最低だ最悪だ。きみってば僕にはなんの反応もしてくれない。笑いかけてくれるよ泣いて困らせてもくれるよ。けれどもそれはどれも僕のことを思ってじゃないんだ。最低だ最悪だ。好きで好きで仕方がないはずのきみのこと、この瞬間とても憎くて仕方がないんだ。
これが理だとは微塵も思いません 「あっ」 不意に三橋の口からこぼれた小さな悲鳴に、泉が見ると彼は血の流れる手のひらを抑えて呆然としていた。 「わ、お前切っちゃったの?」 慌てて聞くと、カッターの刃をしまい忘れたのだと泣き出しそうな声で言ってくる。 グループに分かれてのレポート作成の中で、三橋は集めた資料を切り貼りする分担になっていた。いくら鈍い三橋でも、というより鈍いからこそ慎重にやるだろうと思っていたが、それは甘かったようだ。 しかし、泉には三橋を責める気も諫める気もない。 向かい合って作業をしていた浜田と田島も、心配そうに三橋に声を掛けてきている。 だんだんと痛みを感じてきたのか、三橋の顔が青ざめてきたので泉は食って掛かるような態度で三橋の様子を気にしている二人を押しやって、三橋の背中に手を当てて「保健室連れてくわ」と簡潔に言った。 センセェ、と適当に断りを入れるとあっさり許可は下りた。まぁ、高校にもなればこんなもんかな、と気軽な態度の教師を一瞥しながら、手際良く部活用にと持ってきていたスポーツタオルで傷口を抑えてやる。 「じゃ、行ってくる」 三橋の体を支えるようにして立ち上がらせると、その泉の腕を田島が思いきり引っ張る。 「イズミイズミイズミ!俺が行くよっ」 「バッカ、危ないだろ。こんなんじゃ、お前が一緒だともっと危ないから駄目」 お前はさっさと自分の仕事しとけ。 手のひらを一振りしてあしらうと、田島はずるいぞとさらに腕を引いてきたので、思わず声を荒げて止めろと怒鳴る。 「あのねぇ、自分の欲求と怪我人の処置。どっちが優先?」 「三橋だけど。だけどさぁ、俺が行きたいんだってば」 駄々っ子のような口調で言う田島に泉は若干の苛立ちを感じながらも、何とかその感情を抑えて浜田に向き直ると目線で田島を止めるように促す。 浜田は泉の求めるところを理解したようで、へらりと緩い笑みを浮かべた。 「まぁまぁ田島。俺ら全然これ進められてないしさ、とりあえず三橋は泉に任せとこうよ」 片肘を付いたやる気のない態度に気を抜かれたのかどうかは泉には分からなかったけれども、田島は浜田の言葉に一瞬感情の高ぶりを見せかけて、しかし一瞬の逡巡の後でそれを堪えるように唇を堅く結ぶ。そして、珍しくもため息を吐く。 「だって」 「連帯責任。これで成績付かなくってさらに留年、なーんてなっちゃっても困るしね」 浜田はいかにも可笑しそうに声を上げて笑いながら机を叩いた。 笑い事じゃないだろ、と泉が呆れたように言うと浜田はそれもまた愉快で仕方がないといったようにゲラゲラ大げさに笑う。 「そう、笑い事じゃないの。そんで、三橋の怪我も笑い事じゃないの。早く連れてってやってよ、泉」 「言われなくても」 泉はちらりと田島の様子を伺う。 横目の視線は睨め付けるような力強いものではなかったが、田島の意識を向けさせるには十分だったようで二人の大きな瞳が宙でかち合った。 あ、生意気な目ぇしてる。 泉は田島の視線に、カチンと腹が立つのを感じた。 けれども、今はそんなことにかまけている場合ではないと働きかけてくる理性も残っていた。 「いってくるわ」 素っ気なく言い放ちながらも、それとは対照的に優しく三橋の背中をそっと押す。 「おう」 浜田も、どちらかと言えば気もそぞろで素っ気なく返してきたのに、田島だけがやはりさっきと同じような強い視線で泉を見てくる。 「今度は絶対、俺が連れてくんだからな」 「はいはいはい」 「絶対。絶対になんだからな」 不意に制服の袖を掴まれて、泉はまたかとあからさまに眉をしかめた。田島は泉の表情の変化に気づきながらも、彼らしいどこか子供のような笑みを浮かべて続ける。 「いーか?泉ばっかが、三橋の保護者じゃないんだからな?」 「っていうか、保護者のつもりないし」 泉の言葉は無視された。まぁ、言わんとしていることは分かっていえ、わざと切り返したのだから別段困ることでもない。 いい加減、三橋を待たせることが嫌で、泉はもうあとは何を言われても無視して出て行ってやろうと決めた。 田島が言う。 「浜田なんてずーっと前から三橋のこと知ってんだぞ」 追いかけてくる言葉に、浜田が「俺は関係ないよ」と笑いを含んだ声で返すのが聞こえた。 ムキにならないなんて、さすがに浜田は一つ年上なんだなぁ、と普段バカにしていたことを少しだけ(本当に、ほんの少しだけ)反省した。 教室を出て二人きりになったところで、泉は三橋に浜田と自分じゃどっちが話しやすいかなんて聞こうとして、その厭らしい心中に一人顔を顰める。 「三橋、傷痛い?」 自分の思考を誤魔化す為に言ってから、なんて当たり前のことを聞いてしまったんだろうと、立て続けに今度は謝った。 三橋は青ざめた顔で、ほろほろと涙を流して傷口があることにも構わず手のひらで涙を拭う。傷口を押さえていたタオルがずれて、目元と頬に血が滲んだインクのように伸びて付く。 「こすったらダメだよ」 慌てて言うのも聞かないで、三橋は続けて涙を拭う。 顔中血だらけで痛々しい。その血の跡は、涙で滲んで赤い雫を三橋の頬から顎に伝わせる。 「三橋三橋。お願いだから、止めてくれよ」 懇願するように言う泉の方が、三橋よりもよっぽど痛みを感じた表情をしていた。それでも、三橋は泣きやむことを止めずに、どこか情緒不安気味に唇をわななかせる。 「三橋ぃ、痛くて泣いてるならそう言ってくれよ。他に理由があるなら、そう言ってくれよ」 泉は少し泣きたくなってきた。 それでも、なんとかすんでの所で堪えて、強気に言ったつもりなのに、その声は頼りなくてそれに気が付いたことで、情けなくて仕方が無くなってきてしまう。 (俺って、こんなに女々しい男だったのか) 三橋が泣いているのを見ていながら、それを上手く宥めることしか出来ないでいる。これでよくも、世話役だなんて自負していただものだと恥ずかしくなり、それから切なくなる。 (俺じゃダメなのかな) 聞いてみたいけれども、それを今聞いたとしたらそれこそ自分が嫌いになってしまいそうだった。 なんて言い訳で、本当は聞いて否定されてしまうことが怖いのだ。 情けない、なんて情けない。 泣いている三橋を見ていると、そんな気持ちはさらに深いところまで泉を落ち込ませてくれてしまう。 だから、とにかく三橋に泣きやんでほしくて、外れてしまったタオルをまた手に巻いてやって、顔をのぞき込みながら慰めてみる。 自分の制服が汚れるのも構わず、三橋に肩を貸してやりもした。 三橋の顔を自分の肩に抱き寄せるようにしても、特に何の抵抗をされることもない。三橋が平常心であるときにこうであれば、それほど嬉しいこともないのにと思いながら、一体何が嫌で三橋がこんなにも錯乱してしまっているのかに検討を付けられないでいることが悔しくて仕方がない。 「あ、修羅場?」 「んなわけないだろ、バカ」 不意にした声に驚きもせず、泉は淡々と言って返した。 「何で来てるんだよ田島。浜田まで」 へらりと笑って立っている田島と、少し困ったような表情の浜田。それぞれを一瞥して、睨み付ける。 田島がニヤニヤと笑ったままでいることが、その場の空気には合っていなくてとても不謹慎だと泉は思った。 だいたい、来るなと言っておいたはずなのに、何浜田まで一緒になって来てるんだよと腹立たしく思いながら、三橋を刺激したくはないからと思い切り顔を顰めたくなるところを堪えて奥歯を噛みしめるだけに留める。 「うん、多分そろそろ困るんじゃないかと思ってさ」 三橋が血だらけで泣いている、泉は苛立っている。そんな中にいて、一体何が愉快なのか田島は笑みを浮かべたままで、飄々とそんなことを言う。 「お前は何様だ」 「俺様とかっつたら、泉怒るよね?」 「キレるよ」 わぁ、怖い。 冷やかすように言われて、泉は三橋をそっと自分から離すとそのまま勢い込んで田島の胸ぐらを掴み上げた。とはいえ、大して身長差のない二人だから、田島は胸ぐらを掴まれてもちょっとつま先立ちをするぐらいで、怯えたり気まずそうな素振りは微塵も見せない。 浜田がいい加減にしとけよ、と田島を諫める。 「泉も。怪我人連れてくのが優先なんだろ?」 「分かってる、行くよ。行くけど、なんでお前田島のこと止めてくんなかったんだよ。何一緒になって来てんだよ」 田島を突き飛ばして、八つ当たり気味に怒鳴りつけてくる泉を、困ったような表情で浜田が見た。 「うんまぁ、一応止めはしたんだけど」 「けど、なんだよ」 弱々しく言う浜田に、泉が食って掛かる。 浜田は不本意そうに眉をしかめて、唇を曲げた。 「多分、泉そろそろ困ってるころなんじゃないかなぁって思ってさ」 先程の田島と同じことを言う浜田に、泉は思わず手近にある壁を殴りつけていた。コンクリートの壁を思い切り殴ったのだ、もちろん痛かった。じんじんと熱を持ってくる拳に、泉は少しだけ考えなしの行動を後悔したけれども、気まずいことが嫌で何事もないように必死で振る舞う。 なんて、馬鹿馬鹿しいんだと自身を嘲笑うもう一人の冷静な自分が、脳内に浮かんで消えた。 「俺がどう、困ってるってんだよ?」 覇気の無い自分の声が、情けなくて悔しくて。泉は、ついぞ感じたことのない羞恥をも感じて、田島や浜田と目を合わせることも出来なくなってしまった。 だから、その時田島や浜田がどんな表情をしていたのかを、泉が知ることは出来なかったのだが「そんなに落ち込むなよ」という田島の声がちょっとだけ笑いを含んでいて、「別に、からかおうってつもりじゃないんだ」という浜田の声が同情しているかのように困惑したものであったことだけは、聞いて取れた。 「今まさに、困ってるじゃん?」 顔を上げると、田島がちゃっかり三橋の隣に立っていた。優しい手つきで肩を撫でる。下心のある手つきと思えば、思えなくもない。 「どうして分かんないのかな。三橋が怪我して泣いて、これだけテンパってる理由がさ」 「お前は、分かるのかよ」 「分かるよ。浜田だって、分かってる」 見ると、浜田が仕方がないとでも言いたげにため息を吐いた。 「俺は聞いて知ったんだけど。阿部と約束したんだろ、三橋。三年間怪我しないって」 「怪我じゃねぇよ、故障だよ」 田島の言葉に三橋が過敏に反応したのを、田島がおぉよしよしとまるで赤子の面倒を見ているかのようにあやして落ち着かさせる。田島が耳元で何事かを囁くと、泉の時とはうって変わって三橋の表情に泣くのを堪えようという努力が伺えた。 「まぁ、あれだよね。どれだけ頑張ったって適いやしないんだよ。ちょっと阿部のことを引き出して慰めりゃ、三橋はすぐにでも健気に立ち直ろうとするんだから」 今みたいにね。 浜田は、寂しそうに三橋と田島を見比べる。 肩を竦めて、だから仕方がないよと慰めるように言われたのを、泉は睨み付けてそれ以上先を言わせないように黙らせた。 「俺、阿部と三橋のそんな話、ぼんやりとも知らなかった」 独り言のつもりで言った言葉に、田島が歯茎を見せてニィと笑った。 それから、つつっとすり寄るように泉に近寄ってきて(気色悪い、と泉は心底思った)「つまり、そのぐらい、都合の悪い情報だって集めてしまいたいぐらいに、三橋のことが好きなんだよ」と囁いてきた。 なま暖かい吐息に、耳が湿る。 本当に気色悪い。 泉は顔を顰めて、田島と浜田に唾でも吐きかけてやりたいような気分になった。(それと、阿部にも)(当然だ!) |