八月。
世の中は清々しいぐらいに夏を謳歌している。
俺はうだるような暑さの中
いないキミのことだけを考えて独りネガティブキャンペーン中だ。

蝉とじゃれる猫が見たい

大学の夏休みは長い。課題もいくつか出てはいるものの、それにばかり時間を割かなければいけない程難解なものではない。
一日おきでバイトを入れて、夜遅くまでテレビを見て、時々友達と飲みに行ったりして。それでも、時間は十分過ぎる程にあまっていた。
ミハシがいたら、こんな風に暇だなんて思うことなんてないんだろうなと、一ヶ月前のことを思い出して切なくなる。
ミハシの気に入りのソファの上に寝っ転がりながら、ちょっと泣けてくる。 目を閉じて、深いため息を吐く。
しんとした部屋は、微かに電気機器の唸る音が聞こえるぐらいで、外で鳴いている蝉や犬や、子供のはしゃいだ声なんかがはっきりと部屋の中にまで聞こえてくる。そうなると家の中の静けさがかえって際立って、本当に世界から孤立したような気になってしまって、俺はますます悲しくなってしまう。
ミハシは結局、一ヶ月前にたったの四日だけうちに寝泊まりして、四日目の夜に俺が大学で試験を終えて帰ってくるともういなくなっていた。
律儀なもので、毎回ミハシは手紙を一通残していく。内容は毎回似通ったもので、「お世話になりました」といった旨が筆圧の薄い細い字体で書かれている。カーボンを敷いたとして、その裏の紙にまで文字が映らないんじゃないかというぐらいに筆圧の弱そうな字は、読みにくいのだけれどもミハシらしいので俺は結構好きだ。
その手紙は全部、大事に取ってある。別に、感傷に浸るつもりなわけじゃない。いざとなったら、科学検証で筆跡鑑定なんてしてもらってさ、ミハシの居場所やらバックグラウンドやらを割り出そうって、そう思ってるからだ。
(こっちの方が、重症だって自覚もある)
薄い紙っぺらを、光に透かすように掲げて見る。

「そろそろ、来てもいーんじゃないの?」

ぼそりと呟いた独り言は、思ったよりも部屋に響いた。
それがかえって、孤独さを浮き彫りにしてしまうから俺はなんだか最低な気分になった。泣いてしまいたくなった。
たかだか数日を一緒に過ごすことがある程度のミハシに対して、ここまで依存してしまっていることは結構やばいんじゃないだろうか。
こんなことじゃ、もしミハシが来てくれなくなったりしたら狂ってしまうかもしれない。
考えて、その恐怖にブルリと身震いをした。
その時本当に、痙攣するように体が震えたので俺はついに神経症とかてんかんとかそんなものになってしまったのかと思った。
そうしたら、何のことはなくてソファに投げ出すように置いてあった携帯がいつの間にか俺の体の下に入り込んでいたのが、着信を告げる為にバイブ機能を起こしていたのだ。

「うあぃ」

寝転がったまま、慌てて通話ボタンを押して言った声はとても間抜けだった。

「あからさまに寝てましたって声だな」

電話口の向こうの人物は名乗りもせずに、そんなことを不躾に言ってくる。
だけど、その少し高めの声と辛辣な口調のコンビネーションにはすぐに思い当たる人物が一人。

「泉かぁ」

教授だったらどうしようかと思ってたんだよ、と軽口を叩くとはんと鼻で笑われたような声がした。

「そういうのはな、その時だけ実行しようと思っても出来ないんだよ。普段からやってなきゃさ」
「いやいや、久しぶりだっていうのに、随分とのっけから辛辣だね」
俺は軽い口調で言う。
「まがなりにも俺はお前の先輩なのに」
「なら、先輩として尊敬出来るようなことしてくださいよ」

敬語とは形ばかり。
泉は、確実に馬鹿にしきったような笑みを浮かべているだろう。
先輩と後輩とはいうものの、それは高校までの話だ。大学は俺が一浪して泉と同学年になったので、その時になんとなく敬語はやめてくれよと俺は言った。
別に、先輩だと敬われたいわけではなかったのだ。泉とは、そうでなくても何かと連んで出掛けることも多かったし、せっかく同期生になれたことだし先輩とか後輩だとかいう関係は捨ててしまいたかったのだ。
ところが、慣れるにつれて泉はどんどん辛辣になっていった。
今じゃ、もうすっかり俺のお目付役のような感じになっている。
それらに腹が立つことはないが、けれどもう少し優しくしてくれても良いんじゃないかとは思う。
なので、とっくに気にもしていない「先輩」と「後輩」という過去の関係を持ちだして俺は近頃対抗し始めた。(そして、効果はまるでない)

「あぁもう、いいよ。今更お前に浜田先輩だなんて呼ばれても気持ちが悪いだけだから」
「失礼なこと言うなよ。これでも俺は後輩にしたいランキングナンバー1なんだから」
「なんだそれ」
「ジャンプでなんかそんなのやってた」

ふぅん、俺は最近のは知らないなぁ。
言ったら、ジジクサイと笑われた。

「っていうか、何の用だよ?」
「あぁ。別に用っていうかさ。最近休み入って会ってないし。休み前もあんたやたらと付き合い悪かったでしょ?久しぶりに飲みにでも行こうよと思って」
「俺、そんなに付き合い悪かったかなぁ」
「すごく。周りじゃ、ついに彼女でも出来たかって結構騒いでたんだけどね」

心当たりはあった。
それは多分ミハシがうちにいた時期のことを言っているんだろう。
学期末だったし、飲みの誘いも随分あったのだけれどもミハシが家にいた時はもちろんいなくなってからもまたすぐに戻ってきてくれるんじゃないかという期待を持ってどこにも寄らずに変える日が続いていたのだ。
確かに泉の誘いも、二度ほど断った記憶がある。

「あん時ちょと、色々あってさ。別に、彼女が出来たとかそういうのじゃないよ」
「そんなことは分かってるよ。あんたみたいな人が彼女出来たら、鬱陶しいぐらいに自慢してくるんだろうからね」
「しねぇよ」

否定しておいて、でもミハシがそうなってくれたら自慢じゃなくてのろけてしまうぐらいのことはするかもしれないと思った。
ミハシは男だから、「彼女」にはなってはもらえないけれども「恋人」になれたらそれはなんて幸せなことなんだろうかと思う。きっと幸せで胸がいっぱいになって呼吸困難に陥って、死んでしまう。
いや、死にはしないだろうけど。そんな幸せの絶頂で死んでなんかたまるかってなもんなんだけど。そのぐらいに、幸せになるんだろうなってことで。

「まぁ、そういう人が出来たら嬉しいんだろうなぁ」

ぼんやり呟くと、泉がゲラリと笑った。

「浜田ってモテないわけじゃないのに、ホント縁がないよな」
「ほんとにねぇ」

力無く笑った俺に、泉もまた喉の奥を鳴らして笑う。

「とにかく、今日夕方にそっち行くから」
「はいよ」
「外で飲むか家で飲むかは行って、あ、三橋それは今日の夕飯用っ」

泉の言葉が不自然に途切れて、聞き捨てならない名前が聞こえてきた。

「え?」
「は?あぁ、ごめん。だから、今日飲む場所がぁ」
「じゃなくて。なんで、ミハシなの?」
「えぇ?お前、三橋知ってんの?」

酷く驚いた俺が聞いているのに、泉もとても意外そうに聞き返してくる。
質問が質問で返されることの不毛さにじれったくなって、俺はつい語調を強めて「なんで知ってんだよ」と携帯をきつく握りしめて聞いた。
一瞬の間があって、俺はしまったと内心舌打ちをした。
あまりにも不躾だった。情けないし格好悪い。
そんな自分に幻滅しながら、謝ろうとすると泉が息を吐く。受話器ごしのそれは、本当に耳元でため息を吐かれているような感じがしてしまって、通常よりもはっきりと聞こえてくるそれにますます罪悪感がつのってくる。

「三橋は、俺の高校の時の同級生だよ」

あんたは知らないだろうけどね。という泉の声は、どこか勝ち誇っているような響きがあった。

「へー。それ、俺の知ってるミハシと同一人物だったらすっげぇ偶然だよね」
「なんなら連れて行きましょうか?三橋も」

悔しいことに、頭を低く下げて是非お願いしますってな気分だった。
だけど認めることも頼み込むことも癪で、おぉ連れてこいよ人数多くで飲んだ方が楽しいしな、とかなんとか余裕ぶる。
ミハシには会いたいけれど、だけど泉の言うミハシと俺の言うミハシが別人であることを祈らずにはいられなかった。
ミハシのことは、俺だけが知っていれば良いんだと、独占欲が渦巻いた。




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