椎の古木から一里塚(八街市)まで

街道が殆ど寸断され御成街道の面影が薄い区間・千葉市富田町、八街市沖、上砂。
このあたりも広い畑が続く、また坂道も多くなり直線の道が少ない。
左手には千葉市乳牛育成牧場が有り近くの酪農家より預った牛を育てている。
この先は八街市になり、ここで街道がなくなっている。
八街は明治3年、下級武士や奉公人の失業対策として開墾が始まり8番目に開墾した土地から八街となった。当時、ここへの移住者は1740人と記録されている。
しかし、相当厳しく5ヶ月間で126人が脱落したとなっている。
その後、明治30年には総武鉄道(今の総武本線)が開通し移住者が急増したとなっている。
また、沖地区は昭和18年に区画整理が行われ、殆ど街道が消滅してしまった。
でも、所々に街道の跡が残っている場所もあるが、なかなか探すのも大変である。
蛇田谷(へびたさく)の険の坂道(八街市砂)から街道が現れる。
そしてこの街道で最も急な坂が馬渡(まわた)しの険で、ここに「一里塚」(上砂)がある。

開拓で寸断された街道
 

上砂にある一里塚
解説板
沖地区の開墾時に建てられたと思われる神社
(境内に開墾の記念碑がある)