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<What a wonderfull world V>
さて、今更ながら映画タイタニックの話だ。
この97年度アカデミー賞作品、人によって「大感動!」「なーんかタイクツ」等と評価は分かれる様だ。
思うに、この映画を単に「ジャックとローズのラブストーリー」として見ると本当に退屈だ。
その様な見方をして、尚かつ「カンド〜♪」等と言う人はハーレクインロマンス的な上っ面だけを舐めて
満足しているにすぎない。
何でそんな単純な恋愛沙汰を語るのに3時間も必要?
まず、主人公が誰であるかが判っていない人が多い。
「えっ!ジャックとローズじゃ無いの?」
・我先にとボートに殺到する私達は、他人をかき分け、押し潰し、踏み付けてでも助かろうとする。
・傾いた甲板の上で、(自分も怖くて堪らないのに)怯える私達に向かって、神父は神の言葉をもって
少しでも死の恐怖を紛らわせようとする。
・暴動を起こしかけた我々の一人を、ガードマンは銃で撃ってしまう。 そしてその罪に震え、
彼は、自らの頭も打ち抜いてしまう。 すぐソコに逃れようのない死が待ちかまえているにも係わらず。
主人公は「タイタニック」そのもの、そして全ての乗客、乗務員だ。
ジャックやローズはその中の突出した1例に過ぎない。
これは沈みゆく舟、タイタニックに於ける人の「死に様」(それは全くのイコールで「生き様」でもある)
を描いた厳しい映画なのだ。 そしてその中には絶望も希望もある。
さて、ここでビリー・ジョエルの名曲「アレンタウン」を引く。
そう、タイタニック号も寂れた街アレンタウンも、私達のこの世界そのモノなのだ。
私達は沈みゆく世界で生きている。
そして、愛情、と言う物はこんな物なのかもしれない。
「 でも、僕らはここ アレンタウンに住んでいる 」
この項終わり (6/10記)
<What a wonderfull world U>
凶悪犯罪は後を絶たず、いやそれどころか低年齢化が進み、(当然ながら)より刹那的に、
「底の浅い」、陰惨な事件が増えている様に思う。
個人的に最も古い記憶では「フランス留学生人肉事件」だが、
犯行時の精神状態により刑事責任を問わない、と言うのは非常に危険な免責事項だと思う。
その後も「連続幼女誘拐殺人(M崎事件)」、「リンチ・コンクリート詰め」、「酒鬼薔薇」等々、いくらでも
出てくる。
「未成年だから」、「子供の頃に受けた虐待がトラウマとなって〜」等のハナクソの様な理由で、
刑が軽減されたり、免責されたり。 実に不愉快だ。
例えば酒を飲んで妻を殴る男がいる。
男はシラフの時は涙を流さんばかりにして言う、「すまん、酔ってたんだ。」
しかし、その夜も男は酒を飲む。
許される事を見越して。
「赦し」は、『心の底から罪を悔い改め、自分自身を必要以上なまでに罰し、責め苛む魂』 に対して
与えられる救済であるべきだ。
さて実際に犯された罪に対して、当事者の刑事責任を問う事が不可能と判断された時、
一体その罪は誰が贖うのか。
恐らく気付いて無い人が殆どだと思うが、それは『我々』だ。 これは「罪の希釈」である。
彼がまっとうな人間になれずにモンスターに育ってしまう様な、クソったれな世の中を作ってしまった、
私達の罪、と言う訳だ。
映画「15ミニッツ」はそんな事を考えさせてくれた。 (6/6記)
<What a wonderfull world>
世の中、善い人ばかりでは無く、いやそれどころか全く逆なのかも、と思う様な事が多い。
しかし、人間不信になったとしても、自分がこの世の中で生きて行く事に代わりはない。
どんな狡い嫌なヤツにだって「善くありたい」と言う気持ちはあると思う(思いたい)。
私にしても、そうだ。
突き詰めて言えば、ただのエロオヤジに過ぎない私が、この雑記等で語る言葉は、
短所も数多く抱えた一人の人間の中の僅かなgoodnessの表出だ。
セクハラ上司も、i-modeの出逢い系サイトで不倫に勤しむ主婦にも、必ず「良心」は残っているハズ。
しかし、メンツやら何やらで、素直に自分の非を認めるのは難しい事だ。
彼等に強く当たると、必ず強く還ってくる。
誰かを「動かす」事は難しい、彼ら自らからソレをやる様に仕向けるのが大人のやり方であり、
それが「政治」なのだと思う。
要は、やり方次第ではないか。
「色んな意味で、この世は糞の山にすぎないがね。しかし随分と美しいものにもなり得るんだ。」
【リチャード・バックマン「痩せゆく男」より、ジネリの医師ファンダーの台詞】
少し意地悪い言い回しになると、
「人間はいつまでたっても良くはならない、ただ利口になるだけだ。
利口になると、ハエを捕まえて羽をむしり取る事はやめないけれども、羽をむしり取る為の
もっとマシな口実を考え出すようになる。」
【S.キング「キャリー」より】
もし、人間の本質が変わらないのであれば、せめて利口になって、「口実」や「政治」を
洗練する事がより良い社会につながるのではないかと思う。
それがセカンド・ベストであるとしても、
(5/28追記)
<It's Still Rock & Roll To Me>
例えば1950年代のポップス/R&R等を指して、50's(フィフティーズ)と呼んだりする。
60's. 80'sはまァ良いとして、2000年代の音楽は後に何と呼ばれるのだろう。
さて、私見ではあるが、50年代に産声を上げたロック/ポップスは、先の90年代に於いて、
「メロディ」を失ってしまった。
これはラップミュージックの台頭にも関係がある事だが、
メロディの後退がラップを繁栄させたのか、ラップの登場がメロディの衰退に拍車を掛けたのか、
(恐らく相乗効果だろうけど)原因については、
「鶏が先か、卵が先か」の論争にも似て、ハッキリとは言い切れない。
しかし、メロディの無いロックなんて! そんな物、ストーリーも設定もデタラメで、ただ血飛沫が
飛ぶだけのホラー映画みたいな物だ。
メロディの無いロックなんて! そんな物、ヘンなドラマの入っていないAVみたいな物だ。
いや、それは要らないだろう <ドラマ>
話が逸れた。
何故こんな事を言うのか、というと。
先日、ビリー・ジョエルの2枚組ベスト盤を買った。
別にファンと言う程、彼の曲を知っている訳でも無かったが、何故か聴いているうちに泣けてきた。
初めて聴く曲なのに、懐かしい。
これはやはりメロディの持つマジックだろう。 (恐らくカーペンターズ等でも、そうかもしれない。)
もう美しいメロディなんて出尽くしてしまったかもしれない。
それにしても昨今の無味乾燥でやたらと刺激のみ強い音楽(の様な物)には辟易させられる。
ま、大量消費の為の大量生産システムで自動的に作られた「製品」に本来の音楽の持つ
豊饒やデーモンを期待するべくも無いのだが。
00's(?)が、また芳醇なメロディを取り返して欲しいものです。
(6/1記)
<弔いについて、の巻>
死者は逝ってしまってからも(時として、生前よりも強い力で)残された生者に働きかける。
しかし、我々は死者に対しては、ただ祈る事しか許されない。
それでも私達は亡くした友や肉親を思って涙を流し、墓に花を添える。
私達が死者に対して、「弔う」と言う行為の中には、自分がこの世を去る時の恐ろしさを
軽減する為でもある。
自分が死んだ後、誰一人として泣いてくれない、誰の心の中にも残らない。
そう思っていて、それでも尚かつ確実にやって来る「死」に向き合う事は出来ない。
「ペット・セマタリー」を読んで、そんな事を考えさせられた。
(5/23記)
<Shadows of War>
潜水艦や偵察機がぶつかったり、かなり強引な難癖をつけてミサイルをブッ放したり、
米軍のキナ臭い動きが気になる。
アメリカの好景気に翳りが差し、超タカ派のブッシュ政権になった事も一因だろう。
朝鮮、ベトナム、そして勿論、湾岸戦争がユダヤ資本の糸ひきで画策されたモノである事は
周知の事実だ。
特に湾岸で、戦争を商売としてコントロールする事に成功してしまったアメリカの罪は重い。
さて、去年の夏くらいから、噂されていた映画「パール・ハーバー」(ベン・アフレック主演)が、
いよいよ、この7月に公開される。
しかし、この作品、戦争映画としては、非常に「不潔」である。
予告編を見た方はいるだろうか。
若者達が愛を語らい、子供達が野球のボールを投げ、妻達が洗濯物を干す。
その真上を日の丸をつけた攻撃機が飛んで行く。
これは、少なくとも焼夷弾で一般市民の家を焼き、原爆で年寄りも女も子供もお構いなしに
焼き殺した国が撮ってしかるべきシーンでは無い。
では、誰なら許されるのか。
我々日本人は南京大虐殺を、ドイツ人はアウシュビッツを、そして今一度アメリカ人は、
原爆やベトナムを思い出すが良い。
ベトナムでの「枯れ葉剤」が、本当にジャングルの木を枯らす為だけに
使用されたと思っている貴方、 君は素直でイイ人だが、その目は節穴だ。
人体への影響、と言う「副次的作用」を考慮せずにアメリカ軍司令部が指示を出したと思うのか。
「奴等の、」では無く、「我々の」手が血で汚れているのだ。
恐らく他人事として読んでいる貴方も、
間違い無く(殆ど意識せずに)、原爆の、ガス室のスイッチをオンにしてしまう。
戦争については、その自らの罪と痛みを踏まえた上で語るべきだと思う。
これは「戦争映画」として見たら、の意見であり、実際には映画「パール・ハーバー」は、
「タイタニック」「アルマゲドン」「ディープ・インパクト」に続く、「泣きパニ」(泣けるパニック映画)
であり、『エンターテインメント映画』らしい。
題材の選び方に大いに問題はあるけれど、単純に娯楽作品として泣くなり楽しむなりしよう。
実際に本編見たら、感想は変わるかもしれないしね。
やっぱり不潔だろうと思うがな。
(5/19記)
<変態あらわる、の巻>
私は徹底してジーンズにブーツだ。 スニーカー等は1年に3日ホドしか履かない。
先日、梅雨を目前にして新しいブーツを買った。
家に帰って、ああ疲れたシャワーでも浴びるか、と服を脱いでいる最中に、
買ってきたブーツを「履ける状態」にしていない事に気づいた。
年中ブーツなので、少しでも「もわ〜〜ん」を軽減する為に、
脱臭インソールを入れなくてはならない。
そして、そういう仕事は風呂前に全て終了させないと気が済まない性質なのだ。
靴を箱から出して、中の風船状のモノを取り出し、インソールを25.5用にハサミで切って、
ブーツに挿入。
モチロン実際に足に履いてキチンと奥まで入っているか確認。
悲劇はこの時起こった。
フト、ブーツを履き終えた私が部屋の姿見を見た時、、、
パンツ一枚で黒の皮ブーツを履いたオッサンがそこに映っていた。
「 先生! ヘンタイがいまーす。 」
ちょっと「侍魂」風に書いてみました。 (5/17記)
<Brown Suger>
余りこの様な機会も無いので、ごく簡単に「ヤクでおっ死ぬ」って事について書こう。
今、ここで貴方がジャンキー(常習者)達に混じって、彼等と同じ量のドラッグを摂取したとしよう。
周りのツワモノ達はイイ感じでラリラリになれるかもしれないが、
間違いなく貴方はお陀仏だ。
アッパー系、ダウナー系を問わず、
全ての薬物(医療用治療薬、アルコール類、有機溶剤(シンナー)そして麻酔等)に対して、
人はそれぞれ「耐性」を持つ。
貴方が今日、初めてのクスリを一錠飲んで気持ち良くなる。 すると同時に体内で、その薬に対しての
「耐性」が少し強くなる。
だから次第に一錠では「効き」が悪くなって来る。
そこで、前と同じ様に気持ちよくなる為に、今度は2錠、そして3錠、、、
ここで誤って、自分の耐性を大きく超えた量を摂取してしまうと、意識朦朧の中、
貴方は天国のドアを開けてしまう事になる。 これが「過剰摂取(オーバードーズ)」だ。
そして更に「致死量」と言うモノがある。
生物として、体内で有害物質を処理する限界点があり、それは個々の「耐性の強度」とは別のモノだ。
お酒を例にしてみよう。
全くの下戸の私は、ビール中ジョッキを飲み干したら、恐らくその場で昏倒、急性アルコール中毒で
もう二度とこの雑記の更新も出来なくなるだろう。(耐性が低い)
しかし、いくら飲んべえであっても(耐性高い)ウィスキーを丸ごと一本とか飲んだり、
休み無しに、いわゆる「連続飲酒状態」が続き、血中アルコール濃度が0.5%を超えると、
昏睡状態に陥り、死亡する恐れが大だ。(致死量を超える)
先ほどのクスリで、例えば致死量が5錠だとしよう。
だんだんと耐性が上がってきた貴方は、4錠でもソロソロ「効かなく」なって来ている、、、その先は、、、
でも大丈夫(何も大丈夫じゃ無いが) クスリに関しては、有り難い法規制と暴力団の結託により、
そうそう安い買い物では無いからだ。(致死量に達する程の純度と量の薬物ともなれば、尚更だ)
一般人であれば、それまでにとっくに社会生活が破綻し、ドラッグを買う資金なんて使い果たし、
自殺するか、犯罪に走ってパクられるか、ヤバいヤマを踏んでブチ殺されるか、
ま、そんな所だろう。
一番幸運なのは、家族や友人達の手で病院送りにされる事だが、
社会的に葬られる事に余り変わりは無い。
純粋に「ヤク」で死ぬ事は意外に難しい。
ああ、そう。 「最初の一歩」は安いよ。(純度が低くても充分効くし、)子供の小遣いでも買える。
だから問題なのさ。
<おまけ>
知っている方も多いと思うが、麻薬(捜査)犬ってのは、
何故、あんな風にかなりの精度で麻薬を発見できるか、と言うと、
麻薬を投与されたジャンキー犬だからだ。
当然、彼等の寿命は極端に短い。
むごい話だ。
(5/15記)
<Trainspotting>
昔、いわゆる「ヤク中」の友達がいた。
何を以て友達とするかは、良く判らないが、
取り敢えず奴の事が好きだったので、止めさせたかった。
何度も怒って、泣いて、懇願までした。
奴も恐らく私の事が好きだったとは思うのだが、結局、私の言葉は届かず、その後、死んだ。
「ドラッグな生き方」を選ぶ人がいる。 その理由は様々だ。
彼等の全てがだらしない人間な訳では無い。
ドラッグをとりまく環境が人を堕落させてしまいがちなのは事実だが。
酒なんかよりよっぽど害が少ないと思われるマリファナごときで受ける刑罰と、
それによって得られる快感を冷静に天秤に掛けて判断してみよう。
スピードによる快感と、それによってもたらされる身体へのダメージを
較べてみよう。
それを理解した上で、ヤルのなら、後はその人の「生き様」であって、口を挟む事は無い。
問題は、まだきちんとした判断の出来ない子供達へのドラッグ汚染だ。
取り敢えず、映画「トレインスポッティング」や「トラフィック」を見て、
「ソレ」が別に「カッコイイ」事では無い、と言う事を知って欲しい。
私は、自分が弱い人間である事を知っている、だからドラッグに頼らない。
今日の雑記に関して、誰からの如何なる質問にもお答えはしません。
(5/14記)
<I'll be there for you>
知っている人も多いと思うが、私は電話が嫌い、と言うか、取り立てて用事の無い電話が苦手だ。
友達などでも、こちらから電話をする事は非常に稀だ。
当然、向こうとしてもそんな空気を読んで、待ち合わせ等の用事以外の電話は掛けて来なくなる。
私をある程度理解してくれている人は良いのだけど、そうでも無い人は「冷たい奴だなぁ」と思う様だ。
加えて、メールも余り積極的では無いし、 掲示板は基本的にイタズラの場、くらいに考えている。
でも、大切な人達には、このHPでの私の呟き(時として叫び)をメールや電話の代わりにして、
伝えているつもりだ。
私はここにいます、 それなりに元気に頑張ってます。
貴方(達)が、この駄文でホンの少しであっても楽しんでくれたら嬉しい。
これが私なりの愛情表現なのだ。
I can promise
you tomorrow
But I can't buy back yesterday
When you
breathe I want to be the air for you
I'll be the water when you get thirsty. baby
I'll be there for you (bon jovi)
今日の雑記を、全ての友達、
そして特に、それぞれ書店、ディズニーランドに再就職したAとH、
先ほど出産をしたY、
そしてモチロン母親に捧げます。
これを見れない人の方が多いんだけどね。
(5/13記)
< Living in Sin >
かなり最近になるまで、いや、今でもその傾向は強く残っているが、自分自身が大嫌いだった。
そのせいか、子供時代の記憶が極端に少ない。
人並みに、(いや、恐らくはそれ以上に)バカな事をしてきたのだが、そんな自分を嫌って、
過去の記憶をことごとく抹消して来たのだ。
自らが招いた事とは言え、これは非常に不幸な生き方だ。
「美しく生きよ」と、その字の如く、厳しく「躾(しつけ)」られ、子供ながらに盲目的にそれに従い、
自分の、そして他人の過ちを赦す事が出来ずに切り捨てて生きて来た。
これは「臭いモノに蓋をする」やり方で、卑怯だ。 ある意味、怠慢とも言える。
最近は、こうも思う。
人が成長するためには、罪を犯す事も必要かもしれない。
勿論「犯罪(Crime)」では無く、「道徳的罪(Sin)」の事だが。
所詮は「人間」。 自分のエゴと他人のそれとの間でもがきながら、何とか折り合いを付けようと
努力している。 本当に「生きて」いるのなら、そこで過ちを犯してしまう事もあるだろう。
今は、そんな過ちもキチンと認めてやって、赦す事が出来る様になりたいと思う。
(「過ち」に対する垣根の低い、だらしない人間になるくらいなら今すぐ喉を掻き切るが。)
(5/12記)
<政治的手腕、の巻>
近くの蕎麦屋で冷やし中華を食べながら、ボンヤリと国会答弁の中継を見ていた。
何と言うか、まあ『陣取り合戦』みたいなモノなのだが、さすがに政治のプロ。
「良い事を言うなぁ」と思わせるアピールは非常に上手い。
相手の揚げ足取りの技術も大変に洗練されて、感心する事ひとしきり。
こんな『ショー』が実際の増税問題、不良債権等の解決の足しになるなんて全く思わないが、
これ程に頭の良い討論の駆け引きが出来る人達なんだから、私たちの様な一般人が
どうこう言うよりも、よっぽどマシな国の運営をしてくれる事だろうと思う。
ま、ダテに「選ばれた」人って訳じゃ無い。
翻って、スポーツ選手や芸能人が選挙に出る(担ぎ出される)のは、、、
議席確保以上の「政治のプロ」としての働きさえしてくれれば、別に構わないと思う。
さて、当然の事ながら今年も学生にとって、就職戦線の波は高い。
これまで英語だの数学だの、いわゆる「勉強」する能力が試されて来たのだが、
この「就職を勝ち取る」と言う事は(恐らく)初めて試される「政治的手腕」ではないだろうか。
社会に出る、と言う事は多少なりとも、その「政治」が必要となって来る。
私の様な、完全に独り仕事をしている者でさえ、そうなのだ。
リクルートスーツを着て途方に暮れる君よ、君の努力は必ずこの先の人生の礎となるはずだ。
そして、「就職を決める」事で燃え尽きる事の無い様に祈るばかり。 (5月病の人もいるだろうか?)
頑張って欲しい、ただ、その(自分や家族や友人達の)「頑張れ!」に押しつぶされぬ様に、だ。
例によってキングからの引用で締めよう。
トッドの考えでは、人間は自分のやりたい事をする為に政治をこしらえるのだ。
去年、シャロン・アッカーマンのドレスの下を触ろうとした時がそうだった。 シャロンは
そんな事をしちゃいけないわと言ったが、その口調からすると、なんとなく興奮しているのが判った。
そこで、大きくなったら医者になりたいからと言ったら、黙って触らせてくれた。 あれが政治だ。
(「ゴールデン・ボーイ」より)
(5/9記)
<こどものひ、のまき>
きょうわこどものひでした。
おとおさんも ごーるでんナントカでおやすみです。
でもちかくのおじさんわ きょうもねむそうなかおでしごとにいきました。
ぼくが 「なんでおじさんわやすまないの?」 ときくと
ちょっとこわいかおで 「おじさんていうな」 っていいました。
それから 「おにーさんは もうこどもじゃないし キミのようなこどももいないから
やすんじゃいけないんだよ」 とおしえてくれました。
なんだかよくわからないけど おとなにもいろいろあるんだなぁ とおもいました。
(5/5記)
<Philosopher in the boysroom>
公衆トイレのコンパートメントの壁には様々な落書きがある。 (女子トイレにもあるのだろうか?)
○○ぶっころす! 平仮名って素晴らしい。
○○子は誰とでも寝る まったくだ、、、 090-xxxx-xxxx いや、電話番号はやめろって。
等々、素朴で直截的なモノが多い。 そんな中、
「誰にでも優しいのは 優しくないのと同じ」
と言うのがあった。 ほう、ナルホド。
しかし、それが真理であれば、逆もまた真理なハズ。
「誰にでもイヂワルなのは イヂワルで無いのと一緒」
(「お前の事だ」なんて言う奴には鹿パンチをあげよう)
平等だから? いやいやチョット無理があるだろう。
誰にでも優しい、いや少なくともソウあろうとする人は確実にいる。
そして、それは「優しさの安売り」なんて低レベルの物では無く、
非常に困難な「人の在り方」なのである。
(5/4記)
<優しさ、の巻>
ロック界のカリスマ※、マリリン・マンソンが、ある音楽雑誌のインタヴューでこう語っていた。曰く、
「 俺は欠陥や傷が好きなんだ。 それが人間と機械を区別する違いだと思うから。 」
アンチ・クライスト(反キリスト)・スーパースターとして悪名を馳せる彼だが、
言っている事は非常に優しい。
そして、それには映画監督ティム・バートン(シザーハンズ、スリーピーホロウ等)や、
小説家スティーヴン・キング達の、マイノリティに対する暖かい視線と共通する物を感じる。
恐らくハーレクイン・ロマンスを何十冊と読もうと、辿り着けない本当の優しさを彼等は
表現していると思う。
S,キングとT,バートンに共通するのではないか?と思う事、
それは「 it 」の前文に著しい。
子供達よ、小説とは虚構の中にある真実の事で、この小説の真実とは、いたって単純だ
− 魔法は存在する。
ティム・バートン監督の映画にも同じ物を感じる。
手がハサミになってしまった青年(シザーハンズ)、首の無い騎士(スリーピーホロウ)、
そんな者達も、ごく当たり前にスクリーンの中で呼吸をしている。
(そして、彼等を見つめる視線のなんと暖かい事か)
奇跡(ミラクル)や魔法は存在する。(それが、人を喰うホテルであったとしても、だ。)
この考え方は、神と、その奇跡を信じる心と根を同じくする物なんだと思う。
私も思う、
こうして生きて、何かを感じるって事は大いなる奇跡の一部だと。
※ この『カリスマ』とは、現在では余りにも安売りされ過ぎて、「笑い」を誘発する恐れさえある非常に危険な
言葉でもある。 実に嘆かわしい。
(4/25・28記)
<伝えきれない思い、の巻>
なにしろ今、深くハマっている為、今後もスティーヴン・キング関係のアップや
引用は増えるだろう。
「 何にもまして重要な事は、何にもまして口に出して言いにくいものだ。
言葉が大切な物を縮小させてしまう。」
「何」を目的として貴方は、「その」言葉を口にするのか?
例え、それが世界で一番美しい言葉、「 I Love You 」であったとしても、
(4/22記)
<『Do it !』、の巻>
「ヤレば出来る」
実にバカらしい言葉だ。
これは本当はやりこなす実力があったにも係わらず、今までサボっていたダケだ。
実際には、「ヤレば出来る」なんて言葉は単なる言い訳でしか無い。
「やる」か、「やらない」か、それだけだ。
マズ言い訳をガタガタ考える前に、とにかく前に進んでみてはどうだろう?
結果は(良いにこした事は無いが)その次で良いではないか。
決して誰もが同じ様に「出来る」訳では無い。
「速く走れる」人もいれば、そうで無い人もいる。
しかし、走れ無いのなら歩いても、這ったって良い。
以前、事故で片腕に障害を持った人に仕事を教えた事がある。
色々と話し合ったが、結論は「自分の出来る事で勝負をすれば良い」と言う事だった。
短い間だったけど、彼は周りの誰よりも努力をしていたと思う。
彼は常に「やって」いた。
100m走の途中の50mで動けなくなってしまったとしても構わない。
「俺、走ればマァ3着くらいにはなるもんね」等とホザいてスタートをしない人より
その50mの価値はどれ程大きい事か。
「ヤレば出来る」
その言葉は、「行動を起こして努力している」最中に、自分の胸の中で、
自分を励ます為に呟くダケで良い。
(4/21補筆)
<『イキっとる』オッサン、の巻>
前にも少し書いたが、私はよく 「スカしてる」と言われる。
本人は別に、カッコつけよう等と思っている訳でも無いのだけど、
歩く姿や立ち居振る舞いが、どうも端から見ると「スカして」いる様に見えるらしい。
もちろん中身は単なるエロオヤジで俗物の塊なのだが、
「気を張っている」と言うのは確かな事だ。
歩く時、ちょっと胸を張ってみよう。両肩をホンの少し後ろにするだけで良い。
自然に背筋が伸びて(そしてココが肝心)気分も上向きになって来る。
確かに、背中を丸めてホテホテと、(世間に対して斜に構えて)歩くのも
一種独特の気持ち良さがある。
しかし、せっかくのこんな春の気持ちの良い青空の下、少しプラス思考で
行ってみてはどうか?
姿勢をピシッとする事で気持ちにも「張り」が出来、意外と気持ちよく頑張れたり
するものだ。
今日は曇り〜雨だったけどね (4/18記)
<創作は愉し、の巻>
昨日、近所の中華料理店で鶏肉の味噌炒め(どうでも良い)を食べながらテレビを見ていた。
「恋愛損害賠償」とか言う物で、恋人に裏切られた被害者がスタジオで陳述。
芸能人、一般人で構成された陪審員の心情を勝ち取って賠償金を貰う。
ここに出てきた男(被害者)が実は食わせ物で、最終的に手にした金額は五千円。
もう最初から最後までバリバリにヤラセで可笑しかったのだが、
今回は放送作家になった気持ちで台本を書いてみよう。
スタジオ内、拍手
天 「さあ進行の(キャイ〜ン)天野です。次の被害者は板橋区在住の『せき』さん。どうぞ!」
せ 「実はかくかくしかじかで・・・」
VTRで状況説明
天 「ナルホド、恋人のジュリア・ロバーツさんが、貴方と付き合っているにも関わらず、
リチャード・ギアさんと浮気をした、と!」
陪審員達 「ヒド〜イ!」
ここでファースト・インプレッションで賠償金額を査定
50万円(最高額は200万円)
ここでジュリア・ロバーツ登場
ジュ 「アタシ、浮気なんかしてないもーん!」
天 「なんと!では二人の共通の友人Aさんに証言して貰いましょう。彼女はギア氏と浮気を
していた、と言うのは本当ですか?」
A 「えっ?R・ギア? あの古本屋の彼じゃなくて???」
ここでジュリア、キレる。
ジュ 「それはヒュー・グラントよっ! 彼だけじゃ無いわっ!トム・ハンクスだってハリソンだって!!
大体ナニよっ! チビでデブでハゲでインポで『早い』くせにっ!キィ〜〜〜ッ!」
(作者注: ほっといて下さい)
陪審員達 「ヒド〜〜イ!!」
A 「それにジュリア。 君、お金を『せき』に返したの?」
天 「えっ? お金なんか貸してたんですか? なんでその事言わないんですかっ!」
せ 「いや、、、その事は言わないでいてあげようと、、、」
飯島愛(陪審)「ちょっとヒトが良すぎんじゃないの〜〜?」
せ 「あ、もうお金なんかどうでも良いんです。 でも今後ナニがあってもお互い
一切関与しない事にしてくれればソレでいいんです。
この誓約書にサインをして下さい。」
ふてくされながらサインをするジュリア。
そして賠償金の最終集計。ほぼ最高額の190万円!
天 「まあ、みんな判ってくれたようで良かったですね。」
せ 「フフフフフフ。。。。。」
ニヤリと笑う『せき』
天 「な。何ですか?」
スタジオ内、不穏な空気が、、、
せ 「これで賠償金は決定なんだよね! ホントはこんな女どーでも良いんだよね。
お金が貰えればそれでイーんだよ!
他の男の事やお金の事なんかはオレが言わなくてもテレビのアンタ達が調べて暴露
してくれるのが判ってたしネ!
これで彼女の評判もガタ落ちだ、ザマーミロってんだ!
実は今、オレ離婚調停中なんだよね、ジュリアの事で騒がれると裁判が不利になるから
困ってたんだ。ケケケッ!」
陪審達「ヒッド〜〜〜イ!!」
千秋(陪審)「ヒドイでちゅねぇ!」
せ 「ヒドイでちゅね〜〜〜♪」
千秋、泣く。
天 「、、、、いや、、、しかし、こんな事テレビで言って良いんですか?」
せ 「いや、どうせ今日の収録、オンエアは2週間後じゃん? その頃には離婚裁判なんか
ケリが付いてんだよね。 でも今日貰った誓約書は今日の日付で有効だしサ!ヘッヘッヘッ!」
スタジオ内、大ブーイングの中、高笑いしながら『せき』退場
誰か脚本買ってくれ。 (4/7記)
<エサの時間だよ♪、の巻>
てぇへんだよ、てぇへんだよ! 旦那っ!
旦那の好き※1な「Sマップ」のベスト盤が150万枚限定で今日発売だよっ!
しかも内容は同じで、ジャケットだけ12の色違い※2で発売だァ!
さすがJャニーズ様、やる事がデケぇやね。
そういやHカルゲンジってレコード大賞歌手※3もいたっけなぁ、、、今は何を、、、
おっと、口が滑っちまった、イケネェイケネェ!
そんな事ァどーでもいいや、なんせ150万枚限定だってんだから、
早く買わねぇと後悔しますぜ、旦那!
えっ?何ですかい? 「 『150万枚』のドコが『限定』なんだ? 」 って?
う〜〜ん、それを言われちまうと、確かにおかしな話なんですがねぇ。
とにかく、買った、買った! もうピンクのジャケットは売り切れですぜっ!※4
※1 意外と思われるかもしれないが、私は結構「Sマップ」は好きだ。 歌は確かに上手くは無いが、
「例のアレ」等と較べて楽曲・アレンジは良いし、バックの演奏などは超一流だ。
しっかりと手を懸けて作っている事は評価したい。 しかし50歩100歩である事も事実だし、
まさかCDを買うはずもない。
※2 昔、AムロちゃんのCDが3種類のジャケットで発売され、3枚共買ったバカな知り合いがいた。
私自身では、スーパーギタートリオの「情炎」と言うアルバムを中学生の時にレコードで買い、
CDで再発されて、買い、この前デジタル・リマスター盤を買った、未だに愛聴している。
彼がAムロちゃんを今でも聴いているかな?
※3 国辱モノである。
※4 ホントです。(於渋谷)
(3/23記)
<北風と太陽、の巻>
〜(略)〜
太陽&北風 「よし、あの旅人のコートを取った方が勝ちだっ!」
太陽「さあ、ポカポカ暖かいでしょ?ホラ気持ちよくなってきた〜〜♪」
旅人「バカヤロー!! ヘラヘラ笑いやがって、この卑怯者めっ!
暑くったって、脱がねぇゾ!
鍋焼きウドンだって喰ってやる!(意味不明)
正面から掛かって来いっての。
さあ、北風よ、お前と勝負だっ!」
北風「よしきた! オラァ〜〜〜!!!」
旅人「うおら〜〜〜!!!」
激闘の末、二人は力尽きて死んでしまいました。
勝つには勝った。。。しかし、何故かフト寂しくなってしまった太陽であった。
(3/16記)
<楽屋落ち、の巻>
先日ネットで2〜3の友達から「前回(Re:せきさんへ〜)のメールは誰から来たの?」
と尋ねられた。
アレ?? と言う感じである。
当然の事ながら実際に私の所にその様なメールが届いた訳では無い。
(勿論、来たら来たで面白いが、)
2/28付けの<天使、悪魔編>を読んで腹を立てたファンの人がいたら、、、と想定して、
2つの正反対の意見を挙げて闘わせたのだ。
モチロン私の行き着く結論に変わりは無いが、読み手に理解しやすい表現方法だったと
自負している。
第一、本当に送られてきたメールをWEBで晒しモノにする様な下品な真似をするハズも
なかろう。
勘違いされては困るが、(いや、本当は別に困らないが、)
私はこのサイトで、低俗な音楽に騙されて喜んでいる方々に対して
啓蒙をしている訳では無い。
「モノを知らない」と言う事は幸せだ。ソッとしておいた方が彼等のためだろう。(お言葉行き→)
しかし、(Mー娘。のファンが私のHPなんかを読むとも思えないが、仮に読んだとして、)
誰かがハラを立てたのなら、それはそれで意義がある。
少なくとも彼もその時ばかりは「自分にとっての音楽」を考えただろうからだ。
他人のHPで「今日はハンバーグを食べた♪」レベルの、何の精神活動も見受けられない、
日常生活をタレ流しているだけの日記を読むのは(色々な意味で)非常に楽しい。
しかし私は自分がソレをしたいとは思わない。
「ほう・・・」と感心してくれても、「何言ってやがる、ケッ!」 と怒って貰っても構わない。
反論があって当たり前だ。
第一、アナタは異論も無い様な当たり障りの無い「日記」を私に期待してますか?
読み手に対して何かしら「考え」させる雑記帖でありたい。
それが出来ない様であれば、ただの情報の羅列サイトに徹しよう。
「我、思う。故に我有り。」 そして、「人は考える葦である。」
逆に読むと、「考えない葦」は人では無いし、「思わない」事は「存在しない」も同義だ。
一生懸命生きてますか?
(3/7記)
【Re:せきさんへチョット言いたい】
>こんにちは、お久しぶりです。
はい、お久しぶりです。
>何で人がせっかく楽しんでいるMーニング娘。の悪口を言うのですか?
一言で言うと「お節介」です。
簡単な事なのですが、友達が¥3000も出してカップラーメンを「美味しい美味しい♪」って言って
食べていたら、私は他のもっと美味しい、チャンとしたラーメン屋を教えたいです。
そして、そんな安易なカップラーメン商売のせいで、真面目にやっているラーメン屋さんが
隅に追いやられている様な今の状況は我慢なりません。
しかし、「カップラーメン」がこの世に無くても良い、とは思いません。
例えマズかろうが、身体に余り良く無かろうが、安価で手軽。
まあ、「必要悪」と言えるかもしれません。
それをちゃんと見切った上で食べる分には構わないと思うのです。
>大体、せきさんが「良い」と言うケンソーにしたって、キャメルにしたって、ラジオ・テレビでも
聴いた事も無いし、CD屋さんにも置いて無いよ〜〜??
全くです。
いくら、Mーニング娘。(に代表されるゴミ音楽)が圧倒的なコマーシャリズムによって
CDショップの棚を占拠しようとも、 ちゃんとした音楽を作る人は、そのせっかくの作品を
多くの人に聴かせる為の努力をもっとするべきですよね。
孤高を託って格好を付けている場合では無いと思います。
>でも、せきさんが何を言おうとも、私はMー娘。が好きです。
そうでしょうね。
幼稚園のお遊戯程度の音楽を聴いて、小学生でも無いアナタが「楽しく」なれる、と言うのは
羨ましい限りです。
どうぞこの先10年でも20年でも彼女達のファンでいてあげて下さいね。
ちなみに私は15年程前に買ったYESの「危機」というアルバムやショスタコーヴィチの交響曲を
未だに愛聴しています。
きっと死ぬまで愛し続ける事が出来る音楽だと思います。
好き嫌いは勿論あるでしょうが、そういった物が人類の財産である、と確信しています。
メール有り難う、ではでは。。。
せき
(3/2記)
< 悪魔クン、天使ちゃん、の巻 『お題はMーニング娘。』 >
天使 「あー、かったりーなぁ。 何でこんな知性のかけらも無いニセモノ音楽についてコメントしなきゃ
いけねーんだよ。」
悪魔 「ま、そう言わずに、、、」
天 「っつーか、何で彼女達のCDに『金』を出すのかが不思議だよなァ。
テレビをつけりゃ、いくらでもタレ流してるし、CMとかでも見れるじゃん?
街を歩けば、巨大なモニターで信号待ちの間にまで、洗脳ブチかましてくれるのに、
その上自ら高い金を払って家のCDプレーヤーで聴く価値なんかドコにもねーぞ??
あんなアイデアも手間も掛けずに安く作った音楽モドキを売りつけて金儲けしてんなよ。
その金儲け主義が世の中の片隅に押しやられている、『ホンキで良い物を作ろうとしている』
ミュージシャンと、それを支持するリスナーをいかに圧迫している事かっ! ハァハァハァ。。。。」
悪 「いやいや、バカだね、君は。」
天 「むっ!?」
悪 「その『本当の音楽』とやらを探す為に、君は毎月何枚のCDを買っているんだね?
そしてその中で『当たり』なんて殆ど無いだろう?
Fジテレビ様やTウキョウFM様の言う『イイ物』を信じてさえいれば、そんな余計な出費を
せずに済むのだよ。
彼女達を見る事で、『大衆』が『家畜』として扱われる事に対する痛みを感じさせなくなる。
と言う効用も忘れてはならない。
会社でもそうだろ? 自分がどう思おうと、上の勝手な思惑で新しい人員を増やされたり、
逆にリストラされたり。 他の系列会社に出向させられたり。
そう言った事を『当たり前』の事として受け止め、反抗しない、お互いにストレスのかからない
実に効率の良い人間を作り出す為のプログラムの一環なんだよ。
それに君はMー娘。を毛嫌いしているが、彼女達の音楽(?)が10年先にも残っている
とでも思うのかね?
君は『おにゃんこクラブ』と言うのが10年程前に大流行したのを知っているだろ??
ま、10年後には、また他の名前のバカ音楽が世の中を席巻するダケだがね。
ファッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!!!!!!」
(2/28記)
<黄昏、の巻>
「たそがれ」 夕暮れの事です。 語源は、
陽も落ちかけ、薄暗くなって相手の顔も定かでは無く、「誰そ彼(たそかれ)」の時。
実に風情のある美しい日本語ではないか。
翻って、「ヤバイよ、ヤヴァイ〜〜!」等と言いながら街を闊歩するヤマンバ・メイクの
少女達を見ると、その外見も喋り言葉も、これが同じ日本人なのかと疑問を感じてしまう。
彼女の父親が家に帰らないのを心配して探しに来たとしよう。
クラブの妖しげなライトの下、我が娘に会ったとしても、あのメイクでは確かに「誰そ彼」か。
しかし、オヤジは過剰に誇示された少女達の肢体に目が眩み、
「に、二本で、、ど、どないや?」 等と言ってしまうのであった。
何のことはない、日本の社会自体が「黄昏」を迎えているのである。
(2/24記)
<立派な仕事そのU、の巻>
私は自他共に認める大の映画好きだ。
とは言え、もちろん全ての映画を見ている訳では無い。
先日、今更ながらビデオで「プライベート・ライアン」を見た。
私達は第二次世界大戦、ベトナム戦争、そして湾岸戦争があった事を知っている。
しかし、そこで何万人、何十万人の命が奪われた、と言う事を「記号」として知っているだけだ。
この映画の冒頭の戦闘シーンは余りに惨い。
爆風で一瞬のうちに片足を無くす者、
あふれ出る腸を手で押さえながら「ママ!」と泣き叫ぶ者、
自らの千切れた片腕を拾い上げて自失呆然となる者、
恐らく実際の戦闘はこの様な光景が当たり前なのだろう。
後半、震えて立ちすくむアパム(通訳、弾薬持ち)の事を、階段から降りて来たドイツ兵は
何故撃たなかったのか?
彼は直前に、その手で一人のアメリカ人を殺したのだ。
マシンガンで「敵」という記号の「アメリカ兵」を倒したのでは無く、自分と全く変わらない
痛みを持ち合わせた「人間」を殺したのだ。
その事を深く思い知ったドイツ兵が見るからに役立たずなアパムを撃てる訳が無い。
大きな括りでは判り難い事だが、戦争行為とは紛れもなく「殺人行為」の集合体なのだ。
U.S.A.とは地球の警察官なんて顔をして、戦争で喰っているシステムに他ならない。
(例えば湾岸戦争が彼らの経済活動の手段で無いとでも?)
しかし、一方ではこの様な真摯な映画も作られている。
監督のスピルバーグには深く敬意を表したい、
また、この様な大事な映画を後回しにして「Mi-2」なんかを喜んで見ていた私を恥じよう。
私の私自身に対する怠慢だ。
(2/14記)
<立派な仕事、の巻>
少年マガジン(漫画雑誌)に爆笑問題がコラムを持っている。
先日、そのコーナーで少年犯罪について語っているのを読んで感心した。 趣旨は、
「 『少年達の凶行』は、彼らの肉体的、精神的な欲求不満の解消の為の『表現』の一つだ。
そして、その表現方法が他の(例えば)スポーツ・勉強・一生懸命遊ぶ、等の他の選択肢よりも、
『格好悪い』『イケて無い』と言う事を彼らに教えてあげなければいけない。
『良い悪い』を言う事が問題解決に繋がる訳では無い。」
と言った所だ、全く同感だ。
しかし、何より感心したのは、媒体が「少年漫画雑誌」である事だ。
きっと彼らの言葉は何千だか何万だかのマガジンを読んでいる少年達に
(ほんの僅かであっても)浸みてくれるだろう。
深夜の弁論番組やWebサイト(この文章も含む)で、もっともらしい事を言っている大人達、
彼らの言葉の裏には 「私はこんな『イイ事』を言う立派な人なんですよ〜〜」と言う声が
聞こえて来るようだ。
幾ら綺麗な事を言ってはいても、その不潔感を拭い去る事は出来ない。
ま、それが「政治」と言うモノでもあるのだろうが。
爆笑問題、彼らもまた侮り難し。 例え彼らのネタで「爆笑」した事が無いにしても、だ。
(2/10記)
<侮り難し、鶴瓶、の巻>
真実は突然やってくる。
湾岸戦争が勃発し、毎日深刻なニュースが流れていた時の話だ。
深夜のトークショーで鶴瓶と上岡龍太郎がいつもの様に番組を進めては、時折
立ち止まり、 「こんなクダラナイ話をしている間にも沢山の人命が・・・スイマセン・・・」
等と言ってボソボソ観客を笑わせていた。
1つネタを終わらせては「・・・スイマセン・・・(笑)」
また1つ笑いをとっては「・・・こんな不謹慎な話題で・・・(苦笑)」
と、何度か繰り返すうちに突然、鶴瓶が自分自身に業を煮やした形で叫んだ。
「何を言っとんねん!戦争やっとるヤツらが不謹慎なんじゃ!!」
「お笑い」の定石を行っただけなのだが、その瞬間この一人のTV芸人(私は好きです)が
血塗られた数千年に渡る全人類の蛮行を断罪してしまった。
この絶対的真理を前にして何か言える人間がいるだろうか?
しかし、その何年か後に彼は、やはり深夜の生放送中に、泥酔してパンツ一丁で
丹波哲朗の自宅で家宝の屏風を蹴倒し、廊下で粗相までしてしまうのであった。
人間って素晴らしい。
(当然「お言葉」行き) (2/9記)