一里塚から向山まで
この区間は千葉市の長作町に入り天戸町と犢橋町の3つの町にまたがる。


天戸町の街道際にある“椎の古木と御成街道の説明パネル”

宿場町の犢橋村


 中心の犢橋村は宿場町ではあったがあまり賑わいを持った宿場ではなかったようである。
昔から貧乏村と言われていて、商家は旅篭2軒茶屋1軒を含み18軒だけで、当時の人口は 551人(天保14年)と記録されそれほど多くはなかった。 宿場は指定された人馬を常備させておかなければならないが資料によると10人から20人と 同数の頭数がいたとされている。

しかし、公用が多い場合は不足し、近くの村(助郷村として 指定された六ヶ村=宇那谷・西寺山・作草部・東寺町・殿台・萩台)から駆り出されていた。
この助郷に対しての賃金は通常の半分くらいしか支払われておらず、この六ヶ村の負担は 大変だったと言い伝えられていた。
又、この犢橋宿では宿泊する人が少なかったようで、村の賑わいや景気が良くなることは あまりなかったようである。


向山は犢橋の東側の長沼町に近い、東関東自動車道の付近当たりが
その地であったが、今ではその面影は殆どなくなっている。


この区間にある主な神社、寺院
  • 春日神社(長作町)
    長作村を中心に天戸村・花嶋村・三山村・田木野井村・上飯山満村5ヶ村と共同で開墾した長作村名主、中台武左衛門を称える記念碑がある。

  • 稲荷神社(天戸町)
    明応2年(1493年)千葉氏の家臣亘内蔵之丞永行が村民と天照皇大神を奉り建てた神社

  • 福寿院(天戸町)
    同じ明応年間に千葉氏の家臣亘内蔵之丞永行が千葉氏七仏薬師の1体を本尊として建立された。

  • 花島観音堂(花島町)
    和同2年(709年)に行基がこの地を訪れ桜の木に11面観音を彫り、安置したのが起こりとされている。

天戸町・稲荷神社

天戸町・福寿院の梵鐘

花島町・花島観音
六地蔵