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悲鳴か歓声か泣き声かもしらない
あ、泉さんと団長さんだ。 人の声と車のエンジン音横断歩道の歩行合図のメロディどこからか聞こえてくる機械音に破壊音、全てが乱雑に入り交じる街中では、時々隣を歩いている人間の声すら聞き取りにくいことがある。それでも、不意に飛び込んでくる自分に関した言葉には耳ざとく反応してしまうが、その場合大抵は勘違いや無意識下の反応である。 この時の泉も立ち止まって声のした方を振り向くまでは、反射的な行動だった。しかし、聞き間違いや同姓同名などではない。 泉という名前こそ有り得ないものではないが、泉と団長という組み合わせはおそらくこの場に自分たちしかいない。 隣の浜田を見ると、やはり怪訝そうに辺りを見回していた。 不意に立ち止まった二人に通行人が気を利かせてその足を止めてくれるわけではないし、喧噪が止むわけもない。一定の歩調から外れたことで人混みに翻弄されそうになるのを、人通りからは一歩離れたところに出ることで避ける。 ふと自分たちの方へ向かってくる二人の少女を見つけて、泉は眉をしかめてあからさまに怪訝そうな表情を浮かべた。 浜田が知り合いかと訊ねて来たが、知らねぇよと素っ気なく返してその間にも記憶を素早く顧みた。中学の同級生、同じ学校の試合を応援してくれた子、ぱっと見で思い当たる節のない彼女たちと自分の関係と言えば、せいぜいそんなものだ。前者も後者も、ひょっとすると向こうが一方的に泉たちを知っているという可能性もあるから、記憶を辿ってみたところで本当は何の意味もないのかもしれない。 それでも思い出そうと躍起になるのは、一方的に知られているという状況に居心地の悪さを感じるからだ。 しかし結果として、泉が思い出すよりも先に二人の少女は目の前にまで来て、こんにちはと軽やかな声で挨拶をしてきた。 子供ではないが成熟しきってもいない容姿は、せいぜい中学生だろう。揃って揺れる緩やかなウェーブのかかった髪は、その年から考えるに癖毛なのかもしれない。 二人とも、目鼻立ちのはっきりとした「可愛い」少女だ。 泉は彼女たちを交互に凝視した。 可愛いからうっかり見つめてしまった、ということをするほど泉はうっかりはしていないし女好きでもない。 もちろん、男の性質としてふと目がいってしまう瞬間がないと言えば嘘になるが、少なくとも目の前にいる異性を凝視するようなことはしない。 ニコニコと人懐っこく笑みを浮かべる、その表情までもが同じだった。 双子だ、と浜田が呟くと、耳聡くそうですよと答えてくる。 「泉さんと」 「団長の浜田さんですよね」 一応質問の形は取っているが、それは疑問ではないと言うことは彼女達の表情に不安や戸惑いが微塵も浮かんでいないことから分かった。 「あたしたち、花井梓の妹です」 右側の赤いコートを着ている方が、胡散臭げに二人を見ていた泉に向かって言った。 「花井の?」 そういえば妹がいたかもしれない。 泉は花井の面影を探そうとしたが、目の前のいかにもか弱く華奢な二人と、まだ筋肉が付き切っていないとは言え飛び抜けて背の高い花井を比べたところで共通点は見つけられそうになかった。何より思い浮かぶ坊主頭。 「…似てないね」 「昔の写真見たら」 「似てるんですけどね」 お兄ちゃん坊主になんかするから。せっかくカッコ良いのに坊主なんだもの。 二人はコロコロ笑いながら、顔を寄せ合って言い合う。造り物かと思うほどに、完璧な「女の子」だ、と泉は思った。 浜田が可愛いなぁと、直接的な言い方で二人を評価するとまた二人は喉を振るわせた軽い声で笑う。 「ありがとうございます」 「でも、お二人も素敵ですよ」 「それは、どうも」 出来過ぎだ。泉はあんまりにも二人がそつなく受け答えたことに、かえって胡散臭さを感じる。 彼女達の兄である花井もそつなく大人びた受け答えをする方ではあるが、それには高校生ならではの敬語の綻びや場慣れしていない雰囲気もある。少なくとも、年上の人間と話す気後れのようなものは二人から感じ取れはしない。 だから可愛らしいが可愛げはない。 「随分、しっかりしてるね」 「ぜーんぜん。良くそう言われるけど」 「甘ったれなんですよ」 「あぁ、ブラコンってこと?」 兄を格好良いと評したことを取って聞くと、友達には笑われるの、と左側にいる黒いコートを着ている方が恥じらったように上目遣いで言う。正直、ぐらりと来た。もしも野球をやってなくて西浦に入ってなくて気になる相手がいなければ、花井にすがって携帯メールのアドレスぐらいは聞いたかもしれない。 浜田なんかもうあからさまに鼻の下を伸ばしているに違いないと泉は横目で伺ってみたが、意外にも可愛いと言ったくせにそこまで二人には興味を持っていないように見えた。素っ気ないとか無愛想なわけではないのだが、平然と普段よりも落ち着いた様子でいることが泉にはかえって奇異に映る。 そんな泉に構わず、浜田は本当に可愛いねと泉に振ってくる。 「まぁ、花井の妹とは思えないよな」 「お兄ちゃんは優しくてカッコ良いですよ」 「今日だって、あたしたちのお願い聞いてくれて一緒に付き合ってくれたんだから」 「え、あいついんの?」 「あそこにいますよ」 「映画のチケット買ってくれてるんです」 確かに花井は映画館の窓口に並んでいた。 しかしその隣に三橋の姿を見つけて、泉は眉間に皺を寄せると聞いてねぇぞと低く呟いた。 「何で三橋誘ってんだあいつ」 「別にチームメイトで変なことでもないだろ。俺らだって、一緒に遊んでんじゃん」 「三橋が都合悪いって言うから、腹いせにお前に奢らせようと思っただけなんだけど」 「金無いんだけど」 「絞り出せ」 うふふ、といかにも女らしい笑い声が割り込んでくる。口元を同じ仕草で押さえて、双子が笑っていたのだ。 「お兄ちゃんが誘ったんじゃないですよ」 「あたしたちが、三橋さんと遊んでみたかったから」 「お兄ちゃんに」 「お願いしたの」 わざわざ二人で区切る喋り方は、単純に可愛らしいと思うか、鬱陶しいと思うかのどちらかだ。三橋の予定の相手が花井だったということよりも、それを知らされていなかったことにより腹立たしさを感じている泉は後者で、うるさいとすんでの所で言いかけすらして唾を飲み込むように喉を上下させて感情ごと抑え込んだ。しかし、そんな泉の心情はおかまいなしに、双子はその喋り方のまま続けた。 「三橋さんって」 「なんか気になっちゃうんですよね」 「頼りないっていうか」 「そのくせ、優しいっていうか」 笑う。軽やかな声は耳に馴染むが、今の泉には好ましくなどは思えなかった。 うるさい、耳障りだ。そんな至極単純で芸のない罵倒が思い浮かぶが口に出すことはないし、出来ない。 ムキになっているのは自分一人で、たかだか中学生が二人年上に憧れを抱いているだけだと言い聞かせる。 あすかはるか、と聞き慣れた男の声は花井だった。花井は映画館前から遠目にも泉達の姿を確認して、驚いた表情の後で気まずそうに顔をしかめた。 「聞いてなかったから驚いた」 満席で次の回だってさ、と双子(多分片方があすかで、はるかなのだろう)に言いながら三橋と連れ立って来た花井に泉はぞんざいな口調で言った。 だって妹となんて言いたくねぇよと、泉は三橋とのことを言ったのにとぼけた返答をする花井に違うと言い放つ。 「分かってんだろ。俺が言いたいこと」 一瞬の間の後で、分かってるから言わなかったんだと花井が呟いた。泉は顎を上げて花井を睨んだ。同い年なのにぐっと見上げないといけない状況になることが、今ほど嫌だと感じたことはなかった。 ようするに棚からぼた餅ってことだ。辛辣なことを嫌みめかして言おうとしたらかえって間抜けになってしまったと思ったが、花井には有効だったようで眉を吊り上げてなんだかムカつくなぁと返ってくる。 花井の隣では三橋が不安げにしていた。その隣、ということも泉には気に入らない。 さらに睨んだことで花井もムキになったように睨み返してくるので、ヤンキーのにらみ合いのような構図が出来上がってしまっていた。 浜田が取りなすように泉と花井の間に割って入ってまぁまぁと両手を上げてお約束のポーズをした。 お約束ということは、多くの人間が効果を認めて使ったからこそ広まったのだろうが、今この場ではまるで効果を現していない。 言えば良かったんだ別にやましい訳じゃないだろなんで隠したんだよ三橋まで。 そうやって不機嫌になられるのが嫌で言わなかったんだよ。大体泉の言いぐさじゃまるでやましいみたいに聞こえるから腹立つんだ。 お前らいい加減にしろよどう考えてもどっちも悪い悪くないの話じゃないだろ花井の妹たちだっているんだから。 浜田の言葉に笑い声が弾けた。 「おっかしいの」 「まるで三橋さんを取り合ってるみたいね」 大当たり、と泉は内心舌打ちをしたい気持ちになった。 三橋が有り得ない愚鈍さで自分に向けられている気持ちに気付かないことに慣れすぎてしまっていたが、自分達の物言いはあまりにもあからさまなものだ。いやしかし男同士、まさか恋愛感情を持っているとまでは深読みされないはずだ。(そのくせ泉は情けない程に心拍数を上げて不安感に苛まれている) クスクス、笑う二人に花井も気まずそうにしている。 「男の人っていつになっても男の子なんだわ」 「小さい子が好きな子と、誰が遊ぶかで喧嘩しているみたい」 あぁそうそうその通りだよ当たってるからこれ以上深読みしないでくれね。そんなことを思いながらちらりと三橋を見ると、恐縮したように肩を縮めて俯いてしまっている。 多分自分は誰かに取り合われるような人間じゃないのにと、独りで狭いキャパシティしかない頭で絶望感に浸っているのだ。 それは泉の予想でしかないが、おおよそ外れてはいない確信がある泉は、イラ、とこめかみが冷える感情を覚える。 お前のことが好きなんだよ、と直接言ったとしても三橋は脅えるか意味を取り違えるのかしかしないのだろうと思う。(脅えるということは意味を取り違えてこそだとも思うが、三橋の場合は好意を恐れているように見受けられた)(好きと言って脅えられたら、そんなに虚しくて悲しいことはない)(だから泉は決定的な言葉を告げはしないのだ) ごめんなさい、とか細く謝る三橋に花井が謝る必要なんてないだろときつい口調で言った。慰めではなく、諫めている。 その様子を見て双子がお兄ちゃんも三橋さんが大好きなのね、と首を揃えて傾げながら言う。それから泉と浜田を、これもまた同じタイミングで見上げてくる。 「今日はお兄ちゃんが一歩リードですね」 黒いコートを着た方が言った。 「やっぱりブラコンなんだね。お兄ちゃんの味方か」 泉が口調が荒くならぬように注意しながら返すと、違いますよぅと赤いコートを着た方が首を振って否定した。 「あたしたちが」 「三橋さん狙ってるんですもん」 狙っているだなんて下世話な言葉は、二人の雰囲気にはちっとも合わないものだった。しかし口にしたところで、彼女達の穏やかなイメージが変わることはなかった。だからこそ胡散臭い、と泉は思わずにはいられないのだ。 「三橋は今、野球にばかり夢中だよ」 「変わるかもしれないし」 「変わらなくても、好きにはなってもらえるかもしれないわ」 だってあたしたち女の子だもの。 揃って言われて声質までそっくりなのだなと認識した。 「お二人みたいな人たちって、初めてです」 「あたしたち可愛いって言われることには慣れてるから」 「本気で思ってないなってことも分かっちゃった」 何のことだいだって君ら可愛いじゃないか。お世辞を言おうとすればいくらでも出てきそうだった。 しかし、泉は何も返さない。 余計な一言で墓穴を掘ることはごめんだったからだ。そう思っていたそばから、浜田がまさに泉が世辞と思った言葉を口にした。 ただし、小憎らしく嘘ねと即答されてしまう。 浜田は人好きのする笑みを浮かべた。 「何にせよ、三橋は二人に興味なんてないし、ましてや恋愛感情なんて持つことはないよ」 「ヒドい人!」 「大人気ないわ!」 二人の声が泣き出しそうに震えていたが、表情はケロリとしたものだった。 それが声色だけの演技なのかやせ我慢なのかは、泉には預かり知らぬことだ。 泣かれたらやっかいだなと、自己中心的なことしか思わない自分に少しばかり驚く。 簡単なフォローすらする気がなかった。双子の大きな目が四つ、きつい視線を向けてきていた。 迫力がないわけではないが、それはやはり子供の域を出てはおらずギクリとした感覚を覚えさせるものではなかった。 「浜田センパイてば、本当大人気ないですよ」 泉はにやりとほくそ笑んだ。 ホントにヒドイ人! 悲鳴のような声がどっちのものかなんてことを、泉は知らないし知ろうともしなかった。 |