街頭ポスターの中の女優が半裸で流し目をしてる、そんな街角
色素の薄い癖毛がふわふわと眼下で揺れる。無風に近い陽気だったが、ささやかなそよぎにも細い髪はいちいち揺れては、榛名の視線を紛らわせていた。
頭一つ分小さな体は、肩を持ち上げて竦めていていかにも窮屈そうに見えたが榛名はそれを指摘することもなく笑みを浮かべながら久しぶりだなぁと、本人にしては快活に、しかし客観的にはいかにもチンピラ然とした声色で話しかけた。
胸の前で指先を絡ませて何か物言いたげに視線を彷徨わせる、その頼りない雰囲気の滲み出ている少年が西浦のエースだということを、榛名は未だに不可解に思っている。
そもそも榛名は自信過剰なところがあるので、自分以上の投手がそういるなどとは思わない男だ。三橋がエースだということを不可解に思うことも、その実力を見て思っていることではない。むしろ、新設野球部としては上々の実力だと評価すらしているが、そうではなく三橋の態度がなんとも陰気くさいところが榛名にはエースに相応しくないと思えるのだ。
とはいえ、結局榛名は自分以外にはあまり興味がないので、声を掛けた瞬間にはちょっかいを出してやろうという悪戯心があるばかりだった。
調子はどうだ試合負けたんだってなまぁ一年だけにしては頑張ったんじゃねぇのさすがにの隆也だってへこんだだろなぁあいつは生意気でムカツクやつだけどこれでちょっとは殊勝になりゃ良いよな。
無神経だと思われることも臆面なく、榛名は一方的に喋り立てた。三橋が眉を下げてちょっと困ったように曖昧な笑みを浮かべているのを見て、にんまりと唇を引く。
あぁ楽しい。とても楽しい。
榛名は悦に入って、ますます無神経なことをしゃべり続ける。
お前は背が足らない腕が細いと身体的なことを言っても三橋は傷ついたように目を伏せて俯いたが、三特に過剰な反応を示すのは阿部に関することだった。
阿部の中学時代の話をするだけで、三橋は好奇心と絶望の入り交じった奇妙な表情になって榛名を見上げた。
目尻が赤く染まり、唇が戦慄く様にどうしてここまで阿部の話に反応するのか榛名には理解が出来ずにいた。それでも、面白いぐらい素直に反応する三橋が愉快で、分からぬままに阿部の話をひたすらにするのだ。
「あいつは我が儘だよ」
目を合わせては来ない三橋を覗き込んで、無理矢理に自身の視線を潜り込ませる。
「だけどまぁ、俺の球を捕れたのはあいつだけだった。お前の投げる球は遅いんだろ?きっとあいつも内心じゃつまらなく思ってるんじゃない?」
覗き込んでもなお視線は合わなかったが、眼球の表面に涙が膜を張るのを見て榛名はますます悦に入ったようにヒヒと笑って、タカヤは我が儘だからなぁと繰り返した。
三橋は榛名の笑い声を合図にしたかのように、ほろりと頬に涙を伝わせる。目蓋をきつく閉じて涙を堪えようとしているのか、それとも絞りだそうとしているのか榛名には判断が付かなかったが、そうして傷ついた顔の三橋を見ることはとても痛快な気持ちだった。
「榛名さん」
三橋が、か細く榛名を呼んだ。
なんだよ、と機嫌良く榛名は笑みを浮かべたまま答える。
「榛名さん、俺、そのぐらいはわ、分かってるつもりです」
「そのぐらいって?」
「阿部くんにとって、俺が、ど、どうしようもなくて、本当は榛名さんみたいな、すごい、ピッチャーの方が良いんだって、」
「なんだ、思ってたより馬鹿じゃないんだな」
「榛名さん。俺、でも、阿部くんがいないと、」
三橋が言いかけるのを、榛名は怒鳴るようにして名前を呼ぶことで制する。
「そんなものはお前の都合だろ。お前がどう思おうと、事実は何一つ変わらないじゃないか」
「分かってます、分かってます」
三橋は先ほどよりも大粒の涙をほろほろと流した。
夕方の公道で人目がある状況にもかかわらず、榛名は三橋を責め続けたし、三橋も泣きやむ気配は無かった。
そんな二人を、同年代のグループが興味深そうに、年若いOLが怪訝そうに、サラリーマンが不機嫌そうに眺めて通り過ぎる。
三橋が完全に周りの状況を失念していることとは反対に、榛名は周囲の目が気にならないだけでしっかりとその奇異の視線には気付いていたので苛立つ感情にはそれがまた不快だった。
しかし、当初三橋に声をかけた時の気分の良さは消え去ってしまい、ただ目の前で泣いている三橋に対する疎ましさが湧き上がる。
ちくしょうちくしょうちくしょうこんなはずじゃなかったのに。
榛名は内心で毒づいた。
本来ならば、ひとしきり三橋をからかって笑って気分良く退散する手はずだったのだ。
それが気付けば道の真ん中で、人目を集めながら怒鳴り散らしている。
三橋が泣きじゃくる度に上下する喉仏を見て、榛名はそれを指で押しつぶしてやりたいとすら思った。
子供を虐待死させちゃう親ってこういう感じなのかな、と榛名はちらりと考えた。泣き声が耳に触るから、手っ取り早くその元を断つ。達成した瞬間はさぞかし爽快感に満たされるのだろうなぁ、と手入れを欠かさない指先を眺めながら思っていた時だった。
せっぱ詰まった、それでいて馴れ馴れしい声が自分を通り越すのを榛名は聞き取った。
「どうして泣いてるんだよ三橋」
榛名には目もくれずに三橋に駆け寄った男は、いかにも女受けしそうなゆったりとした声のトーンで、三橋を慰めるように呼んで指を目尻に当てると涙を拭う。
「気障ったらしい真似が好きなんだな、ミッション系のガッコ行ってる人間は」
「じゃぁ武蔵野に通うやつは、揃って他人をいたぶる趣味でもあるのかな。そりゃないよね、あんまりにも失礼だよねお前以外の人に」
言葉の辛辣さとは裏腹に、にっこりと浮かべた笑顔は完璧なものだった。
榛名は自分もそこそこの容姿の持ち主だということを自覚していないのか、これだから顔の良い奴は嫌みで腹が立つと、奥歯を噛んで睨み付けた。
相手はそれに気付いてもなお笑みを浮かべ続ける。明らかに挑発されていると判断して、榛名は怒鳴り声を上げようと口を開いた。声帯を震わせて声を出す、そのほんの手前で三橋が慌てたようにごめんなさいと榛名を見上げて謝りだした。それからじゅんさんも、と反対に向き直り謝罪を繰り返す。
その時榛名はそういえば桐青のエースの下の名前って「じゅんた」だったっけか、などとぼんやり思いながら、三橋が年上の人間を名字ではない呼び名で読んでいることに驚いた。
「三橋が謝る必要ないよ」
準太の言葉は榛名の思うところでもあった。
だからといって素直に頷ける程、榛名は落ち着いた気質の持ち主でもない。そもそもお前には関係のない事だろうと、準太に食って掛かるように言っていつの間にか準太の傍にいる三橋の腕を引いて引き寄せる。
「お前、高瀬といつ知り合ったんだ?」
「し、試合、で」
「なんだ、それじゃ俺のが先に面識あるじゃん」
だから何?と、準太が白けた口調で言う。
榛名は準太を睨み付けて、歯を噛みしめたまま不明瞭にだからと憎らしげに返す。
「だから、」
しかし、その言葉はそこで不意に止まった。
「だから・・・何なんだろなぁ」
ぼんやり呟くのを、準太が知るもんかと素っ気なく一瞥して返した。
「とにかくもう良いだろ。今日は、三橋俺と待ち合わせしてたんだ」
なぁ三橋、と問いかけられてはいじゅんさん、と答える。そのやり取りに、榛名はちょっと目を見張って、それから声を上げて笑った。
「先生と生徒みたいなやり取り、超笑えるんですけど」
榛名は毒づいたがそれに対して準太がムキになって何かを言い返してくることはなかった。
三橋の背中を押して、この場を離れるように促す準太に三橋も逆らう様子は見せない。もしかしたら三橋を自分から離す為の方便かもしれない、と榛名は準太の行った理由を疑っていたが到底咄嗟の嘘など吐けそうにはない三橋が何の抵抗も見せずにいるところを見ると嘘ではなかったようだ。
「榛名さん、あの、すいませんでした、」
「なんだよ、俺、榛名さんかよ」
「榛名じゃなかったら、お前誰だよ」
馬鹿にしたような準太の言葉に、榛名はいや俺榛名だけどさと呆けたことを言うのでさすがに怪訝な顔で大丈夫かと準太も聞かずにはいられなかったようだった。
「なんだろうなぁ、良く分かんないけど。タカヤのことだけ気にする奴かと思ってたら、なんだ三橋、お前ちゃんと他にも人間と交流してるんだな」
そうかそうか俺榛名さんであっちはじゅんさんかぁ、と声量は十分二人に聞こえるものだったが、明らかに一人心地に榛名はぼやいた。
じゅんさん。
三橋が呼ぶ。その他の言葉はまるで耳に入らなかったのに、準太を呼ぶ声だけが明瞭に響き鼓膜を奮わせた。
パチンッ。
弾ける音は、榛名が三橋の頭を思い切り引っぱたいた音だ。
怯える三橋の目、涙が滲むのを見て榛名は悔しさに歯ぎしりをして駆け出した。
ちくしょう何で俺は榛名さんであいつはじゅんさんでタカヤはまるで役に立たないんだ三橋はタカヤだけ気にしてれば良いんだよひいてはその根底にある俺の存在だけ気にしてれば良いんだよそれなのに、じゅんさん、だなんて!
出鱈目に走っている間に、何度か人とぶつかった。一際激しくぶつかった時も、榛名は足を止めることはしなかった。よろけた体は勢い良く車道へと飛び出して、数十メートル先から乗用車が迫ってくる。
ギャリギャリと響くブレーキ音とプァーッとこだまするクラクション。榛名は目を閉じた。
ブレーキ音が間近まで近づいてきているのが、音とともに気配で伝わってくる。音が止んだのはほんの一瞬だった。
馬鹿野郎、と運転手が飛び出してきて榛名を罵倒した。
乗用車は榛名の目と鼻の先で止まっていたのだ。
あぁ本当に俺が馬鹿野郎だ、と榛名は目を開きながらぼんやりと思った。
ちょっかい出すのも泣き顔が見たいのも、呼び名を気にするのも、三橋のことが好きってことなのだ。
「馬鹿野郎です。すいません、すいません」
榛名は車道の真ん中で、人目も気にせずに泣いた。
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