蒸し暑い教室で蒸し暑い想いを抱いて蒸し暑く胸をときめかせて妄想までしてしまう。そのうち妄想は現実に変われという願いに変わって、いつしかそれを実行に移そうとしたりしてね!まぁ妄想ったって青春まっさかりのちょっとやましい程度のもんで、結局告白して付き合って遊びに行ってあわよくば・・なんてその程度のもの。だけどそれすら難しい!

とーっても難しいのだ。



それがつまり、と不意に耳に入り込んできた声に、ぼんやりと目を開ける。
太陽の日が教室いっぱいに差し込んでいて、チョークの粉と埃が白く反射して漂っている。居眠りを始めてからまだ10分程度だ。喉が唾を飲み込むことすら困難なくらいに渇いている。手の甲もかさかさに捲れて粉まで吹いていて、鬱陶しいからささくれている部分をちょっと剥いたら、意外に深くてリンパ液が出た。
だけど、授業なんて端から聞く気もなくて、暇潰しにあちこちささくれを剥いてしまう。痛、とか思っても他の箇所を見つけるとまた剥く。
手のひらじゃなくて良かった。
そうだったらボールも掴めやしない。
だけど痛いことには変わりはなくて、肉の見えた傷口を庇うようにしているとなんとなくギコチナイ動きになってしまう。

「それ、どうしたんだ?」

昼休み、花井がふと俺の傷を指差して聞いてきた。薄い瘡蓋は、だからなんだかかえって痛々しいように見えるのかもしれない。

「皮剥けたんだ。っていうか、剥いちゃったらこんなんなっちゃった」
「あぁ、水谷、手とか荒れてたもんなぁ」
「やだよ、そんなとこまで見られてたのね」

しなを作って言うと、阿部に呆れた顔で馬鹿じゃねぇの、と呟かれた。
もう慣れたことだと、聞き流すこともできたけど敢えて大げさに酷いとわめく。

「だって授業中暇だったからさぁ」
「授業受けてて、なんで暇なんだよ」

阿部が横目で見下すような視線を向けてくる。模範的な回答に、思わず笑いがこみ上げてくるとそれを目聡く阿部が察知してさらに鋭く睨まれてしまう。
ただすっかり慣れたもので、このぐらいのことじゃ今更傷ついたり驚いたり腹が立ったりはしないようになっている。しょっちゅう癖のように睨んでくる阿部の態度は、またかと思う程度の効果しか今ではないのだけれど、バランスを考えると俺はクソレフトの水谷でいた方が良いのだ。

「授業中なんて、寝てるか内職してるかじゃないの?」

敢えて癇に障るような言葉を選んで言うと、案の定うんざりしたと言わんばかりのため息を吐いて阿部はついに視線を逸らす。

「暇で皮剥いて、傷作るってどんだけ馬鹿なんだお前」
「馬鹿は言い過ぎでしょー。別にしょっちゅうしてるわけじゃないもん。たまたま手が荒れてて、たまたま気になって、たまたまやりすぎちゃったんだもん」

へらっと笑ってみせると、深いため息を一つ。
怒鳴るまであとゴー、ヨンとカウントを始めるとそこで花井が割って入ってくる。いつもながらの見事なタイミングは、きっと見計らってのことだろう。
俺が阿部の怒号に慣れたように、花井は俺と阿部の仲裁に慣れているに違いない。その証拠に、やれやれといった表情を浮かべているくせに一度だって見ないふりをされたことはない。
案外律儀だよな、と思う。
根本的に俺とは合わないと思っている阿部はともかく、仲裁に入る花井であれば俺がわざと煽っている時のことぐらい分かっていそうなものだ。
多分、分かっている。
それなのにまぁまぁと入ってきては阿部を宥める花井は、「良い人」なことに間違いはない。

「いつも悪いね」
「そう思うなら、自粛してくれよ」
「したら、ストレス溜まっちゃうんじゃないの?」

誰の、とは言わなかった。花井も、聞いてはこなかった。
阿部が鬱憤の話す場所を必要とする人間だと言うことは、お互いに分かっているのだ。それじゃぁまるで阿部が精神的に病んでいるようにも聞こえてしまうかもしれないが、決してそういう意味ではない。
ようするに、人の欠点を指摘せずにはいられない性分なのだろう。それを阿部のきつい口調で言われるのが、仮に女子であれば泣く。男だって、腹が立って肩の一つもど突くかもしれない。
花井が大仰にため息を吐いて、まぁもう良いやと投げやりなことを言う。

「とりあえず、授業中だってこと忘れずに適当にやれよ」

花井の言葉に、こいつはクソなんだからそんな器用な真似出来ねぇんだよと阿部の辛辣なツッコミが入るがそれも花井にとっては『もう良い』ことなのだろう。
はいはい、と返す相槌も適当だ。
正直、このぐらいが丁度良い。
怒られない。だけどそれは全く見放されてるってわけでもない。もちろん絶対的な味方になんてなり得ない存在だけどこのスタンスが、俺のような適当なヤツと見なされた人間には丁度良いのだ。
サンキュー花井。だから好きよん、と巫山戯てみせるとそれに対してもはいはいと適当な受け答え。
そのやり取りも何度目かで、お互いが慣れているからいちいちその後まで続きはしないけれど俺は満足して一人心地に頷いた。その拍子に視界の端に映ったのは、肩をすぼめてこっちを恐る恐るといった様子で窺ってきている人影だった。
独特のぎこちない動きは、癖とか性格と言ってしまうにはあまりにも異様なものだ。それだから、俺は即座に誰か断定出来た。(最も俺じゃなくたって、断定出来ると思うけど)
三橋ぃ、とその名前を呼ぶ。
ビクリと大袈裟に揺れる肩にいい加減慣れてくれても良いのになと切なさを覚えるけれど、そう思うことには慣れている。
呼んだって教室に自分から入ってくる事のない三橋に、自分から近づいてどうしたのかと尋ねるとまるでやましいことをしているかのようにこっそりとノートを手渡された。

「か、かえし、に。あべくん、から」
「あぁ。俺返しておこうか」

言った傍から腕が割り込んできて、ノートが三橋の手から消える。

「部活の時でも良いって言ったろ」

阿部だ。
相変わらず三橋を怯えさせるばかりの高圧的な口調は、それでも俺に向けられている時よりは穏やかだ。
ただ繰り返すが、それでも三橋には十分威圧的なものなのだ。
思わず俺の後ろに隠れるようにして小さくなった三橋に、阿部は怒ってないよとそっと教えてやる。阿部の為にしてやったようなものなのに、阿部からの視線は痛い。
そこで素直に退散すれば居たたまれないことなどないのに、そう出来ないのが俺が阿部に鬱陶しがられる所以の一つなのだろう。
ねぇちょっと聞いてよと、薄い瘡蓋を見せる。

「さっきね、皮剥いたらこんなんなっちゃってさぁ。もう痛くて最悪」
「い、いた、い?」
「痛いよ。自分で剥いちゃったんだからしょうがないんだけどさ」

ぷらりと手を振っておどけてみせるが、三橋の表情は堅い。

「だ、大丈夫?部活、す、砂とか、」
「平気平気。部活の間は絆創膏貼っちゃう」
「でも」

心配してくれている。
阿部の視線も、もう気にならない。ここで俺に対して怒鳴れば、三橋はそれを自分に向けられたものだと勘違いして怯えてしまうだろう。そんなことぐらいは、阿部でも分かっているらしくあからさまに苛々してはいるもののまだ怒鳴られずには済んでいる。

「お風呂、も、しみるね。いたい、よ、ね」

気が利いているとは言えない三橋の言葉に、それでも俺はしみじみと幸せを噛みしめる。多分表情に出ていたんだろう。阿部がさらに苛立ちを顕わにして、ついにお前トロいんだからとか何とか、適当なことを言って三橋を追い立てるように教室へ戻るように言う。
全く男の嫉妬は恐ろしいに醜いね、ともちろん口には出さずにケロリとした風を装って三橋って良いヤツだなぁなんて相変わらずの阿部が最も嫌いそうな口調で言いながら席へと戻った。

「三橋から心配されるとさ、なんかすごい嬉しいわぁ」

阿部は苛々しっぱなしで、さすがに少し怖くなってきた。けれど嬉しさを抑え切れない、いわゆる惚気のような心持ちで花井にならばとそう言ってみる。
どうせはいはい、なんて流されるんだろうなと思っていた俺は、

「お前にだけじゃないけどな」

なんて辛辣な言葉にびっくりして思わずイスから転げ落ちそうになったわけだ。

「イヤだ。花井もなの?」

びっくりして口調までオカマさんのようになってしまったわけだ。









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