| 大坂の陣の原因になった方広寺の鐘 |
関ヶ原の戦いで勝利を収めた徳川家康は、天下を手に入れ、逆に豊臣家は、徳川の一大名になってしまいました。
しかし、豊臣秀吉の残した資産は、家康にとって脅威です。
家康は、秀吉の息子・秀頼に寺社の修復をさせて資産を減らさせ弱体化を狙います。
秀頼は、言われるがまま私費を投じて、戦乱の世で崩壊した京都や奈良の神社・仏閣の復興事業を行いました。
その一つがこの方広寺です。
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| しかし、家康にとっては、ほんとうは、豊臣家が存続している事さえ気に入らないのです。 |
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今、戦えば、自分が勝てるだろうと言う予想はつきますが、関ヶ原で味方についたとは言え、もともと秀吉の家臣だった武将がたくさんいます。
秀吉が亡くなる時に、五大老・五奉行を定め、「自分が死んだ後、秀頼を頼む」 |
と願った事は皆が承知です。
家康はその五大老の一人ですから、あからさまに攻撃を仕掛けては反感を買います。
そんな時、この方広寺に秀頼が寄進したこの鐘。
鐘に文字が刻まれいますが、その中に『国家安泰』『君臣豊楽』とあるのを見つけ、「これは家康を2つに分け、豊臣家の繁栄を祈る物だ!」という言いがかりをつけ、それを口実に攻撃をしかけてきました。
それが、大坂の陣です。
冬の陣で敗れ、丸裸にされた豊臣家は、続く夏の陣で、滅亡する事になります。 |
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方広寺の鐘に難クセつける事を思いつき、家康に提案した、とされる謎の僧・天海については
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