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動乱の古代史の舞台 古京・明日香を歩く
 
 橘寺
高松塚古墳の飛鳥美人 前に来た時は、何もなかった原っぱに、遺跡が出土していたり、その次来たらその遺跡のまわりが整備されて立派な道がついてたり・・・。

それだけ、どこを掘っても何か出てくる歴史の宝庫です。

謎の石造物たちが、何かを伝えたくて、てぐすねひいて待ってますよ。
今回、私は橿原神宮前駅から5〜6時間かけて歩きましたが、甘樫の丘までバスで行くのが定番コースです。

また、もより駅にはレンタサイクルもありますし、道標も整備されていて快適な散歩が楽しめます。
お寺めぐりをたびたびしていると、「あぁ、やっぱりここはいつも、変わらないなぁ」とある意味ふるさとに帰ったような思いに浸ったりしますが、明日香村は、ちょっと違います。 
1 剣池
2 豊浦寺跡
3 甘樫丘
4 飛鳥水落遺跡・石神遺跡
5 飛鳥寺
6 奈良県立万葉文化館
7 酒船石遺跡
8 飛鳥板葺宮伝承地
9 岡寺
10 石舞台古墳
11 橘寺(二面石)
12 川原寺跡
13 亀石
14 高松塚古墳
15 天武・持統天皇陵
16 鬼のまな板・鬼の雪隠
17 欽明天皇陵・猿石
18 飛鳥資料館
19 キトラ古墳
 
地図を別窓で開く・印刷する
          番号をクリックすると写真にとびます          18、飛鳥資料館
 
                                  4、水落遺跡と石神遺跡
             
         1、剣池と孝元天皇陵         2、豊浦寺跡
                      3、甘樫丘         5、飛鳥寺
 
                                       6、万葉文化館
                                         7、酒船石遺跡
 
                                 8、板蓋宮跡
 
                            12、川原寺跡             9、岡寺
       17、欽明天皇陵と吉備姫王の墓 
                       13、亀石     11、橘寺
           16、鬼のまな板・鬼の雪隠 15、天武・持統天皇陵
          
 
                 14、高松塚古墳                      10、石舞台古墳 
        19、キトラ古墳                           
              
1剣池・孝元天皇陵
剣池
日本書紀に、15代・応神天皇の頃に潅漑用水として利用するための池の工事の話が記載されています。孝元天皇は8代めの天皇なのでその頃には、もう御陵はあったものと思われます。応神天皇があのヤマトタケルノミコトの孫にあたる人なので、いずれにしても、神代の頃のお話です。
豊浦寺跡 2豊浦寺跡
603年に推古天皇が豊浦宮から小墾田宮に移ったあと豊浦寺が建立されました。百済の朝廷から譲り受けた仏像を蘇我稲目が始めて祀った言わば仏教伝来の場所でもあります。しかし、疫病が流行ったとき、「異国の神を信じたせいだ」と物部氏によって焼かれました。
       畝傍山                      耳成山       香具山
    
 
 
 
3甘樫丘(あまかしのおか)
標高150mの丘に登ると明日香村と大和三山が一望できます。左から畝傍山、耳成山、香具山で、中大兄皇子に滅ぼされる前は、蘇我蝦夷の大邸宅があった飛鳥の一等地。入鹿暗殺のその日に屋敷に火を放って父の蝦夷も自殺しました。登り道も万葉植物園として整備されています。
甘樫の丘
甘樫丘
4飛鳥水落遺跡石神遺跡
水落遺跡 水落遺跡は、中大兄皇子が作った水時計(漏刻)の跡が発掘された遺跡です。
水時計については『飛鳥時代・徹底解剖』のページへGo
石神遺跡には井戸があり、地下通路で400m離れた水落遺跡とつながっており、何らかの形で水時計と関係していたのでは・・と推測されます 石神遺跡
飛鳥寺
5飛鳥寺(拝観:300円)入鹿の首塚
飛鳥寺は、物部氏を倒していよいよ日本の頂点にたった蘇我馬子が、建立した最古の本格的な寺院です。建立当時は、高句麗式の壮大な伽藍でした。
ひにくにも、のちに蘇我氏を滅ぼすことになる中大兄皇子と中臣鎌足は、この寺で出会います。

建立当時の雰囲気は、『仏教建築』のページを参考にしてください
飛鳥大仏と呼ばれる釈迦如来像は、聖徳太子によって創建当時よりここに安置されている日本最古の金銅仏です。 飛鳥大仏右
大仏様は右から見ると強いお顔、左から見るとやさしいお顔に見えるそうです。
飛鳥大仏左
飛鳥大仏
入鹿の首塚
入鹿の首塚
後ろに見えるのは自宅のあった甘樫丘
入鹿を暗殺して談山神社へ逃げる中大兄皇子と中臣鎌足を、切断された入鹿の首が宙を舞い執拗に追いかけます。
『飛鳥時代・徹底解剖』のページを参考にしてくださいGo

茂古の森あたりへ来た時、二人を見失った首は、ふと自宅に残る父・蝦夷の安否が気になって、180度方向転換をして自宅をめざしますが、精魂尽き果てここに落下しました。首塚は今も、自宅を背に皇子と鎌足の出会いの場所を見つめます。
入鹿の首塚と飛鳥寺
入鹿の首塚と飛鳥寺
6奈良県立万葉文化館(拝観:600円)
平成3年(1991年)発見された『飛鳥池工房遺跡』を地下4mに保存してその上に建てられたのが、万葉文化館です。
飛鳥時代の人々の暮らしの再現や、万葉歌の美しさなど楽しく紹介しています。
飛鳥池工房遺跡
木簡を作る人万葉文化館内
『飛鳥池工房遺跡』はその名のとおり、飛鳥時代の工房の跡で、ここで金、銀、銅、漆、ガラスなどでさまざまな製品が作られていました。
なかでも、和同開珎より古いわが国最初の貨幣『富本銭』が出土し、歴史教科書が書きかえられたのは、記憶に新しいところです。
富本銭を作る人万葉文化館内 富本銭
富本銭は、「民を富ませる本(もと)は食と貨幣にあり」という『続日本
紀』の言葉から、左右の七つの星は、陽(日)陰(月)木火土金水の七曜を表していると言われています。
工房での作業
工房での作業の様子
7酒船石遺跡(拝観:300円)
酒船石遺跡には、以前から明日香観光の代表格・謎の石造物として知られている用途不明の『酒船石』が小高い丘の上にありましたが、平成4年にその丘の北斜面に石垣が、平成12年には、北側裾に『亀形石造物』と『小判形石造物』が発見されました。
丘の上の『酒船石』と下にある『亀形石造物』との関係はまだ明らかではありませんが、『日本書紀』の斉明天皇二年(556年)の条に記されている「宮の東の山に石をかさねて垣とす。石の山丘」に符合する遺跡ではないかと思われます。

いずれにしても、『亀形石造物』は平安時代まで250年間使用された形跡があり、何か祭祀が行われたものと推測されます。
水の流れとしては、石を積んで造られた湧水施設から、小判形、亀形を通って北に伸びる溝に排出するようになっています。
酒船石
酒船石
亀形石造物
 
           
石敷(テラス)
             
                階段状石垣 
                                             湧水施設
                                
         
             
                       小判形石造物
                              亀形石造物
 
                  
南北溝
 
8飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)跡伝承地
板蓋宮跡
ここが、あの入鹿暗殺事件の舞台。ここから『大化の改新』が始ままったと思うと感激もひとしおです。しばらく、ボーッと座り込んで、飛鳥時代に脳内でタイムスリップしてました。(ブログ:無事故の世造り大化の改新も参考にしてみてください)
岡寺
9岡寺(拝観:300円)
西国7番札で、厄除け観音として有名な、わが国最大の塑像・如意輪観音様がいらっしゃいます。参道には、趣のある古い町並みが続きます。
岡寺へは、けっこう急な坂をけっこう長く歩かなくてはなりません。ちょうど疲れた頃に雰囲気のいい峠の茶屋ならぬ『坂の茶屋』がありました。坂の茶屋
10石舞台古墳(拝観:250円) 石舞台・横 明日香のシンボルとも言える超有名な石舞台古墳は、横から中に入れます。
石舞台 一番大きな石は、重さ約70トン、わが国最大級の石室を持つこの古墳は、蘇我馬子の墓では?、とも言われています。
石舞台内部
この石舞台は、もちろん舞台ではなくて、本来、他の古墳のようにこの石の上に土が盛ってあったはずで、その石室の大きさから推測して、1辺が約50mもある方墳(四角い形の古墳)であったと思われます。そんな大きな墓を造る人物はよほどの権力者であったのでしょう。 石舞台古墳の詳しい説明は、『古墳のページ』へGo
11橘寺(拝観:300円) 聖徳太子が自身の誕生の地・橘宮に建立した橘寺。当時は、66の堂があった大きなお寺だったそうです。
ここには、明日香の謎の石造物のひとつ『二面石』があります。

こちらと向こう側に彫られた2つの顔は人間の善と悪を表したものだそうで、仏教伝来以前の思想を感じさせる遺物です
二面石
橘寺
聖徳太子の謎に迫る:歴史のチシキ・謎が謎よぶ聖徳太子もお楽しみ下さい
12川原寺跡
川原寺跡
橘寺と道路を挟んで北側にある礎石は、斉明天皇の川原宮あった場所に天皇が亡くなった後建てられた川原寺の跡です。
飛鳥の頃は官寺の代表として四大寺(大官大寺・薬師寺・飛鳥寺・川原寺)に数えられる程の大きなお寺でした。
13亀石
明日香の謎の石造物の一つ。平安時代にはもうすでにここにあって『亀石』と呼ばれていました。
ユーモラスなその表情で明日香観光にはかかせない人気の石です。
亀石
亀石が西を向くと明日香は海になるとか・・・
14高松塚古墳高松塚古墳
高松塚古墳・壁画については『古墳のページ』へGo
大きくもなく、明日香ではむしろ目立たない存在だった高松塚古墳が、鮮やかな壁画の発見とともに大スターになったのは昭和47年3月の事でした。
高松塚古墳を訪れるのは、今回で4度目。発見当時と違って、すばらしい道や美しい公園ができた事にも驚きましたが、以前は中に入れないように囲いがしてあるだけだったのが、近年のカビ発生や欠損によって、空気清浄のパイプやら、なんやら機械のような物が着けられていて(良い例えだとは思いませんが)延命治療を受けている患者さんのようで、胸が痛かったです。ガンバって!
埋葬者については天武天皇の皇子のひとりでは?と言われていますが、今のところ不明です。(壁画館拝観:250円)

96年撮影の高松塚古墳
古墳の中にははいれないので、隣接の高松塚壁画館にて、実物大の模型やパネルなどで、内部の様子を見る事ができます。
高松塚古墳は今後、壁画の崩壊がこれ以上ひどくならないようにのするため、解体・保存されるそうです(ToT)
15天武・持統天皇陵
天武・持統天皇陵
まさに、『偕老同穴』持統天皇の遺言により、夫婦仲良く同じ陵に納められています。
天武・持統天皇陵
御陵は独特の8角形の形をしています。
16鬼のまな板鬼の雪隠
鬼のまな板
鬼のまな板
鬼の雪隠
鬼の雪隠
雪隠とはトイレの事。巨石ゆえ鬼がまな板で人間を料理して、雪隠で用を足したという伝説となりましたが、実は、古墳の石が露出した物では?と言われています。
17欽明天皇陵吉備姫王桧隈墓(きびのひめみこひのくまのはか)
石人像
動かすと祟りがあるとか?
石人像
欽明天皇陵
欽明天皇陵
日本書紀によると、推古二十八年(620年)に『桧隈陵に土を盛り・・・』と記載されています。前方後円墳です。

吉備姫王墓とは隣り合わせにあります。
吉備姫王は斉明天皇・孝徳天皇の母で、つまり天智天皇(中大兄皇子)のおばあちゃんにあたる人です。
吉備姫王のお墓には、なぜか場違いに思えわれるような謎の4体の石人像(通称:猿石)があります。

吉備姫王の墓
18飛鳥資料館
飛鳥資料館

資料館の中の展示は、明日香で発掘された遺跡の状況や古墳の歴史、都の成り立ちなど模型やパネルで、飛鳥時代の事をあますところなく紹介してくれます。個人的には山田寺の復元が特にすごかった・・・。(拝観:260円)
酒船石・復元
酒船石の復元
建物の外には、明日香の謎の石造物のレプリカが公園のように配置されているだけでなく、このように使用されていたのではないかと思われるよう演出されていて、とてもおもしろいです。 須弥山石
須弥山(しゅみせん)石
須弥山石は古代の噴水?
須弥山石の噴水部分
19キトラ古墳
高松塚古墳を南へ約1q。83年に壁画が確認され、一躍有名になったキトラ古墳。
発見は後になりましたが、壁画が書かれたのは、高松塚よりこちらの方が少し先だそうです。

現在は、保護のためシートと仮設の建物に覆われています。
キトラ古墳 以前のキトラ古墳
保護シートに
覆われる前の
キトラ古墳
キトラ古墳付近
どこもかしこも古墳に
見えてきます。
壷坂山駅付近
明日香村ののどかな風景
明日香村
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『動乱の飛鳥時代を徹底解剖』のページへGo
『古墳を知ろう』のページ゙へGo
明日香村公式ホームページはリンク集へ
亀石の近く
無人みかん販売所 ↑亀石の近く:このあたりは、ぜんぜん変わってません。

←思わず買ってしまう無人販売所
少し足をのばして奥明日香へ・・・『歴史散歩・飛鳥川をさかのぼる』へGo

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