俺たちはずっと一緒だった。それこそ、物心が付くその前、産まれた瞬間から一緒だったのだ。
気づいたとき、すぐ横、俺の左側には「三橋」がいた。本当の名前は「三橋」ではなかったけれど、俺は何故かごく自然に彼のことをそう呼んだ。 そして「三橋」もまた、俺のことを本来の名前ではなく「田島くん」と呼ぶ。
俺達は互いにそう呼ばれることを当たり前のことだと思っていて、本当の名前はただ戸籍上のものでしかなかった。もちろん、周りの人間は誰も俺たちのことを三橋や田島などと呼びはしない。
けれど、それで良かった。
学校に行く時も食事を取る時も、三橋はいつだって俺の左隣にいる。そして、常に手を繋いで過ごす俺たちのことを周りの人間は哀れみの中に好奇心を覗かせて見てくるのだ。
大人達は目の前ではニコニコと笑っているくせに、影では可哀相にねと同情めいたことを口にしていることを俺は知っている。俺に言わせれば、一人でいることの方がよっぽど可哀相だというのに、手を繋いだまま自身の片手のみしか使えないことを不便ではないのか、具合が悪くなったりはしないのかといかにも親身を装って聞いてくるのだ。
不便も何も、ずっとそれが当たり前でやってきているのだから比較出来るわけもないのに、大人達はそれが愚問だとは微塵も思っていないらしい。そう言った時、単純に腹立たしくなる俺と違って、三橋は決まって泣き出しそうになる。
あまり頭も良くなくて動きも鈍い三橋は、そのせいで感性的にもとても鈍い子供だと思われていたようだけれど、本当は誰よりも繊細で脆い精神の持ち主だということを俺は知っている。
どちらかと言えば俺の方が、そういった精神面では鈍い人間だったので三橋が辛そうにしている時、その本当の辛さまでを一緒に分かってやれないことはとても残念で悲しいことだと思っている。
どうせなら脳まで繋がっていて、全てが共有出来たら良いのにと何度も思って、何か欲しいものはないかと聞かれた時に「こいつと脳みそを一緒にしたいんだ」と言ったこともあるぐらいだ。
大人達は大袈裟に驚いて、それでは生きていかれないのよと宥めるように言ってきたので、俺も物わかりの良い子供のふりをしてそれなら今のままで良いよと笑って答えてやったけれど、生きていけなくても死にゆくその瞬間から完全に死んでしまうまでの精神を共有出来るのであればそれほど魅力的なことはないのではないかと、本心では思っていた。
三橋に聞いてみると、やっぱり同じことを思っていたようで「どうして脳は掌にないのだろうね」と残念そうに言う。

「三橋それは、脳は人間が人間らしく成る為の一番大事な部分だからだよ」
「それはどこにあっても、機能に変わりがなければ良いでしょう?」
「馬鹿だなぁ。一番大事ってのは一番偉いってことだ。偉いものは一番上って、昔から決まってることだよ」
「偉い人は分かるけど、偉い物なんて、そんなの、知らないよ」
「あるじゃないか」

神棚、と言うと三橋はそれだけでしょ、と笑いながら揚げ足を取ってくる。
笑うと眉毛が下がって、泣き顔のようにも見える独特の表情はとても愛らしい。そうして笑って、色素の薄い癖毛がふわりと動く瞬間、その毛先は俺の耳を掠めていくことがある。
黒く堅い俺の髪とは違って、とても繊細な細さの髪の毛はむず痒い感覚を残すけれど、同時に何とも言えない高揚感に駆られる瞬間がある。
それはどこか後ろめたい感情でもあって、決して三橋に伝えたことはないけれど時折感じるその感覚はその度に抑えがたいものになっていっているように思えた。
触れたい、と思う。
そう言えば、三橋は何の疑問を抱くこともなく笑って俺の行動を享受してくれるだろうと確信出来るのに、俺は後ろめたさを覚えたまま何気なさを装い三橋の髪に触れる。

「神棚なんて一つの例えでしかないよ。良く考えてみろよ。偉い人が偉いことを考えるには脳を使うだろ?そしたらやっぱり、脳が一番偉いじゃないか」
「俺は脳が何番目に偉いかなんてことは聞いてないよ。田島くんは、いつだって論点がずれるね」
「そうだったかな。まぁ良いじゃないの。きっと、昔の偉い人が脳は偉いから頭にあるべしと決めたんだよ」

笑って、繋がっている手をぶんと振ると三橋が大きくよろけた。繋がった俺の手が支えになって転びはしないはずだった。
けれど、良く磨かれた床はとても滑りやすくて支えてやるつもりが一緒になって転んでしまったのだから情けない。腕をしたたかに打って呻きながら咄嗟に瞑っていた目を開けると、白く天井を反射させている床には小さな黒い粒上のゴミがいくつも落ちていた。
綺麗なようでいて、案外汚い。
ふつふつと湧いてくる嫌悪感に自然と顔を強張らせていたようで、危ないじゃないかと非難する声を上げた三橋は目があった瞬間に不安げに眉を下げた。

「どこか、痛い?」

聞いて来る三橋の服に、黒いゴミが付着している。汚い。汚い汚い。

「こんなところ、大嫌いだよ」

ゴミを乱暴に払い落としてやりながら言うと、三橋は眉を下げたまま、あの泣きそうな顔で小さく笑って仕方がないよと諦めきったことを言う。

「だって、珍しいんだもの俺たち」
「そうだよ珍しいんだよ。だけど、みんなそんなこと一言も言わないじゃないか。思ってるくせに、観察してるくせに、一言だって言わずに良い人ぶってさ。うんざりだ」

吐き出した感情的な言葉に三橋は困ったように笑ったまま、何も答えなかった。そんなことは仕方がないじゃないか、と宥めるような雰囲気だけを纏って、けれど責めるわけでもなく慰めてくれもしない。
その些細な三橋の態度は、俺に多大なる絶望感を味わわせる。
互いの存在を何よりも優先させていることは確かだけれど、三橋は周りを否定することがあまりない。もちろん、好意的なわけでもないのだけれど拒絶することは決してしないのだ。
どうしてもっと二人だけの世界に目を向けてくれないのだろうかと歯がゆさを感じて、三橋が世間と接するたびに顔を掴んで自分にだけ向けさせたくすらなる。

「嫌だよ。何でみんな放っておいてくれないんだろ」

珍しいからだよ、と三橋が繰り返す。
嫌みな程に白いベットと木目調の素っ気ない調度品。暖かみのないこの空間のせいで、三橋までが素っ気なくなってしまったのだ。そうに違いない。
ツンと鼻の奥が痛んだのは、泣き出したいからなのか消毒液の匂いのせいなのかは分からない。
俺はその痛みをごまかす為に鼻を啜って、逃げてしまおうと提案した。
三橋は驚いた様子を見せるわけでもなく、良いけれどと曖昧な返事をする。

「お母さんに怒られるよ」
「家に帰るんじゃない。もっと遠くに、連れ戻されたりしないところに行くんだ」
「そんなの無理だよ。お金もないのに」
「三橋は、俺のことを好きじゃないの?」
「好きだよ。だから、それはどこにいたって同じことだ。わざわざどこかへ逃げなくたって、俺は田島くんのことを好きだよ」
「三橋も論点がずれるなぁ。逃げるのは好きになってもらう為とかじゃないよ。だって、俺達お互いが一番大事だってことは、もう分かり切ったころじゃないか。そうじゃなくて、誰にも邪魔をされたくないから逃げるんだよ」

現実的に無理だよ、と三橋が言う。
現実的!俺たちのこの姿が周りから見れば現実的なものではないのかもしれないのに、三橋はそう言って俺を制しようとするのだから笑ってしまう。
腕を引っ張る。痛い、と小さく三橋が叫んだ。
それでも構わずに引っ張って、俺は部屋の外へと出る。真っ昼間では人目を憚ることも出来ないが、何食わぬ顔で歩いていればかえって怪しまれることはない。
目が合えばこんにちは、と挨拶すらしながら俺は掌の皮がひきつる程強引に三橋を引っ張って外を目指す。
正面玄関まで続く廊下をまっすぐ行かずに右へと曲がる。「散歩ガーデン」と書かれたプレートは見るたびに傾いていて安っぽく見えるが、センスのないネーミングには相応しい。
その廊下の突き当たりには小さなドアがあって、そこから庭に続くようになっている。
建物の南側にある庭は、散歩コースを兼ねていて無駄に広い。一面に敷き詰められた芝生、一人分だけはコンクリートで緩やかなカーブを描く道が敷かれている。

「裏口から出るつもり?見つかっちゃうよ」
「大丈夫。木の陰を歩いていけば見つかりゃしないよ」

垣根のように連なった樹木は、丁度大人一人程の高さがある。散歩コースなのだから、歩いていることには何の不自然もない。上手く隠れながら庭の隅にある従業員用の入り口から出られれば、あとは一目散に駆け出すだけだ。
三橋の足取りは相変わらず重いけれど、きっとそのうち考え直してくれるはずだ。そうしたら足並みを揃えて走って行ける。
勢い込んで一層強く三橋の手を引くと、逆に引っ張り返された。

「転んでしまうよ」

それは三橋の声ではなかった。低く、掠れ気味の声に振り向くと、見知らぬ老人が三橋を抱きかかえるようにして支えていた。
スラックスとワイシャツを小綺麗に着こなした男は、ちらりと俺たちの手に視線をやって僅かに目を見開くと、XYくんとYXくんだねと胡散臭いぐらいにこやかに聞いてくる。
否定はせずに、だけど俺はあんたのことを知らないよと素っ気なく言って三橋を引き寄せると男は苦笑して怪しい者じゃないと言ってくる。その言葉が何よりも怪しい。

「そんなに急いで走っても、この先に庭は続かないよ」
「そんなことあんたには関係ないだろ」
「きみらが何の問題も起こさないのなら、放っておくけれどね」
「じゃぁ、放っておいてよ。何も問題なんてないよ」

男は相変わらず笑っていた。
気味が悪い。
警戒心を丸出しにして凝視しても男は気にする様子も見せずに、逆にまじまじとこちらを見てくる。
愛想良く振る舞っているが、目つきの悪さは誤魔化せていない。三橋が怯えるように俺に寄り添うのを見た男の目つきが、ふと和らいだように見えた。

「三橋」

男がそう呼ぶ。
三橋は喉を引きつらせて、きつく俺の手を握ってきた。

「そう、呼ばれてるんだってね?」

それから、俺を田島と呼ぶ。
俺たちはきっとそれなりに有名だ。煩わしいので取材なんかには応じたりはしないけれど、日本ではきわめて珍しいケースだからと何人もの医者に会ったことがあるし、写真を載せないことを条件に一度だけ担当医が研究書を出したこともある。
だからきっと、この男もそういった所から俺たちの情報を仕入れたに違いない。
素っ気ない文字だけの表紙と、偉ぶった自己紹介文。最初の一頁目、「彼らは私にとって奇跡だ」の書き出しの部分で馬鹿馬鹿しくなって読むことを止めてしまったけれど、自己防衛の為にも読んでおくべきなのかもしれない。
そうすれば、目の前の男が自分たちの名にを知っているかと不安になって、構えることだってなかった。

「それで?あんたはフリーカーマニア?それとも、輪廻転生オタク?」
「どちらでも無いよ。ところで、マニアとオタクを使い分けた理由は?」
「そんなもの無い。あんたを信用する気持ちと同じぐらい無いよ」
「それじゃぁ、全く無いんだね」
「そうだよないよ。それに、その名前では呼んで欲しくない」
「どうして?だって、きみらにとってこれは大事な呼び名なんじゃないのかい?」

大事なものか、と俺は言い捨てた。三橋が虚を突かれたように目を見開いてこっちを見てくることには気づいていたけれど、俺は知らぬ振りをして男だけを見据える。

「呼び名なんて一つだけじゃない。たまたま三橋と田島って呼び合うことが多いだけで、別に山田だって鈴木だって、好きなように好きな名前で呼び合うだけだよ」

なぁ三橋?
驚きだけだった表情が、少し穏やかなものに変化して三橋が小さく頷く。
もちろん呼び名がいくつもあるというのは嘘だ。興味を持ってもらいたくないから、敢えて付いた嘘を三橋はきちんと感じ取ってくれた。
ほらやっぱり俺たちは最高に分かり合えている。
機嫌良く歯茎を見せた笑みを浮かべると、照れたように三橋はウヒと独特の笑い声をあげて笑い返してくれる。

「あぁ、そっくりだ」
「は?」

素っ頓狂な声を出して、男を見上げる。年配への遠慮も礼儀も、そんなものはとっくに欠片も残らず消えてしまっているから、俺は馬鹿じゃないの?と辛辣に言った。

「こんなに似ていない双子も、そうはいないと思うけど」
「そうだね。君らは似てないね。だけど、似てるんだ」
「日本語、おかしいよ」

似ているよ、うり二つだ。
男は悦に入った口調で何度もそう繰り返している。

「二人揃ってさっさと逝ってしまった時には、どうしてこんなことをと悲しむよりも憤ったものだけれど。そうか、一緒に戻ってきたのか。シャム双生児だなんて、田島らしいブラックユーモアだ」
「いい加減にしろよ。俺はあんたみたいなじいさんのことなんて知らないよ」
「阿部だよ」

まるで不感症なんじゃないかと思うほど、男は俺の態度や言葉では表情どころか声色一つ変えずにケロリと言う。
そんなことは聞いていない、と半ば叫ぶように言ったところでやはり男は目つきの悪さの誤魔化せない笑みを浮かべ続けている。

「第一、患者でもないのに病院に入り込んでくるなんて非常識だ」
「見舞客がいるだろ?まぁでも、俺はちゃんと患者だよ」

いやちゃんとしてないから患者になってしまったと言うべきか、と独り言のように続ける。

「偶然きみらのことを知ったよ。実際に会ってみて、本当に似ているから驚いた。これはもう、あいつらの生まれ変わりだと、そう確信したよ」
「ちょっとあまり変なこと言わないでよ。こいつも怯える」
「三橋の怯えた顔には、耐性があるんだよ俺」

男はますます悦に入った様子で言う。そして、幸せなんだろう?と問いかけてくる。
あぁ幸せだ。思い切り幸せだ。返事はせずに心中で思う。
掌の、三橋と繋がっている部分がチリと小さな痛みを覚えた。
三橋が男へと近づこうとしていたのだ。思えば産まれきて、三橋からこんなにも強引に腕を引いたのは初めてのことだった。

「XY」

名前を呼ぶ。戸籍にも載っている「本当」の名前だ。
泣き出しそうに震えた声に情けなくなるが、感情を抑えることは出来なかった。
三度名前を呼んでも、三橋は男を見上げたまま俺の方をちらりとも見はしない。

「阿部、くん」

六十は過ぎているであろう大人に対してはあまりにも非常識な呼び方なのに、それは何故か当たり前のもののようにも思える。
男は三橋の呼びかけに急に若い口調で「おう」と答えた。
掌の皮が引きつる。
しっかりと組織までが重なっている俺たちの手は決して離れることはないけれど、引っ張られた皮に今までで一番三橋を遠く、憎らしく思った。

「阿部くん」

三橋は大事なものに触れるように、そっと名前を繰り返す。
男が言うように俺たちが「三橋」と「田島」の生まれ変わりだとして、一緒に死にすらしたお前は、それじゃあ何で今俺じゃなくて「阿部」を見てるんだよ。

「なぁ、俺のこと好き?」

問いかければ好きだよと即答してくれる。今まで通りだ。だけど、お前はすぐにあいつの方へと向き直ってしまうんだ。
きっと俺が「田島」だったころ、「三橋」と心中したくなったのはこういった瞬間に違いない。


(だけどメスで切り離されたとしても離しはしない)(俺とお前、それだけが世界にあればそれで良い)









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