どれだけ想っていても、あなたへは届かないの


  「違う、そこはそれじゃ駄目だ」

三橋は花井のその言葉に、慌てて姿勢を正した。
指摘されたのは、問題集の問題の解き方なので別に姿勢を正す必要はなかったのだけれど、やましい気持ちがある三橋はつい反射的に背筋を伸ばしたのだ。
坊主頭で誤魔化されてしまうが、花井は顔立ちが整っている。
とんでもなく美丈夫だということではないけれど、柳眉の間からすらりと流れるような鼻筋なんかは溜まらなく綺麗だと三橋は思っていた。
それに、声もまた良い。
大きすぎず低すぎず。それでいて、腹の真ん中にじんと響く余韻を感じさせる声は、隣り合わせでぼそぼそと囁かれるだけでたまらない。
その内容が、数式で色気なんてまったく無いのにもかかわらず、三橋にとってはそうして耳元で囁かれるようにそっと言われるだけで得も知れない快感を感じるものになる。
独り占めにしてしまいたいなと思う三橋は、けれどそんなことを望むのはおかしくて常軌ではないことも十分に承知している。
それが、好きという恋愛感情を持っているからだということも分かっている。

「ご、ごめんね。俺、物覚え、悪い、」
「人のペースなんて色々だから。気にすることないよ」
「でも、あの、買い物。田島くんたちと、約束してたでしょう・・・」

だんだんと尻つぼみになっていく三橋の言葉を聞き返すことなく、花井はあぁと笑った。
その瞬間、その笑顔にどきりと緊張してしまったのを悟られやしなかったかと思って、三橋は意味もなく瞬きを素早く繰り返して彼なりに必死になって誤魔化した。
そんなことをしなくても、元々が卑屈で人見知り故の挙動不審の繰り返しである三橋だから、緊張したとしてもそれでこそが自然体である。
けれど、そういうところに気が付かないのが、三橋の三橋たる所以なのだ。
勝手に慌てて勝手に興奮して、今にも憤死しまうんじゃないかという程に、顔を真っ赤に染めて俯く。

「あれは、田島が勝手に決めただけだから」
「あ、でも、帽子が。今安いから、良いなって」
「聞こえてた?」
「き、聞こえてた、よっ」

というよりは、聞いていた。

「まぁ、安くなってるからってあえて元値の高いの選んじゃうからさ。そうしたら、結局普段と変わらないんだよな」
「でも、」

言いかけても、言葉が続かない。
口下手のくせに、一体自分は何を言おうというのか。
三橋は、考えなしで口走ってしまった接続詞を悔いた。
しんと沈黙が続くのは、三橋の言葉のあとを花井が待っていてくれているからだろう。
それを分かっているから、三橋は余計に辛かった。
やっぱり何でもない、の一言を言うことが三橋には至極難しい試練のようなものだ。
仮に言ったとして、と三橋は思う。
言えたとしても、反論のような「でも」に花井は何を思うのだろうかと考えると怖くて仕方がない。
中学時代、あからさまにチームメイトから嫌悪を向けられ続けて人から好かれることをどこか諦めていた三橋は、西浦での同級生の優しさに以前よりもいっそう他人の感情に臆病になっていた。
嫌われるのはもう二度と御免だからと、緊張する。果たして、その結果は空回るばかりなのだが。
ぐるぐると考えているだけで、三橋は泣き出したくなってきてしまう。
その思考を、花井の自分を呼ぶ声で途絶えさせられる。

「三橋」

そう、ため息混じりの声に三橋はぎくりと背筋を延ばして緊張した。

「どうも堅いなぁ」

くしゃりと表情を崩し苦笑いして、花井が呟く。
ごめん、と反射的に謝る三橋に、花井は謝ることじゃないよと返して、でも苦笑い。

「やっぱり、阿部じゃないと駄目なのかな」
「うえぇ?阿部、くんが。どうして?」
「三橋、俺といるとちょっと緊張した感じだから。阿部だったら、もっとその辺分かってやれるのかな、と」

視線を逸らして言われて、三橋はとても哀しくなった。
どうして、自分が花井に助けを請うたのか、その気持ちはちっとも伝わっていないではないか。
阿部に頼めばノートを見せただけで、あぁと納得してくれて、まぁ多少なりとも厳しくありながらも最後まで見てくれただろう。
それを敢えて、花井に頼んだことを当の本人には気まぐれ程度にしか思われていないのかと考えたら、ツンと鼻の奥に突き刺す痛みに、涙腺が緩んでくる。
男同士の恋愛感情に気づかれたくはないという気持ちの反面、少しぐらい意識してくれてもいいのにとまるで矛盾したことを三橋は思う。
思って、それが自分勝手だということにまた一人で突き進んで落ち込む。
涙が溢れてくる。滲んだ視界の先で、花井が困ったように眉を顰めているのだけは、見たくもないのにしっかりと認識出来てしまう。

「怒ってる、わけじゃないぞ?」

優しく言われる。
分かってるよ、と返したかった。
しかし、三橋の喉は声ではなくて大きな痙攣を一つ起こしただけだった。
ごめんごめんね。
体温の上がってぼんやりとした頭で、繰り返して言う。
どれだけ謝っても、それらは全て声には出ていないのだから花井に伝わるだけがない。
いっそう困った表情を見せる花井に、三橋の頭はますます混乱してしまう。

(だって、今、何か言おうとしたら)

俯いていたから、涙が三橋の頬を伝わずに真っ直ぐノートへと落ちていった。
涙で滲んだ部分を隠すように、三橋は紙を握り拳の中で握りつぶした。
例えば、涙が三橋の花井へのあふれ出さんばかりの気持ちだとして。それが溢れてしまったのなら、今度は隠さないといけない。
大人びているけれど、まだ愛嬌のある大きな二重の目とか。優しく語りかけてくれる心地よい響きを持つ声とか。

(だい、すきだ)

紙を握った手は、さらにぎゅうと力が入る。
花井が、三橋と名前を呼んだ。

「な、に?」
「阿部、呼ぼうか?」

三橋は、絶望的な気分になった。

(だいすき、なのに)
(なんで、俺、男なんだろう)

ついに泣き叫ぶ三橋の肩に、花井がそっと手を置いてなだめ続けるのだけれど、それがかえって三橋には辛くて仕方がなかった。







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