プリーズドントバイトミー




確か昨晩の天気予報では雨は降らないと言っていたはずだ。
準太は空を見上げて、深いため息を吐いた。最悪、と小さく呟くがそれを聞き咎める人影は周りに見当たらない。
学校を出た時にはまだどんよりと厚い雲が空を覆っていただけだったから、あのまま寄り道をせずに帰っていれば立ち往生することはなかったに違いないだろう。
しかし、準太は今西浦にまで来てしまっていた。試験前で部活がないからと訪ねて来てみたものの、よくよく考えてみればこの時期西浦だって試験期間であっても何の不思議もない。
それに気づいたのは活気のないグラウンドを見てからで、がっかりしているうちに雨が降りだしてきた。
慌てて屋根のある場所へと駆け込んで、質素な造りのその建物が部室であるらしいと扉の横に掛けられている看板で気付く。
サッカー部、とそれには明記されていた。
じゃぁ野球部のもあるはずだと、素早くその並びを見渡していると、左に三つ離れた部室から女子生徒が出てくるところで、視線は必然的にかち合った。人気のない校内に他校の制服では思い切り気まずくて慌てて準太が視線を反らしたのだが、その女子生徒はあっと声をあげて準太に近づいてくる。
戸惑いながらも視線を上げると、ふわふわしたくせ毛の、なかなか可愛らしい女の子でちょっと気分が良くなる。
なんとも単純なものだが、準太は自分のその反射的な思考回路がいかにも男そのものの本能を表しているようで気に入った。
彼女は準太の目の前にまで来て、「はじめまして」と朗らかに言ってきた。
やはり可愛らしい。
準太は持ち前の愛想の良さでニコリと笑いかけてどうもと返す。

「桐青の、高瀬さんですよね?私ここの野球部のマネージャーの篠岡といいます」

そういえば女の子がいたかもしれないな、と準太はほとんど覚えていなかった篠岡の記憶をほぼ無理矢理に思い出してから、あぁと曖昧に受け答えた。
篠岡はそれにもにこやかに笑って応える。

「偵察ですか?今日は試験前で部活ないんですよ」
「うん、それはうちもそうだから。来てからそう思った」

軽く笑って、でも偵察じゃないよと訂正する。じゃぁ何なのだとでも言わんばかりの篠岡の視線を準太は聡く感じとって、「ちょっと遊びに来てみたんだ」と言う。
すると篠岡はそれこそ不思議そうに準太を見上げてきた。

「高瀬さん、うちの人達て仲が良いんですか?」
「いやまぁ、人達ってほどみんなじゃないけど」
「じゃあ、」
「三橋に」
「三橋くん?」
「そう、三橋」

単語だけのやり取りをして、苦笑し合う。それから篠岡が、意外だなぁと独り言のように言ってから、そうでもないか、と考え直したように人指し指で唇を触りながら呟く。
その仕草はわざとらしくも思えたはずなのに、彼女に似合って自然に見えた。

「そういえば、高瀬さんって試合の時三橋くんの行動に笑ってましたもんね」

もちろん良い意味で、ですよ。付け足して言われて、準太はアハハと軽く笑った。

「よく見てるなぁ」
「マネジですから」
「それは立派なことで」

おどけると、篠岡もおどけてわざと偉ぶって、マネジですからと繰り返した。
あ、良い子なんだな、と準太は思う。
そういえば、三橋だって話題に上げていたぐらいだし、その時にはまるで意識しなかったけれどこういう子だからこそ、三橋だって話題に出したんだなと、改めて篠岡を見た。
ぱっちりとした二重瞼。睫毛も長く綺麗に上向きにカールしている。ふっくらした頬は寒さのせいでかほんのり赤いが、彼女の容姿にとても似合っていてチークをさしているようにも見える。
きっと三橋にはこういう子こそが似合う。
準太はそんなことを思って、少し虚しくなった。
三橋とはメールアドレスを交換した。
メールは、お互いが部活のある身だからしょっちゅうするわけではないけれど、それでも週に二度はそれなりの長さのやり取りをしている。
少しずつではあるけれど、三橋の口数がメールで増えてきた。電話もたまにする。
それよりももっと稀だけれど、二人で出かけたこともある。
三橋は相変わらず口下手で必要以上に卑屈で、だけど準太はとても楽しかった。とても舞い上がっていた。好きだから、三橋の短所ですら目の当たりにしたら嬉しくなったのだ。(まぁでも、別に付き合ってるわけじゃないし。やっぱり三橋だって好意を持たれるならこういう可愛い子のほうが良いんだろうなぁ)
手だけを比べてみても、武骨な準太の手に比べて篠岡の手は多少荒れてはいても女の子らしく小さくて細い。
篠岡が準太の視線の先に自分の手があることに気づいて、恥ずかしそうに後ろに隠した。荒れてるんですよね。そう言って苦笑いをする篠岡に、準太はそれだけあいつらと一緒になってがんばってるんだろと気障なことを承知で言う。
嬉しそうにはにかむその表情に、三橋を思い出した。

「そうやって言ってもらえると、嬉しいです」

隠していた両手を前に出して広げると、さっきまでとはうって変わってどこかうっとりしたように自分の手の甲を眺める。

「やっぱり、誤解もされますから。こういうことしてると」
「紅一点だから?」
「ですね。誰のことが好きなの?とか聞かれたり」
「するだろうね」
「しますします。すごくたくさん。やっぱり否定はするんです。私も女ですから、違うよぉなんて言ったりして」

アハハと無邪気に笑った声は、軽やかで気に障らない。女独特の引きつったような高い声ではなくして笑い篠岡に、準太はますます好意を持ってそれは大変だよねと同情してみせた。
そうなんです。と意気込んで篠岡が言う。

「だから、否定するのは止めて認めることにしたんです。自信を持ってみんなが好きなんて、まぁ今でも変わらないことなんですけど。最近は、なかなか、それが言えなくなって来ちゃったんです」
「反感でも買った?」

篠岡は少し考えるような仕草を見せて、それもちょっとはあるかもしれませんと呟くように言った。

「だけど、それは嘘ついてたわけじゃなかったから。今は、それ言うのも後ろめたくて」
「ははん。好きなヤツが出来たとか?」

からかうようにして言ったら、思ったよりも真剣な表情で肯定された。準太は、ちょっと待ってと上擦った声と手のひらを止まれのサインでするように篠岡に向けた。

「俺ら今日初めて話すよね?そんなことまで話しちゃって良いの?」

声は上擦ったままで大いに焦っている自分はさぞかし滑稽だろうなと準太は思ったが、篠岡はクスリともせずに準太を見上げてくる。
笑みのない篠岡の表情は、真剣であってもどこかほんわりしているように見える。それは、丸い目の目尻が少し下がっているからだろう。それから口角が上がっていることも。
それらは相まって、少女らしい庇護欲をそそるような雰囲気をかもしだしている。
準太を見上げてきたまま黙り込む篠岡に、部内の誰かが好きなのだと言う前置きがなければ勘違いしてしまうところだ、と内心でため息を吐く。
そして気まずさに「篠岡さん、もてるでしょ?」と間抜けなけとを口走ってしまった。見れば篠岡ははぁ、と曖昧な返事をぼんやり返してくるだけだった。
おいおいこれじゃ口説いてるみたいじゃないか。自身の気の効かなさに呆れつつも、ここで言い訳をしてしまえば明らかに先刻の言葉が世辞だと証明しているかのようになってしまうので何も言えなくなってしまう。
すると、篠岡が大分間を開けてから「もてませんよ」と言った。

「そういうの、どうでも良いんです。好きな子にさえ、可愛いって言われたり思われていれば」
「あぁうん。そうだよね」

そうとしか返しようがなかった。

「私、三橋くんが好きなんです」
「唐突だ」

っていうかだから何で俺にそういうの言うの?と少しだけぶっきらぼうに言った。
動揺しているのだ。
こんな女の子相手じゃ勝ち目がないじゃないかと、悔しくなったり羨ましくなったりして、それからちょっと篠岡のことが嫌いになった。篠岡は、高瀬さんにだから言いたくなったんです、と笑う。

「えぇ?それは、なんていうか失礼な言い方だけど、俺にも気があるとかそういうの?」
「あはは。そうだと、高瀬さん嬉しいでしょう?」

明るい。
とんでもなく自惚れたことなのに、ちっとも嫌らしくない。

「そうしたら、高瀬さん私の気を三橋くんから遠ざけること出来ちゃうじゃないですか」
「ちょっと、」
「私が高瀬さんにこれだけお喋りになるのはですねぇ、高瀬さんも三橋くんのことが好きだからですよ」
「友、達だからね」

下手な嘘だ。震えてしまった声と合わせられない視線に情けなくならながらも虚勢を張り続ける。
友達、と篠岡が反芻した。

「今の関係を表す表現としては的確ですよね」
「篠岡さんさ。良く観察してるみたいだけど、それは俺が男で三橋も男なのに、俺が三橋に惚れているって、そういうことを言ってるの?」
「そうだって言ったら、否定しますよね?」
「自分の思い込みだって言う可能性は万が一にも考えない?」
「今この時点で否定しないんですから、ますます自分の考えに自信が持てました。それに、仮に高瀬さんが否定するのなら、私はそれを三橋くんに言うことだって出来るんですよ。三橋くん、きっと高瀬さんに憧れているから。その憧れを勘違いさせて恋だって刷り込むことも出来るかもしれないのに。その可能性すら私がつぶしてしまうことが、出来ちゃうんですよ」
「あっは、必死だね」

笑ってやった。
そうすることでしか、対抗できなかったのだから決して格好良いことではなかったけれど。それでも、準太は笑って怖い怖いと言い放ってやった。
篠岡は、ニコリと笑って失礼だってことも承知です、と一言。
笑って言うことではないだろうと、準太は辛辣に思った。
しかし墓穴を掘ってしまうのが怖くて言い訳も出来なければ、責めたてることも出来ない。

「よく、見てるよね」

せめて何か適当なことでも言って平然を装おうとしたわりには、その一言こそが準太の三橋への気持ちを肯定しているかのようになっていることに気づいてあぁと既に隠しもせず盛大なため息を吐く。
マネジですから。
篠岡が庇護欲をそそる、ちょっと舌っ足らずの甘い声で答えた。





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