向山から若松町・焼塚まで
この区間は千葉市犢橋町から長沼町、長沼原町、六方町、山王町、若松町を通る。

昔は六方野の呼び名の原野であり相当な面積であった。(この六方野は現在で言うと上記の町に千種町・三角町・大日町・愛生町が加わる) 1673年に新畑の開発が行われ約3年で376町歩強を開発され1675年に年貢を納めるようになったと記録されている。 正式には長沼新田と呼ばれた。
この新田が出来たことにより、以前からの周辺の村(特に長沼の北にある宇那谷村)とで水争いが起こ1836年まで続いたと記録されている。

島田家の長屋門

イトーヨウカ堂の正面にあり、長沼新田の草分けの名主で江戸後期の豪農屋敷の面影を残している。


六方町から“さくら道”に!!

六方町に入ると右に大きな工場が2ヶ所見える(住友重機、日東紡建材)この当たりから「御成街道の」特長である直線でなく、 街道は左にカーブし四街道の駅の方面に行っている。
地図を見れば直ぐに分かる。左カーブの基点を真っ直ぐに定規を当ててみると前方に大きな自衛隊の敷地(下志津駐屯地) がありそのためプッツリと御成街道が切れ、左のさくら街道にもっていかれてしまった。
明治の頃は陸軍の練兵場として既に存在していたが当時はまだ街道が残っていた。しかし大正の初期(7年)頃には街道はなくなっていたようである。
この広大な六方原野に陸軍が重要な諸施設を次から次へと作り、軍国主義が段々強まっていく中でこの御成街道は重要性を持たなくなり、消滅していったものとされる。
街道は駐屯地の裏側(東側の若松町)から再び街道を目にすることが出来る。
そして鎌池十字路(昔、鎌の形をした池で、現在の若松高校付近にあり、今は埋め立てられてしまっている。) を通過し、総武本線を越えた右側の雑木林が焼塚の場所である。

焼塚(右手の雑木林)と御成街道の道路標識板


 

この区間にある主な神社、寺院

  • 長沼観音(駒形観音)

    長沼新田開発を請け負った江戸の薬種商人、野田源内やこの地の有志が馬頭観音を安置、境内には阿弥陀如来座像の大仏が鎮座している。

  • 長沼原開拓神社

    昭和40年に出来た新しい神社で終戦後、復員軍人等がここに入植し開墾し入植20年を記念して作られた。

    長沼町・駒形観音堂

    金銅阿弥陀如来座像