ジリジリギリギリチリチリチリ

「明日、ちょっと遅くなり、ます」

洗濯物を畳んでいる最中に、ふと顔を上げたついでといった感じでさり気なく言った三橋に、オレは読んでいた雑誌から目を離して上半身を起こした。

「なんで?バイトは明日じゃないよな?課題?」
「あ、うん。そんな、難しいの、でもないんだけど」

でも、一応単位かかってるから。
そう言って、三橋は困ったように笑った。
幼さの残る顔立ちは、そうやって眉を下げて笑うと更に幼く見える。
無防備だな、と思う。
一緒に暮らし初めて、前よりも過ごす時間は比べ物にならないぐらいに増えた。それでも大学は違うしそれ故に交友関係も違う。
オレは三橋のことが大好きで、愛しちゃってて、だからそれはもうがむしゃらに彼の周りの全てに目を光らせていたいのだけれども、なかなかそうは出来ない。
オレの見ていないところで、その無防備で可愛い笑顔なんて見せるんじゃないよ。危なっかしいったらないんだから。
オレは思っていることを全て愛想の良い得意の笑顔で包み隠して、

「頑張ってね」

それも愛想良く言ったつもりだったんだけれども、素っ気なかったかもしれない。
三橋が小さく首を傾げたのが視界の端に入ってきたけれど、気づいていないふりをしてまたオレは雑誌に視線を落とした。
なんでもない、いつものやり取りの翌日。大晦日だった。
三橋が家を出てから気づいたので、しまったなぁとオレは舌打ちをしたい気分だった。せっかくの年越しを一緒にのんびり過ごしていたかった。
まったくどうにも、休みに入ると駄目だ。
時間感覚が狂う上に、バイトなんてしているともうその日はシフトが入っているか否かということでしか判断出来なくなってしまう。
まぁ、仕方がない。遅くなるとは言っても、今まで午前様での帰宅はなかった三橋だ。きっと、今日も年を越す時間より前には帰ってくるだろうと、オレはあっさり後悔の念を打ち切った。
それからりあえず、どうせ三橋はいないんだしと、オレはほんの軽い気持ちで誘われていた飲み会に参加した。
そして参加してから知ったのは、それが飲み会という名の合コンだったということだ。普段から絶対に合コンにだけは参加しようとしないオレに、他の人間達が示し合わせて趣旨を隠したらしい。ごく内輪の飲み会なはずのそれの待ち合わせ場所には、ちっとも知らない顔がいくつもあったので早々に察したオレはその場で回れ右をして退場しようとした。

「マテマテ花井、お前が帰ったら女の子も帰っちゃうだろー」
「知るかそんなの。オレには、大切な可愛い恋人がいるの。浮気だなんて、誤解されたらたまんねーよ」
「んなこと言って。オレは一度だってお前の彼女の顔を拝んだことないぞ」
「勿体なくて、オマエラなんかに見せられるもんか」

留めに入ってきた奴の嘆願をはねつけて、オレは構わず歩き出す。しかしそれでもなお食い下がってこられるのに呆れてしまって、結局は嫌々ながらも付き合ってやることになってしまった。
学生向けの安い居酒屋に入って座敷に落ち着いて、他の連中が馬鹿騒ぎをしても見覚えのない女がやけに図々しくオレに話しかけてきても、ただひたすら時間が過ぎるのだけを待つ。
何度か帰ってしまおうかと思った程に退屈な場でも、ある程度の愛想を表面に出せたのはオレという人間の表向きの性質が反射的にそれを脳に促しているからに他ない。
そうして二時間も過ごしただろうか、そろそろ三橋が帰ってきてるかもしれないし電話した方が良いかな。それよりも、それを口実に帰ってしまおうかなどと考え始めた時だった。

「花井、くん?」

聞き間違えようなんて無い程大好きな三橋の、大好きな声がして見れば意外そうに大きな目をさらに大きく丸く見開いてオレを見下ろしてきている三橋。
わぁ、なんて偶然。そういえば、この居酒屋ってば三橋の大学の近くだった。それにしたって、やっぱりこうして会うだなんてオレらの関係は運命なんだ。
そうやって浮かれたのもほんの一瞬だった。
まず、オレは三橋の隣を陣取っている泉の存在に気づいて気にくわなかったし、三橋も三橋でオレの両隣にいる女の子達を見てから、珍しく怒りを表情に出していた。

「あの、邪魔してごめん、ね?帰るね、オレ」

泉の腕を引いて出口に向かう。

「え、オレも帰るよっ」
「い、いいよ。せっかくの合コンなんだし、楽しんで、きて、くだ、さい」

そう言って、三橋は素っ気なく顔をオレから背けるとその表情とは正反対の笑顔を泉なんかに向けた。

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

慌てて立ち上がった途端、オレにしなだれかかるようにして座っていた女の子がかん高い悲鳴を上げて見事に横に倒れた。けれど、オレはそんなことを気にしてなんていられない。靴も履かずに座敷を降りて走った。店を出る寸でのところで腕を掴むと、三橋じゃなくて横にいた泉がオレを振り返った。
ぼんやりとどこを見ているんだか、何を考えているんだかも分からない瞳で見られたオレは、居心地の悪さと怒りを同時に感じる。

「怒ってるだろ、三橋」
「怒ってない、よ。それに、オレも泉くんと、もうちょっと、あ、後で帰るから遅くなるし」

オレを振り返ろうともせずに、弱々しくと言うのがあからさまで、そういうところは素直な三橋らしくて嫌いではないのだけれども、それはこういう状況でなければの場合だ。

「なぁ、進んで参加したわけじゃないんだからな?三橋が、遅くなるっていうから先に帰っても暇だと思って、そんで参加しただけだから。そうだよ、大体お前課題って言ったのに、それが何で違う大学の泉と一緒にいるんだよ?」

泉を睨み付けながら言うと、無表情のまま泉は抑揚なく言った。

「こういうことか」
「は?」
「泉くん。良いから、行こうっ」

納得顔の泉の背中を押して、三橋はそそくさとオレの目の前から立ち去ろうとする。
面白くない。
大いに、面白くない。
三橋と泉の間でだけ分かり合う何かがあるらしいということは、とてもあからさまに二人の態度に表れていた。
というか、三橋はおそらく隠そうとしているのだろうけれども、泉の方にまるで隠す気がないように見える。
もともと、泉はオレと三橋が一緒に住むと言った時、泉はあまり良い顔をしていなかったことを思い出した。
直接否定的なことを言われたわけではないが、それこそ会うたび態度に顕著に表れている。

「良くない。な、泉、こういうことって何のこと?」

泉が、呆れたような表情でオレを見てくる。

「お前って、三橋と一緒に住み始めてどんぐらい?」
「は?一年と三ヶ月ぐらいだけど?」

記念日言ってやろうか。
威嚇するように歯をむき出しにして言ったら、泉は馬鹿馬鹿しいとでも言いたげにオレを横目で一瞥して「結構です」と冷淡に返してきた。

「やっぱり、そのぐらいじゃ分かんないのかなぁ。それとも、お前が特別に馬鹿なのか」
「は?何言っちゃってんの?怒るよ、キレるよ、っていうか帰れよ」
「三橋に誘われてオレはここにいるんだよ」

静かに言う。
泉は、ちらりとオレの後ろを見た。

「それだけ一緒に暮らしてて、三橋が目立つこと苦手だってことを気付きもしないで・・や、まぁ知ってて気にしてないだけかもしれないけど、こうやってここで怒鳴り合おうとするお前の神経を疑ってしまいマス」

慇懃無礼な口調で言うと、それで少しは気が済んだのかするりとまるで憑きものが落ちたように穏やかな顔つきになって三橋に向き直った。
三橋も、泉を見た。それよりもほんのちょっと前にオレと目があったのだけれども、三橋は怯えたように視線を逸らして泉を見たんだ。
その瞬間、オレは自分の体温が一気に上昇するのを感じた。けれど、それと同時にひやりと冷たい感覚もまた脳天に突き抜けるように駆けめぐる。
なんなんだよ。
叫ぶつもりだったけれど、泉のさっきの言葉を不意に思い出してしまったら、どうしてもこれ以上周りの視線を三橋に浴びせかけるような真似は出来なくなった。
だから、呟いた。
乾いた唇が、ささくれ立つ。
舌で舐めると、そのささくれた皮が舌を突き刺す。
いってぇと独り言を言っているすきに、三橋と泉は足早に居酒屋を出て行ってしまっていた。
最悪だ、最低だ。もう勝手にすればいいよ、オレの言い訳も聞かないで泉にばっかり頼る三橋なんて。(なんて内心で辛辣に言っているオレは、だけどホントは泣きたい程にショックを受けていたわけで)(裏切られたとは、まさにこのことかと)
喧嘩かぁ?
呑気にアホ面で聞いてくる大学の奴に、オレはうるせぇよと吐き捨ててコートと鞄をひっつかむと反応一つ返さずに居酒屋を飛び出した。
外に出た途端、突き刺さるような冷気に包まれた。鼻の奥がその拍子につんと痛くなった。
わ、痛い。 呟いてみたら、ちょっと泣けた。




シンとした部屋の中で、ヒーターのモーター音だけが温風を造り出す為に絶えず聞こえる。
三橋は帰ってくるなり疲れたような顔で、オレを見た。

「おきてた、んだ」
「起きてちゃいけないのかよ」
「ち、ちが・・でも、もう一時だし、」

しどろもどろに言う三橋に、「そうだね、もう一時だ」と時間の部分を強調して言うと三橋は大きな目を伏せて謝ってきた。

「なに、三橋は謝るようなことしてきたの?」
「違うよっ」
「じゃ、なに?なんで嘘まで吐いて泉と会ってたの?」
「う、嘘なんて、ついてない。課題やって、それから、会った」

強気だ。
三橋がこうして言い訳をしてくることは本当に珍しいことで、泣いて煙に巻かれるんだろうなと思っていたオレは少し慌ててしまう。
それを押し隠して辛辣に、

「あんな、ムカツクやつとさ」
「むかつかない、よ」
「なんだよ、泉の肩持つのかよ。だいたいオレ、さっきの三橋の態度もすっごい気に入らない。なんで、オレの言い分信じようともせずにいなくなったの?」
「信じてた、よ?花井くんこそ、なんでそうやって頭ごなし、に、お、怒るの?」

こぼれ落ちそうなくらいの大きな目は、潤んでいてとても扇情的だ。こんな時ですらそう思ってしまう自分に舌打ちをすると、三橋が怯えたように肩を上下させた。
ますます潤む瞳に挑むような目つきで上目使いをされて、三橋を押し倒してしまいたい衝動にかられる。押し倒して、唇を三橋の薄い唇に押しつけたい。
そこまで思って、結局今回のことをうやむやにしてしまいたいのは自分の方なのだと気づく。
もういいや、謝ってしまえ。そう思った時だった、三橋がぽつりと呟いた言葉にオレは我を見失ってしまった。

「泉くんに、しつれい、だった、」

近くにあったティッシュボックスを、力任せに三橋に向かって投げつけた。
それは三橋の肩の上すれすれを勢いよく過ぎて、バゴンと鈍い音を立てて壁にぶつかった。目を瞑って肩を竦めて、三橋は耐えるように身を小さくしている。
それでも、いつものように泣き出しはしないのだ。
なんなんだよ。
地団駄を踏む。
何だよ何なんだよお前一体いつの間にこんなに変わっちゃったんだよっ。
怒鳴る俺はまるでヒステリックな女のようで、とても醜悪なものだっただろう。
変わってないよと、淀みなく言われて普段の三橋らしからぬその態度にますますヒステリックに怒鳴り散らすばかりだった。

「か、変わってないよ。オレ、も、花井くんも。・・一緒に過ごしてきた時間、増えたってこと以外、な、なにも変わってないよ」
「オレが悪いってのかよっ」

なんだこの甲高い声は。気持ち悪い。
自分の声に嫌悪感を感じながらも、オレはその声でキンキンと怒鳴り立てることを止められないでいた。
三橋が、分かってくれない、と呟いた・・気がした。
確定じゃないのは、耳で聞いて脳で理解するよりも先に三橋が部屋を出て行ってしまったからだ。
着の身着のまま(とはいえ、帰ってきてからジャケットすら脱いでいない状態でいたのだから、外出には適した格好だけれど)駆け足で乱暴に扉を後ろ手で閉める。
しまった言い過ぎたと、オレは瞬時に思った。だけど謝る気にはちっともならなかった。
謝るべきは三橋だと、オレは思うのだ。

「課題やって?それから泉と会って?」

なんだそれ。
吐き捨てた独り言は、暖房で生温い空気の部屋の中に妙に響いた。
その事実に、少しの間をおいて途方もない孤独感が襲ってきた。
外との気温差に曇った窓ガラスが水滴を作って、流れ落ちていく様子が目に入った。しばらくぼんやりとその様子を見ていた。
特に何をする気力も湧かなくて、本当にただただ眺めていた。それからふと思い立って、窓ガラスに人差し指を当てて、文字を書くように動かす。
そこから僅かに見える外の景色に、ひょっとしたらここを見上げている三橋がいるんじゃないかと思ったけれど、真っ暗な道が見えただけだった。
その事実に思い切りガックリと来てしまった自分に、なんだ依存も未練もしているのは三橋じゃなくてオレの方なんじゃんと思ったら、余計に腹が立った。









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