタイプで
 大抵の事はガマンしてやりすごしてしまう。

 「怒り」と言う感情は「あきらめ」や「悲しみ」に転化されルサンチマンとなる。

 しかし、ことが「愛情」に及ぶと、どうしても譲れなくなる。
 これを諦めてしまうのなら、生きている意味が無い。

 自分を抑えられなくなり、怒鳴りあい、罵倒してしまった。
 私にとっては根幹に関わる問題であるから、
 非常なストレスであり、狂ってしまいそうだ。

 

  時々私達は、「自分の外側」にも、
 自分と同じ様に感情や意思を持った「人間」がいることを忘れてしまう。

 親・兄弟・彼氏・彼女・夫・妻・上司・部下・友達・敵、、、

 そんな肩書き以前に彼らは一人の人間なのだ。

 独りで生きていくのなら、そんな事は考えなくてもいい。
 しかし、会社であろうと、家庭であろうと、
 誰かと絡んで行かなくてはならない私達にとって
 彼らを尊重しなくてはならない理由がある。

 「私」をその誰かに認めて貰う為である。

 力関係が自分より大きい相手の場合、「隷属」する事は実はラクだ。
 そして逆の場合、「隷属させる」事はラクだ。

 しかし、その様に無判断な条件のみの人間関係は脆い。

 もし、その人と強い絆で結ばれたいのなら、力関係や条件や肩書きではなく、
 その人が「人間」である事を本当に判った方が良いと思う。

 当然、「私」とは違う人間であるから、考え方も違う。
 自分の意見を通したいのは当たり前ではあるけど、相手の意見もまた
 自分のソレと同じだけの重みを持ったモノなんである。

 私は私以外の人間を生きた事が無いのだから、
 私の思いが私にとって100%正しいのは当たり前だ。

 相手もまたソウ思ってるのである。

 そこまで考えると後は「常識」「普遍」レベルを指標として
 2人の答えを導き出せるのではないだろうか。

 これは「隷属」ではなく、「受容」である。

 愛情とは、相手が思っている事を思う   相手の人間を受容する事ではないだろうか。

 

  お前の正論には血が通っているか。  愛情を備えているか。

  私は問いかける。  私自身に、

                            (1/16記)


  <時間差攻撃>

 今頃になって届いた過去からのハガキ

 有効期限の切れた言葉に胸がねじれる

 痛みを忘れぬよう
 瘡の出来かけた傷口に押し当てられた刃

 心の奥底に大切にしまい込む
 僕の罪という十字架

 最後の宝物


 山梨県に遠出の写真をまとめて

 富士急ハイランドのすぐ近くの手打ちうどんのお店「美也樹」
 これは凄いよ。 コシが強いなんてものじゃない。
 よく「モチモチとしたコシが〜」等と言うが、本当に『餅』寸前の歯ごたえ。 旨い。
 しかも東京の物価に慣れてしまった感覚からすると値段も驚き。
 「かけうどん→250円」 「肉うどん→300円」 「肉天うどん→350円」 「鍋焼きうどん→500円」
 安いよ。 学食並みの値段で最高の味。 恐るべし民家のうどん

 ドギーパーク

 やっぱりシェルティは可愛い。 性格的に私が飼うと可愛そうな事になるかもしれんが、好きだ。

 やはり山梨ともなると気温も東京より一回り低い。 
 白鳥も涼しそうにくつろいでらっしゃる。 氷張ってますがな。

 そんな氷水の中に躊躇せず飛び込むアイリッシュ・セッター。 寒くないんか。

 小型犬たちはやっぱりブルブルブル、、、暖かいカーペットの島に固まっております。
 難破船の筏かいな。

 ドギーと言うものの、何故かサル山もあれば、モルモット小屋もある。

 そして孔雀

 そして炒飯

 そして炒飯

 そして韮饅頭

 そしてピータン豆腐。      はい、お疲れ様。


  <愛させてあげる、という愛情 の巻>

  これが傲慢に聞こえてしまうのなら、それはそれまでのこと。

 

  山梨県の富士急ハイランド近くのドギーパークに行ってきた。
 結構犬が好きなのに、未だに自分の犬を持った事が無い私には嬉しい施設だ。

 凄く沢山の犬種が揃っていて、レンタル犬として1時間500円で気に入った犬と一緒に
 園内を散歩したり出来る。
 まぁ、犬の動物園といった感じで、ケージに入った様々な犬達を見たり、フリスビー競技の
 アトラクションを観戦したりも出来る。
 しかし私にとってはやはり犬のレンタルが今回のメイン・イベント。

  さて、いよいよレンタル犬のコーナーに行き相当な数の犬の中からパートナーを選ぶのだが、
 この犬達、みんな異様に愛想が良い。  ・・・・・?
 どの犬も見ず知らずの私に向かって盛大にアピールをしまくる。
 ちょっと神経質で人見知りするハズのシェットランド・シープドッグ(シェルティ)達までもが
 私の手を争うようにペロペロ舐めて親愛を示してくれる。

  「そんなに慣れてるの?」

  いつか飼いたいなァと想っているケアーン・テリアや陽気そうなダルメシアンにも心が惹かれたが
 結局はとても毛並みが美しく、また最大限にアピールしてくれたアイリッシュ・セッターを
 選んでみた。

  ところが、手続きを済ませ散歩道に出たのだが、さっきまでのアピールはどこへやら、
 セッター君は私の方を見向きもせず、ひたすら自分の行きたい所へ突き進み、
 オシッコをし続ける。

 オスであるし、ナワバリ競争もあるので匂い付けは彼にとっては重要な事ではある。
 しかし、これほど自分勝手とは・・・??
 ウンコも済ませると多少は落ち着いたものの、やはり依然として私の存在はほぼ無視である。


  そしてようやく悟った。
 レンタル犬たちが檻の中で私達お客に媚びるのは、
 「散歩」という時間を買う為の「仕事」なのだろう。
 そう気付くと、途端に彼らが憐れで仕方なくなってしまった。

 本来の野生の犬であれば群れのリーダー犬に依存はしても、基本的に自由に大地を駆け回れる。
 しかし永い年月を掛けて、愛玩犬・使役犬として「人のそばにいる」気質を植え込まれた犬たちにとって、
 一番必要なものは、エサでも水でも無く、「主人」たる人間だろう。

 彼らレンタル犬は非常に綺麗にブラッシングされ、耳の掃除なども行き渡り、それなりに
 ドギーパークの従業員さん達に愛されてはいるだろう。
 しかし、彼だけの主人では無い。

 彼らは「散歩したい」という欲求を充たすために、その場限りの主人(私達お客)に見せかけの愛情を
 演じる。
 本当に愛し合った犬と人とが歩く時に生まれる心の安定・充足・信頼を、
 彼らが得ることは恐らく一生無い。


  正直に言って、こんな立派な犬と一緒にいて、とても嬉しかった。
 だけど人間のワガママに気付き、犬の不幸を想うと物凄く哀しい気持ちになってしまった。


  いつの日か犬を飼おうと思う。
 そのときは彼の世界の中心に揺るぎ無く立ち、彼にまっすぐ愛して貰おうと思う。
 そうする事が私からの愛情でもあり、また、一緒に生きる為の資格でもあると思うのだ。

 相手が犬に限ったことでも無いのだけれど。
                                (1/8記)


  犬語の翻訳機バウリンガルは結構なヒット商品となり、
 猫用のミャウリンガルなんて物もある。
 これらの機械は、それぞれ犬や猫の鳴き声の膨大なサンプリングによって
 彼らの言いたい事や気持ちをデータ化した物なんだそうだ。

 そして今日見たのが人間の赤ちゃん用の翻訳機 WhyCry
 凄いね、子育てもゲーム感覚なんだね。
 まぁ、楽しんで子供と接するのは放ったらかしより5万倍良い事ですな。

  ウチでは今、ウサギとネコがいる。
 ウサギは完全に慣らすことに失敗してしまい、とりあえずいつも怒ってる。
 スマン、不幸な育て方をしてしまった。

 もう一方の黒猫はサスガにまぁまぁ慣れてるし、自己アピールもする。
 長いこと一緒にいれば、特にミャウリンガルが無くても鳴き声や仕草で
 おおまかな意思の疎通は出来る。

  今日も曙とボブ・サップの年末対決のビデオを見ながら、
 ネコがにゃあにゃあ鳴いていた。

 猫 「アカンなァ、曙は前に出てるだけやがな。相手に肉体的ダメージを与えるモードの
    無い格闘技では勝てんわなァ〜」

 私 「ほ・ほ〜〜見識が高いこってすなー、ねこさん」

 猫 「ヤカマシわっ!『エサくれ』ゆーとんのじゃあっっっ!!」

 

 ・・・・猫の気持ちも、人の気持ちも汲み取れぬ私には、
 全ての生物に対応する「僕リンガル」が必要かも。


 <記憶の王国、の巻>

  ある人たちがかつて存在した証はわれわれの記憶の中にしかない。
 その人たちが大切な存在だったこと、あるいは大切過ぎた存在だったことなど。

 私の他に彼女のことを覚えている人は、もう誰一人としていない様な気がする。
 とは言っても彼女にも家族がいる。彼らが彼女の事を覚えているかもしれない。

 だが、彼らが私と同じ思い出を抱いていることはありえない。 

                                   (ジョー・ランズデール「ボトムズ」より、多少書き換え)

  歴史的な偉業でも成し遂げない限り、私達が後世まで名を残し、記憶され続ける事は無い。

 私を愛してくれた人(あるいは憎んだ人)の記憶の中に僅かにとどまり、
 彼らの死と共に私の存在の証は消滅する。 ( 母から電話が、「子供を作りなさいヨ!」 )

 かつては愛した人、憎んだ人、彼(彼女)らが私の前から立ち去るとただちにその記憶を消去してきた。

 今は忘れない。
 彼らが私だけに見せてくれた笑顔や泣き顔、数々のシーンを捨てはしない。

 さようなら、大好きだった人たち。

 別れの苦痛は辛いけど、あなたの存在を私の中で死なせたりはしない。
 私の命、と言う有限の中に於いて永遠に。

  いつかこの身が朽ち果てる時、
 暗闇の向こうに、あなたと過ごした幸福な記憶の国が待っている。

 私の還る場所はそこにある。

 だから、もう怖くはない。

 死ぬことも、  そして
 あなた無しで生きていく事でさえも、 

                                  (12/29記)


  はい、クリスマス・イヴおめでとう。

  私の勤務地は東京渋谷なのだが、クリスマスシーズンになると俄然宗教の方の活動が
 活発になる。

 今朝も信号待ちの人ごみの交差点で隣に立った女性が手にパンフレットを持ち、
 大声を張り上げて神の声を代弁しておられた。

 その一転の曇りも無い笑顔を見て、私は暗澹たる気持ちにさせられる。

  「・・・お家に帰った方が良いよ」

 思わず口からこぼれた呟きは恐らく彼女の耳には届かなかっただろう。

 

  キリスト教徒であろうと、仏教徒であろうと、無神論者であろうと、
 優しい気持ちになれるのならクリスマス・シーズンとは良い習慣だと思う。

 イベントをこなす為に目が釣り上がってしまう様なら、そんな日はいらない。

 私に出来る事は、きっと他の人達よりも僅かでしかない。
 私の周りにいる人達に笑いかけ、話しかけ、電話をしたりメールしたり、
 このページを更新したりする事くらいだ。

 それを少しでも望んでくれる人がいるのなら、私は幸せだと思う。

    Merry Christmas 

                              (12/24記)


   1から10まで全てを言わなきゃ気が済まない奴

   1から10まで全てを聞かなきゃ気が済まない奴

 どちらもウンザリだ。

 もっとウンザリなのは、「それって俺の事?」 なんて訊く奴だが。

 物事を「判る」と言うのをもっと大きな枠組みで捉えた方が良いと思う。

 フランス映画でも見やがれって感じかな。


  <暴君現る、の巻>

  ふふふ、ゲッツだぜ。 このサイトもイカス! → ひれ伏すが良い!

  断然カラムーチョよりも辛い。    が、旨いと言って良いのだろうか。。。

  ところで、上のサイトによると辛さにも単位があり、「スコヴィル」と言うんだそうだ。 (へー)
  ハバネロと言う唐辛子は300.000スコヴィルだという。 30万て、、、

  「せきさんて、時々ヒドイ事言うよね、 23スコヴィルってかんじー♪」

  スコヴィル(すこぶる)辛口ですな。


  <常識、の巻>

  先日ベストセラー新書、養老孟司の「バカの壁」 を読んだ。
 その中で気になったのが、ピーター・バラカン氏の、

 「日本人は、【常識】を【雑学】のことだと思っているんじゃないですかね。」

 と言う言葉。
 養老氏も同意しているし、私もウームなるほど、、、と思った。

 では、何故そういうことが起こるのか。
 ひとつには、【常識】を数値化して、その人に点数をつけようとする行為が当たり前となっている
 からではないだろうか。
 入社テスト等で行われる『一般常識テスト』がそれに当たる。

 人と人の礼儀からどこぞの国の首都の名前までが並列に一つの【情報】として扱われ、
 それを沢山知っている事で、その人の【常識度】を測るのだ。
 当然、そのテストで高得点を取る為に、『試験に出る一般常識』みたいな本も存在する。

 しかし、様々な知識・情報を貯め込んだ、いわば【雑学の王様】たるオタクの人が、その情報量に見合った
 尊敬を、彼の狭いコミュニティ外で得られるかは・・・

 本当に必要な【常識】とは【情報】ではない。
 情報であれば、本やネットで調べる事が出来る。
 日本の首都を知らないのはやはりチト情けないが、まあ調べてくれ。

 それよりも、人ごみの中では歩きタバコをしない。とか、電車の中で化粧しない。
 等と言った【常識】は、いちいち他人から言われるまでもなく、『自分で判断』するものだろうと思う。

 【常識を持っている】と言うのは沢山の情報を持っている事ダケではない。 (モチロン持っている方が良いが)
 沢山の情報・知識・経験を持ち、更にそれを新しい局面に於いても活用できる【応用力】を持っている事だと思う。

 

 私個人の事を言うと、明らかに【経験】に乏しいのだけど。

                         (11/23記)   


  <その男、譫妄状態につき、の巻> 

  映画「死ぬまでにしたい10のこと」を観た。
 映画の出来としてはマアマアって感じなのだが、帰って寝床に就いてから深く考えさせられた。

 【死ぬまでにしたい10のこと】

 1.レイチェル・ワイズと腰が抜ける程ヤリまくる  (フラフープを)

 2.ミラ・ジョヴォビッチと指す (将棋を)

 3.グィネス・パルトロゥと舐めっこする  (ソフトクリームを)

 4.ルーシー・リューとベッドの上で一戦を交える  (オセロで)

 5.スー・チーを死ぬ程ハグする。  (サバ折り、ベアハッグ)

 6.ミラ・ソルヴィーノにヌイて貰う   (ムダ毛を)

 7.アーシア・アルジェントを、、、

 8.ケイト・ブランシェットを、、、

 9、シャーリーズ・セロンと、、、

 10、ジョニー・デップと、、、  ええっ! ジョニーっ!?


   ・・・スイマセン、反省します。

 

  改めて、自分があと2ヶ月の命と知ったらどうするだろうか。

 (いざ、そうなったら判らないが) 私ならきっと誰にも知らせる事無く、手紙も残さずに失踪するのではないか。
 誰にも「自分」を残したくない。 悲しませたくない。

 そしてそれは、私の愛情が浅い事を証明してしまうのかもしれない。

 もしも、本当に深く大きく強い愛を持ち得たなら、きっと後に残す人達に自分の全てを託せるだろう。
 悲しみや傷みを与えて辞さない、というのはそれだけの深い思いがあってこそ。

 強くなりたい。
                        (10/30記)


  <渋谷クエスト、の巻>

 東京渋谷のセンター街の一番奥にその店はある。
 パルコ・クアトロのもう少し先、ゲームセンター「INTI」のあるBEAMビルの向かい辺りである。

 割と仕事に余裕のある時はホテホテと渋谷の街を徘徊し、ランチの店を探すのだが、
 このご時世、なかなか本当に「安くて美味い店」ってのは少ない。
 基本的には大量仕入れで無駄を省いたチェーン店の方がコストパフォーマンスは良いと思う。
 ただ、やはりそういう店はコンビニ感覚の最小公倍数的な味がするので少し面白くない。

 そんな中、ヘンな看板が目に付いた。

 ううむ、安い。 大丈夫なんだろか。 タコス、カレー、パスタ、サラダ、スープ等が食べ放題で
 ランチ→790円。 ディナー→1000円とある。

 なんだか怪しいのう、、、と看板をみていたら、浅黒いアジア系のオジサンが近寄ってきた。

 「Й$б&д"фПц※ コッチネー @#$%&」

  そして有無をも言わさず強引に地下に案内されてしまった。
 はっきり言って風俗であろうが、ヤ●ーBBであろうが、『客引き』がいると言う時点でその店は地雷である。
 本当に良い商品を提供しているのであれば、客引きなんかしなくても客は列を成してやってくるのだから。

 そして階段を降りて店を見た瞬間、私は全てを諦めた。 ほとんど学園祭の模擬店である。

 果たしてドアを開けて中に入るとそこは8〜10畳程の「ただの部屋」であった。
 テーブルが3脚あり、その内の一つの上に扇風機が置いてあり生ぬるい空気をかき混ぜている。
 その隣では10インチ程の小型テレビの中でタモリが惰性的に喋っている。

 当然、客は私一人である。 改めてちょっと不安になってきた。

 店のオヤジも当然判らない言葉のアジア系である。

 「イラッシャイマセー б$%&%(?>V=~%"#$'&&("_{}`\\9ersc ウーロンチャ・オレンジジュース・アイスコーヒー$%UFB WIM(MW#$%$%
  ぁぇ"&%&(%にぉ%&#"$ゃふ#$&$%け$&え3ф4д56らL?>_せえ゛」

 私「・・・じゃウーロン茶を」

 さて、肝心の食べ放題はと言うと、チラシにはタコスやらエンチェラーダやブリトーらしき物の写真もあったのだが、
 そんなモノ影も形も無い。
 ・何やら薄いカレー味のスープの中にチキンが浮いた物(これがカレーか)
 ・冷凍のミックス・ベジタブルを炒めただけの様な物
 ・それに卵を足した物(味付けは全く一緒だった)
 ・ゴムの様なスパゲティ(ああ、、、確かに「パスタ」だわな)

 これらが、カラーボックスの上に置かれたホットプレートに入っている。それでお終い。
 あの、、、仲間内でのホームパーティーですか?

 ご飯に至っては炊いてから何時間経ったのか判らない程に干からびたシロモノだし、
 その隣には得体の知れないスープに米が浸かっている。  リゾットなんだろか?

 サラダ、サラダ、と、、おう、これか。 もう殆どウサギのエサ状態に刻まれたキャベツである。

 でもまあ仕方ないのでお皿にとって食べてみた。

 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、こ、これはっ!  「ず、ズイマーだっ!」 (昔の業界用語)

 つうかね、食べ物ってある程度「雰囲気」なんだよね。 これがもちっとマシなシチュエーションで
 饗されたモノであれば、それなりに食べれたかもしれない。

 部屋に入って、ヤル気なく携帯をいじってるオジサンを見た瞬間にもう勝負は決まってたのだ。
 (いや、もちろん私の負けなんだが)

 さて、申し訳程度に皿を突付いて、早々に立ち去る事にした。
 「ごちそうさまー、お会計ー」と言うと、 オジサンはレジを叩き

 「1070円ネー」 と言う。

 何でさ? 「あれ、ランチ790円じゃないの?」

 その時初めてオジサンは壁に掛かっていた黒板を指差した。

 【ソフト・ドリンク280円】

 

  呪われてしまえっ

                          (9/25記)


 忙しくてヤル気が出ないので日記調でダラダラと書いてみよう。

 【9月8日】

 Children of Bodomのライヴを見損ねた。 チルドレン・オブ・ボドム、 しかし長い名前だな。
 訳すると「ボドムの子供達」、、、ボドムって何よ。
 もちっと簡潔な名前に出来んか、U2みたいに。

 話は逸れるが、U2って何だろう、やっぱり「you too」なんだろか、訳すと「オマエモナー」    ま、いいか。

 で、チルドレン・オブ・ボドム。 ギターの人が何やら新世代のギターヒーローと目されているらしい。
 アレキシ・ライホと言うんだが、ライヴで観客達はどうやって声援を送るんだろう。

 ま、普通はファースト・ネームで呼ぶよね。 「アレキシー!アレキシー!」   でもつまらん。

 ここは一つクリスチャン・ネームで呼んだれ。 「ライホー! ライホー!」
 何だか「ラリホー! ラリホー!」 って聞こえてきそうで楽しそうだ。      ・・・・・デス・メタルなんだけどね。


  ううむ、ホントに更新する時間が無い。 映画は見ているので★評価だけでも書いておこう。

 ★★★★★
 「ムーンライト・マイル」

 ★★★★
 「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」 ←オススメ
 「フリーダ」 ←オススメ
 「クローン・オブ・エイダ」 
 「ホーリー・スモーク」
 

 ★★★
 「英雄 HERO」
 「コンフェッション」 
 「テープ」
 「ギャングスター・ナンバー1」
 「NOVO」
 「灰の記憶」
 「神に選ばれし無敵の男」
 「デッド・ベイビーズ」
 「トーク・トゥ・ハー」
 「エデンより彼方に」
 「ムーミン」

 ★★
 「パンチドランク・ラブ」


 【ソフト・ワークス】ってバンドのライヴに行って来た。

 ん?知らない?  元々【ソフト・マシーン】と言う名前で70年代を中心に活躍した
 伝説的ジャズ・ロック・バンドが名前を変えて登場したのだ。

 ん? やっぱり暗号のようだって? そりゃそうだわな。

 しかし、カール・ジェンキンス(アディエマスで有名になってしまった。)がいないとなると、
 楽曲に魅力は薄いなぁ。

 ま、久しぶりに生でアラン・ホールズワースの超絶ギターを見れたのは良かったけどね。
 ・・・けどね、つまらなかった。

 なんか、床屋でお爺ちゃん達が集まって勝手に喋ってるって感じ(しかも異常に無意味な程、饒舌)だった。
 演奏してる様子が全然楽しそうじゃないんだな。 お互いのプレイもそんなによく聴いている風でも無いし。

 呪術的な反復パターンを(コード展開少なし)延々続けられても、そこに緊張感が伴わないので、
 音のカオスの中からダゴンの邪神が立ち上がる様な「凄み」が無いのだ。

 客層もハゲばっかり(俺モナー)だったし、【異常にテクニックのあるベンチャーズ公演】的な
 懐古主義ばかりが目に付いた。 馴れ合いの演奏に馴れ合いの拍手。

 なーんにもプログレッシブじゃないのだ。 つまらん。  (8/8記)


  < 少年犯罪とホラーとマトリックス、略して <<少年ホラー・リローデッド>> の巻 >

  さて、猟奇的な大事件が起こると、その原因として色んなモノが取り沙汰され断罪される。

 今回の長崎幼児誘拐殺人では過激な内容のゲームやポルノまがいの漫画だったと思う。
 アメリカでも少年の自殺の原因としてオジー・オズボーンの歌
※1が取り上げられ告訴されたり、
 コロンバイン高校の銃乱射事件の直前に犯人達がマリリン・マンソンを聴いていたとしてヤリ玉に上げられた。

 しかし、結果的に一番社会的に影響を与えたのは宮崎事件ではないか。
 犯人が大変なホラー・マニア( と同時にロリコンだった筈 )だった事が非常にクローズアップされ、
 この事件以降、テレビでは一切ホラー映画を放送しなくなった。
 10年以上経つ今でも深夜枠はともかく、ゴールデンタイムの洋画劇場でジェイソンやフレディ
※2や、
 自走式大型クリーニング・マシーン等にお目にかかる事は決してない。

  さて、このホラー映画だが、私自身は余り好きなジャンルでは無かった(過去形)。
 いやむしろ、安直なバカ映画として退けていた。

 しかし、今現在の正直な気持ちはこうだ。

  「ホラーが嫌いなら嫌いで(個々人の好みとして)仕方が無いが、それでもやはり【見ない】よりは【見た】方が良い。」

  少し前の週刊「ぴあ」で大槻ケンヂが「ホラーを知らないのは人生の半分を知らないようなモノだ。」
 という様な発言をしていた。  これ、もの凄く正しいと思うのだ。

 恐れを知り、畏れを、怒りを、やるせなさを、不条理を知り、
 そして何より「人間と言う動物」の儚さ、脆さ、愚かさ、滑稽さをホラーは教えてくれる。

 「何もお金払ってまで気分悪いモノを見なくったってイイ。」  私もそう思っていた。
 しかし、そうやって臭いモノに蓋をして、「楽しいもの」「綺麗なもの」だけを目にしてきた人間が、
 いざ、現実社会に厳然と存在する様々な不条理や恐怖にブチ当たった時、彼はそのストレスに耐えられる
 だろうか。
 恐れを知っているからこそ他人の痛みに共感できるし、人の愚かさを知っているからこそ過ちを犯した人を
 赦せるのではないだろうか。
 要は情の深さ、懐の深さの問題なのだ。

 笑われるのを覚悟の上で極端な事を言ってしまおう。

  「ホラーは人を優しくする。」 (事もある。) ←弱気

 ただ、「ホラーの中だけ」にしかそんな優しさを見出せない、と言う訳では無い。
 「ホラーの中にさえ」優しさを見出す力が大切なんである。

                               (7/25記)

 ※1 曲名もズバリ「 Suicide Solution (自殺志願)」 曲も貼ろうかと思ったけど、みんな死んじゃったらイヤだから辞めとく。

 ※2 この秋、「13日の金曜日」のジェイソンと「エルム街の悪夢」のフレディがスクリーン上で激突!
    「おいおい、デパート屋上の怪獣ショーじゃねぇんだからよー」、等と思いつつ絶対に見るぞ。


  < 少年犯罪とホラーとマトリックス の巻、その一 > ※ 「セックスと嘘とビデオテープ」くらいに読んでくれると嬉しい。
                                            いや、別に 「部屋とワイシャツとあなた」でもイイんだけど。

  また嫌な事件が起こった。 
 もう散々、著名人から街の怒れる哲人までもが語り尽くしてしまった感もあるし、
 正直言って、もう沢山だ。

 細かい検証はパスして、「じゃ、これからどうなるのか」を考えてみよう。

 「何故、未然に防げなかったのか」を発端とした論説では、親の管理を説いているモノが目立った。
 子供達の環境にもっと目を光らせて危険を避けて通ろう、と言うワケだ。

 確かに、今日明日の子供の安全を考えると、そうやって「守る」しか無いのかもしれない。

 しかし、だ。
 大人の厳重な監視下に置かれた子供達が、自由にケンカが出来るだろうか。
 子供ってのはかなり残酷な生き物で、平気で虫やら小動物をイビリ殺したり、弱い者イジメをしたりする。

 恥ずかしながら、私自身もそうだった。

 イジメたり、イジメられたり、時々見つかってブン殴られたり、
 要は人間同士がぶつかりあって、そのぶつかった時に出来た小さな傷たちの痛みのおかげで、
 「これ以上はやっちゃイケナイ」と自ら学習をしていくのだ。

 その機会を今以上に取り上げてしまうのは危険ではないだろうか。


  どうこう言ったって、所詮は人間も「動物」なんである。
 その動物をカタに押し込んで育てようと言うのは無理がある。

 押さえつけて管理しようとすれば、反発するか、萎れてしまうか、歪んでしまうのである。

  数年前O-157(大腸菌)の騒ぎがあって、世の中はイッキに抗菌グッズだらけになってしまった。
 仮に環境が一時的に清潔になったとしても、人間の免疫は低下し、別の害毒に対しての抵抗力が
 損なわれてしまっただろう。  【抗菌ビデオテープ】って何じゃあっ!

  性犯罪やらストーカー・痴漢にしてもそうだ。
 女性にとっては大変な問題だと思う。 しかし、例えば東京-埼玉を結ぶ埼京線と言う電車で
 一部取り入られている【女性専用車両】と言う問題の解決の仕方は疑問がある。
 そうやって、男を締め出すとどうなるか?
 性犯罪は必ずエスカレートする。 女性が逃げれば男性は追うのだ。 当たり前の摂理である。

 極端な事を言うと、仮にみんな裸が当たり前の社会だったら(嫌だなぁ)、性犯罪は激減する。

 

  つまり、何か問題が起こった時の対処の仕方が、一時的にその問題から逃げているだけであり、
 結果的には問題自体をエスカレートさせているのが現状なのだ。

 

  子供達が自然にケンカしたりする事や、時にはイジメさえも必要悪なんではないだろうか。
 傷つく子もいるだろう。 しかし少なくとも、人と人がぶつかる環境で育った子供からモンスターが
 生まれるとは思えない。

   (多分続く)                       (7/20記)


  < ブロードバンド、あるいは映画の魔、の巻 >

  パソコンを買ったのだ。 今年の初めに、

 99年の1月に初めてのPCを買って丸4年そのノートを使った。 比較してみると、

  CPU      263Mhz          → 1.7Ghz
  HDD      6.4GB            → 80GB
  ディスプレイ 13.3型           → 17型ワイド
  メモリ     64MB(増設して128MB) → 256MB(増768MB)

 CD-Rは焼けるわ、DVDは見れるわ、TVも見れてHDにタイマー録画まで出来てしまうわで、
 もう紙ヒコーキからジェット戦闘機に乗り換えた位の隔たりがある。
 (いや、特に自慢している訳ではござらん)

 さて、パソコン本体もさる事ながら、環境の進歩も著しい。
 私がパソコンを始めた4年前はインターネット接続もアナログが当たり前で、そろそろISDNが
 一部に浸透してきた程度だった。
 それが今では「ブロードバンド」等と言う奇っ怪な言葉を子供からオバアチャンから役所浩司までもが口にし、
 接続スピードも1.5Mなんて当たり前で、8M、12M、とエスカレートして行き、
 遂に100M光ファイバー接続なんてシロモノまで一般家庭で加入できる様になりつつある。

  この様にハードは非常に発達してきたが、それではソフトはどうだろう?

 物凄い速度の通信手段で大容量のHDDに送り込まれるコンテンツ。
 やはりTV電話や、ゲームのダウンロード、映画の配信、等がどんどん本格的に進んで行くのだろう。
 スタートレックの様に人間の転送もやって欲しいものだが。

  例えば単館上映の映画。 東京に住まう私はまぁ気軽に渋谷や銀座のミニシアターへ出かけ、
 全国ロードショー公開とならないマイナーな映画も楽しむことが出来る。
 しかし、多くの人は雑誌やネットで、何か面白そうな映画をやっている事は知り得ても、実際にはなかなか
 その作品を見に行くことは難しい。
 規模の小さな映画だから必ずしもDVDやビデオ化されるとも限らないし、ましてや家の近くのレンタルショップに
 並ぶ保障はどこにもない。

  となるとやはりweb配信に期待したい。
 やがてはレンタルビデオ屋自体が消滅するかもしれない。 しかし、それはソレで良い。
 ビデオにしてもweb配信にしても、「家で観る」以上、「映画館で見れない」時の為の次善策だからだ。

  問題はweb配信をする事で、実際の映画館のスクリーンに光と闇の芸術(あるいはジャンク)を投射する
 手間が省かれはしないか、と言う不安だ。

  断言するが、貴方が家でビデオを見ても、それはあくまでビデオであって映画では無い。

 

  一歩先を行く、音楽について考えてみよう。
 かつて音楽は「生」でしか聴くことが出来なかった。
 人々は手に手に楽器を持って集い、弦をかき鳴らし、タイコを叩き、踊り、歌って音楽を体験した。

 もう少し時代が進むと音楽が芸術形態として成熟し、演奏する人、聴く人が専業化される。
 人々はコンサートホールという名の「神殿」に音楽を聴きに行った。
 その神殿の中で、芸術家という名の暴君、もしくは悪魔が思うがままに人間の奥底に秘められた情感を
 えぐり出し、幻惑し、そして真実を我々に突きつけたのだ。 (言っとくけど、芸術ってそういうモンよ)

 やがて、その生きた音楽の首を絞め、ミイラ状にしたお皿が売られ始めた。レコードである。
 「神殿」は居間を占拠する巨大なステレオ・システムに形を変えた。
 再生装置は高価で、レコード自体も脆く、その聴取にはまだ緊張感が残っていた。
 かつてはステレオの前で正座をして音楽を愛でる人も少なく無かったのだ。
 だから私達は時にはレコードのノイズの向こうに潜む悪魔を感じ取る事も出来た。

 そしてCD、ミニコンポの登場。
 電車の中でも、その辺にゴロ寝しながらでも聴ける音楽のドコに「凄み」があるだろうか?
 今や、作り手の方もミキシングの際、『CDラジカセで再生した時に一番聴き映えする様に』調音するのだそうだ。
 もう、聞き手が真剣に音楽を求めてはいない事を前提にしている為、【良い音楽】を作る事よりも、
 【売れる音楽(商品)】である事が重視されているのだ。

 その結果が現在の素ン晴らしい音楽シーンとなって現れてしまった。

 

  映画にとっての神殿は勿論のこと、映画館である。

 「見れない」よりは、ソレがどんなに味を薄めてしまっていても、見た方が断然良いと思う。
 ブロードバンドもビデオ屋も利用出来るモノはどんどん利用しよう。
 だけど、それが【本物】では無い事は知っておくべきだ。

  ※ 「凍った音楽」としてのレコードが、また別の形での芸術形態である事を否定するものでは無い。

                                           (6/24記)


  < 遠い日のコイバナ、その467 〜名前〜 >

  人の名前が覚えられない。

 両親の誕生日も年も何回聞いても忘れてしまうし、他人の電話番号は当たり前のこと、
 名前も、酷い時は苗字すら忘れてしまうことがある。

 会社の朝のミーティングで司会進行をやることがある。
 今日一日の予定を発表させる為に、一人ずつ指名するのだが、この時に司会の私が突然黙り込んでしまう。

 そこの女子社員の名前が判らないのである。

 ちなみに彼女は新人でも何でもなく、入社して3年程一緒に働いてる「友達」である。
 更に悪い事にその前日、彼女と話をしていて盛り上がり、仕事帰りに一緒に映画を見たのだった。

 でも翌朝、名前が判らない。 本当に申し訳ないと思う。

 

  しかし、もっと近しい関係の人の場合だと「あー、ゴメン」では済まない場合もある。

 昔、付き合っていた彼女がいた。
 まあ2人でテレビを見たりしながらダラダラと喋っていたのだが、突然彼女の名前を忘れてしまった事に気付いた。
 流石に焦った。 どうしよう?

 (素直に訊こうか?) 

 「あのさぁ、お前、下の名前何だったっけ?」

 いや、訊けるハズが無い。

 今なら携帯の住所録を見る、と言うワザがあるが、当時はまだ私は持っていなかった。

 焦った。

 彼女が「私の名前、知ってる?」等と尋ねてくる訳も無いのだが、
 忘れてしまった自分にショックを受けて、焦った。
 そして焦れば焦るほど、思い出せない。

 そこで一つの計略が閃いた。 天啓だ!

 「ゴメン、この前貰ったお前の名刺、無くしちゃったみたいなんだけど、仕事中に何かあった時に困るから
 もう一枚くれる?」

 もう、仕方ないわね。なくさないでよォ、と軽く怒って見せる彼女から名刺を受け取りながら
 すばやく、しかし必死で一瞥した。

 そうだった。 この人ァ、○○だった。

 

  ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

                           (5/18記)


  < 遠い日のコイバナ、その218 〜電話〜 >

  このサイトを昔から読んでくれている方は先刻ご承知とは思うが、私は電話が嫌いだ。
 殊に、「何の用事も無い電話」は掛けるのも掛かってくるのも非常に困る。
 理由は、単純に時間が勿体ないのと、「いつ掛ければ良いのか」、「いつ切れば良いのか」判らないからである。

 私とて、長く逢ってない人を思うと「久しぶりにちょっと声が聴きたく」なる事もある。
 しかし、いざ電話をしてみると話題が無くて全く「間」が持たなかったり、全然どうでも良い
 女性週刊誌的な話題に終始したりで、非常にイライラしてしまう。
 こっちは早く切りたいのに、向こうは何か凄いイキオイで喋ってるよォ。 うわー助けてくれー!


  ところで、電話で話す時は誰でもそうだと思うが、普段外で誰かに話す時と違い、「唇」で話さないだろうか。
 余り「腹の底から」声を出して電話で喋る人っていないと思う。

 受話器は、自分の耳に当たる所に相手の口がある。 つまり相手の耳の傍で「囁く」のが電話なんである。
 実は凄くもどかしくも、密接なコミュニケーションなのだ。
 それはキスに近い行為とさえ言える。
 私が苦手ながらも電話をするのは、その人を愛しているからである。

 

  さて、電話が苦手な根本的な原因は他にある。
 その昔、就職して長野県の会社の寮に入った時、そこには10円玉使用の公衆電話が一台あるきりだった。
 長野から大阪の実家や友人達に長距離電話を掛けるにはかなり過酷な状況で、あっという間に「電話を掛ける」
 と言う習慣が私の中から損なわれてしまった。

 そして何年か後、東京に転勤となる。 寮を出て初めての一人暮らし、しかし正直いってお金が全く無かった。
 既に電話に対して必要性が薄くなってしまった私にとって加入電話権の5万だか6万だかは
 身の程を過ぎた贅沢に思えたのだ。
 第一、東京で知り合いなど一人もいなかったし、大阪の友人達とも電話で話すというモードはとうに無くなっている。
 実家の母親と話すだけならテレホンカードで充分だったのである。

 

  話は変わるが、いまや「電話」といえば、いわゆる「家電」よりも「携帯」がメインかもしれない。
 もう殆どの人が携帯を持ち、かく言う私もPHSを毎日持ち歩いている。
 この携帯、確かに便利だ。 例えば待ち合わせなんかも、かなり融通が利く。
 しかし非常に大事な物も喪ってしまった様な気がする。

  東京に出て、一人寂しい生活を送っていた私も或る女性と知り合い、恋に落ちた。
 その彼女とは時々一緒に遊びに出かける遊び仲間だったのだが、
 その日曜の朝も待ち合わせをして映画を見に行く約束を(公衆電話で)していた。

 当日の待ち合わせ時刻、午前11時を5分前にして私は渋谷のハチ公口の改札の前で立っていた。

  待った。

  更に待った。

  そして、 待った。

 何度も公衆電話から家に掛けたが、彼女は出なかった。
 2時間以上遅れて彼女はやってきた。  遅れた理由はもう忘れた。

 今なら携帯で簡単に「ごめーん、ちょっと用事が入って1時過ぎにしてくれるゥ?」「あー、じゃどこかで時間潰してるよ」
 なんて出来るだろう。
 しかしその時、来るとも来ないとも知れぬ彼女を想って悩んだ事は(今となっては)非常に貴重な体験だと思っている。

 携帯によって約束が簡単に出来る様になった反面、約束自体が「軽く」なってしまったのは事実だろう。
 そして、その場しのぎの理由で(それを「言い訳」と言う。)お互いの問題をウヤムヤにしてしまい、
 「言い訳」を聴かされた事で安心をしてしまう。
 相手の本心を想像する、と言う作業がおざなりになってしまうのだ。

  あの時、暑い日ざしの中、呆然と立ち尽くしながら私はハッキリと彼女の気持ちを悟った。

 それでも数ヶ月後、私は思いのたけを彼女に告白した。 結果は言わずともお判りであろう。

                                (5/7記)


 

 人が不幸なのは、「愛」を欲しがる事よりも、ソレを手にする「権利」を欲しがるからではないだろうか。

                               (4/27記)


  <アメリカ万歳!の巻>

  いや、勝ちましたな。素晴らしい!

 敵の親玉は行方が判らないとか言ってるし、大量破壊兵器は見つからないし、
 それでもその工場は見つけたとか言ってるし(どうせ肥料工場でも「作れる可能性アリ」だろ)
 要は都合の良い事しか言わない等と世界中から悪口叩かれても、アンタがナンバー1さ。偉いエライ!

  んで、考えたよ。 どうすれば世界中の皆が(もちろんアメリカ様も、)満足するかって。

 この際、皆で「アメリカ」になってしまおう♪
 何?「植民地にしたいんだけど」? ダメダメ、そんな甘っちょろい関係はイヤよ。
 もっともっとディープになりたいの♪

 イギリスが既にアナタの51番目の州になってる様に、日本も52番目のアメリカの州の一つにしてヨ。
 イラクだってシリアだってクウェートだってロシアだって北朝鮮だって、みーんなアナタのモノ♪

 だから「自国の利益」をキチンと守ってネ。

 言っとくけど、暑いの寒いのハラ減ったのってみーんな改善を要求するからね、「アメリカ人」としてさっ!

                                     (4/18記)


  久しぶりにライヴに行った。 
 アイリッシュ・フォーク / ケルト・ミュージックの、LUNASA (ルナサ)と言うバンド。
 「S」と「A」の間に「E」が入ると悲惨な日本のバンドになってしまうがモチロン無関係。

 CDを一枚も持っていないし、曲だって殆ど聴いた事も無かったが物凄く楽しいライヴだった。
 きっと、その辺で歩いてるヨッパライのおとっつぁんでも、ハナタレ小学生でも、保母さんでも
 大学教授でも、誰でも楽しめる様な音楽だった。

 よく「ステージと観客が一体となって〜」と等と言うが、あらかじめテレビやCDで散々と「仕込み」があった上での
 「お約束」であることが多い。

 全く初めて聴くバンドの初めて聴く曲で自然に体が動き、手拍子を打ってしまう。
 演奏者も観客達も、みんな心の底から笑っていた。

 音楽が共通の「言葉」となって全ての人に浸透して行く瞬間を垣間見た様な気がした。

 

 映画「WATARIDORI」にしろ、ルナサにしろ、こういう体験が出来てしあわせに思う。

                                      (4/11記)


  皆さんご存知だろうが、私の趣味は映画・読書・音楽鑑賞が主だ。
 どれもとにかく時間を費やす事この上ない。

 ペレス・レベルテ作「ナインスゲート」に次の様なセリフがある。

 「あなたの好きな本は利己的だ。 孤独だ。 本を楽しむひとは誰も必要としない、それが私は怖いの。

  ときどき、あなたが怖くなる」 (適当に略)

 

  いつも寂しい思いをさせてゴメンよ。

 

 

 

 

 

 

 

   >猫ちゃん 

   ふーんだ、フテ寝してやる〜

                                      (4/6記)


  なんと紹介すれば良いのだろう?
 とにかく尋常じゃない文章感覚とギャグセンス、深い洞察力と博愛の人、倉林氏のHPをリンクしますた。

 私より5才程年下だが、尊敬しとりますです。 そして応援してるでね〜 さあ、逝く 行くが良い! → 「はらわた」


 <嘘つき、の巻>

  貴方が今までに出遭った、たかだか千人程のタイプで私の事をカテゴライズするのはやめて欲しい。
 「普通の人ならこんな事を、する/しない」等と言うルールで物事を決め付けるのは確かに便利だが、無意味。

 私は他の誰かとは違う特別な人間なのだから、  貴方がそうであるのと同じ様に。

 

  だから、その人の真実を知りたいと願うなら、何より増してその対象を良く「見る」事だ。
 口から出る言葉は、相手の事を、自分の事を傷つけまいとして慣習化されて表面をなぞるばかり。
 真実はいつも「口に出せない部分」に隠れている。

 言葉は、真実を騙る時には強大な武器となる。
 そして言葉は、真実を語る時には余りに非力。

 その不完全な言葉に頼り切ったコミュニケーションだから、電話は大キライ。

 

  告白しよう。 「喋っている私」は嘘つきだ。
 言葉が不完全である事を自覚しつつ、それでも言葉を紡いでいるのだから。

                                 (3/28記)


  <無償の愛、の巻>

  「賢い動物」 と聞いて貴方は何を思い浮かべるだろうか。
 猿、イルカ、猫、フクロウ、そんな所だと思うが、やはり真っ先に挙がるのは犬ではないだろうか。

 実際の知能という点では犬よりもカラスの方が優れているのだそうだ。
 しかし犬はその長年に渡る人との共存の中で様々な品種改良を受け、
 「人間の役に立つ事を上手くこなす能力」を身に着けた。
 だから犬は「賢い」のであり、人が嫌がる事をやってのけるカラスは「ズル賢い」のだ。
 人間とは勝手な生物だ。

  例えば牧羊犬、ボーダー・コリーやシェットランド・シープドッグ、ウェリッシュ・コーギー等は
 羊や牛を追って統率する。
 ゴールデンやラブラドール、フラット・コーテット等のレトリーバー達は、
 その名の通りretrieve(捕らえて来る)する犬だ。 人間が銃や弓で撃った獲物を回収するのが彼らの仕事。
 だから投げたボールやフリスビー等を持ってくるのがとても上手。
 プードルは水辺での水鳥の回収が得意だし、ミニチュア・ダックスはアナグマの巣に潜り込んで猟をする為に
 あの様な体型に改良された犬だ。

  彼らの仕事っぷりを見て、私たちは「賢いなぁ」と言う。

  しかし、犬達は羊を追ったり、獲物を運んで来る事が自分自身の利益になるのではない。
 犬は人に対して主従関係の「従」の立場に自らを置く事で精神的に安定し、生きていける。
 ペットショップで売られている様な犬であれば尚更だ。
 彼らは、私達の喜ぶ顔が見たいから、役に立ちたいと願うから、色んな仕事をこなしてしまうのだ。
 寝っ転がっているだけで人間の寵愛を勝ち取る猫と比べると「バカ」なのだ。全然賢くなんかない。


  ペットショップで仔犬を買って来て(それは書類上の契約だ。)、貴方の手からエサを食べ、
 顔をペロペロと舐めたその瞬間(それは魂の契約)、「貴方」が犬にとっての「世界の全て」となる。

  最近では余り見なくなったが、捨て犬はエサをやると怯えながらモサモサと食べるだろう。
 しかし、彼の心には大きな穴が開いている。表情一つを取っても目の輝きからして、明らかな欠落が
 見える筈だ。
 何故なら、彼は世界の中心を喪ってしまったのだから。

  だから、 だから犬を捨てないで下さい。

 もしどうしても捨てると言うのなら、せめていっその事、貴方自身の手で絞め殺してやって欲しい。

 苦しみながら、犬が貴方の手を咬むかもしれない。その痛みを骨に刻み、
 彼の「何故?」と言う最期のまなざしを網膜に焼付け、十字架を背負って生きて行くがいい。

 

  貴方は裏切ったのだから。

 それがせめてもの彼の「無償の愛」に応える術ではないだろうか。

  ※ 捨てられる犬が無くなった訳ではなく、すぐに保健所に『保護』されるからである。 
     保護って言うのが何を意味するかはご存知だろう。

                              (3/1記)


  <古本様々、の巻>

  最近、古本を買う機会が増えた。 
 もちろんそんなモノを買っても著者や出版社に一銭の印税も入る訳が無いので
 ちょっと申し訳ない様な気もする。
 とは言え、ごく一般的な人たちと比べれば私の方が新本を買う量も多いと思うので勘弁してくれ。
 そもそも絶版となって古本でしか買えないモノを探しに古本屋に通い、それが習慣となってしまったのだし。

  ところで、図書館で借りた本や古本には時々ヘンな状態のモノがある。
 角の折れ、頭髪が挟まっている、等は全然平気だが中にはヒドイ物もある。

・誰かへのプレゼントらしく、最終ページの余白に「寄せ書き」が書いてある。
 ちょっと笑った。ちなみに文庫サイズの猫の写真集だったが、、、貰ったモノを売るな!

・映画「パニックルーム」の劇場チケット半券が栞として(?)挟んであった。
 本はアガサ・クリスティーの「マン島の黄金」だったが、何となく前の持ち主の嗜好がうかがえて興味深い。

・かなり困ったのは、推理小説を読み始めたは良いが、或る人物の名前に赤丸が付けてあった事。
 まだ誰も死んで無いのに犯人が判ってしまった。 ムカついて捨てたので何の本だったか覚えてない。

・更に、最終部の数ページが切り取られている。と言う信じられない事もあった。
 苦労して直前まで読んで来た所だっただけに、呆然とした。 小学生時代の図書室の本だった。

・最近では鈴木光司の「ループ」を読んでいたら、余白に鉛筆でウンコの絵が丁寧に描き込まれていた。
 もちろんトイレのシーンでも何でもなく(挿絵かよ)、更に異なる絵のタッチで「コーン」と「スプーン」が
 描き足され、ソフトクリームに見える様にカモフラージュしてあった。恐らく別の人の手による物だと思うのだが
 消しゴムで消した方が良かったのでは?  それとも何かのメッセージなのだろうか。

 さて、ウチもいい加減に本で一杯になってきたので、オークションにでも出そうかしらん。

                                 (2/22記)


  <スプラッター、の巻>
 【注】 今回の雑記は本当に最悪です。ホラー等が苦手な人、食事中の方は読まない方が良いと思います。

  ホラー映画、特にスプラッターを見て「ウゲゲ」となるシーンがある。
 血まみれで人が死んで行く場面等だが、撮影者はそんなシーンを「想像」して作るのだろうか。

 生き物が酸で溶けていく様や、汽車に頭部を轢き潰されるシーンや、マングラーに喰われて
 折り畳まれて行く様な場面を実際に目にする機会は結構少ないと思うのだが。

 先日、私はスプラッターな体験をした。そして、ホラー映画の残虐シーンが非常にリアルに出来ている事に
 気づいてしまった。 これは、、、恐ろしい事だ。

 そのゲロゲロな体験を試しに描写してみた。さすがに別窓で開くことにする。 →「最悪な光景」
 もし仮に写真に撮って、例えば2ちゃんねるに貼り付けたとしたら新聞沙汰になって、
 書類送検されかねない程のシーンだった。

                        (2/21記)


  はい、バレンタインおめでとう(←ヤル気無し)

  私がバレンタインについてチマチマ書くとは誰も思ってないだろうから、無理矢理書いてみる。
 しかし書くも何も、「バレンタインデーに(チョコを貰って)愛を告白」された事なんか一度も無いのだ。
 お恥ずかしい限りだ。

 何故かは知らぬが、小〜中学生の頃は人並みに「はい、これアゲル(はあと)」等と、頬を赤らめた少女に
 チョコを貰ったモノだが、所詮は「おままごと」である。  (イヤ、当時は彼女達なりに真剣だったのは判るよ)

 これが高校に入って、彼女達が冷静な審美眼を持ち合わせた(のかは知らぬが、)途端に誰からも
 ハナも引っ掛けられなくなった。
 毎年、完全な義理チョコをボリボリと貪るのが通例となった。
 まぁ、付き合っている人から貰う「本命チョコ」はあるので別段わびしい訳でも無いのだが、
 そういう「安定」とは違ったドキドキを味わった事が無い。

 仕事をする様になり、年を重ねる毎にますます「告白チョコ」を貰う望みは薄くなって行く。
 恐らくこのままでは一生そんな機会は無いのだろう。

 今日も今日とて、その事に気づいたのはもう家に帰る頃だった。
 貰えないのは、大して「望んでない」からなのかもしれない。 第一、色々とメンドーそうだしな。

 いやしかし、これは一匹の♂として重大な欠陥なのかもしれない。
 イカンイカン。 来年は何人もの女性から「好きです、付き合って。」と愛情を告白される様な
 男にならなくては!

 まずは何だろう、「イタリア人から抽出したフェロモン香水」だろうか。 もわ〜〜〜ん♪ 

                           (2/14記)


  作家、中島らもが大麻所持で逮捕されたらしい。→GO

 私は彼のファン(3〜40冊(ほぼ全部のハズ)は読んできた)だが、
 彼がアル中であろうとヤク中であろうとどうでも良い。

 もし、ハッパのおかげで「水に似た感情」や「ガダラの豚」等が書けたのなら、
 もし、シラフの状態だと「さかだち日記」程度の本しか出せないのなら、
 これからも健康なんぞ顧みる事なくラリパッパでいてくれていい。

 我々は「中島らも」というオッサンを愛しているのでは無く、
 「中島らもの書く作品」を愛しているのだから。

 

  勿論の事、「クリーンで健康でありつつ、良い作品を産み出して」くれるに
 越したことは無いのだけど。

  しっかりせんか、オッサン。 つか、せめて捕まんなよ。 (槇原の時も同じ様な事書いたなァ)

                       (2/7記)


  <2002年、謎犬アワード> 「謎犬」ってもう殆どの方は知らないだろうなぁ。

 【映画】
 今年★5つをあげたのは、「エピソードU」「マジェスティック」「少林サッカー」「ムーラン・ルージュ」
 の4作品だ。この中から一つを選ぶのは本当に難しい。
 しかし、溢れる程の夢と希望に満ちた「マジェスティック」をベスト1としておこう。「ムーラン〜」は去年の作品だしな。

 【音楽】
 週刊「ぴあ」で、「2002年の映画500本」と言う記事があり、158本も見たのに、まだまだ見たかったなぁと
 思わせる映画が沢山あった。
 しかし同時に「2002年の音楽500枚」というのもあったのだが、こちらは只の一枚も買ったモノが無かった。
 恐らくごく一般的な人より遙かに多くのCDを買っていると言うのに。

 選ぶのはとても簡単。スポックス・ビアード「スノー」だ。このアルバムに出会えて幸せだった。

 【本】
 うーん、来年は読んだ本も全て記録に残しておこう。今年、どの本を読んだか忘れてしまった。
 ディーン・クーンツ「ウォッチャーズ」、久間十義「狂騒曲」、セオドア・ローザック「フリッカー、或いは映画の魔」
 等が大変に面白かったがいずれも今年の本では無い。
 ロバート・ゴダード「今ふたたびの海」にしておこう。

 来年も沢山の良い作品に出逢いたいものだ。

 では今年も有り難うございました。 良い年を!

                            (12/31記)


  2002年、年の始めに目標としていた事が2つあった。
 その一つは【 カラオケに行く 】で、コレは無事(?)に果たせた。
 もう一つは【 一度くらいは「あ〜ヒマだなぁ〜、、、」と呟く事 】で、こちらは全うされる事が無かった。

 とにもかくにも忙しかった。
 モチロン時間を費やした最大の原因は映画だが、まあよく見たモノだ、150本以上になった。
 その合間に仕事をし、更にその隙間を縫って本を読んだ。 ああ、このサイトも頑張って更新したなぁ。

 只の一日たりとも無為に過ごす事は無かった。いや、ひょっとすると一時間たりとも、
 (それが良いか悪いかはさて置き)
 映画や本の中だけでなく、実生活でも非常に沢山笑い、怒り、泣いた。
 仕事ははかどらないし、身体の方は軋みをあげている、人間関係も難しくなって行く一方だ。
 楽しい事と同じ位に、辛い事も多かった。

 だけど、このちっぽけな「私」と言う器のいっぱいいっぱいまでフルに使い切った一年だった。
 だから「良い年だった」と胸を張って言える。
 この先望むべきは、その自分の器の容量を少しずつでも大きくする事だ。

 

  先日200円程で買った中古CDにこんな歌があった。
 もうじき迎える新年を前に、この詩を贈りたい。

      閉ざされたドアの向こうに 新しい何かが待っていて
    きっときっとって 君を動かしている
    いいことばかりでは無いさ でも次の扉をノックしよう
    もっと素晴らしいはずの自分を探して

    胸に抱え込んだ迷いが プラスの力に変わるように
    いつも今日だって僕らは動いてる
    嫌な事ばかりではないさ さあ次の扉をノックしよう
    もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅

                             (ミスター・チルドレン「終わりなき旅」より)

   来年も頑張ろう。

                   (12/28記)


   <言葉責め・ビフォア・クリスマス> (←もう原典判んねーよ)

  毎年クリスマスを目前にした師走のこの頃、カレンダーを探しに行くのが楽しい。

 先日T急ハンズ(伏せ字の意味ナシ)の文具売場で母親に贈るカレンダーと自分の仕事場用のモノを
 物色していたのだが、その時異様な写真を見つけた。

 マリリン・マンソン 、、、、こんな人のカレンダーなんてあるのか。
 でもまあイイや、結構好きなキャラクターだしな、とか思いながらパラパラめくっていった。

 「うおっ!こ、これはっ!!」

 何度も確かめて見直した。しかし、紛れもなくコレはっ!
 思わず近くにいた店の女の子に問いただした。

 せ 「あー、チミチミ。これは何だね?」

 店 「え?2003年のカレンダーですが?」

 せ 「いや、カレンダーって事もこの男がマリリン・マンソンって事も判っとるぞね。
    この写真のコレは何だと訊いておるのじゃ。」

 店 「(マジマジと写真を見て突然ハッと色をなす)あ・・・・」

 せ 「さあ、何だ!言ってみろ!」

 店 「いえ、あ、、、そのう、、、、」

 せ 「何だ、売ってる商品について説明も出来ないのか。さあ言え!言うんダー!(ハァハァ)」

 

 つか、ステージ上で客を煽る為にパンツ下げるのはマァ良いとしても、わざわざ日本のカレンダーに
 チンポコが写った写真使うなよ。  

   【一部フィクションだす】 にしてもイヴ・イヴに相応しい美しいお話だったな。    (12/23記)


 久しぶりに筒井康隆を読んだ。「着想の技術」 かなり薄い本なのだが内容は濃い。
 非常に難解な為、読了まで相当な時間が掛かった。
 友達にわざわざ送って貰った本でなければ途中で投げ出してしまったかもしれない。

 ごく簡単に言うと筒井康隆が自らのアイデアを得る方法、それを小説と言う形に昇華する為の
 テクニック等を紹介するエッセイだ。

 しかし、結局の所は彼の他の小説と「手法」が違うだけで同じ事を語っているのだと思う。

 

      

href="tamago.htm"><font color="#0000FF" size="2">はとぽ</font></a><font
color="#000000" size="2"> </font><font color="#FF0000" size="2">9/8up
! </font><font color="#000000" size="2">←はとぽさん達はウンコの山を残して飛び立って行かれました。</font></p>

<hr>

<p> 久しぶりに筒井康隆を読んだ。「着想の技術」 かなり薄い本なのだが内容は濃い。<br>
 非常に難解な為、読了まで相当な時間が掛かった。<br>
 友達にわざわざ送って貰った本でなければ途中で投げ出してしまったかもしれない。</p>

<p> ごく簡単に言うと筒井康隆が自らのアイデアを得る方法、それを小説と言う形に昇華する為の<br>
 テクニック等を紹介するエッセイだ。</p>

<p> しかし、結局の所は彼の他の小説と「手法」が違うだけで同じ事を語っているのだと思う。</p>

<hr>

<p>  <font color="#FF0000"><誤植></font></p>

 例えが強引かもしれないが、上の様な設計図が筒井氏の頭の中の発想としてあり、それを読者に
 読みやすい形に加工したモノが「小説」なのだと思う。


  <誤植>

 今日発売の「週刊ぴあ」の記事を見て、思わず笑い転げた。
 年末にむけて発売された小澤征爾(←オザケンの実の叔父)氏が指揮した
 ベートーヴェンの「第九」のCDについて書いてあるのだが、、、

   78枚、 もう少し頑張ろうよ。

                         (12/16記)


      「SNOW」 / Spock's Beard  

  このサイトで、様々な音楽・小説・映画などを紹介しているが、
 その中でも心の底から、是非味わって欲しいと願うモノがある。

 例えば浅田次郎の小説「蒼穹の昴」、 
 スティーヴン・キング原作フランク・ダラボン監督の映画「ショーシャンクの空に」、
 等が筆頭だ。

 この2作に共通する事は、『希望』だ。
 特に希望をテーマに語られる訳では無いが、見た者、読んだ者に強い開放感と共に、
 自分の(人間の)未来に明るい希望を抱かせてくれる。

 さて、つい最近スポックス・ビアードと言う変わった名前のバンドのニューアルバムが出た。
 「スノー」と言う彼らの6枚目にあたるスタジオ盤、これはもう殆ど奇跡の様な出来だ。

 かなり高度な技術で作られているが、決して難しくない。(←ココが重要)
 ビリー・ジョエルやビートルズを聴く位の感覚で誰もが楽しめるのではないだろうか。

 この圧倒的な開放感に包まれる幸福を貴方にも体験して欲しい。 

 残念な事に非常にマイナーなバンドなので、CDを買うには取り寄せが必要かもしれない。
 2枚組とヴォリュームも大変なモノだが、そんな苦労をする価値は絶対にあると思う。

 公式サイトにはMP3サンプルも置いてあるが、その魅力の1/100も伝わらない。
 どうしても、と言う方は「I will go」を聴いてみて欲しい。(Real Player)


  <オトコは狼なのよ〜♪、の巻>

  今日、終電間際の満員電車で痴漢されている女の子を助けた。

 酔っているっぽい背広姿のサラリーマンの手が女の子の短いコートの裾の下からオシリを触っている。

 私は被害者の女の子に、「あ、俺と場所を替わろう」 と声をかけた。
 すると近くにいた別の女性が私の声をきっかけにして、「この人、痴漢してますよ」 と言い出した。

 男 「え、何もしてないよ〜」

 別女 「いーえ、さっきから手が動いてるじゃない、、、、」

 私 「あー、いいから、(被害者の女の子に対して)こっちにおいで。」「(男に対して)紛らわしいからな、
    こうすりゃ間違いも無いよな。」

 と、男から被害者を分断するように自分の身を入れた。
 余り追い込んで逆ギレされて暴れられてもメンドーだしな。

 結局次の停車駅で男が降りた後、女の子と告発した女の人の両方からお礼を言われた。

  1ポイントGetだぜ。

 ちなみにナカナカ可愛らしい娘だった。
 心中(助けてあげたんだから、ボクもちょっと触らせて〜)

  今この場でマイナス2ポイントだぜ。

                        (12/6記)


  <X'mas、はエックスマスと読みたい、の巻>

  早くも2002年も残すところ一ヶ月、街にはイルミネーションが輝き、嫌が応にも心掻き立てられたり
 何かに急き立てられる様な気持ちになったり、、、師走だねえ。

 さて、このクリスマスってどういう日?

 1.独りで過ごす事を恥として、無理矢理にでも安易に即席カップルを産み出す日。 昔テレクラ、今逢いモード。

 2.大量消費促進の陰謀。 何でサバの切り身が「クリスマス特価」なんだろう?

 3.クリスマス当日、及びイヴの夜を起点とし、イヴの前日(イヴ・イヴなんてバカな言葉もあるね)を2番目、
  更に前日を3番目、と数え、ステディと思っていた彼(彼女)の中での自分の順位を知る日。
  「ゴメン、当日仕事でさぁ〜〜」

 4.とりあえず酒を呑む日。 「ちくしょー、部長のバカヤロ〜!」←クリスマスでなくてもセリフは変わらず。

 ん? 「5.キリストが産まれた日」? ほう、模範的だね。
 でもそれはキリスト教義的には合っているが、正解では無い。

 

  クリスマスは12/25だが、これはほぼ冬至と重なる。
 この日、太陽の命が一番短くなり、そこからまた少しずつ日照時間が延びて行く。
 つまり冬至とは太陽(神)の誕生日なのである。

  かつてはキリスト教も新興宗教であり、太陽神崇拝のミトラ(ミトラス)教と、ライバル関係にあった。
 そしてその勢力を拡大する為にキリスト教がミトラ教の最大の儀式を奪ったのである。
 イエスを太陽神になぞらえた訳だ。

 ついでに言うとキリスト受難の日、いわゆる復活祭は春分の日にあたる。
 冬(死)と夏(生)が均衡するこの日こそ、復活の日に相応しい訳で、これはキュベレー信仰に於ける
 アッティスの死と復活に由来する。

 この様にクリスマスも復活祭もキリスト教のシステム運営上、都合の良いように、後付けで
 制定されたイベントなんである。

  ちなみにイエス・キリストの誕生日を12/25としたのは7世紀の西方教会によってであり、東方教会は
 1/6としている。
 本当の所はナザレのイエスが何月何日に産まれたかはおろか、正確には何年に産まれたかも
 判っていない。

 この為、聖書を完全に信じるファンダメンタリストの人々の中にはクリスマスを聖書に対する冒涜と
 するものもあるらしい。

 

  さて、布教上の理由から経済活動、リビドーの発散まで、様々な思惑を織り込んだクリスマスだが、
 まあ一般的に言って、世の男性はこの「イベント」に興味は薄い。
 前述1.の様にこれをチャンスと捉えギラギラ頑張りまくる男もいるが、
 特に既に恋人や家庭を持った者にとってはかなりメンドーなイベントである。
 (こんな事ばかり言ってるからモテないんだけど)

 何で汚い街や街路樹に電球をブラ下げただけで、こんな満員電車の様な人ゴミの中を出かけなきゃ
 いけないんだっ!

  最後に槇原敬之の「雪に願いを」から引こう。

   「 クリスチャンでも無いのに そう思っていたけれど 
    クリスマスは 優しい気持ちになるための日だね 」

  僕達がクリスマスを尊重するのは、イルミネーションを見たいからでも
 殆ど理由の判らないプレゼントで散財したいからでも無く、

 ただ君達女の子の喜ぶ顔が見たいからなんである。

 

  素敵なクリスマスを。

                      (12/4記)


  <PUNK>

  音楽のジャンルとしての「パンク」は嫌いだ。
 しかし「生き方」としての「パンク」は好き嫌いの問題ではなく認めざるを得ない。

  それが寂しい人間の甘えた生き様であるにしても。


  私に言わせると、「パンクとは〜」云々の蘊蓄を垂れた時点でその人はもう「パンク」では無い。

                          (12/1記)


  <オタクについて、の巻>

  その方面では著名人なのだそうだが、唐沢俊一氏と志水一夫氏の対談本「トンデモ創世記」を読んだ。
 何でも彼らはオタク文化を創った第一世代なのだという。
 その冒頭で改めて「オタク」について定義しているのが興味深い。曰く、

 オタクとは身の回りにあふれるモノを通じての、世界理解の一つの形である。
 理論、理念で実際の社会を分析するのではなく、今現実にそこにあるモノを通して世界を見、認識し、
 そして語る人々を指す。

 これまでの人はダメなものを排除し、うち捨てていた。しかしオタクは、ダメなものをダメなものとして、
 愛することができる人種なのである。

 確かに現在の余りに(一見)豊かなモノの洪水の中にあって、「良いモノ」も「ジャンク」も併せ呑んで
 蒐集してしまう彼らの姿勢は一種の博愛主義と取れなくもない。
 しかし、私に言わせると「何故、ソレ(物)がココにあるのか」と言う精神が欠落している様に見える。
 どうにも「本質を求める」というベクトルが感じられないのである。 

  以前にも書いた事だが、「オタク」は非生産的である。
 彼らは小説家や画家、音楽家などの芸術家が生み出したモノを無尽蔵に貯め込み、活用する事を知らない。

 さて、その芸術家達であるが、恐らく彼らもまたかつては「単なるオタク」だったに違いない。
 例えば小説家だとすれば、彼がその作品を書く為に恐らく膨大な蔵書を抱え込み、明けても暮れても
 本や資料を読み漁り、原稿を書いては破りの毎日だった筈だ。
 彼が一冊の本を「産み出す」までは彼は単なる「引き籠もったオタク」だったのだ。
 ギタリストもまた然り、彼がその超絶技巧を身に着け、人々を魅了する音色を獲得するまで、
 一体どれだけの孤独な年月を必要とした事だろうか。

  オタクとは、その異常な量の蒐集品で身を囲って眠ったままのサナギなのだ。
 その繭の中で不断の努力をし、更に幸運に恵まれた者だけが表現者/芸術家と言う名の蝶となって
 羽ばたく事が出来るのだろう。
 しかし、多くのサナギはその繭の中でそのまま腐れ朽ち果てて行くのであるが。

 オタクが気持ち悪いのは確かだ(彼らには他人との接点が非常に狭い為「常識」に欠ける場合が少なくない)が、
 世の中の「面白い事」を作っているのが彼らの中から抜きん出た人に依る事もまた事実だと思う。

 願わくば、より多くのオタクが繭を破って活躍して欲しいものだ。

 

  さて、ここまで書いて少し気になって友人に(携帯)メールをしてみた。

  「オレってオタクなの?」

 普段は3〜4時間も返事が来ないのだが、この時はホンの1〜2分で私の携帯が返答を受信した。

  「そうだよ♪」

 

   しくしくしく、、、、、、

                     (11/15記)


  <年をとる、の巻>

  誕生日を迎え、また一つ年を重ねた。
 この年になっても電話やメール、プレゼントまで戴いて、多少気恥ずかしくもあるが
 やはり嬉しい。

 さて、「年齢を重ねる」と言う事は「成長する事」であるのが望ましい。
 今、自分を振り返ると忸怩たる思いがあるが。

 この「成長する」と言うのは、私は「ベクトルを増やす」事だと思っている。
 日々の暮らしの中で出逢った人や本や音楽などに触れ、自分の内に新しい方向性を生み出すのだ。

 生まれた時点で我々は一つの「点」である。
 そこから、様々な事を経験して、四方八方に放射されるベクトルによって人間性が形作られていく。

 抽象的ではあるが、例えば3つの事柄しか学ばなかった人は、中心点から3つのベクトルを持ち、
 彼の人間は「三角」である。
 これが年を重ね、彼が様々なベクトルを内に持ったとすれば、五角形〜十角形〜〜と、
 限りなく「円」に近づいて行く。

 年齢を重ねて人が「丸く」なる、と言うのは、
 良い事悪い事、幸せも不幸せも経験して行くからではないだろうか。

 

  単に体型が丸くなってしまったけどな。

 

 【蛇足】  例外もある。殆ど一つのベクトルにのみ生きる人だ。
       その集中された絶対値は莫大な力を持つが、人間的には非常にアンバランスな状態と言える。
       彼は決して安息を得る事は無いだろう。

       その呪われた業を背負った人間を「芸術家」と呼ぶ。

       「芸術とは人生のただ一点から垂直に立つ」とショーペンハウアーは言った。
       つまり芸術活動とは「個」の自己保存の本能と切り離された行動だと言える。
       時として彼の尖った人間はポキリと折れてしまうのである。

  どちらの生き方もそれなりに魅力があるな。私自身は凡人で良かったと思うが。

 ま、ともあれこのクソったれな世界に生まれて来た事、今までの私を育んでくれた方々に感謝であ〜る。

                    (11/7記)


   < I Believe in ...V 〜天動説の男〜>

  ファンダメンタリストと呼ばれる人々がいる。
 聖書根本主義者の事で、その名の通り聖書に書かれた事の全てを事実だと信じる人達である。

 「実際にこの世界は神が6日間で創造したし、ノアの洪水の際は、箱舟に世界中の動物を一つがいずつ
 乗せて絶滅を免れたのだ。」

 そんな風に、書かれた内容を寓話・抽象としてでなく、字義通りに信じるのだ。
 特にアメリカなどでは相当数(一大勢力と言える程)の人々が
 熱心に信じていると言う。(日本にもこの考えを支持する団体があるそうだ。)

 彼らを笑う事は容易い。 しかし、貴方のその笑いの根拠はどこにあるのだろうか?

 結局の所は私自身も「ヒトはアフリカの猿を起源として進化して来た」
 と言うダーウィン説が正解だと信じてはいる、しかし
 神がこの世の全てのエレメントをお創りになったと言う考えの方が「好き」だ。

 本当は太陽が動いている訳で無く、地球の自転で自分に対する太陽の位置が巡っている事を誰でも
 知っている。
 判ってはいても、感覚的には太陽が東の地平線から南天へと「昇って」西の地平に「沈んで」いくのだ。
 地動説を信じている貴方だが、ごく自然に「太陽が昇った」と言わないだろうか。

 当然、この世界は大きなテーブル状であり、「地球が丸い」なんてウソっぱちだ。

 

 常識として「引力」だの「進化論」だのを知ってはいるが、さしたる実感が無いので、
 私にとってはソレらは神話・伝承・因習etc,と大差ないのだ。

 実際に生きていく上で、地球が丸くてもそうで無くても別段どちらでも構わないと思う。
 そんな事よりも私にとっては太陽が、月が、星が空を巡るのを愛でる気持ちの方が大切なのである。

                             (11/2記)


   < I Believe in ...U 〜パチンコの神様〜>

  酒も煙草もギャンブルもしないけど時々パチンコはやる。
 最近にしては珍しく週1ペースで遊んでいる。
 規制緩和で新しい基準が設けられた新機種が面白いのだけど、何より今月は見たい映画が
 少ないのと言うのも大きな理由だ。

 さて、私がパチンコを打つ時、妙なジンクスがある。それは、
 「仕事を凄く頑張った日には大当たりする」と言うモノ。
 我ながら幼稚だなぁ、とは思うのだけど。

 大抵仕事帰りに行くのだが、大当たり(フィーバー)を引いたとする。
 その時その日の自分の仕事を思い出して「ああ、良く頑張ったから『ご褒美』なんだよな」
 なんて思う。
 モチロン負けた時は「あー、今日サボり気味だったしなー」と。

 実際にこんなくだらないジンクスが当たっているかどうかは問題では無い。
 「そんな風に考える」事自体が重要なのだ。

 よくよく考えてみると、コレは『宗教』となんら変わらない事に気付く。

 

  「来世で救われる」等と謳う宗教もあるが、私に言わせれば全ての宗教は
 「現世での救済」の為にある。

  「功徳を積めば、例え死んでも来世できっと救われます」といった様な言葉を信じて
 「今は苦しくともきっと来世は幸せになる」と言う希望が現世を生きる助力になるのだろう。
 そしてこの世を去る時の恐怖や苦しみも和らげるのだと思う。

 もっとも、新興宗教(と言う名の営利団体)の中には、そうやって信者に妄想を売りつけ、
 教祖の「現世での栄華」を目指すモノも少なくない様に思える。

 

  長く底の見えない不況も相まって、今や日本人の自殺率は世界一だそうである。
 これには国民性であるとか潜在的な宗教観が関係している様に思える。
 仏教が悪いなんて短絡的な事は決して言わないが、
 少なくとも欧米では自殺は大変な禁忌とされている事はキリスト教(※)の教義に依る所が大きいと思う。

 

  別にキリスト教が良い、と言ってる訳では無い。
 ただ、私達一人一人が「何者か」のおかげで生きていられる、と言う感謝の気持ちを絶えず
 心の片隅にでも持ってさえいれば、随分と様々な苦しみが軽減されるのではないか、と思うのだ。

 

  私自身は過去も現在もどこの宗教団体にも属さず、フリーである。
 しかし、「神」の存在は疑うべくも無い。

 (私にとって)名前も無い神様であるから、当然彼がワザワザ私の為に救いの手を差し伸べて
 くれるハズもない。
 しかし、私と言う人間を創ってくれた彼に対して感謝しているし、その気持ちをお返しする為に

   「一生懸命生きている」

 それが私なりの信仰であり、同時に救いなのだ。

 (※) 中には【異端カタリ派】等の様に、肉体を「魂を閉じこめる汚れた器」とし、自発的殉教(つまり自殺)をも辞さない
      宗派もある。

                                     (10/30記)


   < I Believe in ...>

  私自身は余り好みでは無いが、映画「サイン」は一般的にはヒットしてナカナカの興行成績のようだ。
 今回はまず、この映画でも扱われているミステリーサークルについてから。

  この奇怪な現象には諸説あるのだが、「宇宙人のサイン」「プラズマ発生説」「イタズラ説」等が主なモノだ。
 私としては「ナスカの地上絵」と共に宇宙人のサインであれば面白いのに、なんて思うのだが、
 やはり無理がある。
 何万光年も離れた星からやって来る程の高い科学技術を持った宇宙人に対して送る信号が地上に描いた
 「絵」というのはちょっと不自然だし、第一相当に広い田畑でしか信号を送ら(送れ)ないのもヘンじゃないか?

 まあ、結論からすると「イタズラ説」が最も有力な様だ。
 91年にはイギリスで芸術家のオジイちゃん2人組(ダグ・バウワー/デヴィッド・チョーリー)が
 「オレ達がイタズラで作ってただよ」
 と新聞紙上で告白してしまったのは有名な話だ。
 確か、帽子のツバに針金で目印をつけて、その目印の輪と地平線を合わせて進めば、
 「人間が地上で描くのは困難」とされた正確な直線も簡単に出来るとか言っていた。

 この様にミステリーサークルを作る人達の事をサークルメイカーと言うらしい。(←これはこれで凄い。)

 

  さて、「つむじ風やプラズマの渦によって作られる」と説く人としては、大槻義彦教授が有名だが、
 彼より以前にイギリスの気象学者ジョージ・テレンス・ミーデン氏が「自然現象」として解明しようとしている。

 しかしミーデン氏に、人が麦を踏んで作った偽造サークルを見せ、彼が「これは本物だ」とコメントした後で
 「うっそぴょ〜ん、イタズラだよーん♪」とバラされ、しかもその困った博士の様子を一部始終テレビカメラに
 撮られてしまった。
 ミステリーサークルの研究者としての彼の権威はポロポロになり、ミーデン氏はその事件をきっかけに
 研究をやめてしまう・・・

 これはかなりヒドイ話だと思う。

 いいじゃないか、「プラズマがミステリーサークルを作る」、と信じていたって。
 ソレが間違いであったって、誰が迷惑すると言うのだ。
 勿論、真実を追究するのは正しい。だからと言って一生を賭ける勢いで研究してきた人の人生を
 こんなやり方で踏みにじるのはどうだろう?

 

  私は先にも述べた様に「宇宙人説」も信じられないが、本当は宇宙人だったらいいのにな、とも思っている。
 いろんな説があるから面白いのだ。

 こういう曖昧な、いわゆる『謎』が全部無くなってしまうと、この世の中は無味乾燥ではないかと思う。

 例えばサブリミナル効果。
 ごく短く、肉眼では見えないシーンを映像に挿入して意識下に働きかけると言うモノだが、
 映画の中に「コーラを飲め」「ポップコーンを食べろ」と入れたらそれぞれコーラとポップコーンの
 売り上げが伸びた。と言う話は有名だろう。

 しかし、コレ、ジェイムズ・ヴィカリーと言う広告屋さんの嘘なんだそうだ。

 また、例えばキャトル・ミューティレーション。
 (主に)牛の体の一部分が刃物の様なモノで鋭く抉られたり、血液が失われたりする現象だが、
 これも当然宇宙人の生体実験などの説がある。

 これは野良犬、ハゲタカやスカンク、それにアオバエが犯人だと言う。

 更に例えば、ユダヤ人陰謀説を一手に引き受ける有名な「シオン議定書(プロトコール)
 は史上最大級の偽書であるし、
 イエス・キリスト本人の語録も収められているという 「聖トマスの福音書」も正典とは認められず、
 外典、または偽典扱いらしい。

 

  少しガッカリしないかな?

 世の中には色んな事を信じている人達がいて、端からそれを見ると滑稽だったりする。
 でも本人達は大マジメだし、極論してしまえばソレが彼らの生き甲斐(全てでないにしても)なのだ。

 ミステリーサークルやキャトル・ミューティレーションを宇宙人の仕業と思う人がいても、
 シオン賢者の議定書(プロトコール)を真剣に読んでユダヤ人の陰謀を唱える人も(ユダヤ人にとっては
 いい迷惑だが)他人に危害を加えない程度であればソッとしておいてあげれば良いのではないか。

 しかし大事なのは、
 この様に世の中には常識に掛からない様な事を真剣に信じている人も沢山いて、
 結果的に間違った思いこみ(妄想と言っても良い)の情報も真実と同じ様に流布されているのを知っておく事だ。

 本に書いてある事、テレビでやっていた事、webで見た事が必ずしも正しいとは限らない。

 

  他のページでも書いたが、「旧ソ連のスーツケース型携帯核爆弾」。
 これにしても、疑う人は「アメリカ・ロシア両国ともその存在を否定」と言う記事を読んで、それを信じる。
 しかし、「ある」と思う人は同じ記事を読み、「そんな物が存在したってアメリカもロシアも国の公式声明で
 認める訳ないじゃん」と解釈する。

 

  人は「自分の信じたい様に」しか物事を見る事が出来ない。

 

  そして、人の数だけの真実があり、それが貴方にとっての真実であると言う保証はどこにも無い。

 貴方は「何」を信じるのだろう。 他人の意見を鵜呑みにする? それとも自分の感覚だけを信じる?

                                (10/21記) 24日補記


 

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