七月。
梅雨が終わって、けれど湿気は抜けなくて
日々真夏に向けて上がっていく気温が、
心地良いような悪いような。
自分じゃ夏の良し悪しを決めかねるから
答えが出るまでここにいてくれないかなぁ。

初夏に猫が訪れる

うちに居着いている猫は、大層気まぐれだ。
というのも、三日程うちでごろごろしていたかと思うと、次の日にはいなくなっていて、またしばらくは戻ってこない。
どうやら、他にも餌をくれるところがあるみたいでそことうちとを言ったり来たりしているようだ。
冷房の効いた部屋で、毛布にくるまってテレビを見ている猫は自らを「ミハシ」と名乗った。年は知らないけれど、若く見えるだけで実際には大学二年の俺とそうそう変わらない年のような気がする。
前にミハシがうちに来たのは、もう二ヶ月も前のことだ。あの時は、ぴったり一週間、のんびりとしていたかとおもったら突然置き手紙一つ残して、俺が大学に行っている間にいなくなっていた。
『お世話になりました。ありがとう』
なんて、そんなおざなりな言葉だけだなんてなんて寂しかったことか。
今回も、今日で戻って来て四日目だから、そろそろいなくなる時期かもしれない。
そよそよと、冷風に気持ちよさそうに吹かれて揺れる彼の茶髪を見ていて和む反面、いなくなると妙に寂しくなるから嫌だなと思う。
少しでも長くいて欲しくて、夕飯のメニューをミハシの好物のオムライスをメインに、デザートはバニラアイスを添えたアップルデニッシュと気合いを入れてみたりする。形がちょっと崩れているのはご愛敬。デニッシュを手作りするって心意気を、褒めていただきたい。
盛りつけを終えて、リビングに持って行くとそれだけでミハシの鼻頭がひくひくと匂いを求めて動く。

「ミハシ、テレビなんか面白いのやってた?」

テーブルに料理を並べると、毛布をまとったままのっそりと体を起こしてミハシが近づいてくる。こういう仕草が、本当に猫そっくりで可愛いなぁと思う。
思わず頭を撫でてやると、抵抗する気配もなくミハシはそれに目を細めた。

「ん。新しい、映画の紹介」

ゆっくりした口調で言って、ミハシはくにゃりと足の関節を曲げて座る。あぐらをかいたり、きちんと正座をしているのを見たことはない。
いつも、足を崩したような座り方をして、おぼつかない手つきで皿の上の料理をつつく。箸を与えると、あんまりにもやりにくそうだから最近ではもっぱらフォークとスプーンしか用意しないことにしている。
いただきます、とミハシが言うのに俺はどうぞどうぞと横に座り込みながら言う。

「おいしい?ちゃんと、ミハシの好きな味になってる?」
「ハマちゃんのご飯、おいしい、よ」

口いっぱいにほおばったのを飲み込んでから、明瞭な声でそう言ってくれる。
良かったと、心から言って俺も一口。
個人的な好みからすれば、少し濃すぎる味付けだと思う。
けれど、ミハシはどうもはっきりした味付けが好みのようで、好物を挙げていけば今日のオムライスを筆頭に、カレーライス、ハンバーグ、グラタンなど、見事に子供が好みそうなものばかりだ。もちろん、甘い物も、お菓子も大好物で良く夜中におやつを強請るのを諫めることになるので、嫌われやしないかと心配で仕方がない。(でも、それで食べさせてお腹が痛いとか言われたら、それこそ大後悔するだろうからやっぱり夜中には食べさせない)(子供相手じゃあるまいしって?)(まったくだよね。ワハハ!)
出来ればもうこのままずっと一緒に住みたいなぁと思う。今回に限ったことではなくて、三橋が来るたびに同じことを思う。
バラエティ番組では、お笑いタレントがおもしろ可笑しく新作映画のレビューをしているところだった。少しだけ興味のあるSF映画は、前評判だけ聞けばかなり良い感じらしいが、実際にはどうなのだろうか。大抵映画なんてものは、原作があれば原作には適わないようになっているし、逆に映画オリジナルだとしても前評判が良ければ見てがっかりすることが多い。
なんて、別に俺は映画通でもなんでもないから、単純に見たいなと思ったものだけを見て、面白ければ満足して、いまいちだなぁと思ったとしてもそれを友人なんかにちょっと愚痴ればそれですぐに忘れてしまう。そんな程度のものでしかない。
このSF映画にしても、興味はあるけれども別にレンタルで出るまで待てば良いかなぐらいのものだった。
けれど、興味深そうにじぃっと画面を食い入るようにして見ているミハシを見て気が変わった。

「一緒に見に行く?」

気まぐれのミハシは、どう答えてくるか本当に検討が付かない。おどおどして消極的なくせに、こうして他人の家に来てくつろいでしまうこのギャップ。
ミハシは、俺の言葉にちょっとだけ動きを止めてから大きな目をぱちくりと一つ瞬きさせてテレビを指さした。

「え、映画?」
「うんそう。ミハシ、見たそうだから」

俺も見たいし、と付け足す。
ミハシはこうして他人の家で当たり前のように生活をするくせに、何かをしてあげようという申し出や誘いなんかにはとても消極的なのだ。
ここまでアンバランスな人間を、俺は今まで知らなかった。
大抵、図々しい人間はどんな時でも図々しい。少し、しおらしいかなと思うことがあれば、それには必ずと言って良いほど打算が含まれているものだったりする。
それがミハシの場合は、そういう遠慮の仕方にもそつがない。
いや、そつがなければそれは完璧というわけで、いかにも演技くさい。つまり、なんていうか、すごく卑屈でぐずぐずと意味のない言葉を誰に言っているのか分からない程不明瞭に口の中で言う。
正直、そう言ったミハシの態度はいじらしいとか奥ゆかしいというものではなくて、イライラする。
はっきりしやがれ、と思うこともあるし、これが他のツレだったりすれば実際にそう言って急かすだろう。
現に今も、ミハシは俺の言葉にどうしようでもとひたすら自問自答を繰り返している。こういうとき、俺は大抵ミハシが自分で納得の行く言葉を探せるまで待つことにしている。
頬肘を付いて、ぼんやりミハシの顔を見ていると、不意にミハシの視線が真っ直ぐ俺を向いた。
大きな茶色の瞳は、本当に、猫のようだ。
でも、瞬きをしたら瞳孔が縦に細くなるという猫の特色はミハシにはあまり似合わないなと思っているあたり、ミハシって実は猫じゃなくて犬っぽいのかもしれないと思う。あぁ、でもやはり気まぐれに訪れてくる辺りは猫だし、まぁどっちでも構いやしない。結局のところミハシは人間だ。(なんて、元も子もない言い方)(なんて、最初に猫が居着いているとか言ったのは、俺なわけなんだけどね)
じぃと俺を見つめてくる積極的な態度は、普段のミハシにはない珍しいことなのに、それでいて何も言わずにひたすら躊躇しているようだった。

「どうする?」

あまり問いつめるような調子にはならないように、注意してゆっくりと問う。
ミハシは、細かく瞬きをしてから一度こくりと首を縦に降った。

「あの、今回は、やっぱり」
「行かないの?」

がっかりした。けれど、そればかりを全面に出してしまうと、それこそミハシが気にしてそれじゃぁ行きますと言われてしまいそうだったから、気にしていないように振る舞った。本当は、あからさまに幻滅してでも一緒に行きますと言って欲しいのかもしれない。でも、逆にそんな同情めいたい気持ちで無理矢理行動させるだなんてことを、俺はミハシにさせたくはないという思いが強くある。
ミハシは気まぐれで、いつうちに来てくれるのかすら分からない。でも、うちを選んでくれている。俺がミハシに対してしていることといえば、衣食住を提供しているぐらいなものなのだ。
それらには当然、俺のミハシへの好意なんかも含まれているわけなんだけれども、それにしたって特別なことなんてしていない。(せいぜい、ミハシ好みのメニューを出すことぐらいだ)
だから、あんまり急かしてはいけないのだ。構い過ぎたら、逃げていってしまうかもしれない。

「じゃぁ、また今度にしようか」
「あ、ご、ごめんなさ・・」
「うん。別に無理に行っても楽しくないからさ。別に、後でレンタルになってから、一緒にここで見たって良いよ。その頃ったら冬だから、こたつで鍋つつきながらとか、どうよ?」
「な、鍋。俺、鍋、好きだっ」
「肉たくさん?魚たくさん?」
「ど、っちもがいいなぁ」

幸せそうに。本当に、幸せそうに言う。
先のことをこうしてのんびり話せるなんて、ちょっと恋人みたいで気分が良いじゃないか。
俺は、そんな大層なことをこっそり思って、それじゃぁその時はどっちも入れて、残った出汁でおじやも作ろうねと提案した。
約束だよと、指切りげんまんをしたいなと思った。
でも、それはあまりにも子供じみているし、そうしてミハシの予定を制約してしまうと居心地悪く思われてしまうんじゃないかと思ったら、急に不安になってニコニコ笑って楽しみだねと言うことしか出来なかった。



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