弾ける炭酸は爽やかではなくてアルコールの匂いばかりが含まれている。時間が経つにつれすえた匂いに変わるそれは、そうなる前に胃の中に収めてもやはり吐き出す息となってその酷い匂いをまき散らす。その匂いに気分を悪くして吐き気を覚えて、

それでリバースだ
吐き出せないのは本音だけだ






缶チューハイを片手に持つ。汗をかいた表面に指先が滑るが深く持ち直すことでそれは解消される。
向かいで乾杯と言うよりも先に缶ビールを飲み始めている田島に、なんだか不思議な感じがするよと言うと目線だけを上げて言外にどうしてだと問われた気がした。
田島はぐいと喉を反らせて勢い良くビールを飲む。
酒に強い、という印象があまりにも似合うものだから程々にしておけよなどというありきたりの言葉も出ては来ない。
ぐいぐいと、淀みないペースで缶ビールの中身は消費されていく。もちろんグラスではないのでどれほど飲んだのかということが一目に分かるわけではないが、田島は缶ビールのプルタブを開けてからまだ一度も机に缶を置いてはいないので、既に半分以上が田島の胃に収められているに違いない。
変な感じだなぁ、と花井は言う。
だから何が、と田島は相変わらず飲み口から唇を話さずに言った。

「だって、酒をさ飲み交わすなんて昔じゃ考えられないだろ」
「そりゃぁ、生きてれば年も取るし酒も飲めるようになるよ」
「そうだけど。田島は、この状況を不思議には思わないのかよ?」
「思わないね。それだけ俺らが年を取った。それだけのことじゃん」

随分と老成したことを言う。花井は、まだたかだか二十歳を一年超えたばかりの自分たちの年を考えて田島の言葉に違和感を感じた。
田島の言うことは結婚して子供も生まれて、そのぐらいの年で出てくるに相応しい言葉だと思ったのだ。
自分たちはまだ就職も出来ていない。ただ日本という国の社会ではで大学に行くことが当然のような風刺があって、それに逆らうことなく無難な進学先をそれぞれに選んだだけの話だ。
あれほど夢中になっていた野球も、花井はもはや週に一度サークルでやる程度になってしまっている。
野球は好きだが、いつまでも続けていられることではないと気づいたのは卒業間近の真冬だった。人よりは上手い。けれど、非凡ではない。この微妙なバランスの上に立っている自分はこの先それだけ努力して野球を続けたとしても、結局はプロを目指したところで二軍で終わる選手に違いないのだ。
卑下しているわけではなく、それは三年間田島といういわゆる「天才」を見てきて実感したことだ。
だから花井は大学進学を選び、それと同時に野球から離れようとした。結局は完全に離れることなど出来ずに、野球サークルに所属している。ちなみにこのサークルの勧誘のチラシには「目指せメジャー!野球は無理でも飲んだらメジャー級!」という野球というよりも飲みサークルを主張するような文句が入っていた。
野球から離れようと決意した花井には、その意味も通じなければくだらないことこの上ないキャッチコピーがとても魅力的に見えたのだ。
そんな調子だから、野球などは学生時代にほとんどやっていなかったようなものだ。それに相反するかのように田島は卒業後のプロ入りが決まっているようで、相変わらず野球漬けの日々を過ごしているようだが、そのことを花井は深く聞くつもりはない。
聞いてしまえば虚しくなるだけだ。
未だに密かに持ち続けている田島への羨望とライバル心は、卒業が近づくにつれてコンプレックスとなり花井の脳裏を過ぎり苛む。

「そういえばさ、花井内定決まったって?」

おめでとうと、こればかりは高校時代から変わらない歯茎を見せるような大袈裟な笑顔で言ってくる。
花井は曖昧に頷いて、まだ内々定だよと吐き出すように言って返した。
田島はそれでもめでたいことだ、と缶を指先で潰しながら笑った。

「俺の知ってるヤツはさ、もう三十社ぐらい受けてるのに、全然決まらないってかなりヘコんでるぐらいだし。やっぱ花井はスゲーなぁ」
「会社に拘んなきゃ決まるよ普通」
「そう言えるってのがやっぱスゲー」

二本目の缶ビールを空ける。
プルタブを開けた飲み口から炭酸が抜けてキレの良い音が鳴る。
喉を鳴らして一気に飲む田島に、見ているだけで花井は軽く吐き気を憶えて思わず手に持っていた缶を机上に置いた。

「飲み方、無茶だなお前」
「別に。俺はこれで潰れたことないし」

言っている傍から高く缶を掲げるようにしてビールをあおる。何か腹に入れながらの方が良いんじゃないのか、と言いかけてふと机の上のつまみに目をやると乾き物が既に半分ほど皿から消えていた。
花井は全くといって良い程に手を付けていないので、田島が食べていたことになる。要領が良いなと、大袈裟なことを思って花井は田島が飲む姿を凝視してため息を吐いた。
それを目聡い田島は即座につっこんでくる。

「なんだよ。疲れてる?」
「良く飲むし食うなって思ってただけだよ」
「だって食欲ってキホンじゃん」
「今は良いけど、そのうち気が向くままに食べてたりしたら太るようになんだよな」
「まだ、そんな年じゃないし。だから良いの。それに俺、今より痩せたりしたらヤベーもん」

そういって腕を前に差し出してくる。筋張った腕には筋肉が付いていることが一目で分かるが、それと同時にほっそりと頼りなくも見える。
しかしその腕は高確率の打率を生み出すのだ。どれだけ筋肉を付けようが背が伸びようが関係ない。人には生まれたときから才の容量が決まっているのだ。そして田島はそれがとてつもなく大きい、と花井は思っている。
高校時代にはそれで良く意地になったりいじけたりしたものだが、花井にとってそのころの感情は今感じている薄暗いものに比べればずっとマシなものだった。
花井は田島の腕をじぃと凝視する。
細い、と嫌みではなく率直な感想を言うと田島もケロリとだよなと返してくる。

「俺さぁ、毎日ちゃんと筋トレしてんのよ」
「そりゃ、未来のプロ選手だし当然だろ。俺は就職して毎日働いて変わり映えない日々過ごして、中年になってブクブク太ってって終わりよ」
「ひねてるなぁ」

キシシと、子供のような声を出して笑う。それでいて、その息は酒臭い。

「そんなんじゃ三橋に呆れられるよお前」
「なんでここで三橋なんだよ」
「だって一緒に住むんだろ?」
「住むよ。住むけど、だからなんで?」

田島は派手な音を立てて缶を机の上に叩き付けるように置いた。別に苛立っている様子はない。元々田島の言動はどこか大袈裟なのだ。
それがアルコールが入ったことによってさらに助長されているのだという予想を立てることは、高校時代から付き合い続けている花井には難しいことではなかった。
やれ、とため息を吐いて許容出来るのはその付き合いの長さ故にだ。
吐き出すアルコール臭い息が、鼻先に掛かるほど近くに顔を寄せられる。

「だって花井と三橋は付き合ってるんだろ?」
「は?ねぇ、お前酔ってるよ」
「酔ってねぇよ」

俺ザルだもん、と言う口調は確かにまだはっきりと滑舌も良い。しかし言われた事は明らかに常軌を逸してると花井はわずかに苛立ちを覚えた。
からかっているのだとしたら質が悪い。

「一緒に住むだけだって。そこでなんで付き合うだなんて、そんな話になるんだよ」
「花井は三橋のこと好きなんじゃないの?」
「好きか嫌いかで言ったらそりゃ、好きだよ。嫌いじゃねぇよ。でも、お前の言うのって、それ、ホモじゃん」

花井らしいなぁ。
ケケと笑って田島は、喉仏を見せて一気に缶の残りを空けた。早い。
そのまま三本目を何の躊躇もなく開けると喉仏を見せて飲む。飲みっぷりの良さに、中身はスポーツ飲料か何かなじゃないかとすら花井は思って、一蹴する。
花井も飲めよ、と勧められたたったそれだけのことにこめかみがひきつる苛立ちを覚える。
飲んでるよ、と言った口調は極力平静を装ったつもりなのに、どこか剣のあるものになってしまって一人で落ち込む。
しかしそれと同時に、ネチネチとした意地悪心が湧き上がってきた。

「あのさ、男同士ってことじゃなくて、どんな場合でもだけど。好きだから付き合うとかすぐに決めつけるのって、ようするにあんまり相手と慣れ親しんでないんじゃないの?好きですって言って承諾もらってって、まるきり契約だろそれ。別に俺、三橋とそういうんじゃないんだよね」
「何言いたいんだよ」
「三橋は俺となら住みたいって言ったんだ。俺も、提案したけど。別に好きとか嫌いとかじゃなくて、三橋は俺のこと信頼とか信用とか、そういう風に感じてるんだよな多分」
「阿部は」
「別格だろ。三橋にとっての阿部と誰かを比べるなんて、そんなのする方が馬鹿げてる」

そりゃそうだ。
田島が素直に頷く。しかしその刹那に見せた無表情に、花井は背筋が粟立つのを確かに感じた。
それは、優越感と怯えだった。
田島は三橋に恋心を抱いている。花井はそれと知っていて、だけど別にわざわざ聞き出すこともしたことはないし、これから先仮に打ち明けられたとしても応援してやるよなんて言う気もさらさらない。
野球は田島の方が上手い。(なんたってプロ予備軍だ)
田島が全く気にしていないと分かっていても勉強では勝っているはずだったのに、結局大学に入ってみれば田島の大学の方が偏差値が高かった。(スポーツ推薦だ)
何一つ勝てた気がしない中で、三橋と同居することになったことは何よりも大きな勝ち点だった。

「三橋も、慣れると結構話すよな。お前も結構話してたみたいだけど、どっちかっていうと通訳みたいな感じで意志を汲み取ってやってるって感じだったけど。そういうの出来なくても、全然大丈夫だわ俺」
「ふーん。仲良くなったね」
「まぁ、あいつも俺も野球止めて、ただの学生だし。三橋はそれでも、まだクラブ入って頑張ってるみたいだけど」
「そっか良かったね」

笑っていない。
笑っているけれど、声がまるで笑っていなかった。

「まぁそれでも結局、阿部には敵わないってこと、すげー良く分かったけどさ。サンキュな。あれ、なんだ花井まだ全然飲んでないじゃん。飲め飲め」

ほら飲めよ、と渡された缶ビールはどういった意味合いなのか黒ビールだった。(まぁ、特に深い意味もないのだろうけれども)(黒い感情に、黒いビールに)(うんざりだ。第一俺はビールが好きじゃないんだ、と花井は内心で愚痴を零した)







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