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昼休みだ。廊下が騒がしいことは、何の不思議なことでもない。 例え叫び声が聞こえても、何かが派手に落ちるような音がしても、どれもこれも休み時間という空間が生み出す産物なわけで、誰も気にもとめない。 しかし、明らかに雰囲気の違う場所がそこにはあった。 水谷は、小さな人だかりとざわめきで落ち着かないそこに、ひょいと通りすがかりに首を突っ込んで覗いてみた。 茶色の毛玉のような、ふわふわした癖毛。高校生にはあり得ない小さな等身と、べそべそと不明瞭で舌っ足らずな言葉。 「なんで、子供がこんなとこにいんの?」 誰の子? さらりと言ったら、一番近くにいた女子に馬鹿呼ばわりされて鳩尾を肘で突かれた。 「いってぇ!」 「つまんない冗談言うから」 責めるように言われて、誰にも心配されない。 女ってのは、都合の良いときにだけか弱くなって、普段はこれだ。 うんざりしながら、改めて水谷は子供を見た。 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔は、正直汚らしくて触りたくもない。けれども、これだけ周りに女子が群がっていて誰一人としてその涙や鼻水を拭いてやろうと思う奴はいなかったのかなと思うと、水谷はなんだか散々な気持ちになった。 ちっちゃい可愛い、どうしたの?とよってたかって聞くくせに、世話はしない。 水谷とて子供好きなわけではないから、都合の良い時にだけ可愛がる以外で、かいがいしく世話をするのなんてまっぴらだと思う。 けれど、あんまりにも哀れ過ぎて水谷はついついしゃがみ込んで慰めてやってしまう。 「どうしたの?誰か探してるのかな?」 わ、水谷が猫なで声! 女子がおもしろがって黄色い声で笑い合う。 普段からの取っつきやすい性格のおかげで女子とも気軽に付き合っているのだが、こういう時にはからかいの対象にしかされないから悲しい。 しかし、それも別に本気で傷ついているわけではない。 上辺だけでしか付き合っていない人間に言われた言葉で傷つく程、水谷は神経質じゃないし弱くもなかった。 外野の野次を無視して、水谷は根気よく子供に話しかけてやる。結局見かねて、涙と鼻水も近くの女子からティッシュをもらって拭ってやった。 子供がそれに、小さな声で「あ、りがとうござい、ます」と言う。 おや、と水谷はその子供の小綺麗になった顔を見て目をちょっと見開いた。 案外、愛嬌のある顔つきをしている。 真っ赤に染まった頬が、色素の薄い皮膚に栄えていてなんとも子供らしく可愛い。 「えらいねぇ、ちゃんとお礼が言えて。お兄ちゃんは、そう言う子大好きよ」 よしよしと頭を撫でると、今まではべそべそと泣いてばかりいた表情に、ぽっと小さな笑みが浮かんだ。 猫のように目を細めて、くすぐったそうに喜ぶ姿に水谷は大して子供が好きなわけでもないのに、つい羽交い締めにして抱きしめてしまいたくなった。 「名前はなんていうの?」 「れんは、れんっていうの」 「れんくんかぁ」 緩む頬を抑えきれずにいると、女子が再び「水谷ってば、なんか変質者みたい」とからかってくる。 えぇいうるさい。ただ珍しがるだけで何もしてやらんかったお前らに言われる筋合いはないよ、と内心で毒づきながらも上辺では勘弁してよと丸く収める為に下手に出て笑っておく。 「れんくんは、なんか用事があってきたの?」 「あ、あのね。れん、おつかい、よ。ゆーいちろくんの、おべんとをもって、きたの」 背中に背負ったリュックサックを体を捩って見せてくれながら、たどたどしいけれども、一生懸命に説明をしてくれる態度に水谷は胸がきゅうと愛おしさで締め付けられるのを感じた。 あぁ、子供ってこんなに可愛かったのかぁ。オレ将来は保育士にでもなろうかな。 安直にもそんなことを思いながら、そうかそうかゆーいちろうくんにお弁当届けに来たのかぁと笑顔で返してやる。 そこで、ふと自身も口に出した名前に親近感を感じて目線を空に止めてたっぷり二秒考えた。 「ゆーいちろうくんは、もしかして田島っていうのかな?」 大口を上げて笑っている、鼻の頭の上のそばかすがやけに似合う友人を思い浮かべながら訪ねると、れんはきょとんと目をまあるくしてから、興奮したように頬をさらに紅潮させた。 「たじませんせい!」 「先生?えぇ?田島は先生なの?」 水谷の知る田島は、先生なんて柄では到底ない。それどころか、生徒と一緒に思い切り遊んでしまいそうだ。 珍しい名前でもないし違う田島かなと水谷が思ったその時、れんは不意に嬉しそうに、 「たじませんせいは、ゆーいちろうくんにおべんともっていってねって。れ、れんに、おつかいさせてくれた、の」 夢中になって話しているからか、人見知りかと思っていたのにいつの間にか水谷の制服の裾を掴んで話してくる。 水谷は懐いてもらえたことは嬉しいが、れんの話す内容が理解出来なくて唸った。 「つまり、田島先生と、ゆーいちろうくんは違う人なの?」 しかし、水谷の質問にれんも困惑したように首を傾げて眉を下げた。 「あのね。せんせいはせんせいよ?ゆーいちろうくんは、やきゅうが、れんに、おしえてくれるの」 「ほうほう」 頷く水谷は、実のところ完全には納得していなかった。 しかしとりあえず、「ゆーいちろうくん」が「やきゅう」を教えるのであれば、それはまず間違いなく水谷の知っている田島だろう。 「よし、れんくん。お兄ちゃんと一緒にゆーいちろうくんのとこにいこっか」 「しってるの!?」 「知ってますとも」 大げさに張り切って言ってみせて、水谷はひょいとれんを抱き上げた。 思ったよりも軽くて細い体は、まるで間接の付いたおもちゃ人形みたいだと水谷は驚いた。まるで自分とは違う生き物のように柔らかい関節や細い筋肉は、それこそちょっと引っ張っただけで簡単に壊れてしまいそうで、水谷は普段にはあり得ない程慎重に歩きながら教室へと向かった。 その間、れんが抱き上げられた高さに怯えているのか、しっかりと水谷の首に腕を回していたことがまた愛おしさを増長させる。 始終しまりのない顔つきで教室にまでたどり着いたとき、既に弁当を突き始めていた阿部が遅せぇよとぶっきらぼうに言ってから水谷の腕の中にいるれんの存在に一瞬目を丸くした。しかしすぐに、普段の無愛想な表情を取り戻すと「おめでとう」と突然言い放つ。 「は?」 「誰の子供認知したんだ?学校はいつ辞める?」 清々しい口調で言って、もそもそと後は弁当を食べ始める。 水谷は、ひどい!と叫んで阿部の机にまで早足で近づいた。その時耳元でれんが「おっ」と驚いたように声を上げたので、慌てて歩調を弱めたがその時には既に阿部の机の前にまで来ていた。 「ごめんねぇ」 驚かせて。 水谷は、柔らかい声でれんにそう謝った。れんは、近い距離にある水谷の顔をじぃと凝視してから、ふと恥ずかしそうに目線を逸らして「だいじょうぶ、よ」と小さく言った。 「やっべぇ。ほんと、かわいすぎ!」 思わず頬ずり。 阿部が、心底嫌そうに顔を顰めた。 「お前、変態くさい」 「どこがよ?オレ、超清純派なのにぃっ」 「清純派だとしたら、なんでそんな既成事実持ち歩ってんだよ」 顎をしゃくってれんを指して、阿部は面倒くさそうに言う。 水谷と話すときの阿部は常にこんな感じだ。ただもしも本気で嫌いな相手ならば、阿部は一言だって話そうとはしないだろう。阿部とはそういう人間だ。 (そんでもって、いかにも子供嫌いそうな) こっそり思って、水谷はれんを庇うように抱きかかえ直した。 「この子、迷子になってたんだよ。なんか、田島に弁当持ってきたんだって」 「はぁ?それ、田島の弟か?」 「さー?田島先生と、ゆーいちろうくんだって」 「は?訳分かんねぇよ」 「うん、オレもー」 間延びして言うと、使えない奴だと罵倒された。 水谷には慣れたものだったが、それをれんが自分に向けられたものだと勘違いしてひっと悲鳴を上げて涙目になる。 それを見て、阿部が珍しく慌てた風に瞬きを素早く二、三回繰り返した。 「おっまえ、水谷!田島に会わせんならなんで、うちのクラス連れてきてんだよっ」 「ちょっと阿部テンパりすぎ。田島いつも、うちで食べてんじゃん」 れんの背中をさすってやって宥めながら、水谷が冷静に阿部に突っ込みを入れた。それに阿部が、舌打ちをしてうるせぇよとまた乱暴に言い放つ。 だからそれが怖がらせてるんだよ、と水谷は言いたかったけれどもあまり突っ込んで後々阿部に恨まれでもしたら面倒なので、とりあえずれんを慰めることにだけ集中する。 「っていうか、田島は?花井もいないけど」 「購買」 「あ、オレも何も買ってきてねぇや」 そもそもれんのいた場所を通ったのも、購買へ行く途中だったのだ。 馬鹿めと阿部にせせら笑われたが、さすがにそれは水谷も自身のことをそう思った。 しかも、田島が購買に行っているということはれんの持ってきた弁当が無駄になってしまうかもしれないということ。 (まぁ、田島のことだから。どっちもぺろっといけそうだけど) 阿部も同じことを思ったのか、あいつ今日は食い過ぎで午後寝るなと横目でれんを見ながら言った。 「んー、オレじゃぁ田島捕まえてくる」 「行き違いになるんじゃねぇの?」 「だからさ。れんくんのこと置いてくから」 「は。冗談じゃねぇよ」 片眉だけを器用に上げて、阿部は椅子から気持ち一歩身を引いた。 それを見たれんが、敏感に自分が疎まれているのだと感じ取って再び涙目になっていく。 べそべそめそめそ。 せっかくさっき拭ってやったのに、れんの顔がまた涙と鼻水で濡れていくのを、水谷が慌てて慰めながら制服の裾で拭ってやる。既にティッシュを使うという観念は、彼の中からは抜け落ちていた。とにかく、れんを宥めることで精一杯なのだ。 阿部が、少し気まずそうな顔をして「おい」とぶっきらぼうにれんを呼ぶ。 水谷が、警戒したようにれんを腕の中に庇うが、それを無視して阿部が腕を伸ばす。 無骨な手の中には、飴玉が一つ握られていた。 某有名メーカーのミルクキャンディは、阿部にはあまりにも似合わなくて水谷は思わず吹き出してしまった。 阿部が、じろりと睨んで黙らせる。 「やるよ」 謝りはしない高圧的な態度だが、それでも普段の阿部に比べれば少しだけ譲歩的だった。 (子供相手にもプライドを捨てきれないという辺りは、どうかと水谷は思ったけれど) れんが、おっかなびっくりで阿部の顔と無理矢理手に握らされた飴玉とを見比べる。 「なんだよ。やるって」 真っ直ぐ向けられた視線に居心地が悪いのか、阿部はふいと顔を背けて言い放った。あぁ、またそんな風に言う、と水谷がハラハラしたこととは裏腹にれんは、頬を上げて目を細めいかにも嬉しそうに笑った。 驚いたのは、水谷だけではなく阿部もだった。 あんぐりと、間抜けにも口を開いて驚く阿部に、れんはにこにこと笑ったままちょっと頬を赤くして「い、いいひと、だ。っありがとございます」とたどたどしく言い、頭をぺこんと下げた。 バランスの悪い幼い体が、その拍子に前倒れになりそうなのを水谷が支えてやろうとするよりも早く、阿部が腕を伸ばして支えた。 「ごめ、んなさっ」 「気をつけろよ」 ポン、とれんの頭の上に手のひらを乗せる。 (えぇ、なにこの気持ち悪い優しさを見せる阿部はっ) 水谷は内心、相当に怯えていた。 何せ入学して阿部と知り合ってから今までに、こんなに他人に気を遣う阿部などは見たことがなかったのだ。 そして驚くのは、いくら普段よりは優しさを見せているとはいえ、まだまだ端から見れば無愛想な表情でいる阿部に、れんが懐いているような素振りを見せているところだ。 自分の方がずっと優しくて良いお兄ちゃんしてたと思うけどなぁ、と水谷は少しヤキモチを妬いた。 (アラマ。オレ、随分気に入ってたみたいね) 内心しょんぼりしながら、いつの間にかれんを自分の前の席に座らせて弁当の中身を分けてやっている阿部を見た。 「あべぇ。オレ、田島探してくんね」 「おぉ。さっさといっちまえ」 まるで野良犬を追い払うみたいに、手のひらを振って言われる。 チクショウ、と水谷は奥歯を噛んだ。 阿部の前で、はにかんで笑っているれんを見てチクショウ、とやきもちを妬いた。 「すぐに戻ってくっから。すぐに、すぐにねっ」 いってらっしゃ、い。 水谷はれんの挨拶に、随分とそのささくれ立った気持ちは救われた。けれど、見ればちゃっかり阿部の膝の上に乗っているれんに、また内心しょんぼりするしかなかった。 |
だから子供って嫌いなんだ。
(薄情でしたたかで無邪気だからザンコクで)
(でも、好きなんだ。この子供だけは)