メリークリスマス
世間はどこも、クリスマスという単語に心を躍らせて浮き足立っている。至る所で聞こえるクリスマスソングは、どれだけヒアリングが苦手でも口ずさむことが出来てしまうほどに馴染んでいるし、緑と赤と白のコラボレーションもきつい原色だと言うのに目を奪われる事がないほど当たり前に街を彩っている。 様々なサンタクロースのイラストや置物は、全て微笑んでいる。一つぐらい、真顔のサンタクロースがいても良いんじゃないかな、などとアンチテーゼを内心で唱えながらも榛名は多いに幸せだった。 自分の歩幅に合わせるようにせかせかと斜め後ろを付いてくる三橋。積極的に歩幅を合わせてやることはしないが、それでも時々人波に見えなくなりそうになると立ち止まって早く来いよと声をかけてやる。 それに対して、早いだなどと文句は言わずに従順に付いてくる三橋を見ると榛名は満面の笑みを浮かべて満足するのだ。 「お前はホントにトロいね」 にこにこと笑いながら言う榛名に、三橋は少し泣きそうな顔をしながらすいませんと謝る。 別に謝るこたぁないよ、と言いながらもまたすぐに「遅い!」と怒鳴るのだ。 「本当、に、すいま、せん」 「別にさ、謝れっつってんじゃなくてね。こう言っちゃうのは俺の性格だから」 「で、でも」 「第一三橋。俺は今、お前を慰める為にここにいるんだよ」 両手を広げて大げさに言う。 すると通行人に指先や肘が当たって迷惑そうな顔をされたので、すぐに元の通りに下ろしたが、それでもその大げさな仕草は止めずに今度はちょっと外国人のように片方の眉を上げて「そこのとこ分かってる?」と聞く。 三橋は、一瞬逡巡してから小さく頷いた。 「あ、ありがたい、です」 「ゲラゲラ、なんだそれ。ホント、お前っておもしろいね」 ありがたいなんて、年寄りみたいじゃんかと多いに笑ってバシンと三橋の背中を叩く。うっと喉の詰まらせた三橋に、榛名はまた笑うのだ。 「ほんと、クリスマスに良いことなんてね一つも無いと思ってたけど、ラッキーお前に会えて」 逆方向へ向かう人波に体ごと持って行かれそうになっている三橋の服の裾を引っ張ってやりながら、榛名は満足そうに言って「お前はどうだか知らないけど」と急に柔らかい口調に変えた。 それは猫なで声のようであって、そこまで媚びてはいなかった。榛名が普段絶対に出すことのないその優しい声の響きは、その場に榛名を良く知った人物がいれば何かを企んでいるに違いないと推測したに違いないものだった。 しかし三橋は、そこまで物事を考えるタイプの人間ではないので、単純に榛名さんってば何て優しいのだろうかと感激して目を丸くして見上げるのだ。 そんな三橋の心情を的確に読み取ったかのように、榛名はますます同情的な声を出す。 「待ち合わせしてた奴にすっぽかされてさ。すごく楽しみにしてただろうに、可哀相」 榛名は間髪を置かず続けた。 「俺が酷い奴だって言ったらお前いい人なんだきっと何かあったに違いないって、すごく庇ったよな。そのぐらい、お前の気に入ってる奴なのに、そこまでお前が庇ったっていうのにねぇ。それでいて、今日はクリスマスだ。俺が通りかからなかったら、最悪のクリスマスじゃないの」 なぁ、と同意を促すように再び背中を叩くと歩いていた三橋の体が不意打ちをくらったかのように大きくよろけた。 それをタイミング良く榛名が支えてやると、三橋は見上げてきて小さく呟くのだ。か細い声は喧噪にかき消されて何を言っているのかまるで聞こえなかったが、三橋のボキャブラリーの少ないことと状況から判断してまた「すいません」とか「ごめんなさい」なんだろう、と榛名は適当に想像して気を付けろよとおざなりに返す。 二人の歩く横をケーキ屋が、路上にテーブルを出して叫ぶようにクリスマスケーキの特売を宣伝している。それを見て、ケーキ食べようかと三橋に提案をすると、一瞬ではあったが渋るような顔つきになった。 「一緒に食べる約束とか、してた?」 遠慮がちに頷かれる。 その表情にまだ少し期待のようなものが浮かんでいることを、榛名は目聡く察してそんなもの!と、怒鳴った。 「お前がなんでそこまで気にしてやるのかが、まるで分かんないね。良いじゃん、俺と食べたら。お前には俺だけだと思え。三橋、お前は自分の性格を良く考えるべきだよ。卑屈で挙動不審気味、それで自分勝手でもあるだろ?そんなの、俺も自分勝手だから良く分かるけど他人と上手くなんていかないんだよ。いくはずがない」 「ご」 「謝るなよ」 掌で三橋の言葉を制して榛名は、また不意に優しげな声を出した。 「でも、俺は三橋がそうであっても良いと思うよ。三橋、俺は三橋のことが好きだよ。きっと、誰も好きにはならないかもしれない。でも、俺は好きだよ。可哀相な三橋」 まるで芝居のような言葉に、三橋はポカンと口を開けて(本当に口を間抜けに開けて)見上げていた。 その三橋に、榛名はより一層優しい声で囁きかける。 「三橋。俺は、お前のことが好きだ。悔しいけど、本気だよ。お前は?」 「お、れ」 「お前の一番は俺じゃないだろ?そのぐらい、分かる。すごい人ってスタンスじゃダメだからな。いい人ってのも、却下、だ。俺のこと好き?愛してるって意味で好き?」 それは本当に小さく耳元で囁きかけるものであったから、皆が自分のことで手一杯のクリスマスの街中ではそんな榛名の言葉を気に留める人間などは一人もいなかった。 ただ、傍目から見れば若い男が二人、異様なほどに寄り添って何かを囁き合っているようにも見えるだろうが、学生であれば悪ふざけと思われる程度で別にやましいことでも珍しいことでもない。 ましてや、この喧噪。 ちょっと会話がしにくい上に、三橋と榛名では身長差もそれなりにあるので、やはり周りの人間から見て不自然なものではない。 榛名はますます肩を寄せて愛おしそうに続ける。 「きっとお前が待ち合わせをしてた奴も、クリスマスだし、何も三橋なんかとって思ったのかもしれない。かもしれない、だから、絶対じゃないけど。でも、俺は三橋と一緒に過ごしている。そして、嬉しいし満足だ」 優しく三橋の肩に手を置いて、耳元で息を吹きかけるようにささやかな声で続けた。 「結局、お前を好きになるのなんて俺ぐらいなもんだ」 愕然と、三橋の目が見開かれる。 道路側にいる三橋の後ろを、大きな宣伝カーが騒音のようにジャンジャカ音を鳴らして走っていく。派手で大きなリースを荷台の部分に飾り付けて、昼間だと言うのに白いランプをチカチカと灯している。 近づいてきた時のあまりの音量の大きさに、何の音楽なのか分からなかったものは、少し遠ざかったところでようやく「恋人たちのクリスマス」だと認識出来た。 まぁもう何度も聞いたことがあって今更クリスマスなんだなぁと感慨深くなることもないけれどねとしらけた様子で車を見送った。 視線を戻すと三橋はいなくなっていた。 きゃぁわぁうぉー、と悲鳴が飛び交う。 歓声ではなく、悲鳴だった。 榛名が派手な宣伝カーに気を取られている隙に、三橋はふらりと車道へと飛び出して車に跳ねられたのだ。 乗用車の運転手が顔を蒼白にして降りてくる。 本当に急に飛び出したようで、車は三橋を跳ねてしまってからようやく減速したようだった。野次馬が集まり始める中で、呆然としている榛名を気に留める者はいない。 流れ出る血と、有り得ない方向へ曲がっている足。大丈夫かな、大丈夫じゃないだろ、いやまだ大丈夫だろ。そんな現状を打破するつもりもなければ手助けするつもりもないらしい発言が飛び交う。 (エクセレント!) 榛名は心中で叫んだ。 榛名にとって三橋は特別な存在だった。 何せ同性だというのに惚れてしまった相手なのだ。榛名は自分のことを高身長で顔良し野球上手しの勉強だってそこそこのすごい奴だと自負している。 他人が聞けば何て自意識過剰な奴なんだろうかと思われるであろうこともだが事実なので文句を言わせることはない。 性格の歪みが目立つこともあるが、それは榛名自身にとっては何のリスクにもならない。 誰にどう思われようと、榛名はそれらをはね除けてしまうだけの実力を持っているのだ。 そんな榛名が、唯一と言って良いほど気にしたのは三橋のことだけだった。 三橋が自分をどう思っているかが気になってしまう。そんな自分を榛名は嫌っていた。 (そして何より、俺の経歴に傷が付いてしまう。三橋のことを好きな俺はホモだからね。ホモ、野球界のホープの俺がホモ。最悪最低有り得ない!だから、絶望のどん底に落としてやって死んでくれりゃ幸いだと思っていたけど、思っていたけど、まさかこんなにも脆い神経だなんて。三橋、お前って奴はホント最高だ) 救急車が到着して、その場が一層慌ただしくなる。 誰かこの人知っている人はいませんか、と救急隊員が聞いてまわっているのが耳には入っているのに榛名はぼんやりと反応せずに佇んでいた。 隣に立っていたサラリーマン風の男が、榛名の顔を見て一瞬驚いた表情を浮かべると「知り合いなの?」と担架に乗せられている三橋を指して榛名に問うた。 「そうですけど、」 何で分かるんですかと、言いかけたところで男の脇から今度は学生風の女がハンカチを手渡してくる。 泣いている、と榛名を哀れむように見て言う。 (あー、神様!いや、サンタさん!メリークリスマス。俺は今、とっても最高の気分です。素敵なプレゼントをありがとう!嬉しくて涙が出てきてしまうぐらいに、最高の気分です!) ハンカチで目を覆うようにしてから榛名は弱々しく手を挙げる。俺、そいつの友達です、友達、と二回、世間に自分の性癖の平常さをアピールするつもりで繰り返した。 涙の次は嗚咽で、隊員が大丈夫だよ大丈夫だからねと慰めてくれるのを内心で馬鹿だなぁと思いながらも、涙が止まらないのだ。 嬉し涙だ。 酷く、落ち込んだ気持ちになってしまっているけれど、これは嬉し涙に違いないのだ。 榛名は、声をあげて救急車の中で泣いた。 |