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優柔不断で無粋で無神経な僕と、 三橋は机の上に置かれたプリントに視線を落としながら、差してくる西日に目を細めた。 隣では田島がやはりプリントを前に、うんうんと唸っている。 他の生徒はいなくて、二人だけが教室に残っている理由は至極単純だ。 数学の抜き打ちテストでの点数が、至極悪かった。そう難しいものを出題した覚えのない教師は他の生徒との点数の差を見て、正規の試験ではなかったものの、これはまずいぞと二人に居残りでのテスト直しを命じたのだ。 付き合いの良い教師は、分からなければ聞いてこいと教卓に自分の仕事を広げて座っていたのだが、それもつい先程職員会議だからと出て行ってしまった。 それでもたっぷり四十五分、教師がいたその間に二人が解き進めた問題数はたったの二問。 それも、見かねた教師に簡単なものから解いていけと言われてのことだ。 「あーあ」 田島が横で、大きくため息を吐いた。 「こんなもん、出来るわけねーじゃんか。それに、出来たって将来役になんて立たないね。絶対、立たない」 ガタガタと机を揺らしながら、田島が低い声で言う。 三橋は、それに「あ」とも「う」とも言い難いうめき声にもならない声を短く出して押し黙る。 田島の言うことには賛同だった。数学ではなくて、算数が出来れば将来だって何とかやっていけるものだろう。要領が悪くても、計算は出来る。 しかし少なくとも、高校生活をしていく上では必要不可欠の教科。全く理解出来ないし、やりたくもないけれども、それで放り出すわけにもいかない。 その上での、「あ」だか「う」であった。 口下手の三橋には、それすらもタイミング良く言い出すことが出来ないのだ。 田島が、三橋の妙な声に「大丈夫か?」と聞いてくる。 どうやら、むせでもしたのかと思われたようだ。 「だ、大丈夫」 誤解を解こうともせずに、三橋は慌てて答えた。 そうした後、田島は三橋が何か言い出すのを待っているようであった。何かを言おうとしてむせたのだと思われているのだったら、田島のその行為はごく自然だ。 「あ、あの」 何も考えていなかったのに、田島の態度にせかされるように言葉だけが飛び出た。 こうなると、もう何も言わないわけにはいかない。 しかし、言うべきことなどは何一つ思い浮かんでいないのだ。 適当に合わせてしまえば済むことなのに、口下手の頭で無理にいろいろ考えてしまうから、言葉が余計に出てこなくなってしまう。 「あの」 と、再び繰り返すと、田島がまっすぐに視線を向けてきた。 三橋が人と視線を合わせることに慣れてきたつもりでも、やはり居たたまれなさと気恥ずかしさは相変わらず持ち合わせていた。 それに、大抵の人間は目線を合わせるとはいえ、何秒も凝視してくるというようなことはない。それなのに田島は、のぞき込むように見つめてくるのだ。 「う・・」 「なんでそんなに照れちゃうのさ、三橋」 「照れ・・・っ!」 「違うの?」 首を傾げながら、ぐっと顔を近づけてくる。 それが困る。 顔を逸らすと、田島はおもしろそうに後を追って顔を潜り込ませてくる。 よおし、と意気込む声が聞こえた。 「た、田島くん・・」 「三橋は、ホントに恥ずかしがり屋なんだなぁ」 「そんな風に見られたら、誰、だって、はずかしいと思う、よ」 そうかな? 田島が大げさに首を傾げたことで、ようやく目線が逸らされる。心底安心しながら、三橋は再び田島にからかわれるのを回避するために、あたふたと視線をプリントに落とす。 けれど、どれだけ見直してもちっとも解けるとは思わない数式ばかりが書き連ねられている。 無意識のうちに拒否反応で、顔が歪む。 常に情けなく垂れ下がっている眉毛がいっそう下がり、唇がわななく。 泣くなよぅ、と田島の心配するような声がした。泣かないよ、と三橋は震える声で答える。 いくら三橋が泣き虫であっても、この程度では泣きはしない。 泣きそうに見えるだけで、その実本人は困っているだけということも多々ある。 誰も彼もが、三橋への印象ですぐに泣くと決めつけがちだが別にそこまで女々しいつもりも本人にはない。 それでも、やっぱり他人と目を合わせるのが苦手なのは事実だし、すぐに涙ぐんでしまったり口ごもる性格も事実だ。だから、結局のところ、泣き虫であるということに変わりはない。 「そんな八の字眉毛して、泣かないよっちゃ何だよ。俺、心配しちゃうよ」 「だ、大ジョブだよ。ただ、ねぇ・・プリント難しいね。ぶ部活、行きたい、ね」 「行っちゃう?」 きょろりと、田島の大きな瞳が悪戯っぽく動く。 目的は言葉にされなかったが、そんなもの会話の前後で分かってしまう。 「駄目だよっ」 「わっ」 思いもがけず勢いよく否定を口にした三橋に、田島は目を見開いてびっくりしたと呟いた。 三橋はと言うと、そうして見られることに羞恥心を感じ、何とか田島の気を紛らわせようと違う話題を探す。 「あのっ・・・これ」 「ん?プリント?」 「あ、阿部くんだったら・・得意だったよね。数学。聞いて、みる?」 聞くつもりなどは、毛頭なかった。 第一、部活中だ。居残りを言い渡されている自分たちが教室を出るわけにはいかないし、メールをしたとしても部室で空しく阿部の携帯が鳴るだけだろう。 それを見越して、ただ田島の気を逸らす為に言っただけだった。 「阿部って、数学得意だったっけ?」 笑いながら言う田島に、三橋は首を縦に振って答えた。 田島の気を逸らすことには成功したが、その大きな目の視線は相変わらず三橋に向けられたままだ。 視線は苦手だ。 だけど、田島の視線を苦手と思う理由はそれとはまるで関係がない。 時々、彼の周りを見る目がとても無表情な時があるのだ。それでいて、その顔にはいつも通りの笑顔が浮かんでいたりしている。 ぽっかりと目だけが黒くブラックホールのように欠落している田島を想像して、それがあまりにも目の前の彼に当てはまってしまうものだから、ぞくりと背中に悪寒を感じることも少なくは無かった。 恐れなのかな、とは思う。 もちろん、それが自分だけの勘違いや錯覚という可能性の方が大きいわけで、それを簡単に口外したりなどはしたことはない。(仮にしたくとも、三橋の性格では無理なのだが) (それに、田島くんは、優しい、よ) 自分に言い聞かせる。 「三橋、良く阿部のこと知ってるね」 「前、に、みんなで勉強したとき。阿部くんが、言ってたよ」 「そうだっけ?」 俺って物忘れ激しいからさぁ。 ケラケラと声を上げて笑いながら言う田島に、三橋はふとその目に表情が戻ったことに安堵しながら俺も、良く忘れちゃうよと返した。 何のつもりもなかった。 ただ、田島の目が表情を持ったことに安心して、軽い気持ちで会話を繋げる為に頭で考えるよりも先に事実を口に出していただけのことだ。 それなのに。 刹那、背中に走った重い衝撃に胃が揺れた。 椅子に座っていたら視界には入らないはずの、アルミの脚が顔のすぐ横にあった。 目前にある田島の顔の後ろには、やはり普段ならば視界には入らないはずの天井が見える。 「た、じまくん?」 「阿部のことだけは、覚えてるんだね」 「田島くん?」 驚いているはずなのに、二度目に田島の名前を呼んだ時はやけにはっきりと淡々とした声が出た。 ただ、それが普段の三橋らしからぬ口調なのは、やはり平静ではなかったからなのだろう。 「お前が、阿部のことを話すとすごく腹が立つんだ。止めろよ。俺の前で、俺の前じゃなくても、阿部の話をするのは止めろよ」 ぼんやりとした三橋の顔に、田島の顔が覆い被さるように近づく。 三橋は、反射的に目をきつく瞑った。 「期待、してるの?」 軽い声は普段の田島らしいのは、今の状況にはとても異質に思えた。 え、と三橋が目を開けるよりも先に半開きにされた口を、ぬるりとなま暖かいものが一瞬かすめる。 それから、口内にぬるりとそれは入り込んできた。 瞬時には理解出来なかった三橋も、別に知識的にそこまで初なわけではない。 自分がキスを、しかもディープキスをされているのだと気が付くのにそうそう時間はかからなかった。 理解しても、田島を拒否しなかったのはそこまで嫌悪感がなかったからだ。 突き飛ばしも、抵抗すらせずにただ表情だけは苦しそうにゆがめる。 (だって) 途切れる息が喘ぎに変わり、唇が離れた隙に息継ぎをしながら目を開けた。 田島が、らしくなく卑屈に笑みを浮かべているのが見えた。 (だって、田島くんは、いい人だ、よ) すがるように田島を見上げた。 「阿部には、黙ってて欲しいよね?」 (ほら) (やっぱり、いい人だ) 頷くと、田島が笑った。 その双眸は、無表情だった。 |