京阪奈ぶらり歴史散歩
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ようこそ 魑魅魍魎の世界へ
平安京・魔界MAP

京の町を歩くと、いたるところに小さな祠(ほこら)に出会います。
通りを歩くお年寄りは、必ずと言っていいほど、その祠の前で足を止めて、
手を合わせてから立ち去っていくのです。
中世の魑魅魍魎が今も生きつづけるこの町だからこそ、神仏を敬う心、
何の変哲もない石や木を崇める心が残っているのです。
それは、歴史年表にはないもう一つの京都の魅力。
京都の魔の世界にこそ、ほんとうの京都らしさがつまっていると思います。


                                比叡山の七不思議
            貴船神社            深泥池
           北野天満宮     晴明神社 上御霊神社
                    一条戻り橋      京都御所・猿ヶ辻
               宴の松原            下御霊神社
                             革堂     菊野大明神
                       鵺池             大将軍神社
                                         八坂神社
                                崇徳天皇御廟
                     膏薬図子 神明神社    珍皇寺
                                     六波羅蜜寺
                             
                            猫の曲がり
                 羅城門
 
 
 
                                   橋姫神社
 
                     石清水八幡宮
 
 

宴の松原(えんのまつばら)
千本出水の交差点を少し七本松通りに向かって歩いて行くと、石材店の隣に宴の松原と刻まれた石碑があります。
このあたりは平安の昔、内裏(天皇の住まい)の敷地内で武徳殿という建物の東側に広がる
宴の松原という松林でした。
その松林の近くを、深夜若い女房3人が月明かりに誘われてそぞろ歩いていると、林の奥からひとりの男が現れました。
背が高く、目鼻立ちのすっきりしたかなりのイケメンです。
女たちがポ〜っと見とれていると、その男前は3人のうちの一人の手をとって松林の中へ入って、なにやら楽しげに話し込んでいるようす。
宴の松原
残されたふたりは、しばらくその場で話が終わるのを待っていましたが、なかなか帰ってきません。
おかしいなと思って、松林の中に入って行くと、先程まで男と女が話をしていたあたりには、おびただしい鮮血が飛び散り、血の海の中に手と足だけが転がっていました。
女を誘った男前は、この松原に巣くう妖鬼でした。
このあたりは現在もお寺の数が多く、それぞれのお寺には
出水の七不思議と呼ばれるさまざまな不思議話が伝わっているそうです。
 
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鵺池(ぬえいけ)と神明神社
鵺池
発掘当初の鵺池
現在は、二条公園という児童公園として整備されている二条城の北側のあたりは、平安の頃には宮内省があり、近くに鵺池鵺大明神のほこらも発掘されました。
平安後期の近衛天皇の頃、鵺(ぬえ)という怪物が現れ夜になると奇怪な声で鳴いたと言います。
弓の名手・源頼政が退治しまして、その血のついたやじりを洗ったので、
鵺池名付けられました。
神明神社
神明神社
綾小路通にある神明神社は、鵺を退治した屋敷跡に建てられた神社で、その時頼政から奉納されました『やじり』2本が宝物として伝わっています。

 今昔画図百鬼夜行の鵺→
鵺
歴史散歩ページ:東寺から二条城へ
 
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御霊神社と大将軍神社
鳥時代に起きた天智天皇の後継者争いである壬申の乱以降、ずっと乱に勝利した天武天皇系の人々が天皇になっていましたが、一世紀ぶりに天智系の桓武天皇に天皇の座がまわってきたのです。
そのため、まわりには反対派が多くいて、そんな反対派の人物を桓武天皇はことごとく抹殺して自分の地位を確保していました。
天武系の色濃い奈良の都を捨て長岡京に遷ったのもそのためです。
大将軍神社
大将軍神社
そんな時、天皇の右腕・藤原種継が暗殺され、真犯人がはっきりしないまま死刑された者が十数名。
桓武天皇の弟・早良(さわら)親王も淡路に流罪となりますが、親王は食を断って無実を訴え、淡路に向かう船の中で衰弱死してしまいます。
異変はその頃から起こります。
水害や、身近な人物の変死などが続き、早良親王の怨霊だと噂され、恐ろしくなった天皇は10年で長岡京を捨て、平安京に遷ります。
上御霊神社
上御霊神社
しかし、それでも祟りはおさまらず、早良親王や自分が抹殺してきた人々の魂を鎮めるために建立したのが御霊神社大将軍神社でした。
御霊神社は、御所の北側に上御霊神社、南側に下御霊神社を、大将軍神社は都の四方の四隅に・・・、現在、京阪三条駅近くにある大将軍神社は、東南の位置にあたります。
この大将軍神社には、樹齢800年と言われる銀杏の木があって、あたりは
鵺の森と呼ばれています。
例の鵺伝説の鵺は、このあたりに住んでいたとの噂も・・・。
下御霊神社
下御霊神社
桓武天皇が平安京を護るために建立した多くの神社。
やがて、平安京のほとんどを焼き尽くす事になる
応仁の乱は、皮肉にもそのうちの一つ・上御霊神社から勃発します。
関連記事:ブログへ>>【お彼岸の由来〜早良親王・怨霊伝説】
 
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珍皇寺と六波羅蜜寺
六道珍皇寺
六道珍皇寺
かつての五条通だった現在の松原通に建つ六道珍皇寺と六波羅蜜寺のあたりは、六道の辻と呼ばれ死者とのお別れをする場所でした。
平安時代は、五条坂から今熊野一帯は、
鳥辺野と呼ばれる風葬地でした。
都人たちは、人が亡くなると亡がらを棺に納め、鴨川を渡り
鳥辺野へ向かう道筋にあたるここで野辺の送りという最後のお別れをします。
この先は僧によって鳥辺山の葬地に運ばれます。
小野篁、通いの井戸
篁、通いの井戸
六波羅蜜寺
六波羅蜜寺のお地蔵様
いつしか六道の辻は、霊界に入り口とされました。
平安時代の天才・官僚で、閻魔大王に仕えたと言われる小野篁は、珍皇寺に現在も残るこの井戸を使って、毎夜冥界へ通ったと言われています。
ちなみに、珍皇寺の井戸は入口で、出口は嵯峨野の大覚寺の門前に明治の頃まで存在した福生寺の井戸であったと言われています。
井戸で行き来するとは・・・○夜叉っぽい・・・
歴史散歩ページ:四条から五条へ
 
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猫の曲がり
猫の曲がり付近
猫の曲がり付近
五重塔で有名な東寺の境内の一角に、猫の曲がりと呼ばれる場所があります。
今はなくなってしまいましたが、東寺を囲う土塀の東南の角にかつて虎の像を刻んだ瓦が置かれていました。
その虎の像がまるで猫のように見えたので、いつしか東寺の東南の角の事を
猫の曲がりと呼ぶようになりました。
昔から猫の曲がりの前を通るとなぜか不吉な事が起きるとして京の人々に恐れられてきました。
そのため、今でも京都の人々の間では、婚礼前の花嫁を乗せた車は、
猫の曲がりのある九条通を避けて通るという暗黙の了解があるとか・・・
歴史散歩ページ:東寺から二条城へ
 
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羅城門の上層に登りて死人を見たる盗人の話
今は昔、摂津の国から京へやってきた盗人(ぬすびと)が、隠れ場所に困って羅城門の楼に登りました。
・・・と、誰もいないはずの楼上にぼんやりと灯りが・・・。
そ〜っと覗いてみますと、白髪の老婆が、若い女の死体から髪を一本・・また一本・・と抜き取っているのです。
盗人は、刀を抜き老婆に近づいて「ここで何をしている!?」と、訪ねます。
老婆は、怯えながら「これは私の女主人。身よりもなく死体の引き取り手もありません。
私は、ただこの髪を売ろうとしただけです。
羅城門跡
羅城門跡の碑
どうか、命ばかりはお助けを・・・」と命乞いをします。
盗人は、死人と老婆の着物を剥ぎ取り、髪の毛を奪って羅城門から逃げ去りました。(今昔物語:巻二九・第一八話)

朱雀大路の南の端に位置していた羅城門のあたりは、9世紀頃には荒れ果て、門は盗賊や魑魅魍魎の住処となっていました。
死んでも葬式の出せない者が遺体をここに置き捨てていき、門には骸骨がゴロゴロしていたといいます。
歴史散歩ページ:東寺から二条城へ
 
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膏薬図子(こうやくずし)
神田神社 四条通の、新町通から西洞院通に向かって歩いていくと、綾小路通へ抜ける人知れず車も通れないような細い路地があります。
四条通の都会的な様子からは想像もできない、まるで別空間のようです。
この鉤型に曲がった路地が
膏薬図子(膏薬辻子)です。
ここの曲がり角の所に小さなほこらがあります。
ここは、あの
平将門の首がさらされた場所だと言われていて、ほこらは神田神社と呼ばれます。
その昔、ここにさらされた将門の首は、突然カッと目を見開き、天空をかけのぼり、切り離された胴体を求めて東の空へ飛び去った、と言われています。
その後、将門の怨霊によって祟りが絶えない場所として恐れられ
神田神社が祀られるようになりました。
膏薬図子
関連記事:ブログへ>>【平将門・怨霊伝説】
 
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崇徳天皇御廟
崇徳天皇御廟
崇徳天皇御廟
保元元年(1156年)に勃発した保元の乱で敗北した崇徳天皇は、に配流の身となりました。
天皇は血書をもって京への帰還を願いますが、聞き入れられる事なく、「日本国の大魔王となり、天皇を民におとしめ、民を天皇としてやる」と言い残し、失意のままこの世を去りました。

髪も爪も切らず、その姿は「生きながら鬼になった」と言われるくらいすざまじい姿だったそうです。
遺体が白峯山に埋葬された時、突然雷鳴が鳴り響き、激しい風雨が襲い、棺からは血が流れたと言います。
都から遠く離れた讃岐に葬られた天皇を気の毒に思った阿波内侍が遺髪をもらい受けここに塚を造りました。
しかしその後、
崇徳天皇の祟りとされる怪事件がたびたび起こり、御影堂など造られましたが、この御廟だけが今に残りました。
鎌倉時代に書かれた『太平記』の魔界の絵には、居並ぶ怨霊の中で崇徳天皇が最高位として描かれています。現世では、天皇の座を追われた崇徳天皇は、皮肉にも魔界でトップに立つことになったのです。

崇徳天皇の怨霊は、天皇が表舞台に立った時に限り登場する・・・として、明治天皇は大政奉還の時、京都に天皇の陵墓のある白峯山の名前をとった
白峯神社を創建しています。
歴史散歩ページ:京都御所と安倍晴明
関連記事:ブログへ>>【崇徳天皇・怨霊伝説】
 
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一条戻橋と晴明神社
晴明神社
晴明神社
一条戻橋
一条戻橋
死者がこの橋を渡った時に生き返った事から名付けられた一条戻橋
渡辺綱と鬼女の話や、豊臣秀吉による千利休木像はりつけ事件にも登場します。
また、この一条戻橋に、自分の操る式神を隠していたと言われる天才陰陽師・安倍晴明を祀る晴明神社は、晴明の邸宅跡に建っています。
かつては、
平安京随一の魔所と恐れられていた一条戻橋も、京の花嫁は避けて通る場所なのです。
歴史散歩ページ:京都御所と安倍晴明
関連ページ:安倍晴明逸話集・晴明怪奇譚
 
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菊野大明神
河原町通に面した法雲寺というお寺の片隅にひっそりとたたずむ菊野さん
ご神体は、小野小町のもとへ百日通った深草少将が毎夜座った石だという。
叶わぬまま焦がれ死にした少将の思いがこもっているのでしょうか、この
菊野さんにお参りすると、どんな悪縁も断ち切れると言います。
今も、憎い嫁が出ていきますように・・・不倫相手が奥さんと離婚しますように・・・と、願いを書いた紙をほこらの裏側に開いた小さな穴にねじ込んでいくのだそうです。
菊野大明神
菊野大明神
お寺の土間を通らないと行けない真っ暗なほこらには、鬼より怖い生きた人間の恨みが潜んでいるようです。
小野小町と深草少将のラブストリーについては京都歴史散歩:醍醐の花見のページでもどうぞ
 
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猿ヶ辻
猿が辻
一箇所だけ窪んだ猿ヶ辻
京都御所の鬼門にあたる北東部分のこの一箇所だけが窪んでいる不思議な場所。
木彫りの猿が夜な夜な徘徊し、金網で封印されています。
また、1863年に姉小路公知が暗殺された場所でもあります。

         猿ヶ辻の碑→
猿ヶ辻の碑
歴史散歩ページ:京都御所と安倍晴明
 
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革堂
京都御所の南側にある下御霊神社のそばにある行願寺は、西国三十三ヵ所霊場の第十九番の札所で、1004年に行円上人によって創建されました。
上人がいつも皮の衣をまとっていた事から、
皮聖(かわひじり)と呼ばれていて、このお寺もいつしか革堂と呼ばれるようになりました。
都七福神の一つ、寿老人神堂もあるありがたいお寺なのですが、なぜか若い女性の幽霊が描かれた
幽霊絵馬が奉納されています。

行願寺(革堂)
 
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北野天満宮

北野天満宮
今は、学問の神様として知られ、四季を通じて合格祈願の学生さんたちのお参りが後をたちません。
祭神はご存知
菅原道真公ですが、藤原時平のさしがねで大宰府に左遷され、失意のままこの世を去りました。
その後、数々の災いが起き、日本
史上最強の怨霊として恐れられ、その霊を鎮めようと、都人は各地に天神社を建てたのです。
道真の自宅の梅が主人を追って大宰府まで飛んだという
飛梅伝説も摩訶不思議な話です。
歴史散歩ページ:きぬかけの道 
関連記事:ブログへ>>【清涼殿に落雷】
 
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貴船神社と深泥池
神代の昔、国家安穏、万民守護のために、タカオカミノカミが貴船山・鏡岩に天下ったのが始まりとされる貴船神社は、都の北の山奥深く、古くから水を司る龍神として信仰を集めています。
伝説によれば、神武天皇の母・タマヨリヒメノミコトが難波の浜から淀川・鴨川とさかのぼり、さらに貴船川の上流のこの地に至って宮を造ったという。
奥宮にある
船形石は、その船を石で覆って隠した物で、今も内部には、神の船があるのだそうです。
貴船神社
貴船神社本社
奥宮周辺の杉林
奥宮周辺の杉林
貴船神社・奥宮と船形石
船形石と奥宮
また、貴船神社は丑の刻参り発祥の地でもあり、白装束に身を包み憎い相手に見立てたわら人形を5寸釘で樹木に打ち付ける・・・そのような事が昭和の始め頃まで行われいたそうで、先年、参道の老杉を伐採した所、中から錆びた5寸釘が出てきたという話もあり、周辺のうっそうとした杉林は神秘の世界をかもし出します。
深泥池貴船神社 深泥池
深泥池と貴船神社(分社)
貴船神社本社から旧鞍馬街道を都のほうに下っていくと、深泥池貴船神社があります。
こちらは、寛文年間(1660〜70年)に、都から参拝しやすようにと、分霊された神社です。
近くにある
深泥池は、古くから龍神の住む底なし沼として、京の人々に語り継がれてきました。
現在では、貴重な動植物の生息地として保護の対象となっていますが、この気候には生息しない植物などが確認されている不思議な池です。
歴史散歩ページ:上賀茂から下鴨へ
歴史散歩ページ:貴船から鞍馬を行くへへGo
関連記事:ブログへ>>【丑の刻参り〜その歴史とやり方】
 
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橋姫神社

橋姫神社
貴船大明神に祈願して、生きながら鬼となって、疎ましい者たちを、殺しつくしたという橋姫
しかし、それは平家物語のお話。
もともと橋姫は、宇治橋のたもとに祀られた美しい女神様で、その神のもとへ離宮の神が毎夜通ってきて、帰るときの記しとして夜明け頃宇治川の波がおびただしく波打つのだ言う言い伝えがあります。
離宮の神とは、住吉明神の事。
今も橋姫神社にふたり仲良く鎮座します。
歴史散歩ページ:宇治周辺
関連記事:ブログへ>>【瀬田大橋・橋姫伝説】
 
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石清水八幡宮
平安の昔から、都の裏鬼門を護ってきた石清水八幡宮。
祭神は、八幡大神様・誉田別尊(ホンダワケノミコト)です。
源義家が、この石清水八幡宮で元服し、八幡太郎義家と名乗った事でもわかるように、武の神、弓矢の神として崇められてきました。
裏鬼門を護るにふさわしく、厄除け・節分の鬼やらいといった神事が執り行われています。

石清水八幡宮
歴史散歩ページ:男山周辺
 
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比叡山の七不思議
高848メートルほぼ全山が延暦寺の聖域である比叡山は、延暦四年(785年)伝教大師・最澄の開山以来、1200年の歴史を誇る天台宗の総本山です。
最も重要な表鬼門に配置され、今も千年の都・平安京を魑魅魍魎から護り続けています。
そんな悠久の歴史があるからこそ、さまざまな不思議な伝説が残っています。
麗人の水垢離(みずごり)
その昔、深夜になると五智院の仏間の位牌がカタカタと鳴り、水の音が聞こえてくるという不思議な現象が起こりました。
不思議に思った僧が水の音のする谷に降りていくと、ものズゴイ美女が半裸で水垢離をしています。
僧もやっぱりオトコ、ついつい覗き見していましたら、どこからともなく「あの位牌は私のモノです。魂を山に預けて修行をすれば、来世の極楽が約束される、と教えられ修行を積んでいます。おもしろ半分で覗かないで!」という声が聞こえました。麗人の水垢離を邪魔すると祟りがあるそうですよ。
船坂の靄船(もやぶね)
かつては女人禁制だった比叡山。そんな比叡山にに思いを残して亡くなった女性たちが、船に乗り靄を利用して延暦寺会館の前の船坂を登ってくるのだそうです。
南光坊のなすび婆
東塔の南光坊には、なすび色の顔のおばあさんの幽霊が住んでいるそうな。
800年ほど前、宮中に仕えていた頃、誤って殺人の罪を犯して、地獄に落とされましたが、生前から罪を悔い信仰していたので、身は地獄にあっても、心は比叡山に住むことを許された女の幽霊なのだそうです。
織田信長が比叡山を焼き討ちした時、大講堂の右手前にある鐘楼の大鐘を乱打して急を知らせたという。
なすび色のバァチャンが必死で鐘を乱打している姿は、はたして怖いのか?
総持坊の一つ目小僧
総持坊には、額に入った一つ目小僧の絵があります。
これは、聖僧・滋仁の変身した姿なのだそうです。滋仁さんは、死後、一眼一足の幽霊となり、修行を忘れた生臭坊主にとりついて、次々と下山させたのです。一つ目小僧って良い人だったんですね。
一文字狸
あの弁慶が渡り廊下の下に肩を入れて、にない上げたので、別名『にない堂』と呼ばれる常行堂と法華堂。
ここには昔、狸の像ばかり彫っているへんなお坊さんがいて、ある夜そのお坊さんのもとに、体長10メートルはあるかと思えるほど巨大で、真っ白な眉毛を一文字にひいた狸が現れました。
その狸が言うには「仏道を忘れていくら彫ってもムダだ。仏道修行を祈って千体の狸を彫れ」との事。
そして、その狸は、煙のように掻き消えました。
それからというもの、そのお坊さんは、修行に励みながら七年かかって千体の狸を彫ったそうです。
その狸の像は残念ながら、織田信長の比叡山焼き討ちのさいに焼失してしまったそうです。
赤池(蛇ヶ池)の妖怪
今は所在不明ですが、西塔のどこかに昔、赤池という池があって、その池には大蛇が棲んでいて、僧侶を襲っては一呑にしていました。
それで、ある高僧が妖怪退治の祈念をすると、釈迦堂を七巻き半もする巨体に変身して、「こんな事もできるんだゾ!」とばかりにその力を見せ付けてきました。
そこで、この僧は「ならば、この手のひらに乗れるくらい小さく変身できるか?」と訪ね、手を差し出しました。
そんな事は朝飯前だ!と言わんばかりに大蛇は一瞬のうちに3センチほどの大きさになって、僧の手の中へ・・・。
僧は、すかさず蛇を壷に入れて封印。みごと退治しました。
六道踊り
西塔から4キロほど離れた場所に横川中堂というお堂があります。
このお堂の前の広場は、お盆の深夜に、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の、六道の各界の住人が一堂に会して奇怪なお盆行事を繰り広げるのだそうです。

以上の七つが
比叡山の七不思議として、伝えられています。
あ〜良かった〜不思議が七つあって・・・。六つしかなくて、六つしかないのに七不思議って言うのが七つめの不思議って言われたらどーしょーって思ってました〜!・・・ってそりゃ、お笑いのネタやがな〜
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