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向山から若松町・焼塚まで この区間は千葉市犢橋町から長沼町、長沼原町、六方町、山王町、若松町を通る。 この新田が出来たことにより、以前からの周辺の村(特に長沼の北にある宇那谷村)とで水争いが起こ1836年まで続いたと記録されている。
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六方町から“さくら道”に!! 地図を見れば直ぐに分かる。左カーブの基点を真っ直ぐに定規を当ててみると前方に大きな自衛隊の敷地(下志津駐屯地) がありそのためプッツリと御成街道が切れ、左のさくら街道にもっていかれてしまった。 明治の頃は陸軍の練兵場として既に存在していたが当時はまだ街道が残っていた。しかし大正の初期(7年)頃には街道はなくなっていたようである。 この広大な六方原野に陸軍が重要な諸施設を次から次へと作り、軍国主義が段々強まっていく中でこの御成街道は重要性を持たなくなり、消滅していったものとされる。 街道は駐屯地の裏側(東側の若松町)から再び街道を目にすることが出来る。 そして鎌池十字路(昔、鎌の形をした池で、現在の若松高校付近にあり、今は埋め立てられてしまっている。) を通過し、総武本線を越えた右側の雑木林が焼塚の場所である。 |

焼塚(右手の雑木林)と御成街道の道路標識板
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この区間にある主な神社、寺院
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