船橋から街道分岐点当時の船橋は成田街道、千葉街道の宿場町としてかなり繁盛をしていたようである 3つの村(九日市・五日市・海神)からなり人口約5千人。その中で漁師が250人もいたので漁村として大いに賑わった村でもあった。 さて、船橋御殿は今の船橋本町4丁目に東照宮がありそのあたりが御殿であった。この御殿は慶長17年(1612年)に建てられた。 |
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御殿跡の東照宮の正面
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日本一小さな東照宮
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東照宮の解説銘板
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御殿を守る御蔵稲荷神社
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| この東照宮から小さな商店街が「御殿通り」で家康がたびたび通った道であった為に付けられた名前である。この神社が船橋御殿を守るためのお稲荷さんで、「御蔵稲荷」みくらいなりと呼ばれている。
意富比神社と船橋御殿 この神社の大宮司を務めて富氏は、家康との親交が深く、富氏は自分の家(御殿が出来た場所)を仮の旅館として家康に提供し、後に船橋御殿を作った。
この御成街道の基点として、どうしてもこの意富比神社が重要なポイントとなるのではないか?現在、東金市の富家に所蔵されている家康像の絵や家康の書状などが伝えられている。 街道はこの神社の裏手のゆるい坂(宮坂)から東に進んでいく。(千葉街道はこの神社の右手になる) この宮坂付近が戊辰戦争(市川・船橋戦争とも呼ばれ)の激戦地となった。そしてこの由緒ある神社も炎の中にあった。 また船橋の3ヶ村(約870軒余り)が焼失した。 |
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舟橋山の西福寺 大峰山滋雲寺は里見氏とつながりのあるお寺 光雲山の了源寺
右上の写真は御成街道と成田街道の分岐点に輪王道標(1879年建立)
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