たんたららん








たんたららん









「あのさぁ、三橋。キスしてみてもいい?」
「うおっ・・あ、む、無理!」

部活の帰り道、阿部が人通りの少ない道に来た時に不意にそういうことを言ったのに、考えがまるでなかったわけではない。
自他を問わず、三橋が阿部になついていることは承知だったし、それが友情のそれかというと、どうもそれ以上なんじゃないかと思っていた。
だから、駄目で元々だなんてネガティブ思考ではなく、うまくいっちゃったりするんじゃないのかなんて多大な期待をしながら聞いたのだ。
それなのに、間髪入れずに無理だなんて。
普段はうじうじと自分の答えを言わないくせに、今日に限って、今回に限って。
阿部は、完全に自分を拒否するかのように突っぱねられた腕に視線を下ろしながら断られたことを残念に思うよりも、腹立たしく思う。

「まぁ、男同士だもんな」

ふて腐れて言うと、三橋は慌てて顔を上げて、何かを言いかけた。目には涙が浮かんでいるが、それはいつものこと。ただし、いつも以上にせっぱ詰まっての結果だろう。
震える腕と肩に、せっかく縮めてきた距離が全て消し去ってしまったんじゃないかと不安になる。

「あの、さぁ。忘れろよ?」
「ぇ?」
「今言ったことは忘れて、また今までと同じでな」

何で、とか細く三橋が言う。

「何でって」

自分で拒否ったくせに何を、と阿部は口調を荒げて返した。

「何でって、お前の為に決まってるじゃんか」
「う・・・あ、阿部くん。ごめん、なさい」

三橋の口から、何かある度に出る謝罪だ。何度も言われていると、本当に悪いと思っているのか怪しいもんだと阿部はすれた感情で思いながら、だから忘れてくれりゃ良いよと素っ気なく言った。
三橋の、目に溜まっていた涙が頬を伝った。目尻を赤く染めて、湯気が出そうな程に体温が上がっているのが見ているだけでも分かる。
見てられない。
阿部は、踵を返す。

「じゃぁな、」

これ以上見ていたら、劣情と苛立ちに駆られて無理矢理にでもことに及んでしまうに違いない。
三橋のことを思えばこその行動だった。
今までとは反対方向に歩き出す後ろで、三橋の嗚咽が聞こえてきても無視をした。それは、冷静でなくなってしまう前に自制する手段であったわけなのに。
抱きしめて、涙を吸って、押し倒して。
そうしたい、してしまいたいと思う自分を抑ていたのに。
その日から、三橋は阿部を意識的に避けるようになった。
声を掛ければ、ぎこちなくても答えは返してくれる。
ただし、ようやく合わせるようになった視線は逸らされて、声もいつも以上にか細く不安定だ。
三橋の性格を考えれば、こういうことになるのは至極当たり前のことだろう。それでも、そうして拒絶してくる態度は、つまり忘れろと言った阿部の言葉になどちっとも報いられていないということで。

(まぁ、自己中心のあいつらしいっちゃ、らしいけど)

今も、ロッカーが隣同士の為並んで着替えているが、三橋はもたもたと手を動かしながらも、阿部から極力離れて真逆を向いたままだ。
そんなにも、自分は信用されていないのかと阿部は思った。
忘れろと言いだしたからには、きちんと気持ちに区切りを付けるつもりだった。それなのに、三橋がいつまで経ってもあの日のことを引きずっているから、阿部の方だって忘れたくても忘れられない。
それどころか、そんな煮え切らない態度の三橋に、阿部の彼を想う愛情に苛立ちが募り、そのせいであのキスをしたいと言いだした日なんかよりもずっと大きい劣情がぐるりと阿部の感情の中心を渦巻くようになってしまっている。
ユニフォームを着るだけなのにうっとうしいぐらいの手際の悪さ、ぼんやりした顔に似合った寝癖だらけの頭。
まぁ、良いところなんて無いようにも見える。というか、良いところなどはない。欠点ばかりだ。
居心地が悪くなると、すぐに自分の身の置き場を移すようなところも、阿部には多いに気にくわなかった。
現にここ数日、三橋は逆隣のロッカーを使っている田島や、栄口とばかり話している。

「三橋ぃ、ボタンボタン。掛け違えてるよ」
「あれ?」
「マジでトロイね、三橋はさ。いいよ、俺やったげる」

何がそんなに嬉しいのか、田島は満面の笑顔で意気揚々と三橋のユニフォームに手をかけた。
阿部がちらりと横目で見ると、ごめんねと言いながらもどこか嬉しそうな三橋の横顔が写る。
なんだありゃ、別に俺じゃなくても良いってこと?
苛立ちのままに、脱いだ制服をロッカーに放り投げる。
立て付けの悪いロッカーは、それだけでガシャンと音を立てた。

「阿部ってば、ご機嫌ななめ?」

三橋の肩から顔を乗り出すようにして、明快に田島が問う。
それに阿部は、別にと言いながらもまた乱暴にロッカーの扉を閉める。
部員達が引き気味の中、田島だけが普段と変わらない様子で明るくそれじゃぁさ、と三橋の肩を掴んでぐるりと体の向きを転換させた。

「イライラしてるときは、癒し系三橋でどうだっ」

どんと三橋の背中を突き飛ばして阿部に押しやる。
三橋が阿部の方へよろけて来たが、怯えたように踏みとどまると体制も立て直さないままに、田島の後ろへと隠れてしまう。

「あれ、三橋どうしちゃったの?もしかして、阿部にいじめられちゃった?」
「いじめてねぇよ」

そっちの方がどれだけマシかと、阿部はため息を吐きながら反論する。

「こいついじめたって、良いことなんもないじゃん」
「そういう言い方が、既にいけないと俺は思うなぁ」
「お前だって、今三橋はトロイっつってたじゃんか」
「俺のは良いの、だって俺、三橋のこと好きだもん」

田島は言って、首をひねり屈んでいる三橋を見下ろした。震えている肩が見えて、多分今にも泣き出しそうな顔してるんだろうな、と阿部は同情する反面でそれでも田島の傍から離れないことがおもしろくない。
平静を装っているつもりが、怒った顔、と田島に笑いながら指摘された。やけに明るいその雰囲気が気にくわなくて、さらに阿部の表情がきつくなるのを見て取った花井が、ここで傍観者の立場を捨てて田島を諫める。

「田島、話をややこしくさせるなよ」
「なんで?ややこしくないじゃん。本当のことだもん」

田島は不満そうに言うと、阿部との間に割って入った花井を見上げた。
「俺、三橋のこと好きだし。第一、俺がさっき言った言葉が嫌なら、三橋こんなふうに俺にひっついてるわけないじゃんか」
「田島っ」
「三橋に何したんだよ、阿部。いつもお前らべったりだったのにさ、最近全然話しもしないよね」

俺すっごく悔しかったのに。
大きな目で責めるようにというわけでもなく、無表情に花井を通り越して阿部を見る。普段表情豊かな田島の無表情な顔というのは、空恐ろしいものがある。時々天才肌の人間てのは、訳の分からないぐらい怖い顔するんだ。
阿部は心中で毒づく。

(お前、三橋の為にそういう顔すんのかよ)

舌打ちをして皮肉るつもりだったのが、かえって自分が惨めになった。

「お前も三橋も男だろ。気色悪いこと、言ってんじゃねーよ」

それも押し隠してしまうように、自分のことも棚に上げて、阿部は侮蔑じみた言葉を吐く。
三橋がそれを聞いて、急に泣き声を上げた。田島が慌てて三橋を振り返る。
花井が、阿部に対して何か非難めいたことを怒鳴る。
何も阿部だって、本音で言ったわけではなかった。
それでも、そのぐらいのことを言わなければ阿部の方が追いつめられて泣いてしまいそうだった。

「もー、最悪だ」
「最悪なのって、阿部の方だろ」

田島が普段よりも低い声で、素っ気なく言う。
阿部はあからさまにそれを無視して、ロッカーを大きく一度蹴り飛ばして部室の外へと出た。

(俺が最悪なら、三橋は最低だろ。俺のことは拒否って、田島なら良いのかよ。好きだなんて直接的なこと言われてもまだすがりついて。俺は好きだっては言わなかった。言わなかったんだ。だってそんなこと言ったら、嫌われるのを人より一倍も二倍もいやがる三橋の弱みにつけ込むみたいだったんだもん)

つんと目の奥が痛い。
あのときと同じだ、と阿部は思った。
頑張っていたのにチームメイトから追い出された三橋への同情をしたあの時、自分のことのように悔しくて涙を流した。
だけれど、今は他人事ではなくて、確かに自分のことで。
悔しいことには変わりはないけれど、それはもっとエゴ的な理由で、もっと感情的な根元があって。
あの時のように、戻って手をつないで俺はお前が好きだよと、言ってしまえたらこのもやもやした心の中のわだかまりはとけるのだろうか、と思って出来やしないくせにと自身を嘲笑した。


 


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