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自分はつくづく人が良い。 薄暗く、カビ臭い資料室で教師に言いつけられた教材を探しながら栄口は思った。 午後の歴史の時間に使う資料を何店か運んでおいて欲しいと、昼休みで飲み物を買いにいこうと教室を出たところをさも偶然と言わんばかりに呼び止められて頼まれたのだ。 クラスには一応教科係というものがあるにも関わらず、その教師は良く栄口に仕事を頼む。 さすがに課題を集めるような時は係の人間がやってはいるが、資料を準備するのは三回に二度は栄口だ。時々、授業前に会うと配っておいてくれとプリントを渡されることもある。 それを全て、嫌な顔一つもせずにこなしてしまう栄口だから、教師は余計に頼むのだということを彼自身がとても良く理解している。 所謂「いい人」で通っている栄口には、それに限らず相談事や頼み事をされることが多くある。相談事はあまり深入りはしないようにあくまでも第三者として、頼まれ事は出来る範囲を見定めてからの有言実行。 まるで、何でも屋だと自分を揶揄したことすらある。とは言えもちろん、全てにおいて引き受けるわけではない。 些細なことであれば引き受けるが、とてもプライベートなことであったりすれば丁寧に受け流す術を栄口は持っている。 それで、あいつ他の奴にはいい顔してたくせに俺には、なんて陰口をたたかれてしまうのなら、それはそれで仕方がないのだと割り切ることも出来る。 それでも栄口を厭わずにいてくれる相手こそ、本当の意味でも友達になれるだろうというのが彼の持論だ。 (でも、最近はちょっと怠いな。練習で体重いし、何より昼休みにこうして頼まれちゃうとなぁ) 不意にため息を吐く。 こもった空気は淀んでいて、栄口の吐息程度ではゆらりともしない。それどころか、二酸化炭素が増えてしまったな、と気分が悪くすらなる。 さっさと資料を探して、早く出よう。 栄口は、独り言のように口の中で呟いた。 元々、呼び止められる前は飲み物を買うついでに三橋に会いにいこうと思っていたところだったのだ。昼食は教室も遠いし、いつの間にかなんとなく互いにクラスメイトと食べることが当たり前のようになってしまっていた。別に、一緒に食べようと誘ったところで嫌な顔はされないだろうが(戸惑いはするだろう。それも今にも泣き出すんじゃないかというぐらいに困惑した表情で)、もし三橋だけ誘えばそれは不自然になってしまう。それじゃみんなで、なんてことになると今度はきっと花井が嫌がるに違いない。 必要以上に目立つことを避ける傾向にあるキャプテンは、野球部全員で昼食を取ったりして「仲が良いな。頑張れよ」なんて言われることをあまり好まないのだろう。 多分、田島が別に良いじゃんと言って率先して集まりたがるのだろうけれど、意外なところで頑固な男だから無理なんだろうな、と栄口は思っている。 疚しい気持ちが無ければ、三橋一人を誘うことなんて容易いことなのにと思わず二度目のため息。 最も、男同士の恋愛感情などは冗談の種にはなるにしても、一目見てそうだと気づかれるものではない。それでも気にしてしまうのは、それだけ有り得ないことだと世の中が認識しているだけに、万が一バレてしまった時のことを考えると恐ろしいからだ。 現に今も、考えただけでとてつもない不安に襲われる。 成就させるつもりはないのだ。いつか三橋にだって、彼女が出来ることもあるんだろう。それを笑って喜んでやれて、それでいて三橋が彼女とのことで困ったことがあれば助けを求められる存在になっていたい。 ささやかだ。とても、ささやかな願い事ではないか。 栄口は、俺ってなんていい人なんだろうと内心で自画自賛をして慰めた。 そうして悶々としていながらも、しっかりと資料を全て見つけた栄口はこれでようやくお役御免になれるぞと足取りも軽くドアへと向かった。 あと数センチ、それで資料室の陰気な空気から脱することが出来るはずだった。しかし、それは不意に目の前を塞ぐような形でドアを開けた人影によって遮られてしまう。 「あ、」 低い声に顔を上げると、ぼんやりと知っている顔だった。 「あー、応援団の」 顎にはやした髭に眼鏡。無造作なようでいておそらくは計算されているであろうシルエットに立てられた髪は、綺麗に染められている。 正直、あまり応援団などに参加するようなタイプには見えない。水谷が、野球をしているというと皆意外な顔をすると言っていたことを思い出して、でもそれよりももっと意外だよねと思う。 どちらかと言えば、応援団なんて恥ずかしいと思うタイプのように栄口はこっそり思っていた。特別話したこともないくせに、その人のことを決めつけてしまうのは失礼なのだと分かってはいても、おそらくもう端から苦手なタイプなんだろうなと自分を納得させる。 ちらりと見上げると、怠そうにあくびをしていた。 あぁ、やっぱりダメだ。 倦怠感にも似た、限りなく小さくではあるけれども確実な嫌悪感を覚える。 しかしそれを顔には出さないように極力注意をしながら、栄口は改めて挨拶をした。そのまま、一息に立ち去ろうと思っていたのだ。 しかし、あのさと声がかかってしまう。 あぁ、と内心でため息を深く吐く。 「はい?」 「それ、俺も持ってくるように言われてさ」 栄口が抱えている年表を指さし、どうするべかとやはり気怠そうに言う。 「えーっと、多分もう一個同じのあるんじゃないかと」 「あんの?」 「いや、多分。なんか、どっかで見たことあるような」 ぐるりと資料室を見回しながら言う。 教室一つがまるまる資料室として使われているだけだが、そこらにみっちりと色々な教材が置かれていて結構な量になっている。 探すのも一苦労だろうな、と思った時には既に口が「一緒に探しましょうか?」と提案していた。 あぁ、俺の馬鹿。 内心で自分を責めても現状は変わらない。 サンキュ、といかにも軽い口調で言われてそのあとですぐにもう一度大きなあくびをされる。いえいえ、と謝りながらもそういった部分が嫌なんだとあまり顔は見ないようにした。 壁に掛かっている時計を見ると、教室に帰って昼食を食べるだけでもギリギリ授業に間に合うぐらいの時間しか残っていなかった。 これはもう、諦めた方が利口だろう。 何も昼休みは今日だけではない、明日も明後日もあるし、最低部活では顔を合わせることが出来るんだと自分を励ます。 それらの重いを顔に出したつもりは、栄口には毛頭無かった。 しかし、不意に「悪いね」と言われて心当たりがあった栄口は心臓が飛び上がる程驚いてしまう。 「あの、梶山さん、」 いくつか適当な名前を思い浮かべているうちに、何となくではあるがそれらしい名前が浮かんだので自信なさげに口にしてみる。 すると男は、おうと気さくに返してきたので栄口は胸をなで下ろした。 「覚えててくれたんだ」 「はぁ、まぁ・・正直、曖昧だったんですけど」 言うと、まぁそうだろうなと気にした様子を見せてくることもなく笑う。 「あの、俺、」 「本当に、悪いね」 言いかけたことに対しての気遣いはないのか、ニコニコとやけに愛想の良い笑みを浮かべて梶山が言う。 別に気にしないでくださいよ、と反射的に笑顔を浮かべたことを栄口はもはや悪い癖のようなものなのだなと自己分析する。 八方美人。 そんな言葉が頭に浮かんで、でもだから本当に嫌なら断るぐらいの甲斐性は持ち合わせているわけで、癖なんだから、仕方がないんだから、と必死で自身に言い訳するのだが、それがかえってネガティブな方向へと向く。 「あの、梶山さんって、教科係とか?」 「いやいや。俺そういうのはやらない主義なんだ」 面倒だろ?と同意を求められる。 曖昧に頷いただけの栄口に、それでも梶山は満足したのかこんなこと毎回してらんないよと独り言のように言った。 そのなれなれしさが、やはり得意ではないなと想うがそれを口にも顔にも出さずに面倒ですよねと同意を示す。 「俺も、頼まれただけなんですけど。まだ、昼も食ってなくて」 「アララ、大変じゃないの。部活も大変だろ?食べなかったら、もたないんじゃないの?」 「まぁ、まだ時間ありますし」 それはほとんど強がりでしかなかった。 こうして話しているだけでも、時間は刻々と過ぎていっているわけで、駆け足で教室に戻らなければならないなと、内心ではため息を吐いていた。 「とにかく、腹にさえ入れば何とかなりますしね」 あはは、と笑うと梶山もふっと笑う。鼻で笑うような雰囲気は、彼らしいといれば彼らしい。しかし、万人受けはしないだろう。 けれど、もしこの人が屈託のない笑顔を浮かべたとしたら、それはそれでやはり意外なんだろうなと栄口は思う。 こっそり横目で見ようとすると、一瞬目があってしまって慌てて逸らす。 「サボっちゃえば?」 「え?」 「授業。飯食ってないんだろ?だったら、いっそサボってゆっくり食べれば良いじゃん」 「いや。それは、あんまり」 「ふぅん。真面目だね」 「梶山さんだって、これ頼まれてやってるんですよね?真面目じゃないですか」 言うと、ギャハハと笑われてしまう。ムッとした栄口に、いやごめんごめんと対して悪いと思ってもいないような口調で言う。短い髪を掻き上げるような仕草をして「サボったのばれちゃってさ」と続ける。 それがさらに栄口の癇に障った。 「そうなんですか」 返事の代わりに笑い声が返ってきた。 「いや、嘘だけどね」 「は?」 「やっぱり信じた?俺がサボるのとかって、意外性ないんだね。前は良くしてたけどさ、今はしてないよ。ほらだって、応援団やってるでしょ?やっぱ、マズイじゃない、野球部にも迷惑かけちゃうしさ」 普段であればそれはなんのことはない言葉で、有り難いことですよ笑って流せることだった。しかし、今はそれが出来ない。 視線は合わせないままに、そういうのはちょっとどうかと思いますよと覇気はないが辛辣に言った。 「応援しておいてもらって言うのも何ですけど、応援団だからサボらないとかってちょっと違うと思います。応援するなら、自然とそういうことしなくなる気がするんですけど」 「揚げ足取りって言わないそれ?」 「かもしれませんけど。でも、梶山さんが本当はサボりたいのに応援団のせいで出来ないんだみたいに思っているんだったら、それはどちらに対しても失礼なことなんじゃないかって思えたんですよ」 「そういう風に聞こえちゃった?ごめんごめん、なんか俺言葉上手くないからさ。そういうんじゃなくて、応援はしたいよ。だからサボってないんだから。お、あった」 古ぼけたロッカーの脇に立てかけてあった筒状の年表を取り上げて、栄口に見せてくる。 「俺、特に気に入ってんのよ。野球部のさ、ピッチャーとか。すごくがんばってるじゃない?」 「三橋ですか?」 「あぁ、そう。そういう名前だったかもね」 「そうですよ。三橋は、うん、頑張ってますよ」 だよね、要領悪そうだけど一生懸命だもんね。といかにも知っているような口調で話すので、とにかく栄口は腹が立って仕方がなかった。 ここ最近で、ここまで腹が立つことなどはなかったと自分でもどうして良いのか分からなくなってしまいそうになる。 特に、三橋の話を軽い口調でされたことによって栄口の我慢はギリギリのところまで来ていた。 (とにかく、探すものは見つかったんだし。もう出よう) そう思うのに、出るにはまず梶山の横を通らなければならない。 それすらも嫌だと思った。 (これはもう、苦手とかじゃないな) これから先、出来る限りこの人と二人きりにならないようにしようと心に決めてまばたきに見せるように装って、気を静める為にまぶたを一瞬閉じた。 「俺、そろそろ行きますね」 「あ、ちょっと待って。あのさ、ミハシって何組だっけ?」 「えーっと、7組ですよ」 すぐにバレるであろう嘘を吐いた。 ありがとう、あんた良い人だねと言われたことに栄口は吐き気を覚えた。 |