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東海道五十三次は有名ですが、じつは関ヶ原の合戦の翌年、伏見・淀・枚方・守口の4宿を設け、大坂夏の陣の翌年には、幕府は正式に東海道を大阪まで延長、大津の次に伏見→淀・・・と続き、最終地点を大阪・高麗橋までとしました。
平行してはしる淀川には三十石船が行き交い、水路と陸路の両方で京都・大阪間が結ばれていて、ちょうど中間に位置する枚方宿は特に賑わっておりました。
紀州候は、参勤交代の時、いつも枚方宿を常宿とし、日本に初めてゾウがやってきたときも、この京街道を悠々と歩いて行きました。 |
今回の歴史散歩は、京阪電車の枚方市駅から の道標まで徒歩1分、枚方公園からでも淀川河川敷公園まで徒歩3分、全てを見てまわっても1〜2時間あれば大丈夫、まさに『ぶらり散歩』です。お寺や資料館をゆ〜っくり見学したい場合は3〜4時間あればいいですね。 |
| 1 郵便屋の渡しの碑 |
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| 2 鍵屋 |
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| 3 問屋跡 |
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| 4 浄念寺 |
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| 5 臺鏡寺 |
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| 6 願生坊 |
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| 7 大隆寺 |
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| 8 意賀美神社 |
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| 9 むくの木 |
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| 10 常夜燈 |
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| 11 淀川資料館 |
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| 12 京街道・道標 |

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ここはどこじゃと船頭衆に問えば ここは枚方鍵屋浦
鍵屋浦には碇は要らぬ 三味や太鼓で船止める
淀川三十石船歌より |

大阪夏の陣に勝利した徳川家康・秀忠親子が天皇に謁見するため京に向かう途中に真田の残党に襲われます。その時、危ないところを助けたのが枚方宿近くに住む小六という男の舟でした。
その恩賞が茶舟の独占営業権と粗言御免のお墨付き。
それ以来、三十石船が枚方・鍵屋浦あたりに来ると物を売る舟が近づいてきて「酒くらわんか〜、餅くらわんか〜、しんきくさい顔さらさんと、はよ金使わんかい〜」という風な粗っぽいかけ声とともに『くらわんか舟』は枚方宿の名物となります。
関連記事:八軒屋船着場は中之島のページへGo |

三十石船と、くらわんか舟(安藤広重・画) |
文禄堤と東海道五十七次については、ブログでもくわしく書いていますのでどうぞ・・・ブログへGo |

すっかりキレイになった淀川河川敷公園 |
郵便屋の渡しの碑
昔、淀川には橋がなく、ここには唯一の交通手段である |
大塚の渡しがありました。明治10年に、対岸に鉄道が通ってからは、こちら側の郵便物を渡しで運び、国鉄・高槻駅まで運ばれたそうです。 |
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鍵屋
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| 天正年間創業(1573〜92年)の船宿・鍵屋は今、資料館になっています。京街道に面した江戸時代の面影を残すこの町屋は枚方市の文化財に指定されています。(入館200円) |

鍵屋の客室・今にも黄門様ご一行が現れそうですね |
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鍵屋の2階から府道・京都守口線越しに淀川を臨む |
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問屋浜跡
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最盛期は乗客用の三十石船が671艘、貨物用の二十石船が507艘運行していました。それらを監視する船番所もここにありました。 |
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浄念寺
前の道は枡形道路と言っていざという時攻め込まれ難い直角の形になっています。 |
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このあたりは、ところどころ京街道の面影を偲ばせる町並みです。
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臺鏡(だいきょう)寺

浄土宗のお寺。長い階段を上がった境内には縁結びの『夜歩き地蔵』様がいらっしゃいます。 |
願生坊

織田信長とも戦った枚方寺内町の中心的寺院 |

大隆寺 |
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むくの木
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樹齢500年を数える大阪府の天然記念物。
意賀美神社の前の道から住宅街の坂道を少しばかり歩かなくてはいけません。
散歩好きの人は行って下さい。とりあえず坂道を登って、1つ目の十字路を左に、突き当りをもう一度左に曲がると見えてきますから。
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常夜燈
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淀川資料館

淀川の自然や治水の歴史などをわかりやすく展示しています。仁徳天皇の茨田の堤の話も。
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京街道・道標
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『右 大阪』と書かれた道標が都会の雑踏の中に・・・。反対には文政九年(1826年)の文字が・・・。

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三十石船(復元)と淀川
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賑わう枚方宿の船宿 |

私が新入社員としてこのあたりを闊歩していた頃はまだ公園もそれ程整備されておらず一面こんな感じの葦の原でした。
鍵屋も資料館ではなく、宿として営業中でした。懐かしい〜 |
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