なんだって良いさ。
なんだって良いよ。
どうだって良い。
とりあえず、こっちさえ見てくれたら。





田島の部屋は狭い上に、酷く散らかっていた。脱ぎっぱなしになった服や敷きっぱなしの布団。雑誌は辺り構わず放り投げられていて、古い型のテレビにはそれに見合わない比較的新しい機種のゲーム機が繋がったままになっている。その横に転がっているソフトのほとんどが野球ゲームであるところがいかにも田島らしい。
三橋は部屋へ足を踏み入れて、それを見つけた時にムフリと吐息を吐き出すように小さく笑った。

「やる?」

耳ざとくそれを聞きつけた田島が、きょろりと目を動かして聞いてきた。三橋はそれに首を横に振って、「俺、ゲームは、あんま、しない」と答える。
ふぅん、と気のない返事をしてから田島は、適当に座ってろよと促した。そう言うと、田島自身は腰を落ち着けるわけでもなくそのまま部屋の外へと出て行ってしまう。
置いてけぼりにされた状態の三橋は、他人の家の慣れない間取りと匂いにどうすれば良いのかと小さなパニックに陥ったが、田島の少し乾いたような声が「なんか食べるやつないのー?」と叫んでいる声が聞こえてきて安堵する。
それからようやく、散らかってろくにスペースのない床から、丁度三橋一人が座れる分だけ荷物を除けてそこに正座した。
座ってみて気づいたのは、田島の部屋は散らかってはいるけれど不衛生ではないということだった。整頓はされていないのに、ほこりが目立っていないのはおざなりとはいえ家族が掃除をしてくれているからなのだろう。
三橋の部屋もまた、掃除だけはされているのでほこりは目立たない。しかし、田島の場合は部屋に物が多すぎる。
部屋の広さの違いもあるが、それにしても明らかに田島の物とは思えないギターやサッカーボール。さらには女物の服までが秩序なく置かれている。 バタバタと雑な足音を立てて、田島が戻ってきたのは三橋が丁度部屋を一周見回した時だった。
口にはスナック菓子の袋、脇にウーロン茶のペットボトルを抱え指でグラスを二つ抓むように持っている。手伝うべきか、と三橋は考えた。しかし、三橋なのでどうしようかと逡巡しているうちに、田島はまずグラスを床に置くとそのまま掌で脱ぎっぱなしになっていた服をスライドさせて脇へ避けるとどかりと座り込んでしまった。

「ご、ごめ、」

謝る三橋に、田島は一瞬きょとんと目を大きくさせたがすぐに意を得たようで「良いんだ。三橋はオキャクサマだから」と歯茎を見せて笑った。

「ほら、足も崩して楽にしろよ。じいちゃん、もう少しで採り終わるからさ」

正座をしている三橋の膝をポンと叩いて、窓の外に視線をやる。庭に広がっているのは、自家菜園だ。良く手入れされているようで、雑草はなく遠目からも大ぶりな実がたわわになっているのが分かる。それらをテンポ良く収穫していく田島の祖父は、時折曲げている腰を伸ばして首にかけてあるタオルで顔の汗を拭う。

「て、手伝わなくて、いい、の?」
「ん?良いの良いの。あれはね、趣味だから。そんでね、三橋の家にはいつもお世話になってるからって。ナスの出来が良いから、持ってって貰えってじいちゃんが言いだしたことなんだから。そういう時は、一人でさせてやんのが一番良いんだ」
「そ、そっか」

そこまで話すと、不意に会話は途切れてしばらくの間沈黙が続いた。ただ、田島はそれを気まずく思っている様子はなく、三橋だけが俺は本当につまらない人間だなと内心で落ち込んでいただけだった。
スナック菓子の、軽いパリパリという音だけが部屋にはあった。
三橋は居たたまれなくて、もう一度部屋をぐるりと見回した。
ギターがある。サッカーボールがある。ライターまで転がっているのを新たに見つける。

「た、じまくん」
「ん」
「部屋。さ、サッカーボールとか、ギターとか・・・」
「ん」

掴んだ菓子を放り込んで、シャクリと素早く飲み込むと「兄ちゃん達の」とあっさり答えてくれる。
主語のない三橋の言葉を、田島はどういうわけだかとても明確に判断することが出来る。阿部はコミュニケーションを取ろうという努力は見えるのに、それが空廻っている。花井は、無難に分かるところだけを拾い上げて答えてやっている。
栄口や泉、それと浜田は他の人間に比べると理解は出来るようだが、それでも田島のような完璧な解釈は出来ず、本気で三橋が混乱していたり取り乱している時は、田島でなければ意思の疎通が図れないこともあるぐらいだ。 田島はどうして分かるんだという問いかけに、分かるから分かるんだよと当然のような顔でいつだって答える。

「うち狭いから、部屋も狭くってさ。兄ちゃん姉ちゃんたちがさ、自分の部屋は広く使いたいからって、あんまり使わないモン全部俺の部屋に置いちゃうんだぜ。まぁ俺はさ、野球ばっかであんま部屋にいないからいんだけどね」
「うん。や、きゅうは、楽しい」
「な。楽しいよな」

鼻先がぶつかりそうなぐらい近くにまで顔を近づけて、田島は本当に野球って楽しいと繰り返して言った。
三橋はそれに、興奮して頬を赤らめながら何度も首を縦に振って同意した。

「これで、三橋が俺の弟だったら最高なのにな」

後ろ手を付きながら言う田島に、三橋はおっと小さな声を漏らした。

「うちの兄ちゃん姉ちゃんは、みんな我が強いんだよ。喧嘩なんかしたら、絶対勝てないし。野球もあんましんないし。その点、三橋なら野球一緒に出来るし、俺三橋好きだしさ」
「お、おれもっ」

好きだ、よ。と言って、照れる。
それから、口元をもぐもぐと動かしていた三橋は、不意にクフリと口端を上げて笑った。
そして三橋にしては珍しく、自ら口を開く。

「きょ、兄弟って、みんな似てる、ね」
「なにそれ?」
「おれ一人っ子だから、よ良く分かんないけど。泉くん、お兄ちゃんいて、や、やっぱり勝てないんだって、」
「ふぅん」
「花井くんち、も。い、妹・・力は勝ってても、負けるって言ってた、よ」

大変そうだけど、羨ましい、とそこまで言って普段よりも饒舌な自分に気付き慌てたように俯いて黙り込む。
しん、と再び沈黙が落ちた部屋に、リリリと微かな虫の音だけが波紋のように広がった。
おいしょーっ、と畑から聞こえる老人らしいかけ声が、緊張のあまり気を失ってしまいそうな三橋の意識をかろうじて持ちこたえさせてくれる。
ちらりと顔を上げて田島の様子を窺うと、田島もまた三橋を見ていたようで視線がかち合う。

「いつ、そんな話したの?」

抑揚のない口調は、田島の元々持つ乾いた感じの声質がそれをさらに増長させている。
ひきつけを起こしたように喉を鳴らして、三橋は田島名前を掠れた声で呼んだ。それに対して、田島は繰り返し「いつしたの」と今度は責めるように言った。

「ご、ごめっんなさい・・・あ、俺、お、覚えてなくって・・」
「俺がいなかった時だよな?なぁ、それっていつ?いつのこと?」
「ぁ、おれ・・」
「泉は同じクラスだし、まだ分かる。でも、花井は?あいつ、三橋が一人の時になんてそんなに話しかけてかないじゃん。俺言ったよね、お前のこと好きだしって。したらお前、俺もって言ったじゃん。三橋は俺が好きなんだろ?」

顔を近づけて言う田島の息が、三橋の鼻を掠める。馴染みのあるスナック菓子の匂いが、その場に似合わない。
三橋は涙目で、田島を見上げて「好きだ、よ」とようやく答える。

「だったら、俺以外の奴とあんま深い話すんな」
「田島くんのこと、好き、だ」

ほとんど掠れて聞こえない弱々しい声で三橋は言う。

「で、でも。みんなのこと、も、俺、は好きだ」

このウワキモノと、田島が吐き出すように言った。そのくせ、三橋がついに泣き出すとそっと頭を自分の胸に押し当てて慰めるように撫でる。

「俺はみんなと一緒じゃ嫌だよ、三橋」
「たじまくん・・い、泉くんも花井くんも、優しいから、お、俺に話してくれた、だけだ、よ。みん、なやさ」

しい、と言い終わるよりも先に三橋は後ろ向きに勢いよく倒された。後頭部に強い衝撃を覚えて、うっと呻くのを田島は怒ったような顔で見下ろす。
丁度組み敷かれたような状態になって見下ろされる迫力に、三橋は目尻から涙が耳の方へと流れていくのを感じていた。

「三橋、三橋三橋三橋三橋みはし!」

自分の名前が連呼されるのを、三橋は獣の鳴き声じみていると感じていた。

「俺だけ見ればいいの。俺だけ好きでいればいいの」

じゃないと。
田島は言葉を不意に止めた。
崩れ落ちるようにして三橋の顔のすぐ横に自分の顔を埋めた田島は、耳の軟骨を前歯で軽く撫でるように甘噛みして言う。

「じゃないときっと、お前かあいつらか、殺したくなっちゃうよ」

三橋は田島の吐息に耳が湿っていくのを感じながら、みんながいなくなるのは嫌だから、殺す時は俺を選んで欲しいなと思った。
殺すだなんて、そんな出来もしないことをとは不思議と思わなかった。
そもそも、三橋は物事を深く考えることが至極苦手だったので、皮肉や愚弄などを相手に対して出来るはずもないのだ。
何かを言おうと思った。しかし、何も言葉が浮かばなかった。

「悠一郎、ナスさ入れっから、袋持ってこいよぉ」
「あいよーっ」

祖父の声に答える田島は、既に普段と変わらぬ愛嬌のある目と表情でいた。
パッと、起きあがって三橋には目もくれず廊下へと素早く出て行く。
涙の乾ききっていないこめかみが動いた空気で冷えて、三橋はぶるりと一つ身震いをした。
そして思った。
やっぱり殺すのなら俺にして欲しいなと思った。
誰かを殺すその瞬間、田島は自分以外の誰かを強く思うことになってしまうのだから、だったらやっぱり俺を殺して欲しいな、と三橋は思ってまだ湿っている耳を掌でそっと包んだ。









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