上手に世渡りをする方法
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朝の五時、まだ朝靄のかかっている景色を窓越しに見ながら、葵はまだ寝ている涼を起こさないようにその窓をそっと開けた。しっとりとした空気には、清涼感がある。見上げると、真っ赤な太陽の光が広がっていて、今日が良い天気で始まるであろうことを告げていた。 あくびをしてうんと体を伸ばすと、ひんやりとした外気にぶるりと体が震える。随分涼しくなったんだなと、あれほど疎ましく思っていた真夏の暑さが少し名残惜しく思える。 開け放したままにしておくには涼しすぎるから、窓を閉めようとして葵は壁際に置いてある飼育小屋につま先をぶつけてしまった。 かしゃんと、軽い音が静かな部屋に響いたので涼を見たが、彼はそんなことはお構いなしに熟睡している。 小屋を見ると、のっそりとハムスターがプラスチック製の巣から出てきているところだった。 主に世話をしているのは葵だが、元々は涼が夏祭りで買ったのだ。今流行の高級ペットとはほど遠い小遣いでも買える程度の値段で、大量に箱の中に放されていたハムスターの中でも一際大きくて動きが遅かった。毛並みも良くなかったし、売れ残るだろうと店主も思っていたのだろう。涼がこいつ下さいと手のひらに乗せて言った時は、何度も返品や交換は出来ないからと念を押された。 葵はどうせ買ってもすぐに死んじゃうよ、と反対したのだけれど涼は気に入ったからの一点張りでさっさと店主に千円札を手渡してそのハムスターを自分のものにしてしまった。 昔から、涼は自分の気に入ったものはすぐに手に入れたがる傾向にあった。 それでいて、飽きやすい。 野球だけはずっと続けていることを、両親も葵も驚くべき事だと思っているぐらいに涼は飽きやすい。 なので、どうせこのハムスターも自分がすぐに面倒を見ることになるのだろうと思っていた葵は、実際に一ヶ月も経たないうちにそうなっても既に呆れることすらなかった。 ごく自然に当たり前のように、葵はハムスターの世話を受け継いだ。 しかしだからといって、何から何までを自分がやるのは癪で、たまには小屋の掃除ぐらいはしろよと週初めのうちに約束を涼に取り付けた。 今日は、久しぶりに練習もない普通の休日なのだ。やれることはやっておかなければいけない、なんてことを本気で思って精を出してやろうとすることがハムスターの小屋の掃除だったり自分たちの部屋の掃除だったりすることを、涼はじじくさいと笑って言った。 けれど、それじゃぁ黙っててもお前するのかよと葵が言えば、もちろんするはずがないよとけろりと返してくる。 思い出して、葵は涼の寝顔を憎らしげに睨んだ。 「このスットコドッコイ」 吐いた悪態をもし涼が聞いていたとしたら、それもまたじじくさいと一笑されたことだろう。 実際には、葵に腹を足蹴にされて低く呻きながらの目覚めであったから、到底葵の言葉などは聞こえていたはずもない。 苦しそうに顔をしかめながら涼は、テメェと低く唸るように声を出した。 「何度も言うけど、蹴って起こすの止めろよな」 「だって、そうしないと起きないだろ」 「あるだろ色々。目覚まし耳元で鳴らすとか、布団はぎ取るとか、色々」 「既にそれらを実戦していますよと言ったら、次からもこの方法で起こすという方針で良いんだな?」 「いいえ。是非とも、穏便な方法をお願い申し上げます」 寝起きなのに、随分と口が回る。 葵は返事を返さずに、無言で涼の布団をはぎ取った。 「順序が逆だろっ」 「良いから。早く仕度しろよ」 朝練のない日は、毎朝二人で揃ってのランニングに出ることにしているのだ。当たり前のように、涼が葵を起こす役目に回っていて、それは彼らがランニングをすると決めたその日の朝から実に三年もの間続いている日課でもある。 「あ、そうだ」 寝癖のついた髪もそのままで、のそのそと着替え始めた涼が不意に動きを止めて葵を振り返った。 「あのさ、今日なんだけどさ」 「今日は、午前中のうちに小屋の掃除だからな」 「いや、のはずだったんだけどさ」 言葉を濁す涼に、葵ははずだったんだけどさ?と嫌味をたっぷり含んだ声でオウム返しに聞く。 「来週にしちゃ、駄目かな?」 「駄目。お前、いっつも後で後でなんだから」 「でも、予定入れちゃったんだもん」 「なんで?」 語調を強めた葵に、涼がムッとした表情を浮かべた。 「なんでって、入れたいから入れたんだよ。休日なんて、そんなにいつもあるわけじゃないんだから」 「だから掃除するって約束したんだろ」 「掃除なんて、いつでも出来るよ。部活終わってからだって出来るよ」 「出来ないから、俺がいつも洗ってんだろ。大体、あのハムスターお前が買ったんだろ」 「うるさいなぁ。そうだよ、俺が買ってきましたよ。じゃぁ、俺の持ち物だから俺の好きにする。捨ててきましょうかね」 居直った態度で憎たらしいことを口走る涼に、葵は馬鹿じゃねぇのと罵りの言葉をぶつけた。 葵は特別に動物好きというわけではない。ないが、涼の発言には良識を疑った。 もちろん、本気で言ったわけではなくて売り言葉に買い言葉なんだろうということも分かってはいた。それでも、命を簡単に捨てるという行為は目の当たりにして初めて嫌悪感と軽蔑の念が湧くものなのだなと憤りつつ思った。 けれど、ここで感情のままに怒鳴りでもすれば涼はきっと本当にハムスターを捨ててきてしまうだろう。 後で自分も後悔するくせに、勢いばかりで行動して後先を考えようとはしない。 全く馬鹿げている。 葵は、感情を抑えるためにふぅと深く深呼吸をした。 「もう良いよ。どうせお前しないんだろうから、俺がするし」 「別に、俺がするって言ってんだろ」 「いいよ。だって、もう小屋相当汚いし。予定あんだろ?」 「あるけど」 「せめて、予定がなんなのかぐらい言ってけ」 そんで、出掛けるならついでにひまわりの種買ってこい。 最後は少し茶化して言うことで、自分が先に折れたのだというポーズをわざと表に出す。そうでもしないと、涼はいつまでも意地を張ったままだと葵は分かっているのだ。案の定ふて腐れた態度を残したままながらも、分かったよと呟いた。 単純だ。 葵は内心、小さくほくそ笑んだ。 「三橋と会うんだ」 ほくそ笑んだまま、ふぅんと何でもないような顔をして相づちを打つ。 「三橋って、あの西浦の?」 「そう、ピッチャー」 ふて腐れていた表情も、その瞬間嬉しさの堪えきれない子供のような表情に変わる。 「あいつ面白いんだ。ずっと一緒にいても飽きない。変わってるからさ、すぐ泣くし、そういうのって気ぃ使うし疲れるんだけど、でも一緒にいるとやっぱ楽しくってさ」 「つまり、最近の涼のお気に入りだ」 「うんそうそう」 葵が「最近」の部分に力を込めたことになど、微塵も気づく気配を見せない。 三橋によろしく、って同じ顔で伝えといてよ。 どうせ、三橋が俺と涼の顔の区別も付かないうちにお前は飽きちゃうんだろうけど、という皮肉は心中で思うだけに留めておく。 涼が飽きた時には、ひょっこり何にも気づいてなかったような顔をして三橋を励ましてやろうかと葵は思っている。 物心が付いたころから、何となく涼に何でも優先させてやってきてしまったことを今更悔やむ程、葵は殊勝な性格をしてはしない。 好みがかけ離れていたから、どうでも良いというわけでもない。 涼が好むものならば、大抵のものは葵だって同じだ。けれど、無理矢理にでも奪い取ろうとしないのは、我慢さえしていれば遠からずしてそれらに涼が飽きて自分に回ってくるということを弁えているからだ。 そうすることに慣れ過ぎて、最近ではそれが「我慢」だとすら感じなくなってきた。 「まぁ、三橋は悪くないし。楽しんでおいでよね」 ほくそ笑んだ。今度は包み隠さずに。 「嫌味な感じ」 「このぐらいは当然だと思えよ」 「はいはいはい。優しいですよね、俺のこと遊びに行かせてくれるんだものね」 「そうだよ、俺は優しいんだよ」 |
お前が名前を付けるよりも先に飽きてしまったハムスター。
それもこうして面倒みてるんだから。