京阪奈ぶらり歴史散歩
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空白の時代を求めて古市古墳群を巡る
 
道明寺 魏志倭人伝に記された卑弥呼の話から、大和朝廷が登場するまでの百年余りのこの期間。中国の歴史書にも日本の記載はなく、日本の歴史上まったくの空白の時代。

その時代に登場するのが、巨大な古墳たちです。
まるで、その空白の時代の事を伝えたくて仕方がないかのように・・・。
最初奈良盆地に造られていた古墳が河内の地に造られるようになるのは5世紀ころ。

藤井寺市と羽曳野市にまたがるこの古市古墳群だけで、123基の古墳が点在します。
葛井寺の藤
なかでも全国第2位の大きさを持つ応神天皇陵をはじめとする巨大前方後円墳が6基も、そのうち5基を巡る今日の散歩は、全部で4〜5時間。

道明寺や応神天皇陵はあの大坂夏の陣で真田幸村と伊達政宗の決戦の舞台となった場所でもあります。

私はよくばってEの白鳥陵まで行きましたが、Cの仲哀天皇陵からIの応神天皇陵へ行くのが一般的で、そのコースなら1〜2時間のお気楽ぶらり散歩です。
近鉄:藤井寺駅
1 葛井寺
2 辛国神社
3 アイセルシュラホール
4 仲哀天皇陵
5 野中寺
6 日本武尊白鳥陵
7 白鳥神社
8 誉田白鳥埴輪制作遺跡
9 墓山古墳
10応神天皇陵
11三ツ塚古墳
12古室山古墳
13仲津媛陵
14道明寺
15道明寺天満宮
近鉄:古市駅
  番号をクリックすると写真にとびます       A
                                 14、道明寺 15、道明寺天満宮
                              
K
                                    
 2、辛国神社      1、葛井寺                13、仲津媛陵 
    
B                    12、古室山古墳    11、三ツ塚古墳
  4、仲哀天皇陵   3、アイセルシュラホール              
F         
                        
H
                          
G
                       10、応神天皇陵
 
  
                
C          8、埴輪・制作遺跡
 5、野中寺              
D
                 
E   9、墓山古墳
 
          
I     J                     7、白鳥神社
 
                   
                    
                   6、日本武尊・白鳥陵
地図を別窓で開く・印刷する
大きな古墳には番号をふりましたが、この地域にはまだまだ、沢山の古墳があります。とても書ききれる状態ではありませんが、とりあえず目についた古墳にアルファベットでをふって、場所と名前だけでも表示しておきます。
A市ノ山古墳:こちらは、今回行きませんでしたが全長228m・全国で第20位の巨大な前方後円墳です。
B鉢塚古墳 Cはざみ山古墳 D宮山古墳 E浄元寺山古墳 F赤面山古墳
G丸山古墳 H大鳥塚古墳 I仁賢天皇陵 J青山古墳 K鍋塚古墳
古墳についての詳しい事は『もっと古墳を知ろう』のページへGo
1葛井寺(ふじいでら)
葛井寺
飛鳥時代の渡来人・王仁一族の辰孫王が葛井連と改姓して創建したのが始まりです。聖武天皇ゆかりの十一面観音様は、毎月18日のみのご開帳。(ご本尊の拝観は300円)その名にふさわしく藤の花が見頃でした。
葛井寺の藤
辛国神社
2辛国(からくに神社
日本書紀に雄略天皇の頃・物部氏の創建とありますので、西暦500年頃からの歴史のある神社ですが、やはり辛国=唐国・韓国という事で渡来した人々に関係があるのでは?
3アイセル
   シュラホール
古墳を造る時、巨石を乗せて運んだと言われる『修羅』の形をした藤井寺市の生涯学習センターです。中には、古墳の模型や、出土した埴輪などを展示した資料館があります。
アイセルシュラホール
4仲哀天皇陵(岡ミサンザイ古墳)
全長235メートル、全国第17位の岡ミサンザイ古墳は、仲哀天皇の陵だと言われています。巨大古墳造営ブームの最初の頃ですね。
5野中寺
八尾の勝軍寺「下の太子」と太子町の叡福寺「上の太子」と並んで「中の太子」と呼ばれる聖徳太子ゆかりのお寺です。建立当時は、法隆寺式の大伽藍を誇っていましたが、南北朝の延元の戦い(野中寺合戦)で、その伽藍は焼失しました。手前の礎石は、金堂跡です。
野中寺
6日本武尊(ヤマトタケルノミコト)白鳥陵
日本武尊白鳥陵

ヤマトタケルノミコトの陵とされる全長190メートルの前の山古墳からは、1500年前の物と推定される埴輪が出土しています。戦いにあけくれ、遠征先で息を引き取ったミコトが、白鳥の姿になって古市に飛来したという『記紀』に記された伝説は、羽曳野という地名の由来にもなっています。
ヤマトタケルについては『消された神様たち』のページへ
白鳥陵と竹内街道 竹内街道
日本武尊白鳥陵のほとりの道は、推古天皇の時代に整備されたわが国最古の国道・竹内街道の一部です。奈良と大阪、当時の2大都市を結ぶ大動脈です。
白鳥神社 7白鳥神社
(しらとりじんじゃ)古市駅のすぐ裏手にある白鳥神社は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と素戔鳴命(スサノオノミコト)を祭る神社です。
8誉田白鳥(こんだはくちょう)埴輪制作遺跡 登窯
復元された登り窯模型
ここが、第2基・3基・4基号窯の部分にあたります。
国道170号線を挟んだ向かい側には、埴輪制作に携わった職人たちの住居跡も発見されました建物跡
道路工事中に偶然発見された埴輪制作窯跡です。長さが6〜7メートル幅1.5メートルのゆるやかに傾斜した登窯が9基発見されました。 窯の内部
復元された窯の内部
その後たくさんの埴輪も出土しました。
9墓山古墳
墓山古墳
墓山古墳(上空より)
古市古墳群の中心に位置する全長225メートル、全国で22位の大きさの大型古墳です。上空からの写真の中央が墓山古墳、右下が向墓山古墳です。
墓山古墳には、向墓山古墳など附属する4基の陪塚が周辺にあり、そのうち、野中、西墓山古墳には、甲や鎧、刀剣などの多数
の鉄製品があり古墳の主の
権力の大きさがうかがえます。
向墓山古墳

向墓山古墳↑
10応神天皇陵(誉田御廟山古墳)
応神天皇陵、側面
応神天皇陵、正面
堺の仁徳天皇陵に次ぐ全国第2位の長さ417メートルの応神天皇陵とされる誉田御廟山古墳。表面積なら仁徳陵を上回る堂々の第1位です。とにかく大きすぎて山にしか見えません。日本書紀の没年と古墳の築造年とはズレがあるものの、中国にまでその名を轟かせた大王にふさわしい大きな御陵です。
11三ツ塚古墳
助太山古墳、中山塚古墳、八島塚古墳。同じ周壕で囲まれた3つの方墳を三ツ塚古墳と呼びます。
昭和53年に中山塚と八島塚の間から、巨石の運搬用に使用したと思われる『修羅』が出土し、大きな話題となり歴史教科書に変化をもたらしました。

写真上が中山塚古墳、下が八島塚古墳→
中山塚古墳

八島塚古墳
12古室山古墳
古室山古墳
応神天皇陵と仲津媛陵の間に位置する地形を利用した古市古墳群の中で、初期の時代の前方後円墳です。
仲津媛陵(仲津山古墳)
仲津媛陵
   
(仲津山古墳)
全長291メートル、全国で第9位の大型古墳です。仲津媛は、応神天皇の皇后。このあたりは住宅に囲まれていて、御陵の正面を見つけるのに苦労しました。
道明寺
道明寺
古墳造営に携わった土師(はじ)氏の氏寺・土師寺として建立され、江戸時代までは四天王寺式の伽藍配置を持っていました。土師の子孫の菅原道真ゆかりのお寺という事で道真公の別名・道明から道明寺と呼ばれるようになりました。
ご本尊の十一面観音菩薩様は国宝に指定されています。
道明寺天満宮
道明寺天満宮
道明寺と同じく土師氏の氏神として成立。菅原道真の遺品の宝物が伝えられています。境内には、三ツ塚古墳で出土した『修羅』の復元品や、梅林があり、梅の名所としても知られています。
神社のHPはリンク集へ
天満宮のさざれ石
さざれ石 約7千万年前・白亜紀後期の物で、
細かい石が集まって
大きな岩になっています

さざれ石アップ
古墳については『もっと古墳を知ろう』のページへGo『修羅』の写真も載せてます。


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