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ここはやはり、町全体の雰囲気にどっぷり浸かってタイムスリップ感を味わいたい。
雰囲気の良いお店やさんもあり、小学校・保育所も町ぐるみで町並みを壊さないよう頑張っておられます。 |
東西約600m、南北約400mの濠に囲まれた場所に約800戸の家がびっしりと立ち並び、そのうち80%が江戸時代の建物。
国の重要文化財が8軒、県指定文化財が3軒、市の指定文化財が5つあります。
重要民家だけを見てまわるだけなら1時間もかからないかもしれませんが・・・
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番号をクリックすると写真にとびます








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| 1蘇武橋 |
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20西光寺 |
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| 2華甍 |
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19蓮妙寺 |
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| 3南尊坊門跡 |
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18音村家 |
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| 4高木家 |
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17旧米谷家 |
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| 5河合家 |
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16吉村家 |
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| 6今井小学校 |
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15順明寺 |
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| 7今井保育所 |
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14上田家 |
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| 8春日神社 |
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13まちや館 |
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| 9今西家 |
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12称念寺 |
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| 10八幡神社 |
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11中橋家 |
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今井町の歴史
天文年間(1532〜55年)に、本願寺の一家衆今井兵部豊寿が称念寺を開いたのが始まりです。
お寺を中心に寺町ができあがっていきますが、当時は戦国時代。
周囲に堀をはりめぐらし、各路地も一直線ではなく、少し行けばつきあたり・・・というぐあいに鉄壁の防御策を張った環濠集落となっていきました。
現在の町割りは、室町時代の物で、戦国時代そのままの街並みです。
しかも現役バリバリです。 |
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町めぐりのポイント
まず地図を手に入れてください。●印の今井まちづくりセンターか の今井まちなみ交流センター華甍でもらえます。
歴史で書いたように攻められ難い町並みは、とてもややこしいです。
個人的には、まちづくりセンターは周囲の町並みに溶け込んでいるので、そこを探すのもひと苦労、その点まちなみ交流センター華甍は、蘇武橋をわたった1つ目の筋(一番東の筋)をまっすぐ南に行ったひときわ大きな目立つ建物。すぐに見つけられるので最初に行くならそちらがわかりやすいです。
それから、これらの民家はすべて個人のお宅です。もちろん現在も住んでおられます。エチケットを守ってご迷惑をかけないように心がけなければなりません。
古い民家のうち、 の今井まちや館と、 の旧米谷家はオーナーさんから市が借り受けていますので、9時〜17時まで一般開放されていて自由に見学できます。
橿原市公式Webサイトは、リンク集へ |
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蘇武(そぶ)橋

八木西口駅から歩いて、飛鳥川にかかるこの橋を渡るといよいよタイムスリップの世界です。
右に見える大木は樹齢400年のエノキ。もちろんこの木も現役で今井町のシンボルとして活躍中です。 |

今井まちなみ交流センター
『華甍』(はないらか) |
建物は大正天皇ご成婚時、畝傍御陵参拝の際の御下賜金によって明治36年に建てられた物で、町役場等を経て、現在は交流センターとして使用されています。 |
| 中は、資料館になっているので、ここでお勉強しててから見学してみては? |
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南尊坊門跡 |
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今は、礎石が残るのみですが昔、町に入る9つの道には門がありました。道路に目印付いてます。 |
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高木家
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河合家

高木家・河合家は、共に酒造業を営んでおられるお家で、河合家は外部意匠に特徴があります。
高木家は幕末頃の建築で2階が発達しています。 |

今井小学校 |

今井保育所
小学校も、保育所も、町並み保存に全面協力ですね。 |
春日神社

石灯籠や狛犬の願主に、大阪や堺の商人の名前がズラリ。今井町の流通の広さがうかがえます。 |
今西家は、最も早く重要文化財の指定を受けた民家で、棟札には慶安三年(1650年)3月22日と記されています。
惣年寄の筆頭で、領主や代官などの支配の一翼も担い、自治権も持っていたという家柄にふさわしく、民家と言うより、城といった雰囲気さえ感じさせます。 |
今西家
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今西家近く、環濠が当時のように復元されています |
堀で囲われ門が閉ざされれば、まさに鉄壁の要塞となった事でしょう。

八幡神社と
乾口門跡 |
中橋家

中橋家は、江戸時代に米屋を営んでいたお宅で、称念寺の筋向かいにあり、お寺とも縁が深いそうです。 |
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称念寺
かつて今井町の中心であった事を感じさせる堂々とした造り、南御堂とも呼ばれます |
今井まちや館

一般開放されている今井まちや館。その内部はやはりすごい。
昔は、座敷には、主人以下男しか上がれなかったそうで、奥さんと言えども女の人は、一段さがった土間の上がり口で食事をしたとか。 |
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←はしごを登ったところは、屋根裏収納庫になってました |
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上田家
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今西家と同様に惣年寄を勤めていたお家柄。
延享元年(1744年)の建築とみられ、入り口を西に構えているのも珍しい。 |
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順明寺
称念寺に対して北御堂と呼ばれます。床下をあげての風通しの良いデザインになってます。 |
吉村家
江戸時代は、肥料商を営んでいたという吉村家。母屋は文化二年(1805年)の再築。他の建物はもっと古い。
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旧米谷家

金具商を営んでいた米谷家には、広い土間に大きなかまどと、農家にみられる煙返しがあります。裏庭には、蔵前屋敷の付いた大きな土蔵があり、この土蔵は嘉永二年(1849年)の建築とわかっています。 |
広い土間と大きなかまど
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裏庭の倉前屋敷と土蔵 |
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音村家

17世紀後半の建築とみられる音村家は、以前は金物屋。幕末の頃には、大繁盛していたそうで、こちらのお座敷には書院があるらしい。 |
蓮妙寺
正慶二年(1333年)創立したと伝えられ、本堂前に鎮座する『慶巳大善神』は、口の中の守護神として、古くから知られています。
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西光寺
創立、沿革は、明らかではないものの、文禄四年(1595年)には、すでにあった事が記録されている浄土宗のお寺です。 |

やってくれます!八木西口駅前の自転車置き場までこんな感じの建物です。 |

農民が自分たちの身を自分たちで守り、自分たちのきまりで地域を運営していく・・・室町から戦国時代にかけて誕生したこのような村を『惣(そう)』といいます。
惣については、『山城の国一揆』を参考にしてください。
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維持するのはたいへんでしょうが、
残していただきたい風景ですね。 |
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