「楯」/二谷友里恵
(2001・5・27)
離婚、その他の報道に関して、一切の沈黙を守ってきた二谷さんの著書。「なぜ今ごろ沈黙を破り、こんな本を出版するのか」と、マスコミではあれやこれやの推測がなされている。が、人の推測は人の推測でしかない。私は私の視点で、彼女の考えに触れてみたいと思った。育った環境はまったく違うにしても、ほぼ同じ世代の女性であり、同じように子を持つ母でもある。そんな女性の生き様に触れることができるならば……と、本を手にとった。
私は、二谷さん本人が「二度と読み返すことはない」と断言している、二谷さんの前著「愛される理由」も読んでいる。友人が貸してくれたのだ。細かい内容は何も覚えていないが、読後感だけは、おぼろげによみがえってくる。「なんと高慢ちきな」……言葉はよろしくないが、一言で言えばそんなところだ。はっきり言って、不快感だけが残った。貸してくれた友人は、この本に感激して私にも読ませたいと思ったようだが、なぜこの本に感激できるのかが、私にはわからなかった。
それから長いときを経て出版された、「楯」。「愛される理由」で受けた印象と、この本で受ける印象とは、どれだけの違いがあるのだろうか……そんなことも私の興味のひとつではあった。
「愛される理由」のときと同じように、「楯」には、夫であった郷ひろみ氏とのエピソードが数多く取り上げられている。が、それは、私にとってはどうでもいいことであった。「世の中にはこんな人もいるのかあ」と思ったくらいのもので、スター・郷ひろみの人間性だとか、夫や父としてのありかたについてなど、私があれこれ言うつもりは毛頭ない。
この本を評価するとすれば、自分で自分の気持ちを確認するかのように、淡々と言葉を紡いでいった二谷さんの姿勢ではないかと思う。あえて文字としては表現しなかった感情も、あったのに違いない。が、それを直接的な言葉として表現せずに書き綴った二谷さんの強さを思う。悲しいくらい客観的に冷静な視点で自分とその周囲を見つめているその姿勢には、読んでいるこちらがつらくなってくるほどだ。
「タレント」「芸能界」という世界が、どのような世界なのか、私には想像もつかない。そういった世界に近いところにいる二谷さんと、一般市民である私とでは、同じ土俵で語れないことも多くあって不思議はない。が、それを越えた何かがこの本にはある。その何かが私に訴えかけてくる。その何か……うまく表現できないが、「人間の本質を射抜くような視線」とでも言うのだろうか。
タレントによる告白的書物、いわゆる「タレント本」は、数多く出版されている。その多くはゴーストライターの手によるものだとはわかっていても、興味のあるものは目を通してみることにしている。自分の目で見て自分の頭で判断したいと思うし、読めばそれなりに伝わってくるものがないわけでもない。とはいえ、「だから、何が言いたいわけ?」と、こちらが問い掛けたくなるようなものが多いことも事実だ。どんなにスキャンダラスな人生を公開したところで、それだけでは伝わってくるものなど、何もない。
が、「楯」は違った。スキャンダラスなことも事実としては公開されている。なぜ公開されているかといえば、その事実を公開しなければ人々に伝えられないことがあるからだ。それは、もしかしたら、ひとりよがりなことなのかもしれない。が、スキャンダラスを売りにしているだけではないという点で、私は「楯」を「タレント本」とは一線を画したところに位置づけている。
「楯」……なぜか「人の孤独」を感じてしまうこのタイトルも、妙に私は気に入ってしまった。人間は、どうあっても孤独なものなのだ。
ちなみに私は、郷ひろみ氏が二谷さんと離婚するときに記した著書「ダディ」は、読んでいない。雑誌などで記事を目にしたことはあるが、「読もう」という気には、ならなかった。が、「楯」を読み終えた今、少しだけ「読んでみようかな」という気持ちになっている。