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古代、このあたりは甘くおいしいお米が実る事で、甘野(あまの)と呼ばれていました。
そして、そこに流れるこの川には甘野川(あまのがわ)という名前がつけられたのです。
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1600年前、この地に住んだ渡来人たちは、機織や、養蚕の技術とともに様々な大陸文化を伝え、故郷に伝わる七夕の伝説も伝えました。
いつしか甘野川が天の川に変わり交野ヶ原と呼ばれたこの一帯に伝説が息づく事となります。
遠く離れた異国の地で、故郷と同じ満天の星空を眺めながら、渡来人たちは、星に願いをかけたことでしょう。
今回はそんなロマンあふれる七夕伝説を追っての交野の歴史散歩といきましょう。
定番のハイキングコースは、交野市駅から妙見宮へ行って、機物神社までですが、七夕伝説・制覇にこだわってバスを利用して、香里ヶ丘と枚方市駅周辺を加えました。 |
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番号をクリックすると写真にとびます
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| 京阪:交野市駅 |
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| 1 逢合橋 |
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| 2 徳川家康ひそみの藪 |
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| 3 星田妙見宮 |
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| 4 天田神社 |
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| 5 獅子窟寺 |
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| 6 古い町並み |
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| 7 機物神社 |
バス |
| 8 観音山公園(牽牛石) |
バス |
| 9 かささぎ橋 |
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| 10 天津橋 |
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| 11 百済王神社・百済寺 |
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| 京阪:宮之坂駅 |
| 足をのばして |
| 12 磐船神社 |
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ご存知だとは思いますが・・・七夕伝説とは
天帝の娘・織姫は、父の言いつけで、毎日機を織っておりました。
熱心に働く娘を見て、父はそろそろ誰か良い婿を・・・と思い、天の川の向こう岸に住む牛飼いの青年・牽牛と結婚させました。
しかし、牽牛と結婚してから織姫はすっかり機を織るのを忘れて、ふたりで遊んでばかりいました。
怒った天帝は、織姫を連れ戻し離れ離れにしてしまいました。
でも、あまりに嘆き悲しむ織姫を見て、一年に一度だけ会う事を許しました。
それが、7月7日の七夕の夜で、かささぎが天の川に橋を架け、ふたりを逢わせてくれるのです。 |
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おでかけ時のご注意
とにかく、あまりガイドブックにも載っていない道をまちがえやすい(私はかなり迷いました)コースなので詳細な地図を用意しました。
詳細な地図を見る
別れ道等の注意ポイントも記してありますので、ぜひ参考にして下さい。
また、倉治バス停からバスで香里ヶ丘へ向かうには、『香里園』行きに乗車して下さい。
30分に1本しかないバスなので、機物神社を通り過ごして、まずバス停でバスの時間をチェックしてから、機物神社をゆっくり見物・・・というのをお勧めします。
観音山公園からは、先ほどバスを降りた香里ヶ丘バス停とは逆側にある新香里バス停から『枚方市駅』行きのバスに乗車。こちらは、約15分に1本の間隔でバスが出ています。 |
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平安時代・弘仁年間(810〜824)に弘法大師・空海が、獅子窟寺にて修行の際、北斗七星を降臨させました。
それが、同じ村の光林寺・星の森とここの3ヶ所に分かれて落ち、この地が『三光清岩正身の妙見』として祀られました。 |
星田妙見宮
その時降った星が祀られていました。星田という地名も、弘法大師が三宅荘星田村と名付けたことに由来します。 |
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妙見口バス停のそばにあるお地蔵様。ここから遊歩道が始まります。 |
天田神社
天田神社は、この地に渡来人が住み、七夕伝説を伝える以前からあった神社で、磐船神社に残る『天の磐船』に乗って河内の地に降り立った物部氏のご先祖・饒速日命を祀ったのが始まりだとか・・・ |
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獅子窟寺
真言宗・高野山派の役小角(エンノオヅル)開山のお寺。奈良時代の僧・行基や空海もここで修行したという。
兵火のため、現在は当時の10分の1の規模になってしまった。ご本尊の薬師如来像は国宝です。
岩に覆われた山の上に建っていて、恐ろしく急な坂を20分ばかり上り続けなければたどりつけない。 |
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岩を両手で抱えて、願い事を一つ、3回唱えると叶うと言われている『天福岩』。
とてもじゃないが抱えられる大きさではないんですけど・・・。
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| 坂道を行くと、『ここは三丁』『ここは四丁』と書かれた道標があちこちに・・・昔の人も「まだかいな?」と思いながら登ったんだろうなぁ・・・と思うとスゴイ坂にも笑えてきました。 |
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かなり手前に仁王門跡、当時の大きさが偲ばれます。 |
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河内森駅の近くは、昔ながらの街並みが続きます。くねくねと細い道を行くので、迷わないように・・・。
これは、河内森駅から機物神社へ向かう途中の道。
←石灯籠の所を左
→お地蔵様のT字路も左です。 |
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機物神社
5〜6世紀に渡来し、養蚕と機織の技術を伝えた秦氏を祀った神社。
当初は『秦者(はたもの)』だったのが、後に祭神が七夕伝説の『織姫』となり、現在の名前になりました。
天正十年(1582年)6月に、明智光秀が武運を祈願し白銀百枚を奉納したという記録が残っているらしいのですが、 |
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6月2日に本能寺の変が起こっているんですけど、その寸前って事でしょうか。
その後も、豊臣秀吉や秀次が、やはり武運を祈願し金や米を奉納しています。
戦国の頃はかなり有名な神社だったんでしょうね。 7月6・7日の七夕まつりには、境内に笹が飾られ、露店も出て、かつての賑わいを取り戻します。 |
明智光秀が武運を祈願したのは、事件の前なのか、後なのか?気になる所ですが、とりあえず、光秀が
天正十年6月に決行した本能寺の変とその後の山崎の合戦については『明智光秀の最も熱い日々』へGo |
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一般的に紹介されているハイキングコ−スはここまで、京阪バスにて京阪:交野市駅へ・・・。
今回は、機物神社前にある『倉治バス停』から京阪バスに乗って『香里ヶ丘バス停』へ行きます。 |
観音山公園(牽牛石)
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香里ヶ丘にある観音山公園は、奈良時代に創建された中山観音寺跡です。南北朝の戦乱で焼失してしまいました。
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公園の東の端にあるのが『牽牛石』と呼ばれる石で、遠く天の川を挟んで向こう岸にある織姫を祀る機物神社を見下ろしています。 |
観音山公園周辺は詳細な地図で・・・詳細な地図を見る |
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| 再び、今度は『新香里バス停』から、やはり京阪バスで『枚方市駅』まで・・・ |
かささぎ橋

かつて平安貴族たちが歌に詠んだ美しい天の川。いつしか七夕伝説になぞらえて、天の川に架かるこの橋を『かささぎ橋』と呼ぶようになったとか。 |

天津橋(あまつばし)
橋全体に、織姫と彦星とかささぎのレリーフがほどこされています。 |
橋の真ん中に宇治橋の三の間のような張り出しがあり夜になるとイルミネーションの織姫・彦星が光ます。 |

少しお歳をめした感じの落ち着きのあるおふたりさんです。
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百済王・牛頭天王を祭神とする百済王神社の拝殿 |
百済王神社と百済寺跡
唐・新羅の連合軍の侵略を受け、日本からも出兵した『白村江の戦い』に敗れ、百済が滅亡した時、国王の禅広が日本に亡命してきました。やがて、朝廷に仕えるようになり、『百済王(くだらのこにしき)氏』という姓をなのり、難波に居住します。
奈良時代、聖武天皇の頃、東大寺の大仏鋳造に際し、百済王敬福(きょうふく)が金を献上した功により、河内守に任ぜられました。
そして、一族ともどもこの地に移り住み、氏寺・百済寺と氏神・百済王神社を創建しました。
平安時代には、宮廷のかなりの地位をしめていた一族でしたが、一族の衰退と、度重なる火災により伽藍は失われ、やがて興福寺・春日大社の支配下に置かれます。
関連記事:『白村江の戦い』飛鳥時代のページへGo |

左の垣根が金堂跡、右の階段が東塔跡、その向こうに回廊跡と講堂跡が続きます。
現在、百済寺跡は公園になって保存されていますが、その敷地の広さは、1辺が約160mあり、かつての権勢を偲ばせます。
また、伽藍配置は中門から出た回廊が東西の塔を廻り金堂につながるという、新羅の感恩寺の形式になっています。 |

百済寺跡の碑 |
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ちょっと足をのばして・・・
磐船神社
(境内自由)
岩窟めぐり:300円
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天田神社に祀られているニギハヤヒノミコト(饒速日命)が、天から降りて来たときに乗ってきたという『天の磐樟船』なる高さ12m、幅12mの巨石がご神体。
他にも多数ある巨石と巨石の間をめぐる岩窟(がんくつ)めぐりは、むかしから行場霊場として有名です。
この日は天の川の増水で丸太橋が崩壊し、岩窟めぐりはできませんでした〜残念! |
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磐船神社へは、私市駅から徒歩90分。
交野駅からのバスは平日は日に3本・土日には2本と、ぶらりするにはちょっとキツイ。

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天の川の上流は、神話の世界らしく、神秘的な空気に包まれています。神が舞い降りるのも納得・・・。
ニギハヤヒノミコトについては『消された神様たち』のページへGo |
岩窟めぐり
入れないので、せめて、入り口部分だけ。
こんな岩と岩の間を行くなんて、スゴイです〜。
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機物神社、私市駅周辺では、
毎年七夕まつりが行われています。
中でも京阪電車が行う『特急おりひめ』と
『準急ひこぼし』の私市駅での再会は、
個人的に大好きです。
イベントの様子はフォトアルバムへGo
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磐船神社へのバス
京阪・交野市発
10:30
13:10(平日のみ)
16:00
磐船神社前発
11:31
14:11(平日のみ)
17:01
変更されている場合も
ありますので、
事前にご確認下さい |
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