夢見心地





よくよく考えてみれば三橋は男だ。いや別に良く考えずとも、三橋が男だということは明確な事実だ。まだ低い背は今から人並みに伸びるだろうし、細く頼りない体格だってそのうち男らしいしっかりとしたものになっていくだろう。声だって今より低くなるかもしれない。女が成長とともに帯びてくる丸みや艶やかさとはほど遠い、平べったくて堅い男の体は触れたとしても微塵も性欲をかき立てられやしない。
頼りない首筋ばかり印象に残っているのは、三橋は俺といるときに顔を上げることが滅多にないからだ。視線は合わず、俯いたまま喋られて小さく不明瞭な声はますます聞きにくいものとなる。聞こえないと、そう問う口調は意識して柔らかいものにしているというのに、それでも三橋は怯えたように肩を奮わせてますます首を擡げてしまうのだ。
大丈夫だよ怒ったりなんてしないよ殴ったりなんてしないよ蹴らないよ詰らないよ。普段は絶対に出さない甘ったるい声で言ってやったとしても、三橋はやはり視線を合わせては来ない。
好きって言ったら頷いたんだから付き合ってるってことだろなんでそうやって俺を拒絶するんだよと、俺は非常に腹立たしい思いで一杯になった。好きなんだろ俺のこと、と三橋に問う。三橋は小さく頷く。だから、俺も好きだよと言うのに拒絶に近い態度を取られるのだ。
俺に優しくしないで、と三橋は言った。
好きなんだから優しくしたいよ、と俺は返す。
だけど優しくしないで、と三橋はまた繰り返す。
優しくされるのは怖い、と言うものだからそれじゃぁ酷くすればお前は喜んでくれるのかと俺はその頬を思い切り平手で張った。腹立たしさもあって遠慮なく打ったので、その平手打ちは小気味の良い音を立てて三橋の頬を赤く腫れ上がらせた。
三橋は目を見開いて驚いていた。最も驚く三橋の顔なんて、とっくに見慣れてしまっているからそれ自体には何の感慨も湧かなかった。悪いことをした、という気すら起きなかったのは驚く三橋の表情に、わずかに安堵感を窺い見ることが出来たからだ。
優しくしないでってそういう意味なの?と問う。
三橋は首を傾げて、何がと惚ける。
そういう意味なんだろそうなんだろ、と俺はたたみ掛けた。そして三橋は頬を抑えていた手を下ろして怯えたように、俺の胸を突っぱねる。
その瞬間、俺はもう一度三橋の頬を打っていた。
さらに腫れ上がる頬、反動で噛みきってしまったらしく唇からは血が滲んでいる。その血を、意識した様子は無しに三橋は舌で舐め取った。
ほらやっぱりそういうのが好きなんだろ。詰られて痛くされるのが良いってことだろ、と俺はまだ三橋の唾液で湿っている唇の傷口に歯を立てた。顔を近づけた時お互いの吐息が鼻先にかかる程の距離になってわずかに三橋に抵抗されたが、それはとても弱々しいものでとても「抵抗」と言えたものではなかった。嫌なら、もっと大袈裟に暴れてみせるだろう。
だからやっぱり三橋は俺のことが好きなんだな、と思いながらキスにも似た行為を遠慮なしに実行したのだ。
前歯で傷口を噛むと、血が滲んでしょっぱさと鉄臭さが口の中に広がる。さらに強く噛み続けると、ゴリッと低い音が一つして小さな肉片が舌の上に転がり込んでくるのを感じた。
痛い、と三橋は呟いた。
けれど、どこか陶酔して見えたのは勘違いではないはずだ。その証拠に、三橋は痛いとは言いながらも、顔を背けることすらせずに俺の行為を享受していた。
今まで気付いてやれなくてごめん、と言って今度はごく普通にキスをした。好きだと告げる前に、首を軽く締め上げる。
三橋は苦しそうに呻いたが、やはり抵抗はしない。徐々に首を絞める指に力を加えていくと、親指の下で喉仏がごろりと動いた。
三橋好きだよ。
締め上げたまま言う。
三橋の目はぼんやりとうつろで、顔色は赤黒い。
俺も好き、だ、
掠れた声でそう言う三橋の言葉がとても嬉しくて、俺はもう一度キスをした。首は絞めたまま、舌を絡めて歯茎の裏をなぞって好きだ好きだと連呼するとそれだけでイッてしまえそうなぐらいに興奮した。

「って夢見たんだけど、どう思う?」

田島は大きな眼を見開いて、浜田を見上げた。
真っ昼間の教室であっけらかんとした口調で話すには似つかわしくない内容に、浜田はどうもこうもと口の中でもごもご発音をするだけでいっかりとした答えを田島に返せずにいた。
その様子を田島は焦れったそうに見て、どうかこうかあるだろと大声で言う。

「だってさぁ三橋は男なのにさぁ。夢の中でだって俺は三橋に色気とか感じてなかったわけじゃん?それなのに好きでキスする夢なんてさぁ、おかしいじゃん?」
「おかしいって思ってるんだったら、それで十分だ」

浜田は安堵したように息を吐いた。

「ていうか、そういうのいくら夢とは言え趣味疑われるから、あんまり人に言わない方が良いよ」
「言ってない。浜田が最初」
「ならいーけど」

机を指先でタンと叩く。いーんだけどさ、と浜田は焦らす物言いをした。
田島は素直に何だよと聞いたが、素直には答えずにいやさあのさ、と言葉を濁すばかりでなかなか続きを口にしようとはしない。

「言うつもりないんなら、そういう言い方すんなよー」
「ごめん。正直、まだ言うつもりは無かったんだけど、でもちょっと田島の話聞いたら言っておきたくなったっていうか」
「だから、何を」

田島が急かす。

「絶対、まだ誰にも言わないでくれよ」

そう前置きして言われたことに、田島はまず動きを止めた。瞬きも呼吸すら一瞬することを忘れて、それから次に浜田を凝視した。
頼むよ絶対に言いふらすなよ、と言う浜田は田島らしからぬ静かな反応に不安を感じているのか早口で言ったが、それでも田島はただ浜田を凝視し続けた。
沈黙が続く。
教室のざわめきが、かえって二人の間会話がないことを不自然に浮き立たせる。居たたまれ無さに視線を彷徨わせる浜田は、ふと三橋の名前を呼んだ。
その声に反射して顔を上げた田島の視線の先には、菓子パンを片手に浮かれた様子で教室に入ってくる三橋の姿がある。
田島は勢い良く立ち上がった。ガタンとイスが派手な音を立ててひっくり返ったことも構わずに、三橋のところへ直進すると田島の行動に面食らった三橋の腕を引っ張ると方向転換させる余地も与えず半ば引きずるように連れ出した。
菓子パンが三橋の手から落ちて、それを田島は蹴飛ばしてさらに踏んづけてしまっても、何の反応もせずにただ早足で歩く田島を、三橋は不安そうに何度も呼んだ。
途中から涙声が混じっていたが、まるで構う様子は見せない。

「おかしいだろ」

トイレの個室でしっかりと鍵を掛けてから、田島はそう三橋に言った。
責め立てる口調は、普段の田島なら絶対に三橋に向けるはずのないものだ。田島は端から見れば適当に見えるが、それでも彼なりにしっかり三橋を大切に思っていた。
末っ子である田島は、自分を頼ってくれる三橋を弟のように感じているところがあった。だから、三橋は田島にとって友達でチームメイトで、兄弟でもあるとても比重の大きな人間だったことに間違いはない。
事実、ちょっとでも三橋を泣かせるようなことを言った相手に田島は容赦しなかった。
それなのに、今はその本人が三橋を責めているのだ。

「なんで、こんなことになっちゃってるの?」
「た、田島くん?なんの、は、話、」
「浜田のことだよ」
「は、はまちゃん、」

三橋の目が不自然に泳ぐ。
田島はそれを見てますます激昂すると、壁に三橋を押し付けて「おかしいよ」と繰り返した。

「お前は男で俺も浜田も男で、だけど浜田はお前と付き合ってるだなんて馬鹿げたこと言うんだ。おかしいだろ。俺は俺で、お前とキスする夢なんて見ちゃってるんだ。なぁおかしいだろ。おかしいことばっかりだ」
「田島、く、」
「おかしいことばっかりだ。っていうことは、あのおかしいって言われた夢の話も本当は事実なのかもしれないよな。あれは実際にあったことで、だけど俺があの時ちょっとショックを受けたとかでトラウマになってそこだけ記憶喪失になってたのかもしれない。そうだ、そうに違いない」
「ごめ、お、俺何を言われてるのか、わ、分からない、よ」

三橋はついに泣き出してしまった。頬を伝う涙を、田島は無遠慮にべろりと舌で舐め取る。
しょっぱい。
言いながらも、もう片方の頬も同じように舌を這わせると三橋がひぃと小さく悲鳴をあげた。
怯えられたことが癪だったのか、舌打ちを一つ田島はした。

「俺、知ってるよ」

俯いて隠れてしまっている首元に指を潜り込ませる。
肩が揺れたがそれでも抵抗とは程遠い仕草に、ほらやっぱりと田島は口を両端に引いて笑った。

「知ってるんだって。三橋がどうすれば喜ぶのか」

親指の下で喉仏がごろりと逃げるように動いた。田島がそれを逃すまいと、さらに強く圧迫するとぐぅと三橋が呻いて痙攣した。

「好きだろこうされるの。そんでこうしてあげる俺のことも、好きだろ?」

ドアが激しく音を立てて鳴った。三橋三橋!浜田の声に三橋は答えない。
顔を赤黒く染めて目をきつく閉じて、それはキスを強請る合図なんだと田島はドアの外で怒鳴り続ける浜田におあいにく様とほくそ笑んだ。
好きだよ三橋。言った言葉に閉じられていた目が開かれる。
浮かんだ拒絶の色に、田島はあぁまだ足りないかとさらに強く三橋の首を締め上げて好きだよ大好きだよと繰り返す。

「そうだ、やっと分かった。俺、お前のこと好きなんだよ」

三橋の目尻から涙が頬を伝った。見開かれた目に浮かぶ感情が拒絶か恍惚かなど、もはや判断は出来ない程赤い。
高ぶった感情のままに、自分の都合良く思い込むことも出来たかもしれない。しかし、三橋が浜田にか細く助けを求める声に、それは叶わなくなってしまう。
あれおかしいな、田島は首を傾げた。三橋はこうされるのが好きなはずなのに何で浜田のことなんて呼ぶんだ有り得ないよ夢じゃ確かにこれで良かったはずなのに夢では。

(そっか、そもそも有り得ないのはあっちもこれも夢だからか)

なら早く目を覚ましたい。
田島は目の前で、顔中を鬱血させた三橋を冷ややかな目で見た。首を絞める。浜田の声が遠ざかる。三橋の体温を感じなくなる。一瞬の意識の途切れに、ハッと顔を上げるとそこは教室だった。
ざわめきの中で、花井に呆れた顔で見下ろされていた。

「お前寝過ぎ」
「へんな夢見ちゃった」

どんな、と適当な相づちと一緒に手を差し出された。

「ノート返せよ。次使うんだよ」
「マジ変な夢だった」

みっちりと教科書が詰まった机の中からノートを引き抜くと、反動で机がガタンと揺れた。あと三橋は?と花井がよれてしまったノートを几帳面に手で伸ばしながら聞く。

「知らね」
「あいつも俺のノート持ってんだよ。あれ、浜田もいないじゃん。泉はさっきうちのクラス来てたけど、お前だけって珍しい」
「知らないって」

浜田と三橋という組み合わせは夢見のせいで、耳にするだけで腹立たしかった。
しらねーよ、田島の言葉に被さるように廊下から異質なざわめきが聞こえてきた。
トイレで誰か倒れてるって。ヤバいよ息してないって。
ヒステリックな叫び声に近い会話は、容易に田島たちの耳にも届いた。

「俺は、知らないよ」









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