熱気に湿るこの気持ち分かるまいよキミには




 

太陽が照りつける。それでいて空気は湿っている。
最悪だ。なんて悪天候、と泉は雲一つない空を見上げて思った。
野球と言えば甲子園、季節で言えば夏というのは定番だ。その時期になれば、特別なことがなくても何となく浮き足立つ気分にはなるが、しかし泉は夏という季節を好きにはなれないでいる。
練習は良い。
汗をかくのも疲れるのも、練習の為にであれば良いのだ。第一、練習の間に汗をかくから夏はイヤだな、なんてことを思う余裕など有りはしない。
ただそれが、ひとたび練習が終わると途端に嫌悪と不快感に変わる。
土でざらついた指先でうっかり顔にでも触れてしまえば、ニキビ跡にひきつる痛みが走る。しまったと掌で覆うようにしても、その手も汚れているものだから結局あまり意味はない。風呂に入って顔を洗いたい。ザバザバと豪快に、薬用洗顔剤で二回はアクネ菌を洗い流したい。
そういうことを思っている時の泉は大抵不機嫌なのだが、その理由を聞かれたところで女のような不満を言うことが嫌で平静を必死で装うようにしている。
ここで幸いなことに、泉は元々少し気の短いところがある。口調もどちらかと言えばきつい。
苛立つ泉に周りがいつものことかと反応することを、阿部と同列に見られているようでおもしろくないと思う反面、深読みはしないでもらえるところが泉にとっては喜ばしい。
まだ昼前だと言うのにじりじりと照りつける太陽が、汗と脂をにじみ出させる。泉は手の甲で頬を拭った拍子にしまったと顔を歪めた。次に襲ってくるのは鈍い痛みだ。
あーぁ、と内心深いため息を吐く。
泉が朝起きた時、頬にはれぼったいような熱さと痛みを感じた。あくびをすれば、そこは明らかに腫れているようで上手く頬の筋肉が上がらない。
どうしたのだろうと考えるよりも先に、反射的に頬に触れるとぼわんと放熱するような痛みと共に指先に小さな突起を感じた。鏡を見ると、白く丸い発疹が一つ。その周りがわずかに腫れたように盛り上がっている。

(これは良いニキビだ)

泉は思った。潰せばさぞ気持ちよく脂の栓が飛び出ることだろう。芯のような細い脂の固まりが綺麗に皮膚の下から絞り出せた時、泉は清々しい、やり遂げたような気にすらなる時があるのだ。もちろん、すぐに赤く腫れてぽかりと開いた毛穴を見て後悔をするのだが、それでも泉はこういったニキビを見ると我慢が出来ずについ潰してしまう。
ヂュグリ。
耳奥で普段は滅多に聞くことのないような濁点ばかりの音が聞こえる。あえて例えるのであれば、使い切る寸前のケチャップがチューブから飛び出る時の音だ。
その音の余韻があるうちに、爪と指の間に固まりが押し当たる感触が続く。
白い脂の固まりが指の上でてらりと、朝日に照らされて光っていた。それを満足に思えたのは一瞬で、すぐに頬の痛みに我に返って後悔する。
腫れ上がった頬。広がった毛穴はもはや傷口となっていて、リンパ液を滲ませていた。
家を出るまでティッシュで押さえてみてはいたが、結局グラウンドに着いてもなお腫れは収まらずに、火照った痛みを泉に感じさせる。
まだ昼前だと言うのに日の光が痛い程に地上を強く照らす。汗と脂が顔にまとわりつくように滲み出ると、泉はより一層不快感を感じるようになっていた。
さっさと練習が始まれば良いと思う。そうすればニキビ跡の痛みも腫れも忘れて、気づけば固まったリンパ液の半透明な瘡蓋はあっても腫れは収まっているのだろう。
二度ほど、足踏みをする。不快感を紛らわせるためだ。
普段はグラウンドに全員が揃えばすぐにでも始まる練習が、この日は練習開始時間が過ぎても始まっていなかった。
誰もが所在なさげにストレッチをしてみたり、素振りをしていたりする。泉はアキレス腱を伸ばしている栄口の横で、さっさと始まらないもんかなとあえてはしゃいだ声で言った。
栄口はちらりと視線だけを泉に向けて、もうすぐだよとやけに断定めいた口調で返してきた。そして、それは本当に予言だったのではないかと思う程タイミング良く、ごめんね、と柔らかい声がグラウンドに響いた。

「カメラ借りて来たよ」

マネージャーの篠岡だ。篠岡は駆け足で来て汗をかいているのにも関わらず、暑さを感じさせない朗らかな笑みを浮かべて、手にデジカメを持ったまま振る。
特定の人間に向けてのことではないのだろう。そのことはその場の誰もが理解をしていて、目が合った何人かが適当な笑顔で対応している。
泉はというと、篠岡の視線の方向にいたのだが意識して目をそらしていた。
皆のように当たり障りのない笑みを浮かべようにも今上手くそれが出来る自信は無かったからだ。
早く撮ろうぜ。
阿部が気怠げに言った。
練習前に野球部員全員で集合写真を撮るのは、別に自分たちで望んだことではない。休み明けの校内新聞に載せたいからと新聞部から頼まれてのことだ。野球部だけではなく、基本的に大会に出るなどして活動をしている部活全ての集合写真を集めているようで、段取りはいくら整えてもちょっとした勘違いやすれ違いでタイムラグが生じてくる。
本来は二日前に撮られるはずだった集合写真は、当日練習試合があった陸上部が会場にまでデジカメを持って行ってしまい野球部には回ってこなかった。昨日はデジカメを所持している新聞部員が家族で出かけるからと学校には来なかった。そういうわけで、二日経ってようやく部員の誰が望んだわけでもない緩慢とした雰囲気の撮影会が始まろうとしているのだが、いかんせんまとまりが悪い。
野球となればまとまる部員も、こうして普段とは違う予定が入り込むとどうにも気がそぞろになるらしい。泉はどちらかと言えばそういった雰囲気を煩わしいと思うタイプの人間だし、何より今はさっさと練習を始めてくれという思いに占められているので篠岡が並んでよねぇ聞いてってばと笑いを含んだ声で皆をまとめようとするのにも、その呼びかけをを聞いているくせにそわそわと落ち着き無く私語をしたり犬とじゃれるのを見ていると腹立ちというよりも完全なる怒りが膨れあがってきてしまう。
はぁ。吐いたため息はぼやきにも近い。

「別に写真なんか撮らなくたって」

誰に聞かせようとしたわけでもなく、小声で呟いた。しかし、同時に誰かしらは反応をしてくれるとも思っていた通りに、栄口が写真嫌いなの?と労るように柔らかい声で尋ねてくる。

「あんまり好きじゃない」

汗でテカるニキビはなんて、改めて見たいものではない。集合写真で特にそれが目立っているように思えるから尚のこと憂鬱だ。
女じみた理由だと、泉は自分で思っていて嫌悪も感じている。しかしそれでもやはり気になるのだから、それはよほどのコンプレックスなのだ。
栄口が笑っている。嫌な感じのするものではない。どちらかというと、それは「微笑み」である。

「俺も、あんまり写真は好きじゃないよ」
「へぇ、意外。お前写真で笑った顔とか作るの上手そうなのに」
「ううん、別に写真を撮るのがどうってわけじゃないんだけどね。葬式のさ、遺影とか思い出しちゃうんだよね」

なんだそれは。
泉は絶句した。
泉にとって栄口は良い奴だった。
相手の言うことには相槌を返すけれど、それは相手の嫌がる部分を上手く避けたソツのないものだ。自分のことを言う時も、相手を気まずくさせたりすることなどなく当たり障りのないことを言う。
それが泉の持つ栄口像だ。

(それなのになんだ遺影を思い出すって。なんだそのシリアスな理由は)

無言を気まずさ故と捉えたのか、栄口は慌ててごめんと早口に謝ってくる。
そして気遣わしげに、泉は何で写真嫌いなのなどと聞いてくるのだ。
この気遣いはいらない。
泉は心底思った。頬が痙攣して、腫れた部分がぼんやりと痛む。じっとりとした不潔さを自分のその痛みの中に感じて(何せニキビを潰した跡の痛みだ)そんなことは到底知らないであろう栄口は、健気に笑っている。

「だって写真になっちゃえば、俺が古くなるからさ」

椎名林檎の歌詞をそのまま口にする。思い切り適当な答えなのに、栄口は人の良い笑みを浮かべて「上手いこと言うなぁ」と感心すらするのだ。
ますます本当の理由など言えるはずもなく、泉は苛々と未だにまとまらない部員に早く並べよとキツイ口調で言った。
田島が犬とじゃれている。
三橋は列から離れた場所で挙動不審に視線を左右させている。阿部がそんな三橋を呼んでいるのだが、その声にある苛立ちを感じ取ってか三橋は一歩も近づいてくることはない。

「三橋」

泉が呼ぶその声にも苛立ちが混じっていた。腕を引っ張って強引に列の中に入れて、そのついでに何度言っても犬から離れない田島の襟首を引っ張って「写真!」と一言。
良く見れば前列は栄口以外が全員、犬にかまけているようだったのには呆れた。

(花井までもが!)

泉は心の中で大袈裟に叫び嘆く。
行くよー、と篠岡の呼びかけが聞こえた。
デジカメはセルフタイマーのランプを既に点滅させている。栄口と西広が篠岡の場所を指で指し示してやっている。
三橋はこの期に及んでも尚列から離れたがるように落ち着かない。
手、冷てぇなぁ。阿部が三橋の手を握っていた。
止めろ馬鹿。事あるごとに手なんか繋ぐんじゃねぇよ馬鹿。お前はホモか気持ち悪ぃ。
泉は内心で阿部の行為を散々に貶した。チィと舌打ちが飛び出る。

「泉、なんか苛立ってるね」

栄口は横目で泉を見て言う。そして分かるよ、と続けた。

「苛立つよね」

栄口の視線の先には阿部と三橋がいる。阿部は相変わらず三橋の手を握ったまま、こんなことで緊張してたりしたらこの先持たないだろうなんてことを言って諭しているが、そんなもの泉にとってみれば手を握る口実にしか聞こえなかった。

「俺も、あんまり好きじゃないんだ」

栄口が言う。笑っているようで、目が真剣なところが少し怖いと思ったのは、意外と小さな瞳と白目のコントラストが普段は笑顔に緩和されているだけだったのだと気づいたからだ。

「俺何も言ってないけど」
「嫌いでしょ?」
「写真が?」
「じゃなくて」

なぁ分かるよ。俺もだもの。
栄口は主語を抜かした会話を続けようとして、じれったそうな口振りで言う。
本当は泉だって栄口が何を言わんとしているか分かっていた。
分かっていても分からないふりをしたのは、本心が見透かされていることが悔しかったからだ。

「ホント、嫌だよね」

人の良い笑顔で栄口は言う。
なんだそれは。
先刻と同じ事を心中で繰り返す。お前はそんなんじゃダメだろ。どこまでも平等でお人好しで当たり障りのない「良い人」のはずだ。

「お前の言ってること、良く分かんないよ」

悔しさ紛れに言った言葉にも、栄口はただ笑っていた。そのままで栄口は前に向き直ると、駆けてくる篠岡に早く早くと実に誠実そうな声を出して急かしている。
上手いよなぁ。
泉は舌打ちをした自分にさらに舌打ちをしたい気分になった。

(おもしろくない。ニキビ跡は目立って写るんだろうし、それは隣が三橋だから余計に際立って見えるに違いないんだ。男のくせにツルンって毛穴も大して目立たない三橋の顔と、ニキビ跡だらけの俺の顔と。そんで三橋の逆隣はやっぱりニキビなんて無い阿部がいるから、やっぱり俺の頬の腫れは目立って写るに決まってるんだ)

「やっぱ写真なんて嫌いだよ」

栄口がちらりと振り向いて、そうだよねと相槌を返してきた。
それもまた、嫌いだよと泉は思った。







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