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うわぁん、と大声で泣かれて花井はたじろいでしまった。 何故だかは分からない。ただ、部室に行くと廉がいたので、久しぶりだなぁと頭を撫でてやった。それだけだ。 それなのに、廉はその途端大声で泣き出した。 すぐ傍にいた泉が、非難するような目つきで睨み上げてきて廉を庇うように自分の方へと引き寄せた。 「何したの?」 「撫でただけだよっ」 「力強すぎたんじゃない?」 そんなはずはない、と花井は叫ぶように言い返した。 しかし、その脇では泉の胸に顔を押し当ててわんわん泣いている廉がいるから、まるで説得力がない。 子供の泣き方は嫌いだと、花井は思う。遠慮無しに、咳き込むまで泣き続ける。 宥めてもこちらの言い分などを聞き入れるようなこともなく、ただ自分の不幸を嘆くかのように一層声を張り上げて泣き叫ぶだけだ。 名前を呼んで慰めてやりながら、理由を尋ねてみたくても廉を抱え込むようにしている泉がそれを許してはくれない。 ゲホ、と咽せて一瞬鳴き声が止まる。 よしよし、と泉が背中を撫でてやったその隙に、花井はしゃがみ込んで廉に視線を合わせて「俺何かしたかな?」と聞いた。 したから泣いてんだろうが、と泉が辛辣に返してくるのに対して、花井は果敢にもお前には聞いてないよと言う。正直なところ、泉にはあまり口答えはしたくないと花井は思っている。 もちろん、それが部活の上で必要なこととか、譲れないことであれば話は別だ。泉だって、そういう時に理不尽なことを言うような人間ではないことを花井は知っている。 けれど不思議なもので、そんな泉もひとたび野球から離れて廉のことになると、どんなに理不尽なことでもケロリと口にするようになってしまうのだ。 しかも、それらの言葉はどれも辛辣で、言い返したりでもすれば倍どころか三倍にも四倍にもなって返ってくる。 「とにかく、俺は何もしてない。それか、顔見て泣き出されるぐらいに嫌われてるか、だね」 ちらりと横目で廉を見て言う。 別に俺だって子供好きってわけじゃないんだ。 花井は内心で吐き出すように思う。 面倒見が良いと思われているから勘違いをされることも多いけれど、子供は好きか嫌いかで言えば好きではない。 特に廉のような、言葉が遅い子供は一層のこと苦手だ。意思の疎通がはかれない事ほど、面倒なことはない。 現に今だって、泣かれてその理由も分からず困り果てているのだ。 はぁ、とため息を漏らす。 それを受けたかのように、廉が叫び声にも似た声でさらに強く泣き出した。 「花井っ」 「分かってる。今のは、俺が悪かった」 両手を挙げて降参の形を取りながら、花井は慌てて謝る。 「ごめんごめん。ため息なんて吐かれたら嫌だよな、ごめんね」 言いながら頭に手を置こうとして、逡巡する。 廉は花井が頭を撫でた途端に泣き出したのだ。自分は悪くないとは主張していても、さらに泣かれるのも困る。 手を引っ込めた花井を、廉が見上げてくる。 「なでない、の?」 「だって、嫌だったんじゃないの?」 「あ、あたまをね、なでるのすき、」 小さな手を自分の頭に乗せて、なでる仕草をしながら廉は言って繰り返し「なでない、の?」と舌足らずに聞いてくる。 「嫌じゃないなら、撫でるよ」 恐る恐る、涙で濡れる頬を指の腹で拭ってやる。 少し眉をしかめられたが、泣き出すことはなかった。頬が引っ張られることを我慢している様子は見せるものの、嫌がっている様子でもない。 それでは何故泣き出したのかということを、慎重に訪ねると廉はえっとねと言い淀んで、ようやく収まったと思った涙をボロリと零す。 先程とはうって変わって静かにホロホロと泣きながら、泉の腕の中に隠れるようにして踞る廉は不明瞭な声で「こなくなっちゃう、から」と言った。 「あずさ、くんがすきなひといるから、やきゅうよりすきになるから、ね。も、もうれんとやきゅうはしないかも、」 「えぇ?俺に好きな人?なんだそれ、誰に言われた?」 思わず詰問口調になってしまった花井を、泉がきつく睨む。 「花井、口調」 「いやだって、俺に好きな人だって」 「口調」 有無を言わせぬ態度の泉に舌打ちしたくなるところを抑えて、はいすいませんでしたと謝った。するとそれもまた泉には気に入らない口調だったのか、花井のことは睨み付けたままで廉を連れて移動しようとした。慌てて止める花井に、だって機嫌悪い人間相手になんてさせて八つ当たりされたら可哀想じゃん、と返ってくる。 「八つ当たりなんてしないって」 「でもね、機嫌悪いでしょ?」 「良くはないけど。でも、そりゃ廉くんに嘘吹き込んだ奴に対してなわけでさ」 「まぁ、俺にはぜーんぜん関係ないんだけどね」 「時々、阿部にも勝るヒドイ奴だよお前は」 泉は甲高い笑い声を上げて、酷くないよねぇと首を傾げて廉に同意を求める。廉は涙を拭いながら泉を見上げて、真似をするように首を傾げる。 小動物めいた仕草に、泉の廉を抱く力がさらに強くなる。 花井はというと、いっそ腹が立つなと思いながら廉の仕草を頭の中で反芻する。つまり、思い返す程に可愛いとは思っているのだ。 同時に、なんとも言い難い苛立ちが募る。 そして、自分はどうも素直に廉の可愛らしさを認めることに抵抗を感じてしまうようだということに気づく。 かわいさ余ってにくさ百倍と言うけれど、まさにそれだと花井は奥歯を噛みしめた。 ふと廉と視線が合ったが、まるで幽霊を見たかのように怯えた様子で顔ごと視線を逸らされてしまう。 あずさくんがこなくなっちゃう、だなんて泣きながら言うくせに随分な態度だ。 表面上では平静を装っていたが、実はかなり腹が立っていた。なので、突然横から呼ばれた時に花井は、あぁ?とチンピラのような反応をしてしまった。 もちろん、すぐにその対応の悪さを自覚して慌てるのだが、一度してしまった反応を取り消すことは出来ない。 気まずくなりながら見ると、篠岡が至極驚いた様子で立ちすくんでいた。 「あの、私、」 「ん、ごめん。今、すごく態度悪かった」 「良いよ。なんか、話し中だったみたいだし」 廉くん来てるって聞いたから、と泣きはらした目をしている廉を気遣うように見る。花井はますます気まずいばかりだ。 誤解が招いたことなのだと説明をしようかとも思ったが、聞かれるよりも先に言えばそれは返って言い訳じみたものになってしまう恐れもある。 しかし黙ったままでいれば、確実に悪者は自分になるだろう。泉が黙っているとも思えなかった。 比べれば、まだ言い訳だと思われても自分の意見が言える方がマシだと花井には思えた。 よし、と内心意気込み口を開く。 「なんかさ、」 「ねぇ、」 すると、篠岡の言葉を重なってしまい、二人は互いに言葉を切ってから先にどうぞと言い合った。 三度ほどそのやり取りを繰り返して、花井が一層強く先に良いよと言ったことでようやく決着が付いた。それじゃぁ、と篠岡がそれでもまだやや気後れしているような口調で言い出す。 「廉くん、どうしたのって言おうと思ったんだけど、」 「なんだ、俺そのこと話そうと思ってたんだ」 なんとなく、二人とも照れて笑った。それを泉が、茶化す。 まるでカップルみたいじゃないかと言う泉の言葉を、普段であれば簡単に聞き流すことが出来ただろう。しかし、今の言葉は明らかに廉が勘違いをしていることを暗に篠岡に悟らせようとしているようにしか思えない。 ジロリと睨むと、おおコワと肩を竦めて廉を抱きしめる。 どうしたの、と篠岡が聞くので花井は何でもないよと答えて話を戻した。 「まぁ、廉くんに勘違いをされたってことなんだけど。なんか、俺に好きな人が出来たとか、そのせいでもう野球を廉くんと一緒にしてあげないとか」 もちろん、そんなものは有り得ない話なのだとはっきりと言う。 篠岡はふぅんと、気持ち半分のような声を出して相づちを打っただけで花井ではなく廉を見ていた。 それからしばらくそうしていたかと思うと、不意に花井へと向き直ってニコリと彼女らしい爽やかで素朴な笑みを浮かべた。 「まさか、泣いちゃうとは思わなかったな」 「は?」 「ほんの悪戯のつもりだったのよ。花井くんが告白されてるところを見ちゃって、それで思いついたの」 ペラペラとしゃべり出す篠岡の口調はだからといって、普段と違うところなんて少しもなかった。ただ、花井が篠岡が笑っているところを見て、胡散臭いと思ったのはこの時が始めてだった。 篠岡は続ける。 「阿部くんとか水谷くんは良いの。だって、あの人たちは、すごく廉くんのこと構ってるんだもの。それで廉くんのお気に入りだっていうのならそれは良いの。でも、花井くんは対して廉くんのこと構ってるわけでもないのに、気に入られてるんだもの」 それは分かるな、と泉が相づちを打った。 余計なことを言って話をややこしくするなと、花井が泉を睨むがこちらもまた食えない笑みを浮かべてニヤニヤしているばかりだ。 そんな二人に無性に腹立たしくなって、別に俺は特別何かをしたわけでもないし思ってもいない。好きな相手もいないし、野球をしなくなるなんてこともない、と一気にまくし立てた。 「そんなの、分かってたよ」 至極明るく篠岡が返してくる。 「分かってたけど、悔しかったの」 でも、泣かせるつもりは無かったから反省してるわ、と言う篠岡は特に重い口調で言うわけでもなくさらりと言って、あとは花井を見返ることもなく廉の方へと寄っていった。 泉の腕から廉を抱き挙げて、おかしがあるのと誘う。 「女って怖いな」 廉を連れて行かれて、心なしか残念そうな泉が花井の横に来て呟くように言った。 まったくだ、と花井もまた呟くようにそれに返した。 |