さぁ、大変だ!




別に意識してやっていたわけではないのに、と花井は思う。
自分よりも背の低い人間が、手の届かない場所になる物を取ろうとして四苦八苦しているのを見かけたので、横から手を伸ばして取ってやった。
格好を付けるつもりもなければ、何か損得を考えて行動していたわけでもない。ただなんとなく、自分では苦にならないことだからとやっただけに過ぎないのだ。
それなのにどうして自分はこんなにも責められているのだろうかと、花井は気づかれぬようにと口の中でだけこっそりため息を吐いた。

「ねぇ、ちょっと聞いてる?」

気の強そうな口調で自分よりもぐんと背の高い花井を見上げてくるのは、クラスメイトの女子だ。彼女を中心にあと二人、花井を取り囲むような形で立っているが、一人は気まずそうに顔を伏せて時々目を合わせぬようにちらりと花井を見てくるだけだった。しかし話しの流れは、どうもその一番目立たぬ子が中心のようで、せめて自分で言えないものかと呆れた心境で花井は視線を必死で逸らし続ける彼女を横目で見た。

「聞いてるよ。俺がそいつ手伝ったのが気に入らないんだろ」
「聞いてないじゃない」

ダン、と足踏みをして腕を組み直しながらじろりと睨まれる。

「あんたが誰にでも優しくしてるのが、気に入らないって言ってるの。そんなの、八方美人じゃない」
「そんなつもりはないし、言われる筋合いもないと思うけど?」

日直の仕事で居残っていたところに突然声をかけてきて、部活があるのだという花井の言葉に耳を貸すこともなくただ文句だけを言う。
早く練習に行きたい一心でよどみなく進めた日直の仕事も、これではまるで意味がない。
横目で壁時計を見て、花井はそれでも荒い口調になってしまわぬように気を付けて「とにかく、練習があるから勘弁してくれ」と申し出た。

「ダメ」

まさか、ぴしゃりとはね除けられるとは思っていなかった花井は、犬が叱られた時のように目を見開いて彼女を凝視した。
彼女は花井と目があった瞬間にもう一度、「ダメ」と短く拒否の言葉を繰り返す。

「ダメって、俺部活が、練習が、」
「話しが終わるまでは絶対にこっから出さないよ」
「だったら早く話せよ」
「話してるじゃない。その途中で、あんたが帰りたいなんて言い出すから」
「帰るんじゃなくて、部活に行きたいだけなんだよ」

さすがの花井も苛立ちを隠せなくなってきたようで、その口調に荒れが目立ち始める。女生徒らもなんとなくそれを分かっているのだろうか、中心となっている一人を除けばあとの二人はすっかり逃げ腰で、もう良いよやめようよと以前張り切って花井に噛みつく生徒を抑え始める。
花井はそれを見てふと、そもそもの当事者に話しをした方が手っ取り早く済むのではないかと思った。そこで、一瞬の会話(とは言え一方的なものだったが)の隙を見て声をかけてみると、きゃぁとまるで襲われたとでも言わんばかりの悲鳴を上げられて花井はひるんだ。
例えば三橋にもこうして突然声をかけると悲鳴を上げられることがあるのだけれども、性別が違うだけで随分とその悲鳴の持つ重みが増してくる。
凄んだつもりはなかったのだが、念のためさらに柔らかい声を作って「ごめん」と謝る。それは、保険でもあった。俺は悪くないのにと思っていても、とりあえず謝っておけば後でなんとでも言い訳も出来るのだ。
こういう時の女というのは放っておくと後が怖いということを、花井は双子の妹でしっかり経験済みだった。
やんわり困ったように笑いかけると、悲鳴を上げたことを恥じるようにごめんなさいと小声で言われる。それをしっかりと確認してから花井は、あのさと切り出した。

「こんなに怒られるってことは悪いことをしたんだろうけど、でも俺には手伝うことの何が悪いのか解らないんだよね。あんたも、俺が悪いと思うわけ?」
「わたしは、優しくされてすごく嬉しかったから。ほら、わたしこんな性格だから男子とかと上手く話せないから」

ゆっくりと話す子だった。
根気良く、うんうんと頷きながら先を促す。

「やさしいね、わたし花井くんと付き合ってみたいなって言ったら、花井くん部活が大変で構ったり出来ないけどねって。やっぱり、すごく優しくてね」

一言一言、噛みしめるように、しかも舌っ足らずに話す彼女の言葉に花井はおやと首を傾げて、ちょっと待ってくれと掌を向けて制止させた。

「俺、付き合って、た?」

あ、三橋みたいなしゃべり方だ。
そんなどうでも良いことを思った。
目の前の彼女の目が見開かれる。ひっどーい最低最悪!罵倒する声が響く。
グラリと視界が揺れたのは、あの気の強い女に肩を押されたからだと意識上では分かっているくせに何の抵抗も出来ずに、ぼんやりと目を開いたまま立ちつくす。
混乱しているのだと、それを裏付けるかのように脳裏に浮かぶのは普段のどうでも良い場面ばかりだった。
そういえば昨日、三橋が教材を運んでいるところに出くわして最初は半分持ってやるよなんて言ったけど結局は全部持ってやったな、とそんなことも思い出す。
すごく恐縮して、悪いからなんて繰り返し言ってくるのがやけにおもしろくて、まるで小動物で遊んでるみたいな気持ちになったのだ。
ゆっくりとした口調で、花井くん優しいね、と三橋は言った。
それは、聞きづらい発音で今目の前で泣き崩れている彼女のものに似ている。けれど、似て非なる物だ、と花井はきっぱりと思った。

「いや俺、そういうつもりで言ったんじゃないから」
「あんたがそうでも、サチは本気だったんじゃないのっ」

あぁこの子はサチか。
四月からもう大分経っているのに、クラスメイトであるこの三人の名前を知らないでいた自分に少し花井は驚いた。思っていたよりも自分はずっと、薄情な人間なのかもしれないと思えたのは名前を知らなかったということだけではなく、そのことで申し訳ないという気持ちが微塵も湧かなかったということもあるからだ。加えて言えば、泣いている「サチ」に対して、面倒だなという感情すら湧いてきている。

「悪かったよ。ごめん。せめてもう少し突っ込んで言ってもらえてたら、ちゃんと答えられてた。勘違いさせて、本当にごめん」

サチは泣きやまなかった。
だから花井をひたすら責めるのは、他の二人の友人だった。
散々罵倒されて、それでも足りないのか有り得ないと繰り返される。
いい加減花井がうんざりしてきた頃、不意に教室の後ろのドアがガラリと音を立てて開いた。
なんて、タイミングの悪い。
花井はまず焦った。変な噂でも立ったらどうすりゃ良いんだ、とまず保身を考えた。それが浅ましいとか自己中心的だとかそういった単語は一切浮かばない。
しかし、次の瞬間現れたのが見知った人間だったことに、花井はとりあえず安堵する。
ひょっこり顔を覗かせて、アララと戯けた風に驚いてみせるのは水谷だった。
ただ、その表情に腹が立ったのも本心で、他人事だと思って随分と楽しそうじゃねぇかと噛みついてやりたい気分だった。

「ちょっと水谷、聞いてよ花井ってば」

気の強い女子が水谷を見て、鼻息も荒くそう切り出した。

「止めろよ」
「何でよ。あんたが悪いんじゃん」
「良いから、止めろって」

怒鳴りたいのを必死で堪える。
それでも尚口を開こうとする女子を止めろ、と再度荒く言って止める。

「ど、どうした、の?」

見えたのは、三橋の姿だった。

「んで、お前がここにいんだよっ!」

ついに怒鳴り散らした。しかし、その相手は女子でも水谷でもなく三橋にだった。
花井は別に三橋に見られたから、言いふらされてしまうと思ったわけではなかった。それを言えば、危ないのは水谷の方だ。
どうしても我慢出来なかったのは、三橋に自分の修羅場を目撃されたということだったのだ。
それがどうしてなのかということを、詳しく分析するような余裕はその時の花井にはなくてただただいやだなんてことだというヒステリーに近い思考がグルグルと駆けめぐっていた。
花井。
水谷が、宥めるように名前を呼んで来る。
それがまた花井と苛つかせた。
自分はちっとも悪くないのに、怒鳴りちらして余裕のない態度でいることが子供じみて見られているようで恥ずかしくなったのだ。

「部活はどうしたんだよ」
「モモカンが、呼んで来いって。話しがあるみたいだけど」

水谷がそう言って、三人の女子と花井を見比べた。
三橋が、ごめんなさいと吐息程度の声で呟いた。
水谷が何か言葉をかけようとしたのは、伸ばしかけた手を見て分かった。しかし、それよりも先に俯いて廊下へ出ると、一気に走っていってしまう。

「なんでお前、三橋連れてくるんだよっ」
「三橋も日直だったんだよ。っていうか、花井はついでで、三橋がなかなか来ないのモモカンが心配して・・っていうか、手伝ってきてあげなさいってことで俺が来たの」
「それでなんで、こっち来るんだよ」
「だから、ついで」

ケロリと言う表情が、どこか巫山戯て見える。
奥歯を噛みしめて羞恥と怒りに耐えていると、あの気の強い女子がからかうような口調で三橋の走っていった方を見ながら「ちょっとあんた、こっちのことよりそっちに必死みたいだけどさ」と言ってきた。

「なんか、花井って落ち着いてると思ってたけど、案外子供なんだね」

何もそこまで言われる筋合いはない。
花井は思った。
そもそもの発端はお前らだろうと、喉にまで来た言葉を飲み込む。それを言えば、あんたが勘違いさせたのがいけないんだろうと言われるに違いないからだ。

「別に、あっちだって男なんだし、ちょっと言われたぐらいで何も心配することないんじゃないの?」
「三橋は、そういうんじゃないんだよ」
「なにそれ」

鼻で嗤われる。

「ホモみたい」

その言葉に気づくと花井は、机に乗っていた日誌を勢いよく叩き落としていた。
女子が揃って悲鳴を上げる。
泣きやまずにいた子は、ますます嗚咽を強くする。それでも花井は、謝りもしなければ日誌を拾おうともせずにもう一度、今度は椅子を強く蹴り上げた。
ガラン、と軽いくせにけたたましい音が教室に響き渡った。
水谷が、ちょっとちょっとと制するのを腕で乱暴にはね除けて舌打ちを一つ。
有り得ないと、馬鹿の一つ覚えのように繰り返す三人を尻目に、花井は教室を出た。
水谷が慌てて、教室から顔を覗かせてこっちどうすんの!と叫んできたのに対して、お前がどうにかしろとかそういった事を口走るとそのまま一気に駆け出す。

「なにあれ」

残された水谷に、不満を露わにした女子が言う。

「あいつ、ホントにホモなんじゃないの?サチ、あんなの付き合ってなくて正解だよ」

水谷はその言葉に目を丸くして、そうなのかと聞き返した。
すると、勢いよく三人が代わる代わるに先程までに起こったことを話し出した。水谷が、少し困ったような顔で花井は、あれでいて結構辛辣だからねぇとぼやくように言う。

「まぁ、でも花井は本当に三橋が大事なんだよ。本人は、あんまり表に出してないつもりみたいだけどね」
「マジで?なに、じゃぁもしかしたらホントに、かもしれないの?」

あえて、ホモという直接的単語を言わないことでかえって強調させるような口調で言う女子に、水谷はへらりと笑う。

「俺もちょっとそれが知りたくて、三橋連れてきたりしてたりして」
「あっは。水谷も、相当だよね」
「えー、相当って?でもまぁ、興味深いものが見れはしたよね」
「ひっどいやつ」
まず、気の強い女子が笑う。
それから続けて他の二人も笑い出した。泣いていた子までが笑ったことに、水谷は一緒になって笑いながら「泣きやんだね」と優しく言った。
それから、その表情のままで、でもねと顔を近づけた。

「その程度の気持ちで、好きとか付き合うとか言わない方が良いよ」

ニコニコと、愛想の良い顔と口調で水谷は続ける。

「あとね、それおもしろく言いふらしたら、俺が怒っちゃうかもよ」

あんたに怒られても怖くないよ、と笑う女子に水谷もゲラリと笑った。

「本気だからね?俺も、三橋のことがすごく大事だから、容赦なんてしないからね?」

自分で置き直した椅子を、ガンと蹴り倒した。

「大事なのは、三橋が大事ってこと。それが、大事なの」
「バッカみたい」

呟く女子の言葉に水谷は、馬鹿だからお前らに喧嘩売っちゃってるんじゃないの、そんなことも分からないなんてお馬鹿さん、と笑い飛ばした。









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