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 < 鏡の中の父親、の巻 > +追記

  多くの人が同じ様な事を思うらしいが、私もまた
 「自分は本当はこの家の子供じゃ無いのではないか?」等と考えたクチだ。
 それ程に自分の性格も顔も兄と違って見えた。

 性格については今尚よく判らない。しかし顔立ちについて言えば、
 20才を超えた辺りからだろうか、フト鏡に映った自分の顔が兄とソックリである事に愕然とした。
 余り仲の良くない兄弟であったから最初は少し嫌な気もしたが、だんだんと見慣れるにつれ、
 (自分の顔に見慣れる、と言うのもヘンな話だが)「血の繋がり」の様なモノを感じて嬉しいと言うか、
 安心の様な気持ちも生まれてきた。

 さて時はズンズンと流れ、つい最近の事だ。
 仕事で疲れ切って帰った私が鏡を見ると、そこには父親に似た男が立っていた。

 

  親が子の中にかつての自分を見い出す事は恐らく容易だろう。
 しかし子が自分の中に親を見い出すのにはこれ程時間が掛かるモノか。

 特別、私が遅かったのかもしれない。しかし遅いなりにも気付いただけ良かったかな、等と思うのである。

 

  さて子供の頃、父親のカバンを開けて見た事がある。小遣いをチョロまかす事はしなかったが、
 ソコに入っていたキャンディーやガムをくすねた事がある。
 お菓子など余り食べない彼のカバンにそんなモノが入っているのが当時は不思議だった。
 しかし、今私のカバンの前ポケットにはやはりキャンディーやガムが入っているのだ。

 彼も私と同じ様に眠気を誘う映画を見ながら飴を舐めていたのだろうか。

 

  残念ながら何十年後かに祖父の顔を自らに見る事は無理の様だ。
 小学校1年の時に会ったきりで既に亡くなっており、顔など全く覚えていないからだ。

                                (10/11記)


 < from Bottom of my Heart

  愛する事、憎む事、その二つは正反対の様で実は結構近いモノなのかもしれない。
 どちらもその対象である人間に強い「こだわり」を発端とするからだ。

 家族であろうと、友人、恋人であろうと、我々は「個」と「個」で対峙するのだから
 エゴの衝突があって当たり前だ。
 そこで「もうイイや」と投げ出してしまうか、それとも相手や(相手に対する)自分自身に拘ってみるか、
 その選択は結局「どれだけ人を求めているか」に依るのだろう。

 

  もしも憎み合った2人が赦し合う事が出来るとしたら、
 それはどんな痛みにも投げ出す事をせず、お互いの正直な生き方を認める所から始まるのかもしれない。

  →「ザ・ロイアル・テネンバウムズ」

                          (9/15記)


  <Sooner or Later>

  相当な電話嫌いである私が、この所何人もの旧い友達に電話やらメールやらをしている。
 しかし、これは何も私が映画「海辺の家」の様に、゛最後の数ヶ月"を生きているからではないので、
 ご安心を。(いや、未来は判らない、とりあえず「その自覚は無い」と言うに留めるべきか)

  ともあれ、なかなか実際に逢ったりする事が難しい人も多い上に、つい無沙汰してしまうのだけど、
 いつも貴方達の幸せを祈っています。

 

  癌に冒されて残り数ヶ月と宣告された男が、自らの力で家族の絆を取り戻す。
 しかし、癌に罹らなければ出来ない事か。

  自分に宣告してみよう。

    「あと50年の命だよ」

  少しずつでも、何かをやらなければ。
                             (7/27記)


  <人類最後の夢、タイムマシン、の巻>

  そう言えば、以前ヤフーオークションで、【タイムマシン(本物)】なんてシロモノが出品され
 物議を醸した。 結局、国家予算程の落札価格がついたらしいが、なんとも楽しい話だ。

 

  さて、映画「タイムマシン」を見た。非常に面白かったので、ちょっとその機械について説明してみよう。

 まず、動力だが、なんとスチーム(蒸気機関)である。
 これによって座席を挟んで前後に2台差し向かいに設置されたマイナスイオン扇風機のファンを回す。

 この2台が中心に向かって送り出すイオン同士が互いに(磁石のS極同士、N極同士の様に)反発し、
 座席部を中心にして心地よいイオンバランスの森の空気に包まれた球状の力場が発生する。
 この「場」は重力や時間軸からさえも切り離されて浮遊する。

 この状態でスロットルを開けたり戻したりして、時間を進んだり遡ったりするワケだ。

  3次元の世界に於いてはタイムマシンは移動せず、4年前に行く時も、80万年未来へ行く時も
 その場所に止まったままだ。

 恐らく、タイムマシンや博士が占める空間に、他人であったり、建物やら植物が入り込む事も数多くあった
 だろうが、原子が重なり合っての爆発は起こらない。
 片方(当然、タイムマシン側)の原子が超高速で時間軸を移動している為に、原子同士が重なっている
 時間が限りなく0に近いからだと思われる。

 

  と、まぁ勝手に考えてみたが、この設定に反する現象も多々あり、ツッコミ所は多くて楽しい。


  <トーキョー・ショック・ボーイズ in エピソードU>

  かなり前の事。
 【電撃ネットワークの南部虎蔵、スターウォーズ・EP2出演 か?
 という記事が某ガセネタ系スポーツ紙に載った。

 これは、南部氏自らが、ジョージ・ルーカスに「ボクを『スター・ウォーズ』に出して下さい」といった
 出演希望を打診した所、ルーカス本人から、「参考の為のビデオを送ってくれ」と返事があった事から
 生まれた噂だったらしい。

 

  ・・・・単に、「尻で棒を折る男」や「接着剤で穴と言う穴を塞ぐ男」「ザ・空中浮遊」とかを見たかっただけでは、、、

  ともかく残念な事に、彼の出演は実現しなかった様だ。
 頑張れ、南部サン、まだエピソード3があるぞ!


  <気楽な稼業と来たもンだァ♪の巻>

  えーと、近しい友達でさえも時々勘違いしてしまう事もあるのだが、私は会社員である。
 ええ、最近サンダル履きで電車に乗ってしまうし、きっとこのままだとそのうち
 (いいトシして)半ズボンで出社してしまいそうだけど、それでもサラリーマンである。

  さて先日、夏風邪をこじらせて2日ばかり休んでしまった。 その休み明け、

 後輩A 「あ〜、どうしたんスか?」

 私 「あい、ちと頭や喉が痛くてさ・・・」

 先輩B 「あー、そりゃ軽いエイズだな」

 同僚C 「あー、マズイよそりゃ、こじらすと大変だぜ!」

 A 「あ、でも納豆喰ってりゃヘイキでしょ!」

 全員 「んだんだ」

 

  こんな会社の、 だけどな。


  <今際の際のLZH解凍、の巻>

  夢、と言うのは不思議なモノで、どんなに長く感じられても実際にその夢を見ている時間は
 ほんの数秒なんだそうだ。

  今朝、変わった夢を見た。自分がどうのこうのと言ったモノでは無く、
 眠りながら映画「スターウォーズ」を見ていたのだ。

 もの凄く残念な事に、途中で目が覚めてしまったのだが、それはあたかもビデオやDVDの様に
 私の頭の中で「上映」されていた。ストーリーは勿論の事、全てのセリフまで完璧に!

 ちなみに、「スターウォーズ」を見たのは15年以上前の事である。

 

  人間の脳は9割は未活性で使用されていないらしいが、ひょっとして今まで生きてきた全ての
 時間での出来事、セリフ等。 そして膨大な映画・音楽・本のライブラリィも、そのどこかに
 刻まれているのかもしれない。

 

  ただ、(予想していた事だが)悲しい事に、目覚めた瞬間にはストーリーもセリフも生々しく、
 「今」見たばかりの映画の様に覚えていたのだが、時間の経過と共にそのディテールは急速に
 失われ、お昼過ぎには「スターウォーズ」は昔見た映画の一つに戻ってしまった。
 今では殆ど何も覚えていない。

 

  人はその最期の一瞬に自らの一生を走馬燈の様に見る、と言う。

 

  願わくば神よ、私がこの世を去る瞬間に、愛する人の笑顔と数本の映画をもう一度見せて下さい。


  ※ 「オーケストラの少女」「海の上のピアニスト」あたりがイイかな。

                                         (5/21記)


  <マジョリティ・リポート>

  フィリップ K ディック原作の映画「マイノリティ・リポート」が今年の12月にいよいよ公開される。
 S,スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演と言う事で、いわゆる「鳴り物入り」になりそうだ。
 しかし、私は「巷の評判」等と言うものを殆ど気にしない。
 自分の目で見て良ければ、良い作品なのだ。 もちろん期待はしているけれども。 

 

  さて、少し前の事だが、会社の同僚Aを映画に誘ってみた。

 私「ねぇ、『マリー・アントワネットの首飾り』って映画あるんだけど、観に行かない?」

 A 「え〜、面白いの?」

 私 「知らない♪」

 A 「どういうストーリーなの?」

 私 「知らない♪」

 A 「誰が出てるの?」

 私 「よく知らない♪」

 

 結果、モチロン1人で観に行く事になった。

 まぁ、Aの反応は当たり前と言えば当たり前だ。
 しかし、だ。 私にしてみれば、今から観る映画が「面白い」かどうかなんて判らないし、
 ストーリーなんか知っている方が邪魔だ。

 

  私が○△という映画を見た後で、「大して面白くは無かったなぁ」と言うと、友達は
 「えー、でもテレビで『面白い』って言ってたよ〜」等と言ったりする。

 ナルホド、コメントを言っている人の価値観や判断基準は判らなくても、テレビであれば
 信頼出来るのか。
 しかし、そのテレビの街頭インタヴューを受けている通行人もまた、他のマスコミの宣伝によって
 植え付けられた多数派報告(マジョリティ・リポート)の再生産をしているのではないか。

 友達は 「テレビで評判になってる○△を(行列に並んでまで)見れたから満足」している様だ。

 安心なんだろうね。

 

  情報は受け手が取捨選択して「利用する」物であるべきだ。
  情報に「利用され」たくはない。
                          (5/17記)


  <不倫、の巻>

  この言葉も、「超」→「チョ〜」等と同じ様に、「フリン」と言うファッションか何かの様に
 捉えられているフシがある。

 

  ところで、韓国では不倫は「違法」なんだそうだ。実際の刑罰があるのかどうかまでは知らないが、
 個人的には、法で取り締まられるべき事柄では無い様に思える。

 「人倫に悖る」(「もとる」と読みます。辞書で意味を調べてみよう)から、不倫なのである。
 その報いは当人の良心の呵責であるとか、周りの人間関係の軋轢etc,で支払われる物ではないか。

 他人が、ましてや国がとやかく言う事では無い。

 

  「本当に愛する人と出逢う、と言う事は、必ずしも幸せな出来事ではないし、
  その愛する人と一緒に生きていける、と言う保証がある訳でも無い。」  
(映画「情事」より)

 

   それ程に悲痛な思いを抱いて、常識・モラルと言う囲いを溢れ出てしまった愛情を、
  一体何で縛れると言うのか。

   しかし、その様な悲痛な想いは、「出逢い系サイト」なんかでお気軽な
  「フリン」というちょっとした冒険に嬉々としている人達からは遠くかけ離れているのだろう。

 

   妻として、夫としてのプライドが無いのなら、それは既に「不倫」ですら無い。

                                  (5/9記)


   <喰い合わせ、の巻>

  映画「インディペンデンス・デイ」を観て、(大変に面白いが)ゲンナリしたら、「マーズ・アタック」を観よう。
 と言うか、この二つはペアで観るべき映画だと私は断言する。

 そして、心温まる「E.T.」を観たら、すかさず「モンスター・イン・ザ・クローゼット」だっ!! (責任は持たない)

 

  破壊力10倍増しって感じである。

  

 アメリカの、こういう部分ってのは好きだな。
                              (5/4記)


   <恐るべし、巨乳の威力、の巻>

  以前、映画コーナーで「A.i.」について書いた時、
 『人が一生の中で「幸せ」を感じる時間を集めると、大体1日(24h)になる』
 と言う説を紹介した。

 大変に美しく、また哀しい説だと思うが、一体どうやってその「幸せの時間」を計ったのだろう?
 1人の人間が70〜80年生きるとして、その間ずっと研究対象であるハズもないし、
 まぁ、実証を求めない哲学的な説なのだろうと思っている。


  さて、世の中には変わった研究というのが沢山あるようで、他では、

  『巨乳の奥さんを貰った男性は長生きする』

 と言う噴飯モノの学説があるらしい。
 ドイツ(だったと思う)でマジメにこの研究に取り組んでいる方がいるらしい。、
 (詳しい事は知らないので、もしご存じの方がいらっしゃったら是非教えて下さい。)

 これもどうやってデータを採ったのか興味の湧く所である。
 例えば、「Aカップの奥さんと暮らしていた男性は病気がちであったが、巨乳の女性と再婚したら
 元気になった。」等のケースを集めたのだろうか。
 あるいは、長寿の方の奥さんのブラサイズを片っ端から調べて回ったとか、、、

 まぁ、精神的な効用を(無理矢理)考えるなら、

 ・豊満な身体つきの女性→母親的安心感(男から「見て」だが)

 といった所なのだろうか。
 (実際にはオッパイの大きさと母性本能と関係があるとも思えないが)

 

  ま、バカバカしいけれども、例えばクローン技術の研究などよりは、
 おおらかで親しみが湧くと言うもんだ。

 

  (あ、、シリコンや生理食塩水等の『ニセパイ』でも、、、、、イイんだろな、男ってバカだもんな。)

                                      (4/28記)


 「優しい人」ってのは、少なからず心の奥底に深い傷を負った人だ。

 哀しみを自分の内側に取り込んで、ただ他人に助けを求める人は多い。
 そういう人は周りの世界を自分の闇に引きずり込んでしまうばかり。

 傷ついて尚、「与える」 そんな大きさを持てると良いのにね。
 (しかし、大抵の場合、「本人」はそんな事を気付かずに「与えて」いるんだけれど。)

 誰も貴方の苦しみを肩代わりする事も癒す事も出来はしない。
 その事実に変わりが無いのなら、貴方のするべき事は?


  < Piece of my Heart >

  勝手気ままに『俺サマ王国』的なHPを運営しているが、
 時折寄せられるメールやお手紙などの中には感動させられるモノも少なくない。

  先日の1万Hitのご祝儀と言った所だろう、「ご苦労さん」とばかりに
 プレゼントを戴いてしまった。
 私の趣味・嗜好を良く考えて戴いた様で、大変に嬉しい物だった。
 しかし、更に嬉しかったのが同封されたお手紙。

  共通の趣味であるスティーヴン・キングの作品から受けた霊感(インスピレーション)
 について書かれていたのだが、それは正に私がキングの「グリーン・マイル」「ペット・セマタリー」等
 から受けた感動、そしてソレから引き起こされた生死感と同じくするものだった。

 

  誰もが死を恐れ、もだえ苦しみながら生きているのだが、その個々人の心象を誰かに伝える事は
 非常に難しい。

  そして、あらゆる『芸術』とは、そのように「言葉」で伝えきれない「魂の震え」を、彼我の違いや、
 空間、時間を超えて誰かに託す永遠の努力の結晶だと思っている。

 

  愛するキング氏の力を大いに借りながらも、私の拙い文章が誰かの心に届いた事に
 心の底から感動した。

  我々は粉々に砕けたハートのかけらを胸の奥にしまって、狂った世界を旅している。
 そして時折、その自分の心の破片とピタリと合うかけらを持った誰かと出会う。

 その悦びが、この呪われた長い道(グリーン・マイル)を歩く勇気となるのだろう。

                            (4/18記)


   <それでもダンディ、の巻>

  知ってる方も多いだろうが、私は下戸である。

 ダンディ、なぞとホザくなら酒くらい飲めないと格好悪いのだが、
 コップのビールを5ミリも舐めたら、もう完全に酔っぱらってしまう。
 「安上がりでイイねぇ」等と人は言うが、気持ち良くなるならいざ知らず、
 心臓がドキドキして、気持ち悪くて眠れなくなる。 苦手なのだ。

 しかし、友達に飲む人も多いので、お酒・カクテルなんかの知識も
 少しは仕入れたい所だ。

  さて、先日あるレストランでランチを食べた。夜はバーとしても人気の店なのだが、
 ここでフト、カウンターのバーテンさんに訊いてみた。

 「カクテル・ベースに使うジンで、何かお薦めの銘柄ってありますか?」

 店員さんが教えてくれたら、それをメモして後で買いに行こうと思ったのだが、
 彼はウーーンと唸った後、やおらカウンターにジンの瓶を2本置いた。
 そしてショットグラスに1/3くらい注いだ。

 店「こっちがタンカレー・ジンで、こっちの青いのがボンベイ・サファイア・ジンです」

 う、、、少したじろぎながらも、匂いを嗅いでみる。

 私「はあ、、、タンカレーは少しフルーティで、サファイアはミントっぽい爽やかな香りなんですね、、、」

 恐る恐るテキトーな事を言ったが既に冷や汗モノである。

 しかし、そんなテキトーなコメントが当たらずとも遠からずだったのか、店の兄チャンは
 なんか話に熱が入ってきた。

 店「そうそう、そうなんですよー。個人的にはこの2つがお薦めかなー。いいですよ、ハイッ!

 ショットグラスを目の前に差し出され、クイッと呑む仕草をされた。(サービス良いよね、確かに)

 

 うっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!!

 話を持ちかけたのは私の方である、しかも店の兄チャンはサービスで
 付き合ってくれてる、、、しかし!   いや、、、チキショー!! 

  (ええいっ!)

 

 低アルコールのビールや缶チューハイでもダメな私である。
 いくら少ないとは言え、アルコール度数37.5だか40度だかのスピリッツを、ストレートで、、、

 ノドが爆発したかと思った。  (「ううう、、、」小さく呻く私)

 しかし、兄チャンは言う、「ネ、いけるでしょ?こっちもイイですよ!」

 一杯目で既に目が回っている私の目には、この小さなショットグラスが
 丼の様に大きく見えた。

 、、、、飲んださ、死ぬ気で。 (「ううううう、、、、」)

 ニコニコしながら、兄チャンは再びショットグラスに注いで、自分で飲んだ。
 「あーやっぱり美味いな〜♪」

 くそー、あんた(私の質問をダシにして)自分が飲みたいんじゃん。

 

  その日の午後、私が仕事をしていた時間とトイレに籠もっていた時間、
 どちらが長かったかは想像がつく事だろう。

                               (4/14記)


  <ダンディ、の巻>

  こんばんは、そしてただいま。 頭の中にマイクロウェーブ発信器を埋め込まれ、
 GPS対応となった「せき」です。 皆様いかがお過ごしですか。

  さて、板橋のオッサンも結構なトシなので、ちょっとイメージチェンジを図り、「ダンディ」に挑戦
 してみようと思う。
 もちろん、頭の中には発信器、、、じゃ無くてジョージ・クルーニーとかのイメージ図がある訳だが。

 それで何をしたかって言うと、 「髭」 である。
 取り敢えず1週間伸ばしてみた。 

 しかし元々、ヒゲは余り濃くは無い(密度も薄いし、分布区域も狭い)ので、いつまで経っても
 どうも「無精ヒゲ」としか認識されてないらしい。
 1人だけお情けで、「『しいなきっぺい』チックちょっとカッコイイよ」と言ってくれたが、
 「しいなきっぺい」って人を知らないので何とも判断が付かない。

 

  さて、今日の仕事帰りである。 
 レイトショーを見て、作品を牛の様に反芻しながら電車に乗っていた。

 金曜の夜、と言う事で終電間近の客車は酔客で満員だった。
 窓際に私、A男、B子が三角形の配置で立っていた。 3人はそれぞれ見知らぬ他人である。

 A男は呑み過ぎたのだろう、ちょっと苦しそうな顔でベルトを緩めたりしていた。
 ちょっとヤバいなぁ、と思ってはいたのだが、混んだ電車内ではどうにも出来ない。
 と、突然、奴は咳き込んだはずみに、激しく吐瀉物を噴出した。

 普通に吐く場合、いくら立っていても口から下方向に向けて吐瀉物は落ちて行くが、
 今回は本人は咳をするつもりで口の前に手を持って行っていた。
 当然、「ブツ」は激しい咳の奔流に乗って発射され、しかも受けた手に遮られて拡散した。

 ま、スプリンクラーみたいなもんだね。

 私も当然可哀想なのだが、やはり一番の悲劇は正面に位置していたB子さんである。
 2つ持っている、と勘違いして、B子さんにポケットティッシュをあげてしまった私はダンディである。
 「、、、やっと逢えたね」と声を掛け、 彼女の服や髪に付いたブツも取ってあげたしな。

 家に帰って速攻でシャワーを浴びようと浴室の鏡を見ると、
 髪の毛にヤキソバ(塩)が付いていた。

 ああ、ダンディさ。 
                                (4/5記)


   【お知らせ】

  こんばんは、一年のご無沙汰です。 「せき」の兄です。

 ええ、私が出てくると言う事は、つまりアレなんですが、またしても愚弟が失踪してしまいました。

 どうやら今回は3月の仕事の〆を何とかクリアして気が抜けた所を、
 アルファ・ケンタウリのカニ星人だか、レティクル座星雲の神々だか、リトルグリーンマンだか、イーバだかに
 誘拐された様です。
 取り敢えず携帯メールで状況は伝わってくるのですが、彼は地球の(非)知的生命体の標本として、
 連れ去られ、頭の中に何かを埋め込まれたらしいが、まあ無事だそうです。

 (何故メールなんかが届くのかよく判らないのですが、)

 あっ、たった今、またメールが来ましたっ!

 

 

      

     メリー・エイプリル・フール♪
   ハッピー・エイプリル・フール♪

 

  す、すいません・・・
                            (3/31記)


  <新たなる野望、の巻> そして、また新コーナーになるのか!?

 私の重要な趣味の一つに読書がある。

しかし、生来の遅読に加え、最近は仕事に、映画に、PCに、と時間を取られ読書量は減るばかりだ。
それでも書店で面白そうな本を見つけるとついつい買ってしまう。
スティーブン・キングを1冊読んでは、目に付く限りの彼の著作を買い漁り、フィリップ・K・ディックや
中島らも、浅田次郎でも同じ事をくり返す。

 かくて我が家には呪わしいばかりの高さと威容を誇る「積ん読(つんどく)タワー」が出現した。

そして先日の事、このサイトではお馴染みの愚猫「ボンゴレ」が飛び乗ったはずみで
愚かしさの象徴とも言えるタワーはバベルの塔よろしく崩壊した。
(体当たりテロか!)
シューシポスの責め苦の様に、また1から本を積み上げて私は深い溜め息をついた。

しかし、なす術も無く、私は猫にエサ抜きの刑を言い渡して床に就いたのであった。

 翌朝、いつもの様に朦朧と目をこすりながら出社し、途中で本屋に立ち寄った(何故まだ行くのだ)
フラフラと店内を徘徊し目新しい刊行物を物色していた私の目に一冊の文庫本が飛び込んできた。

 

 「本がいままでの10倍速く読める法」 栗田昌裕著 三笠書房刊

 

 天啓である。

 しかし、ここで断っておくべき事がある。
私は元々はこの様な「速読法」に対してはかなり否定的な印象を持っていたのである。

前述の様に、私は非常な遅読であるのだが、例えば、

 

 接吻は不幸の味がした。 (浅田次郎「見知らぬ妻へ」より)

等という文章を、口の中で味わい(特にこの様な文の時は殆ど音読に近くなるのだ)、
心の中で何度も反芻する事こそ、本を読む悦びだと信じてきた。

第一「速読」なんて、文机を、タイプライターを、前にして苦吟している作家に失礼ではないか!

 

 しかし改めて未読の本の山を思いかえした。
買って読まないのも相当に失礼だ。 それに(速読が)出来るに越したことはないかもしれない。

 

 そのように悩みながらも結局買った「速読」の本を開いてみる。そして序文を読んで驚いた。
これはただ単に「本が速く読める」だけのモノでは無い、と言うのだ。 曰く、

 ・記憶力、想起力、発想力等が高まる
 ・頭痛、肩こり、目の疲れなどの改善
 ・感情、情緒が豊かになり安定
 ・潜在意識が活性化
 ・対人関係が改善

  等々の色んな効果があるらしい。(と本当に書いてある)                     

 体験者の声も凄い。

 「引っ込み思案だったボクも今では女性にモテモテで困ってしまうくらいです」 (愛知県S氏)
 「たった2ヶ月で5s減! 諦めていた昔のスカートが履けるようになりました」 
(東京Mさん)
 「夢の10万馬券をゲット! パチンコも勝ちまくりです」 
(大阪Kさん)
 「身長が伸びて念願の170pに!」 
(もういい)

 すいません、この辺は全部ウソです。

 冗談はともかく、やってみる価値はあるかもしれない。

 

 さて、この速読力の基準として設定されている文字数だが、1分間で、

  初級・・・1万字
  中級・・・5万字
  上級・・・10万字  
(10万字だって? ロビン・ウィリアムスじゃねーんだぞ。)

 となっている。
 早速、私も計ってみた。 結果は1分間で、      
520文字だった。

 

  道のりは遠い。                  

                              (3/22記) 今後、何か進展があれば続きます。


 <お礼>

  無事、10000hitしました。 栄えあるキリ番は「むぎ@チンザノ」さんでした。
 (実際の友達でもあり、とても素敵な女性です
(ちょっと、いやかなり天然が入ってますが)
 おめでとう、そしてありがとう。

 当サイトはデビューして3年程になるのですが、カウンターを設置したのは昨年の2月。
 大体一年くらいで1万ヒットという訳です。
 これは私にとっては非常に嬉しい事です。

 何しろ、まず文体が一般的に使われる「インターネット文体」では無い、と言う事。
 つまり(笑)(泣)マークや、顔文字 Σ( ̄□ ̄ノ)ノ  (。・_・。)ノ 等を殆ど使う事のない
 非常に硬い文章です。
 読み辛い、と思われる方も決して少なくないと思います。

 ましてや、管理人は男、しかもオッサン。
 女性のサイトならいざ知らず、オッサンのHPで、しかもギャグ主体では無い、となると
 この1万ヒットは本当に嬉しい。

 

  皆さん、本当にありがとう (笑) ヾ(@^▽^@)ノ (*^ ^*)   (o^-')b   大サービス

 

  最後に名前の由来を。
 「還って来たスパ・ライ」だと思っている方も多いですが、正式名称はトップページの左上の
 ヘンな文字、

    the SPICE of LIFE U

 です。 普通に読める字に直すと 「the SPICE of LIFE U」 になります。
 私の Slice of Life が、貴方の生活のちょっとした Spice になれば、
 との思いで付けた名前です。世界に誇るジャズ・ギタリスト
渡辺香津美のアルバムタイトル
 でもあるのです。

 一時、事情があり、閉鎖したのですが、復活した為に「ver,U」となっています。
 そしてフォーク・クルセイダーズの
「帰ってきたヨッパライ」をもじった、ちょっとしたジョークなのです。

 最近、公私共に以前とは比較にならない程忙しくなって来た為、いつまで続けられるか
 判りませんが、映画コーナーを中心に(雑記も)細々とアップして行くつもりですので、
 どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
                              
(3/15記)

 

  昨日の今日だけど、後日談を。

 かなり早くから「キリ番プレゼント」の話は掲示板やら何やらでしていたし、
 無愛想な私のHPで、こんな企画なんてのが珍しかったのだろう。
 この話題になると、みんな俄然、「当然、自分が取る」という気合いが感じられてちょっと可笑しかった。

 もちろん、そんなに来客数も多くない零細サイトなので、確率はそう低く無いのも確かだが。
 ところがフタを開けてみると、何にも知らないMさんがフラリと立ち寄って見事にビンゴ。

 「プレゼントがあるから、選んで教えてね。」と電話すると、

 「選ぶって何からぁ?」   ああ、、、雑記読んでないのですね。

 「、、、あのね、雑記の下の方に選択肢があるからソコから選ぶんだよ、映画のチケット
 なんかもあるからね。」

 「えー?そんなモノもあるの? 初めての人や、全然把握してない人が来てもプレゼントしたのぉ?」

 

  、、、一番把握してないのは、キミだよ、M
                               
(3/16記)

 

  さて、キリ番プレゼントは
 10000の「むぎ」さん・・・図書券2000円分
 9999「ジャッキー」さん、10001「フリスキー」さん・・・前後賞としてUFOキャッチャーの景品(、、、粗品)
 となりました。 おめでとうございました。

 発表をもって、発送に代えさせて戴きます。

 

  (ウソ、ちゃんと発送もするよ、ちょっと待っててね。)


 <高い映画料金、の巻>

  相当な勢いで映画を見ているが、入場料の大人\1800と言うのは高すぎる。
 皆さん、普通に払ってらっしゃいますか?

 私は数を見るので、とてもそんな正規料金なんて払っていられない。
 (ついでにパンフレットも絶対に買わない。)
 レイトショー、映画の日、ポイントサービス、試写会、等々、割引を最大限に利用して
 単価を落としているのだ。 おそらく平均すると\1000を切っているだろう。

  さて、逆に一番料金が高い映画の見方とは何だろう。
 例えば有楽町の日劇PLEX(日本劇場)で土日の指定席が\2500
 デートで2人分で\5000、、、これでつまらなかったら暴れるね。

 

  しかし、先日「桃色電脳波乗り」をしていた時に凄いモノを発見した。 それは、、、

 『ヌ●バーサル・スタジオ・シブヤ 』  さすがにURLは控えておくがヤフーで一発だと言っておこう。

 ま、イメクラな訳だが、各個室にホームシアターを設置して映画を見ながらエッチな事をするらしい。
 (どう考えても画面なんか見ないと思うのだが。)

 だが、コレでは今回のお題、「高いお金で『映画を見る』」には外れてしまう。
 40分〜70分の各コース(書いてて何だか情けなくなってきたゾ)では「映画を見る」と言う目的は
 果たせないからだ。

 しかし、恐るべき「●キバーサル・スタジオ」そんな貴方の為にこんなスペッシャルなコースも
 ご用意しております。

     『 ラブラブ映画鑑賞コース 』 120分 \25000

  ガハハハハ! 高ぇよ! 高い〜〜〜!  そして、、、

  【但し、サービスは一切ありません】

  ガハハハハ! 高ぇよ! 高い〜〜〜! (←ちょっと意味合いが変わってきた)

 しかも入会金が\2000、 指名料が\2000
 逝きたい、いや行きたいぞ、ヌ●バーサル。

 この不景気なご時世に、レンタルビデオを女の子と見る為に\29000も出すお大尽が
 いるのだろうか。

 しかし、思いは膨らむ。 何を見よう、、、
 「グリーンマイル」が途中で切られてしまうのも切ないし(188分)、
 ここは一つ、「裸のランチ」や「未来世紀ブラジル」でも見て、女の子に
 「コレはどーゆー事やねん?」と問いただしてみるか。

 女の子が凄い映画通で、コテンパンにやっつけられるのも、またいとをかし。

 誰か、スポンサーになってくれないかなぁ。 (振り込みはジャパンネットバンク対応)
 可能な限り画像を付けて最後(最後て)まで詳細にレポートするんだけどなぁ。

                                  (3/10記)


 <究極の選択〜人でなし編〜 >

 女 「アタシと仕事とどっちが大事なのよっ!」

 私 「じゃあ、キミが喰わせてくれるってのかい?」

 

 女 「アタシと猫とどっちが大事なのよっ!」

 私 「猫は俺ナシでは生きて行けないけど、、、」

 

 女 「アタシと映画とどっちが大事なのよっ!」

 私 「キミは映画ホド夢を見させてくれるワケじゃない」

 

  ふっ   って言うか、そんな事をホンキで訊いてくる人に用はないけどな。

                                   (3/9記)


  <メメント的遊戯 〜10本前、俺は何を見たのか〜>

  麗しのJ嬢からメールが届いた。 曰く、
 「映画『メメント』見たんですが、良く判りません、教えて下さい」

 

  う、一体何の事だ、、、
 俺は少し慌ててジャケットのポケットを探り、ポラロイドを取り出した。
 PCに向き直り、自分のHPの映画コーナーを開けた。
 ヒントはきっとここにある。

 しかし、 何だコレは。 これでは映画の謎はおろか、ストーリーもままならぬ。

 途方に暮れた俺の前に突然メガネの男が現れた。
 「ハ〜イ、せき!元気かい!」
 おいおい、お前誰だよ?
 「そっか、覚えて無いんだよな、俺ァ、テディだ」

 「あたしはナタリーよ、どうせ覚えてないんでしょうけど」
 やはりいきなり現れた女が言う。


  、、、覚えてない、、、

  レナード? テディ? ジョン・G?ナタリー? 誰よ、それ?

 

 
  最近、相当な数の映画を見まくっている。
 私としては最高度の集中力で喰らい付く様に見ているつもりだ。
 しかし哀しいかな、私の安物の頭脳のHD容量が圧倒的に足りないらしい。

 一昨日に見た「私は好奇心の強い女」から27本さかのぼって、
 去年の12月5日の初回、11:45分に見た映画の込み入ったストーリーなんて、
 カケラも覚えちゃいないのだ。

 レナードはポラロイドを撮る。 私はHPにカリカリと書き込む。

 ああ、記憶って、、、
                              
(2/24記)


 <籠(カゴ)の中の籠、の巻>

  映画館のシートに深く身を沈め、客電が落ちる。
 すると「私」は、私の身体から闇の中に溶け出し、スクリーンの中の人々に同化する。
 男でも女でも構わない、ホンの束の間、私は彼らの人生を体験する。

 全ての登場人物は、「私」であるから、彼らの怒り、悦び、哀しみも私のモノである。

 当然、どんな不条理なドラマも起こり得る。
 しかし、それは映画が終わり夢から醒めた「自分の人生」に於いても同じだ。

 

  「そんな事もあるさ」

                                 (2/21記)

  

  D,リンチの「マルホランド・ドライブ」を見た。初心者には(←イヤな言い方だが)ちょっとキビシイ映画かもしれない。

  究極のネタバレになっているが、こちらをどうぞ → 映画コーナー


  <Living in the Cyber City>

  最近ヤフーオークションを始めた。 
 手に入れにくい絶版の本やCD等が家に居ながらにして買えたりする。 面白い。
 決済も
ネット上の銀行から振り込んでお終い。 画面上に「貴方の残高は○○円」と記号が写し出される。

 もし、給料の振り込みもこのネットバンクに指定をしたら、 
 もはやお金は私の手の上でチャリンと鳴る事も無い。(「小銭かヨ」
by三村

 JRの新しい定期券でsuicaと言うモノがある。このカードに入金して何度でも使えるプリペイドカードだ。
 ゆくゆくは、町中でこの様なカードで全ての物を賄える様になるのだろう。
 既にi-modeでジュースが買える自動販売機もあるしね。

 そしてお金はただの記号となる。


  凄く便利な世の中になった。 
 しかし、その便利さが私達の生活を少しずつ「記号化」していっているのもまた事実だ。


  オークションで落札をしたら、その後の実際の取引の為に何回かメールをやり取りする。
 そんな時、ガチガチの(血の通わない)定型文を送ってくる人もいる。
 こういう人は絶対に間違いの無い、安心した取引が出来る。
 それは、それで良い。

 でも正直な所、余り好きにはなれない。

 ま、ネット上で出会う全ての人に、自分をさらけ出していてはキリが無い事もまた確かなのだけれど。

 

   SF作家アイザック・アシモフは、(いや、アーサー・C・クラークだったかもしれない)
 「50年もすれば、実際に肌と肌を触れ合うセックスは消滅する」 と言った。

 そうかもしれない。 エイズの脅威は拡大していく一方だし、例えば心理的 / 肉体的な障害を持つ人や
 お年寄り達の為にも、そう言ったヴァーチャル・セックスの研究は進めて然るべきだ。
 しかし、その技術が通常の(自然な)セックスを駆逐する事があってはならないと思う。

 セックスが快感の為、つまり「目的」がセックスの場合はそれも良いだろう。 (そういうのも好きだ)
 しかし、セックスが、愛情を伝える大切な「手段」でもある事を忘れてはならない。

 ヴァーチャル・セックスでは「目的」以上の階梯に進む以前に完結してしまうのではないだろうか。

 

  人間としての温かみを失ってまで便利さを追求する必要があるだろうか。

  映画コーナーに関連記事(トマ@トマ)

                                (2/14記)


  <商売人の魂、の巻>

  PCの増設メモリーを買いに行った。

 私 「すいませーん、メモリーを増設したいんですけど、値段とか教えて下さい。」

 店員 「えっとですね、今ちょうどメモリーの値段が倍くらいに上がっちゃったんですよ。」

 「あ、、、は、はい(?)」

 「例えば128Mのコレも今は18000円くらいですけど、前までは13000円くらいだったんですよ。」

 「、、、何か変わったんですか?」

 「いえ、全く同じ商品です。メーカーさんの意向で値上がりしたんですが、つい10日程前
 までは、安い値段だったんですよ。」

 「、、、で、今はその値段では買えないんですね?」

 「はい。」

 

  この店員、何がしたいねん。 悔しがらせたかったのか?

 まぁ、お客さん達から「前より値段が高くなってる!なんで?」とか、突っ込まれまくった挙げ句、
 最初から言ってしまおう、と言うのかもしれないが。

 商売、と言うモノは「品物とお金の交換」ダケじゃ無いのにね。

                           (1/31記)


  <筋金入り、の巻>

  【マヨラー】
 元アイドル川崎麻世の熱狂的ファン。
 彼の舞台やディナーショーに押し掛ける大半はオバチャンであり、良い飯の種であるが、
 中には若い「おっかけ」も存在し、カイヤ夫人の頭痛の種となっている。

 

  ウソです。

  コンビニに行くと、「マヨラー向け」を謳った商品が並んでいる。
 中華まんのバリエーションとして、「ポテマヨまん」
 酢飯の上に刻み海苔を敷き、シーチキンを乗せてマヨネーズを掛けて食べる「マヨちらし」
 日本の食文化の崩壊だな。 
 他には「マヨネーズ焼きそば」と言うのもあり、これには「マヨネーズ
2袋入り」などと、
 嬉しそうに書いてある。 あはははは、バカだ。

  
 以下、軽く食べ方紹介。

 焼き肉・・・焼き肉のタレ+マヨネーズ 思えば子供の頃のコレで目覚めたような気がする。
       カルビはギトギトになるし、ロースも信じられないくらい濃厚になる。

 ハンバーグ・トンカツ・・・デミグラスソースにもマヨネーズは合う。 からし入りだとベスト。

 鶏唐揚げ・・・醤油+マヨネーズも定番。 スルメにも合う。

 カレー・・・意外な様だがコレも美味い。 薬味程度に皿の端にチョコっと。

  以上、どれも少量にとどめておくのが美味しく食べるコツだ。過ぎると胸焼けする。

 NG例としては、

 マヨネーズ・ラーメン・・・これはお店でも出している所があり何回か食べたが、どうにもマズイ。

 クリームシチュー・・・色がダサい。

 トマト・・・トマトの甘みを味わうには調味料は余分だ。マヨネーズを掛けると酸っぱくなる。

 

 そう、私は正真正銘のマヨラーだ。 香取慎吾が生まれる前からマヨネーズ舐めてたっての。

 嗚呼、こうして私達の中性脂肪とコレストロール値は上がって行くのである。
 食文化の崩壊ってのは結構マジだよな。

                            (1/26記)


  ロックの衰退が著しい。
 ベテラン・ロックバンドは20年前と変わらない「伝統芸能」と化しているし
 (モチロン、彼らの音楽は大好きです)、
 最近流行のヘヴィ系のバンドは演奏技術の無さを轟音で隠して、上っ面の「怒り」を
 演じている。 これは退化だ。

  そんな中、ドリームシアターの新作「Six Degrees of Inner Turbulence」が出た。
 これは本当に凄い。
 世界最高峰の演奏技術で「現代を生きる」音楽をやっている。

 21世紀、人類も地球も老いの影を纏い始め、あちこちで軋みを上げている。
 そんな状況に気付かず(気付かないフリをして)ヘラヘラ笑っている者は幸せだが、バカだ。

 Disc-1(2枚組なのだ)の各曲はそんな世相を反映してか、非常にダークな歌詞と
 ヘヴィな音だ。 初心者にはキツイかもしれない。 

 しかしDisc-2は、そんな暗い世の中ではあるが、それでも前に進もうと言う強い意志が
 漲っている。 一曲にして42分にも及ぶ大作だ。

 現代の音楽をジャズの側から進化/深化させているのがパット・メセニーだとすれば、
 ハードロック、プログレッシヴ・ロックの切り口で押し進めているのが
ドリーム・シアターなのだ。
 彼らの音楽は未来に対して拓かれている。

 ファンである事を誇りに思う。

   全く初めての人がイキナリこのアルバムを聴いて楽しめるかどうか、難しい所だ。
     もし興味があるのなら、2ndアルバム
「Images & Wards」から聴く事を強くお薦めしておきます。

                                    (1/24記)


  <イイ人仮面あらわる、の巻>

  当サイトやネットの各所で好き放題の事を言っている為、一部の人は(一部、、、?)
 私の事を蛇蝎の如く忌み嫌っているが、実社会ではどうか。

 これが意外に思われる方もいるだろうが、私はあくまで温厚で衝突を避けるタイプだ。
 何故なら、基本的に
「ハラを立てると『損』をする」事を知っているからだ。

 

  先日、行きつけのレストランでの事。
 平日なのに何故か満席で、料理がなかなか出てこなかった。
 周りのテーブルでもイライラした顔の人や、中には「まだなの?」とかなり強い口調で
 ウェイターに問いただす人もいた。

 お店の方はあちらこちらで客に謝っていた。 
 店は明らかに混んでいるし、彼らが頑張っているのも判る。
 だから私は文句を言わない。

 食事を終え、会計を済ます時に、「遅くなってすいませんでした」と謝られた。
 私はニコリと笑って答えた。
「美味しかったからイイんです。」
 お店の方の「有り難うございます」は恐らく心の底からの言葉だったろう。

 とても良い気分で店を出れた。

 

 怒ったところで、時間が帰って来るワケでもない。
 それならば、他の方法でお互いが気持ち良くなれる事を探せば良い。
 第一、ギャアギャア文句を垂れるよりカッコ良く、スマートだ。

 余談だが、今日その店に行ったら、頼んでないサラダをサービスしてくれた。
 ホラ、こんなオマケも付いてきたりする。

                             (1/22記)


  <振り袖で『あ〜〜れ〜〜!』が夢だった、の巻> 

  昔は成人式の振り袖姿の「お姉さん」を見て、ああ綺麗だなと思い、
 何となく「高嶺の花」的な、手の届かない存在の様に感じたモノだ。

 それから時は流れ、今では、ああこんな幼い「お嬢ちゃん」がもう性人、成人なのね、
 等と思うようになってしまった。

 しかしまあ、今度はまた逆の意味で「手の届かない存在」ではあるが。

 あはははは、年をとったもんだ。

 

  電車の中で、オッチャンがマンガを読んだりゲームボーイなんかをやっているのを見ると、
 「大人って何さ?」 なんて思ってしまう時もある。
 こんな大人を見て育ってきた子供が成人式で暴れたり、新春大暴走なんてやらかしてしまうのも、
 まあ無理からぬ事かもしれない。

 しかし泣こうが叫こうが、「無礼な君達」も私達「情けない大人」の仲間入り。
 これからは一緒に社会を支えて行こう。

 ま、頑張ろうや。

 

  さて、更新も終わったし、FF-]でもやろっかな。 あ、ジャンプもまだ読んでなかったな。

                                  (1/14記)


  <運命、の巻>

  友人からメールを貰った。
 曰く、
<「運命」ってあると思いますか?>

 ど真ん中の直球である。 応えないワケにはいかぬ。

 

  しかし、考える程に「運命」と言う言葉自体がわからなくなる。 辞書で調べてみよう。

うんめい 【運命】


(1)超自然的な力に支配されて、人の上に訪れるめぐりあわせ。天命によって定められた人の運。
(2)今後の成り行き。将来。               
【大辞林第二版より】

  様々な幸せや不幸、これらにブチ当たるのは、単に確立の問題だ。そこに人智を越えた力を
 感じるのは幻想にすぎない。
 宇宙意志が我々1人1人を見守って、行く末を左右するワケではない。
 神は確かに私達を創造したが、その後は完全な放任である。

 私達1人1人を本当に良く見ているのは、とりもなおさず我々自身だ。
 「運命」とは私達が心の中に作り出したモノである。

 私達は「起こってしまった出来事」を誰かのせいにして、感謝や諦め、を「したい」のだ。

 

  過去に起きてしまった不幸は厳然たる事実である。それを変える事はできない。
 しかし、その事で自分や他人を責めるばかりの人生は更なる不幸だ。
 その過去の不幸を「運命だったのさ」と言ってスッパリ切り捨ててしまえば、
 それに続く、「現在」や「未来」を変える事は出来る。 

 では、これから来る運命は変えられないのか。
 少なくとも、可能性を高めたり低めたりの努力は出来るだろう。
 交通事故に遭いたくなければ、酒を呑んで運転しない方が良いだろうし、
 「運命の人」に出会いたければ、ずっと家の中に籠もっていては、そのチャンスは減るばかりだ。

 dreams come true それは、夢を信じて、それに対する努力を続けた人に訪れる奇跡(運命)だと思う。

                                  (1/12記)


 <お袋の味、二題>

  今年は初の試みで雑煮を作ってみた。 まぁテキトーにダシをとり、
 鶏肉やら野菜やらを煮込んだお吸い物仕立て。
 殆ど味見もせずに作り、食べてみて驚いた。
 笑ってしまう程、母親の味とソックリだったのだ。 
 特に教わらなくても、おふくろの味を受け継いでいるんだね。 
 これならいつお嫁に行っても大丈夫だわ♪

 

  さて、駅の立ち食いソバ屋でカレーを食べていた時の話。
 そこはウチの母親くらいのオバチャン2人が働いているのだが、
 フト、厨房の壁を見ると、色々なレシピが貼り付けてあった。

 良く見ると、

 

  <<カレーの作り方・材料>>

  豚肉    ○○グラム
  ニンジン  ○本
  タマネギ  ○個
    ・
    ・
    ・
    ・
  ジャワカレー/ククレカレー 各1箱

 

 なるほど、おふくろの味がするワケだ。

 と言うか、せめて客から見えない場所に貼ってくれ。

                           (1/4記)


   あけましておめでとうございます。

 

 って正月気分に浸る間もなく、今日から仕事の私です。

 さて一休法師の逸話を覚えているだろうか、
 彼は正月気分で浮かれている町中を髑髏(←『しゃれこうべ』で変換、もちろん『ドクロ』でも可)を竹槍の先に刺して
 練り歩いたそうだ。 
 曰く、「お気楽に浮かれ騒いでいるが、こうしている間にも私達は『死』に向かっているのだ。」

 子供の頃の私は、さすが一休さん凄い事を言うなぁ 等と感心したものだが、今は違う。

 生きとし生けるもの、全てが必ず死ぬのであるから、
 すなわち「生きる」事は「ゆっくり死に逝く状態」(つまり『死ぬ』の現在進行形)に他ならない。

 しかし、そんな事は誰でも知っている。

 判っているからこそ、今の楽しい時間を享受し慈しんでいるのだ。
 先にある哀しみを思い煩って鬱々と過ごすより、今その手の中にある温かみを喜ぶ。
 それは「強さ」である。

 

 世の中暗いニュースばかりが目立ち、先行きの不安は誰もが感じるところだろう。
 しかし、せめて正月くらいはゆっくりと休みバカ笑いでもしよう。

 その笑顔が、笑い声が、きっとこれからの一年の「頑張りの素」になる事と思う。

 

  改めてもう一度、

 明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いします。

 

                              (1/2記)


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