キラキラと光る宝石を大事に包み込むようにして持っている。不意にちょいとおどきよと、ガラガラの声で言われて見るとそこにはカラスが真っ黒な瞳で僕を見つめていた。ちょいとあんた、あたしはそれを啄みたいんだよどいておくれ。カラスは言ったので、これは僕の大事な宝物だからダメさ。こんな輝く宝石なんて世界中のどこを探してもこれ以外にはないんだから。と得意げに言った。カラスはカァと一声、おかしくて堪らないとでも言うかのように鳴いた。宝石なら誰が「啄む」なんて言うもんかね。あんたそれはただの熟れた柿だよ。

熟れすぎて売り物にすらなりゃしない。
カラスは僕の手の中にある宝石(だったもの)をくちばしで勢いよく突いて、またカァと鳴いた。





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久しぶりだな。
不意に聞こえた声は、自分に対して言われたものだとしたら少し遠くからのものだった。
しかし花井は、反射的に振り向いてその声の出所を探した。
しんとした廊下には、秋の夕暮れが造り出す長い影がいくつも伸びていた。
少し開いたままになっている窓から吹き込んだ風が、ほとんど熱気を帯びていないことに本当に夏が終わってしまったんだなとふともの悲しい気持ちになる。
一瞬無心になって、感覚でだけ秋を感じる。中学までの通学路にあった家の垣根から道に飛び出していた柿の枝。そこになっている橙の実はいつだって熟れすぎていて、ぐじゅぐじゅと生々しい果実を見せつけ、むせかえるほどの芳香を放っていた。その家からしばらく歩くと今度は、薄いオレンジの小さな花が満開になっている木を植えてある家の前を通る。華やかではない、むしろ地味なぐらいだったその小さな花々は花井が前を通るたびに甘い匂いを肺にまで満たすほどに豊満に香っていた。
そして家に帰ると、母親の実家から送られてきた干し柿がテーブルの上で、萎びて粉の吹いた外見上はちっとも美味そうに見えない姿を鎮座させ、やはり甘いまったりとした匂いを漂わせているのだ。
腐りかけた柿と、干し柿の匂いはどう考えても同じもので、花井は干し柿を見るたびに時折カラスに啄まれてすらいる通学路にある柿の実を思い出していまい食べることが出来ないでいた。それは、今もそうだ。
食べたくないから改めて見たこともないせいで、脳裏に浮かぶのはゆらりとしたシルエットだけだ。いや、鮮明に思い起こそうと思えば出来なくはないのだ。知識としての画は十分に持っている。ただ、したくないからしない。 ぼんやりと思っていると、不意に野太い声によって思考を遮られた。思わずビクリと肩を上げてしまった花井は、自分が至極無防備でいたことに気づかされる。
そして、同時に香る匂いが記憶上のものと一致して、どちらが現実で記憶なのかが分からなくなって混乱した。

「何年ぶりだ?もっと早くに遊びに来れば良かったのによ」

くだけた口調は聞き覚えのある世界史の教師のものだった。続いた声は、タバコの煙で焼き爛れたようなガラガラ声とは相反して、すらりと耳に馴染む声だった。そして、花井はその声にも多いに聞き覚えがあった。

「何度か来てたんですよ。たまたま、いつも先生はいらっしゃらなかったみたいですけれど」

滑舌の良いピンと張った声質だが、押しつけがましさやうるささとはほど遠いそれは野球部コーチの百枝のものだった。
ポカンと、間抜けに口を開いて立ちつくしてしまったのは百枝が指導する側ではなく、生徒として教師と会話をしていたからだろう。
愛想良く笑いながら、手に持っていたビニル袋からさらに小分けにされた袋を教師に渡す。うちで穫れたものですけど、と百枝が言うと教師は袋の中を覗いておう悪いなと軽い調子で礼を言った。
教師はその調子のままで「男とか、出来たのか?」と百枝を冷やかした。それは部員全員が暗黙のうちに避けている話題で、それを自分たちの誰かがではなくて大して密度が深そうでもない教師が口に出して聞いたことが、花井には少しおもしろくないことのように思えた。
百枝は気を悪くした風でもなくケラリと笑うと、「野球教えに毎日来てるってのに、男なんかいるわけないじゃないですか」とあっさり否定した。
仰け反って笑った拍子に、百枝の強い視線が花井を捉えた。気まずいと思って慌てたのは花井だけで、百枝はニッコリと笑うと大きな瞳をさらに見開いて軽く頷いてみせた。ちょっと待っててね。口元がそう動いただけでもないのに、なんとなくその意のジェスチャーのように思えて、花井は曖昧に頷いて、それから開きっぱなしになっていた口元をようやく閉めた。
その後、二、三言教師と会話を交わすと、百枝は満面の笑みを浮かべて花井の方へ向かってきた。
やぁ、と手を挙げさっぱりとした挨拶をしてくる百枝に、花井は首を曲げるだけの軽い会釈をした。
普段のジャージ姿とは違い、スキムジーンスにポロシャツという出で立ちの百枝を見て花井は一瞬たじろいでしまう。ジャージでいる時の百枝は「監督」だ。しかし、今目の前にいる百枝は、その服装が違うだけで「年上の女の人」なのだと意識されて仕方がない。
しかも、ポロシャツがスタンダードなものではなくてその裾にちょっとレースがついているから、余計に女の人なのだという意識が働く。
入部当初の「女の監督なんて」という揶揄する気持ちは、花井の中にはもう微塵も残ってはいない。
今は尊敬しているし、信頼している。
その感情に性別へのこだわりなどは無かったはずなのに、華やかな顔立ちと、豊満な胸、長い髪となめらかな体の曲線が目に入って、女としての魅力を感じざるを得ない状態になってしまっていることに花井は愕然とした。 改めて観察するように百枝を見て、視線が胸のふくらみを捉えた時はっと我に返って慌てて視線を逸らす。

「そういえば今日、部活ないじゃないっすか」

なのに何で学校いるんすか?と疚しさを誤魔化す為に、慌ただしく聞いた。
大層わざとらしい「そういえば」だなと、自分で言いながら花井は思った。
百枝が何も気にしていなさそうな態度でいるのが、かえって気を遣われているのではないかと邪推してしまう。

「ちょっとね。グラウンド使用のこととか、色々学校に報告しないといけないことがあっったの」

花井くんは?と聞かれて部長会議です、と答える。

「もうすぐ、文化祭じゃないすか。運動部も、出来るだけ参加しないといけなくて、それで何をやるかっていう話を」
「ふぅん。そっか、秋だものね」
「監督の時、何しました?」
「え。なんだったかな。私あんまり、積極的に参加しなかったから」

照れたように笑って、早口でどっちにしてもあんまり参考にならないと思うよと話題を切り上げたがる。
百枝の気持ちを汲んで、そのまま話題を流すぐらいの気遣いは十分に可能だった。しかし好奇心がそれに勝っていたので、「意外ですね」と話題を引き戻した。
一瞬驚いたように目を見開いて花井を見る。それから、納得したようなため息を吐いた。

「高校生ってそうだよね。好奇心旺盛で、まぁそれが楽しい時期でもあるんだろうけど」
「言いたくないなら、別に聞きませんよ」
「でも、知りたいんでしょ」

そうですね、と花井ははっきり答えた。
百枝は今度こそ、はっきりと驚いて見せた。

「大したことじゃないよ。ただ、野球に固執してばかりで、友達がいなかったって、それだけの話。っていうかさ、花井くんって、案外優しくないね」

それはからかうような口調ではあったけれど、百枝が思っているということにも間違いはなかった。ただ、花井に腹を立てているという風ではないのが、子供扱いをされて取るに足らない存在なのだと暗に言われているようで嫌だった。

「世話焼きなのは性分で、それと優しいってことは別だと俺は思ってますけど。周りは、そこんとこ誤解してるっぽいんすよね」
「あぁ、そっか。私も、一緒にしちゃってたかな」

ごめんね、と不意に謝られて別にそういうつもりじゃないんですけどと、慌てて首を横に振る。
気まずそうな百枝の表情。
柔らかそうというよりは、くっきりと瞼を縁取る色濃い黒の睫毛。黒髪は胸のふくらみに掛かり波打って、ちょっとした身じろぎにもさらりと揺れる。
それらは同年代の女子にはないクラクラするような女性の魅力で、百枝はそれを出し惜しみすることなく下からのぞき込んでくるようにして、花井の機嫌を伺う。
別に怒っちゃいませんよ、と目線を合わせぬようにして言う。

「そういう誤解もひっくるめて評価されることが、俺自身のアイデンティティなんだって思うようにしてますから」
「それは、ちょっと寂しいんじゃないの?」
「別に、良いんです。いい人なら、いい人って思わせておけばそれで。結果として、俺は期待されるような世話焼きが苦痛なわけじゃないし、ほら、うちの部だってそれなりに上手くやっていけてるじゃないですか」

一瞬の間があった。それから、百枝は「そうだね」と、彼女にしては珍しい小さな声で呟くように言った。
伏せられた瞳に、ドキリ、と心臓が鼓動を打った。いやそれは後で思い出してみればそうだったかもしれないという解釈で、実際にはギクリといったような鼓動だった。
漫画で良くあるような「ときめき」の高鳴りなどではなく、不安を煽るような強い衝撃だ。それでも花井は、それが自分にとっては性的な衝動なのだということに気づいていた。

「監督」

好きです、と衝動的に言いかけてふと言葉を押しとどめる。どうしたのかと、百枝が見上げてくるのにまた不安にさせるような鼓動を感じて、それを打ち消すかのように若干焦ったような声で「本当に、彼氏いないんですか?」と聞いた。

「えぇ?なんだ、さっきの話聞こえてた?ホントだよ。いないいない」

顔の前で手を振って否定する百枝は、でもと続ける。

「でも、花井くんはいるよね」
「は?」
「花井くんは、三橋くんのことが好きでしょう?」

なんだそれは。
思わず敬語も忘れて、低く唸るように花井は言った。

「俺が好きなのは、監督です」
「まさか」
「三橋のことが好きだってことの方が、まさかですよ」
「だって、そう見えるもの」
「ホモくさいって、そう言いたいんですか」

喉がささくれ立っていて、一言喋るたびに花井は泣いてしまいたくなる。好きだと憧れる人に、でもあんたは男が好きそうだものと言われることはとても悲惨で、なによりもの侮辱だと思ったのだ。
しかし、それで腹が立つのかと言えばそうではなかった。ただひたすらに悲しかった。

「ホモでもなんでも良いじゃない」

鼻の奥にツンと、好き刺さるような痛みが来てじわりと目尻が温かくなる。

「なんでそういうことを、」

言うんですか、と言い切ることは出来なかった。震える声に、そのまま喋っていたら本当に涙が止まらなくなってしまいそうだったからだ。
百枝は、いつもよりも堅い、どこか投げやりにも聞こえる口調で「別に良いじゃない」と繰り返した。

「いくら私が野球ばっかりの女だって、意識された目で見られてたら気づくよ。というか、きみは私への気持ちを隠そうとはあまりしてなかったよね」
「そういうつもりはなかったですけど」
「そうなんだよ。私だって女だからね、意識してくれている男の子のこと見ちゃうんだよ。だから花井くんのことを結構気にして見てた。そしたら、花井くんは私へのあからさまな好意とは真逆に、極力三橋くんに関わらないようにしている節があったんだよね」
「そういうつもりも、ないですけど。でも、確かに得意ではないってのはあります」
「違うのよ」

百枝は神経質に下唇を親指で押さえて噛んだ。

「緊張しちゃって、触れると気まずそうな顔して。極力関わらないようにしてるくせに、何かあると周り押しのけてでも自分が一番に構いたがるの。仕方ねぇなって顔しながら、でもまんざらでもないんでしょ?」
「ねぇ、監督。これって、俺はふられてるってことなんですかね?」
「思い込みを指摘してるというか。単に三橋くんとはほど遠い印象の人に逃げてて、だから私だったんじゃないかってこと。でもまぁ、そうだね。色々抜きにしたら、そういうことになるね」

うん、と頷いてからごめんなさいと頭を下げられて失恋。
一体どういう反応をするべきか、花井にはもうすっかり分からない。ただ、とりあえず「私もう帰るけど、これみんなで分けてね」と差し出されたビニル袋を従順に受け取ってはいと返事をした。
袋を受け取った瞬間に漂う甘い香りに、のぞき込めば橙の球体がごつりごつりと小分けされたビニル袋に入っていた。

「みんなって」
「テスト勉強、みんなでするのかなって思ったんだけど。違ってた?」
「いや、大当たりです」
「一応綺麗に洗ってあるからさ」

お腹空いたら食べなね、という百枝はまるで花井の告白などなかったかのように振る舞う。むしろ、そのぐらいどうでも良いことだと思われてるのかもなと、花井は思った。先刻までの泣き出したい程の悲しさはもうなくなっていたけれど、苦手な柿の熟した甘い香りに胸ヤケと頭痛を覚える。

「あ、一番多く入ってるのは三橋くんにあげてね。約束してあるんだ」

一歩、近づかれる。

「まずは、餌付け」

ニコリと健康的な笑みに、べたりと甘い芳香が混じる。
吐き気を覚えたことと同時に、ふと三橋が柿を食べている姿を思い浮かべた。
不器用に橙の実を囓る姿、その口元とべたつく手。その口元が、花井くんと動くのを想像して、花井は確かに欲情した。








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