地面をえぐるような強い雨。
午後の通り雨というのは、うっすらと明るい空に生ぬるい空気という中途半端な空間を作り出す。
明るいから、激しい雨で景色に霧が掛かっているのも明確にわかる。それを神秘的と称するか、うっとうしいと称するかは、その人の感性しだいだろう。
栄口にしてみれば、前者も後者も気分しだいといったところだ。
気分がよければ、のんびりと降りしきる雨を眺めては感傷的な気分に浸ることもあるし、逆に不機嫌ならば畜生湿気ばっかり増やしやがってと悪態をつく。
それから、なんとなくただ眺めるだけの時もある。
まるで犬や猫のように、ただ視界に入る景色を情報としてのみ捕らえ、あぁ雨が降っているなぁ、太陽に反射しているなぁと思うだけ。
その時の栄口は、半年ほど付き合ってきていた彼女に「別れたいの」と引導を渡され、それに対する悲しみや空しさというよりは、倦怠感だけを抱えて何をする気にもなれずに、ぼんやりと校舎裏のちょうど雨避けのように屋根が突き出ているところへしゃがみ込んでいた。
あたりに立ち込める腐葉土の匂いは、凡庸な日常の一場面にはなんともふさわしいが、どことなく不潔らしさもまた感じられる。
十九世紀のヨーロッパの農村は、常にこんな匂いがしていたのかもしれないと、授業で習ったばかりの時代と箇所を思い出して想像してみる。
豚が村中を我が物顔で闊歩していて、牛が太い声で鳴く。
藁葺きの屋根は、鳥がそこから羽ばたいた拍子にはらはらと崩れ落ちてしまう。
子供がその藁を拾って、遊び道具の一つにするかもしれない。もしくは、豚がむしゃむしゃと無表情にほうばるのかもしれない。
なんと凡庸で退屈な生活。
それでも彼らにとっては、それが日常だったのだから何の疑問を抱くことなく死ぬまでその村から出ることなく暮らしていったのだろう。
そしてそれは、幸せなことに違いない。
怠いだの、人生がどうだの。そんなことで悩むだなんて、実がなくてつまらないことではないか。
それなのに、つい時間が余ると代わり映えのない毎日に辟易しては、何か変化を求めるが故に自分の悩みに浸って落ち込む。
ふと想像から我に返ると、牛も豚もおらず、ヴォーヴォーと野太い声のウシガエルが雨音に混じって鳴いているばかりだった。
はぁ、とその口からため息が出るのと、その視界にふと見慣れないものが写ったのとではどちらが早かっただろうか。
雨が発する霧のせいでぼやけている景色の奥、コケまみれの古い木の根元の土から何かが剥き出ている。
骨のようにみえた。
というか、骨だと瞬時に思った。
場所も鬱蒼とした裏庭で、地面からまるく円形の一部の除かせたそれは元は白いのだろうが、真っ白というわけではないところがさらに骨っぽく見えた。
そんなわけで栄口はそのとき、それを人間の骨なのではないかとほぼ無意識のうちに決め付けてしまっていたのだ。それはどこかで、絶対にあり得ないからだという確信があるからこそ、安心して「人骨かも」だなんてまるで推理ドラマのような芝居がかった台詞を頭の中で言えるという矛盾でもある。
一瞬でも真面目に思ってしまったことに、栄口は一人照れ笑いを浮かべて誤魔化す。
想像ばかりでなくて、実際に見に行けば良いだけのこと。
雨はまだ激しさを欠いていないが、木の下まではほんの十メートルもないからまずびしょ濡れになるようなことはないだろう。
立ち上がった拍子に、パキパキと膝の関節が音を立てて鳴った。

「ひっ」
「え?」

引きつったような声に振り向くと、校舎の影から一人の男子生徒が気まずそうに身を縮めながら出てきた。
小刻みに瞬きを繰り返しているのに、焦点が合わない。
その目が大きくて、薄い茶色という眼を引くものだから余計に焦点の合わないのが目立ってしまうのかもしれない。
奔放に飛び散っている少しウェーブのかかったようになっている髪も、やはり色素が薄い。
肌の色も栄口と比べると大分白いから、元来色素が薄いのだろう。

「驚かせた?」

びくびくとまるで小動物のようだという印象は、果たして男を対象にしても良いものなのだろうか。
栄口は声をかけながら、そんなことを思っていた。

「ここ、あんまり人こないと思ってたから、俺もびっくりした」

何年?どのクラス?名前は?
立て続けに聞こうとして、しかしそれはこのようなタイプの人間にはさらに怯えを与えてしまうだけだと栄口は思い止まる。
雨よけのない場所に立ったまま、立ち去ろうかどうしようかと悩んでいる様子の彼は、すっかり濡れてしまって、多分普段は柔らかに波打っているのであろう髪をぺらりと萎ませてしまっている。

「こっちおいでよ。濡れてるじゃん」

雨しぶきが入ったのか、それとも気まぐれに顔を覗かせている太陽がまぶしいのか、彼は目を細めて顔を顰めながらうう、と声にならない音をのどの奥からしぼりだした。

「ほら、なにもしないよ」

両手を広げて敵意のないことを示す。
彼は栄口の言葉を果たして信用して良いものか、逡巡してちょっと困ったように首を傾げてから、一歩近寄ってきた。

「ここ、よく来るの?」

首を左右に一往復。
その拍子に雫が、濡れた彼の髪先からしたたり落ちる。

「そっか。俺も今日初めて」

柔らかく言って人当たり良く笑うと、そこで彼が初めて笑顔を見せた。ただ、笑顔なのは確かなのだけれどもいさかか不自然だったのは、その笑顔がどうも相手(この場合は栄口)に向けられてはいないように思えたことだった。
気がそぞろだというのでもない。ようは、その笑顔は他人に見せようと意識して作られたものではなかったのだ。
当てはめてみれば、安堵からくる気のゆるみ、というのが彼の表情を表現するのには一番しっくりくるかもしれないと栄口は思った。
しかしそうだとして、こんなにもあからさまに表情に出る程「安堵」することの理由の想像がまるでつかない。

(いやでも、挙動不振な奴だからなぁ。こういう不自然さが、こいつにとっては自然体なのかもしれないし)

ふと目が合うと、慌てて逸らされる。
その後で、こちらを伺うようにちらりちらりと横目で見てくるのが、なんとも卑屈に映る。

「えっと。なんか、気になる?」
「ぜ、ぜんぜんっ」
「ふぅん・・・」

考え込むようにして返事をすると、彼はぱちぱちと素早く二三度目をしばたいた。
そうすると、ますます怪しく見えるばかりだ。
栄口は、芝居めいた仕草で顎の下をさすりながら、「あのさぁ」ともったいぶって声をかけた。

「違ってたら悪いんだけど、何か、隠してることとかある?」

ないよなぁ。あるわけないよ。だって、今初めて話したのに。
心中でそう自身の言葉を否定しながら、じぃと彼の様子を探るように凝視する。

「なにも、ない、です」

まぶたが痙攣して、顔が妙に紅潮している。そして、相変わらず視線は合わない。

(あ、デジャヴだ)

つい先程、同じような態度でもって栄口はふられたばかりだ。
他に好きな人がいるからと彼女(今となっては元、だ)が告げてきた時、目線は絶対に合わなかったし、何度も何度もまばたきをしていた。
栄口くん、誰にでも優しいからあたし不安だったんだよ。
しおらしげに俯いてそう言う彼女の言葉は、栄口への責任を促したものだった。けれど、恨めしげに睨み上げてこなかったのは、彼女に隠し事があったからだ。
好きな人がいるからというのは、間違ってはいないしウソではない。
ただ、その相手が栄口の友人であり、さらには二人はとっくに両想いであろうということ。
付き合いこそしてはいなかったのかもしれない。けれども、二人が想い合っているころなど、その様子や雰囲気を見れば一目瞭然だったのだ。 加えて、二人が仲睦まじく手を繋いで歩いているのを見たと得意げに聞いて聞かせてくれた情報提供者もいた。
それでも、敢えて知らぬふりをして今までやり過ごしてきた。だから、彼女に別れを切り出された時には、あぁついにかとむしろ感慨深い気持ちですらあった。決して、ショックがなかったわけではないけれども、落ち込むほどのことでもない。
二人を責める気持ちもない。

「なら良いけどさ。ほら、やっぱり隠し事されるのって、良い気分じゃないじゃない?」

八つ当たり半分に言うと、ひぃと思い切り怯えたような声を出される。
とはいえ、栄口の口調はきついものなのでは決してなかった。それなのに大層怯えてみせる彼に、栄口がムッとしたのも一瞬、すぐに持ち前のお人好しの精神から可哀想になってしまう。

「ごめん。別に責めてるわけじゃないよ」

初対面の人間から何もかもを聞き出そうとすることは、あまりにも図々しいではないか。
第一、あまり相手を知らないうちに深入りをして良いことなどあるわけもない。

(特に相手が、こういうちょっと難しそうなやつだったら余計に)

栄口には、これ以上煩わしいことは御免だった。ならば話の切り口を出してしまったのが自分である以上、相手が話し始めるよりも先にこの場を去ることが適当なことだ。

「ごめん、図々しかったよね。俺、そろそろ、帰るわ」
「あ、」

か細い声に立ち去ろうとした足を止めると、彼は一気に顔を赤く染めてどもりながら「あの、あの、」ともどかしい口調で何かを言い出そうとしている。

「なに?」
「あ・・う・・・な、なま・・なま、え」
「うん?名前?俺の?俺、栄口っての」

お前は?聞き返すと、落ち着きなくそわそわ上半身を揺らしながら、小さく「ミハシ」と名乗る。

「そっか」

会話はあっけなく終わってしまった。
気まずい思いをしてまで、そこにとどまる程の理由は栄口になかった。それじゃぁと軽く挨拶をして踵を返す。
弱まった雨足は、それでもまだ小雨と言えるほどにはなっていない。
栄口は後ろを顧みず、駆け足で校舎に駆けんだ。
湿気で濡れた廊下に足下をすくわれて、危うく後ろ向きに倒れ込んでしまいそうになったのを、すんでの所で踏みとどまる。

「おー、びびったぁ」

独り言を言いながら、濡れてしまった顔をワイシャツの袖で拭く。
その白に連想させられて、栄口は地面から覗いていた白く丸い球体を思い出した。

(どうなのかなー。骨、なわけないけど。あったら、犯罪現場だし。でも、動物の骨ってこともあるよなぁ)

思いながら、二三歩外に出て戻ってみる。
がらんとした裏庭。泥が雨によって弾けて散る。
「ミハシ」の姿も見あたらず、コケまみれの古い木の下は、柔らかそうな土がこんもりと小さな山を作っている。
掘り起こされたのは、明確だ。
雨に濡れるのも構わず栄口が木の下まで行って確認すれば、丸い穴がそこには出来ていた。
当然のようにその穴の中は空だった。
栄口は、ぞくりと梅雨には相応しくない寒気を体全身で感じて、慌てて穴から視線を逸らす。
誰もいない。何もない。

(なんだよ。やましくないなら、持ってく前に言ってけよ)

心の中で悪態を吐くも、その顔は青ざめていた。







やがて僕らは土に還る。

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