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事の発端は一枚の手紙だった。 利央が移動教室から帰ってくると、机の中から封筒が出てきた。教科書をしまおうとして引き出したら出てきたもので、何の飾り気もない白い封筒だった。 宛名が無ければ、そのまま捨ててしまったかもしれないというほどに地味な存在のそれは、中を開けると封筒同様の無地の便せんに簡潔な文字の羅列があった。告白の言葉とメールアドレスが書かれていたそれはいわゆるラブレターであった。 付き合っていただけるのならメールをください、という内容に今は告白も随分とIT化してきたものだなぁと妙に感心して眺めていると横から何だそれとクラスメイトの茶々が入ってくる。 何でもないよ、と言いかけてそれはあまりにも怪しいだろうと思った。しかし、だからといって正直にラブレターだ、と言ってしまうのもからかわれることが分かっているので気が引けた。ラブレターの差出人を庇うというよりも、自分がからかいの対象になることを避けたかったのだ。 あまり長い間黙っていても余計に怪しまれてしまう。どうしたものかと頭の中では必死になりながらも、表面上では何事もない態度を取り繕う。時間稼ぎの為に、気のないふりで欠伸を一つしてちらりと廊下に目を向けた。 教師の目が届かないのを良いことに、雑巾とほうきで野球ごっこをしている男子生徒の姿が目に入る。中学の時からまるで進歩がないんだな、と生ぬるい気持ちになったがそれは別に嫌悪感ではない。利央だって、調子に乗っていればそのぐらいのことはやるからだ。 ルールのない適当な野球ごっこは、それでいて案外楽しいものだ。そんなことを考えていて利央はふと思い立って、ポンと腿を手の平で叩いた。 いかにも名案と言わんばかりの仕草に嘘がばれるかとやってしまってから慌てたが、ラブレターというものの存在だけですっかり舞い上がってしまっているから誰も利央の動向になど注目してはいなかった。 これ幸いと、利央は口火を切る。 「野球部のさ、先輩が、さぁ」 その瞬間、既にクラスメイトの興味は半分ほど失われていたに違いなかった。なんだ色恋沙汰じゃないのかと、如実に態度に示す彼らを若いなぁと利央は思ってから自分だって同じ年なんだけどと自身に内心でツッコミを入れる。 そんな余裕があるのも裏返してみれば、今から言う言い訳で乗り切ることが出来るという自信と安堵感からだ。 「先輩が、部活のことで書いてきただけだよ。悪ふざけ好きな人たちでさぁ、わざとラブレターじみたことしてきたみたい」 ふぅん、と半端な相槌を返される。お前いじられてんなぁと、同情とからかいの入り交じった言葉をもらって、まぁ逆らえませんよ縦社会ですからと冗談めかして言う。すると後はもうその話題は飽きられたのか、昨日のテレビでやっていたドラマだなんだととりとめのない会話に戻っていった。 その会話に参加するふりをしながら利央は手紙の内容を反芻していた。 付き合っていただけるのならメールをください、と言うのであれば断る場合はメールをしなくても良いということなのだろうかと、クラスメイトの話に笑い声をあげながら考える。 (第一、名前も書いてないラブレターなんて断る以外にどうしろっていうの。それとも今の時代はメアドだけでその人の個人情報が全部見通せるってことが当たり前なわけ?) 皮肉るうちに腹立たしい気分になってきてしまう。 正直なところ利央は誰に告白されたとしても、今は付き合うつもりはない。 だから断ることは前提なのだが、それにしても告白をされたということに対しての礼儀は通したいと思っているのだ。 だからこの方法は卑怯だと思った。 告白をするということは、相手から良かれ悪かれ返事を聞く覚悟があってこそだというのは利央の持論であり、それだからこそ告白をされたら無下には扱わずにきちんとした言葉で返事をしたいと考えている。 それだけを言えばいかにも真面目で清純な意見になるが、ようするに自分がきちんと返事をしないままにしておくと別に付き合っているわけでもないのに何マタもかけているように思えてしまうのが嫌なのだ。つまり、返事をきちんと返すということは利央のポリシーであると同時に自己満足でもある。 面倒くさい、とため息を吐きかけたところに、お前も思うだろ、とクラスメイトの問いかけが入り込んでくる。何がどう思うのか話をまるで聞いていなかった利央は把握をしていないくせに、うんそうだね思うよと軽く答える。 「俺ちょっとトイレ」 さりげなく手紙をポケットに入れ携帯も反対側のポケットに入れて立ち上がる。 その動作を深読みされることはなく、雑談もそれなりに楽しいのか適当な返事だけをされるのみだった。 もちろん、その方が利央にとっては有り難い。 名前も分からないので戸惑いましたが、今は部活のことしか考えられないので付き合えません。 頭の中でそんな文面を考える。 どうしようかなといつまでも悩んでいる方が面倒なのだ。早々にけりを付けてしまおうと思った。 トイレに行くというのは口実だったが、立ち止まってメールを打つというのも人目に付くと思った利央は物のついでにとトイレへ向かう。 人の流れに逆らわなければ、休み時間の廊下ほど周りに一体化出来る空間はない。利央が携帯電話を開いてメールを打っていることなど、気に留める人間は一人もいない。 送り先のアドレスはアドレス帳には入っていない為、面倒だと思いながらも宛先にアルファベットの羅列を打ち込む。ようやく本文に入ろうとした時、ふと利央は呼び止められた声に反射的に携帯を閉じた。 「仲沢くん」 細い声は男子生徒のものではない。利央は自然と視線を下げて、そこに肩をすぼめていかにも恥じらった風に立っている女子生徒の姿を確認した。 見覚えはない。 しかし向こうは名前を呼んできた時点で利央のことを知っているわけで、利央が怪訝そうに眉をしかめるのに臆することもなく大して離れた距離にいるわけでもないのに手招きをして、廊下の端に呼ぶ。 手紙見てくれてたね、と彼女はやはり細い声で恥ずかしそうに言った。 「あぁ、あの手紙の子」 「気になってさっき仲沢くんのクラス行ったら、友達にからかわれそうになってたの嘘吐いてごまかしてくれてたよね。優しいね」 はにかむ表情はとても女の子らしく、少なくとも印象の悪いものではない。ただ少々ヒロイックに浸るところがある子なのかもしれないな、と利央は思った。 手紙でからかわれそうになったのは利央で、それを回避するための自己防衛をしただけなのに、それを美談へと転換させてしまった目の前の彼女に笑いがこみ上げてくる。 すんでの所で声を出して笑いそうになるのを堪えたが、表情筋は上がっていたようでそれを見てまたしても都合良く解釈した彼女は満足げな表情を浮かべていた。 「歩きながら話そうか」 優しいね。彼女はうっとりと笑って言った。 人目を避ける為だけに言ったことなのに、どこまでも物事を都合良く美化する彼女に利央は自分が勘違いをしているわけでもないのに妙に恥ずかしさを感じた。 そして、これから自分が断りの返事をすることもおそらくは予想だにしていないであろう彼女の、その時の愕然とした表情を想像してみてうんざりする。 目まぐるしい感情の変化は、利央をとても疲れさせていた。 告白をされることには、慣れている。それを言えば非難の対象となるので容易に口に出して言いはしないが、それは事実で利央はそのことにすっかりくたびれてしまっているのだ。 外見が日本人離れしているせいか、自分をちょっと周りとは違う人種だと解釈する夢見がちな女子が利央に恋心を抱くことが多い。 格好良いから、優しいから、大抵はこんな理由で好きですと告げられることにはうんざりだった。 自分は先輩たちに馬鹿だアホだと罵られからかわれ、兄にはアザが出来てしまう程の過剰なスキンシップを受け涙目になりながら母親に抗議をする、そんな人間だというのに欠点がないようにうっとりとされることが苦痛で仕方がない。 「休み時間、終わっちゃうよ」 不意に言われた言葉に、利央は素早く気持ちを切り替えるとうんと頷いて立ち止まった。 特別教室の並ぶ廊下に、人気はなかった。 彼女が緊張しているのが分かったが、利央はそれに対して何の感慨も抱くことはない。 「返事なんだけど」 「うん」 「悪いんだけど、今誰かと付き合うつもりってないので」 「それは、野球に集中したいから?」 「それもある。現実に、部活やってると付き合ってどっかに一緒に行くとか、そういう時間も取れるもんじゃないし」 「私はそういうの気にしないんだけどな」 俯いてか細く、彼女が言う。 利央は慌てて、部活はあくまでも理由の一つなだけだと告げた。すると今度は、じゃぁ他の理由はと問いつめられてしまう。 単純に興味がない、と言ったらきっと泣いてしまうだろうなと利央は視線を窓の外に向けて吐息程度の小さなため息を漏らした。 ほんの数秒の間だが、彼女はじれったそうに仲沢くんと呼ぶ。 視線は窓の外に向けたまま、うんと曖昧に意味もない返事をした。本当に悪いんだけど、と言いかけたところでぴたりと口を閉ざす。 答えに窮しているように見えたのだろうが、実際にはそうではなかった。 かすかに聞こえる猫の鳴き声に、過敏に反応した利央は窓から身を乗り出して辺りを見回した。 「仲沢くん?」 「猫っぽい鳴き声聞こえない?」 「えぇ?聞こえるかもしれないけど・・・野良猫が外にいたとしてもそれは何の不思議でもないじゃないの」 「そうだけど。でもこれって、猫っていうか、子供っぽい」 「やだ。止めてよそういうの」 眉を顰める彼女の表情は、利央に初めて見せた否定的なものだった。しかし利央は構わずさらに身を乗り出して耳をすませる。みゃぁみゃぁと聞こえていた鳴き声はにあにあかもしれないと微妙な修正をして、確実に近づいてくる鳴き声の元を探す。 「あ、」 「何?」 彼女が怯えた声で聞く。 「俺、この声知ってる」 レン、と利央は叫んだ。窓から外へ出ると、そこには高校の敷地内にはいるはずのない幼児の姿があった。 「廉!」 その声に幼児がぱっと顔を上げた。 大きな瞳は赤く充血していて、泣き続けていたせいで体温が上がってしまったのか、頬から額にかけても赤く染まっていた。 「りおにー」 がらがらに荒れた声で廉は泣きやむこともしないまま利央の名前を呼ぶと、つたない足取りで駆け寄ってきた。 半ば転がるようにして、利央の腕にしがみつくとそのままわんわんとさらに盛大に泣いてしまう。 その背中をよしよしとさすってやりながら、どうしているの?お母さんは?と猫なで声で訊ねるが声を出して泣き続けるばかりでちっとも答えが返ってはこない。 「廉、もう大丈夫だから。一人で来れて偉かったね。ね、ほら、泣くの止めよう?」 「りおにー、な、なんで、」 「ん?」 「なんでいないのなっちゃうの?おかあさんが、い、いそがしくて、やきゅーし、しないって。き、きのうね、りおにーたちいないのね、」 どれだけあやしても廉は泣き止まず、ただ何かを説明しようとはしているようで泣きじゃっくりに混じらせながらも言葉を口にしている。 「落ち着いて。大丈夫だから。廉は良い子だもん、ね?」 意味をあまり持たない慰めを利央は繰り返す。もしこの場に準太や慎吾がいたら馬鹿らしい慰め方だと鼻で笑われたかもしれない。いや八割方それは当たっていると利央は確信している。 それでも彼らもまた廉に泣かれると打算もなく猫なで声で良い子良い子と慰めるであろうことも、利央は知っている。ただの子供に、特別子供好きでもない男子高校生がこぞって振り回されているのだ。 ふと我に返ると不思議で仕方がないが、会えばまた手放しで可愛がることになる。幾度となくループする疑問と開き直りに、利央は最近では不深く考えることを放棄している。 ただ可愛いと思っていられれば、それほど単純で大きい幸せはないと利央は思っている。小さな手で精一杯自分の制服を掴んで離さない廉に、利央は抑えきれない愛情を感じた。赤い顔を両手で包むように触れて、手のひらで涙を拭ってやる。無防備に伸びる頬すら可愛くて仕方がない。 「り、りおにー、は、やきゅを、やんないの」 「野球?やるよー。なんで?」 「きのういなくて、おかあさん、み、みんなやらないのって…れんにね、会わないよって、」 廉はしゃくり上げながら途切れ途切れに言う。 確かに昨日は練習はなかった。そして今日もない。特別な理由などではなくて、単に試験前で練習がないというだけなのだが、廉にはそのことが理解出来なかったのだろう。廉に会わないわけがないだろ、と利央は廉の後頭部を撫でた。 徐々に泣き止み始めた廉は、泣きすぎて真っ赤に腫れてしまったまぶたを動物が頭を撫でられた時にするように心地良さそうに閉じた。 「りおにーいなくならないの?」 「なんないよ」 「じゅんにーもかずにーも?」 「なんないよ」 「仲沢くん」 「え?」 廉がぱちりと利央の後ろに視線を向けて瞬いた。振り向くとすっかり存在を忘れていた女生徒が怪訝な顔つきで、利央と廉を見下ろして来ていた。 「知ってる子?」 「良く部活見に来るんだ。可愛いでしょ」 「うん。ねぇ何歳かなぁ?」 彼女は柔らかい声で廉に聞くが、人見知りする廉は利央にすがるように身を寄せて俯いてしまう。 「人見知りなんだ。ちなみに五歳だよ」 「ふぅん。でも可愛いね。私子供って好きなんだ。仲沢くんもだったんだね」 「いや別に」 「嫌いなの?」 「廉だから可愛いと思うだけ」 そうなんだ、彼女はいかにも納得したように頷いた。そして休み時間終わっちゃうよと、少しじれた声色で言う。 「うん。戻った方が良いよ。俺は廉のこと先生に言ってくるから」 「それもだけど、返事まだ聞いてないよ」 「あぁ、うん、だからごめんなさいって」 「野球優先でも気にしないよ。毎日一緒に帰りたいなんて言わないし」 彼女は柔らかく夢見がちそうだった声を、わずかにだが確実に硬質なものに変えていた。人の感情に過敏に反応する廉が、肩を強ばらせるのに気付いて抱き上げてやりながら、それでもごめんなさいと返事を返した。 「その子のこと送ってからでも良いよ。今、仲沢くんその子のことばっか気にしてるみたいだし」 「今だけじゃないから無理だよ。こいつとあんたなら、俺はいつだって廉のことしか気にしないよ。だって申し訳ないけど、俺あんたより廉のが可愛いと思う」 「比べる対象じゃないよそれ。だって子供じゃない」 「だからさ、俺子供好きじゃないんだって。廉だから可愛いの。多分おっきくなってもそう思えるよ」 変よ、と彼女は叫んだ。 廉がその声に怯えたように利央の首筋に顔をうずめた。怖がらせないでよ。 素っ気なく利央は言い放った。 彼女は泣き出しそうな顔をしていたが、利央にとっては興味の範疇外だった。覚える感情は鬱陶しさだけだったが、廉を怖がらせたくなくて表面上は笑っていたからさぞ酷い奴だと思われたことだろうな、と利央は思った。 思ったところでやはり絆されたりはしない。 「あのひと、ないちゃう、よ」 「大丈夫オトナだから。廉まで泣いちゃいそうな顔しないでね」 「へ、へいき、よ?れんは、りおにーがいなくなんないの、だからへいき、」 廉は強いね。利央は笑った。恨めしく睨まれていることなど、まるで気にしていない。 |