[Country Bluesって何?]
Country Bluesとは何なのか?歴史を少し紐解きながら考えてみましょう
<<< Country Bluesのルーツは? >>>
世界史で学習されたように、1800年代にアフリカ大陸から奴隷として主に北米に送還されてきました。
そのような言葉も文化も異なる人々を西洋の文化、習慣そして言語を覚えさ、奴隷という身分に対して当たり前のように感じさせるのに一番簡単な方法がキリスト教の布教でした。
神を受け入れた方が、日々の過酷な運命をやり過ごしやすくなりますし、黒人社会の中でも布教活動に力を注ぐ者の地位が向上され、黒人階層の中でも二重構造を作っていきました。
みなさんもご存じのように、日本ももともとそうなのですが、アフリカはシャーマニズムで自然崇拝の文化です。
そして、音楽(唄)は、人々の生活に深く根差しており、冠婚葬祭をはじめ、あらゆる生活の場で奏でられ、またその音楽や踊りを通して神との交信を行うなど、重要で崇高なものです。
ある時は、労働歌として、また、ある時は、コミュニケーションの手段として、あり時は、癒し癒され、神との繋がりを感じるものだったのです。
そんな彼らが、奴隷として連れてこられ、異なる宗教と価値観を余儀なくされていったのです。
みなさん想像を逞しくしてください。そんな時、みなさんならどうしますか?
自分たちのルーツ、文化、存在意義を頑なに守り、子どもへと永遠に語り継ごうとしませんか?
自分たちの中にある、遺伝子に刻み込まれているものを、そして、存在意義を形作ろうとしませんか?
彼らも生活のあらゆる場面で、何世代にも渡って、自分たちのカラーを刻んでいきました。
初期のブルーズは、先頭の者がカズーを鳴らし、後をついていくものが「○○さんとこの爺さんが死んだよ・・」または「○○さんとこに女の子が生まれたよ・・・」などと語りながら、太鼓の音とともに、その後ろに列が続くというような、街の仲間へある情報伝達する役割があったり、また、暑い日差が照りつける中、綿花畑での作業をしながらの労働歌。また、ある時は、酒を飲みながら疲れを癒すために唄われたのでは・・・と思います。
参考音源:Southern Journey Vol.3/61 Highway Mississippi(ROUNDER )
<<< Country Blues の誕生 >>>
では、ブルーズはどうやって生まれたのでしょう?
ある時、突然、誰かのアイデアで生まれたものではないことは確かです。
すでに書いたように、生活の一部として根付いてたことは間違いないでしょう。
アフリカからやってきた先祖から幾世代か経た時、彼らは彼らの音楽で聖書の教えを唄にしたのでしょうか?
ある話しによれば、初期のブルーズは、宗教的な内容だったようです。いわゆるゴスペルですね。
教会音楽は、識字力が低かった黒人社会において、キリストの教えを伝えるのに有効な手段であり、布教させることが、奴隷制度を安定化させる有効手段のひとつだったようです。
ただ、現在、耳にするゴスペルと違い、12小節のブルーズだったようです。
そんな時代のブルーズマンは、「本来ブルーズは神に捧げる唄だ。世俗的な歌詞のあの下品な唄はブルーズじゃない」と・・・。
ということは、同じ3コード進行の12小節のフレーズでも、宗教的な歌詞の内容がゴスペル、世俗的な歌詞の内容がブルーズということになります。
大衆に受けの良い世俗的な、言い換えれば日々の生活のリアルな歌詞を歌ったブルーズが黒人社会で広がったことは自然なのでしょう。
しかし、まだまだ、コミュニティ単位だけでの広がりだったかもしれません。
参考音源:Deep River Of Song /Mississippi - Saints&Sinners(ROUNDER )
<<< 初期のCountry Blues >>>
初期のブルーズとは、どんな感じで演奏されていたのでしょう?
一般的に考えられるのは、ギターを抱え街角で・・・という感じでしょうか!?いえいえ、楽器も買えなかったと思います。
初期の段階では、唄、コーラス、手拍子、そして簡単な打楽器だと考えるのが普通ですよね。有名なのがリズムと伴奏にウォッシュボード(洗濯板)を使っていました。資料などを見ると、手作りのギターなどもあったようです。
話しがそれますが、よく使われていたステラ社のアコギなのですが、いわゆる3級品で非常に安価で購入できたようです。それでも、素晴らしいサウンドですね!
そういう彼らが、樽に板を載せて簡単なカウンターを作った酒場(Barrel House)に集えば、手拍子に加え足で拍子を踏みました。これが、ストンプと言われるもので、のちのちタップとしてひとつのジャンルを確立します。
なんか「幸せなら手をたたこう♪」を思い出しますね。
そして、そんな酒場にもスタンドピアノが置かれ始めました。ピアノ・ブルーズの誕生となります。
初期のピアノブルーズ、ラグタイムとして有名なのが、スコット・ジョップリンではないでしょうか・・・。
そして、ショーとしての演奏家も現れる中、より行動的(なぜならいろいろな酒場、街角で稼ぐにはピアノは不便なのです)な、ギターへと持ち替えられていきました。その理由は、ギター奏法にあります。
右手(音を出す方の手)の親指はベース音を(ピアノの左手)、人差し指はメロディー音を(ピアノの右手)となっています。
ピアノの音を限りなくギターで演奏し歌うことによって、ブルーズマンの活動範囲が広がり、商売と成り立つようになりました。
初期のブルーズマン達は、街角で、メディスンショー(街頭薬売りの客引き)で、そして酒場でと、街から街へ旅を始めました。
ブルーズ特有の柔軟さを持って・・・・。
(補足) よくJAZZとBLUESの関係が取り上げら、明快な説明がされないことがあります。
どちらが先に生まれてという議論は無意味なんだと思います。
つまり、JAZZやBLUESは、それぞれのコミュニティーやその地方の文化などが複雑に絡み合って
生まれたのでしょう。しかし、初期のJAZZがいち早く白人プレイヤーに模倣されており、Country Bluesよりメロディー、歌詞の内容など、受け入れられやすかったのだと思います。
ルイ・アームストロングは、広く白人社会に自分たちのBLUESを広めた偉大なる存在ですが、一方で媚を売っていると揶揄された部分もあります。優等生のような彼の音楽ですが、良く聴くとBLUES特有の皮肉や風刺が効いたトーンを出してるように感じてなりません。
笑顔で紳士的に振舞いながらも「オイ、小僧ども俺の音が出せるか?」と・・・。
参考音源:Barrelhouse Boogie(8334-2-RB)
Favorite Country Blues Guitar-Piano Duets(YAZOO 1015)
<<< たかがBlues、されどBlues ! >>>
アメリカ南部の小さな小さなコミュニティーで生まれたブルーズは、黒人人口の増加、生活範囲の拡大と共にミシシッピデルタから南部全土へと広がるのです。
そして、デルタ・ブルーズが、テキサス・ブルーズと出会うなどダイナミック融合が生まれていきます。
例えば、当時からスライド・ギターが弾かれてますが、これはハワイアン・スティールとの出会いともいわれています。各地域毎に、スペイン文化、アイルランド文化など、様々な文化を少しずつ吸収していくのでしょう?
顕著な例が、ニューオーリンズの音楽ではないでしょうか?
ブルーズ?ジャズ?ディキシー?独特の音楽文化を築いてきてますね。
1900年代に入ると、録音技術の発達とあわせて、アラン・ロマックスがアメリカ文化の記録のために南部を旅をします。彼の当時の録音が、現存する最古のブルーズ音楽だと思います。
彼は、ブルーズ音楽にとりつかれたように多くの録音を残しています。
また、奴隷解放以降、徐々に生活レベルもあがってきた黒人社会に、ラジオ、レコードの普及が始まります。
チャーリー・パットン、サン・ハウス、そしてロバート・ジョンソンなど、デルタの街では有名人達の録音が・・・・。
そしてヒット曲が生まれ、各地のブルーズが、ブルーズマンが旅していた頃以上に、ラジオの電波に乗って各地に広がっていきました。
戦前ブルーズとは、ブルーズが大きく動き出した時代でした。
多くのブルーズマンが録音されました。これは、商業ベースで充分に採算に乗る。つまり、売れるというこを意味しています。
当時の逸話に、ある白人夫婦の会話があります。
妻がキッチンでラジオを聴いています。ラジオからは、ブルーズが流れ、口ずさんでいます。
そんな折、外出先から戻った夫が、キッチンの妻に気付いてこういいました。
「そんな音楽聴いてたら近所の噂が面倒じゃないか!ブルーズは黒人の音楽だそ!」
「そういうあなたこそ、どうしてこの音楽がブルーズだってことを知ってるの?」
参考音源:戦前のもの全てです。挙げたらきりがないので、レビューを参照ください。
<<< Route 66 >>>
何故、第二次世界大戦を境に戦前と戦後に分けるのか?
第二次世界大戦の映画を見ると米軍に黒人兵はほとんど登場しません。「パールハーバー」という映画の中に黒人コックが登場していますが、当時の黒人の扱いがよく表現されていました。しかし、ベトナム戦争の映画では、最前線で戦っているの多くの兵士にみられますね。この意味を良く考えてみましょう。
第二次世界大戦によって、アメリカ国内はそれまでの大不況から軍需産業により労働者不足にみまわれました。兵役にはつけない黒人労働者が多く駆り出され、軍需産業を支えていったのです。
それは、南部の田舎街の黒人にとって、北部の大都会に向かわせる希望と成功の動機となりました。田舎の綿花畑での稼ぎより、都会での稼ぎが魅力的に見えたに違いありません。
その象徴が、Route 66(国道66号線)なのです。
しかしながら、都会でも同じ。草原の広がる南部での社会構造が、ビルの谷間で行われていたに過ぎません。差別と低所得での厳しい労働が待ち受け、街の一角で同じ境遇の者同士集い寄り添って生きていくしかできなかったと思います。
そして、戦後直ぐに、マディー・ウォータースがデルタの香りを残し、シカゴ黒人街で隆盛を極めたのです。
エレクトリック・ギターの出現と共に・・・・。
このことも、ブルーズが負った宿命なのでしょうか?
シカゴという大都会に出来たコミュニティーでの音楽!
まさに、何世代も前の先祖が、新大陸に連れてこられて来た時に、自分たちの故郷を思い、奏でた音楽!
Country BluesからCity Bluesへ・・・・・
そして、彼らが、彼らの音楽が世界へ紹介されるまで、少しの時間と大きなうねりが必要でした。
ブルーズの子どもたち、R&B、R&R、そしてRock ミュージックの活躍まで・・・・。
参考音源:戦前のもの全てです。挙げたらきりがないので、レビューを参照ください。
<<< 最後に・・>>>
これだけのスペースでCountry Bluesの全てを書くことはできません。
さらに、Bluesを語ることなど、なおさら不可能だと思います。
ただ、少しでもBluesという素晴らしい音楽を知っていただきたいと思い、乱筆と個人的な知識のみで、簡単に紹介させていただきました。
内容につきまして、ご意見、ご質問などありましたら、ご遠慮なく、掲示板またはメールしてください。
わかる範囲ですが、お調べしてお答えいたします。
最後に、奴隷制、南北戦争、そして人種差別という過酷な背景を決して賛美するものではありません。
正しく理解するために、将来に光が差すように歴史は、事実を教えてくれます。
ブルーズもそんな歴史の中で生まれてきました。
そして、これからも歴史を作り続けていくことでしょう。
素晴らしい音楽は、いつの時代においても人々の心に潤いを与えてくれます。
ブルーな気持ち歌うという意味を持つ「blues」ですが、私は、潤いと勇気を与えてくれる歌だと思います。
また、このような歴史を考えた時、マーティン・ルーサー・キング牧師は偉大だと改めて思います。
1963年8月28日、ワシントンDCでの黒人公民権運動の有名な"I have a dream"演説。この1963年という日付を胸に刻みましょう。1619年頃から始まったといわれる奴隷制度が、1863年リンカーンにより奴隷解放宣言されてからちょうど100年後、まだ、たった42年前の出来事なのですから・・・。ブルーズを初めとするブラックミュージックにおいても本当の自由を得た日なのではないでしょうか。(2005年記述)
「わが友よ。われわれは今日も明日も困難に直面しているが、それでも私には夢があるといいたい。」
(マーティン・ルーサー・キング)
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