警告
コツコツと定期的な軽い音が続く。それに混じって聞こえてくるのは落ち葉を踏んだときのような乾燥した音や錆びた扉を引きずりながら開けたような音だ。 それらは全て時折、不意に止むことがある。そうした瞬間は本当に物音の一つもなく、どこか気まずくなる瞬間でもある。 そういう時、準太はこっそり目を開けて周りをさりげなく見回す。あくまでも目立たないように本当にこっそりと上目遣い気味に見回して、誰とも目が合わずに一巡出来ると軽い安堵感を覚えるのだ。 沈黙はそう長くは保たない。十秒もすれば、再びさわさわと音が戻りそれに反応するかのように準太の意識が混濁していく。 そろそろ試験だよなぁ真面目にやんないとやばいよなでも練習あると眠くって。 もやもやと不明瞭になってきた意識の中でそのようなことを何度も繰り返し考えながら、結局は生ぬるい感覚に足下から絡め取られていくようにして、ゆっくりと意識を手放していくのだ。 ようするに、居眠りをしている。そういうことだ。 熟睡をすることはさすがに無いが、それでもクラスメイトは呆れ顔で良い根性してるよと言ってくるぐらいなので端から見れば準太の言うところの「居眠り」は本格的な睡眠と思われているということなのだろう。 正直なところ、居眠りをしてしまった授業のすぐ後にニヤニヤと近づいて来ては「また寝てたなぁ」と、笑いの混じった声で言われることが煩わしいと準太は思っている。 誰に迷惑をかけているわけでもないのにどうして放っておいてくれないんだろうかと内心ではうんざりしながらも、腹を立てて尖った物の言い方でもして言い争いになったら尚のこと面倒くさいからと適当に調子の良いふりをして流すことにしている。 それでも、というよりはだから余計に言われるのかもしれない。 (だけど、今更スタンス変えるのも面倒だしなぁ) 授業の終わりを割と親しくしているクラスメイトに肩を叩いて知らされ顔を上げると、服の皺の跡が付いていると指を指されて笑われた。 もー、俺すっごい格好悪ぃじゃんと軽い調子で言って頬を手のひらで擦った。 クラスメイトがそれに対して冷やかしを入れるよりも先に、準太は遠慮無しに教室に入り込んできた男子生徒の姿を見つけて内心舌打ちをする。 「慎吾さん」 部活の先輩である島崎慎吾が不意に現れたことで、準太の机の周りにいたクラスメイトらは急に居心地が悪そうにひそやかな存在になる。そして、準太が何事ですかと何の気負いもなしに話しかけ、それに対する慎吾の態度もまた先輩というよりも同級生のような気軽さであることを確認すると皆一様にこっそりと二人の傍から離れていった。 「俺、そんなに怖そうに見える?」 表情豊かではなく、どちらかといえば飄々としているように見える慎吾はそれでいて割と繊細だ。ショックを受けたような顔で準太に聞くと、俺傷ついちゃうわぁと嘆く。 「先輩だからでしょ。しかも野球部の」 「いやだね、ステレオタイプなイメージって。それじゃ、俺らは汗くさくって坊主でなけりゃいけなくなっちゃうじゃない」 「汗くさいってのは、あながち間違ってもないんじゃないですか」 朝練の後、どうしても始業に間に合いそうにない時はシャワーを浴びることなく教室へと向かうことも少なくない。気休めに制汗スプレーを振りかけて何とか臭いは消せたとしても、体中にへばりついたままの汗は時間がたつごとにベタ付いて臭いを放ち始める。 自分が臭うと思うぐらいなのだから、周りにいる人間は溜まったものではないだろう。慎吾にそう言うと、俺の汗は臭くないんだとくだらない言い訳をされる。 「まぁ、好きにしてくださいよ。それで、何の用ですか?」 冷たい子ね、と茶化して言うわりに表情が変わっていない。だからかえって引かれるんですよ、と口には出して言わない。 準太自身が慎吾の人格を大まかに知っていて、それで何となく付き合っていけているのであれば他の人間が慎吾のことをどう思おうと関係ないと思っているのだ。 多分慎吾もそのことに気づいていて、敢えて準太にちょっかいを出してきている。二人とも互いが互いに、とても仲良くなりたいと思っているわけではない。むしろ準太は慎吾のことを煩わしいとすら感じる時が多々あるし、慎吾にしてみても準太は可愛げのない後輩でしかない。 それなのに、避けることは互いにしない。 「あのさ、今日の放課後って時間ある?」 「は?部活でしょ?」 「いやもちろん、部活終わってからですよ」 「なんで?」 思わず敬語になってしまっている慎吾と、そうではない準太。あべこべだ。 「夕飯でもね、どうかなと思いましてね」 「何かありましたっけ?誕生日・・って誰のって感じですけど。しかもそれ、まさか俺と慎吾さんだけでってことじゃないでしょうね」 身の危険を感じます、と辛辣に言う準太に誰が好きこのんでお前みたいな口の悪い奴と二人きりで飯を食いたいと思うもんか、と負けずと反論してくる。 しかし反論をしたとしても、慎吾が準太を食事に誘ったということは事実である。「じゃぁ、なんで誘うんですか?」ともっともな質問で切り替えされると慎吾はぐぅと言葉に詰まって大げさにうなだれた。 「別に俺じゃないよ。クラスの女子がさぁ」 「はい?三年生ってことですよね?」 「お前に興味があるんだって言うからさ」 「あー、なんだ。そういうこと」 納得がいったと、準太は口を開けてはいはいとやる気なさげに返事をした。 「そんなん無理ですって。練習で疲れ切ってるところに、女子に気を遣うなんて気力残ってませんもん」 「だよなぁ」 「ですよ。っていうか、慎吾さん大事なこと忘れてる」 気怠げに、腕を下敷きにして机に突っ伏して言う。 「俺、三橋がいるじゃないの」 さらりと、準太は他校の少年の名前を挙げた。 冗談を言っているわけではないことを、慎吾は重々承知している。もはや二人がそういった付き合いをしているということは部内では有名な話なのだ。 どうしたことか、三橋という西浦のエースは同性に恋愛感情を持たれやすい性質の持ち主のようで、他にも何人かが三橋に想いを寄せているらしいということを慎吾は準太から聞いたことがある。 それはつまり、ただでさえ男同士というリスクがありながらさらに恋敵もいるということで、そうとなればそれなりに焦りを見せても良さそうなものだったが、準太はその話を慎吾にして聞かせた時ちょっとの焦りすら見せずに淡々と事実を述べただけといった風であった。 それが余裕だとすれば大したものだ、と軽い気持ちでいたことを思い出す。 「だって、お前ホントに三橋のこと好きなの?」 「どういう意味です?」 「そのまんま」 準太は顔も上げずに、「好きですよ」と答える。 憤りも軽蔑も感じられない、相変わらずの淡々とした口調だった。 「あいつすごい可愛いもん。顔がってんじゃなくってさ、存在が良いんですよ。俺のこと高瀬先輩って呼んでくれて、野球上手いって尊敬してくれるもん」 くぐもった声は、休み時間の騒音に紛れて明瞭ではないがそれでも聞こえないほどではなかった。 「だけど、三橋の奴俺に電話かけてくるの知ってる?知ってるよな。三橋、わざわざ馬鹿正直にお前にアドレス聞いてきたんだもんな。別に対して親しかったわけじゃないのに、西浦のキャッチャーとかのがよっぽど親身になってくれるんだろうに、俺に相談してくるの。何でか、分かる?」 「三橋が浮気性ってことですか?」 「お前ね、冗談でもそういうこと言うなよな」 言って、奥歯をカツンと音を立てるほどに強く噛みしめる。 「慎吾さん、怒ってんですか?」 「まだ怒ってないけど」 「まだ!」 繰り返してゲラゲラと声を出して笑う。笑い上戸だということは知っていたが、その対象になったことのなかった慎吾はいささか腹立たしい思いを感じながらそれでもやはり表情には感情を表さないままでいた。 準太が机を大げさに手のひらで叩く。 「あのですね慎吾さん。三橋のこと、親身になってくれてありがとうございます。でも、あんまり深いところにまで入り込んで来ないでくださいね」 「深いって、相談されたから心配してるだけだろ」 「何を」 「色々」 「だから、何を?」 「言っちゃったら、相談の意味ないでしょ」 「でも俺、三橋の彼氏だもん」 知る権利があって当然だとでも言わんばかりの口調に、慎吾が口端を引きつらせて有り得ないと呟いた。 「お前さ、その亭主関白っぷり改めた方が良いよ。野球部だから汗くさくて怖いとかって必要以上に警戒されるのもアレだけど、何よりお前のその考え方のがよっぽどステレオタイプだから。お前はああしろこれであるべきだって、そんなことばっか言ってりゃそりゃ三橋も嘆くよ」 ふぅん、と準太は皮肉めいた声を出して頷く。 ほぼ相談内容をばらしてしまったようなものだ。慎吾は、しまったと唇を噛んで悔しがるが準太はそんな慎吾の態度にふぅんと神経を逆撫でするようにわざとらしく繰り返した。 「念のために言っておきますけど、三橋に相談されてるって言ったって俺らの間に他人が入り込む隙間なんてないですよ」 「お前だって、三橋から見て他人だろ。それに、相談してるうちに好きになっちゃってなんて、良くある話なんじゃないの?」 慎吾にそういった打算があるわけではなかった。ただ、一般的に「お約束」で有り得なくもない流れを口にしてみただけのことだった。しかしそれが準太にはおもしろくなかったようで、平成を装っているようでいても指先が苛立たしげに机をタンタンと叩いていた。 「揚げ足取らないでください。それとあんまりムカツクようなことも言わないでください」 冗談だろと嘯いて、肩をすくめる。 「どうかなぁ。ホント、念のため言いますけど俺、三橋のことは好きですからね。亭主関白だって言われたらそうなのかもしれませんけど、俺はこういう自分が三橋に対して色々要求して、それで三橋にそりゃ違うよ理想じゃないおかしいだろって言うことに喜びを感じてるわけなんですよ。それでね、三橋がごめんなさいって謝ってくるのとか、ほんと、たまんないわけです」 「歪みすぎなんじゃない?」 「分かってますよ。俺ちょっとおかしい性癖かなって、三橋好きになって気づきました。だからこその、慎吾さんなんですよ。俺暴走しちゃう時もあるかもしれないし、そうでなくたって三橋の性格上、そうやって毎回駄目出しみたいなのしてたら壊れちゃいますよね。死んじゃうかもしんない。だから、相談役に慎吾さん」 「は?」 「は?」 素っ頓狂な声を上げた慎吾に対して、準太もまた何を驚くことがあるのかと呆れた様子で同じ音を出す。 「だから慎吾さんが都合良かったんですって。西浦の奴らとはそんなに親しくないし、何より見てないところで何かあったら嫌なんでバツ。慎吾さんだったら、顔はまぁ・・中の下?ぐらいだし、三橋のことそういう対象で見てないし、面倒見意外と良いし、丁度良かったんですよぅ」 「お前、すんごい失礼。何中の下って。調子乗るなよお前ちょっと女にもてるからって俺の鼻がでかいの馬鹿にすると痛い目見るぞ」 「鼻のことなんか言ってないじゃないっすか。それに何?痛い目?」 「三橋取る」 「あんた、死にたいんですか」 「言ってるだけで殺せやしなくせに」 「分かんないですよ。暴走する時ありますもん。三橋が他の人間と喋ってるの見た時とか、割と本気で三橋監禁しておきたいって思います」 「おぉ、怖い怖い」 茶化して言う慎吾を大しておもしろくもなさそうに横目で見て、準太は大きくあくびをした。 「そう、怖いんです。だから、慎吾さんも絶対に三橋のこと好きになったりしないでくださいね」 |
いや、ホント。怖い怖い。
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