|
王様の前に、二人の若者が役人に連れて来られました。 |
|
「水谷、これあげるよ」 四時間目の終業チャイムがなって、購買へと足を急がせていた水谷は不意に制服の裾を掴まれて引き留められた。 振り向くと、同じ中学出身で、良く話すことのある篠塚という女子生徒がはにかむように笑って立っていた。(どうでも良いことだけれども、マネージャーの篠岡とは一文字違いだなと、最近篠塚と話す度に水谷は思っている)(本当に、どうでも良いことだ) 出来れば人でごった返してしまう前に購買に着きたいと思っている水谷は、少し急かすように「何?」と一言返す。 篠塚は、はいこれと手に持っていた小綺麗にラッピングされた小さな包みを手渡してくる。ふわりと、バニラの甘いにおいが水谷の鼻腔を突いた。 「なにこれ。お菓子?」 「そう。調理実習だったからね。作ってみました、受け取れよっ」 明るい口調で、ポンと水谷の肩を気軽に叩いて茶化して言う。小さな手は、普段野球部なんかで、ナイスプレイなんて肩をたたき合う時の感触とは全然違う、柔らかいものだった。 あぁ、オンナノコだなぁと、しみじみ思う。 水谷にとってはべたべたした女らしさよりも、こういう不意に見せるか細さや柔らかさは何とも魅力的で、ちょっとした下心をくすぐる。 しかし、そんなことを思っているだなんてことはおくびにも出さずに、水谷は人好きのする、ちょっと間の抜けた感じの笑みを浮かべて「サンキュー」と礼を言った。 そのまま踵を返そうとしたところを、また「ねぇ」と引き留められる。 「最近、部活すごいね」 「まぁ、高校球児ですから」 「今度、いつか部活休みの日とか、ないの?」 「休みってか、明後日がミーティングだけだけど」 そわそわしながらも答えると、篠塚はぱっと表情を明るくさせて掴んだままだった水谷の制服の裾をぐっと引っ張った。 「じゃぁさ、その日久しぶりにカラオケでも一緒に行こうよ。最近、全然遊んでないじゃない?」 「あ、その日はダメ」 あっさりと断る水谷に、篠塚がどうしても?と甘えたような口調で聞く。 どこかわざとらしくもある、首を傾げる仕草はそれでも女の子がするとどうしてこんなに可愛く見えるんだろうなと思う。もちろん、あんまりにもわざとらしくては気持ち悪いだけだけれども、篠塚のする仕草は自然の範疇であるし、何より容姿に似合っていて可愛い。 「悪いけど。その日、予定があんだよね」 「なんの?」 じゃ、お茶とかでも良いよ。 そう言って、必死に約束を取り付けようとする篠塚は、やっぱり可愛かった。 「部活のやつと、買い物行く約束してんの」 「そっかぁ。一緒に行くわけにもいかないしねぇ・・」 「まぁ、またの機会ということで」 本当にごめん、と謝る水谷に渋々といった様子ではあったけれども、篠塚が小さく首を縦に振った。 「今度な、今度」 慌ただしく言って、水谷はしつこいかとも思ったけれどもう一度だけごめんと謝った。 篠塚は「約束ねー」と笑って言うと、手のひらを水谷の二の腕にぺたりと乗せた。 「セクハラだぁ」 馬鹿笑いする水谷に、篠塚も楽しそうに(というよりは嬉しそうに)笑う。 気が済むまで笑って、水谷はふと名前を呼ばれた気がした。 「水谷、くん」 空耳かとも思ったけれども、きょろりと辺りを見回し目に入った頼りない背格好と稲穂色の髪の毛。タイミング良く発せられた二度目の小さくか細い声は、確かに水谷を呼んでいた。 「三橋」 「あの、は、花井くんから聞いて。あの、オレ、購買、行くんだけど、」 俯きながら言う三橋の声は、非常に聞き取りにくいものだったけれども、すっかり慣れてしまっている水谷は、唐突な言葉を聞き返しもせずに「俺も」と即答した。 「じゃ、俺行くから」 篠塚とあっさり別れた水谷は、それじゃいこっかと三橋の背中を軽く押した。 三橋は、戸惑ったような表情を見せて水谷を見上げてくる。 それもまた、いつものことだからと気にせずに水谷は三橋を促して購買へと向かった。 「良かった、の?」 背中に置いた水谷の手を振り切るように、体を一瞬捩って三橋は呟いた。 もそもそと、口の中で言葉を溜め込むようにして極力口を開かないようにする話し方は、どことなく餌を頬張るハムスターに似ている。 「なんのこと?」 のほほんと、水谷が聞き返すと三橋は珍しいことに、少し憤慨したような表情を浮かべた。おや、と水谷が不思議に思っていると「だから、」とこれもまた三橋にしては珍しい投げ捨てるような口調で言う。 「さっきの子。オレなんかに、付き合っ、て良かったの?」 「だって、オレも購買行きたいわけだし。っていうか、花井が教えたの?オレ購買行くって」 「・・・オレ、今日はお母さん寝坊しちゃって、弁当持ってきてないから。そしたら、は、花井くんが、水谷くんなら、こ購買で買うの慣れてる、から一緒に行ってみたら、って」 ふぅんと空返事をしながら、花井は本当に世話好きだなぁと思わずにはいられなかった。だいたい、三橋のことなら阿部に頼めば何でも喜んでするだろうに、と捻くれたことを思う反面、頼りにされていることが嬉しくもある。 「任せなさいな」 ケラリと笑って胸を拳で叩いて言う。 「優しいんだ」 「大したことじゃないじゃない」 「優しい、よ。さっきも、いっぱい謝ってた。オレとの約束なんて気にしないで、二人で、で、出掛けたら良かったのに」 「なんで。だって、三橋と先に約束してたのに。それに、何誤解してるのか知らないけど、あのね、オレ別にあの子とはなんでもないからね。単に、中学からの友達ってだけでね」 「そんなの。オレに、言わなくっても・・」 おやおや、と水谷は頬を膨らませて拗ねたように言う三橋を見て、ちょっと目を見開いた。これは、ひょっとしてヤキモチを妬かれているんじゃないのかと、水谷にぴんと直感で思ったのだ。 もしそうだとしたら、なんだか嬉しい。 まだ話すときに、身構えるようにあまり自分の意見を言えないでいる三橋だから、これは言い傾向だと思ったのだ。 だから、からからと笑いながら少しからかうような口調で「ヤキモチ妬いてんの?」と言った。 すると、三橋は愕然とした表情で、唇を戦慄かせたのだ。 まさか本気で捉えるとは思っていなかった。いや、三橋の性格を考えればちょっとした冗談だって真面目に受け取って、陰鬱に落ち込むだろうと分かっていたはずだ。分かっていたはずなのに、どうしてか、その時の水谷はそんなことはすっかり念頭から抜け落ちてしまっていて、ただただもしも三橋がオレが篠塚と話していたことにヤキモチを妬いてくれているなら、それはとてもステキじゃないの。それはなんていうか、ようやくオレも栄口や阿部がそうするように、三橋を慰めて信頼してもらう立場になれるんじゃないの。なんて、内心興奮していたのだ。 決して悪意でからかったんじゃない。それを分かってもらいたくて、水谷はごめんと謝罪しようとした。 しかし、水谷が言葉を発するよりも一瞬早く、三橋が俯いて言った。 「そんなこと、オレがなんで、やきもち妬く、の?」 たどたどしいけれども、普段の三橋にはない強い感情が入り混じっている。 しかも、敵意にも似た感情だ。 水谷にはそう感じられて、途端にとても哀しくなった。 「そんなこと!」 三橋の言葉を繰り返して、吐き捨てるようにひどい!と喚いた。 「三橋がオレにヤキモチを妬くことは、そんなことなの?どうして、そんな酷いこと言うの?」 「だって」 三橋は言葉を詰まらせて、じんと目頭に涙を浮かべた。 泣いて逃げようとするだなんて、なんて卑怯なんだろうかと水谷は心底腹が立った。だって、水谷は冗談を言っただけなのだ。その冗談だって、三橋のことを悪く思っていないからこそ、やきもちを妬かれていたとしたら嬉しいなぁ、なんてそんな気持ちで言ったことなのだ。 それを、そんなことなどと言う三橋の方がどうかしている。 「水谷くんだって。ほ、本当は、あの子と一緒に、遊びたかった、んじゃないの?お、オレなんて、オレの、約束なんて、別、に」 「だから、どうしてそんなこと言うの?」 ちょっと強い口調で言っただけで、三橋はついに泣きだしてしまった。 いつもなら、ごめんよと謝って慰めて収まるはずなのだけれども、その時の水谷はとても憤慨していて、とてもじゃないけれどもそんな自分の気持ちを偽って優しい言葉などをかけてやれそうにはなかった。 わんわんと泣き出す三橋を、廊下にいる生徒たちが何事かと興味深そうに眺めている。なんだ喧嘩か、いや違うみたいよなんて好き勝手に騒がれて生まれた喧噪の中、水谷は栄口の姿を見つけた。 栄口が何事かを把握している様子ではないことを見て取って、水谷は泣いている三橋をそのままにして、一気に栄口のところまで向かうと二の腕を掴んでずるずると彼の教室にまで引きずっていく。 だってどうせ、ああやって泣いてりゃ阿部や花井なんかが気づいて宥めてくれんだぜ。 クサクサした気持ちでそんなことを思うと、無償に哀しくなってしまった。 「ちくしょー!何なんだよ、もう!」 「それは、オレの台詞だよっ」 栄口が、不機嫌に言って掴まれていない方の手で水谷の後頭部をペシンと叩いた。 |
王様は、そもそもの原因は何かと若者二人に尋ねることにしました。
|
「っていうことなんだけどね。酷いでしょ?」 事の顛末を話し終えた水谷は、栄口にはんと鼻で笑われた。 酷いでしょ?と聞いているというのに、鼻で笑う。なんて冷酷。鬼のようだ。 大げさなことを内心で散々考えて、水谷はくすんと鼻を啜った。 その様子を見て、栄口はもう一度鼻を鳴らした。 「なんて、馬鹿馬鹿しい」 「どこが。三橋が『オレとの約束なんて別に』っていう約束は、オレの約束でもあるんだよ。オレ、楽しみにしてたのに。それなのに、三橋は、オレが約束破って、篠塚と一緒に遊びたがってるって思ってたんだよ?」 それって酷いじゃないの。 水谷は、栄口に詰め寄るようにして言った。近づいた顔を、栄口が鬱陶しそうに首を曲げて避ける。 「酷い酷いって、随分と自分に同情的じゃないの。もしも、そんなに同情して欲しかったら、お前は重大なミスを犯してるね」 辛辣な栄口は、栄口らしくないなと水谷は思った。 いや、栄口が見かけほど朗らかに優しくないことぐらいは、とっくに分かっている。実は結構口が達者で、泉ほどとは言わないけれども思ったことははっきり言う。 「ミスって何だよ」 聞くと呆れたようにため息を吐かれる。 やっぱり、こんなのは栄口じゃない。 水谷は、心底自分に呆れ果てているような態度を見せる栄口をじっと見た。 すると視線が合って、水谷はなんだかとても居心地が悪くて視線を逸らしてしまう。 「まず一つ」 「えぇ、一つだけじゃないの?」 「挙げようと思えばいくらでも出てくるよ」 「うあ。とりあえずは、今日の分だけでお願いします」 こんなところは、いつものやり取りなのにそれに対する栄口の口調がちょっといつもより冷たかったり単調だったりすることがあって、それがやっぱり違うなぁ栄口らしくないなぁと思わずにはいられない。 栄口は、ぶっきらぼうに「まず一つ。とりあえず、オレはきちんと話を聞いてますよ」と言った。 「聞いた上で、馬鹿馬鹿しいと思ってるの。それから二つ。オレに相談してるってことは、とても大きな間違いだよね」 「どうして?」 栄口の言わんとすることが、まるで分からない水谷は「分からないから」ということだけを理由に、何も考えず訪ねた。 すると栄口の表情が、とても嫌悪感を帯びたものへと急変する。 そんな栄口は始めて見た。 と、水谷は怖くなってしまった。 怖くなって、だけれどこのまま黙り込んで沈黙が降りることを回避したくて、慌てて「ごめん」と謝る。謝って、「だけど、何で怒ってんの?」と聞く。 「この無神経男め」 「無神経じゃないもん、神経あるよ。だから、三橋に苛立って、傷ついたんだもん」 「無神経の上に、鈍感。しかも、自惚れ野郎」 「なんだよ。どんどん酷いこと言われちゃってるじゃない。なんで、栄口そんなに苛立ってるんだよ?」 水谷は、焦って聞いた。 三橋のことだけでも許容範囲一杯なのだ。これ以上、仲間内でもめ事を起こすなんて冗談じゃないよ、と思った。 敢えてヘラリと笑って、水谷は栄口の肩に手を置くといういつものスキンシップを図ろうとした。 「触るな」 それははっきりとした拒絶だった。 パシリと叩かれた手の甲は、うっすらと熱を持ち赤くなっている。 なんだよ、と不満気に言うはずだった声は掠れてほとんど声になっていなかった。 鼻の奥がつんと痛む。 「触らないで。今お前に触られたら、オレはお前のこと大嫌いになるよ」 「とっくに嫌いなんじゃないの?」 「まさか。そんなに簡単に嫌えないよ。だけど、今はとても嫌な感じなんだ。お前がすごく無神経で嫌味で鈍感なことばかりするから、言うから。お前があと一歩でも近づいてきたら、オレお前に殴りかかるよ、きっと」 それは穏やかじゃないな。水谷は、なんとなく冷静だった。 心拍数はとても上がっていて、緊張もしているからか手のひらにはしっとりと汗もかいていた。 「栄口がそこまで言うなら、オレよっぽど酷いんだろうね。だけど、ごめん。本当に分かんない」 「なぁ、頼むからこれ以上オレを煩わせないで」 「だけど」 「お前はね、早いところ自分の気持ちと、自分に向けられてる気持ちに気づくべきだよ」 最も、鈍いのはお前だけじゃないけど。 呟くように言う栄口の言葉を、水谷は聞き漏らさなかった。 「誰のこと?」 「お前は馬鹿か。煩わすなって言っただろ」 「・・・ごめん」 小さく謝った時、カラカラに乾いて痛んでいた喉の奥が一層痛んだ。それから、栄口の驚いたようで、呆れた表情がぼんやりと滲んだ視界に映った。 「泣くなよ」 「三橋なんて、いつだって泣くよ」 「そうだね。だから、困るよねオレらはいつも。でも、嫌いにはなれないんだよね。それどころか、」 中途半端に言葉を句切って、栄口こそ泣きだしそうに唇を震わせて、困ったように小さく笑みを浮かべた。 「お前、今すぐ三橋のとこ行っておいでよ」 「でも」 「行くの。どうせお前ら二人とも、意地張って、気づかないふりしてるだけなんだから」 「えぇ?何によ?」 「そこまでは、言わない」 つんと、そっぽを向く。 まだ素っ気ないけど、それでもいつもの栄口みたいで、水谷は嬉しくなる。 「三橋のところに行けば、栄口、怒んの止めてくれんの?」 「・・・・そういうところが、この野郎だよ。でもまぁ、良いんじゃない?」 「じゃぁ、行く」 栄口が、良しと笑った。 おぉ、いつもの栄口だよ、と水谷はそれこそ両手を叩いて喜びたくなった。 早く行かないと殴るよと言われて、慌ててばたばたを足音を立てて、追いやられるように三橋の元へ水谷は向かう。 振り返らなかった水谷は、栄口が大きなため息を吐いて両手で顔を覆ってほろりと泣いたことなんて知りもしなかった。 |