[参考音源]

Good Time Tonight
Good Time Tonite


Black Brown & White
Black Brown & White


The 1955 London Sessions
The 1955 London Sessions


Remembering...the Greatest Minstrel of the Authentic Blues
Remembering...the Greatest Minstrel of the Authentic Blues


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VOL 2 ブルーズの可能性を求めて−Big Bill Broonzy

1893年生〜1958年没

ミシシッピ州スコットで生まれたブルーンジーは、自家製の葉巻箱からつくったバイオリンを弾き、いろんな唄を大人たちから聞かせられていました。
1920年、シカゴに出てくるまではブルーズは弾かなかったようです。彼自身は、シカゴでバンジョー弾きのパパ・チャーリー・ジャクソンにギターを習ったと言っています。
1930年、37歳の時に本格的にレコーディングを始めますが、その時には、オーソドックスなブルーズ以外にも、ラグタイムやダンス曲も弾ける、完成されたギター・プレイヤーとなっています。
ミディアムからスローテンポで歌っている多くのブルースがありますが、素朴なフィールド・ハラーを思わせる伸びのある唄声と都会のフィーリングが一体となったブルーズで、彼の歌とギターは、リロイ・カーの声とスクラッパー・ブラックウェルのギターテクニックを兼ね備えていると云われています。

1933年12月禁酒法が改正されるとクラブ経営者は、有名歌手を雇うことになりますが、彼の演奏は、当時、かなりの人気があったようです。
ジャズ・ジラムにはブルーンジーがほとんど伴奏をつけており、ウォシューボード・サムがリズムを刻んでいました。
ウォッシュボード・サム(ロバート・ブラウン)は、ブルーンジーとレコーディングするようになりますが、ブルーンジーによれば彼は腹違いの弟だと言っていますが真意の程は・・・・。
30年代のシカゴで中心的な役割を果したブルーンジーは、数々のセッションを行いました。そういう意味でジャズとブルーズの橋渡し的な存在とも考えられるようになりました。
また、ブルーンジ−は40年代のマディ・ウォーターズに始まるシカゴ・ブルーズ最盛期を担う若手への橋渡し的な役割もあったと思われます。

40年代のシカゴ・ブルーズの隆盛で白人層でもブルーズが多く聴かれるようになりましたが、51年にブルーンジーがフランスに招かれ、つづく数年、毎年のようにヨーロッパ回りをしています。フランス、イングランド、ベルギーなどにも多くのファンがいました。
ブルーンジーのヨーロッパ遠征は、最後の本物のブルーズを聴けたチャンスとして、60年代ホワイト・ブルースとして現れたイギリスのミュージッシャン達に多大な影響を与えていきました。
多くのミュージッシャンとセッションし、面倒を見て、ブルーズの発展と普及に力を尽くしてきた彼は1958年に65歳の生涯を終えました。



<Big Bill Broonzyの私的感想>

彼のブルーズは、独特のボーカルと技巧的なギター・テクニックに裏打ちされ洗練された中にも南部の匂いを感じさせてくれところに魅力があります。楽曲の素晴らしさにも特筆するものがあります。
ただ、私が感じるのは、彼がブルーズという音楽を、そのポテンシャルを信じていろいろな音楽と融和させてしまったということです。もっと云うなら、彼が居なければビッグバンド時代のJAZZにブルーズの香りをたたえたような音楽発展はなかったと思いますし、60年代ヨーロッパの一大ムーブメント、ホワイトブルースの隆盛からロックの始まりという音楽の中に色濃くブルースの香り写しこむっことはなかったように感じます。
彼のブルーズは、より多くの人達にブルーズの楽しさ、深さ、そして柔軟さを無意識に伝えていったのではないでしょうか?
彼が居なかったら? 大袈裟かもしれませんが、もしかすると今、私たちが聴いてきた音楽史は違ったものになったかもしれませんね?!
(2005.10)



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