気弱で卑屈な我らがエース。初見じゃ、応援のしがいねぇなぁなんて思っちゃってたこと、あったんだけど。実はとても努力家なんだって?頑固なんだって?誤解してましたごめんなさい。我らがエース、お陰様で今じゃこんなにも君に興味津々です。


真夏の夜は気怠い。
昼間の熱気を含んだままのコンクリートと風が、どちらもなま暖かくてその境界線のない緩い空気に足取りを崩してしまいそうになる。
それでしかも、思い切り運動しつくした後であればなおさら。
三橋は異常ともいえる練習量をこなして疲れ切った体で、のったりと危なっかしく帰路を辿っていた。もはや顔を上げて歩く気力もなく、街灯に四方から照らされて複数に重なる自分の影に視線を落として歩くばかり。
それも、ほとんど情報として脳に行き渡ってはいない状態だった。
その証拠に、影が前から増えたことにも気が付かないで三橋はとぼとぼと歩みを進めた。なにか人の話し声が聞こえた気はしていたのだが、無意識のうちにそれらは三橋の聴覚に無視されていたのだ。
ようやく三橋がその人影に気が付いた時には、すっかり彼自身にも影がかかっているほどに接近してからで慌てて顔を上げればすぐ目の前に他人の胸板があった。

「あ、気づいてもらえた」

軽い調子で言った男は、ぼさぼさの黒髪に常に顰めたような目の人相の悪い男だった。それから、もう一人隣でだらしなく自転車に跨って面白そうに三橋を眺めている男は、眼鏡に顎下のひげ。こちらも、負けじと人相は悪い。
ここで、三橋が泣き叫ばなかったのはほとんど奇跡と言えよう。
二人が二人とも、三橋と面識のある応援団の一員でなければ慌て戦き腰の一つも抜かしていたに違いない。

「あ・・の・・こ、こんばんわ」

おずおずと二人を交互に見上げて挨拶をすると、意外そうに黒髪が目を見張った。

「覚えててくれてるんだ?」
「は、ハマちゃんの・・・っ」
「そうそう。浜田の元クラスメートで、応援団員です」

イエーと、Vサインを作って二人はゆるく笑う。なんとなくつられて、三橋も弱々しくVサインを作ると、手を叩いて二人は喜んだ。

「人見知りするっていうから、あんまり話してもらえないと思ってたけど」
「案外、ノリいいねぇ」

交互に言われて、三橋は顔を真っ赤にして俯いてしまう。その時降りた一瞬の間を計ったかのように、三橋の腹が空腹を訴えた。

「う・・」

ますます身を小さくして縮こまる三橋に、声を掛けたのは黒髪だった。

「腹減ってんの?」
「あ、はい・・・部活、すごくて」

やましいことではないのに、つい言い訳めいたことを言ってしまう。
ごめんなさいと、掠れた声で謝る三橋を宥めるように、いつの間にか隣に立っていた眼鏡が肩を叩く。

「ってゆーか、こんな時間まで部活ってすごくね?」
「馬鹿だねお前。夏大目前だよ?」

当たり前だろ、と眼鏡は呆れたように黒髪を見やってそれから三橋へとその視線を改めた。おおよそ高校二年生とは思えない老けた風貌に見据えられて、ひぃと身を竦めて上目遣いに様子を見る。
目が合って、慌てて逸らすとあららと情けない声が降ってきた。

「怖がられちゃったよ」
「お前悪人面だからじゃん。髭は剃った方が良いって言ってんのにさー」

カラカラと笑い声を上げて、指を指す。大げさなその仕草は、田島に似ているようでそれよりもずっと粗野に三橋には思えた。
もちろん、そんなことは口には出せないのでこっそりと心中で思うだけだ。
その調子で、黒髪は「ってゆーか」と自ら話題を打ち切る。

「腹減ってんなら、コンビニでも行かない?奢っちゃうよ?」
「うえっ?あ、あの・・大丈夫です。家、帰れば・・・」
「まぁまぁいいから。応援団としての気持ち。あ、自転車も漕ぐよっ。三橋くんは、後ろ乗んなよ」
「お前の自転車じゃねーだろ」
「なに?三橋くん乗せるのヤなんだ?」
「・・じゃないけど。まぁ、お前がつったら振り落とすけど、三橋くんならね」

何せ我らが西浦のエースだし。
飄々とした口調では、どこまでが冗談で本気なのかが分からない。ただでさえ、会話の苦手な三橋はもうそれだけでぐったりしてしまう。
その調子なものだから、腕を掴まれた時も一瞬慌てたものの、結局は促されるがままに荷台へと座らされてしまった。
おろおろと挙動不審の三橋を気にする様子もなく、二人は胡散臭く笑いながら勝手に自転車を走らせ始める。
ぐんと後ろ髪を引かれるように上半身を仰け反らす三橋は、反動で大きくよろめく。
それを、横で小走りに追ってきていた黒髪が咄嗟に支えてくれた。

「あ、すいませっ・・・」
「イエイエ。危ないから、ちゃんと掴まってたほうが良いよ」
「でも」
「良いから。転がり落ちて怪我でもされたら、俺ら極悪人になっちゃうし」

なぁ、と振られて眼鏡がおうと答える。

「遠慮なくどーぞ」

ちらりと振り返って言われてそれじゃぁと、恐る恐る服の裾を掴んだ。
しかし指先で摘んだだけのそれは本当に申し訳程度で、まるで意味をなしていない。
引っ込み思案の三橋にしてみれば、大して知りもしない人間の服の裾を掴んだだけでも思い切ったことなのだが、いかんせんそれが二人には伝わっていないようで、黒髪が苦笑した。

「えーっと、嫌だったりする?って、今更だけどさ」

言いにくそうに、目線を逸らす。
確かに強引に誘っておいて今更、という感じではある。しかし、それを三橋が嫌に思うことは不思議となかったのだ。
困惑こそしたものの、それは拒絶ではない。

(きっと、ハマちゃんの友達だから・・だ)

裾を摘んだ指先に視線を落としながら、屈託のない一つ年上の幼なじみを思い浮かべる。
この二人のことは知らないが、浜田の友達であるのならという無条件な思いこみが三橋にはあった。
だから、今こうして聞かれていてもごく自然に首を横に振る。

「なら、いんだけどさ」
「まぁ、ここで嫌だっつわれたら俺ら誘拐じゃんね」
「確かに」

黒髪が笑って、三橋の背中を押してきた。
拍子に、不格好な姿勢で眼鏡の背中に頬を擦り付けることになってしまって慌てたのを、おもしろがられてさらに密着させられてしまう。

「あ、あのっ・・・あのっ・・」
「おいおいおーい。泣かすなよ?」
「なんか、おもしろいから」

笑って言われるが、されている方はおもしろくもなんともない。
三橋は目にいっぱいの涙を溜めて、それでも悪気はないであろう先輩の仕打ちを必死で堪えようとする。

「ううう・・・」

愚鈍なうめき声が何とも情けない。
反応が良い、と黒髪が叫ぶように言った。

「やめとけよ。あんまからかうと、あとでそいつの女房にやられるぞ」
「えぇ?こいつ彼女いんの?」
「馬鹿。バッテリーの片割れ、キャッチャーのことに決まってるだろ」
「えーっと、あ、あ、アベだっけ?」
「確かそう。そいつの三橋溺愛っぷりったら、すごいらしい・・と、浜田が言ってた。そんで、浜田は泉って後輩から忠告されたらしい」
「周知の事実ってことかい」
「そう。なのに、三橋くんだけは何故かその盲目的な愛情を怖いとも思わず、遠慮すらしてるそうな」
「なにその昔話の語り手みたいな喋り。そんで、それを当人目の前に話しちゃうってのはどうよ・・ぉお!?」

黒髪の妙な声に、眼鏡が振り向こうとしたのだが顰めた声で動くなと言われる。

「寝ちゃった」

さっきまで起きてたのに。
呆気にとられた顔で黒髪は、背中を押さえていた手をどうするかと逡巡したように眼鏡に目配せをした。
顔をすっかり眼鏡の背中に預けた状態になっていて、けれども無理に押されていたせいで不自然極まりない体勢は、見ていて気の毒な程にバランスが悪い。
それなのに、三橋は寝息を立ててすっかり眠っている。
練習のきつさを知っているだけに、起こすのが忍びないなと二人はどちらともなく心中で思い、それは口にすることがなくても互いに同じことを思っているのだと察して知ることが出来ていた。

「家知らないし。起こさないわけには、いかないもんなぁ」

上半身を手で支えてやったまま、黒髪はもう片方の手で髪をかき回してため息を吐いた。
つられて眼鏡もため息を吐く。

「俺らさ、元々構いたがりじゃん。だから三橋くんみたいなのって、すごーくこう、楽しいんだけどさ。なんかそれもあるけど、単純にお気に入りって感じかも」

背中に寄りかかる三橋を気遣いながら、低く囁くように言う眼鏡に黒髪が分かるなぁと、やはりぼそぼそと低音で返す。

「応援団も、俄然やる気出てきてんですけど俺」
「同感」

ほくそ笑み合う。
分かり合っているようで、だけど出来れば独り占めにしたいなぁだなんてお互いが思っていること。
そこまでは、気づいていなかった。



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